研究ノート12-2     (敬称は全て省略しています) 

Y染色体の世界的分布と拡散経路 

           参考文献 : 

書籍名

DNAが解き明かす日本人の系譜

出版社 

勉誠出版

著者

崎谷 満

初版年月 

2005.08


書籍名

DNAでたどる日本人10万年の旅

出版社 

昭和堂

著者

崎谷 満

初版年月 

2008.01


書籍名

人類の足跡10万年全史

出版社 

草思社

著者

スティーヴン・オッペンハイマー

初版年月 

2007.09


書籍名

日本人になった祖先たち

出版社 

NHKブックス

著者

篠田謙一

初版年月 

2007.02



 
 
イブやアダムがエデンの園にいたころ

 ミトコンドリアDNAでもY染色体でも、分岐を逆に辿っていくと我々の共通の祖先に行き着くことが出来る。事実、複数の学者がその共通の祖先、イブやアダムが楽園にいた時期を推定している。  
 
 まずエデンの園がアフリカにあったことは、現生人類のアフリカ単一起源説が多くの支持を得たことによって、今やほぼコンセンサスが得られている。
 しかし、ミトコンドリアDNAの分析から得られた、母系の祖先がただ一人の母親すなわちミトコンドリア・イブに収斂するという話が、ただ一人の祖先しか“いなかった”との誤解を生んだ。
   
  
 だが、事実は、DNAデータを用いたこれまでの研究では、祖先集団の規模としては、生殖可能な男女の総計は数千人、集団全体となると子供や老人を含めて2万人程度であったと推測されている。
         
 上図のように、mtDNAの母系遺伝の系譜でも、Y染色体の父系遺伝の系譜でも、ただ一つの遺伝子型に“あたかも漂っていく”かのごとく収斂して行く。それは専門用語で“遺伝的浮動”といわれ、現代の人々全員の共通の祖先「アダムとイブ」に導びいて行くのである。
 篠田謙一は「日本人になった祖先たち」のp47〜48で、
・・・そのなかにはいくつものミトコンドリアDNAのタイプがあったはずですが、結局はただ一つのタイプを除いて最終的に現在まで子孫を残すことなく人類の歴史の中に消えていきました。初期の人類のたった一人の女性が持っていたミトコンドリアDNAが、後に世界中の人々が持つミトコンドリアDNAのタイプを生み出したのです。・・・
と丁寧に記述している。

 ではその共通の祖先まで辿れるのは何万年前なのか。ここで各研究者の推定値をまとめておきたい。
    
 共通の祖先の推定値は研究者によって、20万年前から9万年前と実に2倍以上の差がある。
 この違いの要因は、
 一つは、研究者によって計算する際の仮定の置き方が違うという単純な理由による。

 もう一つの要因は--mtDNAに比較して、Y染色体からの共通祖先の年代推定が、かなり新しい年代に計算されている--実はこれは女性と男性の生殖行動に違いがあるから、と考えられている。
 すなわち女性はどんなに高貴な女性であっても、一人が産める子供の数は自ずと限られる。
 ところが怪しからぬ事に、男性の場合は権力者や貴人などが、一人で大勢の子孫を残すことが歴史上多々存在する。
 それだけでなく、多くの地域の多くの集団で、あるレベルの男であれば、多くの妻を娶ることが社会制度上でも、宗教上でも許容され、むしろ歓迎される時代が長く続いた(今現在も厳然と存在するが)。
      それは一部の男が多くの女性を独占し、子孫を残せない男性--彼等の遺伝子は遺伝的浮動の中で消えてゆく運命にある--を増加させることになった。
  これはただ一つの遺伝子型に収斂する世代数を短くする方向に作用する。その結果、推定年代が短くなるというのである。
(かっての「元」帝国の版図のなかで、ジンギス・ハンに由来するY染色体DNAを持つ人々は、男性総人口の8%、およそ1600万人という推定もある。)

 そしてより本質的には、実はこの最新共通祖先の年代とは、決してホモ・サピエンスがホモ・エレクトゥスから分岐し、アフリカのどこかで密かに子孫を残し始めた、“現生人類の起源”(一説には、60万年前という)とは概念的に違うということである。
 すなわち最新共通祖先とは、今現在、地球上に生存する人々の共通の祖先ということであって、すでに歴史の陰で途絶えてしまった人々の祖先を全て網羅した“共通の祖先”ではないということである。

