死刑確定囚(2012年)



※2012年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
若林一行
事件当時年齢
 29歳
犯行日時
 2006年7月19日
罪 状
 死体遺棄、住居侵入、強盗殺人、強盗強姦未遂、窃盗、邸宅侵入、住居侵入未遂
事件名
 岩手県洋野町母娘強盗殺人事件
事件概要
 青森県八戸市の塗装業若林一行被告は2006年7月19日午後3時ごろ、盗みや乱暴目的で岩手県洋野町の会社員女性(当時52)宅に擂り粉木を持って侵入。午後5時10分ごろ、帰宅してきた女性を玄関で襲い乱暴しようとしたが、女性が激しく抵抗したため覆面が取れ、逆上。頭部を何度も殴り付け、最後には馬乗りになって首を絞めつけて殺害した。そして午後6時ごろに帰ってきた女性の二女(当時24)を和室前の廊下で頭を殴り、両手で首を絞めて殺害した。さらに室内や2人の車の中から現金22000円と、テレビゲーム機や音楽CDなど77点(約45000円相当)を奪った。さらに2人の遺体を南西約5キロの山林の雑草の中に遺棄した。
 連絡が取れないのを不審に思った親類の男性が22日午後、県警久慈署署交番に届け出た。近くの住民から20日、女性方の近くで19日に不審な軽トラックを目撃したという情報が寄せられていた。捜査本部はナンバーから若林被告を割り出し24日、八戸市内にいるところを任意同行を求めた。当初は否認していたが、同日夜になって殺害をほのめかす供述を始めた。その後、観光宿泊施設近くの遺棄現場に同行させ、女性の遺体を発見した。
 若林被告は殺害前日にも女性の部屋へ侵入していた。物色しながら女性の二人暮らしであることを把握し狙いをつけた。
 若林被告は2005年9月に勤めていた塗装会社を辞めて独立。自営で塗装業を始めたが、ほとんど仕事がなく実質的には無職の状態だった。その一方でパチスロや釣りにのめりこみ、400万円の借金を抱え、2006年春ごろから空き巣を繰り返すようになっていた。
 女性宅は事件後無人となっていたが、11月5日午前5時半頃出火し、木造2階建て約100平方メートルを全焼した。久慈署は不審火として出火原因を調べている。
一 審
 2007年4月24日 盛岡地裁 杉山慎治裁判長 死刑判決
控訴審
 2009年2月3日 仙台高裁 志田洋裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年1月16日 最高裁第一小法廷 宮川光治裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 仙台拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きが適用され、弁護側は起訴事実を争わず、当時借金で生活に困っていた事情などを訴えた。
 2007年3月5日の初公判で、若林被告は起訴事実を全面的に認めた。
 3月22日の論告求刑で検察側は「仕事はしたくないが金は欲しいという動機は身勝手極まりない。落ち度のない命を一方的に奪っており、極刑に処するほかない」「自己中心的で卑劣な犯行。遺族の処罰感情も強い」として死刑を求刑した。同日の弁論で弁護側は起訴事実を認めた上で「殺すつもりはなかった」と主張した。また、若林被告が犯行前日に女性方に侵入し、女性の2人暮らしを確認した上で待ち伏せして犯行に及んだとして、計画性を指摘。相次いで帰宅した2人を殺害し、犯行の発覚を逃れようと遺体を遺棄した悪質さを強調した。
 同日の弁論で弁護側は強盗の動機となった借金のきっかけに同情の余地があることや、殺害動機は目出し帽の中の顔を見られたためで「強盗の意思はあったが、殺害は計画的でない」「被告は罪を認め、死刑を覚悟するほど反省している」と述べたほか、死刑制度自体に問題があるとして無期懲役を求めた。
 判決で杉山裁判長は「女性の2人暮らしであることを犯行前日に知り、金などを奪おうと帰宅を待ち伏せした。犯意は強固で執拗だ」と計画性を指摘。「パチスロなどで借金をつくり、生活費などに窮して犯行に及んだ動機に酌量の余地はない」「被害者の抵抗をまったく意に介さず、棒で強打するなどの行為を重ねており、犯行完遂に向けた意思は異様なほど強固」と述べた。杉山裁判長は「2人の恐怖、無念などは筆舌に尽くしがたく、遺体を遺棄されるなど死後も苦痛を被った。遺族の悲痛や落胆は極めて深い」と被害者感情に言及。「殺害は顔を見られたことによる突発的なものだった」とする弁護側主張を「事前に計画したものではないが、抵抗抑圧や犯行発覚防止のためだった」と退けた。
 勤務先の脱税が原因となって独立して塗装業を営むに至った経緯については「若干同情すべき点がなくはない」としたが、現実逃避のためにパチスロや釣りに興じるなどして借金が膨らんでいったことや、発覚防止のために2人を殺害したことは「酌量すべき点は全くない」と断罪した。
 そして最後に杉山裁判長は「死刑の適用には慎重を期さなければならないことを考慮しても、極刑をもって臨むほかはない」とし、死刑以外の選択肢はありえないことを強調した。
 弁護側は公判で、死刑制度自体の問題性を主張していたが、杉山裁判長は「現行の死刑制度が憲法に違反しないことはすでに確立した判例」との見解を示した。

 一審の弁護人が量刑不当と事実誤認を訴え控訴した。
 2008年3月17日の控訴審初公判で、弁護側が控訴趣意書を朗読。若林被告は以前から産業廃棄物の不法投棄をしているグループと付き合いがあり、強盗殺人と強盗強姦未遂について「被告は事件発生時、産廃を山中に捨てており殺害現場にいなかった。実行犯はこのグループの可能性がある」と述べた。
 一審で犯行を全面的に認めた理由を「グループにだまされたが、話せば妻子(現在は離婚)に危害が及ぶと考えた。家族を守る唯一の方法だった」と説明した。自白については、「自己の体験していないことを想像で組み立てて話した」と主張した。被害者宅への住居侵入は「キヨカワと名乗るメンバーにここはおれの家≠ニ言われて入ったので罪に当たらない」と否定。死体遺棄も「キヨカワが遺棄したとみられる」とした。
 さらに、事件から約4ヶ月後に被害者宅で発生した火災も取り上げ、「このグループが証拠隠滅のため放火した可能性がある」と主張した。
 検察側は、「弁護人の主張には理由がない」と控訴棄却を求めた。
 被告側の照井克洋弁護士(一審弁護士とは別)は閉廷後、一審の態度を翻した理由を「接見の中で被告に事実を話すべきだ≠ニ諭した。ただし、キヨカワらのグループについては特定していない」「被告は前からこれらの事実を話していたが警察に聴いてもらえなかった上、暴行まで受けたようだ」とした。また、被害者方から盗まれた物を被告が持っていたことについては「『キヨカワ』から渡されたらしい」と述べた。
 5月13日の第2回公判で若林被告は被告人質問で、事件当時かかわっていた産業廃棄物処理業の組織から、2人を殺害したとされる2006年7月19日、「産廃の仕事がある」と言われて洋野町に行き、ほかに男3人が集まった。同日夜、うち1人の男から「投げたい物がある」と投棄に都合の良い場所を尋ねられ、若林被告は後に2人の遺体が見つかった同町の山林を案内した。組織は青森県の暴力団と関係があり、投棄場所を尋ねた男も組織関係者だという。被害者の血が付いた軍手や目出し帽などが見つかった被告の軽トラックは当日、男に一時預けており、逮捕時に遺留品発見を聞かされ、「はめられたと思った」と述べ、あらためて無罪を主張した。これらの話を一審で明かさなかった理由については「組織が家族に報復するのが怖かった」と説明。さらに捜査段階で「やっていない」と否認した際、岩手県警の取調官から顔を殴られるなどの暴行を受けたと述べた。一審までの取り調べについては「推理小説のストーリーに沿って供述した」とし、凶器や証拠など本と食い違う部分は「遺体の引き当たりの際、負傷の状況をよく覚えておき、世間の情報などを基に話を作った」と説明した。
 11月5日の最終弁論で弁護側は起訴事実のうち、強盗殺人などについては「犯行の事実はない」と主張。犯行は、産業廃棄物の不法投棄グループの「清川」という人物らによるものだとし、「事実を話すと関与していた真犯人のいる組織から報復を受け、妻子に危害が及ぶ。葛藤の末、虚偽の自白で罪をかぶった」と一審までの供述の不自然性を訴えた。また、「取り調べで捜査官に受けた暴行など、(二審の)供述は迫真に富み信用できる」とした。さらに、事実誤認が認められない場合でも、「被告に前科や犯行の計画はなく、死刑は重きに失して不当」と死刑回避を求めた。
 これに対し検察側は、犯罪組織が母子を殺害し山中に遺棄するというのは、労力やリスク、経済的な面からして何ら合理性がないことと、若林被告が主張する不法投棄グループの活動実態などに具体性がない点を指摘。そして「妻子への報復を危惧したとしても、黙秘や否認をすれば足りる。極刑が見込まれる事件で一審まで虚偽の自白を維持し、罪をかぶる理由はない」と不自然さを主張。「被告の弁解は裏付ける客観的証拠が皆無で真犯人の人物像など具体性を欠く」と二審での供述の信用性の乏しさを指摘した。そして「自白は動機や経緯、犯行状況など犯人でなければ語り得ない内容で信頼できる。荒唐無稽な弁解に終始し、遺族の心情を逆なでするような態度に出ており、死刑を回避する余地は皆無」として控訴棄却を求めた。
 判決で志田洋裁判長は被告側の無罪主張を「弁解は極めて不自然で不合理。(一審段階までの)供述は犯人しか知り得ないはずの被害者方の血痕の付着状況や被害者の死体が発見されるという秘密の暴露などを含んでおり、信用性がある」と退けた。その上で「仕事がないのにパチスロにふけって金銭に困り、性的な欲求不満を解消しようとした犯行で、身勝手極まりない動機に酌むべき点はない」と指摘。「被害者宅で待ち伏せし、順次帰宅した二人を殺害しており、遺族らが極刑を求めるのも当然」と述べ「刑事責任は重大極まりなく、一審の死刑が重すぎて不当とはいえない」と結論づけた。

 12月8日の最高裁弁論で、弁護側は「被告が加わっていた産業廃棄物の不法投棄グループに犯人に仕立て上げられた」と改めて無罪を主張。検察側は「荒唐無稽な弁解で遺族の被害感情を逆なでしている。死刑の判断は妥当」と上告棄却を求めた。
 判決で宮川裁判長は、「あらかじめ(被害者らを縛るためのロープなど)道具を用意するなど、計画性の高い犯行。生命の尊厳や死者に対する畏怖の念が感じられず、冷酷で残虐。被害者はいずれも幸福な日々を過ごしていたのに、被告によって理不尽に生命を絶たれた」と指摘。「遺族らの処罰感情が峻烈であるのも当然」と述べ、「記録を調査しても(破棄しなければ著しく正義に反すると認められる時には職権で原判決を破棄できるとした)刑事訴訟法411条を適用すべきものとは認められない」とした。
備 考
 盛岡地裁での死刑判決は、1965年12月、盛岡市で男が母子3人を殺害した事件以来。求刑では1999年11月に、小2女児をいたずらして殺害した被告に言い渡されている(判決無期懲役)。
その後
 若林一行死刑囚は、弁護士と面会する際、仙台拘置支所職員が立ち会うのは、刑事訴訟法が定める接見交通権を侵害する行為だとして、国に慰謝料100万円の支払いを求める訴訟を2013年6月24日付で仙台地裁に起こした。
 若林一行死刑囚は、仙台拘置支所で差し入れの機関誌を無断で墨塗りにされ精神的苦痛を受けたなどとして、国に100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は2014年12月18日付で、国に6万円を支払うよう命じた。山田真紀裁判長は「新聞や雑誌の墨塗りには同意していたが、機関誌はその対象に入っていない」と指摘し、黒塗りは違法と判断した。また名古屋拘置所の職員が2008年12月、同死刑囚と収容者との手紙のやりとりの日付を、別の収容者に漏らしたことも、違法と認定した。2015年7月9日、仙台高裁(古久保正人裁判長)は若林死刑囚側の控訴を棄却した。
執 行
 2015年12月18日 39歳没
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氏 名
大月孝行
事件当時年齢
 18歳
犯行日時
 1999年4月14日
罪 状
 殺人、強姦致死、窃盗
事件名
 光市母子殺害事件
事件概要
 1999年4月14日午後2時半頃、山口県光市のアパートに住む会社員男性(当時23)方に、当時18歳1ヶ月の福田孝行被告(旧姓)が排水管の検査を装って、強姦目的で侵入。男性の妻(当時23)を強姦しようとしたが抵抗されたため、首を両手で絞めて殺害後、姦淫した。さらに、そばで泣いていた長女(当時11ヶ月)を床にたたき付けた後、持ってきたひもで首を絞めて殺害した。その後、事件発覚を恐れ2人の遺体を押し入れに隠し、妻の財布を奪って逃走した。
 福田孝行被告はその後、友人の家やゲームセンターなどに寄っていたが、4月18日に逮捕された。山口家裁は6月4日、少年審判で検察官送致(逆送)を決定。6月11日、福田孝行被告は殺人等で起訴された。
一 審
 2000年3月22日 山口地裁 渡辺了造裁判長 無期懲役判決
控訴審
 2002年3月14日 広島高裁 重吉孝一郎裁判長 検察側控訴棄却 無期懲役判決支持
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上告審
 2006年5月20日 最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長(退官のため上田豊三裁判官が代読) 二審判決破棄 高裁差し戻し
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差戻二審
 2008年4月22日 広島高裁 楢崎康英裁判長 一審判決破棄 死刑判決
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上告審
 2012年2月20日 最高裁第一小法廷 金築誠志裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 広島拘置所
裁判焦点
 1999年8月11日の山口地裁初公判で、福田孝行被告は起訴事実を認めた。
 12月22日の論告求刑で、検察側は乱暴目的の計画的な犯行だったと主張。生い立ちなどについても「母親の自殺と犯行は関係なく、殺人が許されないのは小学生でも分かる。自己の欲望と感情のおもむくまま、幸福な家庭を築いていた主婦と乳児を殺害した冷酷かつ残虐極まりない非人間的犯行。真摯な反省の態度もうかがえない。遺族は極刑を望んでおり、少年犯罪の凶悪化を考慮して刑罰で知らせる必要がある。事件の重大性を考えると極刑をもって臨むほかはない」と述べ、少年に死刑を求刑した。
 最終弁論で弁護側は、主婦宅に入れたために乱暴の意思が芽生え、計画性はなかったとし、「母親の自殺と父親の再婚で心の支えを失った。少年の内面の未熟は顕著で、18歳未満を死刑にしないという少年法の精神が適用されるべきだ」と主張した。
 判決で渡辺裁判長は「犯行は身勝手、自己中心的で酌量の余地はないが、犯行当時18歳になったばかりの少年であり、矯正教育により更生の可能性がないとはいいがたい。被告はそれなりに反省の情を芽生えさせている」と理由を述べた。

