死刑確定囚(2007年)



※2007年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
西本正二郎
事件当時年齢
 27歳(逮捕当時)
犯行日時
 2004年1月13日〜9月7日
罪 状
 強盗殺人、窃盗、住居侵入、銃砲刀剣類所持等取締法違反他
事件名
 長野・愛知連続4人強盗殺人事件
事件概要
 長野県出身の元土木会社員西本正二郎被告は、以下の事件を起こした。
(1)2004年1月13日午後10時ごろ、JR名古屋駅近くで男性(当時59)のタクシーに乗車。春日井市内の路上で停車させ、同10時40分ごろ、男性の首をナイフで切るなどして殺害。売上金など約18000円を奪い、タクシー料金4860円を支払わなかった。遺体は14日に発見された。
(2)4月26日夜、長野県飯田市に住む女性(当時77)の自宅を訪れ、ロープで首を絞めて殺害し、古い紙幣などが入った金属製の小箱を奪った。遺体は27日夕方、夕食を届けに来た長女によって発見された。
(3)8月10日夜、長野県高森町で男性(当時69)宅を訪れ、「すいません」と声をかけ、応対した男性をいきなりナイフで刺して殺害。財布などを奪い、勝手口の鍵をかけて逃走した。奪った26万円はレンタカー延滞料金の返済に充てている。遺体は14日、訪れた弟ら3人によって発見された。
(4)9月7日午後7時20分ごろ、高森町に住むパート従業員の女性(当時74)方の玄関で、応対に出た女性に対し、殺意を持っていきなり持っていたナイフで胸を突き刺した。女性を失血死させたうえで、財布や現金約6000円などが入ったセカンドバッグを奪った。遺体は8日正午過ぎ、訪れた長女によって発見された。この女性の家には8月6日にも盗み目的で忍び込んだが未遂に終わり、翌7日に町内の別荘でカラーテレビなどを盗んでいる。
(5)2003年9月23日、以前住んでいた飯田市内のアパートの隣室へ忍び込み、約1020万円を盗んだ。
(6)他に長野県飯田市などで10件前後の窃盗事件を繰り返していた。これは起訴されていない。
 (2)〜(4)の被害者3人はいずれも一人暮らしで、高盛町の男女の家は1.5kmしか離れていない。また飯田市の女性宅も高森町から数kmの距離にあった。
 西本被告は消費者金融に約200万円の借金をしていた。腰を痛めて数年前に土木会社を退社。一年前から生活費にも困り、自分の乗用車の中に寝泊まりし、2日に一度しか食事ができない状況だった。
 西本被告は(2)事件の後、2003年3月に借りたレンタカーの会社から延滞料金返済の相談があったことから捜査線上に浮かび、飯田署で任意で事情を聴かれたが、「名古屋に行っていた」などとアリバイを供述するなどし、逮捕に至らなかった。
 西本被告は9月13日夕方、長野県飯田市内の元同僚(当時56)宅に忍び込んで物色したとして、県警飯田署に住居侵入と窃盗未遂の疑いで逮捕された。その後の調べで、(4)の事件を自供、9月17日に再逮捕された。
一 審
 2006年5月17日 長野地裁 土屋靖之裁判長 死刑判決
控訴審
 2007年1月11日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 西本被告は一件の事件で奪った現金の金額は起訴状より多いと訴えたが、他の起訴事実は全て認めている。
 弁護人は父親から暴力を受けるなどした生い立ちが犯行に影響したとして、被告の情状鑑定を地裁に請求した。検察側は、被告の生い立ちについて「特異な成育歴とは言えない」と反論。長野地裁は情状鑑定請求を却下した。
 最終弁論で弁護側は、西本被告の家庭環境や生い立ちなどについて触れ、「暴力のある家庭で両親の愛情なく育った西本被告は、どんなことでも自分で解決しようとするようになったが、責任を持って対処することはできず、正当な方向に進むことなく罪を重ねた」と指摘。また「被告は強盗や窃盗ではなくなぜ強盗殺人で金を手に入れるようになったのかはわからない」と述べた。また4人の殺害を自供したことが自首にあたるとし、「寛大な処分」を求めていた。
 検察側の死刑の求刑に対しては「死刑は憲法36条の残虐な刑罰の禁止などに違反している」と述べた。その上で「被害者遺族の気持ちは重々承知しているつもりだが、西本被告は被害者の冥福を祈り罪を一生背負って生きていくべき」と主張した。
 最終意見陳述に立った西本被告は「被害者や遺族の人には申し訳ないと思っている。自分には死刑という判決が適していると思う。死を持って償いたい」と述べた。
 土屋裁判長は、愛知県の事件は自首と認めたが、長野県の3件の事件については退け「重大性と悪質性をかんがみると刑を軽減するのは相当ではない」とした。幼少期に父親に虐待された経験が犯行の背景にあるとして弁護側が求めた情状酌量についても「被告人の刑事責任はあまりにも重大で極刑は免れない」と述べた。判決理由では「被告人は確定的殺意を持って犯行に及び、その態様は冷酷かつ残忍で被害者遺族の処罰感情が峻烈で、財産的被害も甚大。何ら落ち度のない被害者4人の生命を奪うなど被告の刑事責任は誠に重大を言わざるを得ない」と述べた。

 西本被告は明らかにしたいことがあると控訴。2006年10月11日の控訴審初公判で西本被告は、4件の殺人事件の前に殺人事件を起こしたと述べた。
 25日の第2回公判で西本被告は、「2003年4、5月ごろの日中、福島市内あたりをレンタカーで走っていた際、女性をひいた。軽傷だったが『警察に連絡する』と言ったので(窃盗など)以前の犯罪が発覚すると思い殺害した」と供述。西本被告は同年3月22日から3日間の契約で、飯田市でレンタカーを借り、その後、料金を滞納したまま車内で寝泊まりしており、車内にあったロープで後ろから女性の首を絞めたという。女性の年齢や服装には触れなかった。
 また、遺体を山中に捨てた際、検問中の警察官に「地元の人も来ない場所なのに何をしてるのか」と質問され、旅行者を装い「いろいろな県をぶらぶらしてます」と答えて通してもらったと証言。その後、女性についての報道がなく「福島の件が発覚しなかったので、自分がよく行く愛知で事件を犯しても分からないと思った」などと述べた。
 控訴審で供述した理由を「4件と違い、その場の感情で殺してしまった。自分でも納得できず、ずっと言えなかった。控訴したのは真実をすべて話すことが償いになると思ったから。(一審の)死刑判決には不服はない」と述べた。
 福島県警は裏付け捜査に延べ1000人以上を投入したが遺体は見つからなかった。11月20日夜、西本被告は女性殺害は嘘だったと供述した。
 11月29日の第3回公判で、西本被告は改めて「別の殺人」は虚偽であったことを認め、謝罪した。この日で公判は結審し、判決が2007年1月22日に言い渡される予定だった。
 2007年1月11日、西本被告は控訴を取り下げた。翌日、弁護人は西本被告と面会した上で、取り下げの有効性を争う申し立てを行わないことを明らかにした。
備 考
 (2)の事件で、被害者の長女(当時51)が犯人扱いをされたと抗議。6月から7月ごろまで週1回、長い時は朝9時から深夜0時ごろまで同署で事情聴取を受け、アリバイをしつこく聞かれた。6月には、ポリグラフ(うそ発見器)にかけられた。針は動かなかったが、捜査員から「無意識に殺したんじゃないか」などと言われた。また長女夫婦によると、同月中旬、長女の娘(当時28)が捜査員に隣の高森町の駐在所に連れていかれた。駐在所の入り口には鍵がかけられ、ブラインドも閉められた。その中で、捜査員1人から約2時間にわたって、「お母さんに自首を勧めてくれ」「自首をすれば母親の刑を軽くしてやる」などと言われた。最後に捜査員から「今日ここに来て、こういう話をされたことは絶対に言うな」とも言われた。長女は度重なる事情聴取の心労から体調を崩した。10月12日、県警飯田署署長が長女方を訪問、長女と家族に謝罪した。
 長野県での死刑判決は、49年ぶり。
執 行
 2009年1月29日 32歳没
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氏 名
松本和弘/松本昭弘/下浦栄一
事件当時年齢
 松本和宏・昭弘40歳、下浦23歳
犯行日時
 1994年12月〜1996年5月
罪 状
 松本和宏被告:強盗殺人、死体遺棄、窃盗、有印私文書偽造、詐欺、殺人、詐欺未遂
 松本昭弘被告:強盗殺人、死体遺棄、恐喝、窃盗、有印私文書偽造、詐欺、殺人、詐欺未遂
 下浦被告:強盗殺人、窃盗、有印私文書偽造、詐欺、殺人
事件名
 マニラ連続保険金殺人事件他
事件概要
 多額の債務を抱えていた宮崎県清武町の元保険外交員東榎田加代子被告(求刑通り無期懲役判決が2002年12月に最高裁で確定)は、生命保険金目当てに前夫(当時43)殺害を計画。榎田被告は宮崎市の会社役員(殺人などで懲役12年確定)に殺害を依頼した。会社役員は東京都豊島区の元会社員(殺人で懲役8年確定)を介し、双子の兄弟で輸入商の松本昭弘、無職・和宏被告と無職下浦栄一被告に殺害を指示。1994年12月1日、フィリピン・マニラ市で松本和宏被告が前夫に睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて眠らせ、昭弘被告と下浦被告が顔に食品包装用ラップフィルムをかぶせるなどして窒息死させた。加代子被告は1995年2月までに、保険金総額7293万円をだまし取り、松本被告らは報酬として計1350万円を受け取った。
 1995年6月、松本昭弘、和宏被告と下浦栄一被告は知人の貿易商手伝い(当時47)に3000万円の海外旅行傷害保険に加入させ、マニラ市内で保険金目当てに殺害した。保険会社が支払いを留保したため、保険金の受け取りには失敗した。
 さらに96年6月、松本昭弘被告、下浦被告は航空券の予約を巡りトラブルとなった愛知県尾西市の旅行会社社員(当時24)を拉致し、クレジットカードなどを奪って殺害、遺体を長野県内の別荘地に埋めた。
一 審
 2002年1月30日 名古屋地裁一宮支部 丹羽日出夫裁判長 死刑判決
控訴審
 2003年7月8日 名古屋高裁 小出☆一裁判長(☆は金ヘンに享) 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年1月30日 最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 3被告側は一審公判で、「どんな判決でも受け入れる」と反省の態度を示していたが、丹羽裁判長は「もはや人格矯正の余地はない」と切り捨て、「人の命を自分の金銭欲のえじきとしか見ていない残虐非道な犯行で、刑事責任は極めて重大」など断じた。

 控訴審で被告側はマニラの2事件について「被害者は病死であり、顔にラップをかぶせた行為と死因の因果関係はない。保険金目的に殺害したのではない」などと訴えた。小出裁判長はマニラ2事件の被害者の死因について「窒息死であることは明らかで殺害行為との因果関係は優に認められる」と示し「殺害後に被害者の保険契約書を持ち出すなど保険金目的の殺人は明らか」と述べた。
 また、一審の死刑判決を量刑不当とする3被告の訴えに対し、下浦被告について「(事件への)加担は従属的で矯正可能性のあることは否定できない」と述べたが「3人の殺害を自ら実行しており極刑はやむを得ない」とした。

 上告審弁論で被告側はマニラの2事件について、被害者は病死であり、殺人未遂罪しか成立しないと主張した。
 判決理由で、上田裁判長は昭弘被告について「わずか1年半の間に3件の殺人に関与した」と認定。下浦被告ついては「殺害の主要な役割を担った」、和弘被告については「2件の保険金殺人を主導した」とそれぞれ指摘した。そして犯行態様は冷酷、非情であり、死亡後は病死したように偽装工作を施すなど狡猾でもある」と断罪した。
備 考
 松本昭弘・和弘死刑囚は双子の兄弟。兄弟に死刑判決は44年ぶり。榎田被告は無罪を主張していた。
現 在
 松本和弘死刑囚は2000年2月、右目の異常を訴え、名古屋拘置所が委託している眼科医の診察を受けた。持病の糖尿病が原因で、失明する恐れがある目の疾患「糖尿病網膜症」と診断されたが、拘置所側は専門病院に転院させるなどの措置を取らなかった。点眼治療をしたものの視力が低下したり、両目から出血したりするなど症状は悪化。同年7月に名古屋市内の病院で手術を受けたが、右目は失明し、左目の視力も0.1程度に低下した。松本死刑囚は2005年8月、眼科医が糖尿病網膜症と診断した時点で、拘置所側が専門病院に転院させた上、手術するなど適切な治療を行う安全配慮義務があったとして国に1100万円の損害賠償を求め、名古屋地裁に提訴した。国側は「医師は適切な処置を行った。手術が必要だという医学的根拠もない」などと全面的に争っていたが、名古屋地裁の選任する鑑定人が、「拘置所が委託している眼科医の処置に問題があった」などとする鑑定結果を提出し、同地裁が2009年3月、和解を勧告した。5月27日、名古屋地裁(寺本明広裁判官)で開かれた和解協議で、国が解決金400万円を支払うことで和解が成立した。
 2008?年、再審請求(3人ともか、1人かは不明)。下浦栄一死刑囚は2008年11月25日、再審請求。2011年現在、松本昭弘死刑囚は再審請求中。
その後
 松本昭弘死刑囚は2016年1月22日午前7時30分過ぎ、肺炎のため八王子医療刑務所で死亡した。61歳没。松本死刑囚は今月に入って体調を崩し、八王子医療刑務所で治療を受けていた。
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氏 名
松田康敏
事件当時年齢
 33歳
犯行日時
 2001年11月25日〜12月7日
罪 状
 住居侵入、強盗殺人、窃盗、占有離脱物横領、建造物侵入
事件名
 宮崎連続強盗殺人事件
事件概要
 無職松田康敏被告はパチンコやスナック通いで消費者金融会社に多額の借金があったため生活費に困り、2001年に以下の事件を起こした。
  • 11月20日、宮崎市内の民家に侵入し、現金約1万円が入った財布1個を奪った。
  • 11月25日午後3時頃、宮崎県西都市のスナック女性経営者(当時53)方に無施錠の台所窓から侵入。翌日午前0時頃、スナックから帰った女性を包丁で刺した後、首を絞めて殺害、現金37,000円が入った財布入りのバッグを奪った。松田被告は9年前に女性のスナックでアルバイトをしていた。
  • 11月29日から12月5日の間で、宮崎県の民家に侵入し、現金11,000円を盗んだ。
  • 11月29日から12月5日の間で、西都市内に置き去りになっていた時価1万円相当の自転車1台を盗んだ。
  • 11月29日から12月5日の間で、宮崎県の工務店現場事務所に侵入して、時価約6,000円相当の靴1足を盗んだ。
  • 11月29日から12月5日の間で、宮崎市内の民家に侵入し、インスタントラーメン等を盗んだ。
  • 12月7日午後、国富町の雑貨店女性経営者(当時82)方に侵入、女性の首を絞めて殺し現金約63万円とセカンドバッグを奪った。
 盗んだ金は遊興費に充てられた。12月11日、指名手配中のところを逮捕された。
一 審
 2003年1月24日 宮崎地裁 小松平内裁判長 死刑判決
控訴審
 2004年5月21日 福岡高裁宮崎支部 岡村稔裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
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上告審
 2007年2月6日 最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 一審弁護側は「計画的ではなく、劣悪な家庭環境が人格形成に悪影響を及ぼし、物事の認識能力も低い」として無期懲役を求めていた。
 小松裁判長は「被告は過去四回、窃盗罪などで実刑判決を受けたが何ら矯正されず、更生が極めて困難な状況にある」と指摘。「不遇な生育歴、被害者の遺族へ謝罪の手紙を出すなど真摯な態度などを最大限考慮しても、被告の罪は重大で、量刑均衡の見地などから極刑はやむを得ない」と述べた。

