海外で死刑判決を受けた日本人(1990年以降)



※1990年以降に死刑判決を受けた日本人を載せている。
※一審等の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では「被告」表記とし、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。

氏 名
日本人男性
事件当時年齢
 40代
犯行日時
 2001年1月
罪 状
 殺人罪(傷害致死との報道もあり)
事件概要
 中国瀋陽市内で会社を経営していた40代の日本人男性(名前不明)は2001年1月、ささいなトラブルから会計担当の40代の中国人女性を殴打、死亡させた。
 男性は残留孤児2世で、日本国籍を取得している。
一 審
 2001年7月 瀋陽市中級人民法院(地裁に相当) 執行猶予付き死刑判決+民事賠償金6万元(約78万円)
二 審
 2002年1月 瀋陽市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 執行猶予付き死刑判決+民事賠償金6万元確定
裁判焦点
 不明
備 考
 日本外務省の邦人保護課によると、海外で殺人罪に問われた邦人の死刑判決が確定したのは初めて。
その後
 2年間の執行猶予期間が過ぎた2004年1月、北京市の刑務所に移送され、終身刑扱いとなった。
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氏 名
鈴木英司
事件当時年齢
 34歳(1994年12月7日 一審判決時)
犯行日時
 1994年4月12日
罪 状
 麻薬取締法違反(所持)
事件概要
 愛知県名古屋市の会社員鈴木英司(すずきひでし)被告は1994年4月12日(現地時間)、フィリピンネグロス島、西ネグロス州の州都バコロド市のバコロド空港での手荷物検査で、菓子箱入りの大麻1.9kg(1.54kg?)を所持していたことが発覚、空港警察に逮捕された。
 鈴木被告はバコロド市内でレストランを経営していた日本人男性A氏と日本への陶土や石材輸出のビジネスを手掛けていた。鈴木被告はA氏から立替金250万円を返済するという話でバコロドまで来たが、A氏は返済を拒んだ。逮捕前夜には「日本で訴訟を起こす」「やれるならやってみろ」と口論になっていた。
 数日後、「サインすれば釈放される」とA氏に言われるがまま、鈴木被告は内容も理解できなかった英語の書類にサインした。その書類は麻薬所持の罪を全面的に認める訴状だった。
一 審
 1994年12月7日 バコロド地裁 デロスサントス裁判官 死刑判決
二 審
 2003年11月12日(までに) フィリピン最高裁 裁判長不明 一審破棄 無期刑
拘置先
 フィリピン モンテンルパ刑務所
裁判焦点
 鈴木英司被告は日本人男性A氏の陰謀説を訴えた。
 口論となった4月11日の夜、鈴木被告は路上で「ピンキー」と名乗る女性に声を掛けられ、食事をした後、モーテルに泊まった。ピンキーは翌日午前1時頃に帰ったが、鈴木被告が午前7時に空港に行くとターミナル入口で待ち受けており、お土産として菓子箱を手渡した。鈴木被告は菓子箱の中に大麻が入っていることを知らなかった。
 逮捕後、鈴木被告は麻薬捜査局の捜査官に身柄を引き渡され、その後A氏の家に連れて行かれた。A氏は「300万円出せば助かる」と持ちかけたが鈴木被告は拒否したことも法廷で語った。しかし鈴木被告側は「ピンキー」の存在を法廷で証明できず、陰謀説を裏付ける証拠も提出できなかった。
 鈴木被告の弁護人は11回に及んだ公判の中で、英語も現地語も理解できない被告への取り調べが通訳抜きで行われ、しかも空港で警察官が鈴木被告の同意なしに菓子箱を開けるなど捜査に違法性があったと主張したが、いずれも認められなかった。
 判決でデロスサントス裁判官は「被告が大麻を所持していた事実は疑いなく、捜査も適正だった」とし、死刑を言い渡した。

 鈴木被告はその後も無罪を主張。最高裁では無期刑(朝日のみ禁固40年と報道)に減軽された。一審判決から9年近く判決が出ていなかったため、アムネスティ・インターナショナルなどから抗議声明が出ていた。
特記事項
 鈴木被告は逮捕直後、日本大使館に3回電話をしたが、コレクトコールを理由に断られた。大使館職員が接見したのは、逮捕から半年以上も後で、すでに一審判決は下りていた。アメリカやイギリスでは、既に自国民の逮捕者には48時間以内に接見するよう義務付けてられていた。
 この事件は、地元のラジオ局や新聞社も「えん罪」の観点から異例の報道キャンペーンを展開するなど、現地でも大きな注目を集めた。
 1995年11月、鈴木被告を逮捕、捜査を指揮したバコロド警察麻薬捜査局長のアルカンタラ自身が、麻薬所持容疑で逮捕された。その後、アルカンタラは地元紙の取材に「鈴木の事件は菓子箱を渡した女性らによるでっち上げだった」と証言。日本のテレビ局の取材でもそれを認めた。
 1996年5月には、超党派の国会議員132人が「鈴木さんを救う国会議員の会」を発足。比の最高裁に公正な審理を求める嘆願書を提出した。
備 考