 検察側は量刑不当を理由に控訴した。
 2000年9月7日の控訴審初公判で、検察側は一審判決について(1)死刑適用の判断で重視すべきでない被告の更生可能性を強調して死刑選択を回避(2)遺族の被害感情を考慮していない(3)少年であればいかなる犯罪を犯しても極刑にはならないとの誤った風潮を助長しかねない――と批判し、死刑を求めた。一方、弁護側は死刑違憲論を今後展開する考えを示すとともに「更生の可能性がある」とした一審判決を妥当として控訴棄却を求めた。
 10月5日の第2回公判で、被害者の夫である男性の証人尋問が行われた。男性は「少年を自分の手で殺しても構わない」と死刑判決を求めた。
 2001年4月26日の公判で、事件後に少年が友人に出し、検察側が「不謹慎な内容で反省がみられない」とした計23通の手紙が証拠として採用され、一部が公開された。手紙は、一審の公判中だった1999年11月から、一審判決後の2000年6月にかけ、拘置所内で再会した友人にあてたもので、量刑不当を理由に控訴した検察側が証拠として提出。一部を法廷で読み上げた。 検察側は「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」などの手紙を紹介した上で、文面にわいせつな言葉があふれている点にも触れて「反省がみられない」と指摘。「裁判官、サツ(警察)、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず」「検察のバカ」など、司法手続きをちゃかす内容が多いことも強調した。さらに事件後、被害者の権利擁護や少年法改正に取り組んでいる被害者の夫の男性を「調子づいている」とからかうなど、遺族を中傷する内容も多いと述べた。少年は「不謹慎なところもあると思うが、手紙をやり取りするうちに相手を笑わそうとしたもので、公開されるとは思わないで書いた」と釈明。弁護側は「本人の同意なしに証拠とするのは憲法が保障した信書の秘密を侵害する」と主張したが、退けられた。
 2001年12月26日には、被害者の夫である男性が初めて意見陳述。改めて、改めて死刑判決を求めた。
 2002年1月15日の最終弁論で、検察側は「被告からは反省の情が全くうかがえず、遺族が今なお厳しい感情を抱いており、極刑以外に選択の余地はない」として死刑を主張。弁護側は「少年の更生可能性を認めた一審の無期懲役判決は妥当」と述べ、死刑回避を求めた。
 判決で、重吉裁判長は「極刑の当否を慎重に検討すべき事案」と認定。その上で、殺害の計画性を否定し、最大の争点だった更生可能性についても(1)18歳になって間もなく、内面が未熟(2)前科がなく、顕著な犯罪的傾向がない(3)家庭環境が不遇(4)矯正は可能とする鑑別結果―などを考慮した一審判決を「主観的事情を過大に評価したものとはいえない」と支持。「極刑がやむを得ないとまではいえない」との判断を踏襲した。
 検察側は控訴審で、元会社員が一審公判中から知人にあてたわいせつな表現や遺族らを中傷する内容の手紙を証拠として提出。重吉裁判長はこの点について「犯行の重大性や遺族らの心情を真に理解しているのか疑問」としながらも、公判での供述などから「不十分だが、悔悟の気持ちを抱いている」と指摘した。

 検察側は判決を不服として上告した。同高検の五島幸雄次席検事は「本件は人倫にもとる残忍な犯行であって、2名が殺害されたという結果の重大性などを勘案した」とするコメントを出した。
 2005年12月8日、最高裁第三小法廷は、弁論の期日を2006年3月14日に指定。しかし定者吉人弁護士ら2人が3月6日付で辞任し、3月6日付で新たに弁護人に就任した安田好弘弁護士と足立修一弁護士は、「準備期間が必要な上、14日は日弁連で研修用模擬裁判のリハーサルがあり出頭できない」と延期を申し立てたが、最高裁が却下した。以降連絡が取れない状態が続き、13日午後になって、出頭できないとのファクスが提出された。
 3月14日の法廷では、裁判長以下4人の裁判官、検察官、遺族を含む傍聴人が出廷したが、弁護人だけが姿を見せなかった。異例のドタキャンに検察側は「7人の遺族の方々が傍聴している。裁判を遅らせる目的なのは明らか」と主張。検察側だけの弁論で結審するよう求めたが、最高裁は認めなかった。浜田邦夫裁判長は「何ら正当な理由がない不出頭は極めて遺憾」と異例の見解を表明。4月18日にあらためて弁論期日を指定した。刑事訴訟法は、3年を超える懲役、禁固刑にあたる事件の公判を弁護人なしで開くことができない、と規定されている。
 最高裁第三小法廷は、意図的な審理遅延行為を防ぐために改正刑事訴訟法に新設された「出頭在廷命令」を、15日付で2人に出した。出頭在廷命令は、裁判員制度での審理遅延を防ぐ目的から、2005年11月施行の改正刑事訴訟法で新設された規定で、適用されたのは全裁判所で初めて。弁護人が命令に従わない場合、裁判所は、10万円以下の過料と開廷費用の賠償を命じることができ、その場合、弁護士会に懲戒などの処分も請求しなければならない。
 2006年4月18日の口頭弁論で、検察側は、「犯行は冷酷残虐。反省も全くうかがえず、被告の年齢などを考慮しても死刑の適用を回避すべき事情はない」と述べた。弁護側は弁論で、「被告の行為は傷害致死罪および死体損壊罪にとどまるもので殺意はなく、検察官の上告は前提事実に誤りがある」などと主張。その上で、(1)検察側の上告棄却(2)事実誤認がある二審判決の破棄、差し戻し(3)弁論の続行−の三点を求めたが、浜田裁判長はこれを認めず、結審した。しかし、1ヶ月以内に書面を提出すれば内容を検討するとした。5月18日、弁護側は上野正彦・元東京都監察医務院長による鑑定書や、被告が遺族にあてた謝罪の手紙を添えた弁論要旨補充書を最高裁第三小法廷に提出した。
 5月20日、最高裁第三小法廷は死刑を求めた検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。判決は、「計画性のなさや少年だったことを理由に死刑を回避した二審判決の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」と述べた。
 浜田裁判長は、「何ら落ち度のない2人の命を踏みにじった犯行は冷酷、残虐で、発覚を遅らせようとするなど犯行後の情状も良くない。罪責は誠に重大で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と指摘。その上で、死刑回避のために考慮すべき事情があるかどうかを検討した。
 判決は、犯行の計画性について「事前に殺害までは予定していなかった」と認めたが、「主婦に乱暴する手段として殺害を決意したもので、殺害は偶発的とはいえず、計画性がないことを特に有利な事情と評価できない」と述べた。
 また、二審判決が犯行時に18歳1ヶ月の少年で更生の可能性があることを死刑回避の理由とした点について、「被告の言動、態度を見る限り、罪の深刻さと向き合っているとは認められず、犯罪的傾向も軽視できない」と指摘。「少年だったことは死刑選択の判断に当たり相応の考慮を払うべきだが、犯行態様や遺族の被害感情などと対比する上で、考慮すべき一事情にとどまる」とした。
 また、遺体の状況から「殺意がなかった」とする弁護側主張についても「一、二審の認定は揺るぎなく認められる」と退けた。