 控訴審でも弁護側は、松田被告が家庭環境に恵まれなかったことや、犯行当時、飢えと寒さで追いつめられていたことなどを訴え、減刑を求めていた。
 岡村裁判長は「短絡的かつ身勝手で、動機に酌量の余地はない。一審判決が重すぎて不当であるとはいえない」と述べた。

 最高裁弁論で弁護側は、「二件とも最初から殺害するつもりはなかった」などとして死刑回避を訴えた。
 最高裁は「わずか18日の間に、遊興費などを得る目的で2人を殺害した」と指摘。「凶器を持って侵入し、長時間被害者の帰宅を待ち伏せるなどした計画的な犯行で、強固な殺意が認められる」「犯行の動機や経緯に酌むべき事情は見いだし得ない」と述べた。
その後
 2009年、再審請求。その後棄却。支援弁護人が付いており、松田死刑囚自体は弁護人が第二次再審請求を提出したと思い込んでいたらしい。
執 行
 2012年3月29日 44歳没
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氏 名
篠沢一男
事件当時年齢
 49歳
犯行日時
 2000年6月11日
罪 状
 強盗殺人、現住建造物等放火
事件名
 宇都宮宝石店放火殺人事件
事件概要
 栃木県小山市の元・産業廃棄物処理仲介業、篠沢一男被告は愛人に金を貢ぎ、ブランド品を多数買うなど浪費し、仕事もなくなったため困窮し、消費者金融からの300万円以上の借金をするようになった。既に一度サラ金で300万円以上借金していたのを父親に返済してもらったことがあり、再び発覚すると家庭が崩壊すると思った。そのため、従業員が全て女性である宇都宮市の宝石店に目を付け、宝石を奪うことを計画した。
 2000年6月11日、商談を装って同店を訪れ、午後10時50分頃、女性店長(当時49)、女性店員(当時51、当時51、当時41、当時24、当時22)の計6人の手足に持参した粘着テープを巻き付けて一階奥の休憩室に押し込み、室内や店員に持参したガソリンをかけてライターで放火し殺害。鉄筋コンクリート作り4階建て建物の1階部分である休憩室及び店舗部分を全焼させ、指輪など293点(約1億4025万円相当)を奪った。
 捜査本部では、目撃者の証言などから篠沢一男被告を割り出し、12日午前11時半ごろ、現場近くの東武宇都宮駅に併設されたデパートの立体駐車場で発見、重要参考人として事情を聞いたところ犯行を認めたため、13日、強盗殺人と現住建造物等放火の疑いで逮捕した。
一 審
 2002年3月19日 宇都宮地裁 肥留間健一裁判長 死刑判決
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控訴審
 2003年4月23日 東京高裁 高橋省吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年2月20日 最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 篠沢一男被告は取り調べ段階では殺意を全面的に認めたものの、初公判以降は「脅迫のためにライターに点火したところ、意に反してガソリン蒸気に引火してしまい火災が発生した」と主張して殺意を否認した。
 一審判決で肥留間裁判長は、検察側と弁護側双方に争いのない事実(犯行当日、粘着テープで被害者の両手両足を縛った▽6人を休憩室に押し込めてガソリンをまいた▽店のシャッターを開けた上で再び休憩室に戻りライターに火をつけたことなど)を挙げ、「これらの客観的事実だけをみても、(被告が)『口封じ』のために被害者の殺害を企てたと考えるのは自然だ」と強調した。
 さらに、取り調べ段階での同被告の供述については、「被告人の行動の意味を自然な形で説明しており、信用性がある」と述べ、弁護側の「事件の際に負ったやけどの傷は深く、その状況での自白調書に任意性はない」との主張を退けた。篠沢被告の供述が二転三転した、ライターの着火姿勢に対しても、「(篠沢被告が供述した)地面とライターの距離は段々と離れてきており、被告は何らかの意図で供述を変遷させているといわざるをえない」と一蹴した。

 二審の被告人質問では、遺族に謝罪しながらも、「長い取り調べで、腹立ち紛れに(殺意を認める)調書に署名してしまった。裁判で説明すれば分かってもらえると思った」などと述べた。弁護側は「殺意はなく、脅すつもりで火をつけた」などと主張。放火と殺人の罪は成立せず、死刑は回避されるべきだと主張した。
 判決はまず、「口封じのため、殺すつもりで火をつけた」という捜査段階の供述調書を検討。「違法な取り調べがなされた事実はなく、任意性、信用性はある」と判断した。さらに被害者の手足を縛ってガソリンをまき、ライターで着火したという犯行態様からみて、両罪は認定できるとした。
 量刑については「一獲千金を狙う極めて自己中心的な動機に基づいた計画的な犯行。何の落ち度もない6人もの被害者が残虐な方法で殺害されたという結果は重大で、遺族も強く極刑を望んでいる」と述べた。

 最高裁の弁論で弁護側は、「被告は立ったままライターを付けたら爆発した。単に脅すつもりだった」と主張。放火と殺人の罪は成立しないと、死刑回避を求めた。検察側は「被害者の店員らとはみな顔見知りで、1人でも生存すれば直ちに指名手配される。初めから全員を焼き殺そうと決意していたことは明らかだ」「一獲千金を狙い、宝石を強奪し、口封じのために無抵抗の6人もの女性を殺害しており、極刑以外あり得ない」と上告棄却を求めた。
 判決理由で那須裁判長は「従業員全員の手足を縛り、ガソリンをまいてライターで点火し、現場を火の海にして店もろとも焼き殺した殺害の態様は、強固な殺意の下にガソリンによる放火という手段を選択、実行したもので、冷酷かつ残虐極まりない」と断罪。その上で「最愛の母、妻、あるいは娘を突然奪われた遺族らの処罰感情は非常に厳しい」と指摘した。そして「何の落ち度もない6人の生命を奪うなどした結果は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
備 考
 控訴審は第1回公判、1時間半の審理で結審(検察・弁護側同意のもと)となり、2ヶ月後に判決となった。
執 行
 2010年7月28日 59歳没
 執行には千葉景子法相が立ち会った。民主党政権下で初の死刑執行。
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氏 名
加納恵喜
事件当時年齢
 52歳
犯行日時
 2002年3月14日
罪 状
 強盗殺人、詐欺、窃盗
事件名
 名古屋市スナック経営者強殺事件
事件概要
 2002年3月14日午前3時頃、無職の武藤恵喜(旧姓)(ぶとう・けいき)被告は金に困って名古屋市内のスナックに押し入ったが、経営者の女性(当時61)と口論になり、自分の腕やマイクのコードで首を絞めて殺害。現金約8000円を奪った。
 その他、スナック等における無銭飲食10件及びその際犯した売上金の窃盗10件、その他の物品の窃盗2件の余罪がある。
一 審
 2003年5月15日 名古屋地裁 伊藤新一郎裁判長 無期懲役判決
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控訴審
 2004年2月6日 名古屋高裁 小出☆一裁判長(☆は金ヘンに享) 一審破棄 死刑判決
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上告審
 2007年3月22日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 2002年5月28日の初公判で、武藤被告は起訴事実を認めた。裁判の途中、被害者の事実婚の夫が傍聴席の柵から身を乗り出し、武藤被告の左頬を背後から殴りつけた。夫はたいていとなったが、後に不起訴となっている。
 武藤被告は裁判の途中から、「殺した後で金を奪うことを考えた」と言って、起訴事実である金目当ての強盗殺人を否定した。
 一審判決理由で伊藤裁判長は「被害者を確実に死亡させるため、腕で首を絞めた後にマイクのコードを使っており、執拗かつ残忍な犯行。遺族の処罰感情も厳しい」と指摘した。また武藤被告が途中から強盗殺人を否定する態度について、長野での一人目の殺人にも触れ「反省、悔悟の情に乏しい。再犯の可能性を否定しがたい。極刑も考えられる」と断罪した。
 死刑を選択しなかった理由として、当初は無銭飲食や窃盗目的で店に入ったことや、店にあったマイクのコードを使っていることを挙げ、計画性はなかったと認めた。また、「無銭飲食の上、店の売上金などを盗む目的で入り、被害者に出入り口扉の鍵を掛けられたことから心理的に追いつめられての犯行との一面を否定できない」などと死刑を回避し、「終生、贖罪に当たらせることが相当である」と述べた。

 死刑を求刑した検察側は「量刑が軽すぎる」と控訴。弁護側は、犯行に計画性はなく女性を静かにさせるためとっさに首を絞めたと主張。逮捕後には贖罪の気持ちを深めており、有期刑が適当として控訴した。
 小出裁判長は「偶発的犯行の面も否定できないが、そうした状況は悪事を働こうとしている者が自ら招いた。場合によっては抵抗する店の人を殺害する事態になることは予想できた」と指摘。さらに、被告が1983年に長野県諏訪市で旅館経営者の女性(当時64)の首を電気こたつのコードで絞めて殺害し、現金などを奪ったとして殺人などで懲役15年の判決を受けた点に触れ、「今回と類似する犯行で満期近く服役した後も無銭飲食や窃盗をする生活を続けてきた。起きるべくして起きた事件」とし、判決理由で「弁護側が主張する『反省している。計画的でなかった』などいう情状はいずれも死刑を回避する理由とならない」と述べた。

 最高裁の弁論で、弁護側は「被害者が1人の事件で死刑にするのは許されない」と主張。検察側は「刑事責任は誠に重い」と上告棄却を求めた。
 才口裁判長は「強固な殺意に基づく冷酷な犯行。死刑はやむを得ない」と述べた。「指紋をふき取り、被害者の衣服の一部を脱がせてわいせつ目的に見せ掛けるなどの偽装工作を行った」と指摘。加納被告が過去に、旅館の女性経営者を今回と同様の方法で殺害し、金品を盗むなどした罪で懲役15年に処せられて、服役した前科があることを指摘。「刑事責任は重大で、死刑とした二審の判断は、やむを得ないものとして是認せざるを得ない」と結論づけた。
備 考
 武藤恵喜被告は陸上自衛隊在勤中の1974年に盗みなどの罪を犯して以降、詐欺や盗みなどを繰り返し、度々、服役していた。1983年2月5日、宿泊していた諏訪市の旅館の客間で、テレビの映りが悪かったことなどから、経営者の女性(当時64)と口論になった。女性が靴べらで殴りかかったのに対し、加納死刑囚は左腕で女性の首を絞め、さらに電気コードを二重に巻き付けて絞殺。加納死刑囚は遺体を押し入れに隠し、居間から現金約2万円と預金通帳などを盗んだ。殺人などで懲役15年の判決を受けている。出所後も盗みなどで逮捕されていた。
 旧姓武藤。2004年に支援者夫婦の養子となり改姓。
その後
 2008年12月、恩赦出願。2010年9月、請求棄却。
 2010年9月、2度目の恩赦出願。2012年9月、棄却。
執 行
 2013年2月21日 62歳没
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氏 名
小林光弘
事件当時年齢
 42歳
犯行日時
 2001年5月8日
罪 状
 強盗殺人、同未遂、現住建造物等放火
事件名
 弘前武富士放火殺人事件
事件概要
 青森県のタクシー運転手小林光弘被告は、競輪などによる消費者金融からの借金約300万円の返済が迫っていたことから、2001年5月8日午前10時50分ごろ、弘前市の雑居ビル3階にあった「武富士」弘前支店で、持参した缶からガソリンをカウンター越しにまいて「金を出せ」などと脅し、応対した店長が拒否すると、紙にライターで火をつけてガソリンに放火した。
 火はすぐに店内に燃え広がり、従業員9人のうち5人が逃げ遅れて死亡した。店長ら4人は、近くの人がビルにかけたはしごを使うなどして脱出したが、いずれもやけどで重軽傷を負った。
 2002年3月4日、弘前署と県警の捜査本部が、浪岡町(当時)に住む小林光弘被告を逮捕した。
一 審
 2003年2月12日 青森地裁 山内昭善裁判長 死刑判決
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控訴審
 2004年2月19日 仙台高裁 松浦繁裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
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上告審
 2007年3月27日 最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 仙台拘置所
裁判焦点
 公判では、殺意の有無が争点となった。
 検察側は「ガソリンに火をつければ爆発的に燃焼することは社会常識であり、9人全員に対し殺意を持って火をつけたのは明らか」と主張。論告求刑公判で、「(借金返済を目的とした)動機は極めて不当かつ理不尽で、犯行も冷酷残忍。遺族らの被害感情は今なお深刻」とした。
 一方、小林被告は「決して人を殺すために押し入ったのではない」と殺意を否定。弁護側は「支店の入り口とは別に、常識的には従業員専用の入り口があると考えられ、そこから逃げられると思っていた」などと強盗致死罪の適用を主張し、無期懲役を求めていた。
 これに対し、山内裁判長はガソリンスタンドでの職歴などを挙げたうえで「狭い店舗内に混合油をまいて点火すれば、瞬時のうちに爆発的な燃焼を引き起こし、人間が死亡する可能性が高いことを被告が認識していなかったとは到底考えられない。被告が殺意を生じて放火に及んだことは明らか」と殺意を認定した。そして「競輪による借金返済などが動機で身勝手極まりなく、5人を焼死させるなどした罪責は限りなく重い」とし死刑を言い渡した。

 控訴審で弁護側は(1)9人のうち、別室にいた3人(うち2人死亡)の存在は知らなかった(2)他の従業員も支店長を除き放火前に避難したと思っていた――などと主張。「強盗目的で押し入り、火を放つ直前までは放火の意思さえなかった。支店長以外は外へ逃げたと思っていたので、支店長に対する傷害の故意にとどまる」などと強盗致傷と現住建造物等放火の適用による無期懲役への減刑を求めていた。弁護側は、控訴審で死亡した5人が助かる可能性があったとして、支店の窓などから救助された支店長ら4人の証人尋問、支店の焼損状況の鑑定などを行うよう請求。松浦裁判長は却下した。
 判決理由で松浦裁判長は「被告は狭い室内でガソリンに火をつければ、短時間に燃え上がり、従業員が焼死する蓋然性が高いことは認識できた」とし、小林被告が従業員が「逃げたと思った」と主張していることには「言い逃れにすぎない」と述べた。

