最高裁係属中の死刑事件


氏 名
桑田一也
事件当時年齢
 43歳
犯行日時
 2005年10月26日/2010年2月23日
罪 状
 強盗殺人、殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗、有印私文書偽造・同行使
事件名
 交際女性・妻殺人事件
事件概要
 静岡県清水町のリフォーム業桑田一也被告は2005年10月26日、飲食店で働く不倫相手の女性(当時22)から借金約990万円を返済するように迫られたため、沼津市内の当時の自宅寝室で馬乗りになって首を絞めて殺害。翌日、御殿場市のATMで女性名義のキャッシュカードから現金355万2000円を引き出した。さらに女性の委任状を偽造して、11月7日頃、20006年2月1日頃には女性の口座からそれぞれ1003万7009円、1000万22円をだまし取った。遺体はシートにくるんで台所に放置し、1月ごろ、ドラム缶に遺体を入れ、友人が所有する市内の空き地に遺棄した。
 女性の母親は2006年4月頃に連絡が途絶えたことから同年8月に捜索願を出していたが、手掛かりは全くつかめなかった。
 桑田被告は2010年2月23日、清水町の自宅アパートで妻(当時25)の首を絞めて殺害した。3月2日、妻の遺体を、御殿場市にあり前妻が住む自宅の物置に遺棄した。御殿場市の自宅には桑田被告の前妻と子供が住んでいた。3月上旬に桑田被告は妻との離婚届けを提出、19日には妻の母親らと一緒に町役場で妻と子供(妻の連れ子)の転生届を提出した。
 妻の行方が知れなかったことから、妻の母親が3月26日に家出人捜索願を提出。桑田被告は4月12日、別の詐欺容疑(備考参照)で逮捕された。御殿場市の家が競売で落札されたことから、前妻らが4月に転居。5月5日、物置を清掃していた作業員が妻の遺体を発見し、桑田被告は5月8日に死体遺棄容疑で逮捕された。その後29日に殺人容疑で再逮捕され起訴された。
 報道で桑田被告のことを知った女性の母親は、娘が交際していたことを県警に相談したことから桑田被告を捜査。8月12日、沼津市の空き地で、ドラム缶に入った女性の遺体が見つかり、翌日に殺人容疑で再逮捕。強盗殺人容疑他で起訴された。死体遺棄については時効が成立している。
一 審
 2011年6月21日 静岡地裁沼津支部 片山隆夫裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年7月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。起訴内容に争いはなく、強盗殺人事件の犯行意図などの情状面が争点となった。
 2011年6月13日の初公判で、桑田一也被告は起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、沼津市内のアパートで同居していた交際相手の女性から、勝手に引き出した現金990万円の返済を迫られた桑田被告が、「女性を殺せば警察に行くこともなく、返済も迫られない」と考え犯行に及んだと指摘女性の母親から送られてくるメールに返事を送るなどして生きているように装ったと悪質性を主張した。一方弁護側は、殺人の動機について、「(女性を)警察に行かせたくない」と強く思ったと説明。その後に得た金も「殺して手にしようと思っていたわけではない」と主張した。
 14日の公判で検察側は、桑田被告が妻と生活費などをめぐって口論になり、妻が御殿場市に住む桑田被告の元妻に金を出してもらうと言い出したことから、桑田被告が別れ話を切り出したと指摘。「桑田被告は『妻がいなければ、元妻宅の家族を傷つけなくて済む』と考えた」と主張した。弁護側は、桑田被告が妻と結婚し、求めに応じて連れ子と養子縁組したが、桑田被告が要求に応じないと、妻が桑田被告の元妻宅に無言電話をかけるなどの嫌がらせをしたため、追いつめられた末の犯行だったと主張した。
 15日の論告で検察側は、桑田被告が交際相手の女性の貯金約990万円を勝手に引き出した上、返済を免れようと殺害し、さらに女性の口座から約2360万円をだまし取ったと指摘。「被害者に多額の貯金があることを知った翌日に犯行に及ぶなど、動機は非人間的で身勝手。犯行は強固な殺意に基づき、冷酷かつ残虐だ。遺族も極刑を望んでいる」と述べた。弁護側は最終弁論で、桑田被告が借金を返さなかったため、女性に「警察に行って話す」と言われたことが動機だったとするなど、計画性を否定した。そして「いずれの殺害も家族を思いやり、追いつめられ犯行に及んだ。犯行に計画性がなく、殺害方法はことさら悪質ではない。生涯をかけて罪を償い、反省させるべきだ」と主張し、無期懲役にするよう求めた。
 桑田被告は最終意見陳述で「どういう処罰で償ったことになるのか分からないが、死ぬことでそれがかなうなら、それが自分にふさわしいと思う」と述べ、傍聴席の遺族に向かい「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
 判決で片山裁判長は、弁護側が殺害動機について桑田被告が「御殿場に住む(元妻ら)家族を守るため」と主張したことについて、「いずれにしても身勝手極まりなく、経緯、動機に酌量の余地はない」と切り捨てた。桑田被告が殺害後に貯金を奪い取っていることや、生きているように偽装したメールを家族に送っていたことなどについて「良心の呵責は伺えず、生命軽視の態度には根深いものがある」とした。また「計画性は認められないが、馬乗りになって一定の時間にわたり首を絞める態様であることなどに照らすと、突発的であることを強調するのは相当ではない。被告の刑事責任に鑑(かんが)みると格別有利な事情とは言い難い」とした。そのうえで、最高裁が示した死刑選択基準(永山基準)に照らし、〈1〉殺害態様が残虐〈2〉犯行の罪質、結果が重大〈3〉動機が身勝手〈4〉殺害後の情状が非人道的〈5〉遺族の処罰感情がしゅん烈――などとし、「被告人に有利な一切の事情を考慮しても、量刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑をもって望むほかない」と断罪、「被告人を死刑に処する」と述べた。

 弁護人が即日控訴した。
 2012年3月13日の控訴審初公判で、弁護側は事実誤認などを理由に死刑回避を求める控訴趣意書を提出した。検察側は答弁書で控訴棄却を求めた。弁護側が減刑を主張する証拠として、一審で採用されなかった被告の供述調書の一部、判決後に遺族に宛てた手紙などが採用された。
 4月24日の第2回公判で、桑田被告は交際中だった女性の殺害について、「借金の返済を免れることが殺害理由ではない」と述べた。検察側から一審で強盗殺人の成立を認めていた点を指摘されると、「調書は警察から促されて作成された。一審判決前の妻と子どもとの面会をきっかけに、控訴審では真実を話そうと思った」と答えた。弁護側の被告の生い立ちや心理状態を調べる情状鑑定の請求は却下された。
 6月7日に開かれた最終弁論で弁護側は、交際中の女性殺害について「一審の被告の供述は捜査機関による誘導だった。借金返済に窮して殺害したのではなく、不倫関係などが家族に発覚することを恐れての突発的な犯行」と主張。強盗殺人罪ではなく、殺人罪の成立を改めて訴え、極刑の回避を求めた。検察側は「結果的に債務の返済を免れ、殺害後も女性の預貯金を無断で使用している」と指摘。「殺害理由の供述の変化に合理性はなく、信用できない」と反論し、控訴棄却を求めた。
 判決で山崎学裁判長は殺害動機について「警察に届け出ることを阻止するとともに、債務を免れる意思があった」と認定。「債務を免れる意思の方が劣っていても、強盗殺人罪の成立に支障を来さない」として、弁護側の主張を退けた。そして「好き勝手な女性関係を続け、都合が悪くなると邪魔者とみて殺害した」と指摘。「身勝手な動機で情け容赦なく2人の首を絞め続けており、冷酷、残虐な犯行だ。殺害後も女性の預貯金2千万円余りを引き出すなど強い非難に値する」と述べ、一審判決が重すぎるとは言えないと結論付けた。
備 考
 当初2011年3月14日に地裁初公判が決定していたが、11日に発生した東日本大震災に伴う計画停電の影響で延期された。
 桑田一也被告はほかに別の男と共謀して2010年3月5日、東京地検の職員を語り、沼津市内に住む女性(当時67)から保険料の名目で現金91万8000円をだまし取った。他にもう1名の男性と共謀し、女性から新たに500万円を引き出そうとしたが、女性が親族に相談するなどしたため、未遂に終わった。2010年9月21日、静岡地裁沼津支部で懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の判決。岡田龍太郎裁判官は「被告はこれまで被害者から繰り返し高額の借り入れをするなど多大の援助を受けてきたのに、信用を悪用した」と指摘したが、「被害額を超える額が被害者に支払われている」として執行猶予を付けた。共犯男性も9月7日に同じ判決を受けている。
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氏 名
加藤智大
事件当時年齢
 25歳
犯行日時
 2008年6月8日
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、公務執行妨害
事件名
 秋葉原無差別殺傷事件
事件概要
 本籍青森県の派遣社員加藤智大被告は、2007年11月から東京の派遣会社に登録。静岡県裾野市にある自動車メーカーの工場で働いていた。契約期間は2008年3月31日までだったが、1年間更新された。しかしその工場では6月末で派遣社員を200人から50人に減らす計画があった。加藤被告は対象ではないことを派遣会社から知らされていたが、いつ契約を打ち切られるか悩んでいた。
 2008年6月5日、加藤被告は始業直前の午前6時頃、作業着のつなぎがロッカーにないと騒ぎ、ハンガーを大量にまき散らして大声で叫んだ後、無断で退社。その後作業服は見つかり、工場側は連絡を入れたが、加藤被告はそのまま欠勤。続けて6日も欠勤した。
 6日、加藤被告は福井市にある刃物の量販店でダガーナイフやサバイバルナイフなど刃物6本と3段式の鉄製特殊警棒1本を購入した。
 7日、加藤被告は午前8時頃に裾野市を出発。在来線と新幹線を乗り継いで、午前10時頃、東京都千代田区の秋葉原へ到着。質店などでゲームソフトを売却し、午後1時半過ぎに帰宅した。
 この間の行動や心理状況について加藤被告は、携帯電話サイトの掲示板に書き込みをしていた。

 加藤智弘被告は6月8日午前7時頃、静岡県裾野市の自宅を出発。引越に使うと偽って、沼津駅前のレンタカー店で2tトラックを借りた。その後東名高速道路と国道を通り、午前11時45分頃、秋葉原駅付近に到着した。
 加藤被告は、携帯電話サイトの別の掲示板にて、犯行予告や、自宅から秋葉原に向かう様子を、午前5時21分から午後0時10分まで刻々と「実況中継」した。
 加藤智大被告は歩行者天国が始まった後の6月8日午後0時33分頃、2tトラックで赤信号を無視し、ジグザグ運転を続けながら猛スピードで交差点に突入。横断していた5人をはねた。そのうち、男子大学生(当時19)、男子大学生(当時19)、無職男性(当時74)が全身打撲や頭部骨折により死亡した。
 加藤被告は約70m離れた路上でトラックを止めると、ダガーナイフ(刃渡り約13cm)とペティナイフ(刃渡り約11cm)を手に運転席を飛び出し、すぐ近くにいた男性をダガーナイフで刺した。その後交差点を走って戻りながら(この途中、ペティナイフを落としている)、携帯電話で110番していた女子大学生(当時21)を刺し、続いて無職男性(当時47)を刺して、ともに失血死させた。
 交差点東側では、歩行者天国で交通整理をしていた万世橋署の警部補(当時53)らや通りがかりの医者などが、はねられた5人の救助にあたっていた。加藤被告はその背後から警部補ら男性2人と女性1人をダガーナイフで一刺しし、重傷を負わせた。またはねられて死亡していた男子大学生も刺している。さらに交差点を左回りに走りながら男性2人と調理師の男性(当時33)、会社員の男性(当時31)を刺した。調理師の男性と会社員の男性は失血死により死亡した。その後、交差点のすぐ南側に移動して、男性と女性(当時24)を刺した。
 事故の衝撃音で万世橋署の交番を飛び出した男性巡査部長(当時41)が慌てて駆け出し、加藤被告を追跡。加藤被告は巡査部長の左胸2箇所、左脇腹1箇所をダガーナイフで刺すなど激しく抵抗したが、警棒で対峙した巡査部長によって路地に追い詰められた。さらに巡査部長が拳銃を向けたため、加藤被告はようやくナイフを捨てた。加藤被告は巡査部長や、後から駆けつけた万世橋署員、たまたま居合わせた蔵前署員に取り押さえられ、殺人未遂の現行犯で午後0時35分に逮捕された。巡査部長は金属製の板などが入った「耐刃防護衣」を着ていたため、怪我はなかった。
 加藤被告はダガーナイフ、落としたペティナイフの他に、内ポケットに折りたたみ式の小型ナイフ(刃渡り約9cm)を持っていた。またトラックに置かれていたショルダーバッグにはサバイバルナイフ(刃渡り約12cm)、ペティナイフ(刃渡り約10cm)、特殊警棒1本が入っていた。
 加藤被告は取り調べに対し、生き甲斐を見いだせず、周囲からの孤立感を募らせていた。唯一の捌け口だった携帯電話サイトの掲示板への書き込みを無視されたことで不満を爆発させ、実行に及んだと供述している。また宮城県のアーケードでの暴走を参考にトラックを使用した、ナイフは茨城県土浦市の無差別殺傷事件を意識したと語っている。
 加藤被告は事件当日、重傷の女性(当時24)1人に対する殺人未遂容疑で現行犯逮捕、10日に送検された。6月20日、7人を殺害した殺人容疑で再逮捕。9月30日、9人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑で追送検された。10月9日、男性巡査部長をダガーナイフで斬りつけたとして、殺人未遂と公務執行妨害容疑で追送検された。
 東京地検は2008年10月10日、加藤被告を起訴した。約3ヶ月間実施した精神鑑定結果から、総合失調症などの精神疾患や人格障害はなかったと判断。ナイフ購入やトラック予約など準備が計画的であること、事件前後の状況説明に矛盾がないことから、心神喪失や心神耗弱でなかったと結論づけた。
 加藤被告は初公判前、取り押さえる際に負傷した警察官を含む計18人の被害者や遺族らに謝罪の手紙を送った。1人が受け取りを拒否。また一部の被害者とは直接やり取りしない取り決めとなっており、検察に手紙が託された。
一 審
 2011年3月24日 東京地裁 村山浩昭裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年9月12日 東京高裁 飯田喜信裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 公判前整理手続きにより、争点は(1)事件当時の完全責任能力の有無(2)殺人未遂罪のうち、ナイフで刺した被害者1人に対する殺意の有無(3)警察官1人に対する公務執行妨害罪成立の可否−の3点に絞られた。検察側は事件を思い出さなければならない被害者の心理的負担を考え、供述調書の採用を求めた。だが、弁護側はほとんどについて採用に不同意としたため、負傷した10人のうち9人を含む計42人が法廷で証言せざるを得なくなった。ある男性被害者は事件後に外出できなくなって出廷もできず、検察側が調書の一部を撤回した。弁護側には被害者らの尋問で事実関係を直接確認する狙いがあるように見えたが、実際の尋問は数分で終わることが多く「弁護人の意図が分からない」と困惑する検察幹部もいた。
 2010年1月28日の初公判で、加藤被告は「まずはこの場を借りておわびさせてください。亡くなられた方、けがをされた方、ご遺族には大変申し訳ありません」と謝罪した。そして「起訴状については記憶がない部分もあるが、私が犯人であること、事件を起こしたことは間違いありません」と起訴内容を認め「取り返しがつかないことをした。私にできるせめてもの償いはどうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と述べた。
 検察側は冒頭陳述で動機について「唯一の居場所だった携帯電話サイトの掲示板が荒らされて書き込みがほとんどなくなり、自分の悩みや苦しみが無視されたと怒りを深めた。派遣先工場からも必要とされていないと思い、自分の存在を認めさせ復讐したいと考えた」と指摘した。
 責任能力に関しては、捜査段階の精神鑑定で何らの精神障害も認められなかったことに加え、違法性の認識があったなどとして、完全責任能力が認められると主張した。
 弁護側は冒頭陳述で、「完全責任能力があったことには疑いがある」と主張。「加藤被告は極悪非道な人生を送ってきたわけではない。どのように育ち、どのような考え方を持ったのか。彼にとって携帯サイトの掲示板が何だったのか。この2点に着目したい」と訴えた。またナイフで負傷させたとされる被害者のうち1人に対する殺意を否認。取り押さえようとした警察官を刺したとされる起訴内容についても公務執行妨害罪の成立を争う姿勢を示した。
 6月3日の第12回公判で検察側の立証がほぼ終了。計34人が出廷した。一部の証人は弁護側の手法を批判した。
 7月27日の第16回公判における被告人質問で加藤被告は、事件を起こした原因としてインターネット上の掲示板への嫌がらせ、言いたいことや伝えたいことを言葉ではなく行動で示して相手に分かってもらおうとする自分の考え方や、掲示板に依存していた生活のあり方を挙げた。また、そうした考え方になった理由を「小さいころの母の育て方が影響していると思う」と分析した。29日の第17回公判でも加藤被告はインターネットの掲示板を荒らされ「事件を起こさないと居場所がなくなる。やるしかないと思った」などと詳述。一方で事件前に「派遣切り」を宣告された点は「事件と関係ない。派遣先にも恨みはない」と述べ、検察側の主張を否定した。
 8月4日の第20回公判で村山浩昭裁判長は、加藤被告が犯行動機などについて述べた捜査段階の供述調書を証拠として採用することを決めた。
 9月14日の第21回公判では、捜査段階で検察側の依頼を受けて精神鑑定した医師が出廷した。鑑定医は加藤被告が「事件前後の記憶が一部途切れている」と述べたことについて「数分間の無我夢中の犯行で自然なこと。精神障害には当たらない」と証言した。
 10月5日の第22回公判で、村山浩昭裁判長は弁護側が請求した再度の精神鑑定について「必要性がない」と却下した。
 2011年1月25日の第28回公判で検察側は、「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。命をもって罪を償わせることが正義だ」と死刑を求刑した。
 2月9日の第29回公判で弁護側は最終弁論で「再鑑定が却下され、責任能力の有無は解明されていない。仮に責任能力が認められても死刑を科すべきではない」と主張。▽携帯サイトの掲示板の嫌がらせを原因とする記憶の欠落や身体的変調があり、精神疾患をうかがわせる▽母親の虐待で人格の偏りが生じ、掲示板に依存した。現在は後悔しており、更生可能性がある――といった点を考慮すべきだと述べ、「責任の重大さを終生考え、苦しみ抜かせることがふさわしい」と死刑回避を求めた。加藤被告は最終陳述で「今は事件を起こすべきでなかったと後悔、反省している。ご遺族と被害者の方に申し訳なく思っています」と短く述べて謝罪し、結審した。
 判決で村山裁判長は犯行動機について「公判で述べた『携帯電話の掲示板サイトでの嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった』との事情が主要なもの」と認定。背景に周囲への不満や、家族や友人、仕事を失った孤独感もあったが、「結果の大きさとの間に飛躍がある」と述べた。ただしその動機について、「個人的な事情で、これを理由に第三者に危害を加えることは許されない」と非難。弁護側が「犯行時は心神耗弱か心神喪失状態だった」とした主張も退けた。そのうえで「冷酷、執拗な犯行で動機は身勝手極まりない。危険な性格・行動の傾向は根深い。7人の尊い人命が奪われた結果は悲惨。通行人らをはね飛ばし、躊躇することなく目についた人をダガーナイフで刺すなど、人間性が感じられない」と指摘。「母親の不適切な養育による人格のゆがみが犯行の遠因。反省の姿勢を考慮すると、更生可能性が全くないとまでは言えないが、刑を大きく左右する事情とはいえない」と結論づけた。そして「白昼の大都会で起きた事件で日本全体が震撼した。一面識もない、無防備な通行人を次々に殺傷した刑事責任は最大級に重いことは明らか」と述べた。

