―ブラームス≪ドイツ・レクイエム≫の魅力―

Aki @ドイツ散歩道

1. はじめに

ブラームスの≪ドイツ・レクイエム 作品45≫(Ein deutsches Requiem Op.45)は、私にとって、最も印象深い楽曲の一つである。2000年1月に合唱団員として、この楽曲を演奏した。大変難しいメロディー、ハーモニーから生じる不思議な雰囲気、そして、ドイツ語のやわらかな響きに魅了された。それをきっかけに、ドイツらしさを探し求めドイツへ足を運んだり、ドイツ語を学んだりすることとなった。私に強い印象を与えた≪ドイツ・レクイエム≫の魅力に迫りたい。

2. 作曲された背景

この曲の成立の動機にはさまざまな説がある。1856年の夏、シューマンの死に接し、悲しみにくれたクラーラ(シューマン夫人)や友人たちの心を慰めることが成立動機のひとつになったといわれている。<中略> また、この作品がブラームスの母親の死と強く結びついているという説も、そのままには受けいれることはできない。時代的にみて、母親の死(1865年)でレクイエムの作曲がはじめられたわけではない。しかし、それがきっかけとなってレクイエムの完成をめざしたことは容易に考えられる。(門馬 1999:192-193)

3. ラテン語のレクイエムとの比較

≪ドイツ・レクイエム≫は、ドイツ語を歌詞とするレクイエムである。レクイエというのは、死んだ人のためのミサ、つまり、死んだ人の霊を鎮め慰める音楽で、一般にはラテン語の歌詞に付曲されている。(音楽の友社 1993:376)

ブラームスのレクイエムは、ルーテルの訳したドイツ語聖書や聖書外典に基づき、そこから自由に選んだ言葉をテキストとしており、単にドイツ語で歌われるということの他に、歌詞の内容からいっても、典礼音楽としての使用を全く想定していない点でも極めて異例のものであった。<中略> ≪ドイツ・レクイエム≫は7つの楽章から成っているが、この章の数はモーツァルトその他のレクイエムの場合と一致している。ブラームスのレクイエムが典礼を離れた音楽であるとはいえ、それまでのレクイエムの形式を全然意識していなかったとは考えられない。(西野茂雄 東芝EMICD解説:7-8)

しかし、ラテン語のレクイエムは、祈る側の言葉であるのに対して、ブラームスの≪ドイツ・レクイエム≫は、聖書の言葉からとっているため、その多くはキリストの言葉である。そのため、キリストが聴衆に語りかけ、慰めているような印象を受ける。これは、ラテン語のレクイエムと全く異なる。

4. 各楽章について

第1楽章 合唱

ヘ長調、4分の4拍子。静かに夜が明けていくように、この曲は始まる。「Selig sind die da Leid Tragen…(悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。:新約聖書マタイによる福音書5章4節)」と合唱がやさしく光がさすように歌い始める。前半は、夏の早朝の涼しく心地よい空気のような静けさとやさしさが感じられる。そして、寂しげである。

「Die mit Troenen saeen, werden mit Frueden ernten…(涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。:旧約聖書詩編126章5-6節) 」と続く。この部分は、広大な畑を耕す(刈り取る)人々の姿が浮かぶようである。88小節からの「und kommen mit Freuden」は刈り取る人の動きを描写しているようにも感じられる。この後半は、クレッシェンドしてfになり、寂しさは希望へと変化していき、喜びと安堵感をもってppで終わる。

第2楽章 合唱

変ロ短調、4分の3拍子。重苦しい雰囲気で、「Denn alles Fleisch, es ist wie Gras…(人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。:新約聖書ペトロの手紙一1章24節)」と語る。絶望的で暗い雰囲気から、クレッシェンドしていき、「だからどうすればいいのだ?」と問いを投げかけるように、「Denn allesFleisch…」と強い口調で再び歌う。

変ト長調に転調。先の問いかけに対して、「So seid nun geduldig,…(兄弟たち、主が来られるときまで 忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで 忍耐しながら、大地の尊い実りを 待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。:新約聖書ヤコブの手紙5章7-8節)」とやさしく答える。