 フィリピンでの日本人に対する死刑判決は2例目。1986年5月27日、マニラ地方裁判所で、マニラ在住で千代田区出身と文京区出身の日本人2人に対し営利誘拐の罪で死刑判決を言い渡している。2人は1986年5月、北海道から観光旅行でマニラを訪れた29歳の日本人男性とマニラ市内のレストランで知り合い、大麻入りのケースをタバコと偽って渡したあと、警察官に変装したフィリピン人の仲間が現行犯逮捕と見せかけて、この日本人観光客をホテルに監禁した。そして2人は「保釈金が必要だ」として、この観光客の実家から1850ドル(約31万円)をだまし取ろうとして、マニラの銀行に送金させたが、北海道警察本部からの連絡を受けたマニラの警察当局が5月12日、金を引き出すため銀行に現れた2人を逮捕した。自動的に上告されたが、1987年に死刑が廃止されたことから、無期刑に減刑されたものと思われる。
 フィリピンでは1976年を最後に死刑執行はなく、1987年にアキノ大統領によって死刑が廃止された。しかし、1994年1月にラモス大統領によって死刑が復活した。このときに改正された麻薬取締法では、750g以上の大麻不法所持の量刑は20年以上の投獄あるいは死刑。750g未満では6月以上の投獄となった。覚せい剤は200g以上、ヘロインとコカインは40g以上の所持で死刑の対象となる。なお、2001年にアロヨ大統領によって死刑は凍結され、2006年6月に死刑は再び廃止された。
 外務省調べによると、海外に無期刑(終身刑を含む)の日本人受刑者は19人(2005年1月時点)。
著 書
 鈴木英司『檻の中の闇 フィリピンで死刑囚になった日本人の獄中記』(小学館,2000)
現 在
 鈴木服役囚は逮捕後、マニラ首都圏のモンテンルパ刑務所に収監されていた。2005年暮れに監視が厳しい重犯罪者用収容房(MAX)から、中間の準重犯罪者用収容房(MID)に移監された。
 鈴木服役囚は2006年3月、現地のフィリピン人女性(25)と結婚した。女性とは2000年12月、携帯電話の番号間違いメールで知り合った。女性はその後妊娠、出産。産まれた男児が4歳になるのを機に結婚した。フィリピンでは賄賂さえ払えば携帯電話を所有することができた。またフィリピン司法省は囚人と妻や恋人の刑務所内での同宿を月に2回認めており、専用の部屋も用意されている。
 2008年、フィリピン政府が恩赦を検討したが却下。2009年11月に日本政府が正式に釈放を要請、2010年4月にアロヨ大統領が恩赦を決定した。2010年6月21日、逮捕から16年ぶりに釈放された。しかし恩赦後も100万ペソ(約190万円)の罰金が払えず、鈴木氏は入国管理施設に身柄を移されていた。しかし、日本の支援者の援助でこのほど罰金を納付し、出国が認められ、12月17日、日本へ帰国した。服役中に知り合った妻と長男も同行した。
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氏 名
武田輝夫
事件当時年齢
 59歳?
犯行日時
 2003年〜2004年6月
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 名古屋市出身の暴力団組員武田輝夫被告は2003年6月、中国遼寧省大連市で中国人から覚せい剤5kgを購入、7月に運び屋の日本人ら5人に小分けして渡した。
 2004年6月、武田被告は広東省のホテルで覚せい剤約3.1kgを所持していたとして中国公安局に拘束された。その後、相次いで日本人17人を含む日中両国の共犯者10数人が拘束され、武田被告が密輸グループの「元締め」とされた。
一 審
 2007年1月18日 大連市中級人民法院(地裁に相当) 死刑判決
二 審
 2007年8月20日 大連市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 武田被告は起訴事実以外に公判では、2003年6月、別の中国人から15kgの覚せい剤を購入、13kgを運び屋に売っていたことが明らかになった。
 2004年11月30日の初公判で、武田被告は大筋で事実を認め、「どのような刑も甘んじて受ける」と述べた。また被告人質問の中で、覚せい剤の密売は日本の密売組織からの要求などで行ったことを明らかにした。
特記事項
 一審では共犯者の別の日本人男性は懲役3年、罰金5万元(約78万円)。また、中国人2人が死刑、1人が無期懲役をそれぞれ言い渡された。
備 考
 約30人からなる日中混成強盗団は2000年頃から全国各地で資産家宅を襲い、主に日本人が運転主役、情報提供役であり、中国人が実行犯。宅配業者などを装って押し入り、家人を粘着テープで縛り上げ、ナイフやスタンガンなどで現金や株券などを脅し取っていた。武田輝夫被告はその主犯格だった。
 武田被告は2002年8月〜2003年3月に起きた強盗団による事件の主犯格として、各地の暴力団組員らから集めた資産家の情報を基にターゲットを決め、東京、静岡、愛知、福井、滋賀、和歌山、兵庫、福岡、大分の9都県で計17件の強盗事件を起こし、被害額は約6億円とされる。
 約30人のうち25人が逮捕されたが、武田被告は2002年11月23日、名古屋空港から中国へ出国した。武田被告は愛知、福岡、福井、大分、和歌山の5県警から国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、国際手配されていた。
(上記データは2004年時点で判明のものであり、一部で1都6県から国際指名手配、被害額10億円以上という報道もなされている)

 中国で日本人の執行猶予なしの死刑が確定したのは初めて。ただ、死刑執行には最高人民法院(最高裁)の審議が必要で、「政治判断で執行が塩漬けされる可能性もある」(日中外交筋)という。