 2012年6月4日の控訴審第1回公判で弁護側は、加藤被告には犯行時、完全責任能力があったと認めた一審判決は誤りだとして死刑回避を訴えた。さらに精神鑑定を新たに行うよう求めたが、高裁は鑑定の必要はないとして却下した。弁護側は、「責任は息子だけでなく、私たち親にもある。被害者や遺族の方々に心からおわびしたい」などとする加藤被告の両親らの陳述書を証拠提出した。検察側は控訴棄却を求めた。加藤被告は出廷しなかった。被告人質問も行われない。
 7月2日の第2回公判で、被害者と遺族が「死をもって償ってほしい」などと意見を陳述し、結審した。加藤被告は出廷しなかった。
 判決で飯田裁判長は一審同様、完全責任能力を認定。携帯電話サイトの掲示板での嫌がらせに対し「嫌がらせ行為が重大な結果をもたらすことを知らしめようとした」との動機に対し「被害者らを犠牲にし自己の意思を伝えようという発想自体、短絡的で独善的だ」と批判。「背景には積もった不満や深い孤独感があったと認められるが、第三者に危害を加えることが許されるものではない」と述べた。また「被告なりの反省の姿勢もうかがえ、立ち直りの可能性が全くないとは言えないが、死刑回避の十分な事情ではない」とし、死刑回避を求めた弁護側主張を退けた。そして「冷酷、残虐な犯行で、結果はあまりに重大。社会全体に与えた不安や衝撃も甚大だ。身勝手極まりない動機に同情の余地はない。計画的で強固な殺意に基づく冷酷・残虐な犯行。被害者らが被告の凶行の餌食となる理由はなく、無念は察するに余りある」と述べた。
備 考
 事件を受けて秋葉原の歩行者天国は中止となったが、2011年1月23日に再開された。
 東京地検は事件発生直後に、捜査から公判段階まで一貫して被害者を支援する担当検事1人を指名。遺族らを訪問し、捜査の進展状況を伝えたり、要望を聞いたり、鑑定結果の概要や刑事処分の方針、さらに起訴した事実を随時説明した。また東京地検は、2008年10月10日の加藤智弘容疑者起訴の発表会見に、事件を直接担当した特別公判部の主任検事を同席させた。裁判員制度導入を睨んだ初の試み。通常は決裁責任者が会見する。
 総務省はこの事件を受け、携帯電話やパソコンの掲示板に書き込まれた殺人予告などを自動的に検知し、110番する技術開発に乗り出した。2011年度までの完成と早期の実用化を目指している。また新技術は無料開放する方針としている。
 この事件を受け、銃砲刀剣類所持等取締法は、凶器となったダガーナイフなど、刃渡り5.5cm以上15cm未満の剣(他にブーツナイフ、ダイバーズナイフなど)についても新たに所持を禁じるよう改正され、2009年1月5日より施行された。また従来からの所持者は経過措置として、7月4日までに処分するよう義務づけられた。不法所持には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。
 また銃刀法改正前でも、18歳未満への青少年に対する販売禁止などの条例改正が各地で相次いだ。
 この事件以降、インターネット上の「犯行予告」が急増。ネット上の違法・有害情報の通報受付窓口、インターネット・ホットラインセンターによると、2006年6月〜2008年5月まで毎月7〜47件の殺害・爆破予告の情報が寄せられていたが、事件が発生した2008年6月には328件、7月には130件を数えた。ただし、2008年8月以降は2桁台前半で推移している。また警察庁によると、威力業務妨害や軽犯罪法違反などで検挙・補導した件数は2008年6月に書き込まれたものが45件、7月が16件、8月が8件を数えた。大半が10〜30代で、中には9歳や11歳の小学生が含まれていた。以後は件数が激減している。
 加藤被告を取り押さえた荻野尚巡査部長は2010年6月30日、第80回「都民の警察官」(産経新聞社ほか主催)の5人に選ばれた。
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氏 名
藤城康孝
事件当時年齢
 47歳
犯行日時
 2004年8月2日
罪 状
 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火
事件名
 加古川7人殺人事件
事件概要
 兵庫県加古川市に住む無職藤城康孝被告は2004年8月2日午前3時半頃、自宅東隣に住むおば(当時80)宅を襲い、おばと次男(当時46)を牛刀で刺し、次男を殺害した。続いて自宅西隣にある親類の男性宅を襲撃。男性(当時64)、妻(当時64)、長男(当時27)、長女(当時26)を牛刀で殺害した。その後、もっとも恨んでいたおばにとどめを刺すためにおば宅へ戻り、まだ息があったおばにとどめを刺した。そこへおば宅の隣に住む長男(当時55)と妻(当時50)が駆けつけてきたため、牛刀で刺して長男を殺害、妻に重傷を負わせた。
 その後、藤城被告は自宅に戻り、用意していたガソリンをまいて放火し、自宅は全焼した。一緒に住んでいた母(当時73)は就寝中だったが、事件中に目を覚まして近くの交番に保護を求めたため、怪我はなかった。
 藤城被告は事件後、自家用車で逃走。同市内の弟宅に立ち寄り、犯行を打ち明けた後、ガソリンで焼身自殺しようとして止められた。そして現場から南に約1km離れた国道バイパスの交差点で停止中、後から来たパトカーに気づいて車を急発進させ、高架の橋脚に衝突して炎上。両腕に重度のやけどを負って神戸市内の病院に入院していた。救出された際、警察官に犯行を示唆したため、県警は殺人容疑で逮捕状を取り、事情を聴いていた。 回復後の8月31日に逮捕された。
 藤城被告は3年前から近所の人を包丁で追い回すトラブルを再三起こしていた。粗暴であったことから周囲より邪魔者のように扱われたため、20年以上も恨みを抱いていた。
一 審
 2009年5月29日 神戸地裁 岡田信裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2013年4月26日 大阪高裁 米山正明裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 神戸地検は逮捕後の簡易精神鑑定で「刑事責任能力には問題ない」と判断し、起訴した。
 2005年1月28日の初公判で、藤城被告は「その通りです」と起訴事実を認めた。弁護側は「被告は犯行当時、心神耗弱か心神喪失の状態だった」と責任能力を争う姿勢を示し、被告の精神鑑定を申請する方針を明らかにした。
 検察側は冒頭陳述で「被告は幼少のころから自分たち家族が、おばから見下されていると感じ、反感を持つようになった」と指摘。「2000年夏、おば方の犬の鳴き声をめぐり抗議する際『見下した態度をとった場合には刺殺しよう』と思い、包丁を携帯した」などと殺害を決意した経緯を詳述した。
 弁護側の申請により精神鑑定が実施された。2006年10月の公判で、刑事責任能力の有無に言及していないものの、藤城被告を「妄想性障害のため、善悪を判断して行動する能力が著しく侵されていた」とする精神鑑定書が証拠採用された。検察側は鑑定書の信用性を争って再鑑定を請求し認められた。2008年12月18日、東京地裁での期日外尋問では「被告は情緒不安定性人格障害に、不安性人格障害の特徴を持っているに過ぎない。限定された範囲で責任能力が認められても不当ではない精神状態だった」との内容だった。
 2009年2月26日の論告求刑で検察側は「周囲から見下されていると憤まんを募らせ、殺害で一気に晴らそうとした。凶器を準備するなど計画的で残虐な犯行。まれに見る大量殺人事件だ」と述べた。商店となった責任能力については2度目の鑑定を基に「現実を離れてはいない」と指摘して、精神病ではなく完全責任能力が認められるとした。」と述べた。
 4月9日の最終弁論で弁護側は「被告は周囲に攻撃されるかもしれないとの妄想が病的に発展した妄想性障害で、犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱だった」として無罪または減刑を求めた。
 判決で岡田裁判長は、藤城被告が幼少期のころから、本家にあたるおばらから「分家」として見下されていたことや、親類男性一家とは、車の駐車方法をめぐって争いとなるなど、長年にわたって確執やトラブルがあったことを認定した。
 責任能力について、弁護側は「妄想性障害」による心神喪失、耗弱状態で無罪や減刑を主張したが、岡田裁判長は過去のトラブルなどを挙げ「被告が殺意を抱いたことは、通常あり得ることで、現実と遠い考えではない。情緒不安定の人格障害はあったが、完全責任能力があった」として退けた。
 また岡田裁判長は、藤城被告が犯行前から凶器を準備していたことや、7人を殺害後、古い自宅をマスコミに撮影されたくないとの理由で放火、その後自殺を図るという計画を実行したと指摘。「強固な殺意に基づく冷酷で残忍な犯行。7人もの生命を奪った責任は重大。藤城被告の家族が親せきから長年、嫌がらせやいじめを受けた事実などを考慮しても、結果の重大性などから見て被告人の罪責はあまりに重大。犯行後の自己を正当化する態度が見られ、極刑に処するしかない」と結論付けた。

 2010年2月26日の控訴審初公判で弁護側は、事件当時は妄想性障害による「心神耗弱」で限定的な責任能力しかなかったと主張し、完全責任能力を認めた一審判決の破棄を求めた。弁護側は、限定責任能力だったとする精神鑑定書を証拠申請したが、古川裁判長は却下した。検察側は控訴棄却を求めて即日結審した。
 裁判官が被告人質問を行い、事件を起こした理由や死刑に対する考えなどを尋ねたが、藤城被告は一審公判同様、すべての問いに「答えたくありません」と拒否した。
 4月23日に判決が予定されていたが、4月19日付で大阪高裁(古川博裁判長)は判決期日を職権で取り消し、弁論再開を決定した。
 8月9日の第2回公判で古川博裁判長は、検察側と弁護側双方が一審で提出した精神鑑定結果について、新たに鑑定人を採用し尋問を行うことを決めた。
 2012年7月13日の公判で、被告の精神鑑定を担当した精神科医が証人出廷。藤城被告について「近隣住民に対し『監視し、追い出そうとしている』との被害妄想を抱き、攻撃的で衝動的な性格を強めた」と説明。犯行時の被告は妄想性障害だったとしたうえで、「精神障害がなければここまで(の事件)には至らなかったのではないか」との見解を示した。
 12月26日の最終弁論で弁護側は「精神鑑定の結果から被告は当時、妄想の影響を受け責任能力は限定的だった」と主張した。検察側は「妄想による犯行ではなく完全責任能力がある」と控訴棄却を求めた。
 判決で米山裁判長は、精神鑑定に基づき、藤城被告が犯行当時、妄想性障害にかかっていたことは認めた。しかし、被告と被害者の間に長期間にわたる深刻な確執があったとし、「被告の性格を考慮すれば、見下されていたと感じて殺意を抱いたことは了解できる。妄想でしか説明が困難とは言えない」と指摘。妄想性障害が犯行に著しい影響を及ぼしたことを否定し、完全責任能力があると結論付けた。
備 考
 加古川署は藤城被告の行動やトラブルについて相談を受けていた。県警の前田瑞穂生活安全部長は2004年8月16日の県議会警察常任委員会で、「後難を恐れる相談者の協力が得られない中、パトロールを強化するなど的確に対応していた」と説明した。
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氏 名
新井竜太
事件当時年齢
 41歳(2010年6月25日逮捕当時)
犯行日時
 2008年3月13日/2009年8月7日
罪 状
 殺人、詐欺
事件名
 埼玉深谷男女2人殺害事件
事件概要
 横浜市に住む内装工の新井竜太被告は、いとこで埼玉県富士見市に住む無職高橋隆宏受刑者と共謀。2008年3月13日午前10時ごろ、新井被告の実家の内装会社で、高橋受刑者の養親である住み込み従業員の女性(当時46)に睡眠薬を飲ませ、浴槽に沈めて殺害。保険会社に「事故による溺死」とうその申告をして、同年7月、預金口座に死亡保険金約3600万円を振り込ませた。新井被告が2800万円を、高橋受刑者が800万円を手にした。2人は消費者金融や車ローンなどの借金を抱えていた。
 高橋被告は、2006年夏ごろに携帯電話のサイトで女性と知り合った。2人は別の男性2人を養父、女性を養子として相次いで縁組。さらに2007年1月、高橋受刑者を養子、女性を養母とする縁組を行った後も、別の男性1人を女性の養子とする縁組を行った。いずれも借金目的である。その後の2007年10月、死亡時に保険金が支払われる特約付きの傷害保険に女性を加入させていた。
 両被告は深谷市に住む両被告の叔父(当時64)と金銭トラブルが生じ、2009年8月7日、家で酒を飲んで眠り込んだ叔父の胸を、高橋受刑者が柳葉包丁で刺して殺害した。新井被告は2月ごろから叔父の家をリフォームしていたが、それにかこつけて金をむしり取っていた。
 8月9日午後、洗濯物が干されたままになっているのを不審に思った友人が通報し、警察官が室内で刃物が胸から背中にかけて貫通している遺体を見つけた。2010年6月25日、埼玉県警は交通保険金をだまし取った詐欺事件で逮捕されていた2人をおじ殺害容疑で再逮捕。高橋受刑者は別の銃刀法違反事件で懲役3年の実刑判決が確定し、服役中だった。11月4日、女性殺害容疑で2人を再逮捕した。
一 審
 2012年2月24日 さいたま地裁 田村真裁判長 死刑判決
控訴審
 2013年6月27日 東京高裁 井上弘通裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2012年1月17日の初公判で新井竜太被告は、高橋隆宏受刑者の養母殺害について「事故で亡くなったと思っていた」と否認。死亡保険金3600万円の詐取については「事故で亡くなったので詐欺ではない」と主張した。おじの殺害についても「殺していません」と否認した。
 検察側は保険金殺人事件の冒頭陳述で、借金を踏み倒すために養母に養子縁組を繰り返させたり、売春させるなど金づるにしていたことを明らかにした。その上で「思ったより稼げなくなったと高橋受刑者に相談され保険金殺人を提案した」と指摘。養母が売春について新井被告の母親に告げ口したことに憤りを感じ「睡眠薬を飲ませ浴槽に沈め、事故に見せかけて殺すように高橋受刑者に指示した」と主張した。
 弁護側は遺体が司法解剖されていないことから「睡眠薬を飲まされて殺された客観証拠はない」と主張。「仮に高橋受刑者が殺害していたとしても、1人でやったこと」とし、新井被告の指示を否定。「一連の事件で被告人は何もしていない。(2人に)絶対的服従関係はなかった」と訴えた。
 その後の公判でも、新井被告の弁護側は、養母は事故死か高橋受刑者が1人で殺害した、おじは高橋受刑者が1人で殺害した−−などとして無罪を主張した。
 2月15日の論告で検察側は、新井被告が死亡保険金の入手や金銭トラブルから逃れるために2人の殺害を計画したと主張。新井被告が高橋隆宏受刑者に、2人の殺害方法を指示し実行させたと指摘。そして、「極めて計画的で残虐な犯行。だまし取った保険金の約8割が新井被告の分け前となったことなどから、被告が首謀者であることは明らか。2人の尊い命を金銭的利欲のために奪った犯行の悪質さ、遺族感情などに照らして極刑以外にない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、高橋受刑者との関係について、「犯行は高橋受刑者が決断、実行したもの。責任を転嫁された」として改めて無罪を主張した。
 最終陳述で新井被告は、「女性が隆宏から自立する手助けをした。男性は一番仲の良いおじだった。事実を伝えたい」と、便箋9枚にわたる文面を読み上げた。そして「事実と違う過去を押しつけられ、私は犯人に仕立て上げられた。どうか適切な判断をしてください」と述べた。
 判決で田村裁判長は、「高橋受刑者と交わしたメールと照らしても供述は不自然、不合理で信用できない」と新井被告側の無罪主張を退け、「終始主導的立場で高橋受刑者を意のままに動かした」と指弾した。そして、「保険金の7割を超える2800万円を受け取っている。命を多額の金銭に換えた、利欲的でおぞましい動機に酌量の余地はない。遺族も極刑を望んでいる。反省や改悛の情もうかがえず、刑事責任は重い」と述べた。