 最高裁の弁論で弁護側は「混合油をまいたのは脅すためで、火を放ったのは(要求を無視した)支店長の想定外の行動に動転した結果」と再び殺意を否認し、控訴審の死刑判決の破棄と、審理の差し戻しを求めた。
 特に、応対した支店長以外の従業員については「逃げて脱出したと思っていた。視界には支店長しかいなかった」と、過失である点を強調。一一〇番通報の録音テープにある「おめだぢ」の声が、複数いたと認識していた証拠となっているが「おめだぢとは言っていない。この言葉の解析が不十分」とし、高裁で採用されなかった声紋鑑定も求めた。
 検察側は「被告人の供述は不自然、不合理で、各被害者に対する殺意は明らか」と指摘。さらに量刑不当とする弁護側の主張に「競輪にのめり込んで借金を重ね、返済に窮して及んだ犯行に、酌量すべき事情は皆無。結果の重大性と悲惨さから、死刑は当然」と述べた。
 最高裁は捜査段階の精神鑑定の結果から「精神障害はなく、完全責任能力があった」と認定した。、「逃げ道のない室内でガソリンに火をつけ、恐怖におののく被害者たちを殺害した凶悪で残虐な犯行だ」「身勝手極まりない犯行で、結果も極めて悲惨である。被告の刑事責任は極めて重大だ」と指摘した。上田裁判長は判決理由の中で「混合油を脅迫などの手段として用いる強盗に至った動機や経緯に酌量の余地はなく、支店長が被告の要求に応じなかったことに対する怒りと、強盗が失敗したことに対する自暴自棄の気持ちから、放火行為を実行した身勝手極まりない犯行」と指摘した。
備 考
 武富士は、死亡した従業員5人の遺族に1人当たり数千万円の和解金を支払った。遺族側は、同支店に非常口がなく避難器具も実際には使えなかった点や、防犯・防火マニュアルが不徹底で避難訓練も行われていなかったことを指摘、「雇用契約に基づく安全配慮義務を怠った」として、損害賠償を求める書面を武富士に送り、交渉していた。
その後
 2008年11月20日、再審請求。小林死刑囚は「殺意はなかった」として強盗致死傷罪の適用を求めている。青森地検は2010年1月、「死刑判決は正当で、請求には理由がない」とする意見書を地裁に提出している。2011年6月20日付で青森地裁は請求を棄却。2012年9月10日付で仙台高裁(飯渕進裁判長)は、即時抗告を棄却する決定をした。最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は12月26日付で、特別抗告を棄却した。
 2013年2月に第二次再審請求。2013年9月までに棄却確定。
 2013年9月10日付で第三次再審請求。2014年5月26日付で青森地裁は、請求を棄却した。小林死刑囚は27日、決定を不服として仙台高裁に即時抗告したが、仙台高裁(飯渕進裁判長)は2014年7月10日付で棄却した。小林死刑囚は12日付で特別抗告した。最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は2014年8月6日付で特別抗告を棄却した。
執 行
 2014年8月29日 56歳没
 第四次再審請求準備中で、請求の選任を受けていた弁護士が9月2日に接見予定だったという。
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氏 名
西山省三
事件当時年齢
 39歳
犯行日時
 1992年3月29日
罪 状
 有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人
事件名
 福山市強盗殺人事件
事件概要
 ワックス販売業西山省三被告は強盗殺人罪で無期懲役刑を受け仮出所中だったが、パチンコ等で重ねた借金の返済に困り、知人の男(一・二審無期懲役判決が確定)と共謀し、顔見知りで一人暮らしの三原市に住む無職女性(当時87)を殺害して金品を奪おうと計画。女性宅を訪問してドライブに誘い、3月29日午後2時ごろ、広島県福山市の山中で女性を降ろし、石で頭を殴った上、ひもで首を絞めるなどして殺した。さらに女性のバッグから現金3000円と預金通帳などを奪った。その後、銀行と郵便局から計31万5千円をおろした。
一 審
 1994年9月30日 広島地裁 小西秀宣裁判長 無期懲役判決
控訴審
 1997年2月4日 広島高裁 荒木恒平裁判長 検察、被告側控訴棄却 無期懲役判決
上告審
 1999年12月10日 最高裁第二小法廷 河合伸一裁判長 二審判決破棄 高裁差し戻し
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差戻二審
 2004年4月23日 広島高裁 久保真人裁判長 一審判決破棄 死刑判決
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上告審
 2007年4月10日 最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 広島拘置所
裁判焦点
 犯行時は仮出所中だったため、一審で検察側は西山省三被告に死刑を求刑。広島地裁小西裁判長は「死刑は最も厳しい科刑であって、あらゆる面からみて、他の科刑をもってしては不十分であり、死刑を選択するほかないという場合にのみ科せられるべきものである。本件では計画性が低い、強盗殺人を進んで自供した、服役態度は真面目だった、改善更生の余地が残っている、犯行の悪質さが低いことを考慮。仮出所の取り消しによる服役10年以上と本件で20年以上と合計30年以上の服役となるため、贖罪を科すには十分である」と無期懲役判決を下した。

 検察側は地裁の30年量刑論について「裁判所の権限逸脱。仮出獄を許さない終身刑を定めなかった現行刑法の趣旨に反する」などと控訴した。
 判決で荒木裁判長は「一審判決は(終身刑のない)現行刑法を踏まえた上で、無期懲役を再度選択した場合の服役期間について検討しているのであって、現行刑法の趣旨に反するとはいえない」と判断。「仮出獄中に強盗殺人の罪を犯した場合、仮出獄させるには、より多くの服役を余儀なくされるであろうとうかがわれる」とした。荒木裁判長は一審の量刑論を容認したうえで「極刑にするにはやむを得ない理由が必要だが、西山被告は犯行を素直に認めるなど情状酌量の余地がある」と述べて一審判決を支持した。

 広島高検は量刑不当として最高裁に上告した。「2度までも計画的な強盗殺人を犯した被告に対し、特別の理由もなしに、死刑でなく無期懲役を科すのは、判例に違反するのみならず、国民の健全な正義感に著しく背くと思われるので、その是正を図るため」とした。
 1999年11月15日の口頭弁論で、検察側は「死刑にするかどうかの判断に当たっては犯行自体の悪質さが主眼となるべきで、反省や更生の可能性は重視すべきでない。西山被告の行為が死刑にならなければ国民の正義感情にそぐわない」と指摘。「なお一片の人間性が残っている」とした一、二審の判断を批判した。弁護側は「犯行後の情状を軽視すべき理由はない。刑罰の主な目的は教育、改善であり、二審は妥当」と上告棄却を求めた。
 最高裁は検察官の上告趣旨は実質量刑不当の主張で、上告理由に当たらないとしたが、判決理由で「冷酷、残虐な行為であり、別の強盗殺人による無期懲役とされ仮出所中に類似の犯行に及んだ点は非常に悪質。殺害被害者は一人だが、特に酌量すべき事情がない限り死刑はやむを得ない」とした上で、一、二審が酌んだ情状について「死刑回避の理由として不十分で量刑判断を誤った。破棄しなければ著しく正義に反する」と指摘した。
 判決は永山死刑囚の上告審判決で示された死刑適用基準に従い、動機、内容、前科などを検討。「前回の強盗殺人も今回も顔見知りの女性の好意につけ込んでおり、顕著な類似性がある。被告の犯罪性は到底軽視できない」と強調した。さらに「パチンコでの借金に困って安易に犯行に至り、同情する点がない。殺害方法も、首をひもで力いっぱい絞め、遺体を山中のがけに放置するなど冷酷、残虐」とした。
 その上で一、二審の「犯行の計画性、殺害方法の残虐性とも低い。被告の態度からは更生の余地がないとはいえない」との死刑回避理由を覆し「首を絞めるひもを買い、強度を増すため束ねて準備した。共犯者が自首しようとするのを思いとどまらせたり、まじめに仕事をせずパチンコに熱中する生活を続けるなど、事件後の情状も悪い。遺族に謝罪の手だても取っていない」と指摘した。

 差戻二審で久保裁判長は「前回の犯行と顕著な類似性がある。遺体をがけに落とすなどの隠ぺい工作もしており、犯情は前回以上に悪質」と指摘。差し戻し審での情状鑑定で判明した人格障害にも言及し「犯罪性の矯正が不可能と断定はできないものの、著しく困難と考えられる。本件の被害者は一人だが、罪責は誠に重大で極刑を選択するほかない」と結論づけた。

 最高裁の弁論で弁護側は「被告の人格障害に視点を置いた事実認定が必要で、死刑は重い」「計画性はなく、死刑は重過ぎる」と述べ、死刑判決の破棄を求めた。一方、検察側は「類似性のある強盗殺人事件を2度にわたり引き起こしており、更生は事実上不可能」と指摘し、西山被告側の上告棄却を求めた。
 判決で最高裁は、「仮釈放後2年余の事件で、被告の反社会性、犯罪性は顕著。刑事責任は極めて重い」と述べた。「パチンコに熱中し、金融業者から借金を重ね、返済に窮して犯行に及んでおり、動機に酌量すべき点はまったくない」と指摘。被告が事件の全般にわたって主導的役割を果たしたと述べた。
備 考
 西山被告は競輪や競艇による借金の返済に困り1973年10月25日、山口県内で主婦を殺害し、現金約5万円を奪った。12月に出頭、逮捕。1974年、一・二審で無期懲役判決を受けて服役、1989年7月に仮出所していた。
 検察側上告を最高裁が受け入れ、二審を破棄したのは連続射殺事件の永山則夫死刑囚の上告審判決(1983年)以来で、一、二審とも無期だったケースでは戦後初。
 上告審判決に対する訂正申し立て棄却の決定は2007年5月7日であるため、確定順位は造田博死刑確定囚より後になる。
その後
 2008年11月11日、広島拘置所が職員の立ち会いなしでの接見を認めなかったのは違法として、西山省三死刑囚と弁護士2人が、計330万円の国家賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。弁護団によると、今年5月、原告の弁護士2人は依頼を受け、再審準備の打ち合わせのために接見を行った。職員立会なしの接見を広島拘置所に申し入れたが拒否された。7、8月の接見の際も同様だった。原告側は立会人がいることで打ち合わせが妨害され、再審請求ができないでいると主張。刑事訴訟法では「被告人は弁護人と立会人なしに接見できる」とあり、「死刑確定者も被告人に準ずる立場。刑事裁判の被告同様、再審請求のための死刑囚と弁護人の接見にも刑事訴訟法の秘密交通権が保障されるべきだ」だと訴えている。
 法務省矯正局によると、死刑囚と弁護人が拘置所で接見する際の立ち会いについては、受刑者処遇法で「職員が立ち会うが、正当な利益の保護のため立ち会いなしを適当とする事情があればその限りでない」などと規定。拘置所長たちがこうした規定などに基づき個別に判断している。
 2011年3月23日、広島地裁は国側に33万円の支払いを命じた。野々上友之裁判長は判決理由で秘密交通権の侵害は認めなかったが、「再審準備のためには弁護人が立ち会いなしで接見する必要がある。自殺や逃亡の恐れはなく、制限は違法」と述べた。1回目の面会時の拒否は、希望を事前に把握するのは困難だったとして認めたが、後の2回では十分な検討時間があったと指摘し、職員を立ち会わせた拘置所長の判断を「社会通念に照らし著しく妥当性を欠き、違法」と判断した。原告側弁護団によると、再審準備段階で接見に職員を立ち会わせたことを違法と認めた判決は初めて。
 2012年1月27日、広島高裁は面会全3回についての違法性を認めて一審広島地裁判決を変更、国に54万円の支払いを命じた。小林正明裁判長は「特別な事情が認められない限り、立会人なしでの接見は死刑囚の正当な利益」との判断を示した。
 2013年12月10日、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は、「再審請求の打ち合わせの場合、特段の事情がない限り、職員を立ち会わせることはできない。再審請求前でも死刑囚と弁護士には秘密に面会する利益がある」との初判断を示し、国の上告を棄却する判決を言い渡した。二審広島高裁判決が確定した。5人の裁判官全員一致の結論。
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現 在
 2014年2月、広島高裁に再審請求。

 2015年3月5日、西山省三死刑囚と弁護士2人は、再審請求のための面会時に広島拘置所の職員が立ち会ったのは違法だと、国に計330万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。訴状によると2014年11月13日、西山死刑囚と弁護士が再審準備のため精神科医の同席で面会した際、広島拘置所に、面会立会人なし▽時間制限を設けない▽弁護士のICレコーダー使用−−を求めた。拘置所がいずれも拒否したため具体的な打ち合わせができず、「秘密交通権」が侵害されたと主張している。
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氏 名
造田博
事件当時年齢
 23歳
犯行日時
 1999年9月8日
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、傷害、暴行
事件名
 池袋通り魔殺人事件
事件概要
 東京都足立区の新聞配達員、造田博(23)被告は1999年9月8日午前11時35分頃、豊島区東池袋の路上で、主婦Sさん(当時66)と同Tさん(同29)を包丁で刺殺。Sさんの夫や高校生ら8人も金づちで殴ったり、包丁で切りつけたりして、6人に重軽傷を負わせた。造田被告は池袋駅前まで逃げたが、通行人と格闘となり、路上に倒れると5、6人の男に押さえ込まれ、駆けつけた池袋署員らに取り押さえられ現行犯逮捕された。
一 審
 2002年1月18日 東京地裁 大野市太郎裁判長 死刑判決
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控訴審
 2003年9月29日 東京高裁 原田国男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年4月19日 最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 一審で造田被告は起訴事実を全面的に認め、事件当時の刑事責任能力の有無が争点になった。
 検察側による起訴前の簡易鑑定や、専門家による精神鑑定も「責任能力に問題はない」との結論だった。
 これに対し、弁護側は(1)通行人を無差別に襲った動機が不可解(2)数年前から外務省などに意味不明の手紙を送っていた――ことなどを挙げ、「精神分裂病による妄想の影響下にあった」と主張していた。
 判決は、犯行前の対人関係に大きな問題がなかった▽凶器の購入など合理的な準備をしている▽犯行途中に先端が欠けた包丁を捨てるなど冷静な行動を取った――ことなどを指摘し、心神喪失か心神耗弱の状態だったとする弁護側の主張を退けた。動機についても、「自分のように努力している者が評価されないとの不満を抱いていたところ、無言電話が引き金になり、社会に反発心を募らせて犯行を決意した」と、検察側の主張に沿った認定をした。

 二審でも起訴事実に争いはなく、争点は造田被告の事件時の責任能力の有無だった。
 弁護側は、二審で提出した精神科医の意見書や、事件前年に無計画に渡米するなどの不可解な被告の言動から、「被告は統合失調症による妄想で事件を起こした。責任能力がなく無罪か、刑が軽減されるべきだ」と主張した。責任能力については、検察側の起訴前の簡易鑑定や、一審での専門家による精神鑑定はいずれも「責任能力はある」とした。二審で弁護側は再度の精神鑑定を申請したが、認められなかった。
 原田裁判長は一審と同様に完全責任能力を認めたうえで、「ほかに類を見ない凶悪な犯行で、被害者らの恐怖は計り知れない。重大で深刻な結果を生んだ」と指摘した。

