日本人の源流を探して         (敬称は全て省略しています) 


        第1部  最初の日本人の系譜


02.二重構造モデルに対する各方面からの支持と反論

埴原和郎は言う。この二重構造モデルで説明できるのは、人間ばかりでなく、人間の共生動物ともいえる日本犬や野生のハツカネズミの遺伝子分布にもあてはまる。
 家畜遺伝学の田名部雄一による日本犬のDNAの分析や、森脇和朗による日本産の野生ハツカネズミのDNAの分析から、それらは日本人集団とほとんど同じパターンを示すといってよさそうだ、という。
 この両氏の研究から想像できることは、埴原によれば
・・・縄文人の祖先にあたる集団が東南アジア系のイヌ
を、そして渡来人たちが北東アジア系のイヌをつれて日本列島にやってきたのだろう。同時に、“招かれざる客”のような格好でハツカネズミも東南アジアや北東アジアから移動し、人間集団と似たような地域に分布するようになったのである。
・・・と記述している。

 また、ウィルス学の日沼頼夫らの研究によるATL(Adult T-cell leukemia・・成人T細胞白血病)ウィルスの保有者の分布パターンも、このモデルで説明できそうだし、日本文化に関わる様々な疑問も、たとえば東日本と西日本の文化の違いなども、“文化の二重構造”という文脈で考えれば、新しい視点が開けると指摘している。

 逆に考えれば、これら三氏の研究は自然人類学以外の分野からの、「二重構造モデル」の支持と言うことも出来よう。これから、それらの研究を概観しよう。

  
日本犬のルーツ

 イヌはオオカミが家畜化したものである。おそらく、まずオオカミが餌を求めてヒトに近づいたのが、その付き合いの始まりであったようだ。一方、ヒトのほうも、猛獣の夜襲などに対する警戒用として、オオカミに共生の価値を見出したのであろう。
 すなわち、イヌとヒトは相利共生の関係にあり、イヌは常にヒトと共に移動するので、イヌの移動の歴史は、人の移動の歴史の反映だと考えてよい。
 日本で最も古いイヌの骨は、神奈川県横須賀市の夏島貝塚から出土した、9200年前のものである。当時、日本にもオオカミが生息していたが、体型が大型であったのに対し、日本の
   
イヌは小型(現在の柴犬と同じくらい)で、中型のものも発掘

されていない。

 したがって、日本のイヌは日本オオカミが家畜化したもので

はなく、日本に渡来したヒトが連れてきたものに違いない。

だから、日本のイヌの歴史は更に古く、縄文時代の初め、乃至
はもっと以前まで遡る可能性は十分にある。

  狩猟・採集を生業の基盤としていた縄文人にとって、イヌは

必要不可欠の存在であったから、可愛がることは勿論、非常

に大切にしていたらしい。

 縄文時代の遺跡からは高い頻度で、丁寧に埋葬されたイヌ

の骨が発掘される。この最も古いものは、愛媛県上黒岩岩陰

遺跡の、8500年前のものである。
   

  イヌの血液の遺伝子を調べる

 田名部雄一は、日本犬種や日本周辺の犬種、さらに西洋犬について、
87種類、3733頭から血液を採集し、27種類のタンパク質の遺伝子を調べた。そのうち、16種類で多型(たとえば血液型のA,B,Oのように複数の型のあるもの)が認められた。
 この複数の型を持つ遺伝子は、犬種によって一つの型が在ったりなかったり、あるいは同じ犬種の中での頻度がそれぞれ違ったりする。しかもこれは突然変異によって生じたものであるから、その犬種の起源や系統を探る手懸りとなる。すなわち、日本犬種や近隣の犬種に特徴的な遺伝子を調べれば、日本犬種の由来が分かるというわけである。
 いま我々が知りたいことは、イヌの遺伝子の分布においても、
1)北海道や沖縄の古来からのイヌに南方の系統が認められるか。すなわち、南の原アジア人
 が連れてきたイヌであるかどうか。
2)北部九州から本州のイヌに北東アジアからの弥生以降の影響が認められるか。
要はヒトと同様、イヌにも「二重構造モデル」が成立するかということである。

