ひょうご男性保育者連絡会のあゆみ

 昭和51年、神戸市灘区の社会福祉法人、青谷愛児園にひとりの男性職員が採用された。片山喜章氏(現・はっと保育園園長)である。日本で男性にも保母資格が認められるようになったのは昭和52年のことであったが、その前年のことであり、氏は事実上、兵庫県の男性保育士第1号であろう。当会が全国にあまた存在する男性保育者連絡会の中でも歴史が古く、かつ、今日まで精力的に活動し続けることができたのは、我が国の男性保育者の黎明期とも言えるこの時期に、神戸に氏が既に保育者として存在していたということが非常に大きい。 

 

 それから4年後の昭和56年4月。神戸市立の保育所に初めて男性保育者が採用された。原坂一郎、奥平浩太郎、久門田充の3氏である。3氏は、神戸市はもとより兵庫県でも初の(公立)男性保育者となった。

 また、この年、神戸市北区に私立保育園(明照保育園)が新設され、鶴崎宏氏がやはり保育者として新しいスタートを切った。

 神戸市で働く男性保育者が一挙に5名となり、先述の片山氏を中心に5名は自然と集まり語り合うようになった。職場は違えども、共通の思いや悩みがあり、お互いを「なかま」と感じるとともに、集まって語り合うだけで勇気が沸いて来るのであった。



 
 翌昭和57年には1名、さらにその翌年にも1名、と神戸市に男性保育者は少しずつだが増え続け、集いにも毎回6名7名と顔がそろうようになり、月に一度、定期的にメンバーの家に集まるようになった。

 話題はほとんどフリートーク。保育の話はもちろん、趣味の話から結婚話まで何でも話し合った。だが、仕事上の悩みなどを打ち明けると必ずそれはその場で晴れていき、お互い明日から勇気と元気が沸いてくる、というのがこの集いの特徴となっていたのであるが、それは今日までずっと変わらない。

 

 やがて年号も昭和から平成に変わり、多少のメンバーの入れ替わりがあったものの、公私立ともに男性保育士の数が増え(神戸市内の男性保育者10数名)、集いのもち方も難しくなる。他県のなかまと連絡を取ったり交流したりと、もっと組織だった会の運営が必要となってきたため、当時、すでにあった「全国男性保育者連絡会」の例にならい、「KOBE男性保育者連絡会」を発足させた。平成5年4月のことである。

 初代会長を原坂一郎、副会長を鶴崎宏に据え、久門田充、長谷秀揮、広瀬宝典、阪上裕二、喜瀬茂喜、そして唯一の園長会員・高橋光公と、まさに多士済々のメンバーがそろった。メンバー8名全員が神戸在住、もしくは職場が神戸という関係で「KOBE・・・」となったのであるが、単独自治体での男性保育者連絡会は、日本でも初めてのことであった。

 年に一度総会を、月に一度定例会をもち、会報は毎月発行(現在ではメールでも配信)。会長、副会長は1年毎の改正というルールでスタート。親睦を促す各レクリエーションはもちろん、のちの「保育オープン講座」へと続くオープン参加形式の「実践報告会」や「就職相談会」など、社会的な活動も多々行なっていった。

 

 翌平成6年にはメンバーも急増し、男性保育者連絡会としての力もついていくに連れ、内外からもその存在が認められるようになり、翌平成7年、当時で既に7回実施されていた男性保育者の全国大会の主催者としてそろそろ立候補しよう、と決心した矢先、突然悪夢が神戸を襲う。

 1月17日の「阪神淡路大震災」である。

 

 翌2月に行われた、北海道での第8回全国集会(次回開催都市として引き継ぎのため参加する予定だった)は、交通手段の断絶によりもちろん不参加。次回の開催も辞退し、メンバーは神戸の復興に忙殺され、ちりぢりの状態になり、活動も休止に追いやられる。しかし、全国の「なかま」からの数多くの励ましやカンパに助けられ、「KOBE」は立ち直っていくことができた。(全国の「なかま」に心から感謝。特に、わざわざ励ましに訪れてくれ、全国大会の次回の代役も買って出てくれた東京のなかまには。)

 

 震災後もメンバーは増え続け、翌平成9年には20名を越えた。会は再び軌道に乗り出し、メンバーが30名を越えた平成10年、栄えある記念大会「第10回全国男性保育者研究交流集会」をついに神戸で実施。東京主催以外の開催地としては、157名という参加者の新記録を作り、大成功を収めることができた。全国のなかまに神戸の復興を印象づけることができた、文字通りの記念すべき集会となった。



 この集会を機に、メンバーも大幅に増え、県下全域から集まるようになったため、翌平成11年度から名称を「KOBE」改め、「ひょうご男性保育者連絡会」と改名。さらに、特に兵庫県西部のメンバーが多くなったこともあり、「ひょうご男性保育者連絡会西支部」も発足。支部独自の活動も精力的に実施するようになった。

 

 特筆すべき活動は本部、支部ともに実施している「特別保育オープン講座」。これは、私たち男性保育者から女性保育者、ひいては広く一般市民にも向けた、育児および保育のメッセージ、大きく言えば社会貢献であると自負している。

 若手をも含むメンバーが各講師となり、人形劇・ピアノ教室・コマ回し指導・昆虫の飼い方・体操教室・劇遊びの遊び方・パンフラワー保育・そして保育の裏ワザ(のちに単行本化された)を披露する・・・。保育のさまざまなジャンルで、スペシャリストと化したメンバーを多く擁する当会ならではの活動でもあり、今年は第6回目を迎える。


 平成16年4月現在、メンバーただ今、総勢約70名。定例会は、発足以来欠かさず実施され、最近は、メンバーの保育実践の披露、メンバーからの保育技術の伝授、保育にまつわる新情報の交換の場にもなっており、参加者の満足度はますますアップしている。  活動はさらにパワーアップし、平成15年より、合宿が再開され、その名も「保父まつり」と名付けられる。これはとりわけ最近とみに増えたヤング保育士には、保育士としての実力アップも図れる、よき習練の場にもなっている。