スタニスラフ・グロフ


  



アニメーター志望から精神科医へ


スタスニワフ・グロフは1931年、チェコの首都プラハ郊外に生まれた。
彼は少年時代、アニメーターを目指していたらしい。ウォルト・ディズニーは、彼にとって英雄だった。

チェコ出身のアニメーターには、トゥルンカやシュヴァンクマイエルなど巨匠が多い。もし彼がそのままアニメーション作家になっていたら、とんでもなく幻想的(もしくは哲学的)な作品を作っていたかもしれない。

1940年代後半、アニメーション製作会社に就職した18歳のグロフは、友人から1冊の書物を手渡される。多くの心理学者にとって、現在でも古典的地位を確立しているバイブル、ジークムント・フロイトの『精神分析入門』だった。これが彼にとっての転機になる。彼は精神科医への道を決意する。

当時のチェコは第二次大戦直後。ソ連によって共産主義が押し進められていた。この時代のチェコで精神分析を学ぶのは非常な困難が伴った。
当時、共産圏で認められていた心理学はパブロフの行動主義的心理学(心を刺激と反応によって解説する)学派であり、フロイト的な精神分析は公的には認められていなかったのである。

チャールズ大学医学部を何とか卒業し、臨床医になったグロフは、非公式の精神分析の研究会などに出席し、行動主義的なアプローチよりも、夢の解釈や自由連想法といった、精神分析的なアプローチに強く引かれるようになっていった。それは精緻に組みたてられた論理体系だった。
しかし同時に、精神分析のアプローチは、実際の臨床においては効果的に応用できないことへの苛立ちも感じ始めていた。

こうして既存の心理学研究に行き詰まりを感じていた最中、グロフの元に、スイスのサンドーズ社より小包が届けられた。
小包の中には、液状の薬品が入ったアンプルがぎっしりと詰められていた。

これこそ、ホフマン博士が開発したLSD25だった。

まだLSDが「麻薬」と呼ばれるようになるずっと前の話だ。サンドーズ社は、様々な科学者・医師にこの薬品を試してもらい、この薬品の効果的な作用を探ろうとしていた。
・・・LSD25がもたらす幻覚作用によって、精神分裂病患者の意識状態を解明するモデルを確立できるのではないか、と考えられていたのである。
グロフは自らが実験台になることを承知する。
このとき摂取したLSDの量は150μg。1956年のことである。

ホフマン博士のLSD25の発明より、すでに13年が経過していた。


変性意識体験

グロフは、最初にこの薬品を試した時のことをこう語っている。この際、彼は目の前で様々な周波数の光を点滅させ、脳波計で脳波をモニターしながらこの実験を行った。

「この実験の間、私は、原子の爆発の中核をなす光に例えられるような、あるいは、東洋の経典に述べられている死の瞬間にあらわれる超自然的な光に例えられるような光輝に打たれた。この電光は私を身体から放り出した。私は研究助手や研究所のこと、そしてプラハでの学生生活のこと、そうしたことの意識を一切失った。私の意識は爆発し、宇宙的次元に広がったかのようだった」

「自分が経験しているものが、世界中の偉大な神秘的経典で読んだことのある「宇宙意識」の体験に極めて近いことを心の中で確信した。精神医学の手引書では、そのような状態は深刻な病理の兆候と定義されていた。体験の真只中で、それが薬物によって引き起こされた精神異常の結果ではなく、日常的なリアリティを超えた世界を垣間見ている結果だということを知った」

「その体験の最も劇的で説得力のある深みにおいてさえ、その状況が有する皮肉と矛盾が見えた。20世紀の化学者が試験管の中で生み出した物質を使って、共産国で行われた真面目な科学的実験の渦中に、神が姿を現し、現代の実験室の中で私の人生を乗っ取ったのである」

(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦 吉田豊 訳 傍線筆者)

ホフマンの発明から、このグロフの実験に至るまでの13年間こそ、人類の科学が一つのマイルストーン(一里塚)に到達した瞬間ではなかったかと、僕は思う。
人は何故、科学を発展させるのか。この瞬間まで、それは「神の英知を探ること」すなわち人間の知見をより神に近づける為のものだった。
試みに、1943年のLSD発見から1956年のグロフのLSDセッションまでの13年間に、どのような科学的発見が行われたのか、列挙してみよう。

1945 核分裂爆弾、シンクロサイクロトロン(宇宙線粒子領域の素粒子解析が可能に)
1946 ENIAC (初のコンピューター)
1948 トランジスタ、ビックバン理論提出、原子核の構造が明らかに
1950 チューリング・マシーン(初の人工知能)
1951 増殖型原子炉
1952 核融合爆弾(水爆)、ミュラーの生命の起源に関する実験
1953 DNAの2重螺旋構造の発見、プレートテクトニクス
1954 経口避妊薬
1956 パリティ保存則、RNAの機能解析

この13年の間に、現在にも影響を及ぼす重要な発見・発明が集中しているのである。1940年代までには、相対論や量子論、X線の応用など、ベースとなるべき科学理論は出揃っていた。この時期は、そういった基礎理論を元に科学技術が爆発的に発展する年代なのである。

原子爆弾、コンピュータ、人口抑制、そして分子生物学の黎明。

人間は宇宙の謎を明らかにし、生命を操作する術を得、惑星の運命すら手中にした。
この機を境に、科学は神に近づくという「目的」から己の欲望を満たす為の「力」へと変貌を遂げる。力を手にした我々の意識の中で、神は死んだのである。