 2012年7月31日の控訴審初公判で弁護側は「殺害は高橋隆宏受刑者の単独犯行で共謀はない」と無罪を主張。「共犯者との関係性は、原判決とは異なる」として、新井被告がいとこの男(無期懲役確定)と交わしたメールを高裁に証拠申請した。検察側は不要と主張し、高裁は留保した。
 2013年3月18日、結審した。
 判決で井上裁判長は、「横浜の事件では、被告が保険金を受け取る手続きをしているほか、埼玉の事件では犯行に加わったいとことのメールのやりとりなどから殺害を認めた一審に誤りはない。共犯者の証言は信用でき、被告が主導的立場だったと認められる」と、一審同様新井被告が高橋隆宏受刑者に殺害を指示したと認定。主導的立場で、責任は高橋受刑者より相当に重いとして死刑を選択した一審判決について、「判断に誤りはない」と述べた。そして「犯行はいずれも計画性が高く、冷酷で非道。身勝手な動機に酌量の余地はない」と述べた。
備 考
 養母殺害について、当時、神奈川県警に事情を聞かれた2人は、「夜中から酒を飲み、泥酔状態だった」「自分たちが外食から戻ると、風呂でおぼれて死んでいた」などと説明。監察医による検案でも犯罪性は見当たらないとされた。しかし、遺体の血中アルコールはごく微量で、説明と食い違うのに、同県警は司法解剖をせず、「事故による水死」と判断していた。2010年11月5日、県警幹部は初動捜査のミスを認め、遺族や関係者に謝罪した。
 高橋隆宏被告受刑者は2011年7月20日、さいたま地裁(田村真裁判長)の裁判員裁判で求刑死刑に対し、一審無期懲役判決。判決で田村裁判長は、「強固な殺意に基づく冷酷非道なもので、新井被告に従っていれば分け前をもらえると犯行に至った。身勝手極まりない」と指弾した。死刑を回避した理由については、「新井被告の手足として行動し、従属的立場で、責任は新井被告に比べて相当程度低い。反省、悔悟の情が認められ、死刑を科すにはちゅうちょを覚えざるを得ない」とした。また、養母殺害では神奈川県警が司法解剖を行わず、殺人事件として捜査していなかったが、「高橋被告が自白したからこそ、事件が明らかになった」と指摘した。控訴せず、確定。
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氏 名
高見素直
事件当時年齢
 41歳
犯行日時
 2009年8月2日
罪 状
 現住建造物等放火、殺人、殺人未遂
事件名
 大阪パチンコ店放火殺人事件
事件概要
 大阪市此花区の無職高見素直(すなお)被告は、2009年7月5日16時頃、自宅から徒歩5分のところにあるパチンコ店で、バケツに入れたガソリンをまいてマッチで火を放った。派遣店員で専門学校生の女性(当時20)、客の男性(当時69)、女性(当時72)、女性(当時62)が焼死。また客の男性(当時50)が、広範囲のやけどで感染症を引き起こしたことによる多臓器不全で8月7日に死亡した。また客10人に重軽傷を負わせた。
 高見被告は夜になって自宅から岡山へ移動。翌日に岩国市へ移動し、12時40分、山口県警岩国署へ出頭。20時50分、大阪府警が逮捕した。
 高見被告は高校卒業後、10以上の職を転々。2009年4月に退社後はブラブラしており、事件当時約200万円の借金があった。
 大阪地検は7月24日、高見素直被告について、正式な精神鑑定を実施するための鑑定留置を大阪地裁に請求し、認められた。10月26日までの3カ月間の精神鑑定で、「統合失調症」と診断されたが、地検は刑事責任能力があると判断し、12月3日に起訴した。
一 審
 2011年10月31日 大阪地裁 和田真裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2013年7月31日 大阪高裁 中谷雄二郎裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、高見被告の責任能力の程度と、死刑制度の違憲性が争点となった。公判前整理手続きで、弁護側の求めにより地裁が再鑑定を実施。検察・弁護側の推薦で選んだ医師2人が再鑑定した。
 2011年9月6日の初公判で、高見被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、仕事が見つからず生活苦に陥った高見被告が「だれでもいいから殺して、むしゃくしゃを晴らしたいと考えた」と指摘。簡単に多数の人を殺害できるとの理由でパチンコ店を狙ったとした。争点については、犯行後に逃走したこや公判前の精神鑑定などを踏まえ「違法性の認識はあり、刑事責任能力は完全」と主張。「死刑はこれまでの判例で合憲とされている」と述べた。
 弁護側は冒頭陳述で、高見被告が覚醒剤使用による精神障害で「マーク」という集団や「みひ」という女性に嫌がらせを受けている妄想にとらわれ、「見て見ぬふりをする世間に攻撃しようとした」と動機を説明。「善悪の判断能力が著しく損なわれていた」と主張した。
 高見被告の妄想については、9月22日の第6回公判における被告人質問で、30歳ごろから妄想上の女性の声が聞こえ始め、女性の指示に従わないと嫌がらせを受けるようになった、と主張している。
 9月23日の第7回公判における被害者参加人による直接質問で、高見被告は「当然死刑でいいと思う」と述べ、謝罪を求めた遺族に「今さら謝る気もない」と述べた。
 精神鑑定の結果については10月4〜6日の第8〜10回公判で証人出廷。起訴前に鑑定した医師は「統合失調症による妄想により、善悪の判断能力などはかなり失われていた」とし、心神耗弱だったとする弁護側の主張に沿う意見を述べた。一方、公判前に鑑定した裁判所選任の医師2人は「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で及んだ」と述べ、完全責任能力があったとする検察側の主張に沿う見解を示した。このうち1人は「困窮などで心理的な負荷がかかり、自らの性格により実行を決めた」と指摘した。
 10月11日〜12日の第11〜12回公判は、死刑制度が憲法違反か否かをめぐる審理が開かれた。裁判員法は憲法などの法令解釈をめぐる審理は裁判官のみで行うと定めており、この公判については和田裁判長は「裁判員の意見も参考にしたい」として、希望する裁判員の参加を許可する自由参加となっていたが、11日は午前6人・午後5人が、12日は午前5人・午後4人が出席した。
 11日の審理ではまず弁護側が冒頭陳述で、日本の落下式の絞首刑は頭部が切断されるなど、法が予定しない死に方になる可能性があると指摘。残虐な刑罰を禁じた憲法36条に違反すると主張した。その後、オーストリア・インスブルック医大法医学研究所副所長のバルテル・ラブル博士が弁護側証人として出廷。絞首刑の死因については、頸動脈の圧迫による脳の酸欠や窒息だけでなく、まれに首の切断や骨折、神経の損傷による心停止もあると説明し、「何が起こるか予想はつかない」と証言した。そして「首の血管の圧迫が理由なら、意識を失うまで5〜8秒、死ぬまで5分程度かかる」、米国の実験結果を基に「人の意識は首を圧迫されて血流が止まると同時に消失するものではない」などと証言した。
 12日の審理では、元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授が弁護側証人として出廷。検事時代に死刑執行に立ち会った経験から「絞首刑は限りなく残虐な刑罰に近く、憲法36条に違反する」と述べた。死刑制度そのものについては「憲法により存置が許されている」との考えを表明したが、世論調査などで死刑賛成が過半数となることについては「正しい現状認識に基づくものなのか」と疑問視。絞首刑を合憲とした1955年の最高裁判例に対しては、土本氏は「当時妥当性があったとしても、今日なおも妥当性を持つとの判断は早計に過ぎる」と述べ、否定的な見解を示した。
 13日の第13回公判では、意見陳述した遺族や被害者ら11人全員が極刑を求めた。ある遺族は死刑の違憲性が争点になっていることに触れ、「犯罪事実と関係ないことで争わないで。償い、責任を取ってもらうため死刑を望む」と訴えた。
 17日の論告で検察側は「被告は仕事が見つからず生活が行き詰まり、無差別殺人を考えた。動機に妄想的な考えが加わっているが、本質は現実問題に対する八つ当たりだ」と指摘。「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で犯行に及んだ」と述べ、完全責任能力があったと主張した。また、最高裁判例を踏まえ「死刑制度は憲法に違反しないことは明らか」と強調。最高裁が示した被害者数などの死刑の判断基準(永山基準)に照らして「死刑が相当」とした。
 弁護側は最終弁論で「被告は妄想上の女性からさまざまな嫌がらせを受け、それを見て見ぬふりをする不特定多数の人を攻撃することで女性に反撃しようと考えた」と反論し心神耗弱を主張した。オーストリアの法医学者や元最高検検事の証言を基に「絞首刑は頭部が切り離されたり意識が瞬時に失われない可能性があり、不必要な苦痛や損傷が生じる。憲法に違反する残虐な刑罰だ」と主張した。
 高見被告は最終陳述で「法廷はうそをつかないのが原則なのに、みんな(妄想上の)女性の存在を知っていて隠している」などと語り、事件への言及はなかった。
 判決で和田真裁判長は争点となった絞首刑が憲法の禁じる「残虐な刑罰」に当たるかどうかについて、裁判員の意見を踏まえ「最善の方法かどうかは議論があるが、死刑はそもそも生命を奪って罪を償わせる制度で、ある程度の苦痛やむごたらしさは避けがたい」として合憲と判断。また、死刑の執行方法の在り方について「残虐と評価されるのは非人間的な場合に限られ、そうでなければどのような執行方法を選択するかは立法の裁量の問題だ」と述べた。
 事件について和田裁判長は起訴内容通りの犯罪事実を認定。精神鑑定の結果などから「被告は犯行当時、主体的に判断し、行動できていた」と完全責任能力があったと判断した。そして「大量無差別殺人に向けた計画的で残虐非道な無差別殺人事件だ。まれに見る悲惨な事案で動機も身勝手極まりない。生命をもって償わせるしかない」と述べた。

 11月2日、高見素直被告の弁護人は判決を不服として控訴した。弁護人は「量刑は不当で、絞首刑を合憲とした判断にも誤りがある」としている。
 2013年5月23日の控訴審初公判で、弁護側は改めて「妄想の影響を受け、責任能力は限定的だった」と主張。一審判決が合憲と判断した絞首刑についても、「不必要に苦しみを与え続けるのは憲法が禁じる残虐な刑罰にあたる」と訴えた。一審の裁判長が絞首刑の残虐性を検討する審理に裁判員全員の参加を求めなかったことに対しても「適切な手続きをとらなかった」とした。検察側は控訴棄却を求めた。
 6月27日の公判で弁護側は、被告が犯行時、精神疾患による妄想に大きく影響を受け、心神耗弱の状態だったとし、「完全刑事責任能力を認めた一審判決は事実誤認。高裁は慎重に判断すべきだ」と主張。絞首刑を合憲とした一審の判断については、「必要以上の苦痛を与える方法で、憲法が禁じる残虐な刑罰に当たる」と指摘した。検察側は控訴棄却を求めて結審した。
 判決で中谷裁判長は、「犯行時やその前後を通じて特に異常な言動はなく、周囲の状況を正しく認識しながら合理的な行動を取っていた。妄想が直接影響を与えたとまでは言えない」と指摘、一審同様に完全な刑事責任能力を認めた。死刑の違憲性については執行方法が1873(明治6)年の太政官布告で決められたことに触れ、「現行の執行方法は実際には布告と食い違っている。140年前に定められたものが、新たに法整備されず放置されているのは立法政策として望ましくない」と言及したが、「絞首刑で苦痛を感じる時間は短時間にとどまり、残虐とまで評価できない」として合憲と判断した。そして「極めて残虐な犯行で、社会に与えた衝撃は大きい」と述べた。
備 考
 本事件を受け、大阪府内のガソリンスタンド事業者でつくる府石油商業組合などは2009年8月から、携行缶でのガソリン購入者に対し、身分証明書で本人確認を行うなどの取り組みを始めた。都道府県単位では全国初。
 一審の裁判員専任9月2日〜判決10月31日までの任期60日間は、2011年10月の判決時点では裁判員裁判で最長だった。
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氏 名
C・Y
事件当時年齢
 18歳
犯行日時
 2010年2月10日
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃刀法違反、未成年者略取、傷害
事件名
 石巻3人殺傷事件
事件概要
 宮城県東松島市に住む解体工の少年(当時18)は同市に住む無職少年(当時17)を連れ2010年2月10日午前6時40分ごろ、宮城県石巻市の男性宅に合鍵を使って侵入。交際していた男性の次女(当時18)と話をさせるよう長女(当時20)に求めたが断られため、持っていた牛刀(刃渡り約18cm)で長女の腹部を刺して殺害した。さらに悲鳴を上げておびえる知人の女子高校生(当時18)の肩をつかんで立たせ、腹部を何回も突き刺して殺害。救急車を呼ぼうとした友人男性(当時20)も刺して大けがを負わせた。
 さらに少年2人は、2階にいた次女を連れ出し、約6時間にわたり、知人から借りた乗用車2台を使い、石巻市や東松島市などを逃げ回った。2人は10日午後1時過ぎ、石巻市内の知人宅を出たところを拉致と監禁容疑で現行犯逮捕された。
 また2月4日〜5日には当時同居していた次女の全身を鉄棒で殴るなどして重傷を負わせた。
 凶器の牛刀と手袋は無職少年が解体工少年に指示され、石巻市内のホームセンターで万引きしたものだった。
 少年と次女は2008年8月ごろから交際し、一時期同棲していた。しかし2〜3週間後から暴行が始まったため、次女は2009年2月以降、石巻署に相談。石巻署は少年に警告していた。次女は同時期、同署の紹介で、家庭内暴力(DV)の保護施設に入ったが、間もなく、同署に「(少年と)よりを戻した」と連絡した。2009年10月には女児が誕生。しかし暴力は続き、2010年1月以降、石巻署への相談が再び増加。女性は6日に実家へ戻ったが、9日夜にも少年が女性宅に入り込んで長女に警察を呼ばれて追い出されており、10日に診断書と傷害の被害届を出す予定だった。事件当時、家には男性、男性の母親、次女の娘(4ヶ月)が居たが無事だった。女子高生と知人男性は日頃から姉妹の相談を受けており、この日も相談にのるために居合わせていた。
 少年は市内のアパートで30代の母親と同居したり家出したりを繰り返していた。2009年4月にはアパートの階段で母親に殴る蹴るの暴行を加え、肋骨を折るなど全治約4週間の重傷を負わせた。5月に逮捕され、6月に保護観察処分となり、事件当時も観察中だった。
 共犯の少年は主犯の少年に普段から使い走りをさせられており、事件時も「やらないならお前も殺す」と脅されていた。事件時には殺害現場の部屋の入り口で次女らの逃げ道をふさぐなどし、事件後には「お前が罪をかぶれ」と脅され、凶器の牛刀に指紋を付けさせられ、犯行後には返り血のついたダウンジャケットを着させられていた。
 少年2人は3月4日、殺人、殺人未遂容疑などで再逮捕され、6日に送検された。26日、主犯の少年をは殺人他容疑で、共犯少年は殺人ほう助他容疑で仙台家裁に送致された。4月19日、仙台家裁は共犯少年を殺人ほう助、殺人未遂ほう助の非行事実で検察官送致(逆送)を決定した。21日、主犯少年を殺人他の非行事実で検察官送致を決定した。仙台地検は28日、共犯少年を殺人ほう助罪などで仙台地裁に起訴した。30日、主犯少年を殺人罪などで仙台地裁に起訴した。
一 審
 2010年11月25日 仙台地裁 鈴木信行裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2014年1月31日 仙台高裁 飯渕進裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。被告は事件当時18歳7ヶ月。公判前整理手続きで主な争点は(1)刑事処分ではなく、少年法に基づく保護処分が妥当か(2)殺意の程度(3)略取の故意の有無――に絞られた。
 2010年11月15日の初公判で少年は罪状認否で殺人の計画性や略取など起訴事実の一部を否認したが、殺人などについては「間違いない」と述べ、大筋で認めた。
 冒頭陳述で検察側は、3人殺傷の状況を「無抵抗の長女を深々と牛刀で刺した」などと詳述し「残忍で悪質」と非難。動機に関し「女性との仲を引き裂こうとしている姉を殺そうとした。強固な殺意があった」と指摘した。「被害者遺族の処罰感情がしゅん烈。犯罪性向が根深く、もはや更生の可能性はない」と述べた。
 一方、弁護側は「次女と話したいと思って自宅を訪れた時に殺意はなかった」として、現場で突発的に殺意が生じたと反論。「深く反省し謝罪の気持ちを持っている」と述べ、保護処分が相当で家裁への移送を主張した。
 19日の論告で検察側は「事前に準備した牛刀で、命ごいする被害者をメッタ刺しにするなど残虐で冷酷。共犯者に罪をかぶせようとした」などと指弾。「保護観察処分中に事件を起こしており更生は期待できない。遺族も極刑を求めている」とした。光市母子殺害事件の広島高裁での差し戻し控訴審で事件当時18歳1か月の少年に出された死刑判決を挙げ、「いずれも殺害されたのは2人だが、本件は殺人未遂の1人が加わる」などと量刑判断を説明した。
 弁護側は、3人殺傷を認めたうえで「殺意は犯行直前に突発的に生じた。反省しており、少年は人格がこれから変わり、更生する可能性は十分ある」と述べ、「死刑は、人間の生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な究極の刑罰。少年法の理念とはかけ離れている」と極刑の回避を訴えた。そして少年院送致などの保護処分が相当と訴えた。
 少年は最終陳述で「どんなに反省しても、悔やんでも、絶対に帰ってこない。遺族の傷跡は深く、僕のことをずっと恨んで、許せないと思っています」。数十秒の沈黙を挟み、少年は、「僕みたいな最低なことをしてしまう人が現れないように、今後のためにも、厳しく処罰してください」と頭を下げた。
 判決理由で鈴木裁判長は「(最高裁が示した死刑適用基準の)永山基準に照らし、遺族感情に考慮した。事件当時18歳7ヶ月だったことは刑を決める上で相応の考慮は払うべきだが、死刑を回避する理由にならない」と断じた。また少年が否認していた未成年者略取罪などについても全面的に認定した。犯行態様について「無抵抗な被害者にためらいなく牛刀を何度も突き刺し、傷の深さは肺にまで達するなど、極めて執拗かつ残虐で冷酷さが際立っている」と指摘。交際相手の少女を手元に置きたかったとした動機も「身勝手」と非難。3人殺傷の結果も極めて重大とした上で、「被害者や遺族の処罰感情も厳しく、この点も量刑上考慮するのが相当だ」と述べた。別の事件で保護観察中だったことや元交際相手の少女に日常的に暴力を振るっていたことにも触れ、「犯罪傾向は根深く、他人の痛みや苦しみに対する共感性も全くない」と指弾。公判で語った反省の言葉について「自分の言葉で反省していない。事件の重大性を十分認識しておらず、反省に深みがあるとは言えない。更生可能性は著しく低い」と認定し、死刑が相当と結論づけた。