  
出アフリカの時期とルート

 現代人の共通の祖先アダムとイブの子孫は、アフリカから全世界への進出を始めた。
   ・mtDNAから求められた共通の祖先(198,000年前)からは、“かなり長い時間”が経って、
    (Mishmar et.al.2003)によれば、MとNの系統(64,000年前〜65,000年前)がアフリカを出、
   ・Y染色体から求められた共通の祖先(90,420年前)からは、“ほどなく”
    (Hammer and Zegura.2002)によれば、CR系統(68,500年前)がアフリカを出た。
 この出アフリカの時期は、mtDNAもY染色体も、ほぼ同じ時期を算出している。
 その出アフリカがどのルートで行われたか、いろいろな説が唱えられている。
 右の図は、そのうちの一つ、複数移動の仮説である。
 現生人類は、まず南ルート、海岸採集民とも呼ばれる集団が、赤線のように、南アジアの沿岸に沿って、オセアニアや東南アジアに進出した。
   
その後、遅れて北アフリカからヨーロッパ大陸や、中央アジアを経て東北アジアへ拡散した。

 また、現生人類の出アフリカは、一度だけであったという説も有力である。
 次の図は、その少数の集団が、おそらく丸太を3本束ねたような貧弱な小船で、ジブチ辺りから、いま海賊多発で問題になっているバブ・エル・マンデブ海峡を渡ってアデンに至り、さらに海岸すなわち“砂のハイウェイ”(「アダムの旅」スペンサー・ウェルズp120)を通って中東に至る図である。
  

 中東からインド方面へ向かった一団には、砂のハイウェイを通ってオーストラリアに直行した集団もあれば、インドに一時とどまり、それから東南アジアや東アジアへ拡散した集団もいた。またある一団はインドから峻険な大山岳地帯をすり抜けて、中央アジアからシベリアへ向かった。
 また、5万年前ごろ一時的に気候が緩み、南アジアとトルコの間に緑の通路、いわゆる肥沃な三日月地帯への通路が開けることによって、レバント地方(東地中海地方or西アジア地方と同義、現在のシリア、イスラエル、ヨルダン、レバノン辺り)からヨーロッパへ拡散していったヨーロッパ系の集団もいた。

 
Y染色体亜型の分岐時期と世界的拡散

 次の二つの図は、崎谷満の「DNAが解き明かす日本人の系譜」から引用・改変したものである。
 一つは、Y染色体の系統樹である。
 Y染色体亜型のネーミングは、mtDNA亜型の命名(発見の順序にA,B,C・・・と名づけられた。そのためA,B,C,Dはアメリカ先住民のmtDNA亜型から命名されたのである。そのため、現生人類の祖型は“L”という称号が与えられたにすぎない。)の失敗の教訓から、2002年、世界の学者が集まった共同研究機関で標準化が成された。それによると、Y染色体はAからRまでの18の大分類とその下位グループとして、153の亜型が登録された。(今後その数は急速に増えると予想されている。)
 その時点の18の大分類に基づくものが次の系統樹である。
  
 
 もう一つは、Y染色体亜型の世界的な分布状況と、それから見えてくる現生人類の出アフリカから世界の隅々までの拡散経路である。
 

 この二つの図から崎谷の説明に沿いながら、筆者の感想を折り込んでまとめると、
1.最も古い系統のA亜型とB亜型は、いずれもアフリカのみしか見られない。mtDNAの L0,L1,L 
 2,L3がアフリカでしか見られないのと同様である。
 したがって、Y染色体の分析でも人類発祥の地は、アフリカであることが確認される。

2.CR系統から三つの大系統、すなわちC亜型、DE系統、FR系統が派生する。
 いずれも出アフリカを果し全世界へと広がった集団である。
 mtDNAでいうM亜型、N亜型に対応する系統と考えられる。
 なお、アフリカを出たはずの、DE系統のE亜型とFR系統のG亜型,R亜型は現在のアフリカで認められる。mtDNAのM1亜型、U6亜型に相当する、すなわち“出戻り集団”であろうか。

3.C亜型は、東アジア(日本列島を含む)、オセアニア、オーストラリア、シベリア、アメリカなど、広い範
 囲に認められる。
 ニューギニアやオーストラリア(C1,C2系統)と、一方、シベリア(C2系統)に高度集積地が認められることは、C亜型の集団のうち、南ルートを採ったものと内陸ルートを採ったものがいたことを示している。