 最高裁の弁論で弁護側は「事件当時、判断能力がない心神喪失状態だった。刑事責任能力はなく無罪」などと主張した。検察側は「被害者や遺族の処罰感情は厳しい」として上告棄却を求めた。
 判決で横尾和子裁判長は被告は日本社会に対する不満を抱いていたが、いたずら電話をきっかけに、うっ積した感情を爆発させた」と指摘。「犯行態様は冷酷、非情、残忍で、被害者には何一つ落ち度がなく、無差別の通り魔事件として社会に与えた衝撃も大きい」と断じた。そして「目についた通行人を手当たり次第に襲った犯行は極めて悪質。何ら落ち度のない被害者2人の命を奪った結果も重大だ」「遺族の処罰感情も峻烈で、死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 判決訂正を申し立てしなかったため、死刑判決が確定したのは2007年5月2日。確定順位は西山省三死刑確定囚より先になる。
現 在
 2009年、再審請求。東京地裁は請求を棄却。東京高裁(小坂敏幸裁判長)は2015年12月16日付で、即時抗告を棄却した。弁護側は、最高裁で死刑確定後に面会した精神科医が「事件当時、統合失調症のため責任能力がなかったか、限定的だった」とした意見書を新証拠として提出。小坂裁判長は「裁判で証拠採用された他の医師の鑑定と内容は実質的に同じで、確定判決は揺るがない」と退けた。
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氏 名
山地悠紀夫
事件当時年齢
 22歳
犯行日時
 2005年11月17日
罪 状
 住居侵入、強盗殺人、強盗強姦、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、非現住建造物等放火
事件名
 大阪市浪速区姉妹強盗殺人事件
事件概要
 無職山地悠紀夫(やまじゆきお)被告は2005年11月17日未明、大阪市浪速区のマンションの一室に侵入。午前2時半頃、帰宅した姉(当時27)と妹(同19)を殺害し、現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪ったうえ、証拠を隠すために室内に放火するなどした。
 隣接する食品会社やマンションの外壁や排水管などから山地被告の指紋が発見されたため、大阪府警浪速署は12月3日に隣接する食品会社への建造物侵入容疑で指名手配し、5日に大阪市内で逮捕した。19日、強盗殺人容疑で再逮捕した。
 山地被告は2005年夏から、パチスロ機から不正にコインを引き出す「ゴト師」仲間とともにマンション内の知人宅で数ヶ月間暮らしていた。いったん出て行ったが、11月11日から再びこの部屋に身を寄せたが、「稼ぎが悪い」と言われ、2、3日後、行方がわからなくなった。
一 審
 2006年12月13日 大阪地裁 並木正男裁判長 死刑判決
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控訴審
 2007年5月31日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 山地被告は公判で起訴事実を全面的に認めたが、弁護側は「被告は犯行時、心神耗弱状態だった。強盗の故意もなく、強盗殺人罪、強盗強姦罪は成立しない」と主張し、「真の更生のためにも無期懲役を」と訴えていた。
 並木裁判長は2006年6月、精神鑑定の実施を決定。10月に出された鑑定書は、山地被告について「人格障害であり、アスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していなかった」と診断。同被告の精神状態について「是非弁別能力は十分保たれていた」として完全責任能力を認める鑑定書が証拠採用された。
 検察側は論告で、「犯行前は野宿生活を送るなど金銭に窮していた。供述からも、金品を奪う目的で押し入ったことは明らか」と指摘。「犯行時に意識障害があり、心神耗弱だった」との弁護側主張に対しては、完全責任能力を認めた精神鑑定結果を挙げ、「周到な計画性が認められるほか、犯行現場に放火して証拠隠滅工作するなど、合理的に物事を考え行動する能力があった」などとした。さらに、被告が16歳だった1990年7月に母親を殺害していることに触れ、「犯罪性向は強固で、改善更生の可能性はまったくない」と指摘。犯行動機についても、「母親殺害時に覚えた強い性的興奮を再び求めたもので、酌量の余地は皆無」と指弾した。さらに犯行当時の心境や反省の念について、被告が「楽しくてわくわくした。ジェットコースターに乗っているような興奮を感じた」「反省しているかと言えば答えはノーです」と供述したことに言及し、「性的サディズムによる犯行であり、人間性の一片も見いだすことができない。極刑を求める遺族の処罰感情は最大限反映されなければならない」と述べた。その上で、遺族3人がいずれも強く極刑を望んでいることから、「史上まれにみる凶悪、冷酷、非道な犯行。被告は真摯に反省しておらず、矯正は不可能で極刑以外の選択肢はない」「被告がまだ若いことを考慮しても、死刑が相当」と結論付けた。
 弁護側は最終弁論で、山地被告の責任能力を認めた鑑定結果について「被告との面接回数が少なく供述調書に依存しており、信用性に疑問がある」と指摘。山地被告は殺害行為が許されないという基本的な規範が理解できず、犯行時は自分の行動を制御することが著しく困難な状態だったと述べた。
 計画性については「姉妹が同居していることを知らず、事件後も大阪を離れようとしておらず、用意周到とは言えない」と主張。「命の大切さを十分に理解させ、一生かけて罪を償わせるためにも無期懲役が相当だ」と死刑回避を求めた。
 最終弁論後、裁判長から発言の機会を与えられた山地被告は「特に何もありません」と答えた。
 並木裁判長は、公判段階の精神鑑定に沿って、山地被告を人格の偏りが極端な「人格障害」や性的サディズム障害としたが、「犯行は計画的に周到に実行された」などと完全責任能力を認定した。また、「主たる目的は殺人だが、強盗の故意を認めた被告の供述の信用性は高い」と強盗殺人罪などの成立を認め、弁護側の主張を退けた。
 そのうえで、犯行について「姉妹は心臓に達するものを含む複数の刺し傷を受けるなど、生命への一片の畏敬の念すら感じられない凶悪かつ残虐非道なものだ」と厳しく批判した。そして、「被害者2人の夢や可能性は無惨に打ち砕かれ、愛する家族を失った遺族らの衝撃、憤りも察するに余りある」と述べた。
 そして「2人の命を奪った残忍、冷酷、非道な犯行で結果は重大。被告の殺人を欲求する特異な性格・性癖は相当に強固といえ、何ら反省せずに、更生への期待は難しく、責任は余りにも重い。極刑をもって臨むしかない」と述べた。

 山地被告の弁護人は「被告は控訴に消極的だが、死刑は重いと考えて弁護人権限で控訴した」と述べた。精神鑑定で問診が十分されていないことや、公判前整理手続きで迅速に審理が進んだ半面、山地被告の気持ちをほぐすことができず、弁護を尽くせなかったことが背景にあるという。
 2007年5月31日に山地被告本人が収監先に控訴取り下げ書を提出し、死刑が確定した。弁護人は取り下げの効力について異議申し立てしない方針という。弁護士の接見には淡々と「生きていても仕方がない」などと話し、被害者や遺族には「何もありません」とだけ述べたという。
備 考
 山地被告は16歳だった2000年7月29日、山口市で母親(当時50)をバットで殴って殺害し、9月に中等少年院に送致された。少年院で3年1ヶ月の矯正教育を受けて2003年10月に仮退院。2004年3月の本退院(期間満了)まで保護観察下にあった。その後、山口県内のパチンコ店などで働いていたが、2005年にパチスロで不正に稼ぐゴト師仲間に加わるようになった。2005年3月には岡山県のパチンコ店で不正が発覚し、窃盗未遂容疑で逮捕され、起訴猶予になっていた。
執 行
 2009年7月28日 25歳没 衆議院解散の後で死刑執行があったのは、1969年12月以来約40年ぶり。20代の執行は1979年10月の黒岩恒雄元死刑囚以来30年ぶり。
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氏 名
中原澄男
事件当時年齢
 50歳
犯行日時
 1997年10月6日〜13日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、死体遺棄、殺人未遂、火薬類取締法違反、覚せい剤取締法違反、傷害
事件名
 太州会内部抗争連続殺人事件
事件概要
 元指定暴力団太州会系組長中原澄男被告は、太州会内で対立関係にあった元組長(当時54)の殺害を計画。1997年10月6日夜、配下の組員4人に命じて、福岡県宮田町にある元組長の自宅前の路上で射殺した。
 中原被告は県警の捜査が身辺に及びつつあることに不安を感じ、逮捕されそうになった組員4人のうちの1人(当時40)を口封じのために殺害することを計画。中原被告は射殺事件の共犯2人を含む3人に指示。3人は13日夕方、佐世保市の山中で、組員を針金で絞殺して穴に埋めた。遺体は2000年4月に見つかった。
 その他、殺人未遂1件、傷害3件、覚せい剤の自己使用1件等がある。
 中原被告は2000年7月18日、他の組員と共に逮捕された。
一 審
 2003年5月1日 福岡地裁 林秀文裁判長 死刑判決
控訴審
 2005年4月12日 福岡高裁 虎井寧夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年6月12日 最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長(定年退官のため藤田宙靖裁判官代読) 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 中原澄男被告は逮捕当時や、2000年10月25日の初公判でも「殺人の指示はしていない」と無罪を主張していたが、林裁判長はすでに無期懲役刑が確定している元配下組員らの証言を元に「中原被告は具体的に殺害方法を指示している。元組員にも強引に殺害を承諾させた」と認定、中原被告の主張を退けた。

 控訴審でも中原被告は「殺害を指示していない」と無罪を主張していた。虎井裁判長は一審判決と同様、被告から指示を受けて殺害したとする組員の供述の信用性を認定。その上で「人命軽視の傾向は著しく、責任転嫁を図るなど反省の態度も見られない。改善・矯正は極めて困難であり、死刑選択はやむを得ない」と述べた。

 最終弁論でも弁護側は「殺害を指示していない」と無罪を主張し「被告に2件の殺害を指示された」とする別の組員の供述について信用性を争ったが、上田裁判長は被告の主張を退けた一審福岡地裁、二審福岡高裁判決を追認し、「配下の組員に命じて実行させた主犯だ」として被告側の主張を退けた。
 判決理由で上田裁判長は「犯行を企図し、配下の組員に命じて実行させた主犯であるのに、不合理な弁解で自らが命じたことを否認しており、反省の情は認められない」と指摘。その上で「殺人未遂の前科を含む多数の服役前科があるのに本件犯行に及んでおり、人の生命、身体を軽んずる犯罪傾向は顕著で刑事責任は重い」と断罪した。
 そして「暴力団特有の論理に基づく反社会的犯行。周到な準備の上での組織的、計画的犯行で、2人を死亡させた結果は重大。一部の被害者と示談が成立していることを考慮しても、死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 殺人罪などに問われた実行役の組員のうち、両方の事件に関与した元組員2人は、2001年11月1日、福岡地裁(浜崎裕裁判長)で求刑通り無期懲役が言い渡され、そのまま確定している。
 1件目の実行犯であった元組員は、2001年2月1日、福岡地裁(浜崎裕裁判長)で懲役18年(求刑懲役20年)が言い渡され、そのまま確定している。
 2件目の実行犯であった元組員は、2000年11月30日、福岡地裁(浜崎裕裁判長)で懲役9年(求刑懲役10年)が言い渡され、そのまま確定している。
現 在
 2009年2月12日、再審請求。
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氏 名
薛松
事件当時年齢
 26歳
犯行日時
 2000年9月22日
罪 状
 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 春日部中国人夫婦殺害事件
事件概要
 中国籍の筑波大学大学院修士課程・薛松(せつしょう)被告は、筑波大大学院博士課程の女性と2000年7月に知り合い、薛松被告は恋愛感情を抱いて交際を申し込んだが、女性は中国籍の夫と子供がいることを理由に断り、友人として付き合うこととなった。女性は普段は学生寮に単身生活をしており、中国の実家に子供を預け、週末のみ春日部市で日本企業に勤めている夫のところへ帰っていた。薛松被告は女性への気持ちをますます募らせるようになったため、女性は夫と相談の上、別の女性を紹介するなどしていたが、薛松被告の気持ちは一向に変わらず、女性は自分に好意を持っていると思い込んでいた。薛松被告は9月19日、女性に改めて結婚してほしいと申し込んだが、女性に断られた。最初は女性が自分と夫との間で板挟みになっていると思い込んでいた薛松被告だったが、21日にも同様のことを言われたため、絶望。
 2000年9月22日午後11時15分頃、埼玉県春日部市の夫婦が住むマンションの駐車場で待ち伏せ、帰ってきて車を降りた夫婦を自分の車ではねようとしたが、夫(当時39)は逃げ、女性(当時29)のみ轢かれた。そして、所持していたサバイバルナイフで夫婦を指して殺害した。
 目撃した人が110番通報するとともに、マンションの住人ら2人が現場から薛松被告が逃げるのを目撃し、追跡して男を取り押さえ、春日部署員に引き渡した。署員は現行犯逮捕した。
一 審
 2002年2月22日 さいたま地裁 川上拓一裁判長 死刑判決
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控訴審
 2004年1月23日 東京高裁 白木勇裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年6月19日 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 弁護側は「善悪を弁別する能力が著しく減退していた」と主張したが、「極めて冷静に計画するなどしており、能力の減退はなかった」と認めなかった。川上裁判長は「独善的な思いこみによる、執ようかつ残虐で冷酷非道な犯行」とした。

 控訴審で弁護側は、薛被告が犯行当時、心神耗弱状態で責任能力が低下していたと主張したが、判決は「冷静かつ計画的な犯行で、責任能力を疑う余地はない」と退けた。
 白木裁判長は「理不尽な犯行で被害者夫婦の生命だけでなく、いまだに両親の死を知らされていない幼い子供の将来も奪った結果はあまりに重い」と述べた。

