
| 藤城康孝 | |
| 47歳 | |
| 2004年8月2日 | |
| 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火 | |
| 加古川7人殺人事件 | |
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兵庫県加古川市に住む無職藤城康孝被告は2004年8月2日午前3時半頃、自宅東隣に住むおば(当時80)宅を襲い、おばと次男(当時46)を牛刀で刺し、次男を殺害した。続いて自宅西隣にある親類の男性宅を襲撃。男性(当時64)、妻(当時64)、長男(当時27)、長女(当時26)を牛刀で殺害した。その後、もっとも恨んでいたおばにとどめを刺すためにおば宅へ戻り、まだ息があったおばにとどめを刺した。そこへおば宅の隣に住む長男(当時55)と妻(当時50)が駆けつけてきたため、牛刀で刺して長男を殺害、妻に重傷を負わせた。 その後、藤城被告は自宅に戻り、用意していたガソリンをまいて放火し、自宅は全焼した。一緒に住んでいた母(当時73)は就寝中だったが、事件中に目を覚まして近くの交番に保護を求めたため、怪我はなかった。 藤城被告は事件後、自家用車で逃走。同市内の弟宅に立ち寄り、犯行を打ち明けた後、ガソリンで焼身自殺しようとして止められた。そして現場から南に約1km離れた国道バイパスの交差点で停止中、後から来たパトカーに気づいて車を急発進させ、高架の橋脚に衝突して炎上。両腕に重度のやけどを負って神戸市内の病院に入院していた。救出された際、警察官に犯行を示唆したため、県警は殺人容疑で逮捕状を取り、事情を聴いていた。 回復後の8月31日に逮捕された。 藤城被告は3年前から近所の人を包丁で追い回すトラブルを再三起こしていた。粗暴であったことから周囲より邪魔者のように扱われたため、20年以上も恨みを抱いていた。 | |
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2009年5月29日 神戸地裁 岡田信裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
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神戸地検は逮捕後の簡易精神鑑定で「刑事責任能力には問題ない」と判断し、起訴した。 2005年1月28日の初公判で、藤城被告は「その通りです」と起訴事実を認めた。弁護側は「被告は犯行当時、心神耗弱か心神喪失の状態だった」と責任能力を争う姿勢を示し、被告の精神鑑定を申請する方針を明らかにした。 検察側は冒頭陳述で「被告は幼少のころから自分たち家族が、おばから見下されていると感じ、反感を持つようになった」と指摘。「2000年夏、おば方の犬の鳴き声をめぐり抗議する際『見下した態度をとった場合には刺殺しよう』と思い、包丁を携帯した」などと殺害を決意した経緯を詳述した。 弁護側の申請により精神鑑定が実施された。2006年10月の公判で、刑事責任能力の有無に言及していないものの、藤城被告を「妄想性障害のため、善悪を判断して行動する能力が著しく侵されていた」とする精神鑑定書が証拠採用された。検察側は鑑定書の信用性を争って再鑑定を請求し認められた。2008年12月18日、東京地裁での期日外尋問では「被告は情緒不安定性人格障害に、不安性人格障害の特徴を持っているに過ぎない。限定された範囲で責任能力が認められても不当ではない精神状態だった」との内容だった。 2009年2月26日の論告求刑で検察側は「周囲から見下されていると憤まんを募らせ、殺害で一気に晴らそうとした。凶器を準備するなど計画的で残虐な犯行。まれに見る大量殺人事件だ」と述べた。商店となった責任能力については2度目の鑑定を基に「現実を離れてはいない」と指摘して、精神病ではなく完全責任能力が認められるとした。」と述べた。 4月9日の最終弁論で弁護側は「被告は周囲に攻撃されるかもしれないとの妄想が病的に発展した妄想性障害で、犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱だった」として無罪または減刑を求めた。 判決で岡田裁判長は、藤城被告が幼少期のころから、本家にあたるおばらから「分家」として見下されていたことや、親類男性一家とは、車の駐車方法をめぐって争いとなるなど、長年にわたって確執やトラブルがあったことを認定した。 責任能力について、弁護側は「妄想性障害」による心神喪失、耗弱状態で無罪や減刑を主張したが、岡田裁判長は過去のトラブルなどを挙げ「被告が殺意を抱いたことは、通常あり得ることで、現実と遠い考えではない。情緒不安定の人格障害はあったが、完全責任能力があった」として退けた。 また岡田裁判長は、藤城被告が犯行前から凶器を準備していたことや、7人を殺害後、古い自宅をマスコミに撮影されたくないとの理由で放火、その後自殺を図るという計画を実行したと指摘。「強固な殺意に基づく冷酷で残忍な犯行。7人もの生命を奪った責任は重大。藤城被告の家族が親せきから長年、嫌がらせやいじめを受けた事実などを考慮しても、結果の重大性などから見て被告人の罪責はあまりに重大。犯行後の自己を正当化する態度が見られ、極刑に処するしかない」と結論付けた。 2010年2月26日の控訴審初公判で弁護側は、事件当時は妄想性障害による「心神耗弱」で限定的な責任能力しかなかったと主張し、完全責任能力を認めた一審判決の破棄を求めた。弁護側は、限定責任能力だったとする精神鑑定書を証拠申請したが、古川裁判長は却下した。検察側は控訴棄却を求めて即日結審した。 裁判官が被告人質問を行い、事件を起こした理由や死刑に対する考えなどを尋ねたが、藤城被告は一審公判同様、すべての問いに「答えたくありません」と拒否した。 4月23日に判決が予定されていたが、4月19日付で大阪高裁(古川博裁判長)は判決期日を職権で取り消し、弁論再開を決定した。 8月9日の第2回公判で古川博裁判長は、検察側と弁護側双方が一審で提出した精神鑑定結果について、新たに鑑定人を採用し尋問を行うことを決めた。 | |
| 加古川署は藤城被告の行動やトラブルについて相談を受けていた。県警の前田瑞穂生活安全部長は2004年8月16日の県議会警察常任委員会で、「後難を恐れる相談者の協力が得られない中、パトロールを強化するなど的確に対応していた」と説明した。 |
| C・Y | |
| 18歳 | |
| 2010年2月10日 | |
| 殺人、殺人未遂、銃刀法違反、未成年者略取、傷害 | |
| 石巻3人殺傷事件 | |
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宮城県東松島市に住む解体工の少年(当時18)は同市に住む無職少年(当時17)を連れ2010年2月10日午前6時40分ごろ、宮城県石巻市の男性宅に合鍵を使って侵入。交際していた男性の次女(当時18)と話をさせるよう長女(当時20)に求めたが断られため、持っていた牛刀(刃渡り約18cm)で長女の腹部を刺して殺害した。さらに悲鳴を上げておびえる知人の女子高校生(当時18)の肩をつかんで立たせ、腹部を何回も突き刺して殺害。救急車を呼ぼうとした友人男性(当時20)も刺して大けがを負わせた。 さらに少年2人は、2階にいた次女を連れ出し、約6時間にわたり、知人から借りた乗用車2台を使い、石巻市や東松島市などを逃げ回った。2人は10日午後1時過ぎ、石巻市内の知人宅を出たところを拉致と監禁容疑で現行犯逮捕された。 また2月4日〜5日には当時同居していた次女の全身を鉄棒で殴るなどして重傷を負わせた。 凶器の牛刀と手袋は無職少年が解体工少年に指示され、石巻市内のホームセンターで万引きしたものだった。 少年と次女は2008年8月ごろから交際し、一時期同棲していた。しかし2〜3週間後から暴行が始まったため、次女は2009年2月以降、石巻署に相談。石巻署は少年に警告していた。次女は同時期、同署の紹介で、家庭内暴力(DV)の保護施設に入ったが、間もなく、同署に「(少年と)よりを戻した」と連絡した。2009年10月には女児が誕生。しかし暴力は続き、2010年1月以降、石巻署への相談が再び増加。女性は6日に実家へ戻ったが、9日夜にも少年が女性宅に入り込んで長女に警察を呼ばれて追い出されており、10日に診断書と傷害の被害届を出す予定だった。事件当時、家には男性、男性の母親、次女の娘(4ヶ月)が居たが無事だった。女子高生と知人男性は日頃から姉妹の相談を受けており、この日も相談にのるために居合わせていた。 少年は市内のアパートで30代の母親と同居したり家出したりを繰り返していた。2009年4月にはアパートの階段で母親に殴る蹴るの暴行を加え、肋骨を折るなど全治約4週間の重傷を負わせた。5月に逮捕され、6月に保護観察処分となり、事件当時も観察中だった。 共犯の少年は主犯の少年に普段から使い走りをさせられており、事件時も「やらないならお前も殺す」と脅されていた。事件時には殺害現場の部屋の入り口で美沙さんらの逃げ道をふさぐなどし、事件後には「お前が罪をかぶれ」と脅され、凶器の牛刀に指紋を付けさせられ、犯行後には返り血のついたダウンジャケットを着させられていた。 少年2人は3月4日、殺人、殺人未遂容疑などで再逮捕され、6日に送検された。26日、主犯の少年をは殺人他容疑で、共犯少年は殺人ほう助他容疑で仙台家裁に送致された。4月19日、仙台家裁は共犯少年を殺人ほう助、殺人未遂ほう助の非行事実で検察官送致(逆送)を決定した。21日、主犯少年を殺人他の非行事実で検察官送致を決定した。仙台地検は28日、共犯少年を殺人ほう助罪などで仙台地裁に起訴した。30日、主犯少年を殺人罪などで仙台地裁に起訴した。 | |
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2010年11月25日 仙台地裁 鈴木信行裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
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裁判員裁判。被告は事件当時18歳7ヶ月。公判前整理手続きで主な争点は(1)刑事処分ではなく、少年法に基づく保護処分が妥当か(2)殺意の程度(3)略取の故意の有無――に絞られた。 2010年11月15日の初公判で少年は罪状認否で殺人の計画性や略取など起訴事実の一部を否認したが、殺人などについては「間違いない」と述べ、大筋で認めた。 冒頭陳述で検察側は、3人殺傷の状況を「無抵抗の長女を深々と牛刀で刺した」などと詳述し「残忍で悪質」と非難。動機に関し「女性との仲を引き裂こうとしている姉を殺そうとした。強固な殺意があった」と指摘した。「被害者遺族の処罰感情がしゅん烈。犯罪性向が根深く、もはや更生の可能性はない」と述べた。 一方、弁護側は「女性と話したいと思って自宅を訪れた時に殺意はなかった」として、現場で突発的に殺意が生じたと反論。「深く反省し謝罪の気持ちを持っている」と述べ、保護処分が相当で家裁への移送を主張した。 19日の論告で検察側は「事前に準備した牛刀で、命ごいする被害者をメッタ刺しにするなど残虐で冷酷。共犯者に罪をかぶせようとした」などと指弾。「保護観察処分中に事件を起こしており更生は期待できない。遺族も極刑を求めている」とした。光市母子殺害事件の広島高裁での差し戻し控訴審で事件当時18歳1か月の少年に出された死刑判決を挙げ、「いずれも殺害されたのは2人だが、本件は殺人未遂の1人が加わる」などと量刑判断を説明した。 弁護側は、3人殺傷を認めたうえで「殺意は犯行直前に突発的に生じた。反省しており、少年は人格がこれから変わり、更生する可能性は十分ある」と述べ、「死刑は、人間の生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な究極の刑罰。少年法の理念とはかけ離れている」と極刑の回避を訴えた。そして少年院送致などの保護処分が相当と訴えた。 少年は最終陳述で「どんなに反省しても、悔やんでも、絶対に帰ってこない。遺族の傷跡は深く、僕のことをずっと恨んで、許せないと思っています」。数十秒の沈黙を挟み、少年は、「僕みたいな最低なことをしてしまう人が現れないように、今後のためにも、厳しく処罰してください」と頭を下げた。 判決理由で鈴木裁判長は「(最高裁が示した死刑適用基準の)永山基準に照らし、遺族感情に考慮した。事件当時18歳7ヶ月だったことは刑を決める上で相応の考慮は払うべきだが、死刑を回避する理由にならない」と断じた。