 差戻審で、被告側には21人の弁護士が就いた(後に1人解任されている)。
 2007年5月24日の差し戻し審初公判で、弁護側は殺意や強姦目的はなく、傷害致死罪に当たると主張した。弁護側は独自に行った法医鑑定から殺意を否定。「女性については、騒がれたため口をふさいだら誤って首を押さえ続け窒息死させた。長女については、泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々結びにしたら、死んでしまった」などと傷害致死罪を主張。強姦目的についても「被害者に中学1年の時に自殺した母親を重ね、甘える思いで抱きついたら、予想外の抵抗を受けパニック状態に陥った」などと新たな主張を展開した。さらに、弁護側は独自実施の精神鑑定と心理鑑定から、犯行時の精神年齢を12歳程度だったとし、当時の心理状況を「幼少期からの父の虐待と中1時に母親を自殺で亡くしたストレスなどで、幼児化した状態」と説明、女性の殺害については「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」と論じた。検察側が「美人の主婦を物色した」と主張する、福田孝行被告が会社の作業服を着てアパートを戸別に回った行為を、「会社を欠勤した罪悪感をまぎらわすための仕事のまねごと、つまりママゴト」と弁護側は表現した。
 検察側は「社会に及ぼした影響は深甚で、一般予防の見地から格段の厳罰に処する必要がある。被告は現在に至っても真摯な反省もうかがえず、矯正可能性があるとの判断は根拠に欠ける」などと訴えた。
 6月26日〜28日の集中審理で弁護側の被告人質問があり、福田孝行被告は「赤ちゃんを抱くお母さんに甘えたいという衝動に駆られた。背後から抱きついたが、性的なものは期待していなかった」などと述べ、殺意や強姦目的を否認した。また長女殺害については「事件当初は赤ちゃんの首にひもを巻いたこと、蝶々結びにしたことすら分からない状態だった。取り調べの際、ひもを提示されて、蝶々結びにしたことなどを知らされた」などと述べた。また、「長女を押し入れの天袋に入れた」と話し、理由について「押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットで、ドラえもんが何とかしてくれると思った」と説明。更に、死亡した女性を姦淫したことについて「生き返ってほしいという思いだった。(以前に読んだ本を通じて)精子を女性の中に入れて復活の儀式ができるという考えがあった」と述べた。
 弁護側の依頼で福田孝行被告の犯罪心理鑑定をした日本福祉大の加藤幸雄教授の証人尋問では、「自我が低下した中で、女性に優しく接してもらい、亡き母のように甘えさせてくれるはずだという強い思いこみが(福田孝行被告に)生じた」と分析。一方、動かなくなった女性の体を触ったことについては「母に対する依存感情が性的願望として大きくなっていくことはあり得るので、性的感情が全くなかったという元少年の主張は必ずしも適切ではない」と述べた。この他、一審前の少年鑑別所の記録で「退行した精神状況だった」などと、今回の鑑定と類似した結果が出ていたことも指摘した。
 7月24日〜26日の集中審理における弁護側の被告人質問で、福田孝行被告は現場のアパートに向かった理由について「多くの人と話をしてぬくもりが欲しかった」などと述べ、改めて強姦目的を否認。「部屋に入るつもりはなかった」とも供述した。排水検査を装ってアパートを戸別訪問した理由について、元少年は「直前の昼休みの時間に(自宅で)父と再婚した義母に抱きついて甘えていたが、『仕事に遅れる』と言われて寂しかった。人と会話して寂しさを紛らわしたかった」と供述。作業服を着て排水検査員になりすました点については「作業服を身にまとうことで、会話ができやすくなるかもしれないという期待があった。ロールプレーイングゲームのように会話を交わし、次のステージに行くという感覚」と話した。その後、女性に「作業をやって下さい」とトイレに案内されたが、室内に入ったことについても「実際の作業はできないので、想定外の出来事」と説明。強姦目的ではなかったかと聞かれ、「違います」と答えた。
 弁護側が請求した日本医科大大学院の大野曜吉教授が証人尋問で、女性の殺害方法について「(検察側が主張するような)首の損傷は見られない」と証言し、絞殺を否定した。長女を床にたたきつけたとする検察側の主張について、鑑定人は、遺体の損傷から否定。ひもで首を絞めたとされる点も「痕跡がない」と指摘した。また同じく弁護側が請求した上野正彦・元東京都監察医務院長は証人尋問で「口をふさごうと右手で押さえていたら、ずれて首を押さえたと考えられる」と弁護側の主張を肯定。検察側が主張する「両手の親指で圧迫した」痕跡はないと説明した。
 弁護側の依頼で福田孝行被告の精神鑑定をした野田正彰・関西学院大教授の証人尋問では、「人格発達は極めて遅れており、他の18歳と同様の責任を問うのは難しい」と述べた。野田教授は、福田孝行被告の父親が妻と元少年に繰り返し暴力を振るっていたことが、元少年の内面に大きな影響を与えたと指摘。その上で「事件当時までの人格発達は極めて遅れており、更に母親の自殺で停滞した」と述べた。
 9月18日〜20日の集中審理で、福田被告は、一、二審で認めた起訴事実を差し戻し審で否認した理由について、「当初否認していたが、検察官に『否認していると死刑の公算が高まる』と言われ、調書に署名した」と供述した。被告人質問で、福田被告は強姦の意図を「逮捕当初から否認していたが、検察官から『否認していると死刑の公算が高まる。生きて償いなさい』と言われ、涙を流して調書に署名した。なのに一審で死刑を求刑され裏切られたと思った」と話した。当初担当した弁護士に、全調書に署名したと伝えると「検察側の主張をのんで無期懲役を維持した方がよい」と助言を受けたとも述べた。
 差し戻し前の控訴審で取り上げられた友人への手紙で、「7年でひょっこり芽を出す」と書いたことに関しては「差し入れの本に、無期懲役の場合は少年なら7年で仮釈放されると書かれてあった」と説明。犯行を犬の交尾に例えたとされる内容についても「当時、自分が鬼畜のように言われていたから、自分を犬に例えた」とした。
 検察側の依頼で遺体の法医鑑定をした川崎医療福祉大学の石津日出雄教授の証人尋問で、石津教授は、福田被告が右手の逆手で首を絞めたとする弁護側主張について、「逆手だと力が入らず、簡単に払いのけられ、現実的にはあり得ない」と否定した。石津教授は、長女については、弁護側が頭にあった皮下出血は打撲程度で、たたきつけるなどはしていないと主張している点について、「乳児の頭の骨は、衝撃を吸収して骨折は起こりにくい」と話した。
 意見陳述で、初めて法廷に立った女性の母は「娘はやっと自分の幸せを見つけることができた。孫を抱く笑顔が忘れられない。それを一瞬で壊された」と声を詰まらせ、死刑を求めた。続いて遺族の夫である男性は「心の底から真実を話していると思えない。君の犯した罪は万死に値する。自らの命をもって罪を償わなければならない」と改めて死刑判決を求めた。男性は「(一、二審で)起訴事実を認め、反省していると情状酌量を求めていたが、すべてうそだと思っていいのか。ここでの発言が真実だとすれば君に絶望する。この罪に対し、生涯反省できないと思うからだ」と述べた。
 意見陳述を受けての被告人質問で、福田被告は「事件と向き合うことができず、(真実を)言えなかった。(今法廷で)述べたことは真実です」と述べた。そのうえで、「亡くなった2人のことを考えると、生きたいとは言えません。よければ生かしていただきたい」と述べた。生きて何をしたいのかと問われ、「拘置所で男性に会いたい。謝りたい。会えるような自分を目指したい。法廷では、男性の中に作っているモンスターを見てるから、僕自身を見てほしい」と訴えた。 一方で法廷内の仕草についてまで厳しく問いつめた検察官に「なめないでいただきたい」と言い返し、反感をあらわにした。
 10月18日の検察最終弁論で、検察側は「被告の弁解は言い逃れで、死刑を回避する理由はない」などとして改めて死刑を求めた。
 検察側は差し戻し審での福田被告の新たな供述について、「弁護側の法医・精神鑑定に合わせ、供述を変遷させたのは明らか」などと不合理さを指摘。女性の殺害方法に関し福田被告が「抵抗されたので右手の逆手で押さえようとしたら、首を絞めてしまっていた」などと殺意を否定した点については、「5分以上素手で圧迫し続け、殺意は明らか」とした上で、検察側の法医鑑定を基に「右手の逆手では力が入らず、現実的にあり得ない。遺体の所見とも一致しない」と反論した。
 強姦の計画性については、「女性に抱きついたのは、実母の姿と重なって見えて甘えたかった。姦淫は生き返らせるため」とする弁護側の主張に対し、「唐突に言い出したもので、明らかに荒唐無稽のこじつけ」と主張。一方、検察側が「床にたたきつけられた」としている長女の脳に障害が残っていなかった点については、「障害が残る前に絞殺された」とした。
 12月4日の最終弁論で、弁護側は、殺意や乱暴目的を改めて否定したうえで、「精神的に極めて幼い少年が起こした偶発的な事件。生きる道しるべを指し示す判決を」と訴え、死刑回避を求めた。弁護側は差し戻し審で行った独自の精神、法医鑑定などに基づき、2人への殺害状況などについて、一、二審は事実誤認があったと強調。「少年特有の未成熟さから、捜査官により事実をねじ曲げた調書が作られ、一・二審と最高裁の判決は問題点の検証を怠って正義に反する事実誤認をした」と主張。実母に甘えたいような感情を持ち、女性に抱きつき、反撃されたために無我夢中で押さえつけ、誤って窒息死させてしまったとして殺意を否定。長女についても殺意を否定し、「殺意も乱暴目的もなく、傷害致死罪に過ぎない」と主張した。さらに、福田被告の家庭環境にも触れ、父親の虐待や中学時代の実母の自殺が影響し、福田被告が精神的に未成熟だったために起きた事件で、計画的犯行ではないとし、「犯行当時、18歳1ヶか月で成人同様の責任を負わせることはできない」と述べ、「未熟な少年による事件であることを考慮し量刑を決めるべきだ」と訴えた。福田被告の更生の可能性については、教誨も受けるなど反省は以前より深まっているとした。
 判決で楢崎裁判長は主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。まず、新弁護団がついた上告審の途中から、福田被告側が殺意や強姦目的の否認を始めた経緯を検討。「弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」と述べた。
 また、元少年側が「被害女性の首を両手で絞めて殺害した」との認定は遺体の鑑定と矛盾し、実際は右手の逆手で押さえつけて過って死亡させたものだとした主張を退け、「そのように首を絞めた場合、窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」と判断した。また、「右手で首を押さえていたことを『(福田被告が)感触さえ覚えていない』というのは不自然。到底信用できない」とした。長女殺害についても、首にひもを巻いて窒息死させたとの認定にも誤りはないとし、「(福田被告の)供述は信用できない」と否定した。
 さらに、被害女性に母を重ねて抱きついたとする福田被告側の「母胎回帰ストーリー」を「犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。「性欲を満たすため犯行に及んだと推認するのが合理的だ」と述べた。福田被告が強姦行為について「女性を生き返らせるため」としたことについて、「荒唐無稽な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。
 事件時、18歳30日だった年齢についても「死刑を回避すべきだという弁護人の主張には賛同し難い」とした。また、福田被告の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。
 そして楢崎裁判長は「犯行は冷酷残虐で非人間的と言わざるを得ない。殺害の計画性や強姦の強固な意思があったとは言えないが、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」「身勝手かつ、自己中心的で、(被害者の)人格を無視した卑劣な犯行」と述べ、一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。