 中国刑法で、アヘンで1kg以上、覚せい剤もしくはヘロイン50g以上の密輸は15年以上の懲役、無期懲役または死刑となっている。ただし麻薬の使用については刑事罰より中毒治療が優先され、2008年6月から施行された麻薬禁止法でも、麻薬による前科がない場合、最高で15日間の拘留と罰金2000元(約27000円)が科せられるだけである。
 中国国内で日本人が麻薬密輸容疑で刑事拘束された例は、1999年と2001年の2人だけ。1999年は懲役20年、2001年の場合は無期懲役が確定、服役している。しかし2003年以降は急増した。
その後
 武田死刑囚は密輸事件で身柄を拘束される前、1995年7月30日に発生した「八王子3人射殺事件」について「知り合いがやった」などと周囲に話していたとされる。武田死刑囚自身は、事件の発生当時は日本で刑務所に収監されていた。
 中国公安当局は2008年、「収監中の男が『知人の男が八王子の事件に関与した』と証言している」と伝えてきた。「日中刑事共助条約」(2008年11月発効)に基づき、警視庁が2009年1月、警察庁を通じて捜査員の派遣を中国側に要請し、日程調整を進めた。2009年9月13日、警視庁捜査一課の捜査員数人が現地入りし、15日から4日間、事情聴取を行った。武田死刑囚は事件への直接の関与を否定。「合理的な説明ができなくて申し訳ない」と話したという。
執 行
 2010年4月1日、遼寧省の外事弁公室は瀋陽の日本総領事館に対し、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚の死刑を7日後に執行すると通告した。2日、岡田克也外相が記者会見で明らかにし、岡田外相は程永華駐日大使に懸念を伝えた。
 4月3日、菅直人副総理兼財務相は中国の温家宝首相と北京で会談し、中国側が日本人死刑囚4人(赤野光信、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚)への刑執行を通告したことについて懸念を伝えた。温首相は、麻薬犯罪では外国人にも厳罰で臨む方針を改めて示した。
 4月8日午前9時半(日本時間午前10時半)すぎ、武田死刑囚の親類らを乗せたとみられる車両が大連市看守所に入った。面会を終えたとみられる(武田死刑囚だけ親族が面会に来なかったという報道もある)。
 4月9日午前9時(日本時間午前10時)、大連市看守所で執行された。67歳没。遼寧省では致死薬注射方式で死刑を執行することになっており、武田死刑囚に対しても同様の方法で執行したとみられる。執行より13分後、遼寧省高級人民法院(高裁)より在瀋陽日本総領事館大連出張駐在官事務所へ通告された。
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氏 名
鵜飼博徳
事件当時年齢
 41歳?
犯行日時
 2003年7月
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 岐阜県恵那市出身の鵜飼博徳被告は2003年7月、武田輝夫被告から受け取った覚せい剤約1.5kgを所持し、中国遼寧省の大連空港から日本に出国して密輸しようとした。
一 審
 2006年12月28日 大連市中級人民法院(地裁に相当) 死刑判決
二 審
 2007年8月20日 大連市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 不明
備 考
 死刑執行には最高人民法院(最高裁)の審議が必要である。
 中国刑法で、覚せい剤50g以上の密輸は15年以上の懲役、無期懲役または死刑となっている。
その後
 武田輝夫死刑囚が、1995年7月30日に発生した「八王子3人射殺事件」について「知り合いがやった」などと周囲に話していたとされる件について、武田死刑囚とともに2009年9月15日から4日間、事情聴取が行われたが、関与を否定した。
執 行
 2010年4月1日、遼寧省の外事弁公室は瀋陽の日本総領事館に対し、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚の死刑を7日後に執行すると通告した。2日、岡田克也外相が記者会見で明らかにし、岡田外相は程永華駐日大使に懸念を伝えた。
 4月3日、菅直人副総理兼財務相は中国の温家宝首相と北京で会談し、中国側が日本人死刑囚4人(赤野光信、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚)への刑執行を通告したことについて懸念を伝えた。温首相は、麻薬犯罪では外国人にも厳罰で臨む方針を改めて示した。
 4月8日午前9時半(日本時間午前10時半)すぎ、鵜飼死刑囚の親類らを乗せたとみられる車両が大連市看守所に入った。面会を終えたとみられる。
 4月9日午前9時(日本時間午前10時)、大連市看守所で執行された。48歳没。遼寧省では致死薬注射方式で死刑を執行することになっており、鵜飼死刑囚に対しても同様の方法で執行したとみられる。執行より13分後、遼寧省高級人民法院(高裁)より在瀋陽日本総領事館大連出張駐在官事務所へ通告された。
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氏 名
森勝男
事件当時年齢
 60歳?