 少年被告は当初控訴に消極的であったが、弁護団の説得に応じ控訴した。控訴審では弁護士15人からなる弁護団で元少年の弁護にあたった。
 2011年11月1日の控訴審初公判で、弁護側は一審判決判決が3人の殺傷が計画的犯行としたことについて、「警察に通報されたと思いこみ、感情のコントロールを失って、強い情動に突き動かされて犯行に及んだ」と反論。量刑についても、「成長発達途上にある少年には、更生可能性があるものと推定されるべき」と述べ、「命を持って償わせるべき事件でないことは明らか」と訴えた。一方、検察側は「犯行後、共犯者らに被害者の身体のどの部分を何回刺したかについて説明するなど、感情のコントロールを失い、強い情動に動かされて犯行に及んだものではない」と指摘。「自己の行為を十分認識しつつ殺害行為を行った」と述べ、計画的な犯行と改めて主張。一審判決は「詳細に検討した上での結論であり、判断は適切」と支持した。
 12月16日の第2回公判で、殺害された長女の司法解剖を担当した男性医師が証人として出廷し、腹部の傷について、「(傷の形は)複数回の牛刀の抜き差しでできるが、確定ではない」と述べた。その上で、「被害者の体が大きく動いた場合にも同様の形になり得る」などとし、「複数回の抜き差しがなかったとしても説明は可能」と指摘した。一審判決では「長女を牛刀で刺した状態のまま、2、3回前後に動かした」とし、犯行態様の残虐性の証拠としている。弁護側は控訴趣意書で「客観的証拠がない」と指摘、控訴審の争点の一つとなっている。
 2012年2月9日の第3回公判では、弁護側の依頼で2011年4〜6月に被告を精神鑑定した医師が証人として出廷した。犯行について医師は、「犯行は突発的な感情の変化による爆発的行動である情動行為で、意識障害に陥った」と証言した。情動行為が起きた原因として、過去の被虐待歴や元交際相手との過剰な共依存関係などを挙げた。一審判決が「更生可能性は著しく低い」とした点についても、更生は可能との見方を示した。
 7月25日の第4回公判で、検察側証人の国立精神・神経医療研究センターの岡田幸之・司法精神医学研究部長は「少年に医学的な意味での精神障害はない」と述べた。
 10月23日の第5回公判で弁護側は、共犯の元少年が2012年1月、自分の裁判の弁護人だった弁護士あてに、「(少年が)『殺す』と言っていなかった場面でも、言っていたことにして証言した」などとする手紙を送っていたと述べた。弁護側は、この手紙を証拠として申請したが、高裁は却下。弁護側は「事件に計画性がないことは明らか。共犯の元少年の供述は検察官の作為によって作り出された」として、元少年を証人申請した。高裁は採否の決定を留保した。
 12月6日の第6回公判における被告人質問で、被告は一審で認めていた殺意を否定した。
 2013年4月26日の第9回公判で、共犯者の元少年が弁護側の証人として出廷し、「被害者宅に入ったのは殺害ではなく脅す目的。被告は突発的に被害者を刺した」などと一審時の証言を覆し、犯行の計画性を否定した。「証人テスト」といわれる検察官との打ち合わせで「被害者を非難するようなことを言ってはいけない」と言われたため、被害者の通報が殺害のきっかけになったと捉えられないよう、一審では偽りの証言をしたという。
 5月30日の第10回公判で、被告は一審で認めていなかった事件直前の元交際相手の次女への暴行などに対して、「共犯が本当のことを言ってくれたから、自分も言う」と前置きし、一転して認める供述をした。
 7月12日の第12回公判における証人尋問で、殺害された知人高校生の父親は「そばにいた交際女性は認識し、刺していない。被害者の体の重要な部分を狙って刺している」と述べ、衝動的な犯行との見方を否定した。大けがを負った友人男性も、「心的外傷後ストレス障害になり、完治していない。死刑を望む」と話した。また仙台高裁は、弁護側による新たな精神鑑定を却下した。
 8月29日の第13回公判で、被告は「償うために生きたい」と訴えた。
 11月21日の第14回公判における最終弁論で弁護側は、共犯の元少年が一審での証言を翻し、「(元交際相手の女性宅に行ったのは)脅すつもりで、殺意はなかった」と述べ、被告も「刺した時の記憶はない」と証言したことを強調。被告を精神鑑定した医師の証言などと併せ、「情動による衝動的犯行」とし、計画性を改めて否定し、死刑判決の破棄を求めた。一方、検察側は「殺傷能力の高い牛刀を共犯者に万引きさせたり、手袋を着けたりした行為は脅し目的とは矛盾する。元交際相手や共犯者は刺しておらず、相手を選別していた」と弁護側の情動説を否定し、控訴棄却を求めた。
 判決で飯渕裁判長は共犯の元少年が、検察官から虚偽の証言を強要されたと主張したことについて、「一審時の証言は十分に信用に値する。証言の強要があったとは認められない」と判断した。殺害の計画性についても、「殺意が(元交際相手の連れ去りを妨害された場合という)条件付きだったとしても、相応の計画性があった」と認定した。そして飯渕裁判長は、最高裁が死刑判断の基準として示した「永山基準」に沿い、被害者を何度も牛刀で刺した殺害方法の残虐さや、若年の3人の男女を殺傷した結果の重大性について強調。被告が当時18歳7カ月だったことや、幼少期に虐待を受けて育ったことなど「酌むべき事情は最大限考慮した」上で「人命軽視の態度は顕著。動機は身勝手で酌むべき余地は全くない。死刑の選択を回避する余地があると評価することはできない」と結論付けた。
備 考
 裁判員裁判で2例目の死刑判決。少年被告では初めて。判決時少年である被告への死刑判決は1969年2月28日、東京地裁八王子支部で19歳11ヶ月(誕生日1日前)の少年に死刑判決が出て以来41年ぶり(二審で無期懲役に減刑)。
 共犯の無職少年は2010年12月17日、仙台地裁で懲役3年以上6年以下の不定期刑判決(求刑懲役4年以上8年以下の不定期刑)。弁護側は「(元解体工少年の)命令に逆らうと、自分や家族が暴行を受ける危険があった」と、少年法による保護処分を求めていたが、川本清巌裁判長は「弁護人が指摘する点を最大限考慮しても、保護処分は社会的に許容されるものではない」と退けた。そして「(被害者の逃走を困難にするため、事件現場の)寝室の出入り口ドアを閉めるなどして元解体工少年の犯行を容易にした。だが、元解体工少年から服従関係を強いられていた」と述べた。検察・被告側控訴せず確定。
 殺害された長女の祖母は、元解体工の元少年と共犯の元少年に対し、慰謝料など1100万円の損害賠償を求める訴訟を2013年2月7日付で仙台地裁に起こした。しかし祖母は亡くなったため、提訴は取り下げられた。
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氏 名
伊藤和史
事件当時年齢
 31歳
犯行日時
 2010年3月24日〜25日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件名
 長野一家3人強殺事件他
事件概要
 リフォーム会社従業員伊藤和史被告は、建設会社従業員松原智浩被告、同池田薫被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業斎田秀樹被告と共謀。2010年3月24日未明、伊藤被告が勤めるリフォーム会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。
 内妻殺害は松原被告と池田被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加した斎田被告が提供した。
 男性は松原被告、池田被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。斎田被告は男性の知人だった。
 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。池田被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。斎田被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。
 他に伊藤和史被告は、神戸市に住むH被告、後に被害者となる長男と共謀。2008年7月21日、兵庫県尼崎市内の駐車場で、沖縄県浦添市出身の知人男性(当時35)の遺体を乗用車に積み、同22日に長野市内へ運んだ。同23日には遺体を箱に入れて鍵をかけ、同市内の空き地に車ごと放置。さらに同年8月20日ごろには、同市にある貸倉庫に車を移して遺棄した。
 殺害された男性と3人は神戸市内の暴力団を通じて面識があり、男性が兄貴分であった。

 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。
 知人男性の遺体について5月31日、長野県警は死体遺棄容疑でH被告を逮捕、伊藤和史被告を再逮捕している。8月27日、H被告と伊藤被告が殺人容疑で追送検、長男が殺人と死体遺棄容疑で容疑者死亡のまま書類送検された。しかし犯行に使われたとされる拳銃は発見されず、遺体の損傷が激しいため、銃弾による傷の特定も困難なことなどから、捜査本部は両被告の再逮捕の見送りを決めた。伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。
一 審
 2011年12月27日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年2月20日 東京高裁 村瀬均裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2011年12月7日の初公判で、伊藤和史被告は「内容はおおむね認めるが、現金を取る目的で殺害したわけではない」と述べ、起訴事実を一部否認した。奪ったとされた現金約416万円について「(遺体の遺棄を依頼した斎田秀樹被告へ報酬として)100万円分は共謀を認めるが、(取ったことを知らない)他の金は他被告と共謀したわけではない」と述べた。
 冒頭手続きで、奪われたとされる現金の一部について、弁護人は「事前共謀はなかった」と主張したが、高木裁判長と検察側は「公判前整理手続きに出ていない主張だ」と釈明を求め、審理が一時中断した。
 検察側は冒頭陳述で、伊藤被告が男性宅に住み込みで働く中、長時間労働や休日が少ないことに不満を募らせ、男性と長男を「死んでほしい」と思うようになったと動機を指摘。「事前に現金を奪うことを共犯者間で話し合っていた」と強盗殺人罪の成立を主張した。期待可能性に関しては「生死にかかわるような暴力はなく、被告には行動の自由があった」とした。「被害者を殺害しなければ生きていけない」という極限状態ではなく、犯罪を思い止まる期待可能性があったと主張した。
 弁護側は冒頭陳述で、知人男性の死体遺棄事件で、現場に居合わせた伊藤被告が、長男に遺体運搬を手伝わされた後、住み込みで働くよう強要されたと説明。長男から「あいつみたいになってもいいのか」と脅されるなど、親子から日常的に暴力や脅迫を受けていたと強調し、「逃れるためには殺害するしかなかった。現金目的ではなく強盗殺人は成立しない」と反論した。
 12日の公判で、松原智浩被告が証人出廷し「伊藤被告と『男性から奪った金は分けよう』と話し合った」と述べ、事前に現金分配を計画していたと証言した。弁護側は松原被告に「現金を奪いたくて3人を殺害したのか」と問うと「あくまで動機は2人と縁を切るため」と金目当てを否定した。
 15日の公判における被告人質問で検察側は、松原智浩被告が証人尋問で「現金を分ける話をした」と述べた真偽を質問。伊藤被告は会話自体を否定した上で「(男性らから逃げる)努力をしようがなかった。心の中で(逃げたいと)叫ぶしかできなかった」と束縛感の強さを強調した。伊藤被告は、弁護側に現在の心境を聞かれ「法的に悪いことをしたと思う。でも男性と長男には暴行などひどいことをされ、間違ったことはしていないと思う。殺すか殺されるしかなかった」と訴えた。また、男性裁判員が内妻殺害を避ける方法がなかったかどうかを尋ねると「長男に睡眠導入剤を飲ませたことがばれると思い、その場では考える余裕がなかった」と釈明した。
 16日の論告で検察側は、争点の強盗目的の有無について、従業員仲間だった松原智浩被告が「現金を奪うことを(伊藤被告と)話した」と述べた証言を挙げ「(松原被告は)不利な事も逮捕後、一貫して話しており、信用できる」と述べ、強盗殺人罪が成立すると主張した。殺害方法について「無抵抗な被害者が苦しむ姿を見ながら首を絞め続け、冷酷非情で残虐極まりない」と非難。動機も「『自由になりたい』という欲望を人命より優先し、あまりにも身勝手」と指摘し、役割は「殺害・遺棄の全ての行為を主導して実行し、正に首謀者」と位置付け、「極刑を回避する事情はありません。死刑に処すべきだと考えます」と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は、金を取ったことは認めつつ「現金を目的に殺害したのではない。男性宅に同居していた被告が、親子の暴行や拘束から逃れるためだった」と主張し、、強盗目的を否定。強盗殺人罪ではなく、3人への殺人罪の適用を主張した。死体遺棄事件については、伊藤被告が「長男が知人男性を射殺した」と述べた点を強調し「長男から『言うことを聞かないと殺すぞ』と言われ、親子から逃れるには殺害するしか方法がなかった」と主張した。弁護人は裁判員に向かい「伊藤被告は理不尽な拘束をされた。死刑は究極の刑罰。今回、伊藤被告を死刑にするのをちゅうちょすべきではないか」と死刑回避を呼び掛けた。
 伊藤被告は最終陳述で「お金を目的としていません。(殺害の)目的は、自分自身を取り戻して家族の元に帰りたかったことです」と涙ながらに訴え、裁判員や傍聴席に深々と頭を下げた。
 高木裁判長は判決理由で「事前に共犯被告と奪った現金を分配することを話し合い、分配金を得ている」として、強盗殺人罪の成立を認定。伊藤被告が犯行を計画し、3人の殺害を率先して行ったことなどを挙げ、「同一機会に3人の命が奪われた結果は重大で犯行は残忍」と指摘。「(事件を主導した)役割の重要性などから死刑をもって臨まざるを得ない」と述べた。

 2013年5月14日の控訴審初公判で弁護側は、「伊藤被告は財物を奪うためではなく、家族から日常的に受けていた暴行や脅迫を免れようとして殺害した」と主張。「強盗殺人罪が本来予定しているような利欲犯とは性質が異なる」などとして、強盗殺人罪の適用は不適当としたうえ、「強盗殺人罪が成立したとしても、死刑判決は量刑が不当」などと主張した。検察側は控訴棄却を求めた。
 9月19日の第5回公判で結審の予定だったが、自首の正否を巡り次回に延期した。さらに10月24日の公判でも弁護人の被告人質問が行われ、自首の経緯についての取り調べがあり、検察側の被告人質問は次回継続となった。
 12月3日の第7回公判における最終弁論で弁護側は自首の成立を主張し、減刑を求めた。検察側は、自首は成立せず、また成立したとしても減刑の理由にならないと控訴棄却を求めた。
 判決で村瀬裁判長は、現金を奪うことが主な目的ではなくても強盗殺人罪は成立するとし、「原判決の判断は正当」と述べた。伊藤被告が親子に無給で働かされていたり、自由に外出もできず、暴力を頻繁に受けていた状況について「過酷で常軌を逸したものだった」とした一方、「殺害以外の方策を選択することが可能だった」と指摘した。そのうえで、伊藤被告が松原智浩被告と具体的な犯行計画を話し合って決め、殺害に使われた睡眠導入剤を入手し、ロープを購入するなどしていたと認定。伊藤被告が犯行を主導したとする判断を示した。焦点である自首の成立を村瀬裁判等は認めたが、伊藤被告が事件発生直後から警察に事情聴取を受け続け、うそを続けることができなくなったため―とし、「自発性は低く、量刑上、大きく斟酌できない」とした。そして、「3人もの命を奪い多額の現金を強奪した結果は極めて重大。被告は事件を首謀し、死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 松原智浩被告は2011年3月25日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2012年3月22日、東京高裁(井上弘通裁判長)で被告側控訴棄却。被告側上告中。
 池田薫被告は2011年12月6日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2014年2月27日、東京高裁(村瀬均裁判長)で一審破棄、無期懲役判決。検察側は上告せず。被告側上告中。
 斎田秀樹被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。2013年5月28日、東京高裁(村瀬均裁判長)で強盗殺人罪の共謀を認めた一審長野地裁の裁判員裁判判決を破棄、ほう助罪にとどまると判断して懲役18年判決(判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)。2013年9月30日、被告側上告棄却、確定。
 H被告は2010年9月16日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役2年(求刑懲役2年6月)判決。控訴せず確定。
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氏 名
木嶋佳苗
事件当時年齢
 34歳(2009年9月逮捕当時)
犯行日時
 2008年9月〜2009年9月
罪 状
 殺人、詐欺、詐欺未遂、窃盗
事件名
 首都圏連続不審死事件
事件概要
 北海道別海町出身の無職木嶋佳苗(きじまかなえ)被告は、2008年5月から、大学生やヘルパーと偽って自己紹介し、インターネットの婚活サイトを利用して少なくとも20人以上の独身男性に次々と結婚を約束し、「学費」「生活費」などを口実に多額の金を無心していた。2006年10月から2009年8月まで東京都板橋区内にあるマンションに入居。関係者によると、部屋は2LDKで家賃は月13万〜14万円。ピアノの家庭教師をしていると名乗っていた。2009年8月、JR池袋駅に近い14階建てマンションの最上階にある2LDKの部屋に転居。家賃は月21万9000円。外車を所有し、高級調理師専門学校に通っていた。2008年3月〜2009年9月、「かなえキッチン」と題したブログで、周辺の出来事などを約2000回にわたってつづっていた。その過程で、以下の事件を起こした。
  1. 2008年9月〜12月、長野県の50歳代男性に結婚する気があると装って、約190万円を搾取した。
  2. 2008年10月〜12月、静岡県の40歳代男性に結婚する気があると装って、約130万円を搾取した。
  3. 2009年1月10日、都内のホテルで、静岡県の男性(2の人物)に睡眠導入剤を飲ませ、で眠った隙に財布から約5万円を盗んだ。
  4. 2009年1月30日〜31日、交際していた東京都青梅市のTさん(当時53)の自宅マンションで練炭に火をつけ、何らかの方法で眠らせたTさんを一酸化炭素中毒で殺害。出社しなくなったことから2月4日、不審に思った上司が110番通報し、遺体が見つかった。警視庁青梅署は、自室が施錠されていたことや交際相手の木嶋被告が「別れ話のショックで自殺したかもしれない」と証言したことから自殺と判断した。Tさんは死亡する直前まで、木嶋被告の銀行口座に計1700万円を振り込んでいた。
  5. 2009年5月15日午前10時過ぎ、ヘルパーをしていた千葉県野田市のAさん(当時80歳)方の和室に、七輪で火をおこした練炭数個を置き、眠らせておいたAさんを一酸化炭素中毒で殺害した。Aさん方から午後0時30分頃に出火、木造平屋80平方メートルを全焼。その後木嶋被告は、Aさんの口座から2度にわたり計約188万円を引き出した。
  6. 2009年7月13日〜17日、50代の男性に結婚する気があると装って、百数十万円を搾取しようとしたが失敗した。
  7. 2009年7月24日頃、東京都千代田区のOさん(当時41)に結婚する気があると装い約470万円をだまし取る
  8. 2009年8月5日、埼玉県富士見市の駐車場に止めたレンタカー内で練炭に火をつけ、睡眠導入剤で眠らせたOさんを一酸化炭素中毒で殺害
  9. 2009年8月31日〜9月3日、長野県の50歳代男性に結婚する気があると装って、数10万円を搾取しようとしたが失敗した。
  10. 2009年8月31日〜9月3日、埼玉県の30歳代男性に結婚する気があると装って、数10万円を搾取しようとしたが失敗した。
 埼玉県警は8の事件で捜査中、木嶋被告に渡っていた金銭の流れに不自然な点があったことから、9月上旬、木嶋被告から任意で事情聴取。一端自宅に帰された後の9月9日、木嶋被告はブログを閉鎖した。その後木嶋被告は、結婚紹介サイトで知り合った男性宅で同居を始めたが、9月25日、埼玉県警は男性宅で木嶋被告に任意同行を求め、1の詐欺容疑で逮捕した。9月30日、2の容疑で再逮捕。10月21日、9及び10の容疑で再逮捕。11月18日、6の容疑で再逮捕。12月16日、3の容疑で再逮捕。2010年1月12日、7の容疑で再逮捕。2月1日、8の容疑で7回目の逮捕。10月29日、警視庁が4の容疑で再逮捕。自殺と判断し司法解剖しなかった初動捜査について、若松敏弘捜査1課長は会見で「申し開きできないが、もう少ししっかりした(周辺)捜査をやっておけば(よかった)」と述べ、捜査ミスを認めた。12月1日、千葉県警が5の殺害容疑で逮捕。ただし、放火の立証は困難として立件されなかった。