 田名部が提示するイヌ遺伝子の分布図のなかで最も引用されるのは、犬血球ヘモグロビンのHb遺伝子の分布図である。次図は原図に基づき筆者が解りやすく作り直したものである。

この図を見ると一目瞭然であるが、世界のイヌは総じてHbB遺伝子を持っている。その中で朝鮮のイヌとエスキモー犬、日本犬種にのみ、HbA遺伝子が認められる。(最近、サハリン北部の在来犬にも75%の頻度で存在することがわかった。)

 日本犬種のなかで極めて古

い体質を保っている、琉球犬

にはHbA遺伝子は認められず

北海道犬、秋田犬、柴犬に若

干認められるだけである。

 この分布図から読み取れる

ことは、縄文犬が列島にあま

ねく根づいていたところへ、

弥生時代、渡来人がイヌを伴

って来たが、縄文犬の勢力
   
(繁殖力など)に呑み込まれ、若干の痕跡しか残せなかった、ということであろう。
問題は縄文犬が何処から来たかということだが、日本周辺にしかこの遺伝子は存在しないのであるから、南から来たのか北から来たのかは、少なくともこのHb遺伝子からは読み取れない。

 縄文犬の南方起源が証明された!


 イヌの遺伝子の多型が認められた16種類の遺伝子から、統計的手法を使って,49犬種を2次元の散布図としたのが次の図である。(これも、田名部の原図から、筆者が解り易いように改変した。)
 

この図は、田名部の右の図から、主要な、古来からのイヌだけを抜き出し、プロットしたものである。煩わしい多数の犬種は日本犬種群や西洋犬種群として、分布範囲を示すにとどめた。
 こうすることによって、このグラフから次の点が読み取れるようになった。
1)珍島犬や済州島犬、エスキモー犬は、犬の遺伝的系統としては、極めて例外的な犬であ
 り、むしろこのような分析から外したほうがよい。
2)世界のイヌの大半は、上のグラフの右上から下中央部に至る遺伝的分布の中にある。
3)その分布の上方には青色系でプロットした北方系のイヌが位置し、下方には赤色系でプロ
 ットした南方系のイヌが位置する。
4)北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。
5)両犬とも、居住地域の地理的位置に比べ、遺伝的位置は下部(南方)過ぎる。特に北海道
 犬は例外的である。おそらく両犬の祖先は、非常に古い時代に、南方から日本列島へヒト
 と共にやって来たのではないかと思われる。

 Hb遺伝子の頻度分布からは日本犬種の二重構造”が、49種類の犬の16遺伝子の総合的散布図からは、北海道犬と琉球犬の南方起源”が一応、見て取れた。

 しかし、データ的に、朝鮮半島のサブサリ

(右の写真)や豊山(プンサン)犬を欠いてい

るし、かってのスンダランドすなわち、現在

の東南アジアないし島嶼部の犬種が、抜け落

ちている。

 こうした不備を補い、且つもう少し明瞭な

遺伝子分布を把握して初めて、犬にも二重構

造モデルが適用できると言えるのであろう。
   

 

  日本の野生ハツカネズミ

 遺伝学の森脇和郎が日本産の野生ハツカネズミのミトコンドリアDNA配列を調べた結果では、本州の大部分に分布するネズミは北東アジア系だが、北海道・本州北部・南西諸島のネズミは東南アジア系ということが分かった。
 これは、下図のムスクルス亜種とキャスタネウス亜種のことを指しているが、日本での分布は本来の大陸における分布とは、逆になっている。
 しかも東南アジア系のネズミは特に島嶼部に分布する系統に近いといわれるので、氷河時代にはスンダランドに住んでいたマウス集団という可能性が高い。ネズミは言うまでもなく人に寄生して行動している動物であるから、まさに二重構造モデルを立証しているといえる。   と埴原は引用している。

