死刑確定囚(2002年)



※2002年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
陳代偉/何力
事件当時年齢
 31歳/27歳
犯行日時
 1992年5月30日
罪 状
 強盗殺人、建造物侵入、出入国管理及び難民認定法違反
事件名
 多摩市パチンコ店強盗殺人事件
事件概要
 1988年に中国人留学生として来日し、在留期限が過ぎた後も不法滞在していた、陳代偉(チェン・ダイウェイ)、何力(フー・リー)被告は、仲間の王剛勇容疑者(28?)と共謀し、1992年5月30日午後11時30分頃、東京都多摩市にあるパチンコ店のある雑居ビルに侵入。エレベーター内で、売上金など約1500万円を運んでいた従業員の男性2人(当時39、43)をナイフでめった刺しにして殺害。物音で駆けつけた専務の男性(当時36)も刺し殺し、エレベーター内に散乱していた売上金の中から現金約230万円を奪った。
 1992年10月、陳被告は別の中国人とともに東京都内のスナックに窃盗目的で侵入して建造物侵入、窃盗未遂容疑で逮捕、起訴された。何被告は11月に出入国管理及び難民認定法違反容疑で逮捕、起訴された。12月9日、指紋から強盗殺人事件の犯人として両被告は再逮捕された。事件の首謀者とされている王剛勇容疑者は、強盗殺人容疑で国際手配中である。
一 審
 1995年12月5日 東京地裁八王子支部 豊田健裁判長 死刑判決
控訴審
 1998年1月29日 東京高裁 米沢敏雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2002年6月11日 最高裁第三小法廷 金谷利廣裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 一審で両被告は事前に周到な計画を立てて現金を奪ったことは認めたものの、殺人については否認した。また、二人は従犯であり、殺意を否定。
 豊田裁判長は「十分下見したうえ、殺傷力の強いナイフで背後から突き刺すなど殺意、犯意は確定的で悪質な犯行」「現場に凶器などの物証が残されており、強盗を計画的に意図して確定的な殺意を持って襲ったことは明らか。簡単に三人の命を奪った犯行は冷酷無比で極刑をもってのぞむほかない」と判決理由を述べ、両被告に死刑を言い渡した。

 陳被告は共謀と殺害への関与を否認。何被告は「殺意はなかった」などとして、事実誤認や量刑不当などを理由に控訴した。
 米沢裁判長は「もっぱら金銭欲の動機、計画性、残虐性、三人殺害という結果の重大性、極刑を望む遺族感情などにかんがみると、両被告を犯行に誘った首謀者が現在も逃亡していることなどを酌量しても極刑はやむを得ない」と判決理由を述べた。大型のナイフ二丁や棒を用意し、被害者を一斉に襲撃した経緯、両被告の自白調書などから「事実誤認はない」と判断した。

 最高裁で陳被告は「殺害の実行行為には関与していない」と主張。何被告も「殺意はなかった」とし、いずれも死刑を回避するよう求めた。また留置所において警察官に暴力を振るわれ、さらに高熱の中での取り調べにおいて自白を強要された。しかも一審、二審ともその自白によって判決文が書かれており、信憑性がないと主張するとともに、逃亡中の王容疑者の供述がなければ真相を解明できない。それなのに死刑を言い渡すのは不当であると述べた。
 判決理由で金谷裁判長は「綿密な相談、予行演習などをした上で三人を殺害しており、犯行は冷酷、非情、残虐」と指摘。「手配中の共犯者が二人よりも主導的だったことを考慮しても責任は誠に重大で二審の死刑判決を是認せざるを得ない」と述べた。
その他
 最高裁によると、在日外国人をのぞき、外国籍の被告に対する死刑判決としては、仙台市内の米軍基地に駐留していた米国人兵士(1957年3月、仙台地裁)と米軍沖縄基地駐留の米国人(1974年9月、那覇地裁)の例(いずれも二審で無期懲役判決)があるが、出稼ぎ目的の来日外国人の死刑判決は初めて。
 外国人被告の死刑が確定するのは、統計を取り始めた1966年以後、同年の横浜地裁判決(一審で確定)以来2件目で、最高裁での確定は初めて。来日外国人としては初めてである。
現 在
 2011年時点でともに第二次再審請求中。
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氏 名
横田謙二
事件当時年齢
 49歳
犯行日時
 1999年1月9日
罪 状
 殺人、死体損壊・遺棄
事件名
 川口バラバラ殺人事件
事件概要
 1999年1月9日、工員横田謙二被告は家事手伝いの女性(当時21)を誘い、居酒屋で飲んだ後、東京都足立区の自宅で2万円の小遣いを渡したが、「これっぽっち」などと言われ腹を立て口論となった。騒ぎを近所の住民に知られて仮出所が取り消されたらまずいと思い、横田被告は女性の首に右腕を回して殺害。13日〜14日ごろにかけて、遺体は運びやすくするために自宅のふろ場で女性の遺体を刃物でバラバラに切断して、それぞれポリ袋に包んだ。15日〜16日ごろにかけて計3回にわたり、自転車で足立区と埼玉県川口市内の荒川左岸にビニール袋に包んだ遺体を捨てた。胴体は見つかっていない。
 被告は、女性が1998年10月まで働いていたスナックに客として出入りしていた。横田被告は一流会社の社員と偽っていた。
 横田被告は死体遺棄容疑で4月9日に逮捕された。
一 審
 2001年6月28日 さいたま地裁 若原正樹裁判長 無期懲役判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 2002年9月30日 東京高裁 高橋省吾裁判長 一審棄却 死刑判決
上告審
 2002年10月24日、上告取り下げ、死刑確定。
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 横田被告は初公判で起訴事実を認めている。ただし公判の途中で、女性が果物ナイフを掴んで体当たりしてきた、それでナイフが女性に刺さって死んだ、と主張した。
 公判で弁護側は「判例上、殺人の前科があり、仮出所中であっても、死刑が選択されるのは強盗殺人や性犯罪に絡む殺人である場合が多い。本件は強盗や強姦目的ではなく、計画性もない」と主張、死刑判決の回避を求め、検察側は「出所後わずか一年足らずで、さしたる理由もないまま殺人などの大罪を犯した戦りつすべき事案」として、極刑を求めていた。
 判決の中で、若原裁判長は「被告の犯罪性向は根深いものがあり、本件はきわめて自己中心的で身勝手」と厳しく指弾。「死刑に処すべきという検察官の意見も、十分傾聴に値する」とした。
 しかし、〈1〉横田被告が成人後、大半を刑務所で過ごしてきたことなどを考慮すると、(社会性の欠如は)ある程度やむを得ない〈2〉殺人について、計画性をうかがわせる証拠はない〈3〉精神鑑定から、横田被告の犯罪性向は改善不可能なほどではない−−などと、横田被告に対して一定の理解を示し、検察側の「被告人の反社会的性格は矯正不可能」などとする主張を退けた。
 そして若原裁判長は「被告人は生い立ちに恵まれず成人後の大半を刑務所で過ごした。社会復帰後の一年足らずで大罪を犯したが、被害者との口論に誘発された偶発的犯行だった。犯行は悪質で重大だが、極刑の選択がやむを得ないとまではいえない」として横田被告に無期懲役を言い渡した。