犯行日時
 2003年7月29日
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 福島県相馬市の無職森勝男被告は2003年7月29日、中国遼寧省瀋陽市の桃仙国際空港で関西空港行きの中国南方航空機に搭乗しようとしたが、ビニール袋5個に分けて詰めた覚せい剤1.25kgを腰ベルトに隠しているところを当局者に見つかり、現行犯で拘束された。この際、一緒にいた別の日本人男性が海外に逃走したという。逃走先は日本とみられている。森被告は日本人共犯者から連絡先の電話番号を渡され、見ず知らずの中国人女性から覚せい剤を受け取っていた。この覚せい剤は、武田輝夫被告の指示によるものとされる。
 森被告は、定年退職して金に困っていたため、日本国内で麻薬密輸をもちかけられ、報酬20万〜30万円で請け負った。中国公安当局は拘束翌日の7月30日に正式に刑事拘束(逮捕に相当)した。
一 審
 2004年2月3日 瀋陽市中級人民法院(地裁に相当) 死刑判決
二 審
 2007年10月23日 瀋陽市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定
拘置先
 瀋陽市看守所
裁判焦点
 森被告側は起訴事実こそ認めたものの、(1)密輸犯罪は未遂(2)犯行は他人の差し金、指揮、配置下だった(3)社会への悪影響を与えていない――と主張。被告が麻薬や携帯する道具、資金などを他人から渡された点などを説明したが、判決は「被告は麻薬を隠し持って出国する現場で拘束された」ことから、「未遂」ではなく「既遂」と退けた。さらに、「他人の差し金」ではなく「利益のために麻薬を密輸した主要な行為犯」と位置付けたうえで、「密輸行為(自体)が社会に大きな危害を与えた」と認定した。
 減軽を求めて控訴したが、棄却された。
特記事項
 2004年2月10日、森勝男被告は面会に訪れた瀋陽の日本総領事館担当者から減刑嘆願書について説明を受けた。森被告はその場で嘆願書を書く意思を示したが、面会が約1時間と限られていたため書く時間がなかった。ところがその後、担当者は面会に訪れず、放置された形となった。
 中国の司法関係者によると、日本政府が水面下で減刑を働きかける際、本人の嘆願書が中国当局に届いていることが重要になる。
 日本政府は中国政府に減刑の可能性を非公式に打診したのに対し、中国側は「中日(日中)の政治的関係が良好なら考えようがあるが、現状では特別なことはできない」と事実上、拒否していたとされる。
 川口順子外相は2004年2月20日午前の記者会見で、森被告への対応について「(男性が)控訴しているので、邦人保護の立場からしっかり支援していく」と述べ、日本大使館員による面会などを続ける考えを示した。ただ中国政府に対し日本政府が公式に減刑要請することについては「中国でも司法権は独立しており、国内法の実施に外国が働き掛けることはできない」と否定的な見解を示した。
備 考
 日本人が中国で執行猶予の付かない死刑判決を受けたのは初。
 死刑執行には最高人民法院(最高裁)の審議が必要である。
 中国刑法で、覚せい剤50g以上の密輸は15年以上の懲役、無期懲役または死刑となっている。
執 行
 2010年4月1日、遼寧省の外事弁公室は瀋陽の日本総領事館に対し、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚の死刑を7日後に執行すると通告した。2日、岡田克也外相が記者会見で明らかにし、岡田外相は程永華駐日大使に懸念を伝えた。
 4月3日、菅直人副総理兼財務相は中国の温家宝首相と北京で会談し、中国側が日本人死刑囚4人(赤野光信、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚)への刑執行を通告したことについて懸念を伝えた。温首相は、麻薬犯罪では外国人にも厳罰で臨む方針を改めて示した。
 4月8日午前9時半(日本時間午前10時半)すぎ、森死刑囚の親類らを乗せたとみられる車両が瀋陽市看守所に入った。面会を終えたとみられる。
 4月9日午前9時(日本時間午前10時)、瀋陽市看守所で執行された。67歳没。遼寧省では致死薬注射方式で死刑を執行することになっており、森死刑囚に対しても同様の方法で執行したとみられる。執行より25分後、遼寧省高級人民法院(高裁)より在瀋陽日本総領事館大連出張駐在官事務所へ通告された。
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氏 名
赤野光信
事件当時年齢
 61歳?