 2012年1月23日の最高裁弁論で弁護側は、強姦目的の計画性や殺意を否認した差し戻し控訴審での福田被告の新たな供述について、独自に事件の再現実験と、法医学や心理学の専門家鑑定を実施。これらの結果を基に「新供述こそが真実で、差し戻し控訴審の認定は誤り」として、「福田被告の深刻な精神的未熟さを無視せず、特性を理解して審理すべきだ」と訴えた。また主任弁護人の安田好弘弁護士は、16日に被告と接見した際、被告が一審の結審直前に殺意などを全面的に認めた理由に初めて言及し、「少年事件なので死刑はないと思っていたが、(死刑を)求刑され恐ろしくなった。死刑を免れるため認めて謝ろうとした」と述べたことを明らかにし、弁護団はこの内容を陳述書として最高裁に提出。そして、「殺意はなく、傷害致死罪が成立するにすぎない。反省を深めており立ち直りは可能」と述べて死刑回避を主張した。検察側は、「結果や遺族の処罰感情などに照らすと刑事責任は誠に重大。死刑を回避すべき特段の事情は何ら認められない」とした。
 判決で第一小法廷は「動機や経緯に酌量すべき点は全くなく、落ち度のない被害者の尊厳を踏みにじった犯行は冷酷、残虐で非人間的。遺族の被害感情もしゅん烈を極めている。被告は殺害態様などについて不合理な弁解を述べており、真摯な反省の情をうかがえることはできない」と批判した。そして、「平穏で幸せな生活を送っていた家庭の母子が白昼、自宅で惨殺された事件として社会に大きな影響を与えた。犯行時少年であったことや、更正の可能性もないとはいえないことなど酌むべき事情を十分考慮しても、刑事責任はあまりにも重大」として死刑はやむを得ないと判断した。
 第一小法廷の横田尤孝裁判官は広島高検検事長として事件に関与したとして審理を回避したため、裁判官4人のうち3人の多数意見。宮川光治裁判官は「当時の被告の精神的成熟度が18歳より相当低ければ、死刑を回避する事情に当たる」として、死刑判決を破棄してさらに審理すべきだとした。それに対し金築裁判長は、「18歳以上かを問う少年法の規定は形式的基準で、精神的未熟さを理由とする破棄はできない」との補足意見を付けた。
備 考
 本事件では被害者の夫である会社員は、積極的にマスコミに登場し、事件や裁判について積極的に意見を述べた。また、犯罪被害者遺族が司法から疎外されていると訴え、他の人たちと犯罪被害者の会(現全国犯罪被害者の会)を2000年12月に設立し、各地で講演を行っている。被害者の権利を保障した犯罪被害者基本法が2005年4月に施行される原動力となった。
 最高裁から弁護人に就任した安田好弘弁護士と足立修一弁護士の2名は、3月14日の最高裁弁論を欠席したことについて、テレビをはじめとするマスコミからバッシングを受けた。
 被害者の夫である男性は、安田弁護士、足立弁護士への懲戒請求を2006年3月15日に提出。2007年1月19日、第2東京弁護士会の綱紀委員会で初めて請求理由の説明を行った。請求から10ヶ月を経て行われた事情聴取で、男性は「弁論欠席で遺族を苦しめただけでなく、国民の司法に対する信頼を失墜させた」などと述べた。
 広島弁護士会は3月30日付で、同弁護士会の綱紀委員会が、「弁論欠席は被告のために最善の弁護活動を尽くす目的だったと認められ、不当な裁判遅延行為とは言えない」とした議決を受け、同会が決定した。広島弁護士会の決定は、「公判期日の延期を見込んで、批判覚悟で、あえて弁論に欠席した動機は、死刑か無期懲役かという究極の局面にある被告の弁護活動を尽くすためだったと認められる」と指摘した。
 12月20日付で第2東京弁護士会の綱紀委員会は「模擬裁判のリハーサルと重なることを欠席の理由の一つにしたのは妥当ではなかった」としながらも、「被告の権利を守るため、やむを得ず欠席したもので、引き延ばしなどの不当な目的はなかった」と議決。これを受け、同弁護士会は懲戒せずの決定を下した。遺族側は日弁連に異議申し立てしたが、2008年3月24日付で棄却された。
 最高裁の死刑判断に反対意見が付くのは、無人電車が暴走・脱線し6人が死亡した「三鷹事件」の大法廷判決(1955年6月)以来とみられる。
 事件当時、「18歳と30日」だった元少年の死刑確定は、記録が残る1966年以降、最年少となる。ただし旧少年法が適用されていた1947年、1948年には事件当時17歳の死刑確定囚が3人いた(現行法施行に切り替わったため、1949年3月23日、恩赦で無期懲役に減刑されている)。現行法施行後で今まで最年少だったのは、小松川女子高生殺人事件の李珍宇元死刑囚(1件めの犯行当時18歳1か月23日 1962年11月26日執行)と思われる。
 旧姓福田。
現 在
 2012年10月29日、大月孝行死刑囚の弁護団は広島高裁に再審請求した。弁護団は、最高裁に提出したが証拠採用されなかった、元少年は性的な発達が逸脱していることから強姦の計画性はなかったとする精神鑑定結果や、確定判決と遺体の所見で首を絞めた痕が一致しないとする実験結果などを新証拠として再提出し、「確定判決に合理的な疑問が生じるのは明らか」と主張している。
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氏 名
岩森稔
事件当時年齢
 61歳
犯行日時
 2007年2月21日
罪 状
 強盗殺人、窃盗
事件名
 本庄夫婦殺害事件
事件概要
 埼玉県狭山市の無職岩森稔(当時61)被告は2007年2月21日午後1時30分から3時までの間、顔見知りである本庄市の無職男性方で、男性(当時69)と妻(当時67)の頭などを鈍器で殴って殺害し、現金約」1万円を奪った。
 また岩森被告は2月15日午後9時頃、本庄市内の知人男性方で、約8000円入りの札入れと現金約2000円入りの小銭入れを盗んだ。
 岩森被告は事件直後に逃亡。3月5日、山梨県の実家近くに止めた乗用車内で逮捕された。
 岩森被告は運送会社を経営していたが2004年頃に倒産。移転後も現場付近をたびたび訪れ、知人らに金を無心していた。
一 審
 2008年3月21日 さいたま地裁 飯田喜信裁判長 無期懲役判決
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控訴審
 2009年3月25日 東京高裁 若原正樹裁判長 一審破棄 死刑判決
上告審
 2012年3月2日 最高裁第二小法廷 竹内行夫晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 2007年11月21日の初公判で、岩森被告は「初めから現金を奪おうとしたわけではなく、借りようと思った」と強盗目的を否認した上で、「遺族には一生残る悲しみと傷をつけてしまい、極刑をもって償いたい」との書面を読み上げた。
 検察側は強盗殺人の根拠として、〈1〉被告があらかじめ凶器を用意していた〈2〉緊縛目的で針金を持ち込み、妻を縛った〈3〉経済的に困窮していた−−などを挙げた。
 弁護側は、岩森被告が男性に借金を申し込んだが断られ、「死んだら保険金が出る」と言われたことに腹を立て、殺害したと説明。殺人罪に当たると主張した。
 2008年2月22日の論告求刑で、検察側は、鈍器や針金を持ち込むなど犯行は計画的だったとした。そして「金目的の計画的な犯行で、冷酷非道で悪質極まりない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、妻に対する強盗殺人罪は認めたが、夫の殺害については、借金を断られ腹を立てて殺害した殺人罪だと主張。「室内にあった凶器を使い、計画性はなかった」として寛大な判決を求めた。
 岩森被告は最終陳述で「極刑をもって償いたい」と述べた。
 判決で飯田裁判長は、弁護側の「夫婦宅を訪れたのは、借金を申し込むためだった」との主張を退け、被告は凶器と夫婦を緊縛するための針金を持ち込み当初から強盗目的だったとし、検察側の主張通り、二人に対する強盗殺人罪を認定した。
 その上で「日々の食事に困るほどの生活苦を、何の落ち度もない夫妻に対する凶行で解消しようとした動機は、短絡的で身勝手というほかなく、殺害方法も執ようで残虐。遺族の被害感情などを照らし合わせると、死刑をもって臨むしかないとする検察の意見には相応の理由がある」と、死刑選択も十分考えられるとした。
 一方で、夫婦殺害後、金品の物色もそこそこにして、指紋などを残したまま逃走するなど、ち密さや周到さに欠けていたことを指摘。当初は借金を申し込むつもりもあったとし、「強盗目的が確定的でなかった」と検察側が主張した計画的な強盗殺人は否定した。
 殺害態様の残虐性については「無我夢中で歯止めが効かなくなったところがあった」と述べ、「事件以前は犯罪とは無縁の生活を送り、反社会的性格が強いとまで断ずることができない」と指摘。「死刑よりもむしろ、終生をかけて被害者夫婦の冥福を祈らせ、反省と悔悟の日々を送らせるべき」と無期懲役が相当と判断した。

 死刑を求める検察側と有期懲役を求める弁護側の双方が控訴した。
 判決で若原正樹裁判長は「夫婦宅を訪問した当初から、2人の殺害、強盗を計画していた。近所付き合いをしていた2軒隣の落ち度のない夫婦の頭や顔をめった打ちにした残虐な犯行で、真摯な反省も認められない」と述べた。
 判決は、被害者の頭部や顔面に激しい打撃が加えられ、岩森被告が殺害後の短時間のうちに金目の物を物色していた点などを重視。また殺害に使用された凶器の形状と合致する凶器が夫婦宅に存在しないことから、凶器は被告人が持ち込んだ物と考えるほかないとし、殺害に計画性がなかったとする一審判決は誤りだと指摘した。
 弁護側は「借金を申し込むために被害者宅を訪問。殺害は予想外の事態だった」と主張していたが、若原裁判長は「夫婦に借金を申し込み、断られた状況を酌んだとしても有期懲役刑は不相当」と弁護側の訴えを棄却。勤務先の会社を辞め、定職に就くことなく過ごして金銭に窮した状況を「自身の無計画で忍耐力に欠ける生活態度に起因するなど、斟酌するほどの事情と認めることはできない」と述べた。
 また「夫婦は2006年に2,3万円の借金を申し込んだ被告人に10万円貸しており、事件直前に空腹の被告人に食事を振る舞うなど被告人にとっては恩がある間柄であるにもかかわらず、命が奪われるのは理不尽」とし「罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑をもって臨むほかない」とした。

 2012年1月27日の最高裁弁論で、弁護側は「殺害に計画性はなく、二審判決は重すぎる」と述べて死刑回避を主張し、検察側は「凶器を持ち込んでおり、計画的犯行だ」と反論して結審した。
 判決は弁護側の主張を、「強盗殺人は計画的に行われた」と退けた。そして「定職に就かず金に困った動機や経緯に酌量すべき点はない。緊縛用の針金や凶器を事前に準備した計画性に加え、頭部など多数の部位を骨折させ、執拗で残忍。2人の生命を奪った結果も重大だ。刑事責任は極めて重く、死刑もやむを得ない」とした。
現 在
 2014年現在、再審請求中。
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氏 名
川崎政則
事件当時年齢
 61歳
犯行日時
 2007年11月16日
罪 状
 殺人、死体遺棄他
事件名
 坂出祖母孫3人殺人事件
事件概要
 香川県高松市の元会社員川崎政則被告は2007年11月16日午前3時45分頃、坂出市に住む義姉でパート従業員の女性(当時58)の自宅に無施錠の玄関から侵入。女性と、隣家から遊びに来ていた女性の孫(当時5、3)姉妹を持参した包丁で刺して殺害。3人の遺体を自分のワンボックスカーに積み込み、坂出港の岸壁近くの資材置き場に埋めた。
 姉妹は15日午後6時ごろ、女性方に泊まりに行ったが、翌日午前7時50分ごろ、母が迎えに行ったときには3人の姿が消えていた。寝室の床やベッド、玄関、浴室などには血痕が残され、女性の携帯電話や靴、自転車がなくなっていた。香川県警は事件発覚から2日後の18日、坂出署に捜査本部を設置した。
 県警は11月27日、川崎被告を死体遺棄容疑で逮捕。川崎被告は当初山中に捨てたと供述したが、遺体は発見されなかった。その後、供述を変更。28日に3人の遺体が発見された。12月18日、県警は川崎被告を殺人容疑で再逮捕した。
 川崎被告は妻が女性の借金を肩代わりする形で金を貸していたことを1997年頃に知って夫婦関係が悪化し、女性のことを恨んだ。その後女性や妻の両親の遺産で女性の借金は片が付いたが、2007年2月に妻が入院。さらに4月に妻は死亡したことから、女性を恨んでいた。遺族側は金銭トラブルについて否定している。
 高松地検は2008年1月9日、殺人などの罪で川崎被告を起訴した。簡易鑑定の結果、同容疑者の責任能力に問題はないと判断した。
一 審
 2009年3月16日 高松地裁 菊池則明裁判長 死刑判決
控訴審
 2009年10月14日 高松高裁 柴田秀樹裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年7月12日 最高裁第一小法廷 白木勇晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きにより、殺害の事実関係については争わず、主に川崎被告の犯行時における責任能力について争われた。
 2008年7月17日の初公判で、川崎被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。弁護側は「精神遅滞などが原因で責任能力は限定的だった。川崎被告の犯行時の責任能力は、精神鑑定で明らかにされるべきだ」などと述べた。高松地裁はこの日、精神鑑定を行うことを決定した。
 精神鑑定の結果を受けて、裁判の争点や日程などを決めるための期日間整理手続きが行われ、3月9〜12日に集中審理し、16日に判決を言い渡すことが決められた。
 検察、弁護側双方が推薦する2人の鑑定人が精神鑑定を実施。ともに知的能力は低いものの、刑事責任能力を完全に認める診断内容だった。
 2009年3月9日の第2回公判では、川崎被告の責任能力について争われた。検察側は以前から恨んでいた女性を完全犯罪で殺害する計画とし、姉妹を殺害した理由については犯行の発覚を防止するためと主張した。そして責任能力はあると主張した。弁護側は犯行や動機について争わず、川崎被告について「知的能力、精神能力、特定不能の広汎性発達障害があり、犯行に大きな影響を及ぼしている」と指摘した上で「悪いことと分かっていても行動に出ることを思いとどまることが著しく困難だった」と心神耗弱を主張した。
 3月12日の論告で検察側は争点となった責任能力について、精神障害はないとした鑑定医2人の鑑定結果などを踏まえ、「善悪を判断し、自らの行動を制御する能力に障害はなかった」と指摘。弁護側の主張に対し、「少年法は、少年の健全育成を期すためのもので、被告にその趣旨を及ぼすことはできない」と反論した。さらに「現場を下見し、事前に遺体を埋める穴を掘って包丁を準備するなど犯行は計画的」と述べた。そして「金銭トラブルによる恨みで祖母を、発覚を防ぐため孫2人を殺すという短絡的で身勝手な動機に酌量の余地はない。殺害方法は残虐、執拗で卑劣極まりない。遺族の悲しみは深く、極刑を希望している」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は事件当時の被告について「知的能力が低く、広汎性発達障害の影響もあり、悪いと分かっていても行動を思いとどまることが著しく困難だった」と限定的責任能力を主張した。そして前科前歴がないことや、謝罪の手紙を出し弁護人に150万円を預けて遺族の支払いを確約していることを述べた。最後に精神年齢は15歳程度で、(18歳未満を死刑にしない)少年法を適用して無期懲役とするのが相当だとした。
 判決は、被告が事前に凶器の包丁を用意し、女性方を2度下見するなど計画的で、殺害後も失跡を装うため女性の自転車を持ち去るなどの証拠隠滅を図ったと指摘。「精神障害はなく犯行に著しい影響は及ぼさなかった」とする検察側、弁護側双方の精神鑑定の結果を信用できるとし、「心神耗弱状態だった」とする弁護側の主張を退けて完全責任能力があったと判断した。殺害の動機については、病死した妻が実姉の女性の借金を肩代わりしたことなどで恨みを募らせたと認定。幼い姉妹については、女性殺害後に2人が目を覚まして泣きながらそばにやってきたためと認めた。そのうえで「極めて身勝手で自己中心的。酌量の余地はまったくない」と指摘。3人を何度も刺した殺害方法も「執拗かつ残虐で、遺族が被告に極刑を求めるのも当然だ」と述べた。一方、一貫して起訴事実を認めている▽姉妹殺害について謝罪している▽一度決めたら容易に変更できない性格だった――など被告に有利な事情を挙げたが、「それらを最大限考慮しても、恐怖で泣き叫ぶ罪のない子どもに攻撃を加えており、小さく弱い者に対する情など人間性のかけらも見いだせない残虐な犯行。動機や経緯、結果の重大性などにかんがみて死刑を選択する以外にない」と結論づけた。