 他に2007年8月には、千葉県松戸市でリサイクルショップを営むFさん(当時70)が2階のベッドで死亡しているのが見つかった。室内が物色されたり、争ったりしたような形跡はなかった。検視で「心臓死」とされ、司法解剖は行われなかった。2009年秋に木嶋被告がFさんから計7380万円を受け取っていたことが発覚し、千葉県警が再捜査をしていたが、練炭や七輪なども発見されず、死因を「病死」と判断し、木嶋被告の関与はなかったと判断した。Fさん死亡後、困窮した木嶋被告は、2008年5月に結婚サイトへ登録している。
 木嶋被告は2003年3月、ネットオークションにパソコンを売ると書き込み、八丈島の男性から10万円を搾取したとして警視庁に詐欺容疑で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予5年の有罪が確定有罪判決が確定している。
一 審
 2012年4月13日 さいたま地裁 大熊一之裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年3月12日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。殺人などの罪でさいたま地裁、東京地裁立川支部、千葉地裁にそれぞれ起訴されたが、検察側がさいたま地裁での併合審理を裁判所側に請求し、認められた。木嶋被告は逮捕当初こそ雑談に応じていたが、その後は黙秘している。公判前整理手続きは、2010年9月14日〜2012年1月4日に及んだ。
 裁判員と補充裁判員の任期は計100日で、過去最長。公判日程は週2〜4回のペースで、4回の予備日を含め計38回が設定された。証人は延べ63人。
 2012年1月10日の初公判で、木嶋佳苗被告は罪状認否で1件ずつ答え、1と2の詐欺事件では「支援してもらったのは間違いありません。ただ結婚を真剣に考えていました」と話した。3件の殺人事件は、被害男性の名前を挙げて「殺害していません」とはっきり否定。Oさん殺害の事件では、詐欺罪も否認した。他の詐欺事件でも否認した。
 検察側は冒頭陳述で、木嶋被告と複数の男性らが、結婚相手を探すインターネットのサイトで知り合った事件の経緯などの説明資料2枚を裁判員に配布。「木嶋被告にはパトロンがいたが、亡くなり、困窮した。金銭を得る目的で結婚サイトに登録し、男性たちから多額の金銭を受け取り、彼らとの関係を断ち切るために、練炭を使い殺害したということがすべてに共通する事実だ」と述べた。検察側は、3件の殺人事件について「睡眠薬、練炭、コンロを事前に準備し、睡眠薬で眠らせることを繰り返した」「結婚の話が相当進展した場合に、自殺を装って殺害した」と主張。Tさんの事件では、「亡くなる前に練炭16、コンロ6個を購入した。Tさんが亡くなった現場にあったものと同じメーカーで、数も同じ」と指摘した。Tさんから計1850万円を受け取り、ベンツ購入などに充て、Tさんの死後、新たなベンツを購入したとも述べた。
 弁護側は冒頭陳述で、TさんとAさんとは2008年6月にサイトで知り合い、ほかの2人とも同年8月から交際し、「本気で結婚相手を探していた」と主張。「疑わしいだけの場合は被告人に有利にというルールは、事件ごとに守られなければならない」と述べた。TさんとOさんについて「別れ話をした。自殺した疑いがある」、Aさんは「ヘビースモーカーだった。失火による火災で死亡した疑いがある」と主張した。
 10日の冒頭陳述後、Oさんの事件を中心に本格的な審理が始まった。弁護側は、遺体発見現場に被告がレンタカーで行ったことは認め「Oさんに練炭を譲ってほしいと言われ、Oさんが自分でレンタカーに積み込んだ。1万円渡され、一人でタクシーで戻った」と主張。「Oさんは別れ話の後に自殺したと考えておかしくない」などと指摘した。
 23日の第8回公判まで、Oさんが殺害されたとする事件の審理を行った。延べ20人が検察側証人として出廷し、Oさんが死亡する直前の様子や木嶋被告の経済状況などを証言した。
 検察側は、現場に残っていた練炭、七輪、着火剤は木嶋被告が犯行前に購入したものと同一メーカーだと述べている。一方弁護側は、Oさんは木嶋被告との結婚話が破談となり、自殺したと主張。睡眠薬はOさんが自分で飲んだとし、練炭や七輪は、木嶋被告の部屋にあったものをOさんが譲ってくれと言ったので渡した、とした。また、現場の駐車場は殺害するには不自然な場所、とも指摘した。
 24日の第9回公判から2月3日の第15回公判までは、Tさんの事件ならびに2件の詐欺、窃盗事件の審理も合わせて行われた。
 検察側は、木嶋被告がTさんを殺害後、2月1日に外国製高級車を461万円で購入し、翌2日に料理学校の費用73万円や、家賃と駐車場代10カ月分を支払ったと説明。1月25〜30日にTさんから被告の口座に1127万円が振り込まれたとし、「Tさんからもらったお金で支払った」と指摘した。また検察側は、被告が犯行前に睡眠薬や練炭を大量購入し、睡眠薬を犯罪に利用していた状況を詳述。詐欺、窃盗事件の被害男性が出廷し、「被告が持ってきたチョコを食べたら、意識を失った。起きたら、財布から5万円がなくなっていた」と証言した。
 一方、弁護側はTさんが木嶋被告と別れ話になり、その後、自殺した疑いがあると主張した。検察側が主張する1月31日を否定し、2月1日から2日であると主張。弁護側証人である日本医科大大学院教授は豚肉を使った再現実験の結果を基に、弁護側主張を裏付ける証言をした。
 2月6日の第16回公判から、14日の第21回公判までは、Aさんの事件の審理が行われた。
 検察側は被告がAさん宅から絵画数点を無断で持ち出したことや、Aさんから現金300万円あまりを入手したことを指摘した。検察側は、現場に残されていた練炭と同じ成分の炭が、木嶋被告が当日着ていた服と、使った車のトランクから検出されたと主張した。検察側は、当時の千葉県警の捜査についても「明確に誤りで、事件と判断すべきだった」と主張した。
 公判で証人と出廷した民間分析機関の男性所長は、練炭コンロ内の練炭について、成分から、木嶋被告が事件直前に購入したと検察側が主張する製造元の練炭と「近いと思う」と証言した。
 建物火災を研究する大学教授も証人として出廷し、弁護側が主張する「たばこの火の不始末」が出火原因である可能性は「非常に低い」と述べた。
 弁護側は、火災はたばこの火の不始末の疑いがあると主張。木嶋被告がAさんに金を融通してあげたこともあり、188万円のうち100万円は「Aさんから返したいと言われた」もので、残りの88万円はAさん宅に持って行った、と主張している。
 2月16日の第22回公判では被害者遺族の陳述があった。Oさんの母親が検察側の証人として出廷し、被告や傍聴席との間に設けられたついたての中で、「自分が身代わりになれるんだったらなりたい。人の命を取った人は自分の命で償ってほしい」と述べた。Tさんの姉は手紙で、「あなた(木嶋被告)の行為は許される行為ではない。もはや許されるべき人ではない」と述べた。Aさんの長男の「なぜこんなことをしたのか、いったい今どういう気持ちなのか、真相を全て話してもらいたいと思います」との手紙も読み上げた。
 2月17日の第23回公判から3月6日の第33回公判までは、木嶋被告への被告人質問が行われた。17日の公判では、弁護人から、起訴された3件の殺人罪について「殺害しましたか」と聞かれ、木嶋被告は「していません」と改めて無罪を主張した。
 被告人質問では、1993年に18歳で上京し、当初ピアノ講師の仕事をしていたが、1994年からデートクラブなどで月150万円を稼ぐようになったと明かした。19〜26歳の時、20人弱の男性と「愛人契約」を結び、2001年からはリサイクルショップを営む松戸市の男性と知り合い計約1億円を受け取っていたことを明らかにした上で、男性が2007年に死亡する直前、「月100万円以上かかる生活を変えることは難しいと思った。(援助してくれる)男性を探すのが一番と思った」と述べた。木嶋被告は収入の使途について「高級な雑貨や食器を買った。貯金はしたことがない」と説明している。木嶋被告が2008年5月に婚活サイトに登録した際、プロフィル欄に「学生」と虚偽の肩書を記入した理由について、木嶋被告は「結婚相手に経済的支援を求めていた。学生の方が援助してもらいやすいと思った」と説明した。
 3月12日の論告求刑で検察側は、まず冒頭で、3つの殺人事件に直接証拠はないが、間接証拠だけで認定できると説明し、「夜明けに外を見ると一面の雪化粧。雪が降ったのを見ていなくても夜中に降ったことが分かる」との例を挙げた。「疑わしいだけの場合は、被告人に有利にならなければならない」と無罪を主張する弁護側の冒頭陳述に触れ、「誰かがトラックで雪をばらまいた可能性もあるが、そんな必要もないし、健全な社会常識に照らして合理性もない」と述べ、裁判員らに「常識で考えてほしい」とも語りかけた。
 Oさん殺害について、レンタカーの鍵と着火に使ったマッチ箱が現場にないのは、自殺ではない証拠。遺体から睡眠薬が検出されたが、自ら服用した痕跡はない。だまし取った金の返済を迫られる恐れから殺害したと主張。
 Tさん殺害について、別れ話をされた被告に1000万円以上の大金を渡すとは常識的に考えられない。入手した金を自由に使うために殺害したと主張。
 Aさん殺害について、遺体から通常の10倍以上の睡眠薬を検出。多量の一酸化炭素を吸引しており、火事による事故死ではない。殺害当日に年金を入手し、発覚を防ぐため殺害した。以前に口座から金を引き出す際に暗証番号の入力ミスを繰り返し、「頼まれた」との説明は合理的でないと主張した。
 そして、酌量の余地はみじんもない。練炭自殺を装う巧妙、悪質な手口で、何の落ち度もない3人の命を奪った。遺族は厳罰を希望している。被害者から得た金で手にしたものをブログに自慢げに掲載し、法廷では被害者を侮辱する発言をするなど反省の態度や更生の意欲はなく極刑は当然。死刑に処するのが相当だ、と述べた。
 3月13日の最終弁論で弁護側は、3件について「被告には殺害の動機がない」とした上で、別れ話の後で自殺したか、たばこの火の不始末による失火で死亡した可能性があると改めて主張。その上で「疑わしい事件が3つあるからといって有罪にはできない」と述べ、無罪判決を求めた。
 Tさんの事件について、検察側が主張する死亡推定日は、遺体の下の電源が入ったホットカーペットの影響を考慮していない。推定日以降に死亡しており、被告の犯行ではない。遺体発見現場にあった練炭やこんろは実際は押収されておらず、現場写真からは被告が買ったと断定できないと主張。
 Aさんの事件について、遺体から検出された睡眠薬は一般的なもので、被告が飲ませた証拠はない。検察側は、遺体の気道にすすがほとんど付着しておらず、火災前に練炭で瀕死の状態だったと主張しているが、すすが少ない火災の可能性がある。嘘を言ってもらった金は、返済を求められれば別の男性の援助で返すこともできた。殺害の動機にならないと主張。
 Oさんの事件について、自殺を偽装するならレンタカーの鍵やマッチ箱は持ち去らない。警察の捜索が不十分だった。睡眠薬は被告の自宅にある薬箱から入手し、自ら服用した可能性がある。金を詐取しておらず、殺害の動機はないと主張。
 その他の詐欺事件などについて、結婚を真剣に考えていた。複数の男性との同時交際は、よりふさわしい相手を探すためにあり得る。被告はそういう価値観を持っていた。経済援助は結婚の条件。「大学院生」との嘘は援助を受けやすくするためで、他の嘘は相手の気を引くためだったと主張した。
 木島被告は最終意見陳述で、「裁判で自分の考えが間違っていたと気づかされました。数多くの嘘をついたことを深く反省している。今回学んだことをかみしめて生き直したい。ただし、私は3人を殺害していません」と述べた。
 判決で大熊裁判長は、3件の殺人事件で現場に残された練炭と、被告が事前に準備した練炭が同じメーカーのものであり、「偶然とは考えにくい」と指摘。「いずれも被告の犯行と推認できる」と認定した。
 東京都青梅市のTさんについて、「Tさんが練炭を入手した形跡はなく、自殺の動機もない。犯行が可能なのは被告のほかには見当たらない」と述べ、被告の犯行と認定。「練炭は料理に使うために購入した」という木嶋被告の説明は「不自然で信用しがたい」と断じ、弁護側の「Tさんは自殺した」との主張を退けた。
 千葉県野田市のAさんについて、「多量の睡眠薬を服用しており、Aさんが失火により死亡したとの説明は困難。しかも自ら睡眠薬を服用したとは考えがたい」と検察側の主張に沿う認定をした。そして木嶋被告が事前に入手した練炭などから「被告人が犯人であることを裏付けられる」とした。
東京都千代田区のOさんについて、「遺体が発見された車の鍵がなく、Oさんの手に練炭の炭粉がついていなかった」として他殺と認定。その上で「Oさんが死亡した時間の近くまで一緒にいた」「現場となった埼玉県内の駐車場からタクシーで帰宅した」などから、「これだけでも被告人が犯人であると優に認められる」と述べた。
 動機については、被告が3人と金銭目的で交際したとし、「結婚する意思はなく、受け取った金の返済を迫られることを恐れた。ぜいたくで虚飾に満ちた生活を維持するために、受け取った金の返済を免れるための犯行」と指摘して、検察側の状況証拠に基づき認定した。
さらに、詐欺罪などを含め起訴された計10件の事件すべてを有罪と認定とした。
 そして大熊裁判長は、犯行について「3人の尊い命を奪った結果は深刻で甚大。あまりにも身勝手で利欲的な動機であり、酌量の余地など皆無」と断罪。木嶋被告について「約6か月で殺人を3度も繰り返し、生命を軽んじる態度は顕著。不合理な弁解に終始するばかりか、公判廷でも被害者をおとしめる発言を繰り返した。真摯な反省はうかがえず、刑事責任は重大」と述べ、死刑を言い渡した。

