研究ノート11     (敬称は全て省略しています) 

mtDNA亜型からみた系統関係と拡散経路 

           参考文献 : 

書籍名

日本人になった祖先たち

出版社 

NHKブックス

著者

篠田謙一

初版年月 

2007.02


書籍名

人類の足跡10万年全史

出版社 

草思社

著者

スティーヴン・オッペンハイマー

初版年月 

2007.09



 第1部03節、いわばこの“日本人の起源”のストーリーの冒頭で、ミトコンドリアDNAに触れた。
 そこでは日本におけるmtDNA研究の先駆者宝来聡の研究を調べ、次の時代を担う篠田謙一の「日本人になった祖先たち」の著書について、さらに詳説することを予告した。
 すなわち、宝来らが行ったmtDNA研究の第1期は、
・mtDNA個別の、一つ一つの文字配列を調
  べ、系統関係を捉えようとした。その文字配列
  も、mtDNA全体の16,500文字のうち、特に何
 の働きもしていないDループという領域の文字
 配列、それもその一部分を調べて個別mtDN
 Aの代表としていた


それに対し、篠田らが取り組んでいるmtDNA研究の第2期は、
・DNA解析技術の向上により、mtDNAの全文
 字配列16,500が調べられるようになった。
   
 それを似ているものからグループ分け(ハプログループ、亜型、系統などいろいろ表現される)し、系 
 統関係を明らかにすると共に、世界的・地域的分布が調べられている。

 ここで、篠田謙一の著書「日本人になった祖先たち」をテキストとして、また「人類の足跡10万年全史」などをサブ・テキストとして、最新のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析から先祖集団の探索を続けていく。

  mt
DNAが描く人類の拡散

 第1部03節で示したmtDNAの全文字(塩基)配列を用いた、下の系統樹(イングマン等、2000年による)は、従来のmtDNAの一部・Dループという部分的な文字配列による系統樹に比べ、画期的なものではあったが、全世界のわずか53名のデータから解析されたものであった。
      
 
 しかしそれは見事に、現生人類が4つの大グループに分類出来ることを示した。
 しかも現生人類の進化は、そのうちの3つ(L0,L1,L2)の分岐がアフリカ内だけで起こり、現生人類が出アフリカを果たして地球全体に分布するようになった(赤で囲まれた人々)集団は、最も新しい分岐の中だけで起こったことが明らかとなった。

 それは、人類史から見ればつい最近の出来事であって、しかもその多様性はアフリカ内での多様性にに比べて、非常に少ないという驚くべき結果を示していた。
 すなわち、アフリカ大陸における現生人類の多様性(平易に表現すれば、種類の多さ)は、その他の大陸の人々−アジア人、ヨーロッパ人、南北アメリカ人、オーストラリア人−全ての多様性(種類)よりも多いというのである。
(逆の言い方をすれば、アフリカを除く世界の人々乃至は集団が見た感じでは、白人や黄色人種、赤色人種などきわめて“幅が広く種類が多い”と思っていた我々の常識が、実は間違いであったことがDNA解析の結果示されたのである。)
 
 それが今、2006年の時点では、国際的なDNAデータバンクに登録された、ヒトmt
DNAの全文字配列が判明している人の数は3,000名にのぼり、そのうち1/4近くの700名は日本人のものという。
 すなわち、日本人の集団は今現在、mtDNAを調べるには最もデータ量が多く、最も適した集団といえる訳である。

 篠田謙一は、これから調べてゆく現生人類のmtDNAの、進化発展で生じた系統の分かれた集団を、「ハプログループ」という専門用語で表現している。
 これは、mtDNAは母方のみから受け継がれていくので、ハプロイド(haploid : 半数体or単一の)のタイプという意味の用語という。
 しかし、このハプログループという用語は、一般に全く馴染みのないものであり、その概念の難しさは、むしろ全体の理解を妨げるのではないかと危惧する。
 そこで筆者は、次に研究するY染色体の分類で崎谷満が使っている“亜型”という表現を借りて、これをハプログループに代わる用語としたいと考える。
 亜型の“亜”は、一般に“上位や主たるものに次ぐ。次位の。準ずる。”という意味に使われ、亜熱帯や亜大陸という表現で馴染みである。生物学でも、生物分類上の基本単位である門・綱・目・科・属・種などの、それぞれの下位単位を表す語としてたとえば“亜種”などと使われ、これも馴染みである。

  mtDNA亜型の系統関係と拡散経路

 篠田が最新のmtDNAデータベースを使って作ったmtDNA亜型の系統関係は次のようなものであ
り、実に明解に、出アフリカを果した集団が、世界に拡散した様子を物語ってくれる。
 
