死刑確定囚(2013年)



※2013年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
渡辺純一
事件当時年齢
 28歳(2005年6月23日、逮捕監禁容疑で逮捕時)
犯行日時
 2004年10月13日〜16日
罪 状
 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、傷害
事件名
 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件
事件概要
 コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。
 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。
 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。
 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。
 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。
 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。
 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。
 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。
一 審
 2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 無期懲役判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2009年3月19日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑判決
上告審
 2013年1月29日 最高裁第三小法廷 岡部喜代子裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きを採用。
 2006年9月4日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。
 その後の公判では、清水大志被告とともに審理された。
 検察側は清水被告を詐欺グループを取りまとめた「頂点」と位置づけ、渡辺被告を暴力団構成員としての経歴を生かして犯行に加担したなどとした上で、「2人のグループ内での影響力は絶対的だった」と指摘。両被告を、殺害を指示した「主犯格」と位置付けた。
 両被告は「暴行は指示したが、殺せとは言っていない」「検察の主張するエピソードは間違えている。やってもいない殺人に対して、反省を求められても困る」と繰り返し、殺人と傷害致死罪に当たるのは実行犯の3被告だと主張。弁護団も「共犯者同士で『殺害を指示された』と口裏を合わせている」との見方を示していた。
 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。
 4月27日の最終弁論で、渡辺被告、清水被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。
 最後に裁判長から「何か言っておくことはないですか」と問われた際、清水被告は「逮捕されてから(仲間が)どんどん敵味方に分かれ、(実行犯の)3人と争う形になってしまった」と言葉少なに、また渡辺被告は「自分はグループのトップではない」と、それぞれ述べた。
 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。
 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。

 清水被告、渡辺被告は事実誤認を理由に即日控訴。検察側は殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認であると、両被告に対して控訴した。また渡辺被告については量刑不当も訴えた。
 2008年6月19日の控訴審初公判で、清水大志被告は「共謀の認定について1審判決には事実誤認がある」として死刑回避を求めた。一審で無期懲役とされた渡辺純一被告も減刑を求めた。検察側は、一審判決が被害者のうち1人について殺人罪を適用せず、傷害致死罪としたことについて事実誤認を主張した。
 以後は公判が分離された。
 判決で長岡裁判長は、2007年8月の一審判決と同様、検察側が殺人罪の適用を求めた被害者のうち1人の死亡について、傷害致死罪に該当すると判断。しかし、「4人を監禁した後、『殺すしかない』と積極的に発言し、グループでの影響力も大きかった。渡辺被告は反省の念が乏しく、改善・更生が著しく困難。犯行は執拗で残忍。刑事責任は極めて重大」として、死刑を選択した。
 一審判決は、グループ内での渡辺被告の役割について「首謀者の立場ではなかった」と認定したが、この日の判決は、渡辺被告が共犯者に対して何度も殺害の指示を出し、「しゃべったら家族を殺す」と口止めまでしていた点を重視。「事件が重大化したのは、渡辺被告によるところが大きい」と認定した。

 2012年12月4日の最高裁弁論は、清水被告とともに行われた。弁論では両被告の弁護人とも2件の殺人について「実行役へ殺害を指示したことはない」と共謀を否定した。そして被告側は死刑回避、検察側は上告棄却を求めて結審した。
 判決で第3小法廷は、「4人の命が失われた結果は重大。被告は犯行の中核メンバーで、殺害の実行を指示するなど重要な役割を果たしており、死刑はやむを得ない」と述べた。判決は清水被告と別に開かれた。
備 考
 一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。
 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2013年1月29日、被告側上告棄却、死刑確定。
 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2013年2月28日、被告側上告棄却、確定。
 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2009年10月19日、被告側上告取り下げ、確定。
 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。
<リストに戻る>

氏 名
清水大志
事件当時年齢
 26歳(2005年6月8日、詐欺容疑で逮捕時)
犯行日時
 2004年10月13日〜16日
罪 状
 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反、傷害
事件名
 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件
事件概要
 コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。
 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。
 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。
 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。
 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。
 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。
 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。
 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。
一 審
 2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2009年5月12日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2013年1月29日 最高裁第三小法廷 岡部喜代子裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きを採用。
 2006年9月1日の初公判で、清水被告は「殺人の実行行為も共謀もしていない」と主張し、殺人と傷害致死の起訴事実を否認、逮捕監禁と死体遺棄は認めた。清水被告側は「監禁、暴行が続いた2日間に、清水被告が常に現場にいたわけではなく、4人が死亡した時にも不在だった」とし、「ほかのメンバーに監禁や暴行は指示したが、殺せとは言っていない」と主張。殺人罪と傷害致死罪に当たるのは、あくまでも実行犯のメンバーで、清水被告は共謀関係にないとした。
 検察側は冒頭陳述で、残酷なリンチの様子を詳細に再現。「一連の犯行は、グループのリーダーだった清水被告が主導した」と断定した。
 なお清水被告は、徳島地検が追起訴した組織犯罪処罰法違反罪(組織的詐欺)の容疑についても「私はその事実に関与していない」と全面否認している。
 2006年9月5日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。
 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。
 4月27日の最終弁論で、両被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。
 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。
 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。