 最高裁の弁論で弁護側は「交際を断られて絶望し、犯行時は心神耗弱の状態だった」「被告は反省している」などと死刑の回避を求めていた。
 判決で藤田宙靖裁判長は「何の落ち度もない夫婦を殺害した独善的で理不尽な犯行。計画的で、殺害の方法も冷酷かつ残虐だ。必ずしも正面から向き合おうとしていない」と判断した。
 那須弘平裁判官は補足意見で「恋人だったという被告の主張を一概に退けられないが、罪は重大だ」と指摘した。
現 在
 2013年現在、再審請求中。
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氏 名
前上博
事件当時年齢
 35歳
犯行日時
 2005年2月19日〜6月10日
罪 状
 殺人、死体遺棄、未成年者誘拐、脅迫
事件名
 自殺サイト利用3人連続殺人事件
事件概要
 大阪府堺市の派遣会社社員前上博(まえうえひろし)被告は、インターネットの自殺サイトを利用し、以下の事件を引き起こした。
 (1)前上博被告は、自殺サイトで知り合った大阪府豊中市の無職女性(当時25)を「練炭で自殺しよう」と誘い、2005年2月19日午後8時30分頃、大阪府河内長野市内駐車場まで女性を同行させ、レンタカーの車内にて女性の手足を縛った上、多数回に渡って鼻や口などを手でふさぐなどして女性を苦しめて失神させることを繰り返した。さらに路上まで運転し、午後10時頃、停車した車内で女性の鼻や口を手でふさいで窒息死させた。遺体は衣服を剥ぎ取った後、河内長野市の山中で、あらかじめスコップで掘ってあった穴に埋めて遺棄した。前上被告は2004年12月から2005年2月にかけ、身分証明書不要のインターネットカフェから少なくとも19回、女性とメールでやり取りをしていた。事件直前には女性に「メールは消去して」と指示するなど、隠ぺい工作していた。
 (2)前上博被告は、自殺サイトで知り合った神戸市の男子中学3年生(当時14)を「練炭で自殺しよう」と誘い、2005年5月21日午後2時頃、大阪府東住吉区のJR南田辺駅前まで誘い出し、レンタカーに乗せて誘拐。午後3時頃、泉南郡内路上まで男子を同行させ、レンタカーの車内にて男子の手足を縛った上、多数回に渡って鼻や口などを手でふさぐなどして男子を苦しめて失神させることを繰り返した。さらに和泉市内路上まで運転し、午後5時頃、停車した車内で女性の鼻や口を手でふさいで窒息死させた。遺体は衣服を剥ぎ取った後、大阪府和泉市の山中のがけから遺棄した。
 さらに29日昼、公衆電話から男子の自宅に身代金300万円を要求する脅迫電話を複数回かけた。受け渡し場所に大阪府大阪狭山市内を指定したため、県警捜査員が周辺を張り込んだが、男は現れなかった。
 前上被告は2005年5月14日から20日にかけ、身分証明書不要のインターネットカフェから数回、男子とメールでやり取りをしていた。事件直前にはメールを消去するよう指示していた。
 (3)前上博被告は、自殺サイトで知り合った三重県出身で東大阪市に住む男子大学生(当時21)を「練炭で自殺しよう」と誘い、2005年6月10日午後5時30分頃、河内長野市内空き地まで男子を同行させ、レンタカーの車内にて男子の手足を縛った上、多数回に渡って鼻や口などを手タオルでふさぐなどして男子を苦しめて失神させることを繰り返した。さらに午後7時頃、車内にて男子の鼻や口をタオルでふさいで窒息死させた。遺体は衣服を剥ぎ取った後、和泉市の道路脇の崖下山林内へ遺棄した。
 前上被告は(1)の事件で2005年8月5日、逮捕された。その後(2)(3)の事件を自供した。
一 審
 2007年3月28日 大阪地裁 水島和男裁判長 死刑判決
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控訴審
 2007年7月5日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 逮捕時、前上博被告は「口をふさいだ相手が苦しむ様子に性的興奮を覚えた」と供述している。前上被告は、小学4・5年の頃、推理小説を読んでいた際に犯人が麻酔薬を染み込ませた布を少女の口に押し当てて失神させて誘拐するという場面に性的興奮を感じ、それ以来現在まで一貫して、男女を問わず、小学生から成まで様々な人の鼻と口を、手や薬品を染み込ませたガーゼで塞いで、人が苦もんする表情を見ることで性的興奮を感じ、その様子を思い出しては自慰行為を繰り返し、通常の男性のように女性の裸などを見て性的興奮を感じることも、女性と性交渉をもつことも一切なかった。
 2005年12月2日の初公判で、前上被告は起訴事実について全面的に認めた。
 弁護側の請求によって行われた精神鑑定では、前上被告を「犯行時、性的サディズム、フェティシズム(性的倒錯の一種)、反社会性人格障害の混合状態だった」と判断していた。被告の犯行時の精神状態について「物事の善悪を認識する能力が著しく減退していたとは思われない」と指摘。行動を制御する能力には特に言及していないが、証人として出廷した鑑定人は「心神耗弱状態にはなかった」と述べた。
 2007年2月20日の論告で検察側は「特異な性癖を認識しながら、欲望の充足だけを追求した犯行で、公判で人ごとのように事件を語るなど犯罪傾向は根深く、遺族の処罰感情もしゅん烈」などと指弾した。そして「ゆがんだ性欲のため、4ヶ月間に3人を殺害した犯罪史上例をみない凶悪な犯罪。被害者を何度も失神させ、苦痛を与え続けて窒息死させるなど犯行は凶悪非道で更生は不可能」とした。
 求刑論告に先立って、3遺族6人が意見陳述し、極刑を求めた。
 男子生徒の父親は「毎日、つらい気持ちをどこにぶつけていいのかと憤りを感じている。息子はパソコンが好きで、将来はその道に進めばいいと思っていた。命ごいをする息子を殺した卑劣で残虐な男だ。極刑を望みます」などと時折、声を詰まらせながら話した。
 大学生の両親は「今も息子はどこかで生きていると思っている。笑いの絶えない家族だったのに……。二度と過ちを犯さないようにしっかりした裁判をお願いします」と厳罰を求めた。
 女性の母親は「殺されたのは、まだ社会に出ていない『弱者』ばかりで、人間のやることではない」、兄は「妹は生きていれば、今日が28歳の誕生日。悔しくて眠れない毎日なのに、なぜ犯人は生きているんですか」と、声を震わせながら話した。
 2月23日の最終弁論で弁護側は、2、3件目の殺人については自首の成立を主張。犯行当時の刑事責任能力についても、「行動制御能力が著しく失われていた」と指摘した。
 最終意見陳述で前上被告は「私が犯した罪は、命をもって償うほかない。どのような判決であれ受け入れるつもりだ」と陳述。さらに、「死刑の場合は刑事訴訟法の規定通り、半年以内に手続きを終えてほしい」と付け加えた。退廷まぎわには遺族が座る傍聴席に向かって頭を下げ、「申し訳ありませんでした」と謝罪した。
 判決で水島和男裁判長は「自らの特異な性癖を満たすため、4ヶ月で3人の尊い命を奪った残忍、冷酷な犯行だ。更生も極めて困難だ」と述べた。
 判決は前上被告の刑事責任能力について検討。3人の殺害状況を詳細に記憶し、証拠隠滅のために3人に送ったメールを削除したり、犯行に使ったレンタカーの車内を清掃したりしていると指摘。刑事責任能力を認めた公判段階の精神鑑定結果の信用性も肯定し「十分な事理弁識能力と行動制御能力があったことが認められる」と判断した。その上で「人を窒息させることに性的興奮を覚えるという特異な性癖を備えたこと自体は、被告にとっても不幸だった。しかし、性欲を満足させるために他人の生命をいとわないという、余りにも自己中心的で身勝手な動機に酌量の余地は皆無だ」と被告を厳しく指弾した。
 水島裁判長は被害者3人が自殺志願者であったことにも触れ「被害者は練炭自殺による安らかな死を志向していたのであり、結果の重大性を左右するものではない。遺族の処罰感情がしゅん烈なのも当然だ」と指摘。2件の殺害事件などに関しては自首の成立は認めた。また、人が息を詰まらせて苦しむ姿に興奮するという性癖について「被告に非はなく不幸だ」と言及したが、遺族の処罰感情や犯行の残虐性などを考慮した上で「極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 弁護人が即日控訴したが、前上被告は当初から控訴取り下げを考えており、「私の罪は死をもって償うしかない」と話していた。控訴取り下げの理由については「長生きする事に意味を見つけられない。遺族の希望通り早く死刑になる努力をする」としている。
 東海学院大学の長谷川博一教授(臨床心理学)は前上被告の依頼で、公判中から前上被告と計23回面会、手紙を29通受け取ったという。
 記者会見ではこのうち、2007年6月8日消印の手紙を「前上被告の要望」として公表。手紙には一審での最終意見陳述と同様、「死をもって償うしかない。半年以内に手続きを終えてほしい」などと書かれていた。
 この中で前上被告は「私にできる償いは罪を受け入れること。以前から決めていた」などと表明。さらに「(死刑囚)個々の事情で判断すべきで、私は冤罪ではない」とした上で、判決確定後のすみやかな死刑執行を訴えている。
 前上被告は3月28日の地裁判決前日から、弁護人が控訴しても自ら取り下げる意思を固めていたが、長谷川教授の面会を受け入れるため先延ばしにしていたという。長谷川教授は「控訴を実際に取り下げたかは確認していないが、本人は『気持ちは100%変わらない』と話していた」という。
 一審弁護人は、前上被告の控訴取り下げを予期し、控訴趣意書で「正常な判断能力や訴訟の意義を理解して自己の権利を守る能力を喪失している状態にあり、公判手続きの停止が問題になるケースだ」との主張を盛り込み、取り下げの有効性を判断するよう事前に求めていた。
 しかし、7月18日に弁護人が前上被告に面会したところ、被告は死刑判決を受け入れる意向が固く、「もう何もしてほしくない」と告げたという。弁護人も「被告の意思に逆らってまで争うべきではない」と判断した。そして検討していた「控訴の取り下げは無効」との申し入れをしないことを決めた。大阪高裁も取り下げの有効性を巡る判断はしない方針で、死刑確定が維持される。
備 考
 前上被告は2001年11月27日、大阪地裁堺支部で通行中の女性と少女にベンジンを染み込ませたタオルを口及び鼻に押し当てた傷害、暴行の罪で懲役1年執行猶予3年の判決を受けている。2002年8月9日、大阪地裁堺支部で通行中の中学生ら6人の口を次々とふさいでけがをさせた傷害の罪で懲役10月の判決を受けている。同時に執行猶予が取り消され、2004年3月29日、満期出所した。
執 行
 2009年7月28日 40歳没 衆議院解散の後で死刑執行があったのは、1969年12月以来約40年ぶり。
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氏 名
浜川邦彦
事件当時年齢
 34歳
犯行日時
 1994年7月19日/11月20日
罪 状
 恐喝、強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺、窃盗
事件名
 三重連続射殺事件
事件概要
 会社役員浜川邦彦被告は無職金東錫被告と共謀し、1994年7月19日午後1時頃、三重県鈴鹿市の保険代理業(当時36)を市内の産廃処分場に誘いだし射殺。アタッシュケースや時価約400万円の乗用車を奪うとともに、奪った預金通帳から現金1000万円を引き出した。遺体を21日午前6時20分頃、三重県久居市の造成地にパワーショベルを使って埋めた。
 浜川被告は金被告と共謀し、1994年10月27日午前8時35分頃、鈴鹿市内で金融業を営む男性に対し拳銃を突きつけ、約束手形の差し入れと引き替えに現金100万円を脅し取った。
 1994年11月20日午後8時頃、金被告ら2人と共謀し、三重県小俣町の輸入販売業(当時63)を伊勢市内の空き地に呼び出し射殺。手提げ鞄や乗用車、宝石、預金通帳などを奪い、通帳から247万円を引き出すとともに、クレジットカードで商品を騙し取った。遺体は22日、久居市の造成地に埋めた。
一 審
 2002年12月18日 津地裁 天野登喜治裁判長 死刑判決
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控訴審
 2004年3月22日 名古屋高裁 小出☆一裁判長(☆は金ヘンに享) 控訴棄却 死刑判決支持
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上告審
 2007年7月5日 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 浜川被告は捜査段階から完全黙秘、起訴事実を全面否認(1994年11月の事件における通帳やカード使用は、知らずに使ったと主張)。弁護側はアリバイがあると無罪を主張。捜査段階で自供した金被告の「主導的立場であり、実際に拳銃で2人を殺害したのは浜川被告」という供述を津地裁天野裁判長は、「自己の刑事責任を軽減するため、あるいは犯行に関与した他の者をかばうため、罪のない第三者に責任をかぶせたり、責任を転嫁する可能性は否定できない」としながらも、周辺者の証言や供述との一致や客観的事実との符号から、そのまま受け入れている。
 争点の一つである拳銃が特定できていない。また「金目当て」としながらも動機が解明されていない。

 名古屋高裁小出裁判長は判決理由で「被害者2人の遺体の遺棄場所など、秘密の暴露を含んでおり、信用性は高い」と一審判決の判断を踏襲。その上で浜川被告が殺害の実行行為を担当したことや、反省の態度を示していないことから「極刑をもってのぞむほかない」と述べ無罪主張を退けた。

 最高裁の判決で甲斐中裁判長は「大金を得ようと強盗殺人を重ね、2人の生命を奪った罪責は誠に重大だ」と指摘。アリバイがあるとの被告側の無罪主張を「不合理な弁解で犯行への関与を否定している」と退けた。
 甲斐中裁判長は「浜川被告は犯行を提案し、自ら拳銃を発射するなど主導的な役割を果たしており、共犯者との刑の均衡を考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 金被告は分離公判となった。求刑死刑に対し、1998年6月3日、一審津地裁で無期懲役判決。2000年12月20日、大阪高裁で検察側控訴棄却。検察側が上告するも2005年7月15日に無期懲役が最高裁で確定。輸入販売業の男性殺害時件の共犯者は一審懲役8年が確定している。
現 在
 2009年8月21日、津地裁に再審請求。代理人の伊藤誠基弁護士によると、金受刑者の友人である三重県の男性から「金受刑者が『暴力団員から拳銃を受け取った』と言っているのを聞いた。浜川死刑囚の手には渡っていなかったはずだ」という新証言を得たという。「新証言で、判決が認定したストーリーが崩れる。事件を再検討してもらう必要がある。浜川死刑囚は冤罪だ」と主張している。
 2010年7月28日付で津地裁(村田健二裁判長)は再審請求を棄却する決定をした。津地裁は、弁護団が新証拠として提出した「犯行に使われた拳銃は浜川死刑囚に渡っていない」などとする知人男性の証言について、「一審での供述内容とほぼ同様で、無罪を言い渡すべき証拠もない」として退けた。弁護団は8月2日、名古屋高裁に即時抗告した。2013年3月29日、名古屋高裁(柴田秀樹裁判長)は即時抗告を棄却する決定を出した。弁護団は4月4日、最高裁へ特別抗告した。2014年2月12日付で最高裁は、特別抗告を棄却し、請求棄却が確定した。
 2015年6月29日、津地裁へ第二次再審請求提出。確定判決では浜川死刑囚が被害者の遺体を津市内の造成地に重機を使って埋めた。被害者の遺体を埋める作業について、「重機の操作経験がない浜川死刑囚が、裁判所が認定した13分間に行うのは不可能だった」とする新たな実験結果を新証拠に提出したと明かした。再現実験では、重機の操作経験のない男性が、遺体が見つかったのと同じ、深さ3mの穴を埋め戻すのに18〜29分かかった。弁護団は、事件前後のアリバイなどから、作業が13分より長くかかれば浜川死刑囚に犯行可能な時間帯はなく、「少なくとも死体遺棄について犯罪の証明は尽くされていない」と主張している。
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氏 名
尾形英紀
事件当時年齢
 26歳
犯行日時
 2003年8月18日
罪 状
 殺人、殺人未遂、逮捕監禁、銃刀法違反
事件名
 熊谷男女4人拉致殺傷事件
事件概要
 埼玉県大里郡から家出した無職少女(当時16)は2003年7月10日、熊谷市の元暴力団組員でゲーム喫茶店経営の尾形英紀被告と知り合い、同日、肉体関係を持って交際を始めた。少女はそれとは別に2003年7月、街頭で飲食店従業員の勧誘をしていた男性(当時28)と知り合い、男性と肉体関係はなかったものの、男性方に泊まっていた。男性は少女との交際を望んだが、少女は拒否。男性のことを疎ましく感じた少女は尾形被告に相談した。7月末、尾形被告は男性に交際を断念するように要求。男性は頭を丸刈りにし、少女との交際を断念した。しかし少女は行くところがなく、男性の部屋を出入りしていた。
 8月18日朝、少女は数日前に知り合った少年(当時15)、尾形被告と食事をしているとき、少女は男性に「やられそうになった」と話を持ち出した。憤慨した尾形被告は「やっちまうか」と言い、少年は「やっちまいましょう」、少女は「やっちゃおうよ」と、男性に危害を加えることに同意。尾形被告は自宅から包丁を持ち出し、現場に向かった。
 18日午後1時頃、男性は同じアパートに住む同僚女性Yさん(当時25)の部屋にいたが、少女に伴われ自室に戻った。尾形被告はYさんを男性の部屋に連れ込んだ後、男性を暴行。男性は謝罪したが肉体関係を持とうとしたことを認めなかったため激高し、男性を包丁でめった刺しにして殺害した。少女は部屋にあった自分の荷物を片付けながら、「やっちゃえ」とけしかけていた。
 同じアパートに住む別の同僚女性Sさん(当時21)は店から頼まれ、男性の様子を見に来たが、男性は既に死亡していた。尾形被告は殺人を目撃したYさん、Sさんや、Sさんと同じ部屋にいたために連れ込まれて殺人を目撃したフリーターの女性Tさん(当時19)も部屋に連れ込み、暴行を加えた後、包丁を突きつけて自分の車に乗せ、拉致した。このとき、Sさんはトランクに入れられた。
 午後3時30分頃、尾形被告は秩父市の公園トイレ内で、タオルでTさんの首を絞めた。さらに包丁で背中を刺そうとしたが便器に当たり、目的を遂げることはできなかった。動かなくなったTさんを見て尾形被告は死んだものと勘違いし、そのまま逃走した。Tさんは肋骨が折れるなど全治6週間の重傷を負った。
 午後4時頃、尾形被告は公園脇の道路で、Sさんの首をタオルで絞めて殺害した。
 午後5時40分頃、尾形被告は熊谷市内の資材置場で、ビニールロープで首を絞めた後、包丁で胸を数回刺した。尾形被告はそのまま逃走した。
 午後4時45分頃、秩父市の公園で重傷のTさんが保護された。Tさんの話から熊谷署員が男性の遺体を発見。さらに午後8時50分頃、熊谷市の資材置場で胸を刺されて重体のYさんを発見。19日午前6時過ぎ、秩父市の道路脇で絞殺されたSさんの遺体を発見。
 21日、逮捕監禁容疑で尾形被告が逮捕された。22日、逮捕監禁容疑で少年が逮捕。23日、逮捕監禁容疑で少女が逮捕された。
 少女は女性の部屋から現金3万円を盗み、うち1万円で事件翌日の19日、JR熊谷駅前の衣料品店でジャージーを買った。尾形被告は、3人の首を絞めたり包丁で刺して殺害したと思いこんでいたが、19日、ニュースで女性2人が生きていることを知ると、口封じのために搬送先の病院で殺害することも計画していた。
 尾形被告は結婚して子供もおり、少女とは不倫関係だった。少女と少年の間には、交際関係はなかった。
一 審
 2007年4月26日 さいたま地裁 飯田喜信裁判長 死刑判決
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控訴審
 2007年7月18日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 尾形被告は「初めから殺意をもっていたわけではない」などと主張している。
 「シンナーによる幻覚が、事件当時の行動に影響を与えた可能性がある」とする弁護側の求めで精神鑑定が行われ、「男性殺害時には、弁別能力(事物の是非・善悪を識別する能力)が著しく低下していた」との鑑定結果が証拠採用された。しかし、検察側は、この鑑定結果を不服として再鑑定を求め、「飲酒や、過去に吸っていたシンナーが犯行に影響を与えたとは考えられない」と相反する鑑定書が証拠採用された。
 検察側は2007年2月19日の論告で「男性の背中に包丁が偶然刺さってしまったのではなく、当初から殺意を有していたことは明らか。犯行当時、飲酒して酩酊していたが完全責任能力が認められる」と指摘した上で、「男性を殺害したのは、『メンツをつぶされた』という身勝手で反社会的な動機からだ」と指摘。拉致・殺傷された女性3人について、「被告から危害を加えられる理由はなく、被告は自己の保身だけを目的に安易に殺害を決意した」とした。そして「人間性のかけらも感じさせない残忍、非道な犯行で、矯正の可能性を見いだすことはできない」と指摘した。
 3月9日の最終弁論で弁護側は「男性殺害時は心神耗弱状態だった。若年で更生可能性を否定することはできない」などとして、改めて減刑を求めた。
 飯田裁判長は「1日のうちに4人を殺害の対象とし、2人を殺害したまれに見る重大な凶悪事件。犯行は非人間的と言わざるをえない」「殺してでもメンツを守ろうとする暴力団関係者特有の思考で、あまりに短絡的な犯行。動機と経緯に酌量の余地はない」と指弾した。さらに飯田裁判長は、尾形被告の責任能力についても「指紋をふき取るように指示するなど合理的な行動をとっている。殺害経緯、殺害状況について具体的な記憶を保持していた」として完全責任能力を認め、弁護側の「善悪の判断能力と行動制御能力が著しく低下し、心神耗弱状態だった」という主張も退けた。