また少年が否認していた未成年者略取罪などについても全面的に認定した。犯行態様について「無抵抗な被害者にためらいなく牛刀を何度も突き刺し、傷の深さは肺にまで達するなど、極めて執拗かつ残虐で冷酷さが際立っている」と指摘。交際相手の少女を手元に置きたかったとした動機も「身勝手」と非難。3人殺傷の結果も極めて重大とした上で、「被害者や遺族の処罰感情も厳しく、この点も量刑上考慮するのが相当だ」と述べた。別の事件で保護観察中だったことや元交際相手の少女に日常的に暴力を振るっていたことにも触れ、「犯罪傾向は根深く、他人の痛みや苦しみに対する共感性も全くない」と指弾。公判で語った反省の言葉について「自分の言葉で反省していない。事件の重大性を十分認識しておらず、反省に深みがあるとは言えない。更生可能性は著しく低い」と認定し、死刑が相当と結論づけた。 少年被告は当初控訴に消極的であったが、弁護団の説得に応じ控訴した。控訴審では弁護士15人からなる弁護団で元少年の弁護にあたった。 2011年11月1日の控訴審初公判で、弁護側は一審判決判決が3人の殺傷が計画的犯行としたことについて、「警察に通報されたと思いこみ、感情のコントロールを失って、強い情動に突き動かされて犯行に及んだ」と反論。量刑についても、「成長発達途上にある少年には、更生可能性があるものと推定されるべき」と述べ、「命を持って償わせるべき事件でないことは明らか」と訴えた。一方、検察側は「犯行後、共犯者らに被害者の身体のどの部分を何回刺したかについて説明するなど、感情のコントロールを失い、強い情動に動かされて犯行に及んだものではない」と指摘。「自己の行為を十分認識しつつ殺害行為を行った」と述べ、計画的な犯行と改めて主張。一審判決は「詳細に検討した上での結論であり、判断は適切」と支持した。 12月16日の第2回公判で、殺害された長女の司法解剖を担当した男性医師が証人として出廷し、腹部の傷について、「(傷の形は)複数回の牛刀の抜き差しでできるが、確定ではない」と述べた。その上で、「被害者の体が大きく動いた場合にも同様の形になり得る」などとし、「複数回の抜き差しがなかったとしても説明は可能」と指摘した。一審判決では「長女を牛刀で刺した状態のまま、2、3回前後に動かした」とし、犯行態様の残虐性の証拠としている。弁護側は控訴趣意書で「客観的証拠がない」と指摘、控訴審の争点の一つとなっている。 2012年2月9日の第3回公判では、弁護側の依頼で2011年4〜6月に被告を精神鑑定した医師が証人として出廷した。犯行について医師は、「犯行は突発的な感情の変化による爆発的行動である情動行為で、意識障害に陥った」と証言した。情動行為が起きた原因として、過去の被虐待歴や元交際相手との過剰な共依存関係などを挙げた。一審判決が「更生可能性は著しく低い」とした点についても、更生は可能との見方を示した。 | |
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裁判員裁判で2例目の死刑判決。少年被告では初めて。判決時少年である被告への死刑判決は1969年2月28日、東京地裁八王子支部で19歳11ヶ月(誕生日1日前)の少年に死刑判決が出て以来41年ぶり(二審で無期懲役に減刑)。 共犯の無職少年は2010年12月17日、仙台地裁で懲役3年以上6年以下の不定期刑判決(求刑懲役4年以上8年以下の不定期刑)。弁護側は「(元解体工少年の)命令に逆らうと、自分や家族が暴行を受ける危険があった」と、少年法による保護処分を求めていたが、川本清巌裁判長は「弁護人が指摘する点を最大限考慮しても、保護処分は社会的に許容されるものではない」と退けた。そして「(被害者の逃走を困難にするため、事件現場の)寝室の出入り口ドアを閉めるなどして元解体工少年の犯行を容易にした。だが、元解体工少年から服従関係を強いられていた」と述べた。検察・被告側控訴せず確定。 |
| 伊能和夫 | |
| 59歳 | |
| 2009年11月15日 | |
| 強盗殺人、住居侵入 | |
| 南青山マンション男性殺害事件 | |
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住所不定無職伊能和夫被告は2009年11月15日午後3時ごろ、東京都港区のマンションで金品を強奪するために飲食店経営の男性(当時74)方に侵入。部屋にいた男性の首を刃物で突き刺すなどして殺害した。 伊能被告は事件後に地下鉄で台東区内に移動し、同16日夜に上野公園前で酒に酔って暴れているのを上野署員に保護された。翌17日に上野署を出たが、同署前の掲示板に投石し、器物損壊容疑で現行犯逮捕された。その後、伊能被告の靴底に男性のものとみられる微量の血痕が付着しており、マンションの手すりには伊能被告の指紋があり、付近の防犯カメラに伊能被告と酷似した男が写っていたことから、伊能被告を強盗殺人容疑で2010年1月20日に再逮捕した。 伊能被告は2009年5月に出所し、埼玉県内の生活保護受給者用施設で寝泊まりしたり、建設現場で働いたりしていたが、事件当時は仕事をしていなかった。 | |
| 2011年3月15日 東京地裁 吉村典晃裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。伊能和夫被告は逮捕当初から黙秘している。 2011年2月24日の初公判で、伊能被告は罪状認否で、名前からすべてについて証言台の前で直立したまま無言を貫いた。このため、吉村裁判長が検察官に、「法廷にいる者と被告の同一性を明らかにしてください」と指示。検察官が、器物損壊容疑で逮捕された際に撮影した伊能被告の写真を提示し、「被告本人です」と述べた。 検察側は冒頭陳述で、伊能被告が事件当日に包丁を購入し、男性の自宅マンション前をうろついていたと主張。玄関と窓を開けたまま昼寝をしていた男性の部屋へ侵入し、包丁で首を刺して殺害した後、室内を物色して逃走したと述べた。そして現場から被告の指紋などが見つかった、被告の靴底に男性の血液が付着していた、マンション付近の防犯カメラに被告が写っていたことから「被告が犯人である」と主張した。 弁護側は「事件当日、現場には行っておらず、殺害もしていない」と無罪を主張した。 3日の被告人質問では弁護側が「質問はございません」と述べ、検察側質問に移った。伊能被告は裁判長の「椅子に座って」との呼びかけに無言で応じたが、検察官が「声が聞こえているか」「質問されていると分かるか」と呼びかけても、目をつぶり下を向いて黙り続けた。 4日の論告で検察側は、現場室内から被告の掌紋が見つかったことや、被告の靴底に付着していた血液が男性のDNA型と一致したこと、犯行時刻前後に近隣の防犯カメラで撮影された被告とみられる男の映像などから「間接証拠を総合すると被告が犯人なのは明らか」と指摘。その上で「身勝手極まりない動機から何ら落ち度のない男性を殺害した。犯罪傾向は極めて深刻で改悛の情はみじんもなく、死刑選択はやむを得ない」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は、「被害者宅は玄関が無施錠だった。被告は被害者が何者かに殺害された後に空き巣目的で入った可能性がある」などと反論。「黙秘は憲法で保障された権利で、不利に考慮してはならない」と述べた。 判決で吉村裁判長は、現場から被告の掌紋が検出され、被告の靴底に被害者の血痕が付着していたことなどから「状況証拠を総合すると被告が犯人と認められる」と有罪を認定した。そして「出所して半年で冷酷非情な犯行に及んだ。自分の利益だけを考え、人の命という最も重要な価値を軽く見た冷酷非情な犯行。2人殺害の前科は特に重視すべきで、生命をもって罪を償わせるほかない」と述べた。 | |
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伊能和夫被告は1988年11月5日正午ごろ、妻(当時36)が浮気をしていると疑って詰問、口論となり、カッとなって台所にあった包丁(刃渡り23.5cm)で刺殺した。その後、妻を殺したことで将来を悲観、子供と心中しようと同日午後8時ごろ、長男(当時8)と二女(当時3)の口に都市ガスのゴムホースを押しつけるなどした上、室内に灯油をまいて放火。二女を焼死させ、自分は自宅ベランダから約15m下の芝生に飛び降り1か月の重傷を負った。長男はベランダから近くの人に助けられ無事だった。 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火などの罪で起訴。1989年11月30日、千葉地裁で懲役20年(求刑同)の判決が言い渡された。控訴せず、そのまま確定したと思われる。 |
| 加藤智大 | |
| 25歳 | |
| 2008年6月8日 | |
| 殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、公務執行妨害 | |
| 秋葉原無差別殺傷事件 | |
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本籍青森県の派遣社員加藤智大被告は、2007年11月から東京の派遣会社に登録。静岡県裾野市にある自動車メーカーの工場で働いていた。契約期間は2008年3月31日までだったが、1年間更新された。しかしその工場では6月末で派遣社員を200人から50人に減らす計画があった。加藤被告は対象ではないことを派遣会社から知らされていたが、いつ契約を打ち切られるか悩んでいた。 2008年6月5日、加藤被告は始業直前の午前6時頃、作業着のつなぎがロッカーにないと騒ぎ、ハンガーを大量にまき散らして大声で叫んだ後、無断で退社。その後作業服は見つかり、工場側は連絡を入れたが、加藤被告はそのまま欠勤。続けて6日も欠勤した。 6日、加藤被告は福井市にある刃物の量販店でダガーナイフやサバイバルナイフなど刃物6本と3段式の鉄製特殊警棒1本を購入した。 7日、加藤被告は午前8時頃に裾野市を出発。在来線と新幹線を乗り継いで、午前10時頃、東京都千代田区の秋葉原へ到着。質店などでゲームソフトを売却し、午後1時半過ぎに帰宅した。 この間の行動や心理状況について加藤被告は、携帯電話サイトの掲示板に書き込みをしていた。 加藤智弘被告は6月8日午前7時頃、静岡県裾野市の自宅を出発。引越に使うと偽って、沼津駅前のレンタカー店で2tトラックを借りた。その後東名高速道路と国道を通り、午前11時45分頃、秋葉原駅付近に到着した。 加藤被告は、携帯電話サイトの別の掲示板にて、犯行予告や、自宅から秋葉原に向かう様子を、午前5時21分から午後0時10分まで刻々と「実況中継」した。 加藤智大被告は歩行者天国が始まった後の6月8日午後0時33分頃、2tトラックで赤信号を無視し、ジグザグ運転を続けながら猛スピードで交差点に突入。横断していた5人をはねた。そのうち、男子大学生(当時19)、男子大学生(当時19)、無職男性(当時74)が全身打撲や頭部骨折により死亡した。 加藤被告は約70m離れた路上でトラックを止めると、ダガーナイフ(刃渡り約13cm)とペティナイフ(刃渡り約11cm)を手に運転席を飛び出し、すぐ近くにいた男性をダガーナイフで刺した。その後交差点を走って戻りながら(この途中、ペティナイフを落としている)、携帯電話で110番していた女子大学生(当時21)を刺し、続いて無職男性(当時47)を刺して、ともに失血死させた。 交差点東側では、歩行者天国で交通整理をしていた万世橋署の警部補(当時53)らや通りがかりの医者などが、はねられた5人の救助にあたっていた。加藤被告はその背後から警部補ら男性2人と女性1人をダガーナイフで一刺しし、重傷を負わせた。またはねられて死亡していた男子大学生も刺している。さらに交差点を左回りに走りながら男性2人と調理師の男性(当時33)、会社員の男性(当時31)を刺した。調理師の男性と会社員の男性は失血死により死亡した。その後、交差点のすぐ南側に移動して、男性と女性(当時24)を刺した。 事故の衝撃音で万世橋署の交番を飛び出した男性巡査部長(当時41)が慌てて駆け出し、加藤被告を追跡。加藤被告は巡査部長の左胸2箇所、左脇腹1箇所をダガーナイフで刺すなど激しく抵抗したが、警棒で対峙した巡査部長によって路地に追い詰められた。さらに巡査部長が拳銃を向けたため、加藤被告はようやくナイフを捨てた。加藤被告は巡査部長や、後から駆けつけた万世橋署員、たまたま居合わせた蔵前署員に取り押さえられ、殺人未遂の現行犯で午後0時35分に逮捕された。巡査部長は金属製の板などが入った「耐刃防護衣」を着ていたため、怪我はなかった。 加藤被告はダガーナイフ、落としたペティナイフの他に、内ポケットに折りたたみ式の小型ナイフ(刃渡り約9cm)を持っていた。またトラックに置かれていたショルダーバッグにはサバイバルナイフ(刃渡り約12cm)、ペティナイフ(刃渡り約10cm)、特殊警棒1本が入っていた。 加藤被告は取り調べに対し、生き甲斐を見いだせず、周囲からの孤立感を募らせていた。唯一の捌け口だった携帯電話サイトの掲示板への書き込みを無視されたことで不満を爆発させ、実行に及んだと供述している。また宮城県のアーケードでの暴走を参考にトラックを使用した、ナイフは茨城県土浦市の無差別殺傷事件を意識したと語っている。 加藤被告は事件当日、重傷の女性(当時24)1人に対する殺人未遂容疑で現行犯逮捕、10日に送検された。6月20日、7人を殺害した殺人容疑で再逮捕。9月30日、9人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑で追送検された。10月9日、男性巡査部長をダガーナイフで斬りつけたとして、殺人未遂と公務執行妨害容疑で追送検された。 東京地検は2008年10月10日、加藤被告を起訴した。約3ヶ月間実施した精神鑑定結果から、総合失調症などの精神疾患や人格障害はなかったと判断。ナイフ購入やトラック予約など準備が計画的であること、事件前後の状況説明に矛盾がないことから、心神喪失や心神耗弱でなかったと結論づけた。 加藤被告は初公判前、取り押さえる際に負傷した警察官を含む計18人の被害者や遺族らに謝罪の手紙を送った。1人が受け取りを拒否。また一部の被害者とは直接やり取りしない取り決めとなっており、検察に手紙が託された。 | |