 被告側は即日控訴した。検察側は「殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認だ」として控訴した。
 長岡哲次裁判長は判決で「清水被告に殺害を指示された」とする共犯者の供述は信用性があると認定。殺害の共謀関係はなかったとする被告側の主張を退けた。検察側は被害者1人について殺人罪が相当だと訴えたが、判決は一審同様、傷害致死罪を適用した。
 そして長岡裁判長は「人命を無視した冷酷かつ残忍な犯行で中心的役割を果たした。反省の念に乏しく、更生は困難」と述べた。

 2012年12月4日の最高裁弁論は、渡辺被告とともに行われた。弁論では両被告の弁護人とも2件の殺人について「実行役へ殺害を指示したことはない」と共謀を否定した。そして被告側は死刑回避、検察側は上告棄却を求めて結審した。
 第三小法廷は「粘着テープで縛られ身動きが取れない被害者の鼻と口をふさいで殺害するなど、冷酷で非情。主導的かつ中心的立場で、殺人への関与を否認するなど反省の態度もうかがえない」と述べた。判決は渡辺被告と別に開かれた。
備 考
 一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。
 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。2013年1月29日、被告側上告棄却、死刑確定。
 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2013年2月28日、被告側上告棄却、確定。
 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2009年10月19日、被告側上告取り下げ、確定。
 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。
<リストに戻る>

氏 名
伊藤玲雄
事件当時年齢
 31歳(2005年6月9日、逮捕監禁容疑で逮捕時)
犯行日時
 2004年10月13日〜16日
罪 状
 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁
事件名
 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件
事件概要
 コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。
 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。
 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。
 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。
 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。
 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。
 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。
 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。
一 審
 2007年5月21日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2009年8月28日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2013年2月28日 最高裁第一小法廷 桜井龍子裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 2006年3月29日の初公判、起訴事実の認否で3被告(伊藤玲雄被告、阿多真也被告、鷺谷輝行被告)は、YOさん(当時34)殺害については否認したが、他の3人の殺人、傷害致死についてはほぼ認めた。
 2006年11月13日の論告求刑公判で検察側は「犯行は執拗で残忍」「まれに見る凶悪、重大な犯行。被害者に対する暴行はこの世の地獄を思わせるもので、人間の所業ではない」と指摘した。
 2007年1月11日の最終弁論で弁護側は、口や鼻を粘着テープでふさがれるなどして殺害されたYOさんの事件について、「殺意はなかった」と傷害致死罪の適用を主張。また、清水大志被告らリーダー格による殺害の指示を拒めなかった、と情状面の理解を求めた。阿多被告側は、起訴されたすべての罪で自首が成立すると主張した。
 3被告は最終陳述で涙ながらに謝罪し、このうち伊藤被告は「裏切ったら家族ごと殺すと脅された。生きて罪を償う道を与えてほしい」と訴えた。
 彦坂孝孔裁判長は「人命を全く軽視した非道な犯行で、主導的に殺害行為をした責任は極めて重大だ」と述べた。検察側は男性3人に対する殺人罪が成立すると主張したが、彦坂裁判長は、テープで縛られて死亡した1人の死亡について「殺意までは認められない」と傷害致死罪を適用した。また、殺害の指示を否認しているグループの主犯格メンバー清水大志被告らの指示を認めた。弁護側は「殺害は(グループ内の首謀者とされる)渡辺被告への恐怖心に支配された結果」などと主張したが、彦坂裁判長は「行為に直接関与しており、認められない」と退けた。一方、阿多被告は捜査段階で供述した殺人以外の罪について自首の成立を認め、「伊藤被告らの言動に影響された面があった」として死刑を適用しなかった。鷺谷被告は「伊藤被告に同調した従属的な犯行」とした。

 被告側は量刑不当を理由に控訴した。千葉地検は地裁判決に事実誤認があったとして、東京高裁に控訴した。判決で、地検が殺人罪を主張した3人のうち1人について傷害致死罪が相当と認定した点を事実誤認とした。地検は控訴に踏み切った理由を、犯行グループのリーダーで無職の清水大志被告らの量刑に影響があるためとしている。
 2008年3月13日の控訴審初公判で、検察側は、一審判決が傷害致死罪に当たると認定した1人について、「事実誤認で殺人罪に当たる」と主張。死刑求刑に対し、無期懲役とされた阿多被告については量刑不当を訴えた。
 伊藤被告の弁護側は「リーダーらのマインドコントロール下での犯行だった」と主張、死刑回避を求めた。
 判決理由で長岡哲次裁判長は「被告は反省しているが、執拗で残忍な態様、結果の重大性などを考えれば死刑を回避すべきとはいえない」と結論付け、無期懲役を求めた弁護側の訴えを退けた。被害者4人について、は被害者が死亡した状況は被告の供述から「殺意があったと認定することはできない」として、殺害3人、傷害致死1人との検察側主張を認めず、殺害2人、傷害致死2人と認定した一審判決を踏襲した。