しかし森脇和郎自身は、南方型と北方型の、両方の「DNAの変異」が非常に少ないことから、その渡来年代はせいぜい先に来たハツカネズミが弥生時代、後から来たハツカネズミを古墳時代以降に来たとして、埴原が二重構造モデルの一つの根拠とすることを事実上拒否している。(「日本産野生マウスの起原」「創造の世界」47号参照)
 すなわち、DNAの変異が少ないということは、ハツカネズミが日本列島に移住してきてからの時間経過が短いか、移住してきたときの規模が非常に小さかったか、が原因である。
 埴原が説く二重構造モデルは、縄文時代の初め乃至はその前に南方アジアの島嶼部の集団が日本列島に移住してきて、二重構造の基層人となり、弥生時代から古墳時代の終わりまでに北東アジアからやって来た渡来人が上にかぶさり基層人と混血して、現在の本土日本人が形成されたというものである。
 したがってまず、縄文時代以前と弥生時代以降という時期の違いが大きすぎる。
 さらに、マウスがヒトに寄生して行動する動物といっても、それは「穀物を持った人」に限られる。穀物を持たない人は、対象外なのである。
 事実、北アジアからアメリカ大陸に移動したマンモスハンターに、マウスが付いて行ったという形跡はない。

 こういうように埴原の期待と森脇の考えとは咬み合っていない。
 なお、この「日本の野生ハツカネズミ」について、
研究ノート004. に詳細を纏めたので参照いただきたい。


  ATLウィルス・キャリア

 ウィルス学の日沼頼夫らの研究によると、ATLウィルスの保有者はアイヌ系や南部九州、奄美、沖縄地方の人々に比較的多く、その他の地方は少ない。
 日沼は日本人をATL保有者群と非保有者群とに分け、前者が縄文系、後者が渡来系の集団に相当するのではないかと考えている。
 と埴原は紹介している。これも二重構造モデルを裏付けるというわけである。

 ATLウィルスというのは、1980年日沼頼夫によって発見された成人T細胞白血病の病原となるウィルスである。
     その感染者であるが、発病に到っていない人たちをキャリアと呼ぶ。そのキャリアの日本付近の分布が左の図である。
 
これを見ると、まず大陸にはキャリアはいない。日本でも北海道のアイヌと琉球人や九州地方、日本列島の島嶼や沿岸部で分布が濃厚である。
 

 また世界的に見ると次の図のように、太平洋地域ではネグリト系のアエタ族やパプア・ニューギニアに分布し、オーストラリアのアボリジニーの中にもキャリアがいる。ほかには南米アンデスのインディオや北欧のラップ人にもキャリアの存在が確認されている。
 要は、極めて古い形を保持している集団にキャリアが残存しているのである。


 ATLウィルスキャリアのこのような分布から日沼によれば、旧石器時代以来、北方ユーラシアの古モンゴロイドの間に広く感染し、縄文時代以前の日本列島にもこれらキャリアの人々が住みついていた。その後稲作文化の伝来とともにATLウィルスが既に消滅した地域の中国や朝鮮半島から新モンゴロイドの人たちが大勢移住してきた。
 そのため日本列島中心部ではキャリアの割合が薄められ、ついには殆んどいなくなった。その結果、列島の南と北の端と列島の僻地にキャリア集団が残ることになった、というのである。

 日沼の見解は二重構造モデルにダブっているように聞こえるが、縄文時代以前の日本列島住人が北方ユーラシアの古モンゴロイドであるとはっきり表明している。
 その面では、埴原が主張する“日本人のルーツは南方の原アジア人”とは明らかに喰い違いをみせている。

 以上、01. 02.が 埴原和郎が「日本人の骨とルーツ」(角川書店)で説明した「二重構造モデル」の概要と援用した他分野の学説(反論も併記した)である。