下野・会津・津軽地方に連綿と伝わる匠の技術がつくる 手仕事・伝統的工芸品、民芸品 専科 本文へジャンプ

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干支「午」特集
仕事専科は、㈱とぴい企画のブランドです。
「和美との生活」を提唱しております。
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下野地方・会津地方・津軽地方に連綿と伝わる匠がつくる「手仕事」・伝統的工芸品、民芸品そして伝統的食品をご紹介し、通販にて販売しています。
    ・・・・手仕事専科では、”
和美との生活”を提唱しています。・・・・
□■現在106業種156工房■□  □■会津地方の手仕事■□ □■津軽地方の手仕事■□
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 下野地方の手仕事   43業種76工房   
はにわ 大塚はにわ店
民窯
埴輪

益子焼
しのはら
益子焼 神谷正一と8工房
益子焼
神谷正一

益子焼
村田浩

益子焼
神谷製陶所

益子焼
堀越美紀

益子焼
ふじ窯
 

益子焼
南風窯
 

益子焼き
作家達(Ⅰ)
 
益子焼
宇田川勉

益子焼
吉兵衛窯

創作工房
あくつ
 
磁器
太郎工房

益子焼
薄田窯
 茶陶 八染窯
茶陶
八染窯
鬼瓦 「山菊鬼瓦店」
鬼瓦
山菊鬼瓦店
那珂川町にある小砂焼「藤田製陶所」の金結晶
小砂焼
藤田製陶所
天命鋳物 若林秀真
天命鋳物
若林鋳造所

九尾焼
岡本久臣
 石仏「道祖人」
石佛
大久保石佛工房

創作銀工芸
青野信夫

鹿沼の寄木組木細工
鹿沼の
寄木組木
 日光指物「倭人銘木」
日光指物

倭文銘木
木工ロクロ「鈴木民芸」桑の木の茶器
木工ロクロ
鈴木民芸
 木・工房ヒロ「みんな友達」
組木パズル
木・工房ヒロ
 鹿沼の桐箪笥「大塚」
鹿沼桐箪笥
 仏師 朝倉二美「雲中供養菩薩南22号」
仏師
朝倉二美
 原木細工「丸太絵」 山ぶどう・あけび
丸太絵
 
巣箱とランプ

木工芸
盆栽「グリーンセンター藤川」
盆栽
グリーンセンター藤川
宝珠堂の御神輿「小川政次」
御神輿
小川政次
 指物 クロサキ工芸 「木彩萬箱」指物
クロサキ工芸
 日光彫「村上豊八商店」 尺丸盆切出牡丹
日光彫
五十嵐漆器㈱
竹芸「八木澤竹工房」・竹芸天翔風
八木澤竹工房
天翔風
竹芸 無心庵 斎藤正光 竹バッグ
無心庵
ちくげい工房
那須の篠工芸
那須の篠細工
 
日光下駄 
日光下駄

山本政史 

日光下駄
倉田工房
 

きり絵
・3Dアート
烏山和紙/灯り「かすみ」
烏山和紙
福田製紙所
大麻博物館 紡錐車・精麻
大麻博物館
野州大麻 「野州大麻(やしゅうおおぬさ)」
野州大麻

お麻もり
麻の葉工房
野州麻紙工房
野州麻紙工房

鞄工房510
鼈甲細工「田中工芸」
鼈甲細工
田中工芸
 和提灯「新波の提灯」
新波の提灯
 組紐「間々田ひも」
組紐
間々田ひも


糸あそび工房
 

古布
和布工房ゆい
 着雛「吉貞」現代の名工吉田宏
着雛
吉貞
 
武者絵の里「大畑」
武者絵
染織「日下田藍染工房」
藍染
日下田藍染工房
宮染 「中川染工場」
宮染
中川染工場

印染
福井染工場

染色
高久加奈子
  
草木染 夢屋染織工房 野島千尋
草木染
夢屋染織工房

宇都宮餃子
ハシモト物産
 

いしがきかりー
はるこま屋

春駒味噌
はるこま屋
手作り味噌 とべや
手作り味噌
漬物・佃煮
とべや

煮たまご
じーちゃんの
煮たまご本舗

稲の沢
みどり米
(高森昭一)

 
 
那須の弁慶米
(柴田久夫)
  
WaterFor
Everyone

H3Japan
花かつお・鰹削節店 仙台屋
花かつお削り節
仙台屋
 
 那須みそ (有)須藤醸造
那須みそ
   
 
 「下野・会津・津軽 手仕事専科」のコンテンツは、下野手仕事会にありました。
幼いころから物作りの楽しさを祖父(兼次郎)から受け継いでいた私は、30年にわたるホテル勤務から、自然と栃木県の職人の方々とのお付き合いを通して、その技術のコツや面白さや美しさに触れることで培っていったものと思います。