 2013年1月28日の最高裁弁論で、弁護人は「主犯格の男に脅され、さらに支配されて正常な判断能力を欠いていた。従属的役割に過ぎず、死刑は重すぎる」と主張。検察側は上告棄却を求めた。
 判決で桜井龍子裁判長は伊藤被告について「被害者の鼻と口をふさぐなど、殺害行為の中核部分を進んで実行しており、犯行で果たした役割は大きい」と指摘。リーダーの清水大志死刑囚らと比べて「従属的立場にあった」としつつも、「殺害行為の態様は冷酷、残忍で、4人の命が奪われた結果は重大で、死刑を認めざるを得ない」とした。
備 考
 一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。
 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2013年1月29日、被告側上告棄却、死刑確定。
 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。2013年1月29日、被告側上告棄却、死刑確定。
 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2009年10月19日、被告側上告取り下げ、確定。
 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。
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氏 名
住田紘一
事件当時年齢
 29歳
犯行日時
 2011年9月30日
罪 状
 強盗殺人、強盗強姦、死体遺棄・損壊、窃盗
事件名
 岡山元同僚女性バラバラ殺人事件
事件概要
 大阪市住吉区の無職、住田紘一被告は2011年9月30日、岡山市北区にある元勤務先のIT関連会社敷地で派遣社員の女性(当時27)を倉庫に誘い込んで押し倒し、現金24,000円が入った入りバッグなどを強奪。強姦後、バタフライナイフで胸などを10回以上刺して殺害。遺体を車で運び、大阪市内の自宅近くに借りたガレージで切断し、同市内の川やゴミ捨て場などに遺棄した。
 住田被告は9月20日に退社しており、当日は会社に社員証を返却してアパートを引き払った後だった。住田被告は総務、被害者は庶務を担当。別のフロアで勤務し、書類のやりとりをする程度の関係だった。
 岡山県警は会社の防犯カメラに一緒に歩く2人が映っていたことなどから住田紘一被告を割り出し、10月6日、大阪府警住吉署に任意同行して取り調べたところ、殺害を自供したため、殺人容疑で逮捕した。8日、ガレージで遺体の一部を発見した。川などに遺棄したという遺体の一部は見つかっていない。
 他に住田被告は2011年6月と7月、勤務先の岡山市内のIT関連会社の倉庫からテレビと掃除機を盗んだ。岡山拘置所に拘留中の住田被告が2012年3月下旬、岡山地検の担当検察官あてに窃盗について書いた手紙を送った。同署などが住田被告の家を捜索したところ、部屋からテレビと掃除機が見つかった。
 岡山地検は2012年5月25日、罪名を強盗強姦罪と強盗殺人罪などに変更した。
一 審
 2013年2月14日 岡山地裁 森岡孝介裁判長 死刑判決
控訴審
 2013年3月28日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 広島拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。殺害の事実について争いはなく、量刑が争点となった。
 2013年2月5日の初公判で、住田紘一被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、住田被告が交際相手とうまくいかなかったことなどから欲求不満で女性を強姦したいと常日ごろから思い、女性を乱暴して殺害しようと計画したと指摘。「顔見知りの中から好みの女性を3人選び、声をかけてついてきてくれたのが被害者だった」とし、「住田被告は『誰にも言わんから。助けて』と懇願する被害者を無視し、殺害した。殺害態様は残虐で、極めて悪質」と述べた。
 弁護側は「計画性があっても内容は稚拙。前科もない。被告が動機をすべて語っているわけではない」と述べるとともに、強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役だが、死刑判断の基準「永山基準」を説明して、「(死刑には)被害者の人数が重視される。住田被告の両親も更生に協力する。どの刑がふさわしいが考えてほしい」と裁判員に訴えた。
 同日の被告人質問で、住田被告はマンションの同じ階に住んでいた女性を襲う計画も立てたが失敗に終わり、諦めたと述べた。その後誰を狙ったか尋ねると検察側の質問に「今回の被害者を含む3人です」と答え、被害者の女性ら3人を標的にしたことを明かした。住田被告は、以前交際していた別の女性と結婚した男性にうらみを募らせ、男性殺害を計画していたことも明らかにした。検察側に「取り調べに『出所したら男性を殺す』と話していたが、今もそう思っているのか」と聞かれ、「もちろんです」と即答した。
 6日の公判で住田被告は検察官に「殺人という行為についてどう考えるのか」と問われると、「殺人は手段として是認される。目的達成のためなら殺すことも許される。思いとどまるのは、殺人を犯して自分が捕まるかどうか、だけです」と述べた。司法試験を受験した経験もある住田被告は「犯罪者は殺してしまえばいい」と持論を展開。「今、あなた自身が犯罪者だ」と問われると「自分だけは特別視しています」と話した。証人尋問で被害者の父親が「父として一人前の幸せを与えてあげられなかった。命尽きるまで娘に謝り続けたい」と声を震わせ、「住田被告からは一度も謝罪がなく、許せる日が来るとは思えない」と厳しい口調で話した。そして「最低でも死刑。本当は楽に死んでほしくない。つらかったり、苦しんだ結果、死んでほしい」と訴えた。
 7日の公判で住田被告は被告人質問で「本当はずっと謝罪したいと思っていた。死刑になりたくて悪いことばかり言った」と態度を一変。「ごめんなさい」と涙を流した。
 8日の論告で検察側は「計画的な犯行で残虐、極めて悪質。遺族の処罰感情はしゅん烈だ。更生の可能性はない。被害者が1人であることも酌量すべき事情とならない」などとして死刑を求刑した。遺族は被害者参加制度を利用し「最低でも死刑を」と訴えた。被害者の父親はこの日、証人尋問で「私たち家族をどこまで愚弄する気か。昨日、被告が見せた涙は、悔いた涙とは思えない」と話した。弁護側は最終弁論で「計画は稚拙。犯行直前に婚約が破談になるなど同情すべき点がある」と主張。強姦や強盗目的などの事件の真相は、起訴後の被告の自主的な告白によって判明したことに加え、意図的に心情を悪くする発言をしたことにも触れ、「被告なりに命をもって償おうとしていた。極刑を言い渡すにはなお躊躇する事情もある」と訴え、無期懲役を主張した。一方で、被告は「今の私にできることは最も重い罪を受けること」と陳述した。
 判決で森岡裁判長は、住田被告が犯行場所を下見し、凶器のバタフライナイフを事前に用意するなど、「全体として入念に準備された計画性の高い犯行だ」と指摘。「被害者は強姦された上、必死の懇願もむなしく何度も刺され、無残にも殺害された」と犯行の残忍性と強固な殺意を認定したその上で、公判開始まで遺族に謝罪しなかったことなどから「反省や謝罪は不十分で、更生の可能性は高いとはいえない」と断じた。そして住田被告に前科前歴がないことや起訴後に検察官に性的暴行などを告白した点に触れ、「殺害された被害者は1人だが、結果は重大であり、死刑を回避するほど特に酌量すべき事情があるとはいえない」とした。

