日本人の源流を探して      (敬称は全て省略しています) 



                第5部  神々の故郷と子孫たち
 
     
     03-1.日本語の起源を旧石器時代に探る
                (少し長くなりましたので、目次を用意しました。)
                        目次
        第1部    
01.  破綻した日本語の起源探索手法
                
02. 孤立言語の発生と分布
                
03. 古い層の言語の探索方法
                
04. 言語類型地理論の概要
                
05. 「言語の遺伝子型」の世界的分布
                
06. 汎世界的な文法の精密化
                
07. 農耕文明に伴う新興言語の登場
        第2部    
08. 日本語の起源について 
                 
-1. 日本列島の最初の言語 
                 
-2. ナイフ形石器全盛時代の日本語 
                 
-3. 細石刃文化の流入による言語接触
                 
-4. 縄文時代・弥生時代を通じた現代日本語の成立                                                 


  【第1部】
  
 
破綻した日本語の起源探索手法
  
 言語学の金沢大学名誉教授、松本克己は、「世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-」の冒頭で、
・・・日本語の系統をめぐる問題は、この問題が俎上に載せられてからすでに百年近く、その間、数多くの論著が世に問われ、度重なる討議が交わされてきたけれども、今もって解決 に達するにはほど遠い。・・・・学問的に実りのない不毛の論、徒労の試みとする見解が折に触れて提起されるのも決していわれのないことではない。・・・    と言い切っている。
 筆者もこの見方に賛成である。


 その理由は明らかである。
 
明治時代に西欧言語学が導入されて以来、日本の言語学者の関心事は、もっぱら「日本語と同系関係にある言語は何か」という課題であった。
 それは、ヨーロッパに於いて比較言語学という学問が、インド・ヨーロッパ(=印欧)語族の研究に於いて、目を剥くばかりの成果を上げていたからである。

 
印欧祖語を源流とするこの語族の系統は研究が進展するにつれ、次図に示すような膨大なファミリーを有する、大語族であることが明らかにされている。

(拡大図は、ココ
をクリック) 
  
 また比較言語学は、印欧語族だけにとどまらず、世界各地には、他にもいろいろな語族(family of languages)が存在することを明らかにした。
 たとえば、ユーラシアでは印欧語族の他に、セム(あるいはそれを含むアフロ・アジア)語族、ウラル語族、ドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語族、オーストロアジア語族などがあり、アフリカではバントゥー(あるいはそれを含むニジェル・コンゴ)語族、太平洋地域ではオーストロネシア語族などがそれぞれ系譜的関係を持っている(=系統樹に纏められ、共通祖語を構築できる)事を明らかにしたのである。次の図は世界の語族の分布図である。   
    
 (注)上図に、紫色に塗り分けられた「アルタイ諸語」という広大な地域がある。この「諸語」という表現と「語族」という表現が紛らわしく使われていることがある。
 しかし、双方は全く違う概念であることを指摘しておきたい。
たとえば、
 ・アルタイ諸語は、“Altaic Languages”の和訳であり、
 ・インド・ヨーロッパ語族は、“
 Indo-European family of languages”の和訳である。

即ち、

 ・諸語とは、比較言語学上、互いに関係が深いとされる言語のグループであるが、共通祖語を構築

  することが出来ない。(但し、言語の塊という一般的な意味で、語族を含めて諸語ということがある)

 ・語族とは、比較言語学上、同一の起源(祖語)から派生、発達したと認められる言語群の集まり、で

  ある。

 このような成果を見せつけられれば、誰しも日本語と「祖語を共有する言語」、すなわち同系語ないし兄弟語が世界の何処かにあるはずだ、と信じるのは無理もないことであろう。
 その上、日本列島では、在来の縄文語に弥生文化をもたらした渡来人が使っていたはずの言語が被さった形で、現代日本語の大枠が形成されたという仮説が信じられ、 その大枠形成の時期は、考古学の知見から、たかだか2千数百年前のことと考えられていたからである。
 この年数は、同系語があるとすれば、比較言語学で検証するのに十分過ぎるほどの有効射程内(7,000年〜6,000年前以内)に入っていたのである。
 
 しかし日本の言語学者や、あるいは日本語の系統を解明しようとする世界の言語学者が血眼になって探しても、“その言語”は存在しなかった。
 そればかりか、“こじつけ”系統論や“独りよがり”の系統論が多数出現する始末になったのである。
 これでは、日本語の起源ないし系統の研究が、学問的に実りのない、むしろ学問の尊厳を冒涜する研究だと言われても、致し方がないであろう。