 
 篠田によれば、

1.現生人類が10万年も進化を続けたアフリカでは、祖先型の亜型はすでに失われており、MやN,
 R,U亜型のようなリング状の系統関係は崩れ去って、平板な樹形となっている。
2.7万〜6万年前、出アフリカを果たした(あるいは追い出された?)グループは、L3から派生したMと 
 Nの亜型グループであった。
  これはアフリカからの旅立ちが二回あったことを示唆しているように見えるが、多くの研究者は、出 
 アフリカは一回限りの出来事で、しかも人数も150人程度の小規模の集団であった、その集団の中
 にMとNが含まれていたと考えているようである。
3.上図で薄い青で示した亜型は、インドで派生したものである。
  これだけ多くの亜型がインドで派生しているのは、出アフリカを果たしたグループがインド亜大陸
 で一時留まり、それから東南アジアや中央アジア・東アジア・北東アジアに拡散したことを示している
 る。
4.亜型Mは、きれいな星型の分岐をし、Nは少々複雑な分岐をしている。
  これはMがアジアにだけ展開したのに対し、Nの方はアジアとヨーロッパの双方に分布を広げたと 
 いう、拡散の歴史の違いを反映しているものと考えられる。
5.興味深いことは、薄緑で表示したM1やU6のようにアフリカに戻った“出戻り集団”がいたり、またX
 のように、アジアにもヨーロッパにも分布するという活発に移動したグループが いたことである。
6.赤丸で囲んだ日本人のmtDNA亜型は、Mから派生したものもあれば、NやRから派生したものも
 あるなど実に多様である。
  日本人は、かっては万世一系であるとか、せいぜい二重構造論で説明される程度で、一般に均一 
 な集団であると規定されることが多いが、実はmtDNAから見る限り、極めて多様な集団であるとい
 えるのである。

 以上のような多様なmtDNA亜型をもった現生人類は、どういう経路でアジア各地に拡散したのであろうか。
 次の図は、「人類の足跡10万年全史」でスティーヴン・オッペンハイマーが提示しているものである。mtDNA亜型の分布や拡散ルートなど篠田謙一と一致しない部分もあるが、東アジアや東南アジアへ現生人類が、どういう経路で進出・拡散したかを見事に描き出しており、極めて示唆に富んだ図となっている。
 アフリカを出発した現生人類は、まずインドに到り、インドから南回りのグループは大陸の海岸沿いの経路をとり、さらに海から大河を遡って内陸に展開した。
 また北回りのグループは内陸ルートで中央アジアから、シベリアや東北アジアに進出したという。
      

 東アジアにおける
mtDNA亜型の分布

 mtDNA亜型のそれぞれの起源地を特定し、拡散の様子を把握するには、
 ・亜型の占める割合が他の地域よりも多くて、しかも内部の変異をたくさん持っている(即
  ち、多くの変異を生む長い期間を経ている)ところをその起源地と考え、
 ・そこからの拡散の様子は、人口に占める割合と変異の減少を調べ、追跡することによって
  調べる、 
と篠田は説明する。
 そして、そのmtDNA亜型の、起源地と拡散の経路を究明することが出来れば、現在、我々が持っているmtDNA亜型の頻度から、我々日本人の先祖の故郷を推測することが可能になってくると思われる。
 以下、主要な亜型について、分布や拡散ルートを調べる。

 亜型D--東アジアの最大集団    
     この亜型グループD4とD5は中央アジアから東アジアにかけて最も優勢な亜型で、朝鮮半島や中国東北部の集団でもおおむね3割から4割を占めている、大集団である。
 このグループの誕生は、他の北アジアに展開した亜型AやG,Cといったグループよりやや古く、3万5000年以上前と算出されている。
 
 
 しかも右の図に見られるように、D4の集団は、東アジアの広域でその下位亜型がa〜nと18種類に及ぶなど大勢力を誇っているのである。
 このことは筆者がこれまで想定してきた、日本列島に移住してきた人達、すなわち華北方面からやってきた最初の日本人から、弥生・古墳時代の渡来人までの全ての集団に、この亜型を持つ人がいたと想定され、この亜型から直ちに日本人の先祖の故郷を特定することは困難である。
 
特定しようとすれば、さらにD4の下位の
   
亜型の分布を詳細に調べる必要があるが、現在そのデータはない。

 
亜型B--環太平洋に広がった集団
 亜型Bは、日本人の七人に一人が該当する2番目に多いグループである。
 この亜型グループは、他の亜型がDNAの文字配列の変異に起因しているのに対し、文字配列の特定の部位が九つ分だけが欠損するということに起因している。
 すなわち一般のmtDNAの16,568文字に対し、16,559文字しか持っていないという。(筆者注:宝来聡らは一般に、mtDNAの文字数は16,569文字と云っており、何故か篠田は1個少なくカウントしている。)
 