 2013年10月17日の控訴審初公判で、弁護側は「いずれも直接証拠はなく、状況証拠だけで有罪が認定されている」と指摘。3人の被害者は自殺や失火で死亡した可能性が否定できず、「被告を犯人とするには合理的疑いが残る」と無罪を主張した。検察側は控訴棄却を求めた。
 2014年1月14日の第2回公判で、埼玉県警科学捜査研究所の職員が証人として出廷し、検察側が申請した被害者の着衣の鑑定結果を証言した。弁護側は被害者の遺体が見つかった現場付近の検証などを求めたが、裁判長はほとんどを却下した。この日の審理で証拠調べが終わった。
 2月6日の最終弁論で、弁護側は3人の被害者は自殺や失火で死亡した可能性が否定できず、被告を犯人とするには合理的疑いが残ると改めて無罪を主張した。検察側は控訴棄却を求め結審した。
 判決で八木裁判長は、(4)の事件について「犯人は玄関の鍵を入手できた者以外考えられず、被告以外にその可能性がある者は見当たらない」と指摘。現場にあった練炭、こんろと同種のものを木嶋被告が購入した事実も踏まえ、被告が犯人でなければ説明できないとして、同被告による殺害を認定した。(5)(8)の事件における殺害の動機については、「無断で口座から引き出したり、だまし取ったりした金銭の返済を逃れるために殺害を決意したと考えても不思議はない」と述べた。以上から、「いずれも自殺の動機はない」と指摘。状況証拠を基に有罪とした一審の認定について、「合理的なもので是認できる」と述べた。
備 考
 2012年4月20日、さいたま地裁は、一審の裁判員裁判で、結審の翌日(3月14日)から判決前日(4月12日)までに評議を10日間行ったと発表した。同地裁によると、裁判員は選任手続きを含めると計47回、裁判所に通ったことになる。
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氏 名
上田美由紀
事件当時年齢
 35歳
犯行日時
 2009年4月23日/10月6日
罪 状
 強盗殺人、詐欺、窃盗、住居侵入
事件名
 鳥取連続不審死事件
事件概要
 鳥取市の元スナックホステス上田美由紀被告は以下の事件を引き起こした。
  1. 2006年11月15日、鳥取市の知人女性を息子の借金返済のためとだまし、126万円を騙し取った。
  2. 2009年4月4日、借金270万円の返済を免れるため、若桜町のトラック運転手Yさん(当時47)に睡眠導入剤などを服用させ、同県北栄町の海で水死させた。遺体は11日、海底から見つかった。
  3. 4月23日、八頭町の農機具販売会社Aから代金を払う意思があるように装い、トラクター1台(約220万円相当)を詐取した。同じく4月27日、Aから田植え機とトラクター(計約262万円相当)を詐取した。
  4. 6月24日、鳥取市の知人宅に侵入し現金約35万円などを盗んだ。
  5. 8月26日、八頭町の金物店Bから草刈り機など3点(約14万円相当)を詐取した。9月7日、Bから草刈り機など4点(約26万円相当)を詐取した。
  6. 8月31日、鳥取市の自動車会社から軽自動車4台(約113万円相当)を詐取した。
  7. 9月18日、鳥取市の農機具販売店Cから草刈り機など4点(約56万円相当)を詐取した。9月20、22日、Cから草刈り機など4点(約27万円相当)を詐取した。
  8. 10月6日、家電12点の購入代金約123万円の支払いを免れるため、鳥取市の電器店経営Mさん(当時57)に睡眠導入剤などを服用させ同市内の摩尼川で水死させた。遺体は翌日見つかった。
  9. 10月9日、鳥取市の電器店から4回にわたり、家電計9点(約123万円相当)を詐取した。商品は入手翌日に転売するなどした。
  10. 10月29日、鳥取市の機械店Dから除雪機など2点(約51万円相当)を詐取した。11月1日、Dから除雪機1台(約29万円相当)を詐取した。機械は受け取ったその日に市内のリサイクルショップに転売した。
 上田(うえた)被告は1999年ごろから、神族から経営を引き継ぐ形でスナックをオープンしたが、経営不振で2004年ごろに閉店。2005年ごろから鳥取市内のスナックでホステスとして働き始めた。2008年1月ごろから客だった男性と交際を始めたが、2月頃から、実在しない妹になりすました上田被告の電話で「妊娠した」とうそをつかれ、信じ込んだ結果、男性は4月頃に勤務先を退職。家族と別れ、スナックを辞めた上田被告との生活を始めた。男性は上田被告に言いなりになり、借金を重ねるようになった。
 上田被告の周辺では不審死が相次いでいた。
  1. 2004年5月、スナックの常連客だった読売新聞鳥取支局の男性(当時42)が、鳥取市のJR因美線線路内で段ボールに入って横たわり、列車にひかれて死亡した。段ボールには遺書のような文書が書かれていたが、筆跡鑑定の結果、記者の筆跡と一致。司法解剖でも薬物などは検出されず、不審な点はなかったとして自殺と断定された。
  2. 2007年8月、最初のスナックの常連客だった鳥取市の男性警備員(当時27)が鳥取市沖でおぼれ、9日後に病院で死亡した。薬物検査はされなかった。事故と判断されている。
  3. 2008年2月、最初のスナックの常連客だった鳥取県警の男性警察官(当時40歳代)が山中で首を吊って死亡した。当時は雪が降った後で、現場に向かう足跡が1人分しかなく、解剖でも不審な点はなかったことから自殺と断定された。
  4. 2009年10月27日、同じアパートの別棟に住んでいた無職の知人男性(当時58)が自室で死亡した。上田被告が繰り返し錠剤を飲ませていたともされているが、男性は心臓に持病があり、睡眠導入剤服用と死亡との因果関係が解明できなかったことから、捜査本部は立件を断念した。
 上田被告とYさんは別のスナックの客同士で知り合った。Yさんは、死亡する1か月余り前の2月26日、鳥取市内のアパート自室を訪れた上田被告が作った昼食を食べ、車で出勤中、意識がもうろうとなり、自損事故を起こした。同日夜には、部屋にいた上田被告が勧める缶ビールを飲み、眠り込んだ間に布団や壁の一部が焼ける火災が発生、煙を吸って数日間入院した。退院後、Yさんは、自室の押し入れが物色されたうえ、上田被告に貸した270万円の借用書がなくなっているのに気付き、火災当日の経緯を県警側に詳しく説明。県警は、部屋に残されていたビール缶などを押収していた。
 県警は上田被告をマークし、詐欺容疑を重ねていたことをつかんでいたが、Mさん殺人当日は尾行に失敗し、殺人に気付かなかったとの報道もある。
 鳥取県警は11月2日、(1)の詐欺容疑で上田被告を逮捕。同居男性も(3)の詐欺容疑で逮捕された。11月20日、(9)の詐欺容疑で二人を再逮捕。12月10日、(10)の詐欺容疑で二人を逮捕。12月25日、(5)の詐欺容疑で二人を逮捕。2010年1月13日、(3)の詐欺容疑と(4)の住居侵入、窃盗容疑で上田被告を逮捕((4)では男性も逮捕)。1月28日、(8)の強盗殺人容疑で上田被告を逮捕。3月3日、(2)の強盗殺人容疑で上田被告を逮捕。4月12日、(6)(7)の詐欺容疑で上田被告と男性を逮捕した。
一 審
 2012年12月4日 鳥取地裁 野口卓志裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年3月20日 広島高裁松江支部 塚本伊平裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 2012年9月25日の裁判員裁判における初公判で、上田美由紀被告は2件の強盗殺人罪について「私はやっていません」と無罪を主張した。
 検察側は総括冒頭陳述で、2件の強盗殺人事件の共通点について、「上田被告は睡眠導入剤などを入手し、事件当日朝に被害者2人をそれぞれ呼び出して、借金の返済などを免れるために殺害した」と指摘。さらに、「同居男性はいずれも犯行現場近くに迎えに来させられており、上田被告の言いなりで、利用されていた」と述べた。
 弁護側は総括冒頭陳述で、同居男性の犯行とし、「上田被告は犯人ではない」と訴えた。その理由に「被害者から直接、借金などの返済を求められていた」などの点を挙げた。詐欺罪など16件の起訴事実についてはおおむね認めた。
 27日の第2回公判では、(1)(3)(4)の証拠調べが行われた。28日の第3回公判では、(5)(6)(7)(9)(10)の証拠調べが行われた。
 10月1日の第4回公判では、(2)の事件について冒頭陳述が行われた。
 検察側は事件の背景として、Yさんが元交際相手の女性に貸した190万円を巡り、女性の知人として貸金回収の仲裁に入った上田被告が、女性から預かった返済金をYさんに渡していなかったという新事実を指摘した。上田被告は、この190万円を含め計270万円の返済を求められていたとしている。また、事件前の2009年2月、Yさんの自宅で上田被告とYさんが一緒にいた直後にぼやがあったことを示し、Yさんが警察の事情聴取に「誰かに殺されそうになったのかもしれない」と話していたことも明らかにした。その後の事情聴取でも、Yさんが女性に金を貸すために、口座に振り込んだ際の利用明細票をなくしたことについて、「上田被告が持ち出したのかも知れない」と述べるなど、強い不信感を持っていたと主張。弁護側は、これらの点について争いがあるとした。
 Yさんの殺害方法について、検察側は、コンビニエンスストアに立ち寄った際に購入したおにぎりなどの飲食物の一部や睡眠導入剤、風邪薬成分などが遺体から検出されていることに触れ、上田被告が飲食物に混ぜたり、風邪薬などと称して睡眠導入剤を飲ませたりする機会があったとした。さらに、上田被告が肩を貸すなどしてYさんを水中まで引き込んだとする根拠については、「検出された睡眠導入剤を飲めば意識もうろうとなるが、肩を貸して歩かせることは不可能ではない」と述べた。これに対し、弁護側は、おにぎりなどはYさんの朝食として被告が購入したもので、「睡眠導入剤は一切飲ませていない」と反論。元同居人の男性元会社員が海岸でYさんと2人で会った時に睡眠導入剤を飲ませることが可能だとした。
 犯行当日の足取りについて、検察側は、鳥取市内で合流した上田被告とYさんが移動に使った同居男性の車の運転席シートベルトの留め金から、被告のDNA型と一致するDNAが検出されたことや、現場付近に放置されていたYさんの車の運転席の座席位置が、被告の体格に合っていたことなどから、上田被告が途中で運転を代わり、北栄町の砂浜まで来たとした。一方、弁護側は、上田被告とYさん、同居男性が三角関係にあったとし、道中で交際を巡って腹を立てたYさんが、現場付近で被告を車から降ろし、1人で海岸に行ったと主張。上田被告は、「迎えに来て」と携帯電話で呼び出した同居男性の車で海岸付近の空き地までは行ったが、「ちゃんとYさんと話をするけえ」と海岸に向かった同居男性を車の中で待っていたとした。
 犯行後の上田被告らの足取りについて、検察側は、上田被告から北栄町の砂浜に呼び出された同居男性が、ずぶぬれだった被告の着替えを買いに衣料品店に立ち寄った後、上田被告がホテルで服を着替えたと説明。弁護側はホテルには立ち寄ったが、衣料品店には行っていないと反論した。

 4日の第6回公判から(8)の事件のついて冒頭陳述が行われた。
 Mさんが殺害されたとされる日の上田被告らの行動について、検察側は起訴内容の通り、上田被告が睡眠導入剤を飲ませ、川に誘導して殺害したという主張を展開。Mさんと最後に会った人物が上田被告しかあり得ない理由として、複数の間接証拠を積み上げた。川から離れた場所で待機するように上田被告から命じられたという同居男性の証言の通り、当日の午前10時20分〜50分ごろに現場付近のスーパーで防犯カメラに同居男性の乗用車と同型の車が映っていたことを指摘。警察官が、車に乗る同居男性をスーパーで目撃していたことを明らかにした。それまで上田被告と同居男性、Mさんの3人が一緒に行動していたことには弁護側も争いがないため、同居男性がスーパーで待機していた時間帯に「Mさんと一緒にいたのは、被告以外にあり得ない」と説明。同居男性が現場に戻った際には、下半身がずぶぬれになった上田被告がおり、Mさんの行方が分からなくなっていたことから、この間に上田被告がMさんを殺害したと結論づけた。一方、弁護側は上田被告が現場には行っておらず、近くの路上で待機していた間に、睡眠導入剤を飲ませたMさんを同居男性が現場で殺害したと主張。「顔面そうはくでズボンのひざ下がびっしょりぬれている同居男性が(現場方向から)小走りで降りてきた」などとする上田被告の証言も示した。同居男性の乗用車と同型の車が防犯カメラに映っていることについては「事件とは関係のない車だ」と指摘。警察官の目撃証言は「信用性を争う」としており、「同居男性がスーパーに行った事実はない」との認識を示した。
 検察側と弁護側の主張は、動機とされるMさんから購入した家電の支払い状況や犯行に使われたとされる睡眠導入剤の入手を巡っても、大きな違いが見られた。上田被告は元内縁の男性を通じてMさんと知り合った。事件前日、上田被告はMさんに「車の譲渡と代金の支払いは無関係」との内容の書面を作成し渡した。その事実に争いはないが、経緯では対立した。検察側は2009年8月18日以降、上田被告が1人でMさんに取り込み詐欺をしていたと主張。上田被告は「車を譲渡する」などの口実で代金の支払いを免れようとしたため、Mさんは車を譲渡しても代金は支払う旨を上田被告に書かせたと説明する。一方、弁護側は同居男性もMさんから家電を購入し、返済を強く迫られていたと主張。上田被告はMさんに代金の一部を支払っており、その後は請求されていなかったとしている。作成した書面は上田被告が、不在だった同居男性の代わりに作成したとし、車の譲渡で返済を免れようとしたのは元販売員と主張した。
 また、睡眠導入剤は、隣人が処方されていた薬が使用された可能性があることに争いはない。検察側は、上田被告がその処方薬を以前から欲しがっており、同年9月下旬にうそをついて譲り受けたと主張。これに対し、弁護側は「上田被告は(薬を)譲り受けていないし、手に取ったこともない」とし、「同居男性は薬を盗み出す機会がいくらでもあった」と主張し、同居男性が「真犯人」と強調した。

 22日の第13回公判から25日の第15回公判では、同居男性が出廷。2件の強盗殺人事件当時の上田被告の言動や、取り込み詐欺などを上田被告と一緒に重ねるまでの経緯などを証言した。弁護側が2件の強盗殺人事件の真犯人としている点については「事実に反する」と否定した。
 弁護側は、29日に予定されていた被告人質問を行わないことを告げ、期日は取り消された。30日の第16回公判では検察側の被告人質問が行われたが、上田被告は黙秘を続けた。11月1日の裁判官や裁判員による質問は行われないことになった。
 11月1日の第17回公判で、YさんとMさんの遺族2人が意見陳述し、「死刑以外には納得できない」などと訴えた。
 5日の論告で検察側は、Yさんからの借用書があることや、Mさんの売掛帳に被告に売った家電代金約123万円の記載があると指摘。同居売員の男性の証言などを基に、「被告が2人から借金や代金の返済・支払いを強く求められ、殺害によって免れた」と指摘した。また、同居男性の証言と同種の服が被告宅などで見つかったことや駐車場の防犯カメラに同居男性の車が映っていることなどから、証言は信用できると述べた。量刑について、「(上田被告は)2人のかけがえのない命を奪い、逮捕直前まで自己の欲望実現のために他人の人生や生活を破壊し続けた。背後には被告の卑劣で冷酷で残虐な人格があり、犯行は計画的かつ大胆かつ執拗」と強く非難。「人命を軽視した身勝手極まりない犯行で情状酌量の余地はない。更生意欲も可能性もないことは明らかで、死刑を回避すべき事情はない」と述べた。
 同日の被害者遺族による論告で、Yさんの遺族の代理人として出廷した弁護士は、上田被告の弁護側が「同居男性が真犯人」だと展開していた主張を被告の黙秘などを理由に「事実上撤回した」と指摘。「完全に自己矛盾に陥っており、前代未聞の弁護活動といわなければならない」と非難した。Mさんの遺族の代理人は、法廷で黙秘する上田被告について「被害者の最期の様子を知っている被告に本当のことを話してもらいたいという遺族の願いは届かなかった」などと述べた。
 6日の最終弁論で弁護側は、弁護側はこれまで「真犯人」だと指摘してきた同居男性と警察が協力し、上田美由紀被告を犯人に仕立て上げた、という主張を展開した。
 Mさんが殺害された事件について、犯行時刻に現場近くのスーパーで同居男性を目撃したという警察官の証言が信用できないと主張。警察官が上田被告と同居男性の行動を調べていたことを指摘し、「(同居男性の)車を見れば反応してしまう癖がつくほどだったのに、店に入る様子を見ていないのはおかしい」などと数点の疑問点を挙げた。また、上田被告が指示して同居男性をスーパーに向かわせたとされている点について、上田被告は警察官がいると分かっていたはずで、「殺害現場に警察官を引き寄せる結果になりかねず、人を殺す人の心理としておかしい」とした。また、Yさんが殺害された事件では、現場付近で同居男性が合流した際、ずぶぬれだったとされる被告の行動がおかしいと指摘。「寒い。迎えに来て」といった内容の電話から合流まで30分以上経過しているのに「服を絞ったり風をよけたりするという行動を被告がしていないのは不自然だ」などとした。
 主任弁護人は、一連の事件の構造について「(警察が)普通では考えられない被告の行動を並べることで怪物的イメージを作り、(検察側が描く事件の)不自然さをかき消している」と主張。「普通の裁判なら、あの弁護人は何を言ってるんだとなるかもしれない」と前置きした上で「警察官がうそをついている以上、(弁護側の主張が)ファンタジーと言い切ることはできない」と裁判員らに理解を求めた。
 警察と同居男性が協力する理由については、上田被告の周辺で複数の死人が出ていると聞いた警察官に「(上田被告から)同居男性を救い出したいという気持ちが働いたから」などと説明した。
 同日の最終意見陳述で上田被告は、「私はやっていません」と小さいながらはっきりと通る声で訴え、一礼した。
 判決で野口裁判長は、被害者から検出された睡眠導入剤などと、上田被告が別の知人男性から入手した処方薬との成分は同一で、事件当日に被害者に飲ませたと認定。そして上田被告が債務の支払いを免れるため、被害者2人に睡眠薬を飲ませて意識もうろう状態に陥らせた上で、それぞれ海や川で溺れさせて殺害したとした。さらに、「被害者から金銭支払いを強く要求されて対応に困ると、いとも簡単に殺害を決意した」と厳しく批判した。同居男性の証言に虚偽の内容が含まれる可能性も指摘したが、上田被告との共謀関係は否定した。計922万円相当の車や家電をだまし取ったとする詐欺などの罪(計16件)も有罪とした。そして「動機は冷酷、身勝手で、強固な殺意に基づく計画的な犯行。被害者に落ち度はない。味をしめたかのように2件目を敢行した。悪質さが顕著で極刑をもって臨むほか無い」と述べた。

 弁護側は即日控訴した。
 2013年12月10日の控訴審初公判で、弁護側は強盗殺人罪2件について一審同様、「被告は関与していない」と無罪を主張。検察側は被告側の控訴を棄却するよう求めた。
 公判で弁護側は被告人質問を請求し、認められた。2009年4月の事件について上田被告は(1)トラック運転手から借金返済を迫られたことはない(2)現場の海岸には行っていない(3)ずぶぬれだったのは共犯の元同居男性、などと供述し、一審の認定に反論した。
 12月24日の第2回公判における被告人質問で上田被告は、元同居男性は借金の連帯保証人になっており、Yさんから「連帯保証人とはどういうことかわかっているだろう」と責められ、土下座していたとし、自分は返済を迫られていなかったと説明した。またMさんから催促を受けていたことを否定した。
 2014年1月29日の最終弁論で弁護側は、「いずれの事件でも、上田被告に被害者を殺害する動機はなく、犯行の機会もなかった。現場の状況から、犯行の実行は著しく困難。控訴審での被告の供述を基にすれば、一審の事実認定は不合理だ」などと改めて無罪を主張した。これに対し、検察側は、「捜査段階や一審で弁解を拒否していた被告が、控訴審で供述するに至った経緯は極めて不自然。供述内容も、不自然かつ不合理で、証拠に反しており、到底信用できない」と控訴棄却を求めた。
 塚本裁判長は判決理由で、同居していた元会社員の男性の証言などに基づき、「被害者と最後に接触したのは被告と認められ、事前に睡眠薬を入手した上で飲ませ殺害する機会があった」と指摘。男性の犯行を示唆した被告の供述を「不自然で信用できない」と退けた。犯行動機については「被害者から債務の返済を強く求められ、無職で生活に窮した被告が殺害を決意した」として、「被告が強盗殺人事件の犯人と優に認められる」と一審の判断を踏襲した。そして無罪を主張した被告の供述について「客観証拠との整合性を欠き、不合理な虚偽の供述というほかない」と信用性を否定。自らの犯行動機を否定する供述も「一貫性がなく、極めて不自然」と述べた。状況証拠に基づき被告の犯行を認定した一審判決を支持した。