 検察側は死刑を求めて控訴。弁護側は無期懲役は重すぎると控訴した。
 控訴審で弁護側は「被害者がナイフを振り回したため、体当たりした際に刺してしまった。過剰防衛が成立し無期懲役は重すぎる」と主張、また「被害者の言動による偶発的な犯行」とも訴えた
 判決理由で高橋裁判長は「口論する結果は、虚言に満ちた生活で自らが招いたもの。不合理な弁解をしており、真に反省しているとは言えない」「口論となった被害者の言動に過剰に反応して殺害し、冷酷、残忍な性格による犯行。一審判決が認定した偶発的犯行と考えるべきではない」と指摘。
 さらに「仮出獄から1年足らずで殺人を犯すなど、ささいなことに過剰に反応する性格は矯正は事実上不可能。被害者は一人だけだが、仮出所後の殺人で極刑もやむを得ない」と述べ、一審で死刑を求刑し控訴していた検察側の主張を認めた。
 弁護側の過剰防衛の主張には、「証拠から、ナイフを振り回した事実を認めることはできない」と退けた。

 控訴審の国選弁護人(大熊裕起弁護士)は直ちに上告したが、事件記録が最高裁に送付される前の2002年10月24日、被告人本人により上告が取り下げられ、死刑判決が確定したとされていた。ところが、2006年9月13日、上記国選弁護人であった弁護士から、東京高裁に対し、被告人と連署した最高裁宛の弁護人選任届とともに、「本件上告取下げは、被告人において上告取下げの意義を理解し自己の権利を守る能力を十分に有していない状態でなされたものであり、仮にそうでなくても、理性的な判断ができなくなった状態でなされたものであって、無効であるから、事件記録を最高裁に送付するよう申し入れる」旨の申入書が提出された。東京高裁は、事実取調べ等を経た後、2007年9月、「被告人本人による上告取下げが有効であり、本件上告が被告人の取下げにより終了したものであることは明らかであると思料するが、本件事案の性質に鑑み、本件訴訟記録を最高裁判所に送付する」旨をその判断理由とともに記載した意見書を付して、事件記録を最高裁に送付した。これに対して、最高裁第三小法廷は2002年10月24日の上告取下げにより終了したものであるとして、訴訟終了宣言をした。
その他
 横田被告は少年時代から空き巣や窃盗、詐欺などの犯罪を重ねていた。1978年1月、千葉県松戸市に住む知人宅に金を無心に行くも留守で、知人の父親(当時60)と話しこみながら帰りを待っていたが、父親から金を奪おうと思い、隙を見て絞殺し、金を奪って逃走した。9月、千葉地裁松戸支部で無期懲役の判決を受けて19年4か月服役。1998年1月に仮出所していた。
 横田被告は常々「死刑にしてくれ」と言っていた。
現 在
 2008?年、再審請求。
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