 弁護側は即日控訴した。3月28日付で住田被告は控訴を取り下げ、確定した。住田被告は弁護人に「判決結果は当初から受け止めようと思っていたが、迷いがあった。本当に申し訳ない。被害者に対して思いをはせ、自分にできる供養をしたい」と話したという。
備 考
 
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氏 名
山田健一郎
事件当時年齢
 36歳
犯行日時
 2003年1月25日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂
事件名
 前橋スナック乱射事件他
事件概要
 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告らは、対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)の殺害を計画。
 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部山田健一郎被告(当時36)は、同幹部小日向将人被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。
 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部(後に殺人予備容疑で逮捕)を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。

 前橋市のスナック乱射事件は、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件がきっかけになったとされる。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙ったとみられる。
 2002年2月21日の大前田一家元総長宅(前橋市)発砲事件にかかわった矢野睦会幹部が、4日後に入院先の日医大病院(東京都文京区)で射殺された。元総長宅襲撃失敗の口封じが目的で、警視庁は同会会長の矢野治被告ら3人を2003年9月に逮捕した。
 矢野睦会の襲撃はその後も続き、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶が投げ込まれ、2002年10月14日には白沢村の銃撃事件も発生。こうした流れの中で2003年1月にスナック発砲事件が起きた。
 小日向被告は事件後、フィリピンに逃亡するなどしていた。2002年10月、不法滞在容疑でフィリピンから強制送還され、警視庁が旅券法違反容疑で逮捕した。捜査本部が、抗争事件に絡む盗品等有償譲り受け容疑で逮捕していた。
 矢野被告は2003年7月8日に元組長宅への放火容疑で逮捕された。矢野被告らとともに小日向被告は前橋事件への関与を追求された。小日向被告は2004年2月に、「会長の指示で2人でやった」などと供述を始める。本事件で矢野治被告と小日向被告は2004年2月17日に逮捕された。
 山田被告は2004年5月7日に逮捕された。山田被告は白沢村銃撃事件でも射撃の実行犯として起訴されている。
一 審
 2008年1月21日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決
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控訴審
 2009年9月10日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2013年6月7日 最高裁第二小法廷 千葉勝美裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 山田被告は逮捕当初から犯行を黙秘した。
 2004年7月22日の初公判で、山田被告は起訴事実を全面否認した。
 2006年11月28日に東京地裁で開かれた矢野治被告の公判で、山田被告が弁護人証人として出廷し、自身の事件への関与を初めて認めた。しかし、事件直前に携帯電話で矢野被告に「撃ち合いになる。危険すぎる」と話したなどとする小日向被告の法廷証言については、「全くのでたらめだ。証言の7、8割はウソ」と明言。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。また小日向被告が襲撃に消極的だったとされる点について「(準備段階で)自分の目からはやる気に見えた」と述べ、その後も小日向被告の供述に対して逐一反論を述べた。山田被告は事件当日の模様についても詳細に供述した。
 2007年2月26日の公判で、山田被告は矢野被告の公判で述べたとおり、実行役であることを認める証言を展開した。被告人質問では矢野被告の公判での証言と同様、もう1人の実行役である小日向将人被告の証言をことごとく否定。事件の全容解明に貢献したとされる小日向被告の証言は「事実と違う。だまされないでほしい」と訴えた。
 7月2日の論告求刑で検察側は、「冷酷無比で残忍極まりなく、一般市民の平穏安全など眼中にない傍若無人な犯行」と指弾。「捜査段階では黙秘を貫き、公判段階では(首謀者の)矢野をかばうなど、真相解明を阻む態度に終始し、反省にはほど遠く、矯正可能性はいささかもない」「一般市民の生命を奪うのも構わないと凶行に及び、憐憫や躊躇など人間らしい感情は全くうかがわれず鬼畜の仕業に等しい」とした。また、遺族側の「犯人に対する刑としては死刑しか考えられない。私たちの苦しみを犯人たちに思い知らせてやりたい」とする言葉も読み上げた。
 10月15日の最終弁論で、弁護側は山田、小日向両被告の証言の違いに言及。会長の矢野治被告が「事件を指揮した」とする小日向被告の供述を「刑事責任を軽減するために作り上げたストーリー」として、矢野被告を首謀者とする事実認定には「誤りがある」と指摘した。また、女性客の射殺について、両被告は「撃ったのは自分ではない」としてきたが、弁護側は残った銃弾などの状況証拠を挙げ、山田被告の犯行ではないと訴えた。山田被告による死傷者は抗争相手の元組長と元組長と間違えた男性客2人とし、「一見して一般人と分かる女性らへの発砲は、共犯者による、共謀を超えた行動」と訴えた。そして、「小日向被告の虚偽(の証言)をうのみにした判断は承服できない」と述べ、小日向判決にとらわれない判断を求めた。
 暴力団関係者が見守る中、約2時間の弁論を聞いていた山田被告に、裁判長が「最後に言いたいことは」と問うと、被害者の名前を1人ずつ挙げ「私が誤射してあやめてしまった人やご遺族に心からおわび申し上げます。いかなる刑でも受ける所存です」と述べ、傍聴席の遺族に深々と頭を下げた。言葉は5分以上続き「なぜこんなことになったか分からない」と述べた。
 当初、12月17日に判決予定だったが、前橋地裁は弁護側の申し立てを受け弁論を再開。判決を2008年1月21日に延期した。 弁護側は1遺族との和解成立を陳述。改めて減軽を求めた。検察側は「和解を斟酌するには限度がある」と反論した。
 久我裁判長は判決で、「住宅街のスナックで、たまたま居合わせただけの一般人3人を射殺するなど前例のない痛ましい事件。被告も必要不可欠な役割を果たした。計画性、組織性が極めて高度(な犯行)で、被告の果たした役割も重大。(被害者は)残虐な方法で殺されており、その無念さは察するに余りある。山田被告が上位者の指示を受けて犯行に及んだ経緯などを考慮しても、罪刑の均衡の見地から極刑はやむを得ない」と述べた。
 弁護側が「(亡くなった4人のうち)3人の殺害は、もう一人の実行犯の犯行」などとし、責任が限定的だと主張していた点については、指示役とされる矢野治被告や、もう1人の実行犯とされる小日向将人被告と比較すると、山田被告は「犯行計画や準備行為への関与の度合いが低い」などと情状酌量すべき点も指摘。山田被告側の「責任は客の男性1人の殺害と男性1人の傷害にとどまる」とする主張も一部認めた。しかし、結論としては、「遅くともスナックに入って客が多数いることを認識した時点で、元暴力団組長の殺害に障害となる者をも拳銃で殺害するという意図を、小日向被告との間で暗黙のうちに共有した」と指摘。死傷者全員について山田被告は共同正犯として責任を負うとした。
 久我裁判長は、山田被告に対して「まだ時間はある。これまで語っていない部分を正直に話してほしい。それが遺族にとっても、自分にとっても唯一できる最善のことだ」と説諭。山田被告はこの言葉を聞いた後、遺族のいる傍聴席に向かって土下座をした。