 弁護側は即日上告した。
備 考
 同居男性は2008年11月〜2009年11月、農機具、自動車販売会社などに対し、後払いの約束で商品を受け取り転売する手口で13件の詐欺(被害総額1049万円)を重ねたほか、鳥取市内の民家に侵入して財布を盗んだ、として起訴された。2008年11月の中古車の取り込み詐欺についてのみ、単独犯とされている。2010年10月20日、鳥取地裁(大崎良信裁判長)で懲役3年(求刑懲役3年6月)の判決を受け、控訴せず確定した。
 裁判員選任手続きから判決まで75日間というのは、木嶋佳苗被告の首都圏連続不審死事件の100日間に次ぎ、過去2番目に長い日程。評議は11日間と、これまでの最長となった。裁判員によると、選任手続きや中間評議を含め、裁判所に34回通ったという。
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氏 名
高橋明彦
事件当時年齢
 45歳
犯行日時
 2012年7月26日
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 会津美里夫婦殺害事件
事件概要
 住所不定、無職、横倉明彦(旧姓)被告は2012年7月26日午前5時20分ごろ、福島県会津美里町に住む病院職員の男性(当時55)方に侵入し、現金1万円が入った財布や妻のキャッシュカードなどを盗んだ。そして、起きてきた男性を持参したペティナイフで脅したが応じなかったため、ナイフで突き刺して殺害。近くにいた妻(当時56)を脅してネックレス等(時価合計約10,000円)を奪ったが、119番通報したことに気付いてナイフで殺害した。
 横倉被告は2011年11月頃に当時の妻と会津若松市に移住したが、就職したと嘘をつくなどして金に窮した。借家を追い出され、2012年7月23日頃から空き家の敷地を無償で借りて、駐車した自動車内で妻と生活していたが、妻が住居の購入を望んだため、勤め先から購入資金を借りられると嘘をつき、現金強奪に及んだ。横倉被告と夫婦に面識はなかった。
 捜査本部は目撃証言などを基に捜査した結果、横倉被告が浮上し、26日に同町内で発見。任意同行して調べたところ、容疑を認めたため、27日、強盗殺人容疑で逮捕した。
一 審
 2013年3月14日 福島地裁郡山支部 有賀貞博裁判長 死刑判決
判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2014年6月3日 仙台高裁 飯渕進裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2013年3月4日の初公判で、高橋被告は「最初は、殺意はなかった」と一部否認した。
 冒頭陳述で、検察側は「自宅の購入資金が必要になり、最初から住民を殺してでも金を得ようと計画した」と主張。人目につきにくく、貯金があると考えて襲ったと指摘した。一方、弁護側は「具体的な殺害方法は考えておらず、被害者に抵抗されたため殺害した」と訴えた。
 5日の第2回公判で、夫の母親と妻の父親が人として出廷し、極刑を訴えた。弁護側は「反省文などを書いており、被害者のための読経もしている」と情状酌量を求めた。
 8日の論告で検察側は、119番の録音記録などをもとに、高橋被告が、震える声で「お願い」と繰り返した妻を殺害し、消防からの折り返し電話に「大丈夫です」と冷静に応えた行為を「大金強奪のため黙々と事を進めた」と指摘した。さらに、捜査段階と異なる公判中の供述を「真剣に反省しているとは言えない」として更生する余地がないと強調。事件前に困窮した経緯には「無責任な自らの行動が招いた」とし、遺族の感情と最高裁の判例も踏まえ、「強固な殺意に基づく残虐極まる犯行。極刑をもって臨む他なく、それが正義にかなう」と死刑を結論付けた。
 同日の弁論で弁護側は「冷静に答えた公判の供述を信用すべき」と訴え、計画性は実際になかったと主張した。また、反省し更生する意思があるとし「死刑判断を軽々しくしてはいけない。生きて罪を償う真人間になれるか吟味する必要がある」として無期懲役を求めた。
 判決で有賀貞博裁判長は、高橋被告が当時の妻に約束していた住宅購入の資金を得るため犯行に及んだと指摘。「住宅購入用の現金を奪うという動機は利欲的で、更生の余地を考慮しても死刑が相当」と述べた。

 弁護側は即日控訴した。
 2013年11月28日の控訴審初公判において、弁護側は動機について「妻にホームレス生活をさせないため、家を買う資金が必要だという強迫観念にとらわれていた」と訴え、一審判決で事情が十分に酌まれていなかったと主張。また、高橋被告に「認知の歪み」があるとし、常識では考えられないことに固執し、場当たり的な判断をする性格を一審で考慮する必要があったとし、次回公判で心理鑑定を行った専門家の証人尋問を求めた。また一審で裁判員を務めた郡山市の女性が判決後、「急性ストレス障害(ASD)」と診断されたことを踏まえ、同支部は裁判員を解任・辞退させずに「漫然と訴訟手続きを進めた」と批判。「訴訟手続きに法令違反がある」などと主張するとともに、高橋被告に当初から殺意があったと認めた一審判決には事実誤認があると指摘し、一審判決の破棄を求めた。検察側は「(一審審理中に)裁判員が罹患した証拠は認められず、手続きは適切」と反論、弁護側の控訴棄却を求めた。
 2014年3月18日の最終弁論で弁護側は、高橋被告が夫婦のために毎日お経を唱え、死刑になった場合は献体や臓器提供を希望していると述べ、「反省は相当に深まっている」と強調した。検察側は「利欲的で身勝手な犯行。真摯な反省は見られない」と改めて指摘し、控訴棄却を求めた。
 判決で飯渕進裁判長は飯渕裁判長は一審の裁判員がASDと診断されたことについて、「裁判員が心身の不調で職務が困難だったとは認められず、公平誠実に裁判員の職務を全うしたと推認される。違法な点はなかった」と弁護側の主張を退けた。また「騒がれるなどした場合には殺害することを事前に計画していた」と認定。そして夫に続き、助けを求めた妻も殺害したことを「冷酷かつ残虐な犯行。死刑の選択を回避する余地があるとは認められない。一審の死刑判決はやむを得ない」と述べた。
備 考
 旧姓横倉。起訴後から初公判までの間に姓が高橋に代わっている。
その他
 本事件で裁判員に選任された福島県内の60歳代の女性は、証拠調べで、被害者の遺体や傷口のカラー写真や、被害者が消防署に救助を求める音声などの影響で嘔吐を繰り返し、食欲がなくなり、熟睡できなくなった。突然、映像や音声がフラッシュバックするなどの症状にも苦しむようになった。精神的に不安定な状態が改善せず、県内の病院で3月22日、急性ストレス障害と診断された。深刻な精神的損害を受けたとして、2013年5月7日、国に慰謝料など200万円を求める訴えを仙台地裁に起こした。裁判員経験者が裁判員制度の是非をめぐり提訴するのは全国で初めて。
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氏 名
筒井郷太
事件当時年齢
 27歳
犯行日時
 2011年12月16日
罪 状
 殺人、住居侵入、窃盗、傷害、脅迫
事件名
 長崎ストーカー殺人事件
事件概要
 三重県桑名市の無職筒井郷太被告は、千葉県習志野市で同居していた女性(三女(当時23))が、家族によって西海市の実家に連れ戻されたと思い込み、家族を殺害して連れ戻そうと計画。2011年12月16日午後6時ごろ、西海市の実家の敷地内にある別宅に窓ガラスを割って侵入し、祖母(当時77)を包丁で刺殺。さらに午後6時20分ごろ、実家に侵入し、母(当時56)を包丁で刺殺し財布などを盗んだ。そして二人の死体を、母のワゴン車に押し込んで隠した。
 2011年9〜10月に習志野市内で女性の顔を殴るなどして約3週間のけがをさせたほか、2011年11〜12月、三女の姉弟や同僚ら8人に「お前は必ず殺す」などとメールを送って脅した。

 三女と筒井被告はインターネットの会員制交流サイトで2010年9月に知り合った。2011年5月から三女の住む習志野市のマンションで同居を始めたが、筒井被告は三女のメールを先にチェックする、勝手に家族や友人たちと連絡をとらせない、勤務中の出来事について10〜15分おきにメールや電話で報告させる、など厳しく束縛した。6月下旬以降、連絡や帰宅が遅れたといった理由で三女の頭や顔を殴る蹴る等の暴行を加えた。「俺から離れたら、絶対にお前の家族を殺す。先輩、友達も殺すし、みんな殺す」などと脅迫した。三女は逃げ出すことも、家族や警察に相談もできない被虐待女性症候群となった。そして三女は事実上の監禁状態にされた。
 2011年10月29日、三女の父親から相談を受けた長崎県警西海署が、千葉県習志野署に通報。30日、三女の部屋に長女、会社上司と習志野署員2人が突入。署員が筒井被告を傷害容疑で任意同行したが、「二度と近づかない」との誓約書を書かせて帰した。三女宅にはその後も筒井被告から電話があった。31日、父親が三女を西海市の自宅に連れて帰った。
 11月1日、父親は西海署に「傷害の被害届を出したい」と相談したが、「事件が起こった場所の警察署へ」と言われた。同日、習志野署は筒井被告に2回目の警告を行った。父親は4日、習志野署に「被害届を出したい」と電話をする。5日、西海署に「無言電話が続く」と相談した。8日、神族が習志野署に「三女の部屋に侵入の跡がある」と通報したが、同署は対応しなかった。13日頃から、筒井被告は三女の知人らに脅迫メールを送り続けた。21日、父親は西海署、習志野署に脅迫メールについて相談。両署とも「被害者の居住地の警察署に相談を」と言うのみであった。そこで父親は桑名署に脅迫メールを伝え「筒井の実家巡回を」と要求。同署は「西海、習志野署に確認する」と回答したものの、その後連絡はなかった。いずれの署もメール内容を詳しく確認しなかった。
 12月1日、三女が習志野署に「被害届を出したい」と電話し、生活安全課は「いつでもいい」と回答した。そこで6日、父親と三女が習志野署で傷害の被害届を出そうとしたが、応対した刑事課の係長は別事件の対応を理由に「被害届の提出は一週間待ってほしい」と伝え、捜査を始めなかった。その理由は、12月8日から10日まで、生活安全課長を班長とする当直勤務のグループ単位で行う北海道への慰安旅行に参加するためだった。他メンバーは刑事課の係長を含む4人、生活安全課、地域課、交通課から2人、警備課の1人で合計12人だった。
 7日、三女の知人が脅迫メールについて県警に相談をしている。8日、桑名市の実家に戻っていた筒井被告は家を飛び出し、翌9日、未明から三女宅のチャイムを鳴らしたりベランダを叩いたりした。父親は習志野署に通報したが、警察官は「顔を確認したのか」「逮捕はできない」と言って帰った。その後、女性の自宅に筒井被告の両親が来て「(息子を)早く逮捕してほしい」と訴え、女性の父親が署に連絡した。刑事課員が「逮捕状が出ていない。現行犯でない限り困難」と説明した後、筒井被告らしき男を自宅前で発見。追跡するも見逃した。刑事課長は筒井被告を電話で呼び出し署で事情を聴くが、暴行を否認。逮捕を検討したが、捜査を先送りして三女への事情聴取が始まっておらず不可能と判断。生安課へ引き継いだ。生安課係長は女性宅周辺を徘徊した人物を筒井被告と確認できず、ストーカー規制法による検挙も断念。警告だけで済ませ、迎えに来た筒井被告の両親に連れ帰るよう指示した。
 12日、習志野署は三女と父親から事情聴取を始めた。14日、習志野署はようやく被害届を受理した。同日夜、桑名市の実家に戻っていた筒井被告は、父親を殴り、母親の携帯電話を奪って家出した。筒井被告の父親が「息子に殴られた」と119番。署員が駆け付けた際には筒井被告の所在は不明となった。なお筒井被告の両親もこれまでに計3回、相談したり通報している。筒井被告は金を持って、長崎に向かっていた。三重県警から連絡を受けた千葉県警は三女の安全を確かめたが、長崎県警には筒井被告の動きを伝えていなかった。
 16日の事件当日、三女と父親は長女とともに東京にいた。午後9時ごろ、学校から帰宅した次男が、室内が荒らされている状況を知り、ワゴン車の荷台から2人の死体を発見した。
 家族らの説明から筒井被告が浮上。捜査員が17日午前9時20分頃、長崎市内のホテルにいた筒井被告に任意同行を求め、事情聴取し、同日、殺人、住居侵入容疑で逮捕した。この日、千葉県警は傷害容疑で筒井被告の逮捕状を取っていた。
 2012年1月、筒井被告を鑑定留置。4月24日、鑑定が終了し、26日に殺人、住居侵入、窃盗の罪で筒井被告を起訴。5月1日、長崎県警が傷害容疑で筒井被告を再逮捕。21日、脅迫容疑で筒井被告を再逮捕した。
一 審
 2013年6月14日 長崎地裁 重富朗裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年6月24日 福岡高裁 古田浩裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。筒井被告は逮捕当初、容疑を認め、接見した弁護人に謝罪の言葉を述べていた。しかし起訴後の2012年6月、弁護人に「本当はよく覚えていない」と言い始めた。弁護人によると、供述はその後さらに変わり、最終的には「自分は犯人ではない。自白調書は言ってもいないことを書かれた」との主張に変わった。2013年4月3日に行われた最後の公判前整理手続で、殺人や住居侵入、窃盗罪については無罪を主張する一方、脅迫罪は認め、傷害罪は暴行の回数や程度を争うとしていた。しかし、その後、弁護人が接見した際、筒井被告はすべての罪について、全面否認の意向を示した。
 2013年6月14日の初公判で、筒井被告は、「否認します」と全面無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、筒井被告は大学時代から交際相手にストーカーや暴力行為をしており、三女に対しても冷静な判断ができなくなるほど筒井被告が日常的な暴力で支配していた経緯を指摘。三女が千葉県習志野市から西海市の実家に戻った際、家族に無理やり連れ戻されたと思い込み、「三女の家族を皆殺しにして奪い返す」と決意。殺人事件の8日前に包丁を購入し、手袋を準備するなど計画的な犯行だったと指摘した。
 弁護側は冒頭陳述で「被告は三女が病気になった時に看病するなど、三女との関係は良好だった」と反論し、無罪を主張。刑事責任能力についても争う姿勢を示し、今後、被告人質問や三女に対する証人尋問などで立証していく考えを明らかにした。
 検察側は殺人事件の約2か月前、三女が住んでいた千葉県習志野市のマンションで、隣人が被告と三女の会話を録音したという音声を証拠として約10分間再生した。また検察側は、三女の部屋のクローゼットの大きな穴や血痕のついたシーツの写真などを証拠として提出。筒井被告に殴られてできたとする三女の左目付近の打撲痕や頭の切り傷なども写真で示した。
 15日の第2回公判で検察側は、事件翌日に筒井被告が任意同行された際に着ていたコート、ズボンなどから検出した血痕のDNA型が、被害者の二人と一致。所持していた包丁の血痕のDNA型は母と一致したという捜査報告書を提出した。また、犯行現場に残された足跡が、県警科捜研の鑑定の結果、被告が任意同行時に履いていた革靴と一致したとする捜査報告書や、被告のウエストポーチの中から、被害者2人の財布などが出てきたとする写真撮影報告書も調べられた。また、脅迫罪の立証のためとして、筒井被告が使っていたとするソーシャル・ネットワーキング・サービスに関する証拠も提出された。
 16日の第3回公判では、任意同行や凶器、着衣を鑑定した警察官ら5人が出廷し、当時の捜査の様子を証言した。
 17日の第4回公判で、ストーカー被害を受けた三女の証人尋問がビデオリンク方式で行われた。三女は「束縛は厳しかった。手錠をかけられ正座をさせられ、蹴り飛ばされたこともあった」「家族を殺すと言われていたので、死ぬことも逃げることもできなかった」と涙声で証言。また警察に何度訴えても被告が逮捕されなかったことについて「何で誰も守ってくれないのか」と当時の絶望感を振り返った上で、「(被告を)死刑にしてください」と強い処罰感情を訴えた。
 20日の第5回公判で、長女は三女を筒井被告の元から連れ出す3日前、約4か月ぶりに再会したとし、三女は顔のあざを化粧で隠しており、食事中も常に携帯電話を気にしているそぶりを見せ、会話も上の空だったと証言。「この時、暴力を受けていると確信した」と助け出す決意をした経緯について説明した。また、連れ出したときのことについて、「アパート内は、いろんな物が散乱し、壁に血が付いており、監禁部屋のようだった。私も被告から殺されると思い、遺書を通勤カバンに入れていた」などと語った。次女は、被虐待女性症候群症状に陥った三女が、実家へ避難後、無気力になり、なかなか筒井被告の行為を説明しなかったと証言。1、2週間かけて家族全員で三女の心のケアに努めたところ、ようやく語り始めたという。そして「(望む判決は)死刑しかない」と語った。
 21日の第6回公判で、逮捕翌日の2011年12月18日及び23日に行われた検察官と警察官の取り調べの様子を計約1時間にわたり収録したが映像が廷内で流された。三女に配慮し、廷内では音声が全て消され、裁判員らはイヤホンでやり取りを聞いた。被告は落ち着いた様子で取り調べに応じ、包丁を振り下ろして殺害する様子を再現したり、調書に署名したりする姿が映し出された。
 同日の被告人質問で、筒井被告は自白調書に署名した理由を、「刑事から『死ね、くず』とどなられたり、机をたたかれたりして脅され、警察の意に沿う供述をした」と説明した。検察側から、捜査段階で作成された54通の供述調書全てで犯行を自供している点を指摘されると、「『調書にサインしないと、共犯者と疑われて取り調べを受けている女姓やお前の家族が裸にされるぞ』と脅された」などと繰り返した。
 23日の第7回公判で、争点の一つだった捜査段階の自白調書について、地裁は任意性を認め、証拠採用し、検察側が朗読した。検察側は筒井被告が拘置所内で書いたノートも証拠提出した。
 24日の第8回公判における被告人質問で筒井被告は、自白調書はデタラメであると無罪を主張。事件当日の行動については、「夜7時くらいに長崎駅に着いた。三女の父から傷害で訴えると言われ、自分の父を殴って実家を出てきていたので、いろいろと不安な気持ちがあり、駅周辺を歩き回っていた」などとし、犯行を否定した。女性への連絡強要、暴力も全て否定した。
 27日の第9回公判における被告人質問で、被害者とDNA型が一致する血痕が付着したコートや包丁、現場に残った足跡など殺人事件の証拠について筒井被告は「警察が偽造した。全部うそだ」と主張した。女性の顔や足などにアザの痕が残った写真も提示したが、筒井被告は「暴力は振るっていない」と主張した。
 28日の第10回公判では、鑑定留置と再鑑定を行った精神科医が出廷し、「被告は他人の感情に無関心で暴力を振るうハードルが低い『非社会性パーソナリティー障害』。人格障害の一つで、善悪の判断に影響はない。刑事責任能力はある」と述べた。
 6月3日、論告に先立ち、三女の父親は被害者参加制度に基づき別室から「ビデオリンク方式」で意見陳述し、「事件を境に、私たちの楽しい日常が一変してしまった。死刑以外は考えられない」と時折声を詰まらせながら、厳しい処罰感情を訴えた。
 論告で検察側は、被害者のDNA型と一致する血痕が付いた被告のコートなど物証の存在を強調。捜査段階での筒井被告の自白調書を「詳細かつ具体的、合理的」と主張する一方、「証拠を偽造した」との公判での筒井被告の主張を「荒唐無稽」と批判した。刑事責任能力については「非社会性パーソナリティー障害」との鑑定結果から「完全責任能力が認められるのは明らか」とした。動機については「三女を取り戻すため、実家にいる家族を皆殺しにすると決意した」とした。また、「2人が殺害されたのは自分のせいだ」と、三女が事件から約1年半たった今も苦しみ続けていることに触れ、「結果はあまりに重大だ」と指摘。さらに、被告が過去にもストーカー事件を起こしたことを挙げ、「やり直すチャンスを何度も与えられながら、生かさなかった」と述べた。「被告には他人の痛みや苦しみを共感する心が欠如している。被告は現時点でも三女を取り戻したいという願望を持っており、万が一にも刑務所から出てきたら、再犯に及ぶことは確実」と強調した。そして「強固な殺意に基づき、執拗かつ残虐で計画的。更生の可能性はない。命をもって償うべきだ」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「取り調べで『死刑にしてやる』など脅迫的な言葉を言われた」などとして自白調書を「任意性も信用性も存在しない」と主張。刑事責任能力については「心神喪失あるいは心神耗弱状態だった」と訴えた。そして「被告は現場に行っていない」と無罪を主張した。
 最終意見陳述で筒井被告は「警察と検察が都合良く証拠を作り変えている。時間がないのですべては言えないが、犯人は別にいる」と訴え無罪を主張した。また初公判前に裁判長に無罪を訴える100枚を超える手記を送っていたことを明らかにし、「僕の気持ちを細かく書いているので読んでほしい」と訴えた。
 判決で重富裁判長は、被告が事件翌日に被害者の血の付いた包丁を持っていたことや、服に被害者の血がついていたことを「被告が犯人でなければ合理的に説明できない」と指摘。被害者の財布を持っていたことや、被害者宅に被告の靴と似た足跡があったことからも「犯人だと認められる」とした。捜査段階での自白については、殺害の経緯や様子を具体的に述べているとして信用性を認め「脅迫など違法な取り調べがなされた事実はない」と判断。公判での被告の主張は「多くの証拠と矛盾する」と退けた。また、被告には人格障害があるが精神病ではなく、行動は計画的で自己防衛的な言動も多いとして、刑事責任能力があると認めた。その上で「遺族の処罰感情は厳しい。公判では不合理な弁解に終始し、改悛の情は全く見いだせない。何の落ち度も無い2人の命を理不尽に奪った責任は重い。犯行は冷酷、残虐で更生の可能性も低い。死刑を科すほかない」と死刑とした理由を述べた。