  
孤立言語の発生と分布

 言語学の松本克己は、おなじく「世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-」の5ページで、 
・・・旧大陸を中心に広い地域に分布する、印欧語その他の主要な語族は、これまでの研究によれば、それぞれの祖語の年代が、大体、今から5,000〜6,000年前に設定できる。・・・ということは、これらの言語はいずれも、人類が石器時代の長い停滞期を終えて、新しい文明時代を迎える丁度その開幕期に姿を現し、かなり短期間にその勢力を拡張して、現在見るような語族の分布図を形作ったと考えることが出来よう。・・・  と述べている。

 すなわち松本は、アフリカからユーラシア全体をいろいろな新興の言語(語族)が覆い尽くしたのは、現生人類の言語の歴史(*)からみれば、つい最近の出来事であるとし、その陰で、幾多の何万年にも及ぶ古い言語が、これらの新興言語に呑み込まれ消え去ったのではないかと推測しているのである。
(*注:多数の研究者の平均値として、現世人類の言語獲得が10万年前、進化発展したのが5万年前と推定されている。)
 事実、古いヨーロッパ人の典型である「クロマニヨン人」は、後期旧石器時代のヨーロッパ各地に、優れた洞窟芸術を残したハイレベルの文化を持った人々であったが、彼らが如何なる言語を使っていたのか、全く何の痕跡も現代に残すことなく、不幸にも姿を消してしまっている。
 一方、中近東地域の古代人が使っていた言語は、全く幸いにも、乾いた多数の粘土板によって楔形文字という形で現在まで伝えられることになった。そこには、
 ・楔形文字の創始者と言われる
シュメール人の言語をはじめ、
 ・メソポタミアの上流域にあったミタンニ王国その他で栄えた
「フルリ語」
 ・ヒッタイトの先住言語であった
「ハッティ語」
 ・ペルシャの先住言語であった
「エラム語」
 ・アルメニア語の前の言語と見られる
「ウラルトゥ語」
など、今では消滅してしまった古代の言語が、“確かに存在”していたことを教えてくれるのである。
 しかもそれらの言語は、現代のいずれの言語とも系譜的関係がなく、その系統は不明である。
 
 これらの事実は、農耕文明が勃興する以前、大雑把に言えば後期旧石器時代には、現代の主要な言語とは“全く系統の異なる幾多の古代言語”が世界を覆い尽くしていた事を示唆している。
 そして、現在、旧大陸に散在する系統不明の言語、いわゆる『孤立言語』と呼ばれる少数の言語群−バスク語、カフカス(コーカサス)諸語、ケット語、プルシャンスキー語、ユカギール語−こそ、そのほんの一部の生き残りではないかと推測されるのである。

 下図で青色で塗られたそれらの言語は、「ユーラシア内陸型孤立言語」と言っていいだろう。 
    
 一方、『孤立言語』と呼ばれる言語の中には、日本海を取り囲むように緑色で塗られた言語群がある。
 これらの朝鮮語、日本語、アイヌ語、ギリヤーク語という言語は、松本によって「環日本海諸語」と名付けられているが、これらはユーラシア内陸型孤立言語の「点在型」とは対照的に、「塊」となって現存している。
 ユーラシア内陸型孤立言語とは成立過程が違うのであろうが、太平洋沿岸型孤立言語とも言うべき環日本海諸語も、後期旧石器時代に世界を覆っていた古代の言語のうちの“生き残り”であるに違いない。

   古い層の言語の探索方法

 では、現在世界に存する言語群から、消失したり埋もれてしまった幾多の言語や、現在も力強く生き残っている言語を推測することが可能であろうか。
 これまでに考えられた古い言語の探索方法は、次の3つの方法に集約される。(「The Seeds of Speech−Language Origin and Evolution」Jean Aitchison (邦訳:ことば 始まりと進化の謎を解く J.エイチスン) より引用)

1)親族関係の比較
共通の「祖先」の子孫である言語同士を比較する−この方法すなわち比較言語学は、既に説明してきたように、最も古くから研究され、最も信頼のおける方法だが、あまり古代にまで遡ることが出来ない。
 この方法によって言語の起源が調べられる有効な期間は、通常5,000〜6,000年前、最大でもせいぜい1万年前までと考えられている。

2)地域の比較共通な言語的特徴を、長期の時間軸に沿って、また地球上の広い範囲に亘ってプロットし、量化する−この方法は、人間及び言語がアフリカで発生し、次に「拡大の段階」が生じた時期の、言語の拡大の方向(地域)を明らかにしようとする。従ってこの方法によれば、
可能性としては3万年乃至それ以上遡ることが出来るという。(ジョハナ・ニコルズ「個体群類型論」による)