4.DE系統のD亜型は中央アジアから東アジア、特にチベットと日本列島に分布する。
 特に日本列島に最大の集積地点があるので、このD亜型は我々にとって非常に重要なY染色体で
 あるが、分布状態はかなり孤立したものである。
 これは名こそ同じだが別の遺伝子である、mtDNAのD亜型が東アジアに普遍的に分布するのと 
 は、状況を異にする。

5.FR系統から派生したG亜型,I亜型がヨーロッパ、北アフリカ、西アジアに広がっていることは、mtD 
 NAのN系統やR系統から派生した下位亜型がヨーロッパに分布していることを思い出させる。
 
 F祖型とH亜型が南アジア(インド)に特異的に認められるが、これはインド亜大陸の先住系のヒト集
 団(ドラヴィダ語系)を反映している可能性が指摘されている。

6.同じくFR系統から分岐したJ亜型は、中東を起源地としてヨーロッパ、アフリカ、南アジアへ広がって
 おり、インドにJ亜型を持ち込んだのは、サンスクリット語をもたらしたアーリア系の集団ではなかっ
 たかと筆者は推測する。

7.K系統はオセアニアに特異的な集積を見せる一方、中央アジアからヨーロッパにも分布している。
 したがってK系統には、C系統と同様南方系と北方系の二系統があるようである。
 
8.日本に多いO系統は、ユーラシア東部に局限して見られ、発祥の地は華北の黄河上流付近である
 ことが想定されている。したがってこのO亜型は、北方系のK系統との関連が高いと考えられる。

  日本人に主要なY染色体亜型の世界的分布

 以上、Y染色体の世界的拡散の様子を眺めてきた。その中で日本列島に流入し、現在の本土日本人やアイヌ民族、琉球の集団を形成したのは、主としてC系統とD系統、O系統であった。
 
 これらのY染色体亜型について、拡散の経路と世界的分布について詳しく調べておきたい。

 C系統について
 
日本列島のC系統は、C3亜型とC1亜型である。列島におけるC3の頻度はアイヌでもっとも高く、琉球では認められない。C1の頻度は僅かである。
 
1.上図から解るように、C3系統のヒト集団は、[東アフリカ→南アジア(インド)→中央アジア→シベ
 リア→サハリン→日本列島(北海道)]のルートで辿り着いたと考えられる。C3系統はこの拡散経
 路からみても、明らかに北方系の遺伝子である。

2.もう一つのグループは、沿岸に沿って南方へ、すなわちインドネシア東部からオセアニア方面(C2
 系統)やインドネシア、フィリッピン(C1系統)へ分化していった。
 日本列島には、南方系のC1系統も若干ではあるが流入している。

3.先の系統樹にあるように、C系統の最近共通祖先年代の推定値は、Hammer and Zegura(2002)
 によれば、27,500年と推定されている。
 したがって、C3系統も、C1系統も旧石器時代に北からはサハリン経由で、南からは“海上の道”
 を通って、日本列島に移動してきたものと思われる。

4.
NHKスペシャル『日本人はるかな旅』:2001年は、篠田謙一のmtDNAデータの一部を利用して、
 「日本人のルーツは、ブリアート民族である」かのように報じた、という。
 しかし、この放送内容は篠田の私信によれば、篠田の全く預かり知らぬことだという。
 確かにいまこのY染色体の分析でも、上図のようにブリアートのC3頻度は突出して高く、ブリアート
 集団の列島への渡来の可能性は大きいが、現在日本列島内でのC3の頻度は少数派で、D系統
 やO系統が主流であるところから、NHKの報道は断定的に過ぎ、勇み足であったと言えよう。

 D系統について
 
日本列島におけるD系統は、東京の1例や場所不詳の1例をD1亜型の散発例として、他はすべてD2
 亜型である。それは、アイヌ、沖縄人で特に高く、本土日本人でもほぼ40%を占める最大グループ
 である。
  

 (筆者注)従来ここに載せていたグラフに誤りがありました。これは差し替え分です。(2010.02.21) 

 崎谷は、このD2系統について、9項目に亘り詳しく説明しているが、要約すれば次のとおりであ
 る。
1.D2系統の移動ルートは、[北アフリカ→中東
→中央アジア→華北→朝鮮半島→西九州]と推定さ
 れる。しかしベンガル湾東部のアンダマン諸島に別のD祖形が認められ、南ルートから東ユーラシ
 アに広がった可能性もある、という。

