●平成19年10月7日
山畑区 「神事踊り」 開催
地元、山畑地区のお祭りである、神事踊りが開催されました。
このお祭りは、「踊り子」という、山畑地区の各家の長男から選別された者が主になって催す祭りで、三重県の無形文化財にも指定されており、毎年この時期に開催されます。
神事踊りは、楽長1名、楽太鼓打ち4名、中踊6人、立歌2名、地歌3名、赤鬼1名、青鬼1名、笛吹2名、の計20名の踊り子達によって構成されています。
世代交代する際には、引退する者が担っていた神事踊りの役柄(踊り手や歌い手)を、新入りの踊り子に伝承する事になるのですが、実はこの「神事踊り」、門外不出なため踊り方や歌の楽譜といった記録を、一切残さないよう厳しく定められています。
そのため、その全てを前世代の踊り子から、新世代の踊り子へと、身振り手振り、口伝えで、引き継いでいくことになります。
ところで、余談ですが、昔から「山畑地区で育った長男は、3人の「親」を持つ」といわれています。
1人目の「親」は、実際に自分達を産み育ててくれた血の繋がった「親」。
2人目の「親」は、自分達が結婚する際に仲人を務めてくれた「親」。
そして、3人目の「親」が、踊り子の「親」です。神事踊りで、自分が担う事になる役柄(歌や踊り)を口伝えで伝承してくれた先輩の「踊り子」を「親」と呼び、実際の親子と変わらぬ付き合いを一生涯続けていく事になります。
こうして、祭りが近づく秋になると、踊りや歌を伝える「親の踊り子」と、それを受け継ぐ「子の踊り子」達が、毎晩神社に集まり、夜な夜な踊りの練習をします。
この山畑に住む人々の中には、この時期になると、お風呂上りに窓を空け、遠く聞こえてくる祭囃子の練習の音色を聞き、引退した踊り子達は、かつて自分達が練習していた日々を思い出しながら晩酌をする、そんなゆったりした時間を楽しみにしている人たちも多いのではないでしょうか。
さてさて、我が家の長男 真一郎も「踊り子」の一員であり、お祭りには、立歌役として参加しています。かくいう私(中林正悦)も、かつては踊り子の一人であり、現在は「保存会」の会員として、若き「踊り子」たちを裏方で補佐しております。
この神事踊りの一行、山畑地区の山裾にある「お旅所」というところから出発し、集落にある神社まで、踊りの衣装(いでたち)で歩いて下っていくのですが、ここで問題になるのが、踊り子達を一目見ようと集まった人々の「人だかり」です。
有難い事に、時には見学者やカメラマンが多すぎて、一行が前に進めず祭りの進行の妨げになってしまう事態が発生してしまいます。
そこで活躍するのが、山畑地区から選出されたベテラン世代の「馬上の殿」「馬子」「猿」の役柄の人たちです。
この「馬上の殿」・・・、お祭りが始まる前からすでに、かなりの「陽気な酔っ払い」ぶり。踊り子たちに集まる見学者や、カメラマンの「人だかり」を見るやいなや、その人だかりに猛突進し、箕でできたお尻をぶんぶん振り回したり、はては、笑い逃げる人たちを、畑の中まで追いかけ回したりと、みごとに人垣を払っていきます。
(それを必死で止めようとする馬子の様子がまた、皆の笑いをさそいます。)
猿は猿で、電柱や木に登り上げたり。踊り子にイタズラしようとする子供たちに、逆にイタズラをしかけたり。(この時点で、子供軍団の標的は踊り子達から「猿」に変わります)
そんなこんなで、あちこちから「キャー」とか「うわー馬がきたー!」といった人々の笑い声や、猿の尻尾を必死で引っ張る子供達の姿が、ごっちゃになりながら、いつのまにか、踊り子達が通る道がきちんと確保されていきます。
神社に着くと、いよいよ踊り子達の出番です。
馬や猿のお陰で、大騒ぎだった先ほどまでとは打って変って、神社には、踊り子達が踊り奏でる壮麗な響きが行き渡りはじめます。
今年は、非常に風が強く踊りにくい状況にあったにも関わらず、
歌う声や笛の音が遠くまで響き渡り、背にオチズイ(花飾り)を付けた踊り子達は見事にその神事を歌い踊り上げました。
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次の獲物を探す「お殿様」

踊り子達が来ました

風がつよく大変でした

本番前の目配せ中。
ベテラン集団の「保存会」もこの時はさすがに緊張。

いよいよ本番です。

「立歌」役として歌う真一郎

すき放題、暴れ放題で
ご満悦の殿と馬子、猿達

今年も無事完納しました。
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