| 2011年3月24日 東京地裁 村山浩昭裁判長 死刑判決 | |
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公判前整理手続きにより、争点は(1)事件当時の完全責任能力の有無(2)殺人未遂罪のうち、ナイフで刺した被害者1人に対する殺意の有無(3)警察官1人に対する公務執行妨害罪成立の可否−の3点に絞られた。検察側は事件を思い出さなければならない被害者の心理的負担を考え、供述調書の採用を求めた。だが、弁護側はほとんどについて採用に不同意としたため、負傷した10人のうち9人を含む計42人が法廷で証言せざるを得なくなった。ある男性被害者は事件後に外出できなくなって出廷もできず、検察側が調書の一部を撤回した。弁護側には被害者らの尋問で事実関係を直接確認する狙いがあるように見えたが、実際の尋問は数分で終わることが多く「弁護人の意図が分からない」と困惑する検察幹部もいた。 2010年1月28日の初公判で、加藤被告は「まずはこの場を借りておわびさせてください。亡くなられた方、けがをされた方、ご遺族には大変申し訳ありません」と謝罪した。そして「起訴状については記憶がない部分もあるが、私が犯人であること、事件を起こしたことは間違いありません」と起訴内容を認め「取り返しがつかないことをした。私にできるせめてもの償いはどうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と述べた。 検察側は冒頭陳述で動機について「唯一の居場所だった携帯電話サイトの掲示板が荒らされて書き込みがほとんどなくなり、自分の悩みや苦しみが無視されたと怒りを深めた。派遣先工場からも必要とされていないと思い、自分の存在を認めさせ復讐したいと考えた」と指摘した。 責任能力に関しては、捜査段階の精神鑑定で何らの精神障害も認められなかったことに加え、違法性の認識があったなどとして、完全責任能力が認められると主張した。 弁護側は冒頭陳述で、「完全責任能力があったことには疑いがある」と主張。「加藤被告は極悪非道な人生を送ってきたわけではない。どのように育ち、どのような考え方を持ったのか。彼にとって携帯サイトの掲示板が何だったのか。この2点に着目したい」と訴えた。またナイフで負傷させたとされる被害者のうち1人に対する殺意を否認。取り押さえようとした警察官を刺したとされる起訴内容についても公務執行妨害罪の成立を争う姿勢を示した。 6月3日の第12回公判で検察側の立証がほぼ終了。計34人が出廷した。一部の証人は弁護側の手法を批判した。 7月27日の第16回公判における被告人質問で加藤被告は、事件を起こした原因としてインターネット上の掲示板への嫌がらせ、言いたいことや伝えたいことを言葉ではなく行動で示して相手に分かってもらおうとする自分の考え方や、掲示板に依存していた生活のあり方を挙げた。また、そうした考え方になった理由を「小さいころの母の育て方が影響していると思う」と分析した。29日の第17回公判でも加藤被告はインターネットの掲示板を荒らされ「事件を起こさないと居場所がなくなる。やるしかないと思った」などと詳述。一方で事件前に「派遣切り」を宣告された点は「事件と関係ない。派遣先にも恨みはない」と述べ、検察側の主張を否定した。 8月4日の第20回公判で村山浩昭裁判長は、加藤被告が犯行動機などについて述べた捜査段階の供述調書を証拠として採用することを決めた。 9月14日の第21回公判では、捜査段階で検察側の依頼を受けて精神鑑定した医師が出廷した。鑑定医は加藤被告が「事件前後の記憶が一部途切れている」と述べたことについて「数分間の無我夢中の犯行で自然なこと。精神障害には当たらない」と証言した。 10月5日の第22回公判で、村山浩昭裁判長は弁護側が請求した再度の精神鑑定について「必要性がない」と却下した。 2011年1月25日の第28回公判で検察側は、「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。命をもって罪を償わせることが正義だ」と死刑を求刑した。 2月9日の第29回公判で弁護側は最終弁論で「再鑑定が却下され、責任能力の有無は解明されていない。仮に責任能力が認められても死刑を科すべきではない」と主張。▽携帯サイトの掲示板の嫌がらせを原因とする記憶の欠落や身体的変調があり、精神疾患をうかがわせる▽母親の虐待で人格の偏りが生じ、掲示板に依存した。現在は後悔しており、更生可能性がある――といった点を考慮すべきだと述べ、「責任の重大さを終生考え、苦しみ抜かせることがふさわしい」と死刑回避を求めた。加藤被告は最終陳述で「今は事件を起こすべきでなかったと後悔、反省している。ご遺族と被害者の方に申し訳なく思っています」と短く述べて謝罪し、結審した。 判決で村山裁判長は犯行動機について「公判で述べた『携帯電話の掲示板サイトでの嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった』との事情が主要なもの」と認定。背景に周囲への不満や、家族や友人、仕事を失った孤独感もあったが、「結果の大きさとの間に飛躍がある」と述べた。ただしその動機について、「個人的な事情で、これを理由に第三者に危害を加えることは許されない」と非難。弁護側が「犯行時は心神耗弱か心神喪失状態だった」とした主張も退けた。そのうえで「冷酷、執拗な犯行で動機は身勝手極まりない。危険な性格・行動の傾向は根深い。7人の尊い人命が奪われた結果は悲惨。通行人らをはね飛ばし、躊躇することなく目についた人をダガーナイフで刺すなど、人間性が感じられない」と指摘。「母親の不適切な養育による人格のゆがみが犯行の遠因。反省の姿勢を考慮すると、更生可能性が全くないとまでは言えないが、刑を大きく左右する事情とはいえない」と結論づけた。そして「白昼の大都会で起きた事件で日本全体が震撼した。一面識もない、無防備な通行人を次々に殺傷した刑事責任は最大級に重いことは明らか」と述べた。 | |
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事件を受けて秋葉原の歩行者天国は中止となったが、2011年1月23日に再開された。 東京地検は事件発生直後に、捜査から公判段階まで一貫して被害者を支援する担当検事1人を指名。遺族らを訪問し、捜査の進展状況を伝えたり、要望を聞いたり、鑑定結果の概要や刑事処分の方針、さらに起訴した事実を随時説明した。また東京地検は、2008年10月10日の加藤智弘容疑者起訴の発表会見に、事件を直接担当した特別公判部の主任検事を同席させた。裁判員制度導入を睨んだ初の試み。通常は決裁責任者が会見する。 総務省はこの事件を受け、携帯電話やパソコンの掲示板に書き込まれた殺人予告などを自動的に検知し、110番する技術開発に乗り出した。2011年度までの完成と早期の実用化を目指している。また新技術は無料開放する方針としている。 この事件を受け、銃砲刀剣類所持等取締法は、凶器となったダガーナイフなど、刃渡り5.5cm以上15cm未満の剣(他にブーツナイフ、ダイバーズナイフなど)についても新たに所持を禁じるよう改正され、2009年1月5日より施行された。また従来からの所持者は経過措置として、7月4日までに処分するよう義務づけられた。不法所持には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。 また銃刀法改正前でも、18歳未満への青少年に対する販売禁止などの条例改正が各地で相次いだ。 この事件以降、インターネット上の「犯行予告」が急増。ネット上の違法・有害情報の通報受付窓口、インターネット・ホットラインセンターによると、2006年6月〜2008年5月まで毎月7〜47件の殺害・爆破予告の情報が寄せられていたが、事件が発生した2008年6月には328件、7月には130件を数えた。ただし、2008年8月以降は2桁台前半で推移している。また警察庁によると、威力業務妨害や軽犯罪法違反などで検挙・補導した件数は2008年6月に書き込まれたものが45件、7月が16件、8月が8件を数えた。大半が10〜30代で、中には9歳や11歳の小学生が含まれていた。以後は件数が激減している。 加藤被告を取り押さえた荻野尚巡査部長は2010年6月30日、第80回「都民の警察官」(産経新聞社ほか主催)の5人に選ばれた。 |
| 桑田一也 | |
| 43歳 | |
| 2005年10月26日/2010年2月23日 | |
| 強盗殺人、殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗、有印私文書偽造・同行使 | |
| 交際女性・妻殺人事件 | |
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静岡県清水町のリフォーム業桑田一也被告は2005年10月26日、飲食店で働く不倫相手の女性(当時22)から借金約990万円を返済するように迫られたため、沼津市内の当時の自宅寝室で馬乗りになって首を絞めて殺害。翌日、御殿場市のATMで女性名義のキャッシュカードから現金355万2000円を引き出した。さらに女性の委任状を偽造して、11月7日頃、20006年2月1日頃には女性の口座からそれぞれ1003万7009円、1000万22円をだまし取った。遺体はシートにくるんで台所に放置し、1月ごろ、ドラム缶に遺体を入れ、友人が所有する市内の空き地に遺棄した。 女性の母親は2006年4月頃に連絡が途絶えたことから同年8月に捜索願を出していたが、手掛かりは全くつかめなかった。 桑田被告は2010年2月23日、清水町の自宅アパートで妻(当時25)の首を絞めて殺害した。3月2日、妻の遺体を、御殿場市にあり前妻が住む自宅の物置に遺棄した。御殿場市の自宅には桑田被告の前妻と子供が住んでいた。3月上旬に桑田被告は妻との離婚届けを提出、19日には妻の母親らと一緒に町役場で妻と子供(妻の連れ子)の転生届を提出した。 妻の行方が知れなかったことから、妻の母親が3月26日に家出人捜索願を提出。桑田被告は4月12日、別の詐欺容疑(備考参照)で逮捕された。御殿場市の家が競売で落札されたことから、前妻らが4月に転居。5月5日、物置を清掃していた作業員が妻の遺体を発見し、桑田被告は5月8日に死体遺棄容疑で逮捕された。その後29日に殺人容疑で再逮捕され起訴された。 報道で桑田被告のことを知った女性の母親は、娘が交際していたことを県警に相談したことから桑田被告を捜査。8月12日、沼津市の空き地で、ドラム缶に入った女性の遺体が見つかり、翌日に殺人容疑で再逮捕。強盗殺人容疑他で起訴された。死体遺棄については時効が成立している。 | |