 被告側は即日控訴した。
 2014年3月3日の控訴審初公判で、筒井被告は一審に続き「僕は犯人じゃない。自分は誰かに、はめられているとしか思えない」などと無罪を主張した。
 この日に行われた弁護側の被告人質問で、筒井被告は「現場に行っていない。アリバイとなる長崎市内のコンビニのレシートを警察に捨てられた」などと供述。凶器とされた包丁や衣服に付いた血痕、犯行現場の足跡などについても無関係と主張した。女性に対する傷害など他の四つの罪についても「はめられた」と否認した。弁護側は一審に続き、捜査段階の自白の信用性や任意性はないと主張。検察側は「取り調べを録音・録画したDVDでは殺害状況など詳細な内容を自発的に供述している。任意で自由な態度で調べに応じている」と調書の信用性を主張する書面を提出した。一審で争った責任能力については、筒井被告が「自分には責任能力がある」と話したため、控訴審では争点にしなかった。
 4月8日の公判で検察官が、捜査段階で一度容疑を認めた理由について筒井被告に問うと、「刑事に脅され、言いなりになり、認めてしまった」と一審の主張を繰り返した。そして「真犯人を必ず世の中に出す」と話した。「裁判で発言できるのは最後かもしれないが、真実を話さなくていいのか」との問いかけに対しては「本当のことを話している」と反論した。筒井被告からのストーカー被害を訴えていた女性について、古田裁判長が「今どう思っているか」と問いかけると、しばらく沈黙し、「頭が真っ白で分からない」と答えた。検察側は女性の父親の意見陳述書を読み上げた。その中で、父親は元交際相手に殺害される事件が後を絶たない現状に触れ、「反省もせず、人の痛みが分からない人間を生かしておくための裁判をいつまで我慢すればいいのでしょうか」と訴えた。裁判はこの日で結審した。
 古田裁判長は判決で、「被告の服や靴に被害者とDNAの型が一致する血痕がついていたことや、捜査段階の自白は信用できるとして、被告の犯行だと判断した一審に不合理な点はない」と指摘。凶器の所持などを「警察官の捏造」とする筒井被告の主張を、「根拠を欠く荒唐無稽な主張」と退けた。その上で、「強固な犯意に基づく無慈悲な犯行」と批判。捜査段階で認めながら公判で否認に転じたことについて「不合理な弁解で、更生可能性は乏しい」と言及し、「人命軽視の態度は顕著で、その思考と経緯に酌量の余地はない。刑事責任は極めて重く、究極の刑であることを踏まえても、死刑を認めざるを得ない」と結論付けた。
備 考
 2012年2月1日、千葉県警の刑事部参事官ら刑事部、生活安全部の幹部3人が西海市を訪れ、事件を防げなかったことを遺族に謝罪した。
 3月5日、千葉、三重、長崎3県警幹部が、連携不足を認める検証結果を遺族に報告、発表した。父親が11月21日、習志野と西海、桑名の3署に相談した際、筒井被告から三女の知人らに脅迫メールが届いていることを伝えたのに、どの署も内容を確認していなかった点を指摘。その上で、「内容を確認すれば、切迫性があると判断し、早期の事件化を図れた」とした。また、10月30日、三女が習志野市のマンションを借りたまま帰郷したことで、習志野、西海両署がいずれも「管内のことではない」と考え、ストーカー規制法を積極的に適用しなかったことも反省点とした。筒井被告は殺害の2日前に行方不明になったが、この情報を習志野署が西海署へ伝えなかったことも連携不足とした。3県警の合同検証では、習志野署の問題点として、〈1〉ストーカー被害を受けた女性の父親から相談を受けながら、切迫感を持つことのないまま他の事件捜査を優先するなど危機意識が薄かった〈2〉ストーカー規制法に基づき、一歩踏み込んだ対応がなされなかった〈3〉署長が適切に指揮するだけの情報が上がっておらず、生活安全課と刑事課の連携も十分ではなかった−−といった点が指摘された。そして再発防止策も挙げ、男女間トラブルが重大事件に発展することの周知や、組織的対応の徹底などを図るとした。
 同日、警察庁は、再発防止策を都道府県警に通達し、ストーカー事案では初期段階から警察署長が積極的に指揮し、他県警との連絡を緊密にするよう指示した。また暴力に発展する恐れのある男女のトラブルに関する全相談と110番について警察本部と署長が把握して指揮することなどを、全国の警察に通達で指示した。
 しかし22日、習志野署員の慰安旅行が発覚。警察庁は、旅行が捜査に与えた影響などを徹底的に追加調査するよう県警に指示した。千葉県警の幹部は22日夜、一部の遺族に慰安旅行の事実を説明し謝罪した。26日、遺族は第三者機関による再検証を要請した。だが千葉県警は、内部で再検証を行った。
 4月23日、千葉県警が再検証結果を発表。3月に公表した事件対応の検証結果に旅行の事実が盛り込まれなかった点について、「事実を伏せておくような指示や協議はなく、旅行の影響を過小評価していた」として、組織的な隠蔽の意図はなかったと結論づけた。またストーカー被害を受けていた女性に被害届受理の先送りを伝えた同署刑事課係長や、ストーカー対策の責任者である同署生活安全課長が旅行に参加しなければ、「より踏み込んだ対応ができた」と指摘。さらに署長や副署長らも積極的に対応していれば「(殺害の)発生は回避できる可能性があった」と言及し、「幹部としての役割を果たしていない」とした。同日、会見で鎌田聡本部長が遺族へ謝罪するとともに、前回の検証で外部からの評価が欠けていた点や、署全体が最大限対応していれば2女性殺害が回避できた可能性も認めた。
 同日、鎌田聡本部長が訓戒処分を受けるなど千葉県警で21人が処分を受け、7人が口頭厳重注意などを受けた。処分発表と合わせて、警察庁などは生活安全部長を千葉県警地域部長に、刑事部長を警察庁長官官房調査官に27日付で異動させる事実上の更迭人事を決めた。戒告処分を受けた当時の習志野署長は23日付で退職した。
 同日、三重県警は当時の桑名署長(3月23日付、31日に定年退職)に口頭厳重注意、同署生活安全課長と同課の前係長2人に対し、同様の事案について適切な対応をするよう口頭で業務指導した。長崎県警でも数名に口頭厳重注意などの処分がされている。
 千葉県警は、ストーカー事案に対応した習志野署を含む中規模署数か所に、刑事課と生活安全課にまたがるストーカー事案などについて迅速に対応することを目的とした、警視クラスの「刑事官」の配置を2012年9月より始めた。
その他
 裁判で長崎地検は、三女に地検の被害者支援員が付き添い、裁判の手続きや不安などの相談を受けることで精神面のサポートを行った。
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氏 名
浅山克己
事件当時年齢
 46歳(2012年1月、逮捕当時)
犯行日時
 2010年10月2日/2011年11月24日
罪 状
 殺人、現住建造物等放火、ストーカー規制法違反、有印私文書偽造他
事件名
 山形・東京連続放火殺人事件
事件概要
 名古屋市の無職浅山克己被告は2010年10月2日午後10時10分頃、元交際相手である男性Aの両親が住む、山形市の木造二階建てに、殺意を持って、建物一階の書斎の外壁と、近くに置かれていたゴミ袋に灯油をまいた上、ライターで火を付けたティッシュを放り投げて放火。住宅を全焼させ、男性Aの父(当時71)と母(当時69)を殺害した。
 同性愛者である浅山被告と男性Aは2008年10月、名古屋市で知人の紹介で知り合い、交際を始めた。しかし浅山被告の暴力に悩んだ男性Aは別れ話を切り出したが、浅山被告から職場に暴露すると脅され、1年半の交際が続いた。男性Aは2010年5月に実家のある山形市に転居すると、浅山被告は電話やメールを送り続け、9月には浅山被告が押しかけ、男性Aを無理やり名古屋市まで連れ帰った。男性Aは「母親の介助をしなければならない」と実家に戻ったが、浅山被告はその後も大量のメールや電話を続けた。さらに放火後も浅山被告は山形市を訪れ、男性Aの自宅のガラスを割るなどした。
 山形県警はストーカー行為を把握していたものの、出火原因の特定には至らず、失火の可能性が高いとして処理していた。

 さらに2011年11月24日、会社員の妻と共謀し、元交際相手の男性Bの母親(当時76)が住む東京都江東区の12階建てマンションの9階にベランダから侵入。帰宅してきた母親を縛った上、大きなたらいをかぶせて炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒にして殺害。室内に灯油をまき、全焼させた。
 男性Bは2010年2月以降に計3か月間、浅山夫婦と同居していたが、浅山夫婦からの暴力に耐えかねて逃げ出していた。浅山被告は、9月以降、何度も母親宅を訪れ、男性Bに会わせるように迫っていた。

 浅山被告とその妻は、男性Bの行方を調べようと区役所で長男を装って住民票の写しを受け取ったり、付きまとったりしたとして、2012年1月5日、有印私文書偽造とストーカー規制法違反容疑で逮捕された。1月18日、江東区の事件で殺人、現住建造物等放火などの容疑で逮捕された。
 浅山被告は山形市の事件についても関与を認め、3月7日、殺人と現住建造物等放火の容疑で再逮捕された。
 浅山被告は3月25日、留置場で首吊り自殺を図り、意識不明の重体となった。後に意識が回復し、30日、追起訴された。
一 審
 2013年6月11日 東京地裁 平木正洋裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年10月1日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2013年5月9日の初公判で、浅山被告は山形市の事件について「殺害するつもりはありませんでした」と殺意を否認した。東京の事件については起訴内容を認めた。
 検察側は、冒頭陳述で「被害者を死亡させる危険性がある行為と認識して行っていれば、殺意があると認められる。確実に殺害できるとまで考えている必要はない」と説明した。その上で、山形市の事件について「浅山被告は住宅に夫婦がいるかもしれないと思っていた」として殺人罪は成立すると主張。根拠として「生活介助を必要とする夫婦が午後9時には就寝している」と認識し、放火したことなどを挙げた。また、浅山被告は事件当時、「以前、交際していた男性を自分の元に連れ戻すには、両親の存在が障害である」と考えており、夫婦を殺害する動機があったとした。
 一方、弁護側は、「住宅に隣接する(夫婦の)染め物工場を燃やすつもりで放火した。夫婦が在宅していたことや亡くなってしまうことは、想定していなかった」と訴えた。「職場がなくなれば、『仕事が忙しい』と話していた長男が、自分の元に戻ると思っていた。夫婦への恨みはなく、殺害する動機はない」と主張し、殺人罪には当たらないとした。当時の様子を「家や工場に明かりがついておらず、人の気配もなかったため、留守だと思っていた」とも述べた。浅山被告も「母屋の隣の工場を燃やそうとした。敷地内に車がなく、家の明かりもついていなかったので留守だと思っていた」と述べ、殺意はなかったと強調した。
 元交際相手である男性(長男)は初、10日の第2回公判で当時の状況を証言。第2回公判では被害者参加制度を利用して次男が極刑を訴えた。
 13日の第3回公判で、浅山被告の妻が証人尋問で、「浅山被告は放火の理由を『元交際相手の仕事がなくなれば名古屋に戻ってくる』と話していた」と述べた。一方、同性愛者の浅山被告と結婚した理由を問われ、「断ったら飼い犬を殺すと脅された。自分の命よりも大事な犬だったので結婚した。恋愛感情はなかった」と語った。
 14日の第4回公判における被告人質問で、浅山被告は「家に誰もいないと思った」と殺意を否定する一方、「(隣接する工場だけでなく)家も燃えていいと思った」とも述べた。
 21日の公判における被告人質問で浅山被告は、「悪いことをしたので死刑でも構わない」と述べた。
 23日の論告で検察側は、元交際相手が浅山被告に両親の生活パターンを詳しく教えていたことから、「両親がいるかもしれないと思って火を付けた。殺意は明らか」と主張。「元交際相手を支配するため、邪魔になる両親を殺害した」として死刑を求刑した。同日の最終弁論で弁護側は、「自宅に接する工場を燃やすつもりだった。自宅には誰もいないと思っていた」と反論。殺人罪は成立しないと訴えた。浅山被告は最終意見陳述で「本当に申し訳ありませんでした」と、消え入りそうな声で話した。
 判決で平木裁判長は、争点となっていた山形事件での殺意の有無について、家の壁にも灯油がまかれている点を指摘。「死亡した夫婦が身体の具合が悪いことを認識していた」と判断し、「避難能力の劣る夫婦が死亡する危険性が高いことを認識しながら放火したと推認できる」として、殺意を認定した。さらに東京事件については「命ごいを無視して殺害しており、残忍極まりない」と指摘。その上で、「交際相手への強い執着心から山形事件を起こし、その後、別の交際相手の家族への逆恨みから重大事件を再び起こした」と指摘。「全く落ち度のない被害者が3人も殺害され、社会に与えた衝撃も大きい。交際相手を連れ戻したいという願望を実現するために重大な犯行を繰り返しており、犯情は極めて重い」とし、被告が山形の事件以外は罪を認めているといった有利な事情があっても、死刑はやむを得ないと結論付けた。

 2014年5月2日の控訴審初公判で、弁護側は控訴趣意書で、(山県市の事件の)元交際相手は浅山被告に激しい処罰感情を持っており、その証言を基に殺意を認定するのは「危険」と主張。浅山被告は被害者の長男が家業の染物屋を継ぐため、自分のもとを離れていったと考えたと主張。仕事場がなくなれば、戻ってくると思い、被害者の自宅と隣接する染め物工場に火を付けたとして、「被告は両親を排除しようと思っておらず、午後10時頃に電気が消えていて車もなかったことから、家に誰もいないと安心しうる状況だった」と述べた。そして一審判決について「十分な証拠調べをせず(山県市の事件の)夫妻への殺意を認定しており、誤った判断だ。極刑は重すぎる」として死刑回避を求めた。検察側は、弁護側は一審での主張を蒸し返しているに過ぎないなどとして、控訴棄却を訴えた。また、弁護側が浅山被告がうつ病だったとして精神鑑定の実施を申請したが、八木正一裁判長は「理由がない」として却下した。当時の精神状態などを示す書証の取り調べも却下した。次回公判での被告人質問と証人尋問は認めた。
 7月7日の第2回公判で、弁護側は2人が死亡した山形市の放火事件について「殺意はなかった」と主張し、死刑は重過ぎると主張して結審した。被告人質問で浅山被告は「どうもすみませんという気持ちです」と述べた。
 判決で八木正一裁判長は、山形の事件で被告が被害者の生活状況を事前に把握していた点を指摘し、殺意を認定した。しかし、「確定的とは言えず、未必の殺意だった」とも認定した。その上で判決は東京で同様の事件を起こしていることから、「用意周到に計画して完全犯罪をもくろむなど、犯行の悪質さや重大性が際立っている。死刑判決はやむを得ない」と述べた。
備 考
 山形県警の大竹孝幸刑事部長は2012年4月24日の記者会見で、事件当時の捜査は不十分だったとの認識を示した。大竹刑事部長は「当時の捜査では、明らかに放火と断定できる痕跡がなく、放火、失火の両面で調べていた。火元とみていた室内を重点的に調べていたが、屋外を含めた広範囲な鑑識活動を行うべきだった」などと述べた。
 殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた浅山被告の妻は2012年11月13日、東京地裁(近藤宏子裁判長)の裁判員裁判で懲役18年(求刑懲役22年)が言い渡され、控訴せず確定した。
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