 弁護人が控訴したが、尾形被告は7月18日付で控訴を取り下げ、一審死刑判決が確定した。弁護人によると、尾形被告は「死刑に納得している。判決の事実認定に間違いはあるが二審で正せないし、正す意味もない。特に(男性殺害を目撃され、口封じのため殺傷した)女性3人には申し訳ない。あんなことをしなければよかった」と反省しているという。
備 考
 少女は殺人ほう助、殺人未遂ほう助容疑でさいたま家裁へ送致されたが、「少女は事件の発端を作り、関与の度合いも大きい。被害者感情も非常に強い」などとしてさいたま地裁へ逆送致された。2004年11月18日、さいたま地裁の福崎伸一郎裁判長は求刑通り懲役5〜10年の不定期刑を言い渡し、確定した。
 少年は同容疑で中等少年院へ送致(相当長期処遇)された。
執 行
 2010年7月28日 33歳没
 執行には千葉景子法相が立ち会った。民主党政権下で初の死刑執行。
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氏 名
横山真人
事件当時年齢
 31歳
犯行日時
 1995年3月20日
罪 状
 殺人、殺人未遂、武器等製造法違反
事件名
 地下鉄サリン事件
事件概要
 目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。
 村井秀夫容疑者は1995年4月23日、東京・南青山の教団総本部前で殺害されたため不起訴。殺人犯は一審懲役12年が確定している。
 また横山真人被告は教団所属の多数の者と共謀の上、1994年6月から1995年3月まで自動小銃約1000丁を製造しようとして未遂に終わった。1994年12月下旬、自動小銃1丁を製造した。
一 審
 1999年9月30日 東京地裁 山崎学裁判長 死刑判決
控訴審
 2003年5月19日 東京高裁 原田国男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
上告審
 2007年7月20日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 被告側は、サリンの毒性を知らず、人が死ぬとは思わなかったなどの理由で傷害罪の適用を求めた。また、「犯行を担当した路線では死者は出ておらず、死刑は重すぎる」、「死者2人を出しながら無期懲役にとどまった林郁夫服役囚と比較すると、量刑が不当」と極刑回避を求めた。
 山崎裁判長は「横山被告は計画内容全体を熟知し、実行行為という重要不可欠な役割を担当した。結果が軽度だったことを過大視することは出来ない」と指摘した。また「教団自体の反社会性に覚せいすることなく、脱会せず松本被告に対する帰依の念を捨て切れない様子がうかがえる」と述べ、「死刑は不当」という弁護側の主張を退けた。
 これに先立つ事実認定で山崎裁判長は「サリンの毒性の認識と殺意を認めた捜査段階の自白は具体的で、客観的証拠などで裏付けられている」と横山被告の殺意を認定した。また、「下見の際に傘の先に付着したサリンを洗い流す場所を探すなど、冷静で合目的な行動を取っている」と述べ、松本被告のマインドコントロール(心理操作)で責任能力がなかったとする弁護側主張も退けた。また「死者が出なかったのは偶然にすぎず、量刑上、過大に評価することはできない」と量刑不当も退けた。

 二審原田裁判長は「反社会性の強い教義に基づき、教祖の命令によって敢行された。まさに狂信的ともいうべき犯行」と述べ、松本智津夫被告=教祖名麻原彰晃=との共謀を認定した。

 最高裁の弁論で、弁護側は「横山被告がサリンを散布した車内では死者が出なかった」と指摘。事件当時は教団元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚のマインドコントロール下にあったとして、無期懲役を選択すべきだと訴えた。
 検察側は「12人の命を奪った同時無差別大量殺りくテロで、最も重要な実行役を担った責任は極めて重大。関与した車両の死者がいなかったのは偶然で、有利な情状として過大評価するのは問題だ」と述べ、被告側の上告棄却を求めた。
 判決で中川裁判長は地下鉄事件について「教団の起こした別の事件に関し、近々教団施設に対する警察の強制捜査が行われると危惧し、これを阻止すべく首都の中心部を大混乱に陥れようと企図して敢行された」と指摘。その上で「兵器として開発された殺傷能力の非常に高いサリンを、3路線の5本の地下鉄車内に一斉に発散させた犯行は、人命の重さや人間の尊厳を一顧だにしない無差別大量殺人そのもので、誠に悪質」「法治国家に対する挑戦として不特定多数の市民を攻撃した無差別大量殺人に幹部の立場で積極的に加わった」と断罪した。
 弁護側の「被告がサリンをまいた路線では死者は出ておらず刑は重過ぎる」とした死刑回避主張について、判決は「そうした事情を考慮しても責任は誠に重く、死刑はやむを得ない」と退けた。
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氏 名
後藤良次
事件当時年齢
 42歳
犯行日時
 2000年7月30日〜8月20日
罪 状
 強盗致死、殺人、強盗殺人未遂、現住建造物等放火未遂、覚せい剤取締法違反(自己使用、所持)、銃砲刀剣類所持等取締法違反(加重所持)、逮捕監禁、公務執行妨害、窃盗
事件名
 宇都宮監禁殺人事件他
事件概要
 暴力団組長後藤良次(ごとう・りょうじ)被告は、水戸市内で知人である茨城県常陸太田市の人材あっせん業の男性(当時33)に体面を傷つけられたと激怒。2000年7月30日未明、元暴力団員ON被告と共謀して乗用車に監禁。約1時間後、両手両足を縛ったまま水戸市下大野町の橋上から約15メートル下の那珂川に投げ込んで殺害した。
 2000年8月20日夜、宇都宮市内の元自動車販売業の知人男性(当時37)が不義理を働いたと憤り、ON被告、YH被告、ST被告、UM被告、SK被告と共謀して、男性やその友人である同市の飲食店店員(当時24)ら4人を男性宅で監禁。4人に覚せい剤を注射して店員の女性を急性薬物中毒で死亡させた。その後ST被告が他の3人に灯油をかけて部屋に火を付け、さらにこの3人の胸部をハサミで刺し重傷を負わせ、乗用車などを奪った。
一 審
 2003年2月24日 宇都宮地裁 飯渕進裁判長 死刑判決
控訴審
 2004年7月6日 東京高裁 山田利夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年9月28日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 弁護側は、女性が死亡した事件について「強盗致死罪ではなく、傷害致死罪を適用すべきだ」と主張。しかし、飯渕裁判長は判決で「関係証拠を総合すれば、女性に対する強盗の故意が認められ、強盗致死罪が成立する」と退けた。判決では、宇都宮事件について「事件に巻き込まれて非業の死を遂げており、尊い命を永遠に閉ざされた苦痛や無念さは察するにあまりある」と述べた。また水戸事件については「深夜の大河に投げ落とされ、太平洋の沖合まで流されて1週間近く漂流し、魚に一部をかまれた変わり果てた姿で発見された。男性の苦痛や無念は、いかばかりかと思われる」と指摘した。そして「わずか3週間に連続して死者1人ずつを出し、被告の罪は余りに重大。極刑をもって臨むのはやむを得ない」

 被告側は「個別の証拠を分析すると強盗致死と認定するのは困難であり、判決は事実誤認。量刑も不当」と控訴した。
 判決理由で山田裁判長は「非情の限りを尽くした悪らつな犯行で、被告の冷酷さは常人の理解を超えている。被害者への凶悪な行為を主導的に重ねており、首謀者として刑事責任は重大だ」と指摘した。「当時、覚せい剤の影響で心神耗弱状態だった」とする弁護側の主張は「動機などの被告の供述は理解可能で、責任能力に問題はなかった」として退け、「凶悪な犯行を重ねた被告を極刑とするのはやむを得ない」と結論づけた。

