台湾先住民族(原住民族)の10年を振り返って

――法制度化を中心に――

 

出典:先住民族の10年市民連絡会、20056月『先住民族の10News115号、1-4

 

中村 平(日本学術振興会特別研究員、台湾在住)

 

1、原住民族という自称に至る流れ

1994年、今から11年前に、台湾先住民族は、これまで中華民国政府に「山地同胞」とされてきた名称を、「原住民」とする憲法条文の変更をかちとりました。台湾では、自称を公認させるこうした運動を「正式名称要求運動」(正名運動(ジェンミンユンドン))と言っています。

台湾原住民族はそれまで、清朝時代の「番」、日本時代(18951945年)の「蕃人」「蕃族」「高砂(たかさご)族」、そして中華民国時代の「高山族」「山地同胞」などと、さまざまな名称で呼ばれてきました。民間では、ホーロー(河洛、福)語(中国大陸南部から渡ってきた人々のうち、マジョリティの言葉)で呼ばれるところの差別語、「番仔(ホァナ)」が、ことあるごとに先住民族に投げつけられてきた歴史があります。正名運動は、単に呼称を変えるだけでなく、主体的な歴史を自分たちの手で取り戻そうとする運動です。

自称を「先住民族(シェンジュミンズー)」とする案もありましたが、中国語の語感で、「先」には「すでに滅んでしまったもの」という意味が含まれることにより、「もともとの」という意味をより強く持つ「原住民族」が広く採用されることになりました。

台湾原住民族は現在、人口45万人強。台湾2300万人の2%に満たない少数民族です。圧倒的マジョリティは、この数百年間の間に、中国大陸から渡ってきた漢民族です。台湾原住民族は、言語学的にオーストロネシア語族と呼ばれ、中国語ではそれを「南島語族(ナンダオユーズー)」といいます。この「語族」が転じて今では、「南島民族(ナンダオミンズー)」という呼称も登場しており、太平洋各地の民族とのつながりを強める動きも出てきています。

こうした動きは、中華民国の国際的な位置とも関係しているといえます。周知のように、1971年の中華人民共和国の国連加入とともに、中華民国(台湾)は国連を退出しました。日本とは1972年、アメリカとは1978年に国交断絶となりました。

現在中華民国は、台湾独立を掲げた民主進歩党(民進党)の陳水扁(ちんすいへん)総統(2000年−)のもと、台湾ナショナリズムの流れが強まり、これまで国民党が掲げてきた中華ナショナリズムと緊張関係にあります。そうしたなか、中華民国が中国大陸との差異を強調するために、もともと中華民族ではなかった台湾先住民族の文化が、政治的なカードとしてとりあげられている現状があります。

 

1、法制度の確立と、新たな民族の認定

憲法の条文を改正させたのちの、法制度の変遷をかけあしで見たいと思います。1995年に「姓名条令」が修正公布されました。これによって、原住民族名での戸籍登録が可能になりました。1996年には、中央政府レベルの原住民族専門の行政機関「行政院原住民委員会」が設置されました(のちに原住民族委員会と改称)。直轄市の台北市(1996年)と、高雄市(1997年)にも、原住民事務委員会が設置されました。

1998年には「原住民族教育法」が公布されました。2001年には「原住民身分法」が公布されました。原住民身分の父母どちらかの姓を名乗ることによって、原住民の身分が得られるようになりました。同年、「原住民労働権保障法」が通過しました。原住民の就業権を従来より保障する内容です。また同年、「原住民族の民族言語能力の認定に関する法律」が発布され、民族語能力認定試験が、この年以降毎年行われています。

2005年、今年1月、「原住民族基本法」が公布されました。基本法はその名のとおり、原住民族の権益に対して、明確で概括的な保障をするものです。「原住民族の土地権と自然資源権を認め、原住民族の土地の開発にあたり、原住民族のコンセンサスと参与を必要とする」。これらは大きな前進ですが、原住民族国会議員が作成した草案の、土地は原住民族の所有であり、国家が原住民族に土地を返還しなければならないとの条文は削られました。

 原住民族に対するこうした法の確立と同時に、これまで9民族とされてきた台湾の先住民族は、新たに3民族の政府による認定をかちとりました。2001年認定(以下同じ)のサオ民族、2002年のクヴァラン民族、2004年のトゥルク(タロコ)民族です。従来の9民族とは、アミ、タイヤル、パイワン、ブヌン、ルカイ、プユマ、ツォウ、サイシャット、ヤミ(タオ)です。

 未だに民族として認定されてはいませんが、平埔(へいほ)族と呼ばれる人々のなかには、台湾平埔原住民協会を設立し、行政院平埔族群委員会(族群とはエスニック・グループの意)の設立を求める運動もあります。パゼッへ、ケタガラン、シラヤの人々が、行政院に民族認定を求める意向を表明しています。平埔族は、原住民族であるが、清朝により、漢化し「開化」し、「帰順」し実効支配下に入ったとみなされてきた人々です。