 弁護側は即日控訴した。「被告は広汎性認知障害の影響で、悪いと分かっていても行動を思いとどまることが著しく困難だった」と限定的責任能力を主張し「無期懲役が妥当」と訴えている。
 2009年9月10日の控訴審初公判で、弁護側は「川崎被告は事件当時、精神障害を患い、女性が財産を横取りしようとしているとの妄想を抱いていた。被告は行動制御能力が著しく低下しており、限定責任能力を認めるべき」との控訴趣意書を提出。検察側は「精神的障害があったとは考えられない」と主張し、即日結審した。弁護側は「川崎被告は妄想を抱く精神障害のパラノイアにかかっており、心神耗弱状態だった」として、再度の精神鑑定を要求したが、柴田裁判長は新たな鑑定の実施は認めなかった。高裁は、一審で精神鑑定を行った医師2人に改めて精神障害の有無について照会したが、2人ともその可能性を否定したという。証人尋問では、姉妹の父が「恐ろしい思いをさせて子供や義母を殺した。死刑を求めたい」と証言。川崎被告は被告人質問で「姉妹にはかわいそうなことをした。女性も殺す必要はなかった」と述べた。また同日の公判では殺害された女性の父親が弁護側証人として法廷に立ち、「被告の知的能力が低いのは分かっていた。一人で悩まずに相談してくれれば今回の事件は起こらなかったはず。できれば減刑をお願いしたい」と述べた。検察側証人である姉妹の父親は「被告も人の命の重さは分かっているはず。反省しているとも思えない。死刑を望む気持ちに変わりはない」と訴えた。  判決で柴田裁判長は、一審で被告を精神鑑定した医師2人に照会した結果を踏まえ、「一審の鑑定人が見落とすとは考えられない」として弁護側主張を退けた。事前に凶器を準備するなどした犯行の計画性や、川崎被告が女性の失跡を装うために犯行後に自転車などを廃棄した証拠隠滅工作なども挙げ、犯行時の完全責任能力を認定した。  犯行動機については、一審で十分触れていなかった殺意を抱いた経緯を検討。川崎被告は1997年ごろから、妻(既に病死)への借金などをきっかけに女性に不満を抱き始めた。金銭トラブルから「女性に家庭を壊され、(妻が消費者金融から用立てた金の)返済に苦しめられている」と殺意を持つに至ったとした。そのうえで、量刑について検討。女性殺害について「極めて強固な殺意に裏打ちされ、殺害方法も執拗かつ残虐」とし、たまたま泊まりに来ていた幼い姉妹を殺害したことも「悪事の発覚を防ぐため、何の関係もない幼児2人を殺害した。事情を理解できないまま、恐怖と痛みの中で短い生涯を閉じさせられた幼い姉妹はあまりにあわれだ。酌むべき余地はまったくなく人倫に反する行為。状況も分からず泣きながら近寄ってくる幼い子供たちに執拗に包丁を突き刺し、誠に凶悪」と指摘。控訴審で女性殺害を謝罪するなど反省の態度を示した▽一審判決後に遺族に150万円の被害弁償をした――など被告に有利な事情を考慮しても、「(一審の死刑判決が)重すぎて不当とは言えない。残忍な犯行と結果の重大性により社会に脅威を与えており、死刑をもって臨むとした量刑はやむを得ない」と判断した。

 2012年6月11日の最高裁弁論で弁護側は、死刑制度は憲法違反だとした上で「計画的犯行とは言い難く、強い殺意を持った経緯にも被害者側が被告の妻から金を借りるなどしていた事情があり、死刑は重きに失する」と主張した。検察側は「3人の尊い命を奪った結果は重大だ」と上告棄却を求めて結審した。
 判決で白木裁判長は、女性が実妹に当たる被告の妻から借金を重ねたことなどを恨み、親族間の財産をめぐるトラブルも加わって殺害を決意した動機について「殺害にまで及んだ事情として酌むべき点はない」と指摘。「衣服に返り血が付かないよう雨がっぱを用意するなど周到な準備に基づく犯行。抵抗のすべも知らない、いたいけな幼児らを包丁で多数回突き刺すなど残虐で、3人を殺害した結果も重大だ」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。
備 考
 事件発生当初から親族、特に姉妹の父親の関与を疑う声が強く、一部週刊誌やインターネット上などで父親を犯人視、中傷した発言、問題視する記事などが相次いだ。2007年11月21日には女優が自身のブログ中に家族の会話として「父親の仕業」と記載し、ブログは炎上した。後に謝罪するとともにブログを閉鎖。所属事務所も謝罪文とともに、1年間の活動停止処分を発表した。
 11月19日にはワイドショーで司会者のみのもんたが、発生後に父親が直接警察署に届け出たことについて、強く疑問を投げかけるコメントをした。2008年1月11日にみのがスタッフとともに謝罪したとの報道があったが、番組内では一言も触れられていない。
 母親は2009年3月11日の公判で読み上げられた手記の中で、長男(11)がマスコミによる父親犯人視報道によって学校でいじめにあっていたことを述べている。
 川崎被告は東京都の消費者金融会社を相手取り、妻が1989年9月以前に契約を結び、2007年1月までに借り入れと返済を繰り返し、利息制限法で定められた上限を超えた金利を課せられ、約554万円の利息を違法に多く支払わせられたとして、過払い金変換訴訟を高松地裁に起こした。2009年1月15日、高松地裁で和解が成立したが、内容は明らかにされていない。
 一審では裁判員制度を控え、第2回公判以降は4日間連続の審理で結審した。また専門用語が多くてわかりにくいとされてきた医師の証人尋問では、大型モニターを使って講義形式で実施された。
執 行
 2014年6月26日 68歳没
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氏 名
加賀山領治
事件当時年齢
 58歳(2008年の事件当時)
犯行日時
 2000年7月29日/2008年2月1日
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂
事件名
 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件
事件概要
 元アルバイト、加賀山領治被告は2000年7月29日午前1時頃、大阪市中央区の路上で帰宅途中の中国人女子留学生(当時24)のバッグを強奪。自転車で逃走し、取り押さえようとした会社役員の男性(当時34)の左足を刺し、さらにバッグを取り返そうと追いすがってきた女性の胸や腹などを刺して逃げた。女性は搬送先の病院で約1時間後に死亡した。加賀山被告は1999年に退社後はアルバイトをしていたが、事件直前は大阪城公園でホームレス生活を送っており、借金も断られ所持金はほとんどなかった。
 加賀山被告は「当時一緒に路上生活をしていた男に誘われた」と語っている。犯行直後「60歳ぐらい」とされる共犯の男と大阪城公園で合流し、奪った6000円を山分けしていたが「名前は知らない」と言い、氏名不詳のまま特定には至っていない。

 加賀山被告は2008年2月1日午後10時15分ごろ、大阪市北区にある複合ビルのトイレに窃盗と強盗の両方の準備を整えて潜み、たまたま入ってきた会社員の男性(当時30)にナイフを突きつけ「金を出せ」と脅したが、応じなかったため、胸などを刺して殺害した。加賀山被告は2007年秋に仕事を辞めて以降、競馬やパチンコで所持金を使い果たしていた。
 加賀山被告は2月8日午前、大阪府府警此花署に出頭した。当初は盗みの準備をしていたところを見られたため殺害したと供述していたため殺人容疑で逮捕されたが、後に強盗目的を認めた。
 大阪府警は加賀山被告の余罪を調べていたが、2000年の事件現場に残されていた犯人の血液のDNA型が加賀山被告と一致。3月21日、大阪府警は加賀山被告を再逮捕した。
一 審
 2009年2月27日 大阪地裁 細井正弘裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2009年11月11日 大阪高裁 湯川哲嗣裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年7月24日 最高裁第三小法廷 寺田逸郎晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 2008年11月20日の初公判で、加賀山被告は「殺そうとは思っていなかった。取り押さえられそうになり夢中で刺した」と述べ、被害者2人への殺意を否認した。検察側は冒頭陳述で、1999年に会社を退職後、借金をしながら遊び暮らしていた加賀山被告が知人と強盗計画を立て、自転車で帰宅中の女性からバッグを奪った際、逮捕を逃れるため胸を狙ってナイフを突き刺したと指摘。胸と腹を2回刺し、傷口も17センチと深いことから殺意があったとした。
 12月26日の論告求刑で検察側は胸などを複数回刺したことや傷の深さが7〜17センチに達していたことなどから殺意があったと主張。「犯行は冷酷、執拗で残虐非道。鬼畜と化した者のなせる沙汰。一片の人間性のかけらも見いだすことができない。反省の態度が認められず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「捕まりそうになり夢中で刺した。殺意はなかった」として強盗致死罪にあたると主張。2月の事件後、警察に出頭しており、自首を認めて懲役刑にするよう求めた。加賀山被告は最終意見陳述で「今さら遅いが、申し訳ないことをした」と述べた。
 判決で細井裁判長は強盗殺人が、ナイフを用意した上で胸などを複数回突き刺し、傷も深いことに触れ「計画的であり、殺意を持って犯行に及んだと認められる」と殺意を認定。加賀山被告が男性の事件後、警察署に出頭したとして、自首の成立を主張していた点についても、強盗目的を隠していたことなどに言及し「申告したとは評価できず、自首と認められない」と弁護側の主張を退けた。その上で「留学生事件から約7年半後に男性を殺害しており、真摯に反省し、再犯防止に努めると期待するのは困難。加賀山被告は法廷で不合理な弁解に終始しており、真に反省しているとは認められず、死刑回避を相当とするような酌量すべき事情は見当たらない。2人の若者の尊い命を奪った結果は重大。遺族らの処罰感情もしゅん烈。殺意も認められ、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 被告、弁護側は控訴した。
 弁護側は一審に続き控訴審でも「いずれの事件も、無我夢中で振るった刃物が当たった。事件当時は正当な判断能力を欠いていた」として殺意を否認し心神耗弱状態にあったと主張。加賀山被告が男性刺殺事件の1週間後に出頭した点に触れ、「殺人を申告したことで捜査を容易にした」として無期懲役への減刑を求めた。
 湯川裁判長は判決で「相当の力を込めて何度も突き刺しており、いずれの事件にも、未必の殺意が認められる。金品を奪取しており、完全に責任能力はあった」などと弁護側の主張を退けた。そして「危険かつ残忍な犯行で若い2人の無念は察するに余りある。性懲りもなく凶悪犯罪を繰り返し、金銭のために人の命を顧みない危険な犯罪性向は根深く、更生の可能性は乏しい」と述べた。