| 2011年6月21日 静岡地裁沼津支部 片山隆夫裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。起訴内容に争いはなく、強盗殺人事件の犯行意図などの情状面が争点となった。 2011年6月13日の初公判で、桑田一也被告は起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で、沼津市内のアパートで同居していた交際相手の女性から、勝手に引き出した現金990万円の返済を迫られた桑田被告が、「女性を殺せば警察に行くこともなく、返済も迫られない」と考え犯行に及んだと指摘女性の母親から送られてくるメールに返事を送るなどして生きているように装ったと悪質性を主張した。一方弁護側は、殺人の動機について、「(女性を)警察に行かせたくない」と強く思ったと説明。その後に得た金も「殺して手にしようと思っていたわけではない」と主張した。 14日の公判で検察側は、桑田被告が妻と生活費などをめぐって口論になり、妻が御殿場市に住む桑田被告の元妻に金を出してもらうと言い出したことから、桑田被告が別れ話を切り出したと指摘。「桑田被告は『妻がいなければ、元妻宅の家族を傷つけなくて済む』と考えた」と主張した。弁護側は、桑田被告が妻と結婚し、求めに応じて連れ子と養子縁組したが、桑田被告が要求に応じないと、妻が桑田被告の元妻宅に無言電話をかけるなどの嫌がらせをしたため、追いつめられた末の犯行だったと主張した。 15日の論告で検察側は、桑田被告が交際相手の女性の貯金約990万円を勝手に引き出した上、返済を免れようと殺害し、さらに女性の口座から約2360万円をだまし取ったと指摘。「被害者に多額の貯金があることを知った翌日に犯行に及ぶなど、動機は非人間的で身勝手。犯行は強固な殺意に基づき、冷酷かつ残虐だ。遺族も極刑を望んでいる」と述べた。弁護側は最終弁論で、桑田被告が借金を返さなかったため、女性に「警察に行って話す」と言われたことが動機だったとするなど、計画性を否定した。そして「いずれの殺害も家族を思いやり、追いつめられ犯行に及んだ。犯行に計画性がなく、殺害方法はことさら悪質ではない。生涯をかけて罪を償い、反省させるべきだ」と主張し、無期懲役にするよう求めた。 桑田被告は最終意見陳述で「どういう処罰で償ったことになるのか分からないが、死ぬことでそれがかなうなら、それが自分にふさわしいと思う」と述べ、傍聴席の遺族に向かい「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。 判決で片山裁判長は、弁護側が殺害動機について桑田被告が「御殿場に住む(元妻ら)家族を守るため」と主張したことについて、「いずれにしても身勝手極まりなく、経緯、動機に酌量の余地はない」と切り捨てた。桑田被告が殺害後に貯金を奪い取っていることや、生きているように偽装したメールを家族に送っていたことなどについて「良心の呵責は伺えず、生命軽視の態度には根深いものがある」とした。また「計画性は認められないが、馬乗りになって一定の時間にわたり首を絞める態様であることなどに照らすと、突発的であることを強調するのは相当ではない。被告の刑事責任に鑑(かんが)みると格別有利な事情とは言い難い」とした。そのうえで、最高裁が示した死刑選択基準(永山基準)に照らし、〈1〉殺害態様が残虐〈2〉犯行の罪質、結果が重大〈3〉動機が身勝手〈4〉殺害後の情状が非人道的〈5〉遺族の処罰感情がしゅん烈――などとし、「被告人に有利な一切の事情を考慮しても、量刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑をもって望むほかない」と断罪、「被告人を死刑に処する」と述べた。 弁護人が即日控訴した。 2012年3月13日の控訴審初公判で、弁護側は事実誤認などを理由に死刑回避を求める控訴趣意書を提出した。検察側は答弁書で控訴棄却を求めた。弁護側が減刑を主張する証拠として、一審で採用されなかった被告の供述調書の一部、判決後に遺族に宛てた手紙などが採用された。 4月24日の第2回公判で、桑田被告は交際中だった女性の殺害について、「借金の返済を免れることが殺害理由ではない」と述べた。検察側から一審で強盗殺人の成立を認めていた点を指摘されると、「調書は警察から促されて作成された。一審判決前の妻と子どもとの面会をきっかけに、控訴審では真実を話そうと思った」と答えた。弁護側の被告の生い立ちや心理状態を調べる情状鑑定の請求は却下された。 | |
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当初2011年3月14日に地裁初公判が決定していたが、11日に発生した東日本大震災に伴う計画停電の影響で延期された。 桑田一也被告はほかに別の男と共謀して2010年3月5日、東京地検の職員を語り、沼津市内に住む女性(当時67)から保険料の名目で現金91万8000円をだまし取った。他にもう1名の男性と共謀し、女性から新たに500万円を引き出そうとしたが、女性が親族に相談するなどしたため、未遂に終わった。2010年9月21日、静岡地裁沼津支部で懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の判決。岡田龍太郎裁判官は「被告はこれまで被害者から繰り返し高額の借り入れをするなど多大の援助を受けてきたのに、信用を悪用した」と指摘したが、「被害額を超える額が被害者に支払われている」として執行猶予を付けた。共犯男性も9月7日に同じ判決を受けている。 |
| 竪山辰美 | |
| 48歳 | |
| 2009年10月20日〜10月23日他 | |
| 住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊 | |
| 松戸マンション大学生殺害放火事件 | |
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住所不定、無職竪山辰美被告は2009年10月20日夜から21日の間、千葉県松戸市に住む大学4年の女性(当時21)宅に窓を割って侵入。21日午前10時15分過ぎ、帰宅した女性(当時21)に包丁(刃渡り約17.6cm)を押しつけ、両手首をストッキングで縛り、現金約5,000円、キャッシュカード2枚、クレジットカード2枚等を奪って暗証番号を聞き出すとともに、午後1時頃、女性の胸を包丁で突き刺して殺害した。10月21日午後1時30分頃、松戸駅のATMにて現金20,000円を搾取。その後も駅やコンビニのATMで現金を引き出そうとしたが、暗証番号が一致しなかったり、残高不足だったりしたため、断念した。さらに22日、女性方にベランダの無施錠窓から侵入。犯行を隠すため、死体付近の衣類にライターで火を放ち、同室内の床、壁など約24m2を焼損、同時に死体を焼損した。同日午後8時20分ごろ、女性の知人がマンションを訪れて火災に気づいて110番通報し、事件が発覚した。 竪山辰美被告は他に以下の事件で起訴されている。
竪山被告は2009年9月に約46万円を持って北海道の刑務所を出所し、あてもなく上京。キャバクラなどで15万円を使ってしまい、金が亡くならないうちにと佐倉市で留守宅を見つけ空き巣を働いた。以後、窃盗事件等を繰り返していた。 | |
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2011年6月30日 千葉地裁 波床昌則裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
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裁判員裁判。公判前整理手続きで、主な争点は殺意の有無に絞り込まれた。強盗殺人事件以外の起訴事実についても一括で審理された。 2011年6月8日の初公判で、竪山辰美被告は殺人事件以外についてほとんど「間違いありません」と答えたが、女性に対する強盗殺人の部分では「ほぼ間違いありませんが、殺すつもりはなかった」と殺意を否認。波床裁判長の「殺意はなかったということですか」という問いかけに、「はい」としっかりとした口調で答えた。 検察側は冒頭陳述で、モニターを使って、女性の首と左胸の5か所あった傷を詳細に説明した。特に左胸の刺し傷の一つは深さ11cmにも及んでいることから、強い殺意の根拠とした。また、「刺した後に介抱や救急車を呼ぶなどの救命活動を何ら取っていないどころか、部屋を物色して立ち去り、金銭目的の犯行を貫徹している」と指摘した。 弁護側は、竪山被告が女性の部屋を物色後、疲れて仮眠していたところ、女性が帰宅したために室内の包丁で脅したと説明した。「女性は冷静で、被告と話しているうちに、缶ビールを持ってきて被告に渡した。油断した被告が包丁を床に置いたため奪い合いになり、弾みで胸に刺さった」と主張した。竪山被告は幼少期に父親からの虐待を受けて家出や非行を繰り返していたといい、こうした経歴から「知的障害、発達障害の疑いがあることも、被告の行動の背景にある事情だ」などと述べ、「検察側は死刑を求刑する可能性がある。裁判員は被告のすべてを漏らさずに見てもらいたい」と訴えかけた。 9日の公判で竪山被告は、弁護側の「女性への気持ちは」と尋ねたのに対し「愚かな行為で尊い命をなくしてしまった。償えないのはわかっているが、命に代えても償いたい」と答えた。また、遺族への思いを聞かれ、「おわびしても許されることではない」と語った。マンション2階の女性の部屋に窓ガラスを割って侵入した状況について「以前からマンションを知っており、ごみステーションに上ると、侵入しやすいと思っていた。(部屋の)電気が消えていて(空き巣の)チャンスだと思った」と話した。 10日の公判では女性殺害後に起こした強盗傷害事件など三つの事件について審理。証拠調べでは、竪山被告が被害者に「前に人を殺している」などと言って脅していたことが明らかとなった。これについて竪山被告は「(女性の)事件以降、『捕まったらどうせ死刑になるから、もうどうでもいい』という気持ちになっていた」と証言し、奪った金でキャバクラに行っていたことも明らかとなった。 13日の公判で竪山被告は改めて殺意を否認。「最初は奪われた包丁を取り返そうともみ合いになり(胸に)刺さった」と述べ、さらに「包丁を抜くと女性が腕にしがみついて自分がバランスを崩し、女性に覆いかぶさるように倒れて包丁が刺さった」と説明した。首の傷やもう1カ所の胸の傷については「知らない」と証言した。もみ合いになった理由については「缶ビールを飲みながら話をしていたら、急に女性が怒りだした」などと語った。竪山被告は20日の公判でも同様の主張を繰り返した。 14日の公判では司法解剖した医師が出廷し、致命傷となった傷が相当強い力とスピードをもって刺されていたことを証言した。 22日の論告で検察側は「仮に松戸事件がなかったら無期懲役を求刑していたでしょう」と語り、竪山被告が刑務所を出所後、わずか2カ月の間に、松戸事件以外にも強盗傷害や強盗強姦事件などを連続して起こし、8人の男女が被害に遭っていることを重視。求刑を読み上げる前に、仮定の求刑を例示する論告を行った。松戸事件については司法解剖を担当した医師の証言を挙げ、「弾みで傷が急所に集中するとは考えにくく、体内での傷の方向から判断しても刺す側が一気に突き刺したとするのが自然」と主張。殺害後に女性宅に戻って放火したことについても、「証拠隠滅が目的。非人間的で凶悪極まりない」と非難した。そして同様の犯行を繰り返す根深い犯罪傾向や、不自然な供述などから「もはや矯正は期待できない」と指摘するとともに、死刑判断の際に参考とされる永山基準にも触れた上で、「生命の尊さは(死者が)1人であろうが複数人であろうが変わりない。殺害された被害者が1人でも死刑確定の事件はある。命をもって罪を償う以外に選択肢はない」と極刑の適用を求めた。 被害者参加人の代理人弁護士は「更生の余地はなく、懲役刑を科すこと自体が無意味」と語気を強め、女性の父親は「死刑以上の刑をお願いします」と一言に思いを込めた。母親も「被告は法廷で作り話をして、娘の尊厳を傷つけ侮辱した」と涙ぐんで話し、死刑判決を求めた。また強盗傷害や強姦などの被害に遭った女性4人が初めて出廷し、量刑について直接意見を述べた。 一方の弁護側は「金を奪いキャッシュカードの暗証番号も聞き出している。殺害する動機は見いだすことができない」と殺意がなかったことを強調。犯行に計画性がないことや死者が1人であること、竪山被告の成育歴などを挙げ「松戸事件とその他の事件を足し合わせても死刑のラインには達しない」と反論。