 2008年11月13日の控訴審初公判で、弁護側は控訴理由について「市民3人のうち2人の殺害は小日向被告によるもので、一審判決は事実誤認。山田被告に殺意はなかった」として減刑を求めた。また事件は小日向被告の主導によるもので、山田被告は従属的な立場だったとの主張を展開した。そのうえで、山田被告が犯行に積極的に関与したと結論づけた一審判決は事実誤認だと訴え、「(死刑ではなく)一生をかけて罪を償う機会を与えてほしい」と減刑を求めた。
 弁護側の主張に対して検察側は、店の営業時間中に乱入し、拳銃を発砲している時点で殺害行為に加担しており、死刑は免れないとして控訴棄却を求めた。
 判決で長岡裁判長は「ほかの実行犯との間で事前に役割分担が決められ、多数の客がいる店内で拳銃を発射した犯行に酌むべき事情はない」と指摘。共謀はなかったとする弁護側の主張を退けた。そして「狭い店内で発砲すれば、客に当たることは想定できた。住宅街での銃器犯罪で、法治国家への露骨な挑戦だ」と指摘。「刑事責任は極めて重い。遺族らに見舞金を支払っていることなどを考慮しても死刑が相当。結果の重大性などを考えれば、死刑が重すぎて不当とはいえない」とした。