 2012年6月19日の最高裁弁論で、弁護側はいずれの事件も殺意を否認。「仮に殺意があったとしても未必の故意にとどまり、実質は限りなく傷害致死罪に近い。自首も成立する。最も重くても無期懲役が相当」と訴えた。検察側は「殺意は明らかで、結果の重大性を考えれば死刑が重すぎるとは言えない」として上告棄却を求めた。
 判決で寺田裁判長は、「あらかじめ凶器を準備して金品を奪えそうな相手を物色するなど、強盗については計画性が認められる上、殺害態様は残虐かつ冷酷。何ら落ち度のない2人の生命を奪い、1人に傷害を負わせた結果は誠に重大。1件目の犯行後に再び金銭に窮して強盗を決意しており、経緯や動機に酌量すべき事情は認められない」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。
備 考
 加賀山被告には強盗致傷等の前科がある。
執 行
 2013年12月12日 63歳没 再審請求の準備を始めていたとされる。
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氏 名
田尻賢一
事件当時年齢
 32歳/39歳
犯行日時
 2004年3月13日/2011年2月23日
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂、住居侵入、銃刀法違反
事件名
 宇土院長夫人強盗殺人事件/熊本夫婦殺傷事件
事件概要
 熊本市の会社員田尻賢一被告は、2004年3月13日昼、熊本県宇土市の医院長宅にぜんそくを装ってドアを開けさせ侵入し、妻(当時49)の頭や顔をスパナで殴るなどして殺害し、現金約18万3000円などを奪った。田尻被告と妻は面識がなかった。田尻被告はパチンコや風俗で借金を重ね、母に数回清算してもらったにもかかわらず、犯行当時は消費者金融に150万円以上の借金があった。
 また田尻被告(事件当時は無職)は2011年2月23日午後6時10分頃、熊本市に住む会社役員の男性方(当時72)で、「車を家の壁にぶつけた」などとうそを言って男性の妻(当時65)に玄関のドアを開けさせ、妻の顔や首、背中などをバタフライナイフで刺して殺害。現金10万円や商品券2万円分を強奪した。さらに午後6時30分頃、帰宅した男性の胸や脇腹などを複数回刺して、全治1か月の重傷を負わせた。田尻被告は運送会社に勤務していた時、1年半前に男性方が新築したときに担当しており、裕福な家であると目を付けた。田尻被告は犯行直前、消費者金融に約250万円、親族に約225万円の借金があった。また妻とは別の女性と交際し、プレゼントなどを送りながら、金を持っていると嘘をついていた。
 捜査本部は男性方の録画機能付きインターホンに移っていた映像や、犯人の足跡、血痕などから捜査していたが、田尻被告は新聞やテレビの報道を見て、逃げ切れないと思い、2月25日午後4時ごろ、田尻被告は家族に付き添われ、熊本東署に自首した。
 その後、宇土市の現場付近で目撃された車と同じ緑色系の乗用車に田尻被告が当時乗っていたことが判明。二つの事件の手口が似ていることから、県警が田尻被告を追及したとこ3月23日になって殺害を認めた。24日、奪ったバッグの中にあった財布や事件時に身につけていたとみられる着衣の一部、鈍器が、田尻被告の供述通り熊本市富合町の山中から見つかったため、26日に再逮捕した。宇土市の事件は、2007年には、警察庁の懸賞金制度の対象事件として最高300万円の報奨金がかけられていた。
一 審
 2011年10月25日 熊本地裁 鈴木浩美裁判長 死刑判決
控訴審
 2012年4月11日 福岡高裁 陶山博生裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年9月10日 本人上告取り下げ、確定
拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、宇土市の事件について自首が成立するかどうかが焦点となった。
 2011年10月11日の初公判で、田尻被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で「両事件とも凶器を準備し、下見をして被害者が1人の時を狙った。最初の事件の7年後、再び金品を奪って殺害した。犯行はそれぞれ悪質。7年間にわたり平然と生活し、熊本市の犯行に及んだ。両事件とも言い逃れができないと考えるまで自白しなかった」と指摘した。また、熊本市の事件について自首の成立を認めたが、宇土市の事件については「取り調べで初めて供述した」と述べ自首は成立しないと主張した。一方、弁護側は「強盗は計画的だったが、殺意の発生は偶発的なもの。当初から確定的な殺意があったわけではない」と主張。被害者から抵抗されたり、悲鳴を上げられたりしたことから、田尻被告が動転して殺害に及んだと訴えた。宇土市の事件についても「宇土市の事件は発生から7年が経過して迷宮入りし、検察官から提出された証拠を検討しても、被告の自首と協力なくして、事件の立証はできなかった。自首が認定されるべきことは当然」と自首の成立を主張し、情状酌量を求めた。
 10月14日の第4回公判では、それぞれの事件の遺族が、いずれも極刑を訴えている。田尻被告は被告人質問で弁護人から「遺族が極刑を望んでいる」と伝えられると「当然だと思います」と述べた。
 10月17日の論告で検察側は、宇土市の事件は取り調べ中に自白したもので、自首に当たらないと強調。永山基準に従って今回の事件を整理し、「2人の命を奪い、1人に重傷を負わせた被告を無期懲役にしたのでは、罪と刑罰の均衡を図ることができない。心理的抵抗を感じず、残虐極まりない犯行を繰り返しており、命をもって償いをさせるほかない」と結論づけた。一方、弁護側は最終弁論で「(自白は)犯人発覚前のもので、自首の成立が認定されるべきだ」と主張。公判では正直に喋って反省しているなどと主張し、有期懲役か無期懲役を求めた。
 田尻被告は最終意見陳述で、声を震わせながら「何の罪もない人たち(実名)の命を奪って本当にすみませんでした」と、検察席と傍聴席の遺族らに向かって頭を下げた。
 判決理由で鈴木裁判長は動機について、パチンコや風俗店で使った借金返済のため強盗殺人を繰り返しており「身勝手かつ短絡的」とし、凶器で顔を執拗(しつよう)に狙った手口も残虐と批判。そして、「犯行の経緯や動機に酌むべきところは全くなく、結果も深刻だ。最初の事件から7年後に同様の手口で再び犯行に及んでおり、罪責はまことに重大だ」と指摘。争点の自首について鈴木裁判長は「自発的に供述したとは到底言えない」として認めず、熊本市の事件での自首も「罪の意識からではなく、逃げ切れないと考えた経緯を考えれば過大に評価できない」と述べた。

 11月1日、田尻賢一被告の弁護団は判決を不服として福岡高裁に控訴した。弁護団は、(1)熊本市の事件が自首とされながらも軽減対象にならなかった(2)宇土市の事件で主張していた自首が認められなかったことを指摘。「量刑は不当だ」としており、田尻被告は「判決に特に不満はないが、弁護人の方針なら受け入れます」と話したという。
 2012年3月7日の控訴審初公判で、弁護側は、死刑制度の違憲性を訴えるとともに、自首が成立するなどとして改めて死刑回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。田尻被告は被告人質問で遺族に謝罪し、被害者参加制度を利用した夫婦の長男が意見陳述して結審した。
 判決で陶山博生裁判長は、自白について「詳細に供述し、事件解決に多大な寄与をした」と評価したが、「捜査官からの取り調べを受け、もうごまかせないと思って自白した。自発的申告とは言えず、約7年間もひた隠しにしており遅きに失する」と判断し、「極刑を回避する事情には当たらない」と指摘した。また、日本の絞首刑は残虐な刑で違憲とする弁護側主張に対しても「過去の判例から違憲ではない」と退けた。そのうえで、判決は、最高裁が1983年に示した死刑選択の基準「永山基準」に基づいて量刑を検討。「7年前の事件を自供したことからも反省の気持ちはうかがえるが、犯情の極めて悪い重大事件では反省などの情状が量刑に与える影響力はかなり小さい」と指摘し、「人命軽視の危険な性向は顕著で、矯正は極めて困難。死刑を回避すべき特段の事情はなく、極刑と判断した一審判決はやむをえない」と結論付けた。

 4月19日、弁護人が上告した。9月10日付で田尻被告は上告を取り下げ、確定した。
執 行
 2016年11月11日 45歳没。
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氏 名
謝依俤
事件当時年齢
 25歳(2002年9月19日逮捕時)
犯行日時
 2002年8月31日
罪 状
 住居侵入、強盗殺人、出入国管理及び難民認定法違反
事件名
 品川製麺所夫婦強殺事件
事件概要
 中国福建省出身、元解体工の謝依俤(シェ・イーディ)被告は2002年8月31日、住んでいたアパートの大家だった夫婦の製麺所兼自宅に侵入。持っていたナイフで男性(当時64)と妻(当時57)を刺殺し、現金約47000円、指輪やネックレスなど52点(約7万円相当)を奪うなどした。
 謝被告は2002年春ごろから、殺害された夫婦が所有する製麺所裏のアパートに住んでいたが、家賃月18000円は滞納しがちで、先月分の家賃を支払っていなかった。8月上旬に解体工を辞めた後は職に就いていなかった。
 謝被告は1999年2月ごろ、船で名古屋港に密入国。入国時に背負った借金もまだ残っていた。解体工のほか、飲食店の皿洗いなどをしていたが、長続きせず職を転々としていた。
一 審
 2006年10月2日 東京地裁 成川洋司裁判長 死刑判決
控訴審
 2008年9月26日 東京高裁 須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年10月19日 最高裁第二小法廷 須藤正彦晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 謝被告は「盗みをするつもりだった。誤って刺したが、殺すつもりはなかった」と強盗目的や殺意を否認している。
 論告で検察側は「金銭目的で何の落ち度もない2人の命を奪った身勝手で冷酷な犯行。反省も見られず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。
 成川裁判長は「被害者と会った際、いつでも鋭利なナイフを使用できる状態で所持しており、むしろ計画的な犯行」と指摘。その上で「ナイフで息の根を止めるまで執拗に突き刺し、強固な殺意に基づく犯行だ。その凶悪さには目を覆わしめるものがある。金銭的欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の命を奪った。遺族が極刑を望むのも当然。前途がある年齢で反省も示しているが死刑を回避する事情とまでは認められない」「自らの金銭的な欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の尊い生命をちゅうちょなく奪い、身勝手極まりない動機は酌量の余地が皆無。死刑をもって臨むことはやむを得ない」と述べた。

 控訴審で謝被告は、殺意はなかった、一審が重すぎると主張。
 判決で須田裁判長は、謝被告が犯行後もディスコで頻繁に遊ぶなどしていた点を指摘。また「ストッキングをかぶって侵入し、直後にナイフを抜き身にした」ことから、「(2人殺害は)強固な殺意のもとに行われた。落ち度のない被害者の生命を相次いで踏みにじった冷酷で残虐な犯行。非人間的で、極刑をもって臨むほかない」と述べ、謝被告側の主張を退けた。