裁判員に対しては「死刑を選択するのであれば、全員の意見が一致するまで話し合ってほしい」と訴えた。また、更生の可能性についても言及し、「人間性を取り戻しつつある。死刑を適用すべき残虐性はなく、一生かけて罪を償うのがよい」と述べた。 終始、無表情で聞いていた竪山被告は、最終陳述になると声を震わせ「法廷で私が述べたことは信じられないと思うが、自分の記憶にある本当のことを述べた。私の死で被害者が多少なりとも気持ちに区切りがつけられるなら、死刑という極刑を望みおわびしたい。自分の罪を考えれば死刑も当然」と述べた。 判決で波床裁判長は、動機や経緯は判然としないとしながら、女性の将来を奪った結果は重大と指摘。「包丁の刃が折れるほどの力で刺し、遺体もろとも犯跡を隠すため女性宅に火を放っており、冷酷非情だ」と批判した。また女性殺害の悪質性や結果の重大さに加え、刑務所を出所してから3か月足らずの竪山被告が強盗傷害などの事件を短期間に繰り返していた点を重視し、「被害者が死亡してもおかしくないほどの傷害や深刻な性的被害を与えた。被告の反社会的な傾向性は顕著で根深い」と断じた。焦点となっていた殺意については、傷口に乱れがないことから「もみ合いの中で生じた傷とは考えにくい」とし、傷の状況から殺意を持って強い力で刺したと認定した。また被告の成育歴については「竪山被告の48歳という犯行時年齢を考えると、生育環境を重視する段階にはない」と断じた。そして「被告は公判供述を変遷させており、責任回避の言動も見られ、真に反省を深めているとみることはできない」と指弾。「殺害が1人で計画性がないことを考慮しても、極刑を回避すべき決定的事情とまではならない。「刑事責任は誠に重く、更生可能性は乏しい」との判断を示した。 7月6日、竪山辰美被告は控訴した。また7月7日、弁護団が一審判決を不服として控訴した。弁護団は「竪山被告は量刑自体に不服はないが、殺意に関する事実認定に不服があり、控訴する運びになった」と文書でコメントした。 | |
| 竪山辰美被告は1984年に起こした強盗強姦事件で懲役7年の判決を受け服役し、1992年に出所。結婚して働いていたが、2002年4月に神奈川県内のアパートに侵入して、20歳代女性を殴って現金60,000円とキャッシュカードなどを奪う強盗致傷事件を起こして懲役7年の判決を受けた。 |
| 高見素直 | |
| 41歳 | |
| 2009年8月2日 | |
| 現住建造物等放火、殺人、殺人未遂 | |
| 大阪パチンコ店放火殺人事件 | |
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大阪市此花区の無職高見素直(すなお)被告は、2009年7月5日16時頃、自宅から徒歩5分のところにあるパチンコ店で、バケツに入れたガソリンをまいてマッチで火を放った。派遣店員で専門学校生の女性(当時20)、客の男性(当時69)、女性(当時72)、女性(当時62)が焼死。また客の男性(当時50)が、広範囲のやけどで感染症を引き起こしたことによる多臓器不全で8月7日に死亡した。また客10人に重軽傷を負わせた。 高見被告は夜になって自宅から岡山へ移動。翌日に岩国市へ移動し、12時40分、山口県警岩国署へ出頭。20時50分、大阪府警が逮捕した。 高見被告は高校卒業後、10以上の職を転々。2009年4月に退社後はブラブラしており、事件当時約200万円の借金があった。 大阪地検は7月24日、高見素直被告について、正式な精神鑑定を実施するための鑑定留置を大阪地裁に請求し、認められた。10月26日までの3カ月間の精神鑑定で、「統合失調症」と診断されたが、地検は刑事責任能力があると判断し、12月3日に起訴した。 | |
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2011年10月31日 大阪地裁 和田真裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
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裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、高見被告の責任能力の程度と、死刑制度の違憲性が争点となった。公判前整理手続きで、弁護側の求めにより地裁が再鑑定を実施。検察・弁護側の推薦で選んだ医師2人が再鑑定した。 2011年9月6日の初公判で、高見被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。 検察側は冒頭陳述で、仕事が見つからず生活苦に陥った高見被告が「だれでもいいから殺して、むしゃくしゃを晴らしたいと考えた」と指摘。簡単に多数の人を殺害できるとの理由でパチンコ店を狙ったとした。争点については、犯行後に逃走したこや公判前の精神鑑定などを踏まえ「違法性の認識はあり、刑事責任能力は完全」と主張。「死刑はこれまでの判例で合憲とされている」と述べた。 弁護側は冒頭陳述で、高見被告が覚醒剤使用による精神障害で「マーク」という集団や「みひ」という女性に嫌がらせを受けている妄想にとらわれ、「見て見ぬふりをする世間に攻撃しようとした」と動機を説明。「善悪の判断能力が著しく損なわれていた」と主張した。 高見被告の妄想については、9月22日の第6回公判における被告人質問で、30歳ごろから妄想上の女性の声が聞こえ始め、女性の指示に従わないと嫌がらせを受けるようになった、と主張している。 9月23日の第7回公判における被害者参加人による直接質問で、高見被告は「当然死刑でいいと思う」と述べ、謝罪を求めた遺族に「今さら謝る気もない」と述べた。 精神鑑定の結果については10月4〜6日の第8〜10回公判で証人出廷。起訴前に鑑定した医師は「統合失調症による妄想により、善悪の判断能力などはかなり失われていた」とし、心神耗弱だったとする弁護側の主張に沿う意見を述べた。一方、公判前に鑑定した裁判所選任の医師2人は「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で及んだ」と述べ、完全責任能力があったとする検察側の主張に沿う見解を示した。このうち1人は「困窮などで心理的な負荷がかかり、自らの性格により実行を決めた」と指摘した。 10月11日〜12日の第11〜12回公判は、死刑制度が憲法違反か否かをめぐる審理が開かれた。裁判員法は憲法などの法令解釈をめぐる審理は裁判官のみで行うと定めており、この公判については和田裁判長は「裁判員の意見も参考にしたい」として、希望する裁判員の参加を許可する自由参加となっていたが、11日は午前6人・午後5人が、12日は午前5人・午後4人が出席した。 11日の審理ではまず弁護側が冒頭陳述で、日本の落下式の絞首刑は頭部が切断されるなど、法が予定しない死に方になる可能性があると指摘。残虐な刑罰を禁じた憲法36条に違反すると主張した。その後、オーストリア・インスブルック医大法医学研究所副所長のバルテル・ラブル博士が弁護側証人として出廷。絞首刑の死因については、頸動脈の圧迫による脳の酸欠や窒息だけでなく、まれに首の切断や骨折、神経の損傷による心停止もあると説明し、「何が起こるか予想はつかない」と証言した。そして「首の血管の圧迫が理由なら、意識を失うまで5〜8秒、死ぬまで5分程度かかる」、米国の実験結果を基に「人の意識は首を圧迫されて血流が止まると同時に消失するものではない」などと証言した。 12日の審理では、元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授が弁護側証人として出廷。検事時代に死刑執行に立ち会った経験から「絞首刑は限りなく残虐な刑罰に近く、憲法36条に違反する」と述べた。死刑制度そのものについては「憲法により存置が許されている」との考えを表明したが、世論調査などで死刑賛成が過半数となることについては「正しい現状認識に基づくものなのか」と疑問視。絞首刑を合憲とした1955年の最高裁判例に対しては、土本氏は「当時妥当性があったとしても、今日なおも妥当性を持つとの判断は早計に過ぎる」と述べ、否定的な見解を示した。 13日の第13回公判では、意見陳述した遺族や被害者ら11人全員が極刑を求めた。ある遺族は死刑の違憲性が争点になっていることに触れ、「犯罪事実と関係ないことで争わないで。償い、責任を取ってもらうため死刑を望む」と訴えた。 17日の論告で検察側は「被告は仕事が見つからず生活が行き詰まり、無差別殺人を考えた。動機に妄想的な考えが加わっているが、本質は現実問題に対する八つ当たりだ」と指摘。「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で犯行に及んだ」と述べ、完全責任能力があったと主張した。また、最高裁判例を踏まえ「死刑制度は憲法に違反しないことは明らか」と強調。最高裁が示した被害者数などの死刑の判断基準(永山基準)に照らして「死刑が相当」とした。 弁護側は最終弁論で「被告は妄想上の女性からさまざまな嫌がらせを受け、それを見て見ぬふりをする不特定多数の人を攻撃することで女性に反撃しようと考えた」と反論し心神耗弱を主張した。オーストリアの法医学者や元最高検検事の証言を基に「絞首刑は頭部が切り離されたり意識が瞬時に失われない可能性があり、不必要な苦痛や損傷が生じる。憲法に違反する残虐な刑罰だ」と主張した。 高見被告は最終陳述で「法廷はうそをつかないのが原則なのに、みんな(妄想上の)女性の存在を知っていて隠している」などと語り、事件への言及はなかった。 判決で和田真裁判長は争点となった絞首刑が憲法の禁じる「残虐な刑罰」に当たるかどうかについて、裁判員の意見を踏まえ「最善の方法かどうかは議論があるが、死刑はそもそも生命を奪って罪を償わせる制度で、ある程度の苦痛やむごたらしさは避けがたい」として合憲と判断。また、死刑の執行方法の在り方について「残虐と評価されるのは非人間的な場合に限られ、そうでなければどのような執行方法を選択するかは立法の裁量の問題だ」と述べた。 事件について和田裁判長は起訴内容通りの犯罪事実を認定。精神鑑定の結果などから「被告は犯行当時、主体的に判断し、行動できていた」と完全責任能力があったと判断した。そして「大量無差別殺人に向けた計画的で残虐非道な無差別殺人事件だ。まれに見る悲惨な事案で動機も身勝手極まりない。生命をもって償わせるしかない」と述べた。 11月2日、高見素直被告の弁護人は判決を不服として控訴した。弁護人は「量刑は不当で、絞首刑を合憲とした判断にも誤りがある」としている。 | |
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本事件を受け、大阪府内のガソリンスタンド事業者でつくる府石油商業組合などは2009年8月から、携行缶でのガソリン購入者に対し、身分証明書で本人確認を行うなどの取り組みを始めた。都道府県単位では全国初。 一審の裁判員専任9月2日〜判決10月31日までの任期60日間は、これまでの裁判員裁判で最長。 |
| 池田薫 | |
| 34歳 | |
| 2010年3月24日〜25日 | |
| 強盗殺人、死体遺棄 | |
| 長野一家3人強殺事件 | |
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建設会社従業員である池田薫被告は、同社従業員松原智浩被告、リフォーム会社従業員伊藤和史被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業斎田秀樹被告と共謀。2010年3月24日未明、松原被告が勤める建設会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。 内妻殺害は松原被告と池田被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加した斎田被告が提供した。 男性は松原被告、池田被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。斎田被告は男性の知人だった。 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。池田被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。斎田被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 知人男性の遺体については、伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。凶器が見つからず、遺体の損傷も激しくて傷の特定も困難なことから、殺人については起訴が見送られた。また長男も殺人容疑で書類送検されている。 | |