変ロ短調に戻る。再び、「Denn alles Fleisch,…」と重苦しく繰り返すが、突然、変ロ長調に変わり、確信を持って、「Aber des des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit.(しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。:新約聖書ペトロの手紙一1章25節)」とfで叫ぶ。すぐに、4分の4拍子に変わる。「Die Erloeseten des Herrn werden wiederkommen… (主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。:旧約聖書イザヤ書35章10節)」と喜びを自信に満ちて歌う。

第3楽章 バリトン独唱と合唱

ニ短調、2分の2拍子。「Herr, lehre doch mich…(教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。:旧約聖書詩編39章5節)」をバリトンソロが歌い始める。迷いと不安を切々と歌い、救いを求める。続いて合唱が、「Siehe, meine Tage…(ご覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。:旧約聖書詩編39章6節)」と入り、恐れと無力感とをもって訴えかける。

イ長調、2分の3拍子に変わり、「Ach, wie gar nichts sind alle Menschen,…(ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。ああ、人は影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし だれの手に渡るとも知らずに 積み上げる。:旧約聖書詩編39章6-7節)」と、まずバリトンソロが不安な様子で歌い、合唱が続く。

「Nun, Herr, wess soll ich mich troesten?…(では主よ、何に望みをかけたらよいのでしょう。:旧約聖書詩編39章8節)」との問いをバリトンソロに続き合唱が歌う。

ニ長調に転調、「Ich hoffe auf dich(わたしはあなたを待ち望みます。)」と合唱が懇願するように、三連符で呼びかける。

「Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand,…(神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。:旧約聖書続編知恵の書3章1節)」と、苦しみから解放される喜びと感謝の気持ちが、フーガで歌われる。

第4楽章 合唱

変ホ長調、4分の3拍子。「Wie lieblich sind deine Wohnungen,…(万軍の主よ、あなたのいますところは どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。:旧約聖書詩編84章2-3節)」と合唱が静かに、平和で幸せな雰囲気をもって歌う。「verlanget und sehnet sich(切望し慕う)」の部分は、バスから順に歌い始め、願いが大きく膨らんでいくように声部が重なっていく。

「mein Leib und Seele freuen sich…(命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。:旧約聖書詩編84章3節)」の部分は、まっすぐ前進するような、迫ってくる様子を感じさせる。そして、冒頭の「Wie lieblich sind…」がやさしく再示される。

「Wohl denen, die in deinem Hause wohnen,…(いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。:旧約聖書詩編84章5節)」と幸せに満ちて歌う。「die loben dich immerdar(あなたをいつも賛美する)」の部分は、細かい動きのあるメロディーとゆったりとしたメロディーの二重フーガになり、「バンザイ!」と讃えていることが強く感じられる。

もう一度念を押すように、「Wie lieblich sind…」という言葉が戻ってくる。あこがれの気持ちが膨らむように、表現たっぷりと歌われる。

第5楽章 ソプラノ独唱と合唱

ト長調、4分の4拍子。「Ihr habt nun Traurigkeit…(ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。:新約聖書ヨハネによる福音書16章22節)」とソプラノソロがお母さんのように温かく歌う。「Traurigkeit(悲しみ)」のあたりが一部短調になっており、静かに泣き崩れるようにも感じられる。それに続いて、「Ich will euch troesten,…(母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。:旧約聖書イザヤ書66章13節)」と合唱が慰めるように歌う。

変ロ長調に転調。「Sehet mich an: ich habe eine kleine Zeit…(目を開いて見よ。わずかな努力で、わたしが多きの安らぎを 見いだしたことを。:旧約聖書続編シラ書〔集会の書〕51章27節)」とソプラノソロが入り、このソロの後半でロ長調に転調し、合唱の「Ich will euch troesten,…」に受け継がれる。

ト長調になり、「Ihr habt nun Traurigkeit…」を再びソプラノソロが歌う。途中、ハ短調に変わるが、「aber(しかし)」で、すぐト長調に戻り、「ich will euch wiedersehen,und euer Herz soll sich freuen… (わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる…)」と続ける。そして、「Ich will euch troesten,…」と合唱がやわらかな表情をつけて歌う。

第6楽章 バリトン独唱と合唱

ハ短調、4分の4拍子。「Denn wir haben hie keine bleibende Statt…(わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。:新約聖書ヘブライ人への手紙13章14節)」と合唱が不安な気持ちを打ち明けるように歌う。