 上告審の弁論で、弁護側は「被告は反省と後悔の念から、余罪をすべて捜査機関に告白した」と主張。「新たに起訴された事件には上告事件の共犯者がかかわっている。一、二審判決はこれを考慮しておらず、新たな証拠調べの必要がある」と指摘。「死刑が確定すれば、いつ執行されるか分からず、他の事件が闇に葬られる」と述べ、一審への審理差し戻しを求めた。また弁護側は「覚せい剤の影響による心神耗弱状態だった」として死刑回避を求めた。検察側は「自己中心的で短絡的な暴力団特有の犯行」と上告棄却を求めた。
 判決で津野裁判長は「5人の被害者のうち2人の生命を奪い、3人に重傷を負わせたという結果は重大」「犯行は冷酷、非情。遺族の処罰感情は厳しく、社会に与えた影響も大きい」と述べた。その上で、「1人の死亡は確定的殺意に基づくものではないことなど、被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても、被告人の罪責は重大で、死刑を是認せざるを得ない」とした。
付 記
 1990年4月2日、群馬県館林市の競輪場街車券売場で稲川会系暴力団組長(当時47)が射殺された事件で、後藤被告は他の4人とともに1991年3月初めに殺人容疑で逮捕された。しかし短銃がみつからなかったことから、物的証拠に乏しいと判断した前橋地検は23日に職分保留のまま釈放した。
 ON被告は2003年2月25日、宇都宮地裁で一審無期懲役判決(求刑無期懲役)。そのまま確定。
 YH被告は2003年2月25日、宇都宮地裁で一審懲役15年判決(求刑無期懲役)。そのまま確定と思われる。
 ST被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役15年判決(求刑無期懲役)。そのまま確定と思われる。
 UM被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役12年判決(求刑懲役15年)。そのまま確定と思われる。
 SK被告は2003年2月27日、宇都宮地裁で一審懲役10年判決(求刑懲役12年)。そのまま確定と思われる。
その後
 後藤被告は、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を、2005年10月17日に茨城県警へ提出した。日立市に住む元不動産ブローカーが主犯と主張。いずれも殺人・死体遺棄事件として把握されていなかった。
 2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、殺人事件の被害者とされたカーテン販売会社社長男性(当時67)の妻で無職KS容疑者(74)、KS容疑者の娘のKK容疑者(49)、その夫のKM容疑者(51)、KM容疑者の兄で建築業NK容疑者(58)と妻のNS容疑者(54)を逮捕した。5人は共謀の上、2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通をだまし取った疑い。同課はこの口座が男性の生命保険金の受け取りに使われたとみている。上申書で、KS容疑者らは殺害計画に関与したと指摘されており、同課は男性が死亡した経緯などについて捜査を進める。KS容疑者は容疑を否認しているが、他の4人は大筋で認めている。
 男性は2000年8月、同県城里町の山林で遺体で発見され、病死と判断された。上申書によると、後藤被告らは男性に約8000万円の生命保険をかけて大量の酒を飲ませ殺害し、遺体を山中に遺棄するなどした。当時、男性の会社に多額の負債があり、KS容疑者らが保険金殺人を持ちかけたという。
 2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとして同市の元不動産ブローカー、三上静男容疑者(57)を強要容疑で逮捕した。容疑を否認している。三上容疑者は2005年9月23日午前1時20分ごろ、同市内の飲食店でアルバイト店員(当時21)に「(出されたものが)注文したものと違う」といいがかりをつけ、胸ぐらをつかむなどして謝罪させた疑い。
 後藤被告は上申書の中で、新たに逮捕された男、男性の妻らと共謀し、同市の民家で男性にアルコール度の高いウオツカを無理やり飲ませ、保険金目的で殺害したと記した。男性は2000年8月15日朝、同県城里町の山林わきの路上で倒れていたのが発見された。県警は病死として処理し、家族に生命保険金約8100万円が支払われた。
 2007年1月26日、カーテン販売会社社長殺人容疑で、後藤被告、三上被告、KS被告、KK被告、KM被告と、元暴力団組員ON受刑囚、無職UM受刑囚、元土木作業員SK受刑囚が逮捕された。後にON受刑囚、UM受刑囚、SK受刑囚は不起訴処分となった。
 7月5日、水戸地裁で開かれたKS被告とKK被告、KM被告の初公判で、3被告は起訴事実を認めた。
 7月26日、水戸地裁の河村潤治裁判長は、KS被告とKK被告に懲役13年(求刑懲役16年)、KM被告に懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。3被告は控訴したが、KS被告は8月28日、KM被告が30日、KK被告が31日に控訴を取り下げ、確定した。
 12月19日、後藤死刑囚が栃木県警の調べに対し宇都宮市で1999年に男性を殺害したと供述していることが判明。後藤被告が供述した知人男性は、宇都宮市内の自営業者の男性(当時47)。共犯の存在も明らかにしたという。後藤死刑囚が茨城県警にこの事件を自供し、同県警から栃木県警に連絡があった。男性は1999年5月、宇都宮市内の自宅近くで、木にかけたロープで首をつった状態で見つかった。検視の結果、男性の死因は窒息死で、男性が書いたとみられる遺書も残されていたという。遺書の内容やくらしぶりから、県警は金銭トラブルが原因の「首つり自殺」と判断し、司法解剖はしなかった。後藤被告は男性に金を貸していたとされ、男性には1000万円の保険金が掛けられていた。しかし後藤被告の供述と遺体の状況は一致しなかったとされる。
 三上静男被告はカーテン販売会社社長殺人容疑で起訴。2009年2月26日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。8月24日、東京高裁で被告側控訴棄却。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。
 後藤良次被告もカーテン販売会社社長殺人容疑で起訴。2009年6月30日、水戸地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。2010年3月17日、東京高裁で被告側控訴棄却。2012年2月20日、被告側上告棄却、確定。
現 在
 2012?年、再審請求。
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氏 名
端本悟
事件当時年齢
 22歳
犯行日時
 1989年11月/1994年6月
罪 状
 殺人予備、殺人、殺人未遂
事件名
 坂本弁護士一家殺人事件/松本サリン事件他
事件概要
●坂本弁護士一家殺人事件
 横浜市の坂本弁護士(当時33)は、オウム真理教に入信して帰ってこない子供の親たちが集まって結成した「オウム真理教被害者の会」の中心的役割を果たしていた。TBSの取材でも坂本弁護士は教団を徹底追及していくことを発言。オウム真理教の幹部たちはTBSに乗り込み収録テープの内容を見て殺害を決意。教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)は早川紀代秀、村井秀夫、新実智光、中川智正、佐伯(現姓岡崎)一明、端本悟に殺害を命じた。実行犯6名は1989年11月3日、横浜市の坂本弁護士宅のアパートに押し入り、坂本弁護士、妻(当時29)、長男(当時1)の首を絞めるなどして殺害。遺体をそれぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めた。
 坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所は、オウム真理教が関わっていると主張。坂本弁護士がオウム批判をしていることと、坂本弁護士宅にオウムのバッジが落ちていたことなどが理由である。オウム真理教側は、被害者の会や対立する宗教団体が仕組んだ罠だと反論した。
 1995年3月20日の地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教への強制捜査を開始。9月10日までに三人の遺体が発見され、7日に5人が、22日には松本被告と実行犯5名が再逮捕された。村井秀夫元幹部は1995年4月に刺殺された。

●松本サリン事件
 オウム真理教は長野県松本市に支部を開設しようとしたが、購入した土地をめぐって地元住民とトラブルになった。1994年7月19日に長野地裁松本支部で予定されていた判決で敗訴の可能性が高いことから、教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時39)は裁判官はじめ反対派住民への報復を計画。土谷正実(当時29)、中川智正(当時31)、林泰男(当時36)らが作成したサリンや噴霧装置を用い、6月27日、村井秀夫(当時35)、新実智光(当時31)、遠藤誠一(当時34)、端本悟(当時27)、中村昇(当時27)、富田隆(当時36)の実行部隊6人は教団施設を出発したが、時間が遅くなったため攻撃目標を松本の裁判所から裁判官官舎に変更。官舎西側で、第一通報者の会社員Kさん(当時44)宅とも敷地を接する駐車場に噴霧車とワゴン車を止め、午後10時40分ごろから約10分間、サリンを大型送風機で噴射した。7人が死亡、586人が重軽傷を負った。

●サリンプラント建設  麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は1993年11月〜1994年12月まで、教団武装化の一環として、サリン製造用のプラントを建設させた。
一 審
 2000年7月25日 東京地裁 永井敏雄裁判長 死刑判決
控訴審
 2003年9月18日 東京高裁 仙波厚裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年10月26日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 一審で被告側は従属的立場であったと主張。弁護側は最終弁論で「マインドコントロールされていたことを、配慮してほしい」と述べ、死刑を回避するよう求めた。永井裁判長は、いずれの事件も教団前代表・松本智津夫被告が、教団組織を利用して実行したと指摘。端本被告が従属的な役割だったと認めながらも、「坂本事件を敢行した後も松本被告らに指示されるまま、次々と善良な人々の殺害計画を行動に移していった」と指摘し、「被告の行為は、斟酌すべき事情を超えている」と述べた。

 二審でも被告側は松本智津夫被告によるマインドコントロールの影響を主張したが、判決で仙波裁判長は「善悪の判断ができない心理的拘束を受けていたとは認められず、刑事責任を左右する根拠にはならない」と判断した。
 また、弁護側が「サリンで人が死ぬと思っていなかった」と殺意を否定していた松本サリン事件については「現場の下見に行き、サリンの毒性を説法で聞いていたことなどから、殺意が認められる」と認定。坂本弁護士事件については「弁護士に馬乗りになってあごを6、7回殴り、妻の腹をひざで強打するなど、積極的に関与した」と指摘した。

 2007年9月14日の最高裁の弁論で弁護側は、端本被告が松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚のマインドコントロール下にあったとした上で、「麻原死刑囚の指示にあらがうことは不可能だった」などと主張し、死刑の回避を訴えた。検察側は「端本被告は各犯行が法的にも道義的にも許されないことを十分に認識していた」などとして、死刑の適用を求めた。
 判決で津野裁判長は、坂本弁護士に最初に襲いかかったことや、松本サリン事件ではサリン噴霧車の運転をしていたことを指摘し、「刑事責任は極めて重大」「犯行は組織的、計画的で冷酷、残忍。遺族の処罰感情は厳しく、社会に与えた衝撃や不安も深刻だ」「犯行の動機は教団の組織防衛で、人命軽視も甚だしく反社会性が極めて強い。責任は極めて重大」と述べた。
 その上で、教団幹部に指示されて犯行に加わり従属的だったことなど、端本被告にとって有利な事情を考慮しても「死刑判決を是認せざるを得ない」と結論付けた。弁護側が主張していたマインドコントロールについては、直接触れなかった。
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氏 名
畠山鐡男
事件当時年齢
 59歳
犯行日時
 2002年8月5日〜2002年11月22日
罪 状
 住居侵入、強盗殺人、現住建造物等放火、電磁的公正証書原本不実記録、同供用、有印私文書偽造、同行使、旅券法違反
事件名
 警察庁指定124号事件(マブチモーター社長妻子強殺事件他)
事件概要
 無職小田島鐡男(旧姓)被告と、無職守田克実被告は共謀して以下の事件を犯した。
(1)2002年8月5日午後3時ごろ、千葉県松戸市にある小型モーターの世界的トップメーカー・マブチモーター社長方で、社長の妻(当時66)と長女(当時40)を絞殺。高級腕時計や指輪など966万円相当を奪った上、2部屋に混合ガソリンをまいて放火し、木造2階建て住宅延べ約170平方メートルを半焼させた。小田島被告は宝石を東京都内の宝石商に偽名で売却していた。
(2)2002年9月24日、二人は東京都目黒区に住む歯科医師の男性(当時71)宅に侵入。自宅1階居間で男性を電気コードで縛ったうえ、ナイフで胸部や腹部などを突き刺し、タオルなどで首を絞めて殺害。現金約35万円や指輪を奪った。
(3)2002年11月22日、二人は千葉県我孫子市の金券ショップ社長(当時69)方に侵入。社長の妻(当時64)を殺害し、現金100万円を奪った。妻の首には紐のようなものが巻かれ、室内は窃盗目的で物色した形式があった。

 2人は共謀して2002年7月、本籍北海道の男性の住所を勝手に伊勢崎市に移した上、男性名義の旅券を不正に取得。マブチ事件後に複数回、この旅券などを使い、成田空港からフィリピンに出国していた。二人は旅券法違反で2005年9月30日に逮捕された。
 2人は刑務所に服役中に知り合った。守田被告が小田島被告から何度も誘われたことが、事件のきっかけだったとされる。マブチ事件後、フィリピン旅行などで金を使い果たしたため、第二、第三の犯行に手を染めた。
 二人は一時、群馬県内で同居。二人は新聞のお悔やみ欄を見て葬式で留守中の家を狙い、群馬県などで空き巣を繰り返していた。2005年1月、前橋市内の無職女性宅から現金などを盗んだとして群馬県警に窃盗容疑で逮捕され、小田島被告は前橋地裁で懲役4年の判決(控訴中)を、守田被告は前橋簡裁で懲役2年8月の判決(服役中)を受けていた。
一 審
 2007年3月22日 千葉地裁 根本渉裁判長 死刑判決
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控訴審
 2007年11月1日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 小田島被告は逮捕当時犯行を否認。その後、供述調書として記録されることは拒否していたが、調べに対しては全面的に認めていた。
 裁判では「公判前整理手続き」が適用された。2006年9月12日の初公判で、小田島被告は罪状認否で起訴事実を認めた。争点は(1)犯行の経緯と動機(2)被告の人間性(3)死刑の合憲性の3点に絞られている。
 検察側は2006年12月21日の論告求刑公判で「犯罪史上まれにみる凶悪犯罪」として死刑を求刑した。
 弁護側は2007年2月23日の最終弁論で「死刑制度は違憲。たとえ死刑を言い渡すべき罪を犯したとしても、不遇な生い立ちだった小田島被告の人生を死刑で終わらせることは非人道的」として、情状酌量を求めた。
 小田島被告は最終意見陳述で「ありません」とだけ述べた。
 根本渉裁判長は、「被告は前回の服役で更生の機会を与えられながら仮出所直後に犯行に及んでいる」。「金のためなら殺人もいとわない反社会的で冷酷非情な犯罪性向は根深く、更生の余地を見いだすのは困難」「極めて冷酷、非情で残虐。人間性の片りんもうかがえない犯行」と指摘した。判決理由で根本裁判長は、三事件すべてで小田島被告の主導的役割を認定。弁護側の「マブチ事件後の二事件は守田被告が積極的に持ち掛けた」とする主張を退けた。動機について、判決は「海外で楽に生活しようと思った」と指摘。計画段階から殺害、放火の手順を具体的に検討したとして「自己中心的かつ利欲的で、生命の尊厳に全く思いを致していない」と断罪した。被害者が4人に上ったことにも言及し、「被害者らの受けた恐怖感、絶望感は筆舌に尽くし難い」とした。

 弁護側は「主犯格とした点などで一審の事実認定に誤りがある」と控訴し、2008年1月に初公判が開かれる予定だった。しかし、2007年11月1日付で小田島被告が控訴を取り下げ確定した。小田島被告は一審で起訴事実を認め、判決前には弁護人に「(言い渡し通りの)刑に服そうと思う」などと話していた。弁護人によると、小田島被告から「遺族の激しい怒りが鋭い槍(やり)となって私の心に突き刺さってきます」「自分が犯した重大な罪に、謝罪の方法も分からない。遺族の願いは犯人の処刑だけで、自分の命でしか償えない」などと書かれた同日付の手紙が届いた。接見は拒否されたという。
 弁護人は「本人の誤解によるもので無効だ」として控訴審の開始を求めた。東京高裁(中川武隆裁判長)は7日付で、本人による控訴取り下げを有効と認める決定を出した。決定は「本人は取り下げの意義や法律効果を十分理解していた」と認定した。
備 考
 小田島被告は1990年、2人組で東京都内の社長一家7人を2昼夜監禁し、現金3億円と貴金属を奪った。約3ヶ月後に香港から帰国したところを逮捕され、懲役12年の実刑判決を受け、2002年6月に仮出所していた。守田被告はタイ人女性殺人事件で懲役12年の判決を受け、89年に入所していた。
 マブチ事件では、遺族らが事件から2年目の2004年8月、有力情報者に1000万円の謝礼金を贈ると発表。二人を名指しした情報が捜査本部に寄せられていた。遺族らは、容疑者2人の逮捕につながる有力情報を提供した男性4人に謝礼金計1000万円を支払った。
 守田克実被告は2006年12月19日、千葉地裁で一審死刑判決。2008年3月3日、東京高裁で被告側控訴棄却。2011年11月22日、被告側上告棄却、確定。
著 書
小田島鐵男『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版、2009)
ホームページ
 死刑囚小田島獄中ブログ(取材:斎藤充功)
現 在
 旧姓小田島。2013年6月、小田島から畠山に改姓。畠山は出生当時の姓。
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氏 名
庄子幸一
事件当時年齢
 46歳
犯行日時
 2001年8月28日〜9月19日
罪 状
 強盗強姦未遂、強盗殺人、強盗強姦、窃盗、住居侵入
事件名
 大和連続主婦強盗殺人事件
事件概要
 住所不定、無職の庄子幸一被告は交際していた主婦のY被告と共謀して、2001年8月28日午後2時半頃、神奈川県大和市の主婦(当時54)の住むマンションに侵入し、暴行を加えて強姦しようとしたが果たせず、ベルトで首を絞めた後出刃包丁で腹部を突き刺して殺害し、現金約23万円やキャッシュカード3枚等在中のリュックサック1個(時価約3000円相当)を奪った。さらにキャッシュカードを使い、銀行のATMから現金40万9000円を引き出した。
 さらにY被告と共謀して9月19日午前10時40分頃、同市の主婦(当時42)の住むマンションに侵入し、主婦の両手首及び両足首を粘着テープで緊縛するなどの暴行等を加えて強姦し、さらに顔面全体に粘着テープを幾重にも巻き付けて水を張った浴槽に押しつけて窒息死させ、現金6万円及び通帳等在中のポーチ1個(時価約500円相当)を奪った。
 他に庄子被告は単独で2000年5月、東京都江戸川区の知人女性(当時60)が住むマンションを訪れ、強姦して約1週間の怪我を負わせ、現金約12万円とキャッシュカード2枚を奪い、キャッシュカードを使って銀行のATMから現金425万円を引き出した。
 1番目の事件の主婦は、健康食品の訪問販売を通じてY被告と知り合い、顔なじみだった。2番目の事件の主婦は、Y被告の子供が同じ小学校に通っていたことから顔見知りであった。どちらの事件もY被告が女性宅を訪ね、女性がY被告を室内に招き入れ雑談をしていた時、物陰に隠れていた庄子被告が鍵を開けたままの玄関から押し入り、二人で犯行に及んでいた。
 庄子被告は1998年頃から鶴間駅近くのパチンコ店に通い、Y被告は鶴間駅近くのスナックで働いており、2000年6月に知り合った。11月頃から2001年6月頃まで東北や関東地方各地を転々とし、金が無くなると窃盗や無銭宿泊を繰り返していた。

