2. 「20世紀のポンペイ」 消えた町、サン・ピエール
大昔、新田次郎の『熱雲』という短篇小説を読む機会があった。
1902年にマルチニーク島で実際に起こった火山災害から題材を得た作品である。

カリブ海に浮かぶ美しい島の港町に住む実直な男・ジャンが、ある晩、町の背後にそびえるペレー山の山頂に赤い光(のようなもの)を見るシーンから物語は始まる。

・ジャンが見た赤い光の噂は曲解されて伝わり、いつの間にか「ペレー山の山頂に血の十字架がかかった、大噴火を起こして町が全滅するかもしれない(と、ジャンが言っている)」という内容に変質してしまう。ジャンと彼の家族は、次第に周辺から孤立する。
・その頃、山麓の港町はたびたび強い地震に見舞われる。不安から脱出を図る人々も出始めるが、経済への影響を恐れる市政府は、それを阻止しようと躍起になる。
・血の十字架の噂の元凶=不穏分子として警察から睨まれたジャンは、無実の罪を着せられて投獄される。
・ペレー山噴火の逼迫を告げる現象が相次ぐ。危険性を重視して市民の避難を主張する科学者たちに対し、事なかれ主義で反応が鈍い市政府。
・ついに噴火開始。市民全員の避難が始まるが、一方で噴火はすぐに小康状態に入り、多くの人々が避難先から町に戻ってきてしまう。
・1902年5月8日、激しい噴火が起こる。地下牢に幽閉されたジャンは、町の住人2万8000人とともに一瞬のうちに「熱雲」に飲み込まれ……
●たのしい火山用語●
熱雲 (せんせ〜これで良いでしょうか?)

溶岩ドームや溶岩流の先端が崩落したときなどに、内部が急激に減圧して爆発を起こし、火山灰や軽石などマグマの破片を含んだ高温の爆風「熱雲」を生じる。


1902年5月8日、プレー山で発生した熱雲は、温度数百℃、100km/h 以上の高速で山腹を流れ下り、文字通り一瞬のうちにサン・ピエールの町を破壊してしまった。この事件で初めてこの種の現象が世界に認識されたことから「プレー式熱雲」という。

1991年に発生した雲仙・普賢岳の大火砕流も、この「熱雲」である。


サン・ピエール遠景。
背後にそびえる山がプレー山、標高1397m。
Montagne Pelee


小説『熱雲』を読んだ当時まだ中学生だった私にとって、それは恐ろしくも印象深い物語ではあったが、数十年後、まさか自分がこの作品の舞台を訪れることになるとは想像もしなかった。
メインストリート、ビクトル・ユゴー通り。

1902年当時、砂糖やラム酒など島の産物の多くがサン・ピエール港から出荷されており、人口2万8000人を抱える港町は島の経済的中心地だった。

現在はその面影も感じられない、人口5000人の静かな町。

小説『熱雲』は史実とフィクションが交錯しているが、ジャンのモデルになった男は実在している。

男が幽閉されていた牢獄の場所がわからなかったので、一行の大将・K教授が地元のこども達に「プリズン?」と尋ねると、自信満々といった風で道案内してくれた。学校で町の歴史をしっかり教えているのだろう。

ただし、民家の庭?を思いっきり通り抜けてしまった。

こども達が案内してくれたのは、1902年5月8日に町を襲った熱雲で破壊された建造物の遺構。

当時、劇場など公共建築がこの一帯に集まっていたらしい。牢獄もこの中にある。

プレー山で発生した熱雲は温度数百℃、100km/h 以上の高速で突き進み、文字通り一瞬のうちにサン・ピエールの町を破壊してしまったという。

黒ずんだ壁の色は当時の煤か、それとも地衣類によるものか判然としない。

ただ、フォール・ド・フランスの古い建物にはあまり見られなかった色合い。

現地の案内板。

写真中の人物が、小説の主人公・ジャンのモデルになったと思われる男。名前をシパリスという。

彼は牢獄に幽閉されたまま高温の熱雲に巻き込まれるが、全身に大火傷を負いながらも生き残り、数日後に救助され、近くの村の教会に保護される。
シパリスが幽閉されていた地下牢の入口。