 上告審弁論は当初2013年3月1日に指定されたが、裁判官の都合により延期となった。
 4月26日の最高裁弁論で、弁護側が店の客に対する殺意を否定し、「事件での役割は従属的で、反省を深めている。死刑は妥当でない」と主張した。
 判決で千葉裁判長は、「無防備な被害者に、計十数発の弾丸を発射した冷酷な犯行。暴力団とは関係ない一般客を射殺しており残虐で、地域に与えた影響は計り知れず、事件で果たした役割は大きい。真摯な反省があるとも言い難い。死刑判断を認めざるを得ない」と述べた。
備 考
 他の被告については、矢野治被告の項参照。
 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。
 矢野治被告は2007年12月10日、東京地裁で求刑通り死刑判決。2009年11月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。現在上告中。
その他
 矢野治被告の項参照。
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氏 名
高柳和也
事件当時年齢
 39歳
犯行日時
 2005年1月9日
罪 状
 殺人、死体遺棄、死体損壊、覚せい剤取締法違反(使用、所持)
事件名
 姫路2女性バラバラ殺人事件
事件概要
 兵庫県相生市の無職高柳和也被告は2005年1月9日、自宅和室で、交際していた姫路市に住む会社員の女性(当時23)と購入を約束していたバッグの資金などを巡って口論になり、ハンマーで頭を殴って殺害。騒ぎに気づいて別室から出てきた、女性の友人であり大阪市に住む専門学校生徒の女性(当時23)も殺害した。その後ノコギリで2人の遺体をバラバラにし、1月11日から16日の間に姫路市の飾磨港や上郡町の山中などに遺棄した。
 高柳被告は女性二人が勤めていた店の客であり、会社員女性とは2004年12月に知り合った。高柳被告は資産家である旨うそをついて高額な買物をするなどしていた。専門学校生は会社員女性から「仕事を紹介する」と言われたため、1月7日に3人で会った。女性二人は高校時代の同級生だった。
 高柳被告は1月31日に覚せい剤取締法違反(使用、所持)の疑いで逮捕され、起訴された。逮捕時、高柳被告の家には別の女性(当時19)が発見されており、女性は高柳被告に誘われ9日前から一緒にいた。
 兵庫県警捜査一課は会社員女性と交際していた高柳被告の自宅から複数の血痕を検出。DNA鑑定の結果、女性二人のものと一致したため、行方について何らかの事情を知っているとみて高柳被告を追及。高柳被告は当初犯行を否認していたが、後に犯行を自供。4月17日、飾磨港から若い女性の骨盤や肩甲骨などの複数の骨が見つかった。そのうちの一つが、DNA鑑定の結果、2人のものと一致した。高柳被告は5月10日に死体遺棄容疑で逮捕、5月20日に殺人容疑で逮捕された。
一 審
 2009年3月17日 神戸地裁姫路支部 五十嵐常之裁判長 死刑判決
控訴審
 2010年10月15日 大阪高裁 湯川哲嗣裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2013年11月25日 最高裁第一小法廷 金築誠志裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 殺人他の追起訴後に開かれた2005年8月11日の公判で、高柳被告は姫路市の女性殺害について「かみそりを持ってきた女性ともみ合いになり、とっさにハンマーで殴ったが殺意はなかった。そこを目撃した女性には殺意を持ったが、殴ったのは一度だけ」と殺意を否認した。
 9月21日の公判で弁護側は、会社員女性の殺人について「殺意はなく傷害致死事件」とし、「相手が襲いかかってきたもので、正当防衛が成立する」と無罪を主張した。
 その後、高柳被告は遺体を遺棄したとする詳しい場所などを示した上申書を提出。2007年2月21日の公判で証拠として採用され、五十嵐裁判長は「信用性は別として、壺根港の捜索をしてもよいのではないか」と述べた。検察側は「警察と相談の上、検討する」とした。兵庫県警は3月下旬に相生湾の壺根港を捜索し、頭部以外の人骨片数十個を引き上げた。県警のDNA鑑定の結果、骨は2人のものと分かり、6月5日の公判で検察側はDNA鑑定結果を提出した。
 しかし、高柳被告が弁護団全員を解任したため、公判は長引いた。
 2008年9月16日の論告求刑で検察側は「極めて自己中心的な残忍かつ悪質な犯行で、各遺族の処罰感情も極めて峻烈だ」と断じ、「殺意をもってハンマーで多数回、頭部などを殴打したのは明らか」と指摘。「他害的性向の根深さは甚大」とした。
 11月18日の最終弁論で、弁護側は「犯行は計画性がなく偶発的だった。死刑は回避すべき」などと訴え、無期懲役刑で40年以上服役した例もあるとして死刑回避を求めた。弁護側は「被害者から金銭を要求され、もみあいとなり、とっさにハンマーで頭を一回殴った」と殺意を否定。もう一人は「犯行を目撃され、発覚を恐れて偶発的に起きた」とした。高柳被告は「二人に謝りたい。遺族に深い傷と悲しみを与えて申し訳ない」と謝罪した。
 判決理由で、五十嵐裁判長は犯行動機については、「自分が資産家であるとのうそが発覚すれば報復されると恐れていたところ、女性から髪をつかまれたことで激高し、犯行に及んだ」と認定。「動機は極めて自己中心的。二人の尊い命が奪われ、結果は重大。罪を軽減しようと供述を二転三転させるなど、罪を償う意識が乏しい」と指摘。さらに「被害者らの受けた肉体的苦痛はもとより、恐怖感、無念さには想像を絶するものがある」などと述べた。また弁護側の正当防衛の主張に対しては、「(被害者が)カミソリで襲いかかった形跡はなく、殺害現場の跡などから二人の頭部をハンマーで数回にわたって殴るなど強い殺意が認められる」と退けた。また弁護側の偶発的な犯行という主張については、「計画性が認められないことを過大に考慮できない」と述べた。そして「犯行様態は極めて残忍で、凶暴かつ残忍極まりない。遺族の処罰感情も厳しい。犯行の重大性を真剣に受け入れようとせず更生の余地は乏しい」と断じた。