 手仕事の保存と継承を目的として、「和美との生活」を提唱しておりますが、大きな流れの中で努力のないものは、朽ち果てて行ってしまいます。古いから尊いのではなく、お客様に喜ばれるものであることから尊いという原点は、いつの時代でも同じものと思います。 
下野国とは

●下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東山道に属した。延喜式での格は上国、遠国。記紀には准大国とある。下野州(しもつけしゅう)や単に野州(やしゅう)と通称されることもある。現在の関東地方北部(北関東)に位置する。領域は現在の栃木県とほぼ同じだが、加えて群馬県桐生市のうち桐生川以東を含む。かつて栃木県は下野国と完全に同一の範囲だったが、昭和34年(1959年)と昭和43年(1968年)に栃木県の一部が桐生市に越境合併されたため、僅かに相違が生じている。

●古代の毛野国(けのくに)のうちの、下毛野国造(国造は下毛野君、現在の栃木県中南部地域)の領域が、令制国の下毛野国(しもつけのくに)として成立した。日本書紀によれば崇神天皇の皇子であった豊城入彦命が下毛野君の始祖とされている。7世紀、北東部の那須国造の領域を合わせ、現在までの領域が確定した。

和銅6年(713年)に施行された諸国郡郷名著好字令によって、全国の国名が漢字2文字に統一された。その際、下毛野国(下つ毛の国)から下野国となった。「下毛」ではなく「下野」となったが、読みは「しものくに」とはならず「しもつけのくに」のままである。

下野の手仕事 「下野の手仕事」(隋想舎:柏村祐司著)から、一部を用いて手仕事への想いをご紹介いたします。
まえがき(元下野手仕事会会長 日下田正)
 栃木県内の伝統的手仕事の保存、伝承を目的に設立された「下野手仕事会」が迎えた創立30周年の記念に柏村先生が執筆になる「下野の手仕事」が刊行されること・・・。かつて、私たち職人の仕事は、人々の日々の暮らしのために必要とされ存在しておりました。産業革命以来、科学工業技術飛躍的な進歩が、大量生産・大量消費の時代を招き生活様式も大きく変化して参りました。手仕事に関わる者には、難しい時代が続いております。
 しかし、ウィリアムモリスが提唱した「イギリス工芸運動」が、あるいは柳宗理、浜田庄司の「民芸運動」がそうであったように私たちは、人間の手が物を創り出すことに深い意味を見出した先達者がたくさんいたことも考え、手仕事の持つ可能性を信じ、先人から伝えられ、培ってきた技術を後世に伝えるべく努めてまいりたいと思います。・・・・」

益子焼  益子焼は、嘉永六年(1853)に茨城県笠間の箱田焼の技法を学んだ大塚啓三郎が根小屋に窯を築いたのが始まりと言われる。その後、当地を治めていた黒羽藩の群奉行三田弥平が、六軒の業者に資金を貸し付け、藩の御用窯としてかめ・すり鉢・土びんなどの台所用品を焼き益子焼の基礎を作った。明治中期は、土びん全盛で特に山水図を施した土びんが多く焼かれたが、明治末期から粗製濫造となり、また、最大市場であった東京でガスが普及し市民の生活様式が変化したこととあいまって市場を狭めた。その後、大正一二年の関東大震災を境に再び需要が増えだし、さらに大正一三年益子にやってきた民芸運動家であり陶芸家であった浜田庄司が益子焼を世に紹介するとともに、新しい益子焼を創造することによって益子焼は高い評価を受けるようになった。戦後の高度経済成長期には、益子が東京に近いことや泥臭い益子焼が 民芸運動に乗ったこと、また、開放的な土地柄から多くの作家が、益子に来て多様な創作活動を展開したことなどにより一大飛躍を遂げ今日の益子焼を築いた。
 益子焼は、もともと地元で取れる粘土と上薬とを用いて焼いたものである。粘土は珪酸分と鉄分を多く含む土であり、粘り気が少なく耐火度も低いために厚手に作られ、一方、釉薬は天然の石や灰を混ぜて作ったもので、おもに柿釉黒釉飴釉糠白釉青磁釉並白釉茶色青緑などに発色する。装飾法は、鉄絵蝋抜流しかけなど安価な台所用品に適合した簡単で素朴な味わいのするものであった。浜田庄司は、こうした益子焼の素朴さ健康美にひかれ、従来と同じ原料と同じ登窯を使いながら卓越した芸術性と豊かな知識、技法を駆使しながら民芸益子としての新しい益子焼を確立した。
 その後、益子焼は、浜田庄司の民芸益子を継承する窯があれば、需要拡大に伴い機械化による大量生産を行う窯が増加し、さらには、加茂田章二に代表される従来の益子焼の原料、装飾法にこだわらない自由な表現を行った新しい益子焼を創作する窯など活気満ち溢れる多様な展開をしている。

                        -隋想舎(「下野の手仕事」:柏村祐司著)から-
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