 2012年9月10日の最高裁弁論で、弁護側は殺意を否定して「窃盗と傷害致死罪にとどまる」と述べるとともに、「心から謝罪し、反省を深めている」と死刑回避を主張。また押収したナイフ1本を東京高裁が保管中に紛失した件について「ナイフを調べずに殺意は認定できない。重要な証拠を調べておらず、殺意を認めた二審判決は破棄されるべきだ」などと主張した。一方、検察側は「金欲しさに落ち度のない2人を惨殺し、改悛の情は認められない」と死刑を求めた。
 判決で須藤裁判長は「東京高裁の管理態勢に問題があった」と指摘するものの、「紛失したナイフは凶器そのものではなく同種品。撮影、計測した報告書もあり、他の証拠から殺意を十分認定できる」と弁護側の主張を退けた。そして「生活費や遊興費に窮しての犯行で、動機に酌むべき点はない。殺傷能力の高いサバイバルナイフで被害者の胸や背中を多数回突き刺しており、強固な殺意が認められる。被害者を次々に殺害し、冷徹に金品を奪う目的を達しており冷酷で残忍。ナイフを事前に用意するなど計画的で、2人の命を奪った結果は極めて重大」と述べた。
備 考
 2011年12月16日、東京高裁は証拠物のサバイバルナイフ1本を紛失したと発表した。実際に凶器として使用されたナイフではなく、同じ形状の市販製品として提出されていた。高裁によると、9月に行った全証拠物の検査でナイフが無くなっていることに気付いた。控訴を受けて証拠物を保管した2007年1月以降の担当職員への聞き取り調査を進めたが見つからず、紛失時期も特定できなかったという。
 2012年9月10日、東京高裁は、証拠品管理の責任者だった歴代の会計課長3人を注意処分としたと発表した。
現 在
 2014年現在、再審請求中。
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氏 名
高見沢勤
事件当時年齢
 50歳(2005年11月17日逮捕当時)
犯行日時
 2001年11月〜2005年9月
罪 状
 殺人、死体遺棄、窃盗、銃砲刀剣類所持等取締法違反違反(加重所持)、火薬取締法違反
事件名
 暴力団組長による3人射殺事件
事件概要
 指定暴力団山口組系組長高見沢勤被告は以下の3事件を起こした。
  •  高見沢被告は幹部YA受刑者に指示し、土木作業員の男性(当時60)を連れ出した。組長代行YO受刑者と幹部O被告は2001年11月25日、群馬県安中市内(当時松井田町)の林道で射殺した。その後、遺体を山林に運び遺棄した。
     土木作業員の男性は、2000年7月頃に車3台で玉突き事故を起こして保険会社から約1300万円をだまし取った交通事故保険金詐欺事件で被害者役を演じていた。しかし2001年11月頃、詐欺容疑で組員ら7人が逮捕されたことや、男性が単独で保険会社に保険金を請求したことなどから、男性が逮捕されると高見沢被告らの詐欺事件への関与が発覚することを恐れ、口封じのために殺害した。
     男性の遺体は受刑中の組員らの供述に基づき、高崎市上里見の山林で2006年10月4日に遺体が発見された。
  •  高見沢被告は組幹部S(旧姓Y)被告、組幹部I被告と共謀し、2005年4月3日午前3時半ごろ、群馬県安中市内の組事務所で、同組幹部の男性(当時35)の胸や頭に拳銃2発を頭部などに撃って失血死させた。高見沢被告はその後、男性が持っていた拳銃2丁や貴金属類、現金3万円などを奪った。その後、高見沢被告、I被告、NA被告、YO受刑者とともに遺体を同市内の組事務所から乗用車のトランクに積んで、松井田町の山林に遺棄した。死体遺棄容疑ではT受刑者も逮捕されたが、関与の度合いが低いと起訴猶予処分になっている。
     殺害された男性はかつて高見沢被告と同じ組に所属。4、5年前、関西から移り住み、高見沢被告の組に身を寄せていたが、男性の言動や銃の扱いなどをめぐり、組織内でトラブルがあった。
  •  高見沢被告は配下のT受刑者に指示。T受刑者は2005年9月4日午後11時25分頃、群馬県安中市の路上で指定暴力団稲川会系のW組長(当時61)を拳銃で射殺した。同5日未明、高見沢被告はT受刑者、組幹部S受刑者、自営業H被告、組員NO被告とともに遺体を同市内の廃棄物処理場跡に埋めた。
     さらに高見沢被告は稲川会系組側に遺体を返す約束をしたため、6日午前3時頃、組幹部I被告、組員NO被告、組員NA被告、組員H被告と共に、遺体を高崎市内の飲食店駐車場に移した。
     この事件の事件の発端は2005年8月。稲川会系組長だったが破門となり山口組に出入りしていたF幹部の自宅に同会系組長ら数人が襲撃し、金属バットで殴るなどして重傷を負わせた。9人が傷害容疑で起訴されている。
     高見沢被告らは犯人探しを始め、W組長に接触。情報提供や傘下入りを求めた。だが、W組長は拒否したため、面子を保とうと射殺したものである。
     翌5日、別の同会系組長が拳銃を持って高見沢被告宅を襲撃。そして10月13日午後9時ごろ、群馬県高崎市の駐車場でF幹部が射殺される事件が発生した。この事件では4人が殺人などの容疑で起訴され、指示者のYM被告と実行犯のYH被告が求刑通り無期懲役判決、実行犯のKK被告が懲役24年判決(求刑懲役30年)、実行犯のKS被告が懲役16年判決(求刑懲役23年)が確定している。
     県警は2007年7月の捜査終結までに計67人を検挙している。
 高見沢被告は2005年11月17日、9月の組長射殺事件の死体遺棄容疑で逮捕された。12月7日には死体遺棄の再移動の容疑で再逮捕された。
 2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は死体遺棄容疑を認めた。同日、同事件で使用されたとみられる拳銃を所持した銃刀法違反容疑(加重所持)で再逮捕された。
 2月14日、2005年9月の事件の殺人、銃刀法違反(発射)容疑で再逮捕された。
 3月7日、2005年4月の事件の死体遺棄容疑で再逮捕された。
 4月11日、2005年4月の事件の強盗殺人容疑で再逮捕された。(起訴は殺人容疑)。
 6月6日、2005年4月の事件に絡み、高崎市内に住んでいた殺害男性方で拳銃1丁と密造散弾銃1丁、散弾銃用の実弾百数十発を所持するなど、県内4カ所に拳銃7丁、密造散弾銃1丁、日本刀1本と実弾三百数十発を隠し持っていた疑で再逮捕された。
 11月20日、2001年11月の事件の殺人容疑で再逮捕された。死体遺棄容疑は時効が成立した。
一 審
 2008年2月4日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決
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控訴審
 2008年12月12日 東京高裁 安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年10月23日 最高裁第三小法廷 大谷剛彦晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は2005年9月の事件についての死体遺棄容疑を認めた(他容疑では逮捕、起訴されていない)。
 2006年5月22日の公判で、高見沢被告は2005年9月の殺人罪について認否を保留。7月3日の公判でも、2005年4月の事件の殺人罪について認否を保留。このため、争点を整理する公判前整理手続きが2007年5月まで続いた。
 手続き終了後の初の公判となった2007年6月11日、高見沢被告は2001年11月の事件について全面的に否認。2005年4月の事件について「他の組員ともめたため殺した。正当防衛だった」と主張。2005年9月の事件については配下幹部の単独犯行として関与を否定、死体遺棄だけを認めた。
 T受刑者は自身の公判で、高見沢被告の指示を認めている。YO受刑者、O被告は高見沢被告の公判で、高見沢被告の指示を否定している。
 11月26日の論告求刑で、検察側は「犯行は冷酷かつ凶悪」「規範意識の欠如は極みに達しており、改善更生の可能性は絶無」と死刑を求刑した。
 12月10日の最終弁論で弁護側は「共犯者の供述は信用性に欠く」と訴え、死体遺棄事件はいずれも偶発的で、計画的なものではないと主張。殺人行為についても正当防衛が成立するとして無罪を求めた。高見沢被告は「遺族には心から申し訳なく思う」と述べた。
 2月4日の判決で、久我裁判長は「組長の立場から組員に殺害を指示したり、自ら拳銃発射行為に及んだ。いずれも組織力を活用しており、被告が責任を最も問われる立場にある」と指弾、高見沢被告の刑事責任を明確に認定した。
 また被告側の無罪主張について、「共犯者の供述は信用性が高く、被告の共謀が認められる」、「積極的な加害行為の意思が認められ、正当防衛は成立しない」とそれぞれ退けた。特に、高見沢被告らが関与した保険金詐欺事件に絡み、口封じのため男性を殺害した動機について「極端に人命を軽視した身勝手な犯行」と厳しく非難した。
 そして「組織力を活用しており、被告が最も責任を問われる立場にある」と指摘。「社会に与えた不安も計り知れない」「被告なくしては実行され得なかった事件で、極刑はやむ得ない」と述べた。
 さらに判決言い渡し後、「これだけ証言や証拠がそろっていると有罪は免れず、死刑以外ありえない」と言及。「死にたくないと思って(関与を)否定していたのでしょうが、被害者の人たちも死にたくなかったと思います」と諭した。

 控訴審で被告側は1番目と3番目の事件については組員との共謀の事実がないとして、2番目の事件については正当防衛が成立するとして、殺人については無罪を主張していた。安広文夫裁判長は「正当防衛は成立しない。配下の組員らの供述から関与は明白。死刑判決を是認せざるを得ない」と述べた。

 上告審弁論は2012年4月24日に指定されたが、4月11日付で最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は、弁論期日を取り消す決定をした。関係者によると、被告が弁護人を解任したのが理由。
 9月11日の上告審弁論で弁護側は、「配下に殺害を指示したことはない。共犯者の供述のみで被告の殺害指示を認定したのは事実誤認だ。供述は不自然で、共犯者間にも食い違いがある」などと一・二審判決には誤りがあると主張し、死刑判決の見直しを求めた。検察側は死刑維持を求めて結審した。
 大谷裁判長は「首謀者として配下組員に被害者を殺害させた。共犯者の中で最も重い責任を負う」と被告側の無罪主張を退けた。そして「暴力団の内部対立や抗争による組織的犯行で、罪質は甚だ悪質」と述べた。
備 考
 YA受刑者は2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役17年(求刑懲役20年)判決がそのまま確定。
 O被告は2007年6月5日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。控訴後確定。
 YO受刑者は2006年6月27日、犯人隠匿罪他により前橋地裁で懲役4年6月(求刑懲役6年)判決がそのまま確定。さらに2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決がそのまま確定。
 O容疑者は土木作業員男性への殺人・銃刀法違反容疑で2006年12月に指名手配された。2010年11月30日、山梨県で逮捕されたが、12月24日、証拠不十分で釈放された。
 I被告は、2006年10月30日、殺人罪他により前橋地裁で懲役25年(求刑懲役30年)判決。2007年3月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。
 S(旧姓Y)被告は2006年11月14日、殺人罪他により前橋地裁で懲役24年+懲役10ヶ月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年3月1日、東京高裁にて検察・被告側控訴棄却。
 T受刑者は2006年10月19日、殺人罪他により前橋地裁で懲役27年+懲役8月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年4月19日、東京高裁で一審破棄、無期懲役+懲役1年判決。2007年8月29日、被告側上告棄却、確定。
 H被告は2006年3月13日、死体遺棄罪により前橋地裁で懲役1年8ヶ月(求刑懲役3年)判決。
 NO被告は2006年8月28日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役7年(求刑懲役10年)判決。
 S受刑者は2006年3月27日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役1年6ヶ月(求刑懲役3年)判決がそのまま確定。
 NA被告は2006年7月20日、死体遺棄罪、覚せい剤取締法違反他により前橋地裁で懲役3年6月+罰金20万円(求刑懲役5年+罰金20万円)判決。
 H被告は2006年7月6日、死体遺棄や覚せい剤取締法違反の罪により前橋地裁で懲役6年+罰金70万円(求刑懲役8年+罰金70万円)判決。
 H被告の逃走を助けた露天商T被告は2006年4月28日、犯人陰徳の罪により懲役1年(求刑懲役1年6月)判決。
 他にも犯人隠匿などで逮捕者が出ている。
執 行
 2014年8月29日 59歳没
 再審請求準備中だったとされる。
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氏 名
阿佐吉広
事件当時年齢
 54歳(逮捕当時)
犯行日時
 1997年3月/2000年5月14日
罪 状
 殺人、逮捕監禁、傷害致死、横領
事件名
 都留市従業員連続殺人事件
事件概要
 山梨県都留市の朝日建設(2003年8月に倒産)社長阿佐吉広被告は全国から労働者を受け入れていたが、都留労働基準監督署などには「給料を払ってもらえない」との苦情が多数寄せられており、同社と労働者の間でトラブルが絶えなかった。同社の従業員は常時50−60人、多いときには100人を上回っていた。会社側は寮に住み込ませ、行動を監視。反発する従業員の頭を、幹部がガラス製の灰皿で何度も殴り続けるなどしていた。
 1997年3月、阿佐被告は前夜に人夫寮でナイフを持って暴れるなどの騒ぎを起こした身元不明の男性労働者に対して説教を始めたが、男性が反抗的な態度をとったことから、制裁を加えようと考え、木刀を手にとって男性に暴行を加えた。男性は肺挫滅による気管支肺炎の傷害により死亡した。
 2000年5月14日、阿佐被告は元暴力団組長(病死)、元社員ら6人と共謀。当て逃げ交通事故を起こした制裁として労働者3人の手足を縛って社内に監禁した。このうち抵抗したり暴れたりした男性2人(当時50、51)をロープなどで手や足を縛ってワゴン車で運び、阿佐被告と元暴力団組長、元社員の3人は車内で首を絞めて殺害した。遺体はいずれも都留市にある自社経営の朝日川キャンプ場に埋めた。2人を殺害した動機は、解放すれば後日労働争議団に訴えられ会社の経営に支障を来すことや、自分への報復を恐れたためであった。
 また阿佐被告は元従業員と共謀し、2002年10月1日に会社の労働者が負った交通事故について、保険金約2412万円を横領した。
 2003年10月6日午後4時頃、朝日川キャンプ場の駐車場で土中に男性の遺体が埋められているのを捜索していた県警捜査1課と都留署が見つけた。約40分後には、近くから別の男性の遺体が見つかった。7日朝、残る1名の遺体が発見された。
一 審
 2006年10月11日 甲府地裁 川島利夫裁判長 死刑判決
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控訴審
 2008年4月21日 東京高裁 中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2012年12月11日 最高裁第三小法廷 田原睦夫晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 阿佐被告は1997年に従業員を死なせた傷害致死について、逮捕時は関与を認めたが初公判では無罪を主張。
 2000年の事件については、会社事務所に監禁したことは認めたが「キャンプ場でけがの手当をしろと指示しただけで、自分は行っていない」「殺害したのは知人の(死亡した)元暴力団組長」と殺人について無罪を主張した。阿佐被告の長女と長女の友人も法廷で「5月14日には母の日の贈り物を買いに行くために一緒にいた」とアリバイを主張したが、検察側はこの日、「買い物をした際の領収書など、客観的な証拠が残っていない。被告人にも確定的な記憶が残っていない」とアリバイの不成立を主張した。
 検察側は「共謀者の供述が重要部分で一致しており、信頼性は極めて高い」とし、公判で十分に裏付けられていると主張した。
 検察側は補充論告で「阿佐被告のアリバイは成立せず、共謀者の供述が重要部分で一致している」と主張したのに対し、弁護側は「懲罰的な暴行はしたが、死因とつながらない」「検察側証人の証言は二転三転しており全く信用できない」として傷害か暴行罪が妥当だと主張した。
 阿佐被告は最終陳述で、「私はキャンプ場には行っていない。無実で冤罪です」と訴えた。
 判決で川島裁判長は「当日午後から夕方は多くの証言により阿佐被告らが被害者らに暴行を加えた時間帯で、時間的な信用性に大きな疑問がある」などと被告のアリバイ主張を退けた。また、阿佐被告による殺害を証言した共犯者の供述について「具体的で不自然な点はなく、一連の経過が大筋で一致している。阿佐被告は責任を免れようと関係者に口裏合わせをしようとした」と認め、主導的な役割を果たしたことを認定した。そして「殺害の実行を最終的に決定し、実行した中心的立場にあった」「意に添わない者には命をも奪う人命軽視の態度が甚だしい」と厳しく糾弾した。