3)類似性の比較
時間的にも、距離的にも何の条件もなく、語彙の表面的な類似性を調べる−この方法は、「大量比較法」とも言うそうであり、かなり異論もある新しい方法というが、その提唱者によると、この方法によって言語の起源まで遡ることが出来るという。

 本節では、
松本克己の「世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-」をテキストとして、“言語類型地理論”すなわち、おそらく上記の2)に分類される方法で、日本語の起源に迫りたい。

  
言語類型地理論の概要

  この
松本の「言語類型地理論」は、いわば袋小路に迷い込んだかに見える日本語の系統論に、新しい解決の糸口を見つけようとする、一つの模索的試みである。
 同時にまた、数万年に亘るような奥行きの深い諸言語の系譜関係を探るために、古典的な、せいぜい1万年のオーダーでしか研究出来ない比較言語学に代わる、別のアプローチないし別の視点を提案しようという意欲的な狙いも込められている。

 従ってこの方法は、手近な語彙の比較であるとか、文法や音韻の比較など従来の手法の延長や深化ではなく、“言語のもっと内奥に潜み、それぞれの言語の基本的骨組みを決定づけるような”言語のいわば「遺伝子型」に相当するような特質を炙り出そうとするものと言う。
  
 比較言語学分析の限界を超え、1万年以上ないしは数万年も、その民族や集団に強固に引き継がれた、言語の「遺伝子型」ともいうべき「特質」とは何か。松本が挙げるのは、次のようなものである。 
 
 
我々が日本語や英語で既にお馴染みの特質もあれば、全く馴染みのない特質も含まれている。
 これらが世界的にどのように分布しているか、それをベースに言語の古い層に迫ろうとするのが、「言語類型地理論」である。

  
「言語の遺伝子型」の世界的分布

(以下の説明では、アフリカ、オーストラリア、アメリカ大陸については、殆ど触れないので予めご了承ください。)
1)流音のタイプ(日本語のラ行子音に当たる音素)
 我々が英語の勉強を始めて最初にぶつかる難問が、/r/と/l/の発音の区別である。たとえば、
right(右)とlight(光)の発音の違いを、我々は聞き分けたり、自ら発音したりすることができない。
 我々は、少なくとも奈良時代の記録に現れて以来、また日本列島の全ての方言を通じて【ra、ri、ru、re、ro】系の発音しか持たず、耳もその音素の違い/r/or/l/を聞き分けられないからである。
  
 
ところが上図に見るように、英語を含む複式流音型の言語(/r/と/l/を区別する言語、即ち聞き分けられる言語)は、アフリカ北部からユーラシアにかけて、世界言語の「中心的分布」を占めており、しかもそれは新興言語にとどまらず、孤立言語も例外ではない。
 一方、日本語のような単式流音型の言語(/r/と/l/を聞き分けられない言語)は、ユーラシアの太平洋沿岸部に東南アジアから東北アジアにかけて分布している。こちらも新興言語、孤立言語の別なく/r/か/l/かいずれか一方しか持たない。

 この流音の二つのタイプが、どちらも新興言語と孤立言語の別なく存在していることは、この特質が数万年も遡る古層の言語の時代から存在していたことを強く示唆する。

2)形容詞のタイプ
 「彼女は美しい」とか「彼女は美しい娘である」という場合の“美しい”は、文法上、形容詞に分類される。
 この形容詞が、名詞から派生した品詞か、動詞と同じような働きをする品詞かは、言語によって違いがある。
 たとえば、英語の“beautiful”には、動詞のような過去形や現在完了形などというものはない。明らかに名詞のbeautyから派生したものでる。
 一方、日本語の“うつくし”には、うつくし・かろ、うつくし・く、うつくし・い、うつくし・けれ、うつくし・かれ、といった動詞のような活用形がある。明らかに日本語の形容詞は、動詞に近い性質を持っている。
  
 英語の形容詞のようなもの
を体言型、日本語の形容詞のようなものを用言型というが、上図を見て直ちに分かるように、形容詞体言型と形容詞用言型の分布は、1)の流音タイプの分布に驚くほど類似している。

 すなわち、複式流音型と形容詞体言型のセットは、アフリカ北部からユーラシア内陸部のほぼ全域を覆い、単式流音型と形容詞用言型のセットは、ユーラシアの太平洋沿岸部に分布して、2つの大きな言語圏を構成していることが明らかである。
 松本は、これらを「ユーラシア内陸言語圏」と「太平洋沿岸言語圏」と呼んでいる。
 1),2)以外にも、同じような分布を示す言語の遺伝子型が、次の3)名詞の数のカテゴリーである。
 (以後の特質も同様の説明と地図が続くので、急ぐ方は
一覧表へ飛ぶことも可)