犯行日時
 2006年9月
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 2006年4月に大阪から中国に入国した赤野光信被告はI被告と共謀。9月、ラップに包んだ覚せい剤約2.5kgを茶筒に隠し、中国遼寧省の大連空港から大阪空港へ密輸しようとした。
 覚せい剤2.5kgのうち赤野死刑囚が約1.5kg、I被告が約1kg所持していたとされる。覚せい剤の純度は約95%だった。
 赤野被告は高校卒業後、不動産や衣料品販売などのビジネスを手がけた。しかし、中国で拘束される数年前から資金繰りに苦しみ、周囲に借金の相談を持ちかけていた。
一 審
 2008年6月30日 大連市中級人民法院(地裁に相当) 死刑判決
二 審
 2009年4月1日 大連市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 赤野死刑囚は覚せい剤を密輸しようとしたことは大筋で認めている。しかし捜査や公判(二審制)過程に強い不信感を持っており、警察の取り調べについて「中国人の通訳がひどすぎて、正確な調書が作成されたか疑わしい」と話している。また、一、二審とも初公判の数カ月後、すぐに判決公判が開かれたといい、「重罪を裁く裁判なのに、十分に自らの主張を訴えることができなかった」との趣旨のことも言っている。

 一審判決は「違法利益の獲得のため、他人に指示すると同時に自らも覚せい剤を偽装して持ち出そうとした主犯」と認定した。

 控訴理由として、(1)取り調べの通訳は正式な資格を持っておらず捜査記録は証拠にできない(2)他人の指示による補助的役割なのに刑が重すぎる(3)覚せい剤は押収されて社会に被害を与えていない、と主張した。高級人民法院(高裁)は、いずれの主張にも同意せず一審判決を支持した。
特記事項
 共犯である50歳代の日本人男性I被告は懲役15年判決が確定した。
備 考
 死刑執行には最高人民法院(最高裁)の審議が必要である。
 中国刑法で、覚せい剤50g以上の密輸は15年以上の懲役、無期懲役または死刑となっている。
執 行
 2010年3月29日、中国当局が瀋陽の日本総領事館に対し、「7日後に死刑執行する」と通告した。中国外務省の秦剛副報道局長は30日の定例会見で説明した。
 日本側はこれまでも北京の外交ルートを通じて「日本国民の感情を考慮し、慎重に対応してほしい」と要請してきた。3月31日、日本政府は中国政府が日本人男性の死刑執行を通告してきたことに関し、北京の在中国日本大使館を通じて中国外務省に「懸念」を伝えた。
 4月3日、菅直人副総理兼財務相は中国の温家宝首相と北京で会談し、中国側が日本人死刑囚4人(赤野光信、武田輝夫、鵜飼博徳、森勝男死刑囚)への刑執行を通告したことについて懸念を伝えた。温首相は、麻薬犯罪では外国人にも厳罰で臨む方針を改めて示した。
 4月5日午前9時(日本時間午前10時)すぎ、赤野死刑囚の親類らを乗せたとみられる車両が大連市看守所に入った。看守所で面会を終えたとみられる。中国人死刑囚の場合、家族との面会は認められない。同日、中国当局は赤野光信死刑囚に対する刑の執行を6日に予定している、と日本側に連絡した。中国で5日は、祖先を供養する伝統的な祭日「清明節」に当たっているため、執行を控えた可能性がある。
 4月6日朝、鳩山由紀夫首相は「司法制度の違いとはいえ、死刑の執行は日本から見れば残念なことだ。ただ、ある意味で、いかんともしがたいというところもある」と述べた。首相官邸前で、記者団に答えた。
 4月6日午前9時30分(日本時間午前10時30分)、大連市看守所で執行された。65歳没。遼寧省では致死薬注射方式で死刑を執行することになっており、赤野死刑囚に対しても同様の方法で執行したとみられる。執行より5分後、遼寧省高級人民法院(高裁)より在瀋陽日本総領事館大連出張駐在官事務所へ通告された。1972年の国交正常化以降、日本人が中国で死刑が執行されたのは初めて。
 死刑執行を速報した国営新華社通信は、最高人民法院(最高裁)が「明確で議論の余地のない証拠があり、法に基づいて死刑を宣告し、執行した。国籍の異なる犯罪者も、法によって平等な処分をすべきだ」との声明を出したと伝えた。
 同日、日本政府は北京の日本大使館を通じ「執行されたことは残念だ」とのコメントを発表したが、今後の日中関係への影響はないとの見方を示した。また、日本人による薬物密輸が後を絶たないことに「麻薬犯罪は国際社会にとって極めて重大な犯罪で、死刑を含め重い量刑を科している国も多い」とし、「国民がこうした犯罪にかかわらないことを切に願っている」と表明した。
 同日午前、千葉景子法相は閣議後の記者会見で、「日本の制度と比較すると、かなり刑罰が重く、刑事手続きも日本ほどの適正な手続きが担保されているのかという意見がある」と疑問を呈した上で「中国の対応が日本の世論の反発を招くことにならないか懸念している」と語った。福島瑞穂消費者・少子化担当相は閣議後の記者会見で、「大変ショックを受けている。国際的に見ても(量刑が)重い。残念だ。あと3人(の邦人死刑囚)について処刑しないよう、とどまってほしい」と語った。