この時、私達は気づくべきだったのである。神への接近が我々の目的であるならば、神の力だけを手に入れても何にもならない。この力を行使する主体(意志)が、いかに発展し、成長するかが本質的課題であることを。
力は目的ではない。それは何らかの目的の為に行使されるべき「手段」なのである。
しかし、神の力を手に入れた我々は、この50年もの間、手に入れた力を更に発展させ、欲望を充足させることに心血を注ぎ、この力を如何に使うのか、という本質的命題からは目をそらしつづけてきた。

その課題に正面から取組むことのできる可能性が、このグロフの実験を端緒として、生まれようとしていた。

それが、20世紀の科学からもたらされた化学的物質による変性意識体験であった、ということは歴史の皮肉か、それともそのような"あらすじ"がすでに在ったのか。

臨床データ

行動主義心理学とは違った心理学のアプローチを模索していたグロフは、これに飛びついた。何せ、人工的な手段で「神秘体験」を生み出すことができるのである。前人未踏のフロンティア「無意識」の領域を、体系立てて、解析する可能性が開けたように、彼には思われた。
臨床における効果も計り知れない。
早速、被験者にLSDを投与し、被験者が体験したことの聞き取り調査を行った。

グロフは最初、自由連想法などよりも強力に、クライアントの「トラウマ体験」を引き出す実践的な手段として、LSDを用いることができる、と考えていた。ところが、出て来たデータは予想を越えるものだった。

かれはクライアントにLSDを与えることにより、幼児の時の記憶や、出生時の記憶を引き出すことに成功した。
ところが、そればかりではなく、子宮内に居た時の記憶や、前世(!)の時の記憶、臨死体験、神話の世界のビジョン、などを引き出すことが出来たのである。
大の大人が体を丸め、赤ん坊のように泣く姿が何度も目撃された。
これが1度や2度であれば、「薬品による単なる幻覚」で終らせることも出来ただろう。
しかし、グロフが集めた臨床例は3000回以上にもわたる。
体験報告は確かにバリエーション豊富だが、それらを体系的に整理した結果、人間には個人的な無意識の層のほかにも、様々なレベルの意識の層が存在している、と仮定すると様々な事象が上手く説明できた。そして、LSDは、それらの体験を浮上させる非常にいい「触媒」である、とグロフは考えるようになったのである。
グロフはこの理論を元に、LSDを用いた独自の心理療法を確立する。その臨床的効果は驚くべきものであった。

60年代に入っても、グロフは精力的に研究を続けた。今度は共産圏に居ることが有利に働いた。というのも、その時アメリカでは、若者のLSD乱用による深刻なトラブルが報告されていたのだが、グロフはそのようなスキャンダルとは無縁でいられたからである。
成果があがるにつれ、グロフはアメリカに招かれ、講演したり共同研究をしたりする機会に恵まれる。
そして、マズローとの出会いを果たすのである。

人間性心理学の創立者にして「心理学界の巨人」アブラハム・マズローは、当時アメリカ心理学会の会長をしていた。たまたまグロフの講演の内容がマズローの理論に近いことを指摘され、彼はマズローのもとをたずねる。
意気投合した二人は、トランスパーソナル学会の創設を決意する。即ち、このマズローとグロフの二人が、実質的なトランスパーソナル心理学の創設者、と言うことになる。


ホロトロピック・セラピー

ところが、その際に70年のソ連によるチェコ侵攻が起き、グロフはアメリカに定住せざるを得なくなる。盟友(年齢と立場には差があるものの)マズローもこの時期、亡くなっている。
更に追い討ちをかけるように、LSDを用いた医学実験も、この頃から全面的に禁止されてしまう。

しかしグロフは諦めず、代替手段を編み出した。それが「ブレス・ワーク」と呼ばれる方法だ。この手法の開発には、彼の妻であるクリスティーナも関わっている。
様々なシャーマニズムから学んだ手法を用い、LSDを摂取した場合とほぼ同様の効果が得られる、とされている。深くて速い呼吸法(ブリージング)、喚起的音楽、音響効果によって、変性意識状態を誘発する。
「ホロトロピック・ブレスワーク」と呼ばれる、この手法は様々なセラピーに応用され、現在でも高い効果をあげている。こちらは、現在の日本でも体験することができる。

グロフは、人格形成において、出生時の体験が非常な影響力をっもっていると主張する。胎児が、安寧な子宮内にいる段階から急激な締め付けにあい、産道を通って外部に至る、その過程で様々な心理的トラウマが発生し、それが精神病理の元になっている。
LSD、もしくはブレスワークによってこの誕生過程を再体験することによって、「生まれなおし」を経験し、これを何度も繰り返すことによって、それが強力な癒しになる。
更に、「分娩前後のマトリックス」と呼ばれるこの段階を超えると、いわゆるトランスパーソナルな段階に突入する。

グロフは、LSDセッションやブレスワークから得られた膨大な臨床データを纏め、整理し、トランスパーソナル心理学の基礎を築いた。「自己を越える」ということが、単なる自己探求に留まらず、ケン・ウィルバーをして「史上最大の心理学者」と評される仕事を成し遂げた。

現在のグロフ博士は、一応のライフワークを完成し、後進に道を譲る形になっている。
彼が辿ったトランスパーソナル心理学の発展の過程は、現代の科学が様々な矛盾を露呈し、そしてそれを何とか克服しようとした様々な人々の努力の過程と平行している。


これは僕自身の確信なのだが、もし今後、人類が数百年ではなく、数千、数万年のスケールで生き延びることが出来たとするならば、それは、人類全体の意識が大きな変遷を遂げた結果であるだろう。
そしてその際、この意識変遷の中心人物として、トランスパーソナルの学者だけではなく、様々な賢人の名が挙げられることだろう(現時点で、その筆頭はケン・ウィルバーである可能性が高い)。しかし、その端緒となったのは、ホフマンのLSD発見と、それに連なるグロフの研究なのである。