中はこんな感じ。
せいぜい2畳くらいかなあ……

後日、米国のジャーナリスト、ジョージ・ケナンに対し、シパリスは興味深い事を語っている。

「その時は、何の音もしなかったし、何の臭いもしなかった」

熱雲もしくは火砕流といえば、巨大な爆発音とともに襲ってくるイメージがあり、新田次郎の『熱雲』でもそのように描かれている。しかし、これまでに観察された例でも、実際に火砕流は音もなく突然流れ下ってくるものらしい。

さて……
裏からアプローチしてしまったので気がつかなかったが、遺構の正面口はメインストリートのビクトル・ユゴー通りに面していた。

通りを挟んで海側に博物館があり、被災前後の市街の写真や、熱雲の高温で溶けた生活用品、当時の報道記事などを見ることができた。小さいが、展示は充実している。

博物館には設立者であるアメリカの火山学者、フランク・ペレ Frank A. Perret (1867-1943) の名前が冠してある。

1902年5月8日の熱雲で生き残ったのは、囚人シパリスたった1人だけという、有名な「伝説」がある。それが新田次郎の短編小説の題材にもなったのだろう。

しかし博物館で尋ねたところ、地下室にいて難を逃れたという靴屋など、他にも100名ほどが生存していたそうだ。

後日調べたところ、その多くは港湾に停泊中の船上で被災した人たちだった。熱雲は海に達した後も水面を走り、船舶を焼き払ったのである。


サン・ピエール市街とその周縁には、有名な牢獄のほか、砦や精神病院の遺構(写真)などが、被災当時の焼けただれた姿のまま保存されている。

現地で詳しい情報を仕入れたかったら、最初にビクトル・ユゴー通りの博物館 "Musee Volcanologique Frank-A.Perret" に行き、案内図を貰うと良いだろう。

もしくは、汽車の形をしたミニバス「シパリス・エクスプレス」で遺跡を巡る、市内歴史観光ツアーもある。

停車場にあった案内板:

サン・ピエールの小さな列車、シパリス・エクスプレス
木曜〜日曜運行、1日2回(土曜のみ1回)

サン・ピエールの歴史の核心に大旅行。
マルチニークのかつての中心都市は、
1902年5月8日、モン・プレーの噴火で壊滅しました。

遺跡をめぐるガイドツアー、所要60分


博物館といえば、サン・ピエール市にはもうひとつ、県政府運営の科学博物館 "Centre de Decouverte des Sciences de la Terre" もある。

マルチニーク島やプレー山に関する展示のほか、自分で操作できる理科実験コーナーがあるこの博物館、勝手につけた通称は「マルチニークのがまだす館」。


…………島原がまだすの方が好きかも。


閑話休題。

サン・ピエールでの初日のランチは、町を見下ろす高台、何やら「フロマージュ」に似た名前の住所にあるレストランで取った。

K教授様ご愛用の、電話帳みたいな分厚いガイドブック "Frommer's" おすすめの店であるらしい。


ときに……

ここのように、英語圏のガイドブックに出ているような名所や店なら英語も通じるが、旅の全行程を通しておおむねフランス語しか通じない状況ばかりだった。
これが時折珍事を招く。

目の前のオバチャンにとって、フランス語ができないそこの変な連中は ああっ、その人たちは本当は襟糸なんですうっ!! ……ダメダメピープルなのね。

次はいよいよプレー山へ
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追記:

新田次郎『熱雲』
文春文庫『ラインの古城』に収録

物語は正義 vs 不正義の新田次郎パターンを典型的に踏襲しており、旅行前に再読したときは一瞬引いてしまった。

しかしその後、ランド博士の存在や、市当局が市民の脱出を阻止するために出した声明(サン・ピエールほど安全な町はない)など、物語のかなりの部分がノンフィクションだったと知り、驚いた……


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