印通寺と本土間の海の交通

★郷ノ浦・印通寺・呼子・唐津航路

 現在の印通寺⇔呼子航路のフェリーが就航する昭和46年6月までは、梓丸(121.10屯)が、郷ノ浦起点で印通寺から呼子を経由して、唐津まで毎日1往復していた。船が小さいため、少し風が出ると、ひどく揺れた。船に弱い人は、印通寺から呼子間の玄界灘で最初の船酔い、呼子から唐津間の七ツ釜沖を通過するときに、もう一度船酔いするなど塗炭の苦しみを味わった。そこで呼子で下船し、バスで唐津方面に向かった。また壱岐に帰るときも唐津では乗船しないで、バスで呼子まで行き、そこから乗船するなどして、船に乗る時間を少しでも減らすようにしていた。また欠航することも多かった。
 
 
 船 名  屯 数  就 航 期 間
佐代丸  35.77 昭和12年〜昭和22年
幸丸  37.00 昭和26年〜昭和26年
第7福盛丸  69.41 昭和26年〜昭和27年
安丸 113.38 昭和28年〜昭和35年
梓丸 121.10 昭和34年11月〜
     昭和45年6月

 佐代丸の思い出

 昭和10年代、多くの出征兵士が、印通寺から佐代丸に乗船して出発した。石田尋常高等小学校では、出征兵士が出発されるたびに、見送りに行った。4年生以上は、港の船着き場まで、3年生以下は、現中学校の裏の丘の上から見送った。児童達は、西洋紙にクレオンで描いた、手製の日の丸の小旗を打ち振って、幾回となく万歳を叫んだ。出征兵士は、先端に日の丸を付けた竹竿を、大きく打ち振って応えた。それは佐代丸が、妻ケ島の東側を出航して、船が小さくなるまで続いた。こうして出征した兵士の内、再び故郷の石田の土を踏んだ人は何人居ただろうか。

★印通寺⇔呼子航路

 壱岐・対馬が国定公園に指定されて以来、観光客も以前にもまして増加傾向となり、交通網の整備が叫ばれるようになった昭和45年7月、印通寺と呼子の間にフェリーが就航することになり、船も大型化され、台風か、よほどの嵐でない限り欠航することもないようになり、新しい歴史を拓くことになった。 明けて昭和46年6月フェリー呼子が就航するようになり、島外から貸し切りバスで乗り込んでくる観光客や、修学旅行の団体が増え、壱岐はいよいよ観光の島となる。また、朝・昼・夕と船便に接続し長崎駅前⇔呼子間の高速バス(長崎県営バス・昭和バス)が運航されるようになり、長崎方面への便利も大変よくなった。
 
  フェリー名  屯 数   就 航 期 間
フェリー壱岐 391.28 昭和45年7月〜昭和58年6月
フェリー呼子 532.48 昭和46年6月〜昭和62年7月
フェリーげんかい 675 昭和58年6月〜現在就航中
フェリーあずさ 685 昭和62年7月〜現在就航中