 この亜型Bは、4万年ほど前、中国の南部で誕生したと推定されている。
 上図に見るように中国南部から東南アジアにかけて高い人口比を示し、太平洋の島々に拡散した人々の90〜100%がこのmtDNAが欠損した人々である。しかし、この海洋民族といわれる人々の拡散は、たかだか6,000年前以降の話である。
 
 亜型Bは、南米でも高い人口比をみせる。この伝播ルートは中国南部から東アジアの沿岸を北上して新大陸に至り、そこからさらに海岸沿いに南下したと考えられるという。
 非常に古い時代に、東アジアの南から北上する大きな人の流れがあったと見られている。
 当然、東アジアの沿岸には日本列島があり、彼等の一部が列島に留まった。おそらく一番最初に日本列島に入ったのは、亜型Dよりもこの亜型Bを主体とした集団の可能性が強い。
 すなわちこの亜型Bは、筆者がこれまで述べてきた集団としては、まさに埴原和郎の言う東南アジア島嶼部(スンダランド)から日本列島にやってきた人々(二重構造モデルで云うところの基層人)を彷彿とさせる。
 しかし亜型Dと同様亜型Bも、東アジア各地に多くの人口をかかえていることから、その後に流入した渡来人にも、この亜型Bを持っていた人が多く含まれていたと考えられることから、断定的結論を得るにはより詳細な分析が必要であろう。

 
亜型M7--日本の基層集団を生む系統?
 亜型M7には三つの下位グループa、b、cが存在し、右の図のような偏った分布を示す。
 すなわちM7aは、主として日本に、M7bは大陸の沿岸部から中国の南部地域に、M7cは東南アジア島嶼部に分布の中心がある。
 中央アジアや東北アジアにはほとんど分布しない。
 このM7は古く4万年以上前、a・b・cの分布の重なり
   
合う地域で誕生し、各下位グループは2万5000年ほど前に派生した。
 この時代は、云うまでもなく氷河期でも極寒期に入るところで、この地域には広大な陸地、すなわちスンダランドが出現していたはずである。
 そこで生じた下位グループのうち、M7aが琉球列島を伝って日本列島に入ってきたと考えられる。この亜型は、本土の日本人では7.5%程度だが、沖縄ではほぼ四人に一人、24%の人が持っている。
 また上図にはないが、アイヌも16%という頻度を示すので、篠田はこの亜型こそ「二重構造モデル」でいう縄文人(=基層人)を代表する亜型の候補ではないかとしている。
 
 なお、第1部03節で取り上げた、宝来聡が日本で初めて、mtDNAの文字配列を解読した古人骨・浦和1号は、実は亜型でいうとM7cであった。
 この亜型は、フィリッピンやボルネオでは多くの人口を抱えているが、日本列島では現代の本土日本人でも関東の縄文人でも非常に珍しいタイプであって、それが最初の縄文人のDNAとして報告され、二重構造モデルの縄文人南方起源説と結びついて一般に誤った観念を植え付けてしまったという。

 
亜型A--マンモスハンターの系譜
 亜型Aは、日本人では7%を占めるだけだが、下図のように北東アジアや北米・中米では人口の過半数を占めている。
 
 このことから、北東アジアのいずれかのモンゴロイド集団、すなわちあるマンモスハンターの集団が、ベーリング陸橋を渡って新大陸に足を踏み入れ、アメリカの先住民になったことがmtDNAからも確認される。
 アメリカ先住民に於けるその頻度の高さから、移動したその集団は、元々高い頻度で亜型Aを保持していたものと推測される。
 そして同じような集団の一部が、この日本列島にも南下して来ていたことが、現代日本人の6.9%という亜型Aの割合に示されている。
 第1部04節で触れた“花泉人”などはその人々であったに違いないと筆者は想定するのである。


 篠田は以上の主な亜型だけでなく、頻度の低い亜型についても懇切にコメントを加えている。しかし、亜型毎に、起源地が想定されるもの、拡散ルートが推定されるもの、現在高い頻度が認められる地域というように、説明のポイントはそれぞれに違う。
 筆者は、そういう説明の違いをある程度無視して、大胆に且つ感覚的ではあるが、篠田の説明を地図に落としてみた。それが次の図である。(したがって、この図の責任はすべて筆者にある。)

    
 
 mtDNA亜型の分布や起源地、分岐年代をとりあえず以上のように押さえた上で、これまで検討を重ねてきた考古学的考察などと整合性が取れるか、本論では、日本人のmtDNA亜型を中心に検討し、祖先の故郷を探して行きたい。 


     
         
         
         

 
 

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