 2008年2月18日の控訴審初公判で、弁護側は殺人について、阿佐被告の長女らが「当日は一緒に買い物に行った」と証言しており、アリバイの成立を主張。一審で「殺害直前の時間帯に阿佐被告をキャンプ場で見た」と証言したキャンプ場管理人(当時)による「証言はウソで、検事から言わされた」との書面を新たに提出した。そして「殺人時のアリバイ成立は明らかで、傷害と死亡の因果関係にも合理的疑いが残る。一審判決は事実誤認」として、殺人と傷害致死の罪について否認し、一審判決破棄を主張。
 一方、検察側は「アリバイ証言に客観的な証拠はない」と指摘。「一審判決に事実誤認はなかった」などと主張し、控訴棄却を求めた。
 3月19日の第2回公判で、弁護側は阿佐被告が当日キャンプ場にいなかったことを証言する証人への尋問などを申請したが、却下された。これを受け、弁護側は「裁判所の対応は特異で不当」として、裁判官3人の忌避を申し立てたが、「裁判の遅延のみが目的なのは明らか」として却下された。
 一方、「検察の取り調べに対し、阿佐被告を当日キャンプ場で見たと話したのはうそだった」とするキャンプ場の管理人の話を弁護士が聞き取った書類や、阿佐被告の主張をまとめた書類などは採用された。
 4月2日の最終弁論で弁護側は、前回公判で証拠採用されたキャンプ場の管理人の陳述書を挙げ、「検察の取り調べにうそをついていたとする管理人の話は信頼性が高く、管理人の供述に基づいた原判決は破たんしている」などと主張した。検察側は「管理人の供述には具体性がなく、不自然極まりない」と反論。前回公判で弁護側から証拠提出された阿佐被告の陳述書についても「虚偽の弁解を蒸し返しているだけ」とし、「控訴には理由がない」と主張した。
 判決で中川裁判長は、2人殺害については共犯者の供述の信用性を認め、阿佐被告側の主張を退けた。傷害致死についても「阿佐被告の暴行が死亡の唯一の原因」と認定した。そして「被告にアリバイがあるとする長女らの証言には裏付けがない。殺人への関与を一切否定しようとする被告の供述は到底、信用できない」と述べた。弁護側は判決前に「元管理人の証人尋問は事実認定に必要不可欠」として弁論の再開を申請したが、退けられた。
 阿佐被告は身じろぎせずじっと聞き入っていたが、被告に不利な元社員らの証言を採用した部分に差し掛かると、「うそばっかりじゃないか」と声を荒らげ、退廷を命じられた。

 2011年12月20日の最高裁弁論で、弁護側は共犯とされる男性受刑者(懲役9年が確定)が「阿佐被告ではなく、病死した元暴力団組長が犯人だ」と新たに証言したことを明らかにし、殺人について無罪を主張した。受刑者は一審公判では阿佐被告が現場に来て2人を殺害したと証言していた。弁護側は、受刑者にはうそをつくメリットがなく、新証言は信用できると主張。阿佐被告には事件当日のアリバイもあり、無罪は明らかだと訴えた。
 検察側は、アリバイには客観的な裏付けがなく、一審公判での受刑者らの証言は信用できるとして上告棄却を求めた。新証言については改めて意見を述べるとした。
 検察側は改めて上告棄却を求める補充書を2012年4月27日付で最高裁に出し、5月8日付で弁論再開を請求した。最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は5月21日付で、検察、弁護人双方の意見を聞く弁論の再開を決定し、期日を10月16日に指定した。
 10月16日の最高裁弁論で最高裁は、弁護側が提出した男性受刑者の陳述書2点と、検察側が新たに取り調べた男性受刑者の供述調書1点の事実調べを行い、改めて結審した。
 判決で小法廷は「新供述は、提出の経緯や内容、検察官提出の供述調書などに照らすと、一審証言の信用性を左右しない」として、弁護人主張を退けた。そして「強固な殺意に基づき、自ら冷静に残忍な殺害に及んだ。共犯者の中で最も重い責任を負う」と述べた。
備 考
 2004年9月16日、甲府地裁は従業員2人を殺害した共犯者の元社員に対し懲役9年(殺人、逮捕監禁 求刑懲役15年)、逮捕監禁罪に問われた元従業員に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)、元労働者に懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)、関連会社の元従業員に懲役1年、執行猶予5年(懲役1年)。逮捕監禁と横領罪に問われた元従業員に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。判決理由で川島利夫裁判長は「会社の非人間的な体質から起こるべくして起きた事件」とし、「いずれの被告も阿佐被告の指示の下、従属的立場で犯行に関与した」と指摘した。5人はいずれも犯行を認めたため、犯行を否認している阿佐被告とは分離して公判が進められていた。いずれも一審で確定している。
現 在
 2014年8月4日、再審請求。
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氏 名
野崎浩
事件当時年齢
 40歳(1999年の事件当時)
犯行日時
 1999年4月22日/2008年4月3日
罪 状
 殺人、死体遺棄・損壊
事件名
 フィリピン女性2人殺人事件
事件概要
 野崎浩被告は1999年4月22日、横浜市神奈川区の当時の自宅マンションで、交際していたフィリピン国籍で埼玉県草加市に住む飲食店従業員の女性(当時27)の首を布団に押しつけて窒息死させた。

 野崎被告は出所後の2007年に台東区の飲食店に勤めるフィリピン国籍の従業員女性と知り合って交際し、12月に東京都港区のマンションで同居を始めた。女性は六本木の飲食店に移るとともに、同じ店に勤める親類女性2名とも同居した。家賃は4等分の予定であったが、野崎被告はすぐに家賃を支払わなくなり、女性とたびたび口論になっていた。
 2008年4月3日夕方、出勤しようとした女性(当時22)に声をかけたが無視された野崎被告は腹を立て、首を絞めて殺害。包丁などで遺体をバラバラにした。
 女性が出勤しないことを不審に思った親類女性が午後8時頃部屋に戻ると、肉片を抱えた野崎被告がいたため、女性は逃げ出した。野崎被告も遺体を抱えて逃げ出した。
 女性の通報で22時頃に駆けつけた捜査員は、紙袋に入った女性の肉片を発見。野崎被告を手配した。
 野崎被告はバラバラにした肉片十数個をスーツケースに詰めJR浜松駅前にあるビルのコインロッカーに隠すとともに、残りの遺体の肉片を近くの運河から投棄した。
 野崎被告は6日夜、埼玉県川口市内の路上で手首を切って自殺を図ったが軽傷だったため、自ら119番通報。駆け付けた救急隊員に「ロッカーに遺体が入っている」というメモを手渡した。持っていたメモに基づき捜査本部は7日未明、コインロッカーのスーツケースが見つけたため、野崎被告を死体損壊容疑で逮捕した。4月11日、野崎被告の供述に基づき捜査本部は近くの運河から未発見の頭など7ヶ所の部位を発見した。4月26日、供述に基づき遺体の内蔵などが栃木県那須町のホテル跡地の生活排水処理槽内で発見された。4月28日、捜査本部は野崎被告を殺人容疑で再逮捕した。
 さらに警視庁は1999年の事件についても追及し、野崎被告は殺害を自供。供述に従って横浜市内の運河から多数の骨片が発見された。10月8日、警視庁と埼玉県の合同捜査本部は野崎被告を1999年の事件における殺人容疑で再逮捕した。
一 審
 2009年12月16日 東京地裁 登石郁朗裁判長 無期懲役+懲役14年
控訴審
 2010年10月8日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑+懲役14年判決
上告審
 2012年12月14日 最高裁第二小法廷 小貫芳信裁判長 上告棄却 死刑+懲役14年確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 横浜の事件を巡り死体損壊・遺棄罪で2000年に実刑判決が確定していることから、複数の罪を合わせて刑を科す「併合罪」は適用できず、事件ごとに起訴された。

 2009年7月23日の初公判で、野崎被告は「(起訴状の内容に)異議を申し上げることはありません」と起訴事実を全面的に認めた。しかし弁護人は1999年の事件について「被告は早く極刑になりたいと願って虚偽の自白をしている。客観証拠や(供述に)秘密の暴露がない」と殺人について無罪を主張した。
 7月30日の第3回公判で、野崎被告は1999年の事件について「殺害した覚えはない」と一転して起訴内容を否認、「朝起きたら亡くなっていた」と述べた。
 9月29日の論告求刑で検察側は2008年の殺人と死体遺棄などについて「2度も交際相手を殺害し遺体を切り刻んで捨てており、9年前の事件の経験を生かして同様の犯行に及んだのは、悪質で非人間的。犯罪性向は根深く、矯正の余地はない」とした。そして1999年の殺人で無期懲役、2008年の殺人、死体損壊・遺棄事件で死刑を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は最終弁論で「横浜の事件(1999年)は、殺害する動機も証拠もない。密室で起こった事件であり、(犯行を認めた)野崎被告の自白に犯人しか知り得ない内容もない。被告の自白に信ぴょう性がなく無罪。台場の事件(2008年)は長期の懲役刑が相当」と主張した。
 最終意見陳述で野崎被告は「すべての事件について罪を認める。うそ偽りはない」と2女性の殺害を認めた。
 登石裁判長は1999年の事件について「自白は具体的で、被告の車から人骨が発見されるなど補強証拠もある」と弁護側の無罪主張を退けた。両事件の動機については「交際女性に利用されていると思い込み憎悪を募らせた」と述べた。そしていずれも「冷酷で残忍な犯行で刑事責任は重大だ。死刑求刑も理解できる」と述べた。しかし2008年の女性殺害事件について、被害者が1人で死刑が確定したほかの事件と比べ「殺害手段が殊更に残虐で執拗とはいえず、利欲的背景もうかがえない」と指摘。「2度にわたって殺人、死体損壊・遺棄の罪を犯し、犯罪性向があることは否定できない」と非難する一方、かつて否認していた99年の殺人について捜査段階で詳細に供述するなど心情の変化が見受けられるとして、「2度にわたり殺人を犯したが、矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない」とし、2008年の事件について無期懲役(求刑死刑)、1999年の事件について懲役14年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。
 刑事訴訟法は二つ以上の刑を執行する場合、重い方を先に執行すると定めており、このケースでは無期懲役刑の執行が優先される。 ただ、10年以上の有期懲役は、確定から15年を経過すると執行できなくなるという規定がある。このため、法務省刑事局では「無期懲役刑の仮出所が可能になる10年を経過した段階で、一度、無期懲役刑を停止して懲役14年の執行を開始し、その刑期が終了した後、無期懲役刑を再執行する可能性が高い」と話している。

 検察側と弁護側の双方が、量刑不当を理由に控訴した。
 長岡裁判長は自白について、「自己満足を得るためにしたことで、真摯に罪と向き合う姿勢と評価することはできない」とし、「被告の反省や矯正の可能性が死刑回避に足り得ないとする検察側の主張は採用できる」と断じた。そして2008年の事件について、「殺人と死体損壊、遺棄を一連の行為として評価すべきだ」と指摘。「仮釈放後、5年8カ月で再び事件を起こした点を一審は著しく軽く評価している。強固な犯罪傾向が認められ、反社会性が著しい。他の死刑確定事案と比較すると、刑のバランスや犯罪予防の見地からも死刑をもって臨むしかない」と述べた。

 2012年11月16日の上告審弁論で、弁護人が死刑回避、検察側は上告棄却を求めて結審した。
 小法廷は「動機に酌量の余地はなく、一連の犯行は態様においても悪質極まりない」と指摘。「死体損壊・遺棄罪の服役で、反省、悔悟する機会を与えられたにも関わらず、類似の犯行を敢行した。刑事責任は誠に重大」として、死刑判断を是認した。
備 考
 元コンサルタント会社役員だった野崎浩被告は1999年4月22日の女性殺害後、遺体をカッターナイフ等でバラバラにし、横浜市内のビルのトイレなど数ヶ所に捨てた。
 野崎被告は都内のレンタカー会社から車を借り、料金を支払わず、約4ヶ月間にわたって車を使ったとして1999年9月に横領容疑で逮捕された。その取り調べで「女性が死亡したので、扱いに困って捨てた」などと供述。草加署が裏付け捜査したところ、東京都台東区内にある同被告の実家から女性の歯と髪の毛が見つかったため、2000年1月20日、死体遺棄・損壊容疑で逮捕した。
 野崎被告は殺人について否認。他の遺体がほとんど発見されなかったことから死因を特定することができなかったため、殺人容疑を立証することできず、検察側は死体遺棄・損壊容疑で起訴した。
 2000年4月14日、浦和地裁は懲役3年6月(求刑懲役5年)を言い渡し、後に確定。野崎被告は服役していた。
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