| 2011年12月6日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。 2011年11月14日の初公判で、池田薫被告は長男、内妻殺害にかかわったことは認めたが、「男性の殺害には一切関与がない」と述べ、男性殺害については無罪を主張。弁護側は、長男らの殺害は現金を奪う目的はなく、殺人罪の適用にとどまると主張した。 検察側は冒頭陳述で、男性が経営する会社の従業員だった池田被告が、男性への借金を給料から天引きされ、ささいなことで怒鳴られるなどしたことから不満を募らせた―と指摘。共謀の時期について伊藤和史被告から「3月中旬に電話があり、殺害に加わることを決意した」と述べた。そして男性殺害は「他の被告と役割を分担しており、共同正犯が成立する」と主張した。内妻殺害は犯行発覚を免れるためとした。 弁護側は、伊藤被告は当初、松原智浩被告と「2人で親子を殺害するつもりだった」と主張。松原被告が事件当日に内妻殺害をためらい「伊藤被告が『2人では難しい』と判断し、池田被告を呼び出した」と事前の共謀はなかったと述べた。長男ら2人への殺害は「(伊藤被告らに従わないと)自分も殺されるという恐怖からやむなく関与した」としたが、男性の殺害については「もうできないよ」と拒否したとした。伊藤被告らが現金を奪ったことに関与しておらず、その後、分配された金銭もほとんど使っていない、とした。 16日の第2回公判では、検察側が殺害の動機について、事件直前に池田被告の交際相手が妊娠し、長男に「中絶しろ」と繰り返し言われた点を指摘。被告が「殺して自由になりたかった」と考え、殺意を抱いたと捜査段階に供述したことを明らかにした。弁護側は「中絶できない時期まで耐えればよく、恋人や子供との未来があった」と被告の陳述書を読み、長男への殺意を否定。伊藤和史被告から殺害用のロープを渡され「(伊藤被告に)殺される」と恐怖心を抱いたと強調した。 17日の第3回公判では、伊藤和史被告が出廷。伊藤被告は昨年2月22日、池田被告を犯行に加わるよう誘ったと証言。池田被告が実行時期を聞いたため、伊藤被告は「(殺害計画を)了解したと思った」と述べた。その後、2月中に2回ほど、池田被告に死体遺棄の実行役や遺棄場所が決まったと報告したという。昨年3月14日には、池田被告に死体遺棄の実行役への報酬について話し、会社の機材の売却代金を充てる考えを示すと池田被告が「記録に残るのでやめた方がいい」と応じたと証言した。伊藤被告は、自らの強盗目的を否認。池田被告が事件当日、男性宅に到着後、共犯の松原智浩被告も加え3人で2、3分話した際、「金を取る話は全く出なかった」とした。女性裁判員が「男性宅での生活はどのようなものだったのか」と尋ねると、伊藤被告は「(男性らに)自由を奪われ、生き地獄だった」と訴えた。 18日の第4回公判では、松原智浩被告が出廷。松原被告は昨年2月、伊藤被告から池田被告を犯行に加える提案を受けたが反対し、3月24日の事件当日まで伊藤被告と2人で男性と長男を殺害する計画だったと証言した。弁護側の証人尋問で松原被告は、男性宅で内縁を殺害した状況を述べ、事件当日に男性宅に来た池田被告の様子については、「事態を把握しようと考え込んでいた。(犯行は)半ば強引にやらされ、おどおどして顔面蒼白だった」と証言。ロープを差し出された池田被告は「『訳が分からない』という様子だった」と振り返り、「半ば強引に、という感じだった」と証言した。松原被告は池田被告と「2人で事前に殺害の話し合いはしていない」と述べ、現金を奪ったことは「事件当時、池田被告は知らないはず」と述べた。検察側は、松原被告に「昨年春の検察官調書で『協力者を頼むなら、頼りになる池田被告しかいないと思っていた』と供述していた」と指摘。同被告は「仕事の話とプライベートの話が誤解されたのだと思う」と反論した。 21日の第5回公判における被告人質問で、池田被告は検察官の取り調べに対し「強制的に(調書に)署名させられ、納得できない。弁護士も呼べなかった」と批判した。弁護側は事件当日の行動について質問。池田被告は伊藤和史被告から「例の件で来てくれ」と電話があり、金さん方に出向いたが「殺害するつもりとは思わなかった」と事前の共謀を否定した。 24日の論告求刑で検察側は、伊藤被告や松原被告らとの共謀について、他の被告の証言から「共犯者と事前に殺害を話し合っていたことは明らか」と指摘。伊藤被告から犯行計画の内容を事前に聞いており、現金を奪う目的があったことも知っていたとした。犯行動機について、男性への借金があった上、給料が少ないなどの不満があったと指摘。争点となった強盗目的の有無に関し「殺害後、分け前の現金を受け取っている」と強盗殺人罪が成立すると主張。犯行後はうそのアリバイをつくり、松原被告と口裏合わせしたことなどから、「自分の罪を免れ、軽くしたいということははっきりしている」と指摘し、「犯行の残虐さや動機にも酌量の余地はなく、極刑を回避する事情はない」とした。 同日の最終弁論で弁護側は、事前の共謀を示す客観的な証拠は伊藤被告の証言だけで、証言内容も「疑問点や矛盾点があり信用できない」と反論。その上で、凶器のロープなどの準備も伊藤、松原両被告が行っており「事前の共謀には全く関わっておらず、長男らの殺害に関与したのも突発的な事情」と述べ、「事前共謀には疑いがある」とした。強盗の意思については「金銭獲得に興味を示したことはない」とし強盗の目的があったとする検察官作成の供述調書を「誘導や被告の負い目に乗じた追及があり信用性に乏しい」とした。そして男性殺害には「拒否している」と関与を否定し、無罪を主張。長男と内妻への殺害行為は認めたが「やむなく応じた」と述べ、受け取った現金については「口止め料だった」として強盗目的を否定し、うち約70万円は「使わないで保管していた」と主張し、池田被告が反省していることも訴えた。そして2人への殺人罪のみの適用を求め、懲役12年が相当とした。 池田被告は、最後に意見を述べる最終陳述で「今後償っていくとしか言えない。この場を借りてご遺族の方に謝罪させていただきたい」と述べた。 判決で高木裁判長は、証人尋問で「事前に犯行計画を話した」との伊藤和史被告らの証言を「具体的かつ自身に不利な事も積極的に話している」と信用性を認定。「池田被告は犯行の計画概要を知らされていた」と判断した。事前の共謀については「合理的な疑いが残る」と検察側の主張を否定。一方で、「殺害当日、被害者宅で計画の説明を受けた時に強盗殺人についての共謀を遂げた。3人を殺害して現金を強取する意思を有し、共犯者と共謀して実行行為を行った」と共謀を認定するとともに、3人に対する強盗殺人罪の適用を認めた。 量刑では「(殺害された妻は)犯行完遂の邪魔者として巻き添えとなり、理不尽な凶行の犠牲者」と、池田被告を厳しく非難。「『伊藤被告に殺される』と思い、やむなく殺害に加わった」との弁護側の主張を「被害者親子への不満という主体的な動機で参加した。池田被告は殺害の実行行為を積極的に行った」と退けた。そして、「3人の尊い命が奪われた犯行結果は重大。犯行態様の執拗性、残忍性も見過ごすことはできず、反省状況を最大限考慮しても被告人の刑事責任は誠に重大。共犯者間の刑の均衡などから、死刑をもって臨まざるを得ない」と指摘した。 | |
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松原智浩被告は2011年3月25日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り死刑判決。2012年3月22日、東京高裁(井上弘通裁判長)で被告側控訴棄却。被告側上告中。 伊藤和史被告は2011年12月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り死刑判決。被告側控訴中。 斎田秀樹被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。被告側控訴中。 |
| 伊藤和史 | |
| 31歳 | |
| 2010年3月24日〜25日 | |
| 強盗殺人、死体遺棄 | |
| 長野一家3人強殺事件他 | |
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リフォーム会社従業員伊藤和史被告は、建設会社従業員松原智浩被告、同池田薫被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業斎田秀樹被告と共謀。2010年3月24日未明、伊藤被告が勤めるリフォーム会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。 内妻殺害は松原被告と池田被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加した斎田被告が提供した。 男性は松原被告、池田被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。斎田被告は男性の知人だった。 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。池田被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。斎田被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。 他に伊藤和史被告は、神戸市に住むH被告、後に被害者となる長男と共謀。2008年7月21日、兵庫県尼崎市内の駐車場で、沖縄県浦添市出身の知人男性(当時35)の遺体を乗用車に積み、同22日に長野市内へ運んだ。同23日には遺体を箱に入れて鍵をかけ、同市内の空き地に車ごと放置。さらに同年8月20日ごろには、同市にある貸倉庫に車を移して遺棄した。 殺害された男性と3人は神戸市内の暴力団を通じて面識があり、男性が兄貴分であった。 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 知人男性の遺体について5月31日、長野県警は死体遺棄容疑でH被告を逮捕、伊藤和史被告を再逮捕している。8月27日、H被告と伊藤被告が殺人容疑で追送検、長男が殺人と死体遺棄容疑で容疑者死亡のまま書類送検された。しかし犯行に使われたとされる拳銃は発見されず、遺体の損傷が激しいため、銃弾による傷の特定も困難なことなどから、捜査本部は両被告の再逮捕の見送りを決めた。伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。 | |