3)名詞の数のカテゴリー
 
  
  
 
英語の名詞は、単数、複数の標示が文法上義務化されている。たとえば、少年が一人の場合は“a boy”であり、二人以上の場合は必ず“boys”でなければならない。
 一方、日本語の名詞の場合、「人々」とか「少年達」というような複数の表現があるが、必ずしも文法上義務化されているわけではない。たとえば、
 「花の周りには、少女が群がっていた。」といった場合、“少女”が複数であることが明らかであるが、必ずしも「少女達が群がっていた。」とわざわざ複数で表現する必要はないし、もちろん義務もない。
 
 
日本語では、名詞の単数、複数の標示は、文法上義務化されてはいないのである。
        
 
名詞の複数の標示が文法上義務化されている言語は1),2)と同様に、複式流言型や形容詞体言型の地域に重なって、あるいはそれをも上回る広範囲に分布している。
 一方、義務化されていない言語は、単式流言型や形容詞用言型より限定的に、太平洋沿岸部に分布している。 

 1),2),3)の他に、ユーラシア内陸言語圏では必ずしも共有されていないが、太平洋沿岸言語圏では南から北まで共有されている特質(言語の遺伝子型)が、次の二つである。

 
4)名詞の類別タイプの分布
 名詞の複数の標示が義務化されていない言語の場合、それを補完するように“連動”して、対象物の数え方を変える文法がある。
 その典型的な例が日本語であるが、対象物が「人」の場合は「ひとり、ふたり」と数え、「動物」の場合は「一匹、二匹」と数える。また、「植物」なら「一本、二本」、「花」なら「一輪、二輪」、「本」なら「一冊、二冊」と数える。
 すなわち、日本語の場合、数え方で「対象物(名詞)」のカテゴリーを間接的に分類するようになっている。例えば、「人」のカテゴリーに分類される「家族や兄弟、男子や女子・娘、先生や弟子、医師や看護師など」は、すべて「ひとり、ふたり」と数えるように決められている。
 このような言語は、名詞の類別タイプ上は、「数詞類別型」と言われ、 「太平洋沿岸言語圏」全体に、南方から北方まで存在する。

 一方、名詞の複数の標示が義務化されている言語の場合、数え方を変えることはない。たとえば英語の場合、人でも動物でも、植物、花、本などすべて「one、two、three」と数え方は一種類である。
 ところがこれら、複数表示が義務化されている言語にも、”連動”して名詞を予めカテゴリーに分けておくという文法が備えられている。(筆者には何故そのような文法が必要なのか、実に不思議に感じられるが・・。)
 それは、文法的「性(gender)」といわれるもので、印欧語族の場合、ラテン語やドイツ語には、「男性、女性、中性」というgenderがあり、フランス語・スペイン語では、中性が男性に吸収されてgenderは「男性、女性」のみである。
 例えばドイツ語では、「彼は教師だ。彼女は女教師だ。」を「Er ist Lehrer. Sie ist Lehrerin.」と表現して男性、女性の別を標示する。
 英語は、既にこの文法上の性の区別を失ってしまっており、かってはその区別を持っていたという痕跡として、「ship(女性名詞)」の三人称単数代名詞に、例外的に「she」が使われることが知られている。
 このような言語は、「名詞類別型」に分類されるが、ユーラシア内陸言語圏の新興言語でも孤立言語でも、この分類形態を持つのは半々で、太平洋沿岸言語圏の「数詞類別型」ような統一性はない。
 
   

 
5)造語法の手段としての重複
 世界の言語には、幼児語(papa,mamaやとと〈父〉、かか〈母〉)や擬声語(ゴロゴロ、バラバラ)など音素や言葉を重ねて表現することが少なくない。
 しかし日本語には、それとは別に重複(畳語)という方法で言葉を造り出す、「造語法」が存在する。
 例えば日本語の名詞には、「国々」のように複数性を現したり、「ところどころ」といった多様性を表す言葉がある。形容詞には「痛々しい」というように表現を強調したり、動詞には「惚れ惚れする」など同様の表現の語彙がある。
 この造語法も「太平洋沿岸言語圏」には南方から北方まで普遍的に存在し、「ユーラシア内陸言語圏」には僅かしか存在しない。
   
   

 以上の特質と分布を一覧表にまとめると、次の表になる。 
   
    
 若干の例外が混じっているが、言語の歴史の、大胆に推論すれば(筆者)、初期の段階から、
 ・「複式流言型・形容詞体言型・数カテゴリーの義務化」という発音と文法を持った言語と
 ・「単式流言型・形容詞用言型・数のカテゴリーの非義務化・数詞類別型・重複という造語法」という
  発音・文法と造語法を持った言語
 この全く対照的な2つの“プリミティブな言語群”が、ユーラシア大陸の内陸部と太平洋沿岸部に分かれて、分布していたことが明らかである。