2.日本列島にはD2系統の、チベットにはD1,D3系統の“特異的な集積”が見られるが、いまでもユーラ
 シア東部に低頻度ながらD系統が広く分布していることは、かっては東ユーラシア全体に分布してい
 たD系統が、その後進出してきたO系統によって圧迫され、チベットと日本列島以外では少数派にな 
 ってしまったと、推測される。

3.DE系統の最近共通祖先年代が38,300年、D系統のそれが13,000年とすれば、D2系統が日本列
 島へ移動してきたのは、旧石器時代ではなく新石器時代(13,000年前)以降の可能性が高い。
 (筆者注:縄文時代草創期前後から以後に、この日本列島に大規模な集団の流入があったという
  ような文化的な痕跡は残されていない。)

4.新石器時代には朝鮮半島と日本列島に共通の文化や
漁労民の文化の存在があるが、この民は
 D2系統のヒト集団であった可能性が高い。(筆者注:第1部11節で取り上げた)
 西九州における縄文系(=D2系統ヒト集団)の高度集積は、弥生時代になってもこの地
 域で、縄文系の形質をもつ人々が見られたことにつながる。(筆者注:第3部06.「渡来人
 の故郷はどこか」で取り上げた、西北九州タイプの弥生人のこと)

5.
ウィルス疫学の日沼頼夫が指摘した、HTLV-Iウィルスキャリアが西九州で比較的多いことは、こ
 の地が、D2系統の移動ルートで、今でもここに高頻度に蓄積していることによって、整合性を持っ
 て説明できる。(筆者注:第1部02節で取り上げた)
 その後、朝鮮半島には大規模のO2b系統、O3系統のヒト集団が流入したため、D2系統は絶滅寸
 前まで追いやられた。その結果、朝鮮半島では、HTLV-Iウィルスキャリアもほとんど消滅した。

 
O系統について
 O系統は、ユーラシア東部に局限して分布し、且つ高度に分化して繁栄している。
 日本列島では、アイヌにおいては、O系統が見られない。
 本州、琉球では、O祖型、O1型、O2祖型、O2a、O2b、O3型のうち、O2b系統とO3系統が高い頻度
 で分布し、それ以外は散発的である。
  

1.O系統の移動ルートは、[北アフリカ→中東→中央アジア→華北
→朝鮮半島→北九州]とされ、
 上記D2系統と重なる。しかし、移動の時期は、下記の4.に記すように異なると推定されている。

2.O系統は、上図から明らかなように、東アジア南部にO2a系統が、東アジア北部にO2b系統が、東
 アジア全域にO3が分布している。

3.日本列島でD2に並ぶ、高い頻度を示すO2b、O3は、朝鮮半島では圧倒的に大きな集団を構成し
 ている。
 朝鮮半島に住む人々は、度重なる侵略や各民族集団の流入などによって、非常に複雑な遺伝子で
 構成されていると自らを規定しているようだが、Y染色体のO系統だけで90%前後を占めることは極
 めて注目される。

4.O系統の最新共通祖先年代は、17,500年前と推定されているが、その拡張・移動開始の時期とな
 ると8,100年前程度と考えられている。(この要因については、記述されていない。)
 さらにO2bの最新共通祖先年代となると、僅か3,300年前、移動を開始したのは2,800年ほど前とさ
 れる。

5.以上の話は、金属器時代(弥生時代)になって、渡来系弥生人が朝鮮半島からやってきたという
 考古学の知見に、ピッタリと一致する。年代的にも歴博の弥生時代開始年代の見直し提案にほぼ 
 合致する。 ただし、分岐や移動の時期の年代推定は明らかでない。


 以上、Y染色体亜型の世界的分布について概観してきた。
 それは出アフリカを果した現生人類が、中東(イラン、イラク、アフガニスタンなど)からインド亜大陸
辺りに進出し、その地で子孫を繁盛させ、多様化も進んだ。
 そして、東ユーラシアやオセアニア、ヨーロッパやシべリア方面へ拡散して行ったことを示していた。

 以上のY染色体の基礎的な知識をベースとして、本論ではY染色体から日本人の祖先を探る。

 追記:
  2010年10月26日、ナショナルジオグラフィック公式日本語サイトが報じるところによると、中国南部の
 洞窟から10万年前の現生人類の下顎骨が発見され、現生人類の出アフリカの時期が大幅に遡る可能
 性が出てきたという。
  


     
         
         
         

 
 

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