 2010年2月3日の控訴審初公判で、弁護側は知的障害が判明したとして、心神耗弱を主張、精神鑑定を申請。さらに、2人の殺害順序が違うと主張する、被告自身が書いた控訴趣意書を提出した。さらに「突発的な犯行で計画性はなかった」とも主張した。公判には高柳被告も出廷した。これに対し、検察側は「いずれも理由がない」と控訴棄却を求めた。
 後に精神鑑定は却下された。
 判決で湯川裁判長は交際をめぐるトラブルがあったことを指摘し、「動機は理解可能で、犯行後、被害者に連絡を求めるメールを送るなど(生存を装う)工作もして証拠隠滅を図るなど犯行の社会的意義を理解していた。完全責任能力が認められる」と弁護側の主張を退けた。そして「確定的殺意に基づく残忍な犯行で、一審判決は不当とは言えない」と指摘した。

 2013年10月3日の最高裁弁論で弁護側は「被告は知的障害を抱えており、責任能力に疑問が残る。一、二審は被告の責任能力などの評価を誤り、量刑も重すぎる」と主張した。検察側は「基礎学力は乏しいが責任能力には問題ない。残忍な犯行で極刑が相当」と訴えた。
 判決は「強固な殺意に基づく凶暴かつ残忍な犯行。身元判明を妨げようと2人の遺体を徹底的に解体して海中に投棄しており非人間的で残虐だ。被告は不合理な弁解に終始しており、真摯な反省はうかがえない。計画性がないことを考慮しても、被告の刑事責任は極めて重大で、死刑判断は認めざるを得ない」と述べた。
備 考
 本事件では、会社員女性の両親が姫路警察署に捜査願を提出したが、警察は全く動こうとしなかった。両親は知人から紹介された現職警官の巡査部長に相談。巡査部長は独自に高柳被告を発見し、姫路警察署にその後を託した。しかし2005年1月30日に高柳被告の自宅を任意捜査した姫路警察署員は、家の中に入るもすぐに帰ろうとした。女性の母親が部屋に入り、拘束器具や薬物、さらに血痕を発見。中にいた女性の意識が朦朧としていたことも含め、署員に訴えたが、署員はそのままその場を立ち去った。そのため母親は巡査部長を現場に呼んだ。巡査部長は高柳被告の口の中から覚せい剤の臭いをかぎ取り、追求し認めたため、所轄の相生警察署に相談して、ようやく高柳被告は逮捕された。しかしその後も、姫路警察署は両親にまともな対応をしなかった。さらに兵庫県警の捜査一課長は、実際とは異なるのに被害者二人を風俗嬢と決めつけ、一部マスコミに情報を流していた。後に署は職務怠慢を遺族に土下座謝罪した。
 高柳和也被告は交通事故で、主婦とその娘を死亡させて実刑判決に処された前科がある。
 専門学校生の父は高柳和也被告に慰謝料や逸失利益など約5000万円の損害賠償を求めた。2006年7月10日、神戸地裁姫路支部(田中澄夫裁判長)は、高柳被告に約3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 殺害された女性の遺族は、発見されていない頭部の遺棄場所を問う書簡を高柳被告に2013年11月28日付で送った。高柳被告からは12月上旬に返書があったが、大まかな返答しかなかった。
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氏 名
沖倉和雄
事件当時年齢
 60歳
犯行日時
 2008年4月9日〜13日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、住居侵入、窃盗他
事件名
 あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件
事件概要
 東京都あきる野市元職員の沖倉和雄被告(当時60)は、マージャン仲間である東京都福生市の土木業伊丸岡頼明被告(当時64)と共謀。2008年4月9日午後8時頃、あきる野市の無職男性(当時51)宅にカギのかかっていない勝手口から侵入。在宅していた男性と、約2時間後に帰宅した姉の図書館職員女性(当時54)をナイフで脅して両手足を粘着テープで縛り、現金35万円などを強奪。翌10日午前1時頃、2人の頭に袋をかぶせて窒息死させた。2被告は13日に2人の遺体を長野県飯綱町の農地に埋めた。さらに、奪ったキャッシュカードで預金口座から計約526万円を引き出した。
 また沖倉被告は4月10日、300万円を借りていた知人男性とその知り合い女性を立川市内の銀行に伴い、女性に殺害した女性を自分の姉と偽って姉名義の通帳3冊と印鑑を渡し、生年月日を伝えて全額を引き出すように依頼。しかし窓口で女性が生年月日を忘れて別人と見破られ、委任状がないとおろせないと断られて失敗した。二人は委任状をもらいに行こうと沖倉被告を促したが、沖倉被告ははぐらかした。二人は利用されただけで、事件には関係ない。
 沖倉被告は2004年12月に市役所を退職後、スナック経営に失敗。賭けマージャンにより、2008年2月時点で約4700万円の借金を抱えていた。市役所の元同僚から資産家である姉弟の情報を入手。殺害して現金やキャッシュカードを奪う計画を立て4月1日、伊丸岡被告に持ちかけた。伊丸岡被告も会社や飲食店経営の失敗で約1700万円の借金があったため、会社を再興するためにまとまった金が欲しくて応じた。
 沖倉被告は伊丸岡被告を誘う前にマージャン仲間3人に声を掛けたが断られていた。
 姉の車が、最寄りの駅近くの駐車場に放置され、10日朝に弟を名乗る男が調布市役所に「姉は体調を崩して休む」と連絡していたため、警視庁捜査1課は姉弟が事件に巻き込まれたとみて捜査。自宅から血痕をふき取った跡や土足のような跡が見つかったほか、9日夜〜14日午後、マスクなどで顔を隠した男が複数のATMから計15回、姉弟の口座の現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像の分析から沖倉被告と伊丸岡被告が浮上し、4月21日に窃盗容疑で逮捕。伊丸岡被告の供述から2人の遺体が発見され、5月8日に死体遺棄容疑で再逮捕。5月29日に強盗殺人容疑で再逮捕した。
一 審
 2009年5月12日 東京地裁立川支部 山嵜和信裁判長 死刑判決
控訴審
 2010年11月10日 東京高裁 金谷暁裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2013年12月17日 最高裁第三小法廷 木内道祥裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続により、「犯行のいきさつ」と「犯行の主従関係」が争点になった。
 2009年3月9日の初公判で、沖倉和雄被告、伊丸岡頼明被告はともに罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、沖倉被告が市役所の元同僚から男性は資産家との情報を得て、元同僚らに犯行を持ち掛けたが断られたと明らかにした上で「金に困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と指摘した。
 弁護側も冒頭陳述を行い、沖倉被告側は、沖倉被告が計画後1ヶ月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。伊丸岡被告側は、強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、「見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。
 3月16日の論告求刑で検察側は「計画段階から沖倉被告が主導した。2人は遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には、明白な主従関係があり、求刑において考慮せざるをえない」と指摘した。沖倉被告について凶器や道具の多くを準備したことや、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点などを重視。「借金苦を免れたいとの動機に酌量の余地はなく、死刑以外の選択の余地がない」と指摘した。一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」などと述べ、死刑選択を回避した。
 同日の最終弁論で沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は中身の薄い稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主犯になった。沖倉被告が、殺人を実行する決意がないうちに、伊丸岡被告が弟を殺害し、これに影響されて犯行に至った。検察官、伊丸岡被告がタッグを組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が一貫して主犯格で、被告は従属的立場だった。沖倉被告の供述は信用できない。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」などと主張した。
 結審前、山嵜和信裁判長が「最後に何か言いたいことは」と尋ねると、沖倉被告本人は「私は人を殺しました。迷惑をかけました」と声を振り絞った。また伊丸岡被告は、「私が自供したのは有利・不利を考えたのではない」と改めて述べた。
 判決で、山嵜和信裁判長は「両被告とも借金の返済に窮した犯行動機で、あまりに身勝手で酌量の余地はまったくない。(両被告に)死刑を選択することも考慮する必要がある」とした上で、それぞれが果たした役割や逮捕後の態度を検討。沖倉被告が殺害方法や死体遺棄の場所などを事前に決めていたことに触れ、「終始指導的な立場で、中心的な役割を果たした」と主導性を認定した。伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる一方「本来の責任は重く、一定の年齢にあることを考えると、仮釈放を許すことは適当ではなく、生涯、刑務所で罪の償いをさせるべきだ」と、異例の付言をした。
 そして「被害者の恐怖や苦しみを想像すると戦慄を覚える。すべてを計画した上で凶器を用意し、何ら落ち度のない2人の命を奪った。あまりに身勝手で酌量の余地はない。遺族の処罰感情は峻烈。社会に与えた衝撃や不安も大きい。自己の責任を軽くしようとあいまいな供述をしており、真剣に反省しているか疑問だ。死刑の選択を避けるべき特別な事情はない」と厳しく批判した。