 勿論、初期の言語といえども、これらの3つや5つの断片的な要素(すなわち遺伝子型)で成り立っていたわけではあるまい。もっといろいろな要素が組み合わされて言語として機能していたであろう。
 しかしそれぞれの地域で、独自の発展や異言語との接触、時代背景の変遷にもかかわらず、その 3つないし5つの特質群(言語の遺伝子型)は、その発生理由は明らかではないが、強固に組み合わされておそらく数万年も存続し、こうして今でも分析できるような状態で、現在にまで及んでいると考えられるのである


  汎世界的な言語の精密化
 
 極北の地まで、世界の隅々まで拡散した現世人類は、各集団の分化が進み、それは
初期言語の細分化を促進し、語彙はそれぞれの集団で増加していったに違いない。
 また文法もお互いの意思を正確に伝えられるよう、改善され発達していったであろう。
 重要なことは、「語彙」が集団によって様々に異なっていても、「文法」はむしろ普遍化の方向に向かったことが推測できることである。

 その推測の裏付けとなる痕跡が、ユーラシア内陸言語圏の残存群と太平洋沿岸言語圏の北方群、すなわち、それぞれの“孤立言語”の中に「言語の遺伝子型」として、普遍的且つ明瞭に残されている。
 それは我々には全く馴染みのない文法で、文の構造すなわち主語の人称や目的語の人称を明確にする、精密ではあるが煩雑な文法形態−動詞の「多項型人称標示」と「名詞の能格型」-である。
 
6)動詞の人称標示
 動詞の「多項型人称標示」というのは、「動詞一語の中に、主語人称と目的語人称を標示して文構成を明確にする人称標示の規則」と言える。
 ユーラシア内陸の孤立言語の例があれば良いのだが、残念ながら松本は例示していない。松本が例示したアイヌ語の例を示すと、次のようなイタリック体の部分を指す。
     
 動詞の活用に人称標示の要素などのない日本語からみると、その動詞の活用の煩雑さには辟易するものがあるが、一方でこの文法は、主語の人称や目的語の人称を正確無比に表す効果を持っていると考えられる。

 分布状態は次図のように、ユーラシア内陸型孤立言語と環日本海諸語のうちのアイヌ語とギリヤーク語(肌色の部分)に、極めて限定的に認められる。
(そのほかアフリカ中・南部、オーストラリア・パプアニューギニアおよび北東アジアからの人口移動があった南北アメリカで認められるが、いずれも古層の言語を残していると見られる地域である。)
   

7)名詞の格標示
 
 名詞の能格型とは
、「被動者に対して何かが行われた場合にのみ行為者(名詞)に標識が付けられる」という精密な文法を持つ言語形態である。例えば、バスク語やエスキモー語では、次の表中の-k-mが能格を表す。
    
 能格型の
特質の分布は更に限定的で、ユーラシア内陸型孤立言語とオーストラリア、極北地方のみで見受けられ、環日本海諸語はもとより、太平洋沿岸言語圏には全く見られない。
   

 
これら6)、7)は、現代の日本語や英語には見られない厳密かつ煩雑な文法である。
 その分布は、次表の赤枠部分に限定されている。(注:環日本海諸語は本来、日本語、朝鮮語も含めて、アイヌ・ギリヤークと同様「多項型」「中立型A」であったと考えられる。-松本)
  
(なお上表の中立型A・中立型Bというのは、中立型Aは、アイヌ語のように他動詞の主語と目的語がいずれも3人称(単数)の場合、両者を形態的に区別できず、「母が娘を見た」とも「娘が母を見た」とも解釈できるタイプであり、中立型Bとは、英語のように、語順という簡便な方法を主語と目的語の区別に役立てているタイプである。例を示すと、次のとおりである。)    

   
 
 
 おそらく新興言語が出現する前の時代には、ユーラシア内陸言語圏では、「多項型」・「能格型」という組合せの文法が、太平洋沿岸言語圏では、「多項型」・「中立型A」という組合せの文法が、それぞれの地域を覆い尽くしていたに違いない。

 何故なら、たとえば、ユーラシア内陸言語圏に、点在的に“何の脈絡もなく”残っている「孤立言語」の文法に、殆んど例外なくこの組み合わせが見出されるということは、かってその広域言語圏にあった文法すべてが、「多項型」・「能格型」の組合せに統一されていたと考えるのが自然であろう。
 すなわち、動詞の人称標示タイプの分布図で言えば、縦線に塗られている地域の古層には“いずれの場所を剥いでみても”、肌色の言語群が埋もれていたと考えられるのである。