 庄子被告は他に、以下の事件で指名手配されていた。これらは起訴されていないものと思われる。
 2000年6月、Y被告の知り合いである横浜市内に住む女性が金銭トラブルに悩んでいるのにつけ込み、庄子被告が弁護士になりすまし、女性から銀行のキャッシュカードを盗み、現金百数十万円を引き出した。
 庄子被告は2001年5月、Y被告と一緒に群馬県安中市内のビジネスホテルに二晩宿泊し、宿泊費など計10万円以上を支払わないまま姿を消した。

 庄子被告は2001年9月4日、横浜市の事件で神奈川県警から窃盗容疑で、他に江戸川区の事件で警視庁から強盗容疑で、群馬県警から詐欺容疑で指名手配されていた。
 9月下旬頃、庄子被告とY被告は1番目の事件で指名手配され、25日に公開捜査となった。捜査本部に寄せられた情報から行動範囲を絞り込み、26日午後3時過ぎ、伊勢原駅で2人を強盗殺人容疑で逮捕した。10月18日、2番目の事件の強盗殺人容疑で再逮捕した。

 庄子被告は1999年1、2月ごろ、山梨県内の知人の男の車で東京都江東区か江戸川区に住む男性のマンションを訪問したが、覚せい剤取引をめぐるトラブルからこの男性と山梨の男がけんかになり、庄子被告が男性の体を押さえつけ、山梨の男が包丁で男性の腹や胸を刺して殺害したと公判中の2002年11月ごろ、弁護人に告白。他にも横浜、川崎市での放火・窃盗、強盗など6件の余罪があるとも伝えた。弁護人は2003年1月24日、横浜地検に上申書を提出。しかし神奈川県警の捜査では、該当する殺人事件は見当たらなかった。強盗についてもあいまいな供述があった。
 神奈川県警は庄子被告が2000年8月31日、横浜市に住む同市職員の男性(当時54)方に侵入して現金約11万円などを盗み、証拠隠滅のためにライターで押し入れに放火、木造2階建て住宅約120平方メートルを全焼させた疑いと、同9月29日、同市の会社員男性(当時61)方に侵入して現金約3万円などを盗み、放火して木造2階建て住宅約100平方メートルを全焼させた疑いで、2003年3月5日、現住建造物等放火と窃盗の疑いで再逮捕した。しかし横浜地検は3月25日、「すでに強盗殺人罪で死刑を求刑しており、放火・窃盗事件の被害者があえて起訴することを望んでいない」として起訴猶予処分とした。
一 審
 2003年4月30日 横浜地裁 田中亮一裁判長 死刑判決
控訴審
 2004年9月7日 東京高裁 安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年11月6日 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 庄子被告は取り調べに対して、「祈とう師に『世の中に出るためには5つの扉かかぎを開けなければならない』と言われ、殺害を決意した。殺人自体が目的だった」と主張した。
 2002年1月28日の初公判で、庄子被告は起訴事実をほとんど認めたが、「殺すのが主だった。(犯行は)私1人が行った。彼女は横にいただけ」と述べ、Y被告が殺害には関与していないと主張した。Y被告は「認めます」とだけ答えた。
 冒頭陳述で検察側は、住んでいたアパートの家賃を督促された庄子被告が起訴事実のほかに、2001年8月、Y被告の知人4人をがけから突き落としたり、ホテルに監禁したりして殺害し、金を奪おうと計画したことを明らかにした。さらに庄子被告は知り合い3人の殺害をY被告に持ちかけたとした。犯行の動機について金に困った末の強盗目的などと指摘した。
 2月25日の第2回公判で行われた弁護側の冒頭陳述で、動機について「金取りやえん恨目的の殺人ではない」と主張。被告らが行動を起こした背景として、2人が足しげく通っていた祈とう師の存在に触れ、「押さえつけている五つ、六つのあだなすものを排除しなければならない」と助言を受けていたことを指摘した。そのうえで、「事件の本質を解明するには、この祈とう師との関係や被告人らの深層心理を明らかにする必要がある」と述べた。また、Y被告の弁護人は「Y被告は過去の宗教的体験から、超自然的な存在を信じやすい素地があり、犯行を決意するに至る心理状況には、庄子被告の説得によるマインドコントロールが作用している」とした。
 2003年1月8日の論告で検察側は、犯行動機、Y被告の関与と責任の度合いの説明に大半の時間を割いた。まず、両被告が定職に就かず、生活費や遊興費に困っていたことを指摘。最初の主婦を殺害した際、あえて夫の給料日直後を狙ったことや、二件とも室内を激しく物色していた点を挙げ、「強固な強盗目的があった」とした。また、庄子被告が「知人の祈とう師に『連続殺人をすれば幸せになれる』と指示された」と説明したことに対し、検察側は「宗教を持ち出すことで真の動機を隠ぺいし、犯行をためらう山本被告を承諾させるための作り話」と断じた。一方、Y被告について、検察側は、被害者と知人の立場を利用して室内に入り込む手口を提案したり、殺害の実行にも積極的に加わったりしたと認定。「知人をだますという卑劣さは悪質極まりなく、庄子被告とは異なる固有の責任がある」と非難した。そして「一生許せない」など厳罰を望む遺族の調書も読み上げ、「犯行態様はこれ以上ないほど凶悪かつ残虐。死刑に処するのを相当」と結論づけた。
 1月29日の最終弁論で両被告の弁護人は、いずれも起訴事実を認めたうえで、「死刑は憲法違反で回避すべきだ」と訴えた。また、庄子被告の弁護人は「祈とう師に『連続殺人をすれば幸せになれる』と言われて実行した。動機は金ではなく、殺人そのものだった」と改めて主張。Y被告の弁護人は「庄子被告に巧妙かつ執ように誘われて手を下した。量刑に配慮してほしい」と情状酌量を求めた。
 最後に庄子被告は「Y被告には人生をやり直す機会を与えてほしい。自分の中で整理できないことがあって、遺族に手を合わせられないことが愚かだ」と述べた。Y被告は「罪深さを感じている。どんな刑を受けても償いのしようがない」と、遺族に謝罪する手記を読み上げた。
 判決で田中裁判長は庄子被告を「犯罪熟練者」と呼び、「Y被告を犯行に巻き込み、罪は余りに深い」と断じた。そして「私利私欲から出た極悪非道の犯行で、反省の情も見られない。終始主導的な役割を担うなど、犯した罪は余りにも深い。死刑をもって臨むほかない」と結論づけた。一方、Y被告については「顔見知りの被害者を油断させるなど、山本被告なくしてありえなかった犯罪」とする一方で、「庄子被告の指示に従い行動した。立場は従属的で庄子被告の責任とは格段の差がある。改善更生していく可能性がある」と情状を酌んだ。

 弁護人の青木孝弁護士は「事実認定が正確でなく、事件が解明されていない。高裁の判断を仰ぎたい」と控訴した。
 控訴審で庄子被告側は、犯行時心神耗弱だったと主張した。また検察側は、Y被告について死刑を求めた。
 安広裁判長は「精神の異常をうかがわせる事情は認められない」と被告側の主張を退けた。そして「凶悪、非道な犯行で、被告らは人としての情を持ち合わせていないと言うほかない」と述べ、庄子被告の控訴を棄却した。Y被告については「庄子被告に巧みに利用された面もある」と認定し、検察側の控訴を棄却した。

 2007年10月2日の最高裁弁論で、弁護側は「被告には精神障害があり、完全な責任能力はなかった。反省もしている」として、死刑の回避を求めた。
 検察側は「精神の異常はなく、反省の態度はない」などとして、上告棄却を求め結審した。
 藤田裁判長は判決理由で「確定的な犯意を持って周到に準備し、何ら落ち度のない被害者を暴行、惨殺しており誠に凶悪。わずか三週間のうちに連続的に敢行され、地域に与えた衝撃も計り知れない」「自己の性欲と金銭欲を満たすため、一瞬にして被害者の平和な家庭を崩壊させた。落ち度のない被害者に連続的に行った凶悪な犯行で、刑事責任は重大だ」と非難。「反省し、共犯者の無期懲役が確定していることなどを勘案しても、死刑とせざるを得ない」と結論付けた。弁護側の心神耗弱主張については、「確定的な犯意の下、周到な準備をしている」と退けた。
備 考
 Y被告は求刑死刑に対し、一・二審無期懲役判決。被告側上告取り下げ、確定。
 庄子被告には強盗強姦等によって懲役刑を受けた前科がある。
現 在
 2011年9月現在、再審請求中。
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氏 名
古沢友幸
事件当時年齢
 37歳
犯行日時
 2002年7月31日
罪 状
 住居侵入、殺人、逮捕監禁致傷、銃砲刀剣類所持等取締法違反、逮捕監禁、傷害、窃盗
事件名
 元妻の家族3人殺人事件
事件概要
 無職古沢友幸被告は、離婚協議中だった妻が一方的に浮気していると思いこみ、実家に帰っていた妻を拉致して白状させ、殺害しようと計画。2002年7月31日未明、実家がある横浜市のマンションのベランダから室内に侵入した際騒がれたため、義父(当時71)、義母(当時63)、妻の前夫の子で養子縁組をした長男(当時12)をアタックナイフで刺殺。さらに妻の手足に手錠をかけて乗用車に押し込み逃走、富山市のホテルまで拉致、監禁した。古沢被告は8月4日、富山市内で発見、逮捕された。
一 審
 2004年3月30日 横浜地裁 小倉正三裁判長 死刑判決
控訴審
 2005年5月24日 東京高裁 安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2007年11月15日 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 一審で古沢被告は「殺意はなかった」とし、弁護側は傷害致死に当たると主張していた。
 検察側は論告で「自分の憤まんを解消するための犯行で残虐かつ悪質だ。動機は身勝手で酌量の余地はない」と述べた。
 判決で小倉裁判長は「殺傷能力の高い凶器で何度も刺し、倒れた後も放置するなどしており、殺意があったというべきだ」とした。そして「元妻の拉致目的のため、3人を巻き添えにした身勝手で残忍な犯行」と述べた。

 二審でも古沢被告は「殺意はなかった」と主張した。
 判決で安広裁判長は「被害者を多数回刺し、戦闘用の高い殺傷能力を有した刃物を使うなど、確定的殺意をもって犯行に及んだ」と指摘した。

 2007年10月15日の最高裁弁論で、弁護側は「計画的に殺したわけではなく、確定的な殺意もなかった。死刑は重すぎる」として無期懲役を求めた。検察側は「残虐な犯行で、何の落ち度もない3人の命を奪った。殺意を否認するなど不自然な弁解に終始している」と上告棄却を求めた。
 判決で甲斐中辰夫裁判長は「妻を連れ出す邪魔になるという理由だけで、全く落ち度のない3人を殺害しており、極めて身勝手。逃げようとする被害者を次々と刃物で突き刺した誠に悪質な犯行で、反省していることを考えても死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 古沢被告の元妻は2004年3月30日、犯罪被害者給付金支給法に基づき給付を申請。同法は被告と被害者や遺族が、夫婦や親子の関係にあった場合、被告が給付金を得る可能性があるとして、給付金の支給対象外としてきたが、公安委員会は、夫婦の実態がないことなどから「特段の事情があるときは規定にかかわらず支給する」との特例規定に当たると判断し、2006年12月20日、元妻・元妻の実弟・元妻の前夫に各約55〜165万円を支給した。
執 行
 2012年3月29日 46歳没
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氏 名
宇井゙次
事件当時年齢
 61歳
犯行日時
 2001年8月9日
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件名
 岡山女性殺人事件
事件概要
 岡山市の清掃業宇井゙次(りょうじ)被告は、2001年8月9日午前9時20分頃、岡山市内の自宅で、交際していた知人の女性(当時57)が借金の返済を拒んだことに腹を立て、帰ろうとしたところの女性の首を絞めて殺害。乗用車で遺体を運び、同市日吉町の笹ヶ瀬川東岸の竹薮に捨てた。
 宇井被告は2001年3月頃、知人を介して身体に障害を持つ女性と知り合い、頼まれて金を貸したことをきっかけとして交際するようになった。その後、頼まれる度に金を貸し続けたため手持ちの金がなくなり、知人や消費者金融から金を借りるようになった。
一 審
 2003年5月21日 岡山地裁 榎本巧裁判長 死刑判決
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控訴審
 2004年2月25日 広島高裁岡山支部 安原浩裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
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上告審
 2007年11月30日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪医療刑務所
裁判焦点
 弁護側は以下のように主張。
(1)激情に基づく偶発的犯行で計画性はなく、悪質な動機とするものでもない。
(2)被害者は金銭関係に極めてルーズで、性的関係まで誘惑しながら利用価値がないとわかると態度を豹変させるなど、被害者にも大きな落ち度がある。
(3)被告は服役中、一切のトラブルを起こしたことがない模範囚であった。仮出所後も自ら働いて収入を得、経済的に自立した生活を送っていたので、犯罪傾向が顕著であるとはいえない。
(4)不自然な弁解をせず、反省、悔悟している。
(5)死刑摘要の判断基準に照らし、死刑の選択をすべき事案に当たらない。
(6)すでに刑罰を科せられ、服役中の前科に再度刑を科すことは許されない。
 一審で岡山地裁榎本裁判長は「自力更生の機会を生かすことなく、同種の犯行を犯しており、今後、人格を変容し、犯罪傾向を改善する見込みがあるとはいえない」と述べた。

 控訴審で安原裁判長は弁護側主張を一部認めながらも、死刑の選択を避け得るほどに決定的な事情は見出し難いとした。

 2007年10月19日の最高裁弁論で、弁護側は「事件を深く反省し、後悔している。根っからの悪人ではなく、更生の可能性は十分ある」として死刑回避を求めた。検察側は「親密な関係にあった女性2人を殺害して19年7ヶ月服役し、仮釈放から1年9ヶ月後にまた親密な関係にあった女性を殺害した。更生は不可能」と反論して結審した。
 判決で今井裁判長は「無防備な被害者をいきなり襲った執拗、冷酷な犯行」「女性2人の殺人などで無期懲役刑となり、20年近く服役したのに仮釈放されて約1年9ヶ月で類似の犯行に及んだ。犯罪性は根強く、死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 宇井被告は1977年にバーのホステス(当時37)を、1979年に小料理店の女性経営者(当時30)をそれぞれ殺害し、川に捨てた殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺、業務上横領事件などで1980年3月19日に名古屋地方裁判所一宮支部で無期懲役(求刑無期懲役)を言い渡され、4月3日に確定。その後岡山刑務所に服役。1999年11月に仮釈放されていた。
その後
 宇井死刑確定囚は2007年4月から胆管がんのため大阪医療刑務所で治療を受けていた。2008年2月7日、胆管がんのため死亡。68歳没。
 法務省矯正局は「死刑に関する情報公開を進めるという法相の意向を受けた措置」として、病死した死刑囚として初めて氏名を公表した。
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