それを受けて、「Siehe, ich sage euch ein Geheimnis:…(わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章51節)」とバリトンソロが強く説得するように歌う。そして、「そうなのか」と聞き入れ納得しているように、「Wir werden nicht alle entschlafen…(私たちは皆、眠りにつくわけではありません…)」と合唱がバリトンソロの言葉を繰り返しつぶやくように歌う。

「und dasselbige ploetzlich,…(最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章51節)」とバリトンソロが強く訴えかける。合唱が入り、ハ短調に転調。渦に巻き込まれるようにクレッシェンドする。

4分の3拍子に変わり、「Denn es wird die Posaune…(ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、私たちは変えられます。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章52節)」と迫って来るものを恐れるように合唱が叫ぶ。嵐のようにも感じられる。

「Dann wird erfullet werden das Wort,…(次のように書かれている言葉が実現するのです。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章54節)」とバリトンソロが告げる。

それを受けて、「Der tod ist verschlungen…(死よ勝利にのみ込まれた。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章55節)」と合唱が激しく強く問いかける。

2分の2拍子になり、「Herr, du bist wuerdig…(主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。:新約聖書ヨハネの黙示録4章11節)」と喜びに満ちて、栄光と誉れと力を讃えるフーガが歌われる。

第7楽章 合唱

ヘ長調、4分の4拍子。「Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben…(『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』:新約聖書・ヨハネの黙示録14章13節)」と、空に広がり昇っていく雲のような前奏を受けて、天の声のようにソプラノが歌い始め、バリトンが引き続き同じ旋律を歌う。そして、迷いのなく安心した様子で、全声部が歌う。

「Ja, der Geist spricht,…(“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』:新約聖書・ヨハネの黙示録14章13節)」とつぶやくように歌い始める。イ長調に転調し、「das sie ruhen…(然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る…)」とだんだん日が沈んでいくように、眠りを誘うように、静かに歌う。

再びヘ長調に戻り、「Selig sind die Toten,…」とテナーが歌い、他の声部も加わる。「安らかにお眠りください」と祈るように歌われ、静かに終わる。

※日本語訳は、「聖書 新共同訳−旧約聖書続編つき」(発行・日本聖書協会)1988による。

5. 考 察

この曲に使われた言葉は、母親の死を悲しんでいるときに聖書を読み、ブラームス自身が慰められた言葉、彼の心に響いた言葉にであったのではないだろうか。母国語で書かれたレクイエムは、死者の霊を慰めるためというよりも、残された人びとの心を慰めるものとなっていると感じられる。第1〜第6楽章では、人々の悲しみや恐れなどを描写し、そして、神の言葉によって慰められ、希望を持てるように変化していく心理を描写している。不安と恐れの渦の中で皆生きているのだと教えているようにも感じられる。このことから、身近な親しい人の死を受け入れ、「希望を持って生きられるように」とのブラームスの願いが込められていると考えられる。第7楽章は、天に昇る情景描写や「労苦から解かれて安らぎを得る」という言葉から、死者への祈りと感謝の気持ちが込められていると考えられる。

また、この曲を聴くと、ドイツの風景を映像として見ているような感じさえする。太陽の光、田園風景、人々の動きなどが描写されているように感じられる。私が実際に見たドイツの風景は、この曲を演奏しながら想像していたドイツの風景とぴったり合うものであった。この感動によって、音楽の大きな力を知り、もっと深く勉強しようと考えるようになったことに、改めて気づかされた。

6. 参考文献

音楽之友社編 作曲家別名曲解説ライブラリーF『ブラームス』 音楽之友社 1993
門馬直美 『ブラームス』 春秋社 1999
Brahms ≪Ein deutsches Requiem op.45≫ BREITKOPF&HAERTEL
『聖書 新共同訳-旧約聖書続編つき』 日本聖書協会 1988
CD:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 東芝EMI 1957
CD:オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団 東芝EMI 1961

※この文章は、聴講している某大学のレポートとして作成したものです。間違っていることもあるかもしれませんので、ご了承ください。間違いを指摘していただけると助かります。 2005.07.27(2005.08.24修正)
※評価は78点でした。まじめによく勉強しているが、参考文献があまりよくない、ニューグローブなどもっといい本を参照すること。レクイエムというジャンルについても勉強すること。なぜ、あなたを惹きつけるかについての考察を深めること。とのことでした。
全くその通りです。文献については、学校の図書館で、書棚をみて探しただけだったので、反省です。 (2005.09.11)

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