 農耕文明以前の、いわば狩猟・採集の時代、未開の時代に既に言語は高度な領域に達していたということは、いろいろな見聞録からも明らかである。
 J・エイチスンの「ことば 始まりと進化の謎を解く (p252)」には、19世紀の旅行者の話が紹介されている。中米のミスキート・インディアンの言語に接した一人は、・・・洗練さを欠き、文明の恩恵に浴していない種族の中に、ヨーロッパでも最も洗練された諸国民が使っている文法と同様に、精密且つよく知られた文法を見出すとは実に不思議である。・・・と、驚きを持って述べている。
 また、前項「第5部 03.日本語の起源−語彙統計学から−」で紹介した安本美典は、著書「日本語はどのようにつくられたか(p30)」の中で、
・・・どのような未開人の言葉も基本的には文明人の言葉に劣らない複雑さをすでにもっている。・・・
文明人の言葉とそれほど違わない程度に、進化してしまった言葉であり、これから進化しようとしている言葉ではない。・・・と未開人の言語の完成度をこのように述べている。

   農耕文明に伴う新興言語の登場

 世界の四大文明といえば、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明を指すが、最近では、長江流域で1万年前の稲作農耕遺跡が発見され、最も古い文明ではないかと見られている。
 これら農耕文明の勃興は筆者の考えでは、定住や都市化、広汎な協業など人間の生活に革命的変化をもたらしたが、その一つが集団の変化であった。すなわち、従来は血族や種族がそれぞれの集団を構成していたが、農耕文明はその枠を越えて、“地域を集団の基盤”とするようになった。農耕が多くの人手を要する生産手段であったからである。

 そうすると言語もその性格を変えねばならなかった。
 すなわち、血族や種族集団内は、血族や姻族、直系や傍系などすなわち、風貌の似た人、名前の似た人など紛らわしい人々の集まりであった。その内輪での意思伝達手段であった言語は、“誰が”“誰に”といった個人を間違わないようにすることが重要であった。その為の、人称・格などを正確に伝える精密な文法を持つに至っていたと考えられる。
 
 ところが、農耕文明にあっては、その枠を超えて地域内の多数の集団や個人にその役割や意義を説明したり、他の広域の地域との交渉などには、“むしろ単純化された、誰でも直ぐに理解できるような言語”が求められたに違いない。 そのためには、(中国語を代表例として)
1)文法を全般的に単純化し、
2)とりわけ、名詞や動詞に接辞詞を付加して、人称や格を表す形態法を縮小・排除し、
3)それに加えて、先に行動を決めるSVO(主語+述語+目的語)型の語順
などが採用されたのである。
 筆者は、農耕文明の開花と言語の変化の関係を以上のように理解している。

 それが、ユーラシア内陸言語圏における、孤立言語の「多項型・能格型」という精密な文法から、新興言語の「単項型・対格型」という単純明快な文法への変更であった。
 また、太平洋沿岸言語圏の古い言語の文法は、「多項型・中立型A」であったと推測されるが、先住民(苗族)との激しい言語的摩擦を経て成立した中国語と、中国語のその後の強い影響力の結果として、新興言語(オーストロネシア語)はもちろん、古い層の言語(ミャオ・ヤオ語族・オーストロアジア語族・タイ・カダイ語族)まで、「無標示型・中立型B」という単純な文法に変異してしまった。
 加えて中国語はそれを使う漢民族の戦闘力によって、ミャオ・ヤオ語族を典型的な離散民(Dias-
pora)となし、
オーストロアジア語族・タイ・カダイ語族は本来の分布地域からの移住を余儀なくされた。
(拡大図はココ) 
   (以上の図は、南方群の諸語族の現在の分布図である。Wikipediaより引用。)

 やや中国語の影響の薄かった環日本海諸語でも、中国語に隣接した朝鮮語と日本語は、「多項型・中立型A]から「無標示型・対格型」に変化した。
(注:中立型Bではなく対格型に変化したのは、朝鮮語、日本語とも助詞が発達しており、結果的に対格型へ分類されているにすぎないと考えられる。)

 まさに新興言語は、多くの人々を複雑な作業工程を持つ農耕に従事させようという、その意図通り、短期間のうちに勢力範囲を拡大し、現在見るような簡略化された言語の分布地図を形成したと考えられるのである。(次図再掲)
   