 4月6日、日本弁護士連合会の宇都宮健児会長は「日本政府が死刑執行に対して懸念を表明するにとどまり、執行を止められなかったのは極めて遺憾。日本政府が残る3人の日本人男性の執行をしないよう中国政府に明確に要望することを求める」とのコメントを発表した。
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氏 名
池田研五
事件当時年齢
 59歳
犯行日時
 2007年12月14日
罪 状
 殺人罪
事件概要
 北海道本籍でタイ在住の無職池田研五被告は2007年12月14日、タイ・バンコクを訪問した、東京都足立区の不動産業を営む知人男性(当時67)を空港で出迎え、翌日までの間にタイ中部パタヤ近郊で殺害し、現金347万円を奪った。遺体は両手両足を切断した。
 男性は池田被告にタイでの投資や長期滞在(ロングステイ)の話などを持ち掛けられ、現金を持ってタイを訪問していた。  男性との連絡が取れなくなったため、家族がタイを訪れ、地元警察に捜索願を出した。男性の遺体は12月26日、地元住民が同県サタヒップ地区の山中で発見された。手足は発見されていない。1月10日、DNA鑑定によって男性のものと確認された。
 タイ警察は12月18日、男性のパソコンや約300万円の現金を所持していた池田被告を窃盗容疑で逮捕。2008年1月17日に殺人容疑で再逮捕したが、その際、所持していた旅券から「佐々木利彦(53)」と発表した。しかし、警視庁の捜査協力による指紋照合で、池田研五被告と判明した。池田被告は私印偽造容疑などで2005年11月、千葉県警から指名手配されていた。2006年頃に佐々木さんになりすまし、タイへ逃亡していた。佐々木さんは関西出身のホームレス男性で、行方不明になっている。
一 審
 2009年3月27日 パタヤ地方裁判所 死刑判決
二 審
 被告側控訴中。
裁判焦点
 池田被告は逮捕当日、警察の記者会見に臨席し、「殺していない。このような扱いは理解できない」と容疑を否認した。公判でも殺人、窃盗のいずれも否認している。
 裁判官は、過去に男性から借金を断られたことなどが動機だったとし、「計画的犯行」と指摘した。捜査当局は、遺体の損傷が激しく、殺害場所や殺害方法の特定はできなかったが、裁判官は、状況証拠から池田被告の犯行は間違いないと結論づけた。
 判決は通訳なしのタイ語で言い渡された。罪を否認してきた池田被告は判決後、朝日新聞記者の取材に「何が起きているのか理解すらできない。控訴したい」と述べた。
特記事項
 
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氏 名
日本人男性
事件当時年齢
 28歳
犯行日時
 2010年2月7日
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 東京都在住の男性(神奈川県出身)は2010年2月7日、遼寧省瀋陽の空港から成田空港行きの航空機に搭乗しようとした際、覚せい剤約1kgを茶筒の中に隠し持っていたところ、エックス線検査で税関職員に見つかり拘束された。3月16日に公安当局に正式に逮捕された。
一 審
 2010年11月29日 瀋陽市中級人民法院(地裁に相当) 執行猶予2年付死刑判決
二 審
 不明。控訴しない意向を示していたため、そのまま確定と思われる。
拘置先
 瀋陽市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 
備 考
 執行猶予付きの死刑判決は、猶予期間、服役態度に問題がなければ無期懲役などに減刑される。
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氏 名
日本人男性
事件当時年齢
 不明(一審判決時70歳代)
犯行日時
 2009年6月
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 男性は2009年6月、大連空港から日本行きの航空便に搭乗して覚せい剤約1sを持ち出そうとしたところ、税関検査で見つかった。
一 審
 2010年12月21日 大連市中級人民法院(地裁に相当) 執行猶予2年付死刑判決
二 審
 不明。すでに一審判決が確定していると思われる。
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 
備 考
 執行猶予付きの死刑判決は、猶予期間、服役態度に問題がなければ無期懲役などに減刑される。
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氏 名
日本人男性
事件当時年齢
 60歳代。一審判決時70歳代。
犯行日時
 2009年7月
罪 状
 麻薬密輸罪
事件概要
 男性は2009年7月下旬、大連空港から日本行きの航空便に搭乗して覚せい剤約1.5sを持ち出そうとしたところ、税関検査で見つかった。