 現在の台湾は、清朝期以前から住んでいた原住民族、清朝期前後に中国大陸から渡ってきた漢民族、その漢民族と混血した平埔族、1949年の国民党政府の台湾への撤退とともに渡ってきた漢民族、そしてそれらの人々同士の結婚によって生まれた人々、という構成をなしており、極めて複雑な様相を呈しているといえます。

 

3、民族自治の課題

 この十年間で、先住民族の自治に関するシンポジウムや学術論文、委託研究が盛んに行われ、デモなどの直接行動とともに法制化の原動力となってきました。原住民族運動の最前線のひとつを担ったといえる、原住民族権利促進会(1984年原住民権利促進会として発足)は、1987年に提出した「台湾原住民族権利宣言」のなかで、明確に自治権を主張しています。

 非合法政党として出発した民進党は、1993年に原住民自治区の設置計画を公表しています。また陳水扁総統は、2000年の総統選挙期間において、原住民族と「新しいパートナーシップ」を結び、そのなかで自治を進める約束をしました。200312月に陳総統は、政府と原住民は国と国に準ずる関係にあり、未来の新憲法構想において、原住民に関する特別な一章を設けてそれを保障することを希望すると述べました。

 2003年に行政院は、「原住民族自治区法草案」を公開し、現在立法院で審議中です。これが事実上、陳政権が進める原住民族自治の、現在の基本となるものです。その内容は、次のようなものです。

「原住民は民族の別により、単独あるいは合同で自治区を設立する。各民族は先に自治区準備企画団体を設立させ、政府の許可を得たのち自治区設立の準備にとりかかる。財政収入が不足している自治区には、政府が補助を行う。土地の所有権は自治区が管理する」

こうした内容は、ある程度の自治を明確に保障するものです。しかし、高金素梅(こうきんそばい)国会議員(山地原住民枠選出)が批判するように、原住民族委員会(行政院)がもともと作成した原草案104条は、現草案の15条にまで縮小されました。

 また、先に述べた土地の所有権に関しては、原住民個人の土地所有権がまだ完全に保障されていません。原住民族は、いわゆる山地郷(その前身はほぼ日本時代の「蕃地」に相当)において、土地喪失の「保護」という名目のもと、自由に売買可能な、完全な土地所有権を保有していません。彼らのもともとの土地は現在、国有の「林班地」(行政院農業委員会林務局管轄)と、使用権と部分的所有権が認められている「保留地」などに分断されています。

 それは日本植民地統治時代に、台湾総督府が「無主の地」という名目で、原住民族の土地を国有化したことに始まる問題です。

 

4、日本との関係

1993年に、市民団体「台湾原住民族との交流会」が東京で発足しました。以降、シンポジウムや原住民の方を招いての座談会、料理会、飲み会など、さまざまな交流活動をしています。

1995年に、交流協会が台湾人元日本兵の軍事郵便貯金に対し、元金の120倍で返還を開始しました(財団法人交流協会は、現在国交のない日本と中華民国間に作られた、日本側の準政府レベル機関)。1997年には、中華民国政府は旧日本軍慰安婦の42人に、一人あたり50万元(約170万円)の一時救助金の給付を決定しています。1999年には、原住民族4名を含む旧日本軍慰安婦9名が、東京地方裁判所に謝罪と賠償を提訴しました。2002年に公式謝罪の却下と、その他の請求棄却の判決が下りました。東京高等裁判所での第二審も、請求が棄却されました。さらに、最高裁への上告は、20052月に棄却されています。

1999921日に、921大地震が中部で起き、死者2430人となる大惨事となりました。神戸の震災の経験などをもって、多くの日本人が救援や募金活動に携わりました。

台湾先住民族の自治を求める運動は、二つの異なる国家による、百年間の同化政策から脱却するための、脱植民地化運動と呼べるものです。また、植民地統治という過去を持つ日本人にとって、近代日本と日本人がどのように自己形成を遂げてきたのかという点で、その運動は他人事ではない動きです。2005528日)

 

★筆者の連絡先:taira7321@hotmail.com

 

参考文献

黄智慧2004「台湾原住民の歩み――2003年を振り返る」山本春樹ら編『台湾原住民族の現在』草風館

石丸雅邦・台湾原住民族との交流会事務局2005「この10年 台湾原住民族関連年表(19931月〜200412月)」『台湾原住民族との交流会 十周年記念誌』

王順文2003「多元主義與我國原住民自治之相關立法」財団法人国家政策研究基金会のサイト http://www.npf.org.tw/PUBLICATION/IA/092/IA-R-092-001.htm (中国語、2005511日)

高金素梅2003吉娃斯.阿麗看「原住民族自治區法草案」http://enews.url.com.tw/archiveRead.asp?scheid=19954 (中国語、2005511日)

台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会、1999年の原告訴状

http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/19990714sojou.html2005521日)

 

(写真説明)
ツォウ民族・拉娃辛逸(Lawa Hsingyi、ラワ・シンイ)のダンスグループ。第一回原住民族語流行歌曲創作コンテストにて(0411月)。関連記事2ページ。
 
宜蘭県大同郷のタイヤル民族、黄愛蘭(ホワン・アイラン)の熱唱0411月)