  
【第2部】

 日本語の起源について
 
 
 以上、松本の「世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-」をテキストとして、“言語類型地理論”の理解に努めてきたが、その理解を通じて「日本語の起源」をどのように構築したら良いだろうか。

 まず松本は、後期旧石器時代の太平洋沿岸言語圏について大略次のように述べている。
 1)現在の東南アジア島嶼部は、海水位の大幅な低下によってスンダ亜大陸を形成していた。そのスンダラ
 ンドで使われていた言語は、オーストラリア原住民語やニューギニアのパプア系言語に近いタイプであっ
 た可能性が高い。(∵クメール語などの数詞体系が、元々オーストロアジア語などが持っていた10進法で
 はなく、先住民の言語の影響と見られる5進法となっていること。)

 2)黄河文明の代表的文化・仰韶文化の始まりが6,800年前と言われるが、当時黄河中流域にいて文明を
 起こした民族は、非漢系のミャオ・ヤオ族(苗族)であった。
 長江中流域にも分布していた苗族は、彭頭山文化や大渓文化、屈家嶺文化を残した。

 3)長江上流域では、オーストロアジア系言語を話す民族が、龍馬古城文化や三星堆文化などを残し、長
 江下流域では、オーストロ・タイ語(含むタイ・カダイ語)を使う越系民族が、河姆渡文化や良渚文化を残し
 た。

 4)チベット高原から一部の集団が黄河に沿って北東進して、今から3,000年余り前に黄河中流域に定着
 したのが後の漢民族(および中国語(漢語))の始まりと見られている。中国語の成立には、その地域の
 先住民であったミャオ・ヤオ(苗)族との間で激しい言語接触起こし、一種のピジン・クレオール化がおこっ
 たと考えられる。


 この松本の考えを地図上に落とすと、環日本海諸語の位置も自ずと決まってくる。下図は筆者が想定した後期旧石器時代の言語分布図である。
(先に掲げた、ミャオ・ヤオ語族・オーストロアジア語族・タイカダイ語族の分布と比較していただきたい)
       

(日本列島の最初の言語) 
 丁度太平洋沿岸言語圏が上図のような言語分布であった頃、日本列島には考古学の知見から、最初の文化が認められるようになった。30,000〜35,000年前の華北型石刃石器文化である。
 まさに最初の日本人が、日本列島に足を踏み入れたと言っていいだろう。
  

 この時代、旧石器時代を通して、石器は最重要の生産手段であった。優良な石器を手に入れることが、生存競争に打ち勝つ条件であった。
 石器というのは、原人・旧人の時代から現生人類の時代に至るまで、原石から不要な部分を打ち欠いて作るか、原石を一つ二つ打ち欠き、その剥片に若干の加工を施すというのが長い間の常識であった。
 
 ところが丁度最初の日本人が登場した頃、石器に俄に変革が訪れた。突然、“石刃技法”なるものが出現したのである(32,000年前)。
 この技法は、原石に適当な加工をまず施し、石刃という縦長の剥片を連続的に原石から打ち剥がしてゆく、画期的な、生産性の高い石器の製作技術であった。
    
 
 筆者は、この石刃石器の出現と言語の発展とは、相互に影響し合った結果だと考えている。
 何故なら、ただ力でもって打ち割っていた方法から、石材を選定し、予備的加工を施し、薄皮を剥ぐように剥片を打ち剥がしていくという、高度な技術を“説明”し、“学ば”せて、“実践”させ、子孫に"伝えて”いくには、どうしても高度な言語の助けが必要であったはずだからである。
 したがってこの時代、日本列島の言語は、おそらく「環日本海祖語」の初期言語のレベルを脱して、 物に関する語彙の増加段階から、概念を説明できる語彙の造語段階に達し、文法も精密化の方向に歩き出していたものと考えられる。

(ナイフ形石器全盛時代の日本語)
 30,000年前〜20,000年前の10,000年間、日本列島人は石刃石器の作りこみ技術の高度化に邁進する。既にこの頃から、現代日本の物づくり文化の萌芽が始まっていたようにさえ感じられる。
 そして、20,000年前〜13,000年前頃には、本土日本は宝石のように見事に洗練された「ナイフ形石器」全盛の時代を迎えた。
     
 石器の洗練化は相互に関連しあって言語の洗練化をもたらしたであろう。
 それは徹底した原石へのこだわり、遠方の産出地の選定など、広域の情報獲得、広域の商取引を必要としたからである。 
 おそらく石器文化がここまで成熟したとき、本土日本の言語も、「環日本海祖語」の一変形(方言)から抜け出し、「プロト(原)日本語」という独立した言語の段階に達し、文法の精密化なども高度な段階に達していたのではなかろうか。