| 2011年12月27日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。 2011年12月7日の初公判で、伊藤和史被告は「内容はおおむね認めるが、現金を取る目的で殺害したわけではない」と述べ、起訴事実を一部否認した。奪ったとされた現金約416万円について「(遺体の遺棄を依頼した斎田秀樹被告へ報酬として)100万円分は共謀を認めるが、(取ったことを知らない)他の金は他被告と共謀したわけではない」と述べた。 冒頭手続きで、奪われたとされる現金の一部について、弁護人は「事前共謀はなかった」と主張したが、高木裁判長と検察側は「公判前整理手続きに出ていない主張だ」と釈明を求め、審理が一時中断した。 検察側は冒頭陳述で、伊藤被告が男性宅に住み込みで働く中、長時間労働や休日が少ないことに不満を募らせ、男性と長男を「死んでほしい」と思うようになったと動機を指摘。「事前に現金を奪うことを共犯者間で話し合っていた」と強盗殺人罪の成立を主張した。期待可能性に関しては「生死にかかわるような暴力はなく、被告には行動の自由があった」とした。「被害者を殺害しなければ生きていけない」という極限状態ではなく、犯罪を思い止まる期待可能性があったと主張した。 弁護側は冒頭陳述で、知人男性の死体遺棄事件で、現場に居合わせた伊藤被告が、長男に遺体運搬を手伝わされた後、住み込みで働くよう強要されたと説明。長男から「あいつみたいになってもいいのか」と脅されるなど、親子から日常的に暴力や脅迫を受けていたと強調し、「逃れるためには殺害するしかなかった。現金目的ではなく強盗殺人は成立しない」と反論した。 12日の公判で、松原智浩被告が証人出廷し「伊藤被告と『男性から奪った金は分けよう』と話し合った」と述べ、事前に現金分配を計画していたと証言した。弁護側は松原被告に「現金を奪いたくて3人を殺害したのか」と問うと「あくまで動機は2人と縁を切るため」と金目当てを否定した。 15日の公判における被告人質問で検察側は、松原智浩被告が証人尋問で「現金を分ける話をした」と述べた真偽を質問。伊藤被告は会話自体を否定した上で「(男性らから逃げる)努力をしようがなかった。心の中で(逃げたいと)叫ぶしかできなかった」と束縛感の強さを強調した。伊藤被告は、弁護側に現在の心境を聞かれ「法的に悪いことをしたと思う。でも男性と長男には暴行などひどいことをされ、間違ったことはしていないと思う。殺すか殺されるしかなかった」と訴えた。また、男性裁判員が内妻殺害を避ける方法がなかったかどうかを尋ねると「長男に睡眠導入剤を飲ませたことがばれると思い、その場では考える余裕がなかった」と釈明した。 16日の論告で検察側は、争点の強盗目的の有無について、従業員仲間だった松原智浩被告が「現金を奪うことを(伊藤被告と)話した」と述べた証言を挙げ「(松原被告は)不利な事も逮捕後、一貫して話しており、信用できる」と述べ、強盗殺人罪が成立すると主張した。殺害方法について「無抵抗な被害者が苦しむ姿を見ながら首を絞め続け、冷酷非情で残虐極まりない」と非難。動機も「『自由になりたい』という欲望を人命より優先し、あまりにも身勝手」と指摘し、役割は「殺害・遺棄の全ての行為を主導して実行し、正に首謀者」と位置付け、「極刑を回避する事情はありません。死刑に処すべきだと考えます」と指摘した。 同日の最終弁論で弁護側は、金を取ったことは認めつつ「現金を目的に殺害したのではない。男性宅に同居していた被告が、親子の暴行や拘束から逃れるためだった」と主張し、、強盗目的を否定。強盗殺人罪ではなく、3人への殺人罪の適用を主張した。死体遺棄事件については、伊藤被告が「長男が知人男性を射殺した」と述べた点を強調し「長男から『言うことを聞かないと殺すぞ』と言われ、親子から逃れるには殺害するしか方法がなかった」と主張した。弁護人は裁判員に向かい「伊藤被告は理不尽な拘束をされた。死刑は究極の刑罰。今回、伊藤被告を死刑にするのをちゅうちょすべきではないか」と死刑回避を呼び掛けた。 伊藤被告は最終陳述で「お金を目的としていません。(殺害の)目的は、自分自身を取り戻して家族の元に帰りたかったことです」と涙ながらに訴え、裁判員や傍聴席に深々と頭を下げた。 高木裁判長は判決理由で「事前に共犯被告と奪った現金を分配することを話し合い、分配金を得ている」として、強盗殺人罪の成立を認定。伊藤被告が犯行を計画し、3人の殺害を率先して行ったことなどを挙げ、「同一機会に3人の命が奪われた結果は重大で犯行は残忍」と指摘。「(事件を主導した)役割の重要性などから死刑をもって臨まざるを得ない」と述べた。 | |
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松原智浩被告は2011年3月25日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2012年3月22日、東京高裁(井上弘通裁判長)で被告側控訴棄却。被告側上告中。 池田薫被告は2011年12月6日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。被告側控訴中。 斎田秀樹被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。被告側控訴中。 H被告は2010年9月16日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役2年(求刑懲役2年6月)判決。控訴せず確定。 |
| 新井竜太 | |
| 41歳(2010年6月25日逮捕当時) | |
| 2008年3月13日/2009年8月7日 | |
| 殺人、詐欺 | |
| 埼玉深谷男女2人殺害事件 | |
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横浜市に住む内装工の新井竜太被告は、いとこで埼玉県富士見市に住む無職高橋隆宏受刑者と共謀。2008年3月13日午前10時ごろ、新井被告の実家の内装会社で、高橋受刑者の養親である住み込み従業員の女性(当時46)に睡眠薬を飲ませ、浴槽に沈めて殺害。保険会社に「事故による溺死」とうその申告をして、同年7月、預金口座に死亡保険金約3600万円を振り込ませた。新井被告が2800万円を、高橋受刑者が800万円を手にした。2人は消費者金融や車ローンなどの借金を抱えていた。 高橋被告は、2006年夏ごろに携帯電話のサイトで女性と知り合った。2人は別の男性2人を養父、女性を養子として相次いで縁組。さらに2007年1月、高橋受刑者を養子、女性を養母とする縁組を行った後も、別の男性1人を女性の養子とする縁組を行った。いずれも借金目的である。その後の2007年10月、死亡時に保険金が支払われる特約付きの傷害保険に女性を加入させていた。 両被告は深谷市に住む両被告の叔父(当時64)と金銭トラブルが生じ、2009年8月7日、家で酒を飲んで眠り込んだ叔父の胸を、高橋受刑者が柳葉包丁で刺して殺害した。新井被告は2月ごろから叔父の家をリフォームしていたが、それにかこつけて金をむしり取っていた。 8月9日午後、洗濯物が干されたままになっているのを不審に思った友人が通報し、警察官が室内で刃物が胸から背中にかけて貫通している遺体を見つけた。2010年6月25日、埼玉県警は交通保険金をだまし取った詐欺事件で逮捕されていた2人をおじ殺害容疑で再逮捕。高橋受刑者は別の銃刀法違反事件で懲役3年の実刑判決が確定し、服役中だった。11月4日、女性殺害容疑で2人を再逮捕した。 | |
| 2012年2月24日 さいたま地裁 田村真裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。 2012年1月17日の初公判で新井竜太被告は、高橋隆宏受刑者の養母殺害について「事故で亡くなったと思っていた」と否認。死亡保険金3600万円の詐取については「事故で亡くなったので詐欺ではない」と主張した。おじの殺害についても「殺していません」と否認した。 検察側は保険金殺人事件の冒頭陳述で、借金を踏み倒すために養母に養子縁組を繰り返させたり、売春させるなど金づるにしていたことを明らかにした。その上で「思ったより稼げなくなったと高橋受刑者に相談され保険金殺人を提案した」と指摘。養母が売春について新井被告の母親に告げ口したことに憤りを感じ「睡眠薬を飲ませ浴槽に沈め、事故に見せかけて殺すように高橋受刑者に指示した」と主張した。 弁護側は遺体が司法解剖されていないことから「睡眠薬を飲まされて殺された客観証拠はない」と主張。「仮に高橋受刑者が殺害していたとしても、1人でやったこと」とし、新井被告の指示を否定。「一連の事件で被告人は何もしていない。(2人に)絶対的服従関係はなかった」と訴えた。 その後の公判でも、新井被告の弁護側は、養母は事故死か高橋受刑者が1人で殺害した、おじは高橋受刑者が1人で殺害した−−などとして無罪を主張した。 2月15日の論告で検察側は、新井被告が死亡保険金の入手や金銭トラブルから逃れるために2人の殺害を計画したと主張。新井被告が高橋隆宏受刑者に、2人の殺害方法を指示し実行させたと指摘。そして、「極めて計画的で残虐な犯行。だまし取った保険金の約8割が新井被告の分け前となったことなどから、被告が首謀者であることは明らか。2人の尊い命を金銭的利欲のために奪った犯行の悪質さ、遺族感情などに照らして極刑以外にない」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は、高橋受刑者との関係について、「犯行は高橋受刑者が決断、実行したもの。責任を転嫁された」として改めて無罪を主張した。 最終陳述で新井被告は、「女性が隆宏から自立する手助けをした。男性は一番仲の良いおじだった。事実を伝えたい」と、便箋9枚にわたる文面を読み上げた。そして「事実と違う過去を押しつけられ、私は犯人に仕立て上げられた。どうか適切な判断をしてください」と述べた。 判決で田村裁判長は、「高橋受刑者と交わしたメールと照らしても供述は不自然、不合理で信用できない」と新井被告側の無罪主張を退け、「終始主導的立場で高橋受刑者を意のままに動かした」と指弾した。そして、「保険金の7割を超える2800万円を受け取っている。命を多額の金銭に換えた、利欲的でおぞましい動機に酌量の余地はない。遺族も極刑を望んでいる。反省や改悛の情もうかがえず、刑事責任は重い」と述べた。 | |
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養母殺害について、当時、神奈川県警に事情を聞かれた2人は、「夜中から酒を飲み、泥酔状態だった」「自分たちが外食から戻ると、風呂でおぼれて死んでいた」などと説明。監察医による検案でも犯罪性は見当たらないとされた。しかし、遺体の血中アルコールはごく微量で、説明と食い違うのに、同県警は司法解剖をせず、「事故による水死」と判断していた。2010年11月5日、県警幹部は初動捜査のミスを認め、遺族や関係者に謝罪した。 高橋隆宏被告受刑者は2011年7月20日、さいたま地裁(田村真裁判長)の裁判員裁判で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。判決で田村裁判長は、「強固な殺意に基づく冷酷非道なもので、新井被告に従っていれば分け前をもらえると犯行に至った。身勝手極まりない」と指弾した。死刑を回避した理由については、「新井被告の手足として行動し、従属的立場で、責任は新井被告に比べて相当程度低い。反省、悔悟の情が認められ、死刑を科すにはちゅうちょを覚えざるを得ない」とした。また、養母殺害では神奈川県警が司法解剖を行わず、殺人事件として捜査していなかったが、「高橋被告が自白したからこそ、事件が明らかになった」と指摘した。控訴せず、確定。 |
| 木嶋佳苗 | |
| 34歳(2009年9月逮捕当時) | |
| 2008年9月〜2009年9月 | |
| 殺人、詐欺、詐欺未遂、窃盗 | |
| 首都圏連続不審死事件 | |
北海道別海町出身の無職木嶋佳苗(きじまかなえ)被告は、2008年5月から、大学生やヘルパーと偽って自己紹介し、インターネットの婚活サイトを利用して少なくとも20人以上の独身男性に次々と結婚を約束し、「学費」「生活費」などを口実に多額の金を無心していた。2006年10月から2009年8月まで東京都板橋区内にあるマンションに入居。関係者によると、部屋は2LDKで家賃は月13万〜14万円。ピアノの家庭教師をしていると名乗っていた。2009年8月、JR池袋駅に近い14階建てマンションの最上階にある2LDKの部屋に転居。家賃は月21万9000円。外車を所有し、高級調理師専門学校に通っていた。2008年3月〜2009年9月、「かなえキッチン」と題したブログで、周辺の出来事などを約2000回にわたってつづっていた。その過程で、以下の事件を起こした。
他に2007年8月には、千葉県松戸市でリサイクルショップを営むFさん(当時70)が2階のベッドで死亡しているのが見つかった。室内が物色されたり、争ったりしたような形跡はなかった。検視で「心臓死」とされ、司法解剖は行われなかった。2009年秋に木嶋被告がFさんから計7380万円を受け取っていたことが発覚し、千葉県警が再捜査をしていたが、練炭や七輪なども発見されず、死因を「病死」と判断し、木嶋被告の関与はなかったと判断した。Fさん死亡後、困窮した木嶋被告は、2008年5月に結婚サイトへ登録している。 木嶋被告は2003年3月、ネットオークションにパソコンを売ると書き込み、八丈島の男性から10万円を搾取したとして警視庁に詐欺容疑で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予5年の有罪が確定有罪判決が確定している。 | |
| 2012年4月13日 さいたま地裁 高木順子裁判長 死刑判決 | |
