『はだしのゲン』から学ぶこと

 0708ブログ

2007年テレビ版実写『はだしのゲン』

すばらしい作品である。



戦争を知らない人が4分の3を超えている日本。だからこそ、これを見て考えればいい。学べばいい。本当に、本当に、戦前、戦後、人々は、ひどかった。助け合うのでなく、愚かなスローガンを唱え、まともな意見を言うものを非国民となじる。

私の親しい友人は、まんが『はだしのゲン』(中沢啓治作)を何度も読み返している。
そういう人はまともになる。

だが、愚かな人々は、「反日で反体制なトンデモ漫画」としてこの『はだしのゲン』を攻撃する。
本屋に並んでいる右翼・国家主義者たちの本には、戦争時と同じように、「反日」という言葉が並んでいる。反中国、反韓国、反北朝鮮の声が大きくなっている。
非国民を非難するように、サヨク、平和主義者を罵倒している。


気になったところ。

 改めて、戦時中のおかしさをおもう。父が「戦争に反対」といったからと非国民扱い。しかしそれは、まさに集団いじめ、集団リンチである。非国民には協力しないと、食料も分けてもらえず、いじめられ、みなが排除する。なさけない。こんな国や人々を愛せるか、誇りに思えるかと思う。
異質を認めない人々。 権力に服従する人々。 長いものに巻かれ、愚かな情報に追従する。教師もまさに、戦争を賛美し、子どもたちを洗脳する人。
教師は戦後、全員が、責任を取ってやめるべきであった。メディア人も。
一番偉そうなのが特高や軍人であった。そういう人たちは、もっとも犯罪的であった。

仕方なかったのではない。それはいいわけだ。
絶対に仕方なかったのではない。よってたかって、まともな人をいじめるようなことは、どんな時代にも、愚かなことなのだ。それは選択した行為である。いじめに加担しない道、抵抗する道はどんな状況にもある。微妙に加担しないとか、陰ですこしでもささえるとか、いろいろある。
仕方なかったというようなことはない。

原爆が投下され、瓦礫の下で苦しむ人がいても、助け合いせず、自分や自分の家族のことだけ考える人がたくさんいた。なさけない。食料が少ない中、奪い合い、助けようとはしなかった。ピカドンの犠牲者(被爆者)を、みなが差別した。金がないと診ない医者。そんな人が多くいたのがニホンだという事実がある。

でもきっと多くの人が助け合った。自分が飢えていても、他者を思いやる人はいた。
つまりひとりひとりのスピリチュアルの程度の差。

希望はある。どんなひどい時代にも、まともに生きた人はいた。

今、阪神大震災をおもいだす。あのときもエゴに走った人と、助け合った人がいた。
日ごろからの生き方が反映する。

(なお、現代における、パート労働者差別に加担している正規労働者たち(無関心もその加担の一つ)は、まさに、戦争時における「非国民」攻撃と同じではないか。)


★★★


『君を忘れない』という1995年の特攻の映画がある。キムタクや唐沢がでている。「俺たちのしていることに意味がありますよね。あとで、馬鹿なことをしたといわれないですよね。」と松村が聞く。それに対し上官である唐沢が答える。
「方法はどうあれ、なにか守るべきもののために、俺たちが命をかけたという一点で恥じることはない。私利私欲ではなく、守るべきもののために戦ったことは尊い」というようなことをいっていた。

問題は、「守るべきもの」というような言い方でごまかすことだ。そこに、敵国の人々を殺すということへの反省はない。自分中心である。ナルシシズムである。「自分のしていることは意味あるよね。意味あるといってよ」と嘆く。だが、そのしていることは、敵を殺す戦争行為への加担である。

戦後、慰霊祭などという。死者を弔うという。だが、特攻にしろ、兵士にしろ、外国を侵略した加害者であったではないか。日本は、アジアに対して侵略した側であり、帝国主義的膨張を目ざして、他国の人々を苦しめたのである。そうした、侵略戦争に加担しているという意識が、ほとんどの場合ない。そこが大問題である。『君を忘れない』という映画も、特攻する側の人間性を描くだけで、結果として特攻を美化している。

特攻で死んだ人を犬死にしないためにこそ、特攻などで死んだ人は、間違ったことをしてしまったのだと総括されねばならない。ちゃんと考えずに、ただ、仲間だということで、美化しては、また愚かなことを繰り返すだろう。

死者は、そんなことを望んではいない。また戦争になれば、それこそ、原爆で死んだ人たち、特攻で死んだ人たち、戦争で死んだ人たち(日本人も外国人も、民間人も兵士も)は、犬死になる。二度と愚かな戦争をしないというメッセージを伝えるために、死者は命を差し出したのである。

★★★

8
24日、『私は貝になりたい 2007年版』が放送されるらしい。
そこにもたぶん、日本人のダメさが示されるだろう。上の命令でやったのだというような言い訳をするのは、間違っている