 しかも成熟したナイフ形石器は、本州・四国・九州に4つの亜型を生じ、北海道では欠如していた。
 小山修三によれば、これら5つのブロックで活動した遊動民(定住民に対する言葉)は、アボリジニの例からすると500〜600人規模の部族であったろうという。これらの部族はそれぞれに、おそらくプロト日本語諸語とも言うべき方言を使っていたであろう。
           

 (細石刃文化の流入による言語接触)
 ナイフ形石器が成熟期にあった20,000年前〜15,000前頃、それまで確たる文化が感じられなかった北海道地区に、バイカル湖系の荒屋型彫器(下図・中)という“ノミ”を伴ったクサビ形細石刃文化が流入した。

 
 この細石刃文化は、暫くの間北海道に留まり、津軽海峡を越えなかった。
 ところが、13,000年前頃、この北海道に留まっていたバイカル湖系のクサビ型細石刃文化が、怒涛のように東日本地区に押し寄せ、それまでの杉久保型や茂呂型と言われた東日本系ナイフ形石器文化を駆逐した。
 同じ頃、西日本地区には、華北系の半円錐形細石刃文化が流入し、こちらは既存のナイフ形石器文化と共存した。
  更に少し遅れて、九州には、荒屋型彫器を伴わない、クサビ型細石刃文化(福井型細石刃文化とも言われる)が流入した。この文化は、同じく華北系とも言われ、また華南系とも言われ、その原発地は明らかではない。

 これら3つの石器文化をもたらした集団の言語は、現地で激しい言語接触や緩やかな言語融合を起こしたに違いない。しかし、それぞれの地域で、その地域の「プロト日本語」とどんな「外来の言語」が衝突したのかは、明らかではない。
 これはあくまで筆者の“ひとりよがり”の想定であるが、
・東日本地区は、細石刃文化流入の激しさから判断すると、既存の東日本系「プロト日本語」は駆逐
 され、「プロトアイヌ語などの北方系環日本海諸語」に置き換わってしまったのではなかろうか。
・西日本地区では、西日本系「プロト日本語」が基本的に継続し、華北系言語の影響は新しい語彙
 の受け入れなど、緩やかな言語融合があった程度と思われる。
・九州地区では、九州系「プロト日本語」と非漢系のミャオ・ヤオ語や越系のオーストロ・タイ語ないし
 はプロト朝鮮語のいずれとも判じかねるが、激しい言語接触が起こった可能性がある。
 その結果「ピジン・プロト日本語」などを想定する必要があるかもしれないし、そのような文化摩擦の活力が、列島最初の土器「隆線文土器」を生み出したのかも知れない。

 (縄文時代・弥生時代を通じた現代日本語の成立)
 細石刃文化の時代は、意外に短く(1,000〜2,000年)、土器の発生をもって縄文時代に移行してゆく。言語も基本的には、細石刃時代のまま縄文時代を通じて受け継がれたと考えられる。
 その後、弥生時代の初め、北部九州の縄文語をベースにした弥生語が、水田稲作農耕の東方への伝播とともに東北地方まで広がった。

 さらには古墳時代を通じて、上代日本語が形成され現代日本語の基礎になったことは、既に次の各節で論じているのでご参照願いたい。
 ・第2部 05.日本人形成の基層に在った集団−北部九州の人々−
 ・第5部 03.日本語の起源を探る-語彙統計学から-
 ・第5部 04.日本語は「混合言語」だ!

 ただ、松本克己の主張によれば、ツングース語が沿海州から日本海西岸に到達したのは、歴史時代に入ってからという。
 また多くの学者が唱える、高句麗語=ツングース系言語説も誤りで、むしろ高句麗語は環日本海諸語の一つと見做したほうが良いとしている。
 このようにツングース語との関連について松本の考えは、上記3つの記述とは考えを異にしていることを付け加えておきたい。今後の課題である。

 以上、筆者は、松本克己の所論に学び、古層の言語がユーラシア内陸圏と太平洋沿岸圏に分かれて分布し、精密な文法を持つに至っていたという知見を得てきた。
 そして日本語の起源は30,000年以前に遡り、“言語の成熟と石器文化の発展・完成は相互補完関係にあった”という仮説を置くと、ほぼ12,000年前、すなわち細石刃文化の終わりか、縄文時代の初めには「プロト(原)日本語」が完成の域に達していたのではないかと論じてきた。
 これが、“独りよがり”の日本語論かどうかは、読者の判断に待つこととしたい。
 
 この節を終わるに当たり、プロト日本語完成時期の「細石刃文化の分布」と「現代日本の方言の分布」とが、不思議にも一致していることを指摘しておきたい。(完)