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裁判員裁判。殺人などの罪でさいたま地裁、東京地裁立川支部、千葉地裁にそれぞれ起訴されたが、検察側がさいたま地裁での併合審理を裁判所側に請求し、認められた。木嶋被告は逮捕当初こそ雑談に応じていたが、その後は黙秘している。公判前整理手続きは、2010年9月14日〜2012年1月4日に及んだ。 裁判員と補充裁判員の任期は計100日で、過去最長。公判日程は週2〜4回のペースで、4回の予備日を含め計38回が設定された。証人は延べ63人。 2012年1月10日の初公判で、木嶋佳苗被告は罪状認否で1件ずつ答え、1と2の詐欺事件では「支援してもらったのは間違いありません。ただ結婚を真剣に考えていました」と話した。3件の殺人事件は、被害男性の名前を挙げて「殺害していません」とはっきり否定。Oさん殺害の事件では、詐欺罪も否認した。他の詐欺事件でも否認した。 検察側は冒頭陳述で、木嶋被告と複数の男性らが、結婚相手を探すインターネットのサイトで知り合った事件の経緯などの説明資料2枚を裁判員に配布。「木嶋被告にはパトロンがいたが、亡くなり、困窮した。金銭を得る目的で結婚サイトに登録し、男性たちから多額の金銭を受け取り、彼らとの関係を断ち切るために、練炭を使い殺害したということがすべてに共通する事実だ」と述べた。検察側は、3件の殺人事件について「睡眠薬、練炭、コンロを事前に準備し、睡眠薬で眠らせることを繰り返した」「結婚の話が相当進展した場合に、自殺を装って殺害した」と主張。Tさんの事件では、「亡くなる前に練炭16、コンロ6個を購入した。Tさんが亡くなった現場にあったものと同じメーカーで、数も同じ」と指摘した。Tさんから計1850万円を受け取り、ベンツ購入などに充て、Tさんの死後、新たなベンツを購入したとも述べた。 弁護側は冒頭陳述で、TさんとAさんとは2008年6月にサイトで知り合い、ほかの2人とも同年8月から交際し、「本気で結婚相手を探していた」と主張。「疑わしいだけの場合は被告人に有利にというルールは、事件ごとに守られなければならない」と述べた。TさんとOさんについて「別れ話をした。自殺した疑いがある」、Aさんは「ヘビースモーカーだった。失火による火災で死亡した疑いがある」と主張した。 10日の冒頭陳述後、Oさんの事件を中心に本格的な審理が始まった。弁護側は、遺体発見現場に被告がレンタカーで行ったことは認め「Oさんに練炭を譲ってほしいと言われ、Oさんが自分でレンタカーに積み込んだ。1万円渡され、一人でタクシーで戻った」と主張。「Oさんは別れ話の後に自殺したと考えておかしくない」などと指摘した。 23日の第8回公判まで、Oさんが殺害されたとする事件の審理を行った。延べ20人が検察側証人として出廷し、Oさんが死亡する直前の様子や木嶋被告の経済状況などを証言した。 検察側は、現場に残っていた練炭、七輪、着火剤は木嶋被告が犯行前に購入したものと同一メーカーだと述べている。一方弁護側は、Oさんは木嶋被告との結婚話が破談となり、自殺したと主張。睡眠薬はOさんが自分で飲んだとし、練炭や七輪は、木嶋被告の部屋にあったものをOさんが譲ってくれと言ったので渡した、とした。また、現場の駐車場は殺害するには不自然な場所、とも指摘した。 24日の第9回公判から2月3日の第15回公判までは、Tさんの事件ならびに2件の詐欺、窃盗事件の審理も合わせて行われた。 検察側は、木嶋被告がTさんを殺害後、2月1日に外国製高級車を461万円で購入し、翌2日に料理学校の費用73万円や、家賃と駐車場代10カ月分を支払ったと説明。1月25〜30日にTさんから被告の口座に1127万円が振り込まれたとし、「Tさんからもらったお金で支払った」と指摘した。また検察側は、被告が犯行前に睡眠薬や練炭を大量購入し、睡眠薬を犯罪に利用していた状況を詳述。詐欺、窃盗事件の被害男性が出廷し、「被告が持ってきたチョコを食べたら、意識を失った。起きたら、財布から5万円がなくなっていた」と証言した。 一方、弁護側はTさんが木嶋被告と別れ話になり、その後、自殺した疑いがあると主張した。検察側が主張する1月31日を否定し、2月1日から2日であると主張。弁護側証人である日本医科大大学院教授は豚肉を使った再現実験の結果を基に、弁護側主張を裏付ける証言をした。 2月6日の第16回公判から、14日の第21回公判までは、Aさんの事件の審理が行われた。 検察側は被告がAさん宅から絵画数点を無断で持ち出したことや、Aさんから現金300万円あまりを入手したことを指摘した。検察側は、現場に残されていた練炭と同じ成分の炭が、木嶋被告が当日着ていた服と、使った車のトランクから検出されたと主張した。検察側は、当時の千葉県警の捜査についても「明確に誤りで、事件と判断すべきだった」と主張した。 公判で証人と出廷した民間分析機関の男性所長は、練炭コンロ内の練炭について、成分から、木嶋被告が事件直前に購入したと検察側が主張する製造元の練炭と「近いと思う」と証言した。 建物火災を研究する大学教授も証人として出廷し、弁護側が主張する「たばこの火の不始末」が出火原因である可能性は「非常に低い」と述べた。 弁護側は、火災はたばこの火の不始末の疑いがあると主張。木嶋被告がAさんに金を融通してあげたこともあり、188万円のうち100万円は「Aさんから返したいと言われた」もので、残りの88万円はAさん宅に持って行った、と主張している。 2月16日の第22回公判では被害者遺族の陳述があった。Oさんの母親が検察側の証人として出廷し、被告や傍聴席との間に設けられたついたての中で、「自分が身代わりになれるんだったらなりたい。人の命を取った人は自分の命で償ってほしい」と述べた。Tさんの姉は手紙で、「あなた(木嶋被告)の行為は許される行為ではない。もはや許されるべき人ではない」と述べた。Aさんの長男の「なぜこんなことをしたのか、いったい今どういう気持ちなのか、真相を全て話してもらいたいと思います」との手紙も読み上げた。 2月17日の第23回公判から3月6日の第33回公判までは、木嶋被告への被告人質問が行われた。17日の公判では、弁護人から、起訴された3件の殺人罪について「殺害しましたか」と聞かれ、木嶋被告は「していません」と改めて無罪を主張した。 被告人質問では、1993年に18歳で上京し、当初ピアノ講師の仕事をしていたが、1994年からデートクラブなどで月150万円を稼ぐようになったと明かした。19〜26歳の時、20人弱の男性と「愛人契約」を結び、2001年からはリサイクルショップを営む松戸市の男性と知り合い計約1億円を受け取っていたことを明らかにした上で、男性が2007年に死亡する直前、「月100万円以上かかる生活を変えることは難しいと思った。(援助してくれる)男性を探すのが一番と思った」と述べた。木嶋被告は収入の使途について「高級な雑貨や食器を買った。貯金はしたことがない」と説明している。木嶋被告が2008年5月に婚活サイトに登録した際、プロフィル欄に「学生」と虚偽の肩書を記入した理由について、木嶋被告は「結婚相手に経済的支援を求めていた。学生の方が援助してもらいやすいと思った」と説明した。 3月12日の論告求刑で検察側は、まず冒頭で、3つの殺人事件に直接証拠はないが、間接証拠だけで認定できると説明し、「夜明けに外を見ると一面の雪化粧。雪が降ったのを見ていなくても夜中に降ったことが分かる」との例を挙げた。「疑わしいだけの場合は、被告人に有利にならなければならない」と無罪を主張する弁護側の冒頭陳述に触れ、「誰かがトラックで雪をばらまいた可能性もあるが、そんな必要もないし、健全な社会常識に照らして合理性もない」と述べ、裁判員らに「常識で考えてほしい」とも語りかけた。 Oさん殺害について、レンタカーの鍵と着火に使ったマッチ箱が現場にないのは、自殺ではない証拠。遺体から睡眠薬が検出されたが、自ら服用した痕跡はない。だまし取った金の返済を迫られる恐れから殺害したと主張。 Tさん殺害について、別れ話をされた被告に1000万円以上の大金を渡すとは常識的に考えられない。入手した金を自由に使うために殺害したと主張。 Aさん殺害について、遺体から通常の10倍以上の睡眠薬を検出。多量の一酸化炭素を吸引しており、火事による事故死ではない。殺害当日に年金を入手し、発覚を防ぐため殺害した。以前に口座から金を引き出す際に暗証番号の入力ミスを繰り返し、「頼まれた」との説明は合理的でないと主張した。 そして、酌量の余地はみじんもない。練炭自殺を装う巧妙、悪質な手口で、何の落ち度もない3人の命を奪った。遺族は厳罰を希望している。被害者から得た金で手にしたものをブログに自慢げに掲載し、法廷では被害者を侮辱する発言をするなど反省の態度や更生の意欲はなく極刑は当然。死刑に処するのが相当だ、と述べた。 3月13日の最終弁論で弁護側は、3件について「被告には殺害の動機がない」とした上で、別れ話の後で自殺したか、たばこの火の不始末による失火で死亡した可能性があると改めて主張。その上で「疑わしい事件が3つあるからといって有罪にはできない」と述べ、無罪判決を求めた。 Tさんの事件について、検察側が主張する死亡推定日は、遺体の下の電源が入ったホットカーペットの影響を考慮していない。推定日以降に死亡しており、被告の犯行ではない。遺体発見現場にあった練炭やこんろは実際は押収されておらず、現場写真からは被告が買ったと断定できないと主張。 Aさんの事件について、遺体から検出された睡眠薬は一般的なもので、被告が飲ませた証拠はない。検察側は、遺体の気道にすすがほとんど付着しておらず、火災前に練炭で瀕死の状態だったと主張しているが、すすが少ない火災の可能性がある。嘘を言ってもらった金は、返済を求められれば別の男性の援助で返すこともできた。殺害の動機にならないと主張。 Oさんの事件について、自殺を偽装するならレンタカーの鍵やマッチ箱は持ち去らない。警察の捜索が不十分だった。睡眠薬は被告の自宅にある薬箱から入手し、自ら服用した可能性がある。金を詐取しておらず、殺害の動機はないと主張。 その他の詐欺事件などについて、結婚を真剣に考えていた。複数の男性との同時交際は、よりふさわしい相手を探すためにあり得る。被告はそういう価値観を持っていた。経済援助は結婚の条件。「大学院生」との嘘は援助を受けやすくするためで、他の嘘は相手の気を引くためだったと主張した。 木島被告は最終意見陳述で、「裁判で自分の考えが間違っていたと気づかされました。数多くの嘘をついたことを深く反省している。今回学んだことをかみしめて生き直したい。ただし、私は3人を殺害していません」と述べた。 判決で大熊裁判長は、3件の殺人事件で現場に残された練炭と、被告が事前に準備した練炭が同じメーカーのものであり、「偶然とは考えにくい」と指摘。「いずれも被告の犯行と推認できる」と認定した。 東京都青梅市のTさんについて、「Tさんが練炭を入手した形跡はなく、自殺の動機もない。犯行が可能なのは被告のほかには見当たらない」と述べ、被告の犯行と認定。「練炭は料理に使うために購入した」という木嶋被告の説明は「不自然で信用しがたい」と断じ、弁護側の「Tさんは自殺した」との主張を退けた。 千葉県野田市のAさんについて、「多量の睡眠薬を服用しており、Aさんが失火により死亡したとの説明は困難。しかも自ら睡眠薬を服用したとは考えがたい」と検察側の主張に沿う認定をした。そして木嶋被告が事前に入手した練炭などから「被告人が犯人であることを裏付けられる」とした。 東京都千代田区のOさんについて、「遺体が発見された車の鍵がなく、Oさんの手に練炭の炭粉がついていなかった」として他殺と認定。その上で「Oさんが死亡した時間の近くまで一緒にいた」「現場となった埼玉県内の駐車場からタクシーで帰宅した」などから、「これだけでも被告人が犯人であると優に認められる」と述べた。 動機については、被告が3人と金銭目的で交際したとし、「結婚する意思はなく、受け取った金の返済を迫られることを恐れた。ぜいたくで虚飾に満ちた生活を維持するために、受け取った金の返済を免れるための犯行」と指摘して、検察側の状況証拠に基づき認定した。 さらに、詐欺罪などを含め起訴された計10件の事件すべてを有罪と認定とした。 そして大熊裁判長は、犯行について「3人の尊い命を奪った結果は深刻で甚大。あまりにも身勝手で利欲的な動機であり、酌量の余地など皆無」と断罪。木嶋被告について「約6か月で殺人を3度も繰り返し、生命を軽んじる態度は顕著。不合理な弁解に終始するばかりか、公判廷でも被害者をおとしめる発言を繰り返した。真摯な反省はうかがえず、刑事責任は重大」と述べ、死刑を言い渡した。 | |
| 2012年4月20日、さいたま地裁は、一審の裁判員裁判で、結審の翌日(3月14日)から判決前日(4月12日)までに評議を10日間行ったと発表した。同地裁によると、裁判員は選任手続きを含めると計47回、裁判所に通ったことになる。 |