 被告側は即日控訴した。
 2010年8月9日の控訴審初公判で、弁護側は一審に引き続き伊丸岡頼明受刑囚が主導したと主張。「一審判決は重大な事実誤認や量刑不当がある」として死刑適用の回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。
 9月6日の第2回公判で、沖倉被告が「被害者の人生をめちゃくちゃにし、手を合わせる毎日です」と謝罪し、結審した。
 判決で金谷暁裁判長は「賭けマージャンによる多額の負債を返済しようとする利欲的な動機に基づく計画的犯行だ。冷酷、残虐で、何の落ち度もない2人の命を奪った結果は重大」と指摘。伊丸岡頼明受刑囚と比べ、沖倉被告は計画段階では主導的立場にあり、犯行時もほぼ同等の役割を果たしたとして、「共犯者に比べて負うべき刑事責任は極めて重く、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。

 2013年11月26日の上告審弁論で沖倉被告の弁護側は、「ほぼ同等の役割を果たした伊丸岡頼明受刑囚と沖倉被告に、死刑と無期懲役を分けるほどの差は認められない」として死刑判決の破棄を主張。これに対し検察側は、「計画の立案など犯行を主導したのは沖倉被告で、2人の刑事責任には格段の差がある」と反論し、上告棄却を求めた。
 木内裁判長は判決で、「借金返済という動機に酌量の余地はなく、計画性は高い。殺害方法は極めて残忍だ。被告が2人を殺害して金を奪う計画を立案し、共犯者を誘い入れた首謀者。犯行によって共犯者の3倍以上の現金を得ており責任は格段に重い。何の落ち度もない被害者の生命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」と指摘した。
備 考
 結審までは移転前の東京地裁八王子支部で審理されている。伊丸岡頼明被告は同日、求刑通り無期懲役判決が言い渡された。控訴せず確定。
その後
 沖倉和雄死刑囚は2014年7月2日未明、脳腫瘍のため、収容先の東京拘置所で死亡。66歳没。沖倉死刑囚は勾留中の2013年6月に肺がんが見つかり、その後転移。2014年6月から拘置所の集中治療室に移っていた。
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