一 審
 2011年5月上旬(日付不明) 大連市中級人民法院(地裁に相当) 執行猶予2年付死刑判決
二 審
 被告側控訴中。不明だが、すでに一審判決が確定したものと思われる。
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 2012年12月に大連市中級人民法院(地裁に相当)で主犯格が死刑判決(2014年7月25日執行)を受けた事件との関連は不明。
備 考
 執行猶予付きの死刑判決は、猶予期間、服役態度に問題がなければ無期懲役などに減刑される。
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氏 名
竹内真理子
事件当時年齢
 35歳
犯行日時
 2009年10月30日
罪 状
 危険薬物取締法違反(不正取引)
事件概要
 東京都目黒区の元看護師竹内真理子被告は、2009年10月30日、アラブ首長国連邦ドバイからマレーシア・クアラルンプール国際空港に到着した際、スーツケースの内張りの中に覚せい剤のメタンフェタミンを隠し持っているのが見つかり、マレーシア国税関当局に逮捕された。
 マレーシア検察当局は11月25日、竹内真理子被告を起訴。竹内被告は、セランゴール州セパンの簡易裁判所で25日に開かれた初公判で、裁判官から起訴内容を理解できるか問われると「はい」と答えた。しかし検察側による化学鑑定などのため、起訴手続きが続行され、2010年1月26日、簡易裁判所は事件を高裁に移して公判を開始することを決定した。初発表された4.6kg(末端価格約120万リンギット(約3200万円)相当)少ないものの、3.493kgの覚醒剤が含まれていたことが化学検査で確認されたことで重大犯罪と判断されたため。
一 審
 2011年10月25日 マレーシア高裁 死刑判決
二 審
 2013年3月27日 シャー・アラム控訴裁判所 控訴棄却 死刑判決支持
最高裁
 2015年10月15日 マレーシア連邦裁判所 上告棄却 死刑判決確定
拘置先
 
裁判焦点
 2010年3月30日の初公判で、竹内真理子被告は無罪を主張した。竹内被告は、日本にいる友人のために金を借りにドバイに行き、そこでイラン人の知人から『本が入っている。クアラルンプールで連絡してくる者に渡してくれ』と荷物を預かったが、覚せい剤が入っていたことは知らなかったと主張した。
 検察側は竹内被告が事件当時、複数回にわたってクアラルンプール−ドバイ間を往復、大量の覚せい剤を持ち込んだことから国際的薬物取引に関与していた疑いがある述べた。また薬物の重さから、竹内被告は中身を確認できたはずだったなどとした。
 11月22日の公判で、裁判官は検察側の主張を認め、覚せい剤の入った手荷物を竹内被告が保管していたと認定した。同被告側は今後、反論の機会を与えられた。
 裁判官は判決の中で、竹内被告が拘束されるまでの約2カ月間に計6回、ドバイからクアラルンプールを訪れており、何度も往復する理由が不可解などと指摘。日本の友人とされる人物も公判で証言しておらず、「被告の発言は虚偽で、不合理」と断じた。

 2013年1月18日、控訴審が始まった。被告の弁護人は3月27日の審理で認定事実に疑義を唱えたが、裁判長は「一審判決を覆す事実は見いだせなかった」とそれらの主張を退けた。控訴審の実質的な審理はこの日だけで、竹内被告本人が陳述する機会は一度も与えられず、証人調べもなかった。

 竹内被告は「知人に頼まれて荷物を運んだだけで、中身は知らなかった」と一・二審同様無罪を主張したが、マレーシア連邦裁判所は「被告の主張は信用に値しない」と退けた。
特記事項
 マレーシアの法律は一定量以上の「危険薬物」を所持した者を不正取引にかかわったとみなし、危険薬物取締法違反(不正取引)の法定刑は死刑のみ。メタンフェタミンでは50g以上が対象。マレーシアでは薬物の不正取引の罪で1989年に英国人1人が、1990年にも女性を含む香港市民8人が絞首刑を執行されている。
備 考
 マレーシアでは、死刑になる可能性のある重大事件は高裁から公判が始まる仕組み。判決が確定するまで、上訴裁と最高裁で争われる。
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氏 名
宮崎敦司/岩崎透
事件当時年齢
 宮崎被告:一審判決時40歳代/岩崎被告:一審判決時50歳代
犯行日時
 2010年9月/11月8日
罪 状
 薬物売買罪
事件概要
 覚せい剤を仕入れるため中国に来た宮崎敦司被告は2010年9月、広東省在住の岩崎透被告に覚醒剤の購入を依頼。9月から11月にかけ、東莞市内で2度にわたり、1kg28万元(1元は約12円)で2回に分け、計8kgの覚醒剤を購入した。
 11月8日、覚醒剤を売買しているところを、取引に関与した中国人と共に地元当局に身柄を拘束された。
一 審
 2011年12月16日 東莞(とうかん)市中級人民法院(地裁に相当) 死刑(宮崎被告)/執行猶予2年付き死刑判決(岩崎被告)
二 審
 控訴するもすでに両者とも確定していると思われる。
拘置先
 東莞市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 共犯である中国人の女性にも懲役15年の判決が言い渡されている。
備 考
 執行猶予付きの死刑判決は、猶予期間、服役態度に問題がなければ無期懲役などに減刑される。
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氏 名
男性(逮捕時40歳代)/男性(逮捕時40歳代)
事件当時年齢
 ともに40歳代
犯行日時
 2009年7月下旬
罪 状
 薬物売買罪
事件概要
 男性(40代)が大連空港から日本行きの航空便に登場して飴菓子の中に覚せい剤(メチルアンフェタミン)約4.3sを隠して持ち出そうとしたところ、税関検査で見つかった。そして、この男に覚せい剤を渡した男性(40代)も大連市内のホテルで拘束された。
 税関で逮捕された方と、ホテルで逮捕された方のどちらが主犯格かは不明。
 同じく2009年7月下旬に大連空港で逮捕された男性との関連は不明だが、この2人が拘束される2日前に拘束されており、共犯者と思われる。
一 審
 2012年12月?日 大連市中級人民法院(地裁に相当) 死刑(主犯格)/執行猶予2年付き死刑判決と思われる(共犯者)
二 審
 2013年8月?日 大連市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定(主犯格)/執行猶予2年付き死刑判決と思われる(共犯者)
拘置先
 大連市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 
備 考
 執行猶予付きの死刑判決は、猶予期間、服役態度に問題がなければ無期懲役などに減刑される。
執 行
 主犯格の男性は2014年7月25日午前、大連市看守所で執行された。50歳代没。
 数日前に近く執行すると中国側から伝えられていた。24日には家族と面会したという。日本外務省は死刑判決の確定後、国民感情や邦人保護の観点から、中国政府に対し、「高い関心」を伝えていた。
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氏 名
日本人男性
事件当時年齢
 不明
犯行日時
 2010年7月17日
罪 状
 薬物売買罪
事件概要
 日本人男性3人(逮捕時62歳、58歳、42歳)は2010年7月17日、中国広東省珠海市のホテルで中国人男性と覚醒剤を取引中、公安局に拘束された。公安局は現場から約3sの覚醒剤と現金74万元(約950万円)や日本円約119万円なども押収した。
 日本人3人は同省深セン市経由で珠海を訪れていた。  執行されたのは逮捕時62歳か58歳の男性どちらか。
一 審
 不明 珠海市中級人民法院(地裁に相当) 死刑
二 審
 2013年(日付不明) 珠海市省高級人民法院(高裁に相当) 控訴棄却 死刑確定
拘置先
 珠海市看守所
裁判焦点
 不明。
特記事項
 
備 考
 共犯2名についての判決は不明。執行猶予付き死刑判決と思われる。
執 行
 主犯格の男性は2015年6月23日午前、珠海市看守所で執行された。60歳代没。
 6月中旬に中国側から広東省広州の日本総領事館に刑執行の事前連絡があり、北京の日本大使館は中国外務省に「高い関心」を伝えていた。
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氏 名
中野英二
事件当時年齢
 一審判決時45歳。
犯行日時
 2013年春
罪 状
 麻薬販売、運搬
事件概要
 中野英二被告は中国国内で覚せい剤数10kgを所持していた疑いで香港人や中国人ら5人と共に逮捕され、その後、販売と運搬の罪で起訴された。
 覚せい剤「氷毒(アイス)」124kgが9回にわたって陸路で運ばれ、韓国籍の貨物船を使って日本などに持ち込まれていたされる。香港を拠点とするやくざ組織が2011年末から日中韓をまたぐ連絡網を構築して役割を分担していた。
 中野被告は購入資金を香港に運び、中国人被告が南部・広東省で調達した覚せい剤を牛乳パックや小麦に紛れ込ませて偽装。東部沿海の上海市や南通市まで車両で輸送し、韓国人被告が貨物船での密輸を請け負っていた。
一 審
 2014年12月16日 南通市中級人民法院(地裁に相当) 死刑判決
二 審
 
拘置先
 南通市看守所
裁判焦点
 不明。他に香港を含む中国人被告3人、韓国人被告2人に対し、毒物(覚せい剤)の販売・運搬罪で、それぞれ死刑から無期懲役の判決が言い渡されている。韓国人被告は中韓両国の犯罪人引き渡し条約により、強制送還になった。
 公判では日本語と韓国語の通訳がついた上に日韓の総領事館員が傍聴したとして、公平な裁判を強調した。
特記事項
 
備 考
 
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