神保家 家臣団
 
 
 
  神保慶宗 (?〜1520年)
 越中守護代。越中守護畠山尚順の命令に従わず、永正三年、遂に討伐の対象となる。同年八月十八日、婦負郡寒江蓮台寺で長尾能景と戦う。協力関係にあった越中一向一揆は同年九月十九日、越中般若野にて長尾能景を討ち取った。永正十六年、畠山尚順は長尾為景に神保慶宗征伐を求めた。同年九月九日、越中境川で長尾為景に敗れる。永正十七年六月、長尾為景に二上城を攻められ降伏。為景から知らせを受けた畠山尚順は、神保慶宗の処分は為景に一任すると伝えた。為景は神保慶宗を助命したが、神保家の勢力を削るため越中攻めを継続。十月、長尾為景は新庄城攻めを開始。神保慶宗は危機感を募らせ、遊佐弥九郎らと共に越中太田庄に布陣。十二月二十一日、長尾為景は新庄城を攻め落とす。その際、神保慶宗らは討死した。これにより長尾為景は越中を平定し、畠山家を大いに喜ばせた。
 
 
  神保慶明 (?〜?)
 神保慶宗の弟。出雲守。永正十六年、畠山尚順の命により兄である越中神保慶宗征伐に出陣。
 
 
  神保氏長 (1576〜?)
 神保氏張の子。母は織田信長の妹。伊予守、主膳。井田信長は京都にいた神保氏張に妹を嫁がせ、越中侵攻時に活用しようとした。しかし、越中平定は進まず、神保氏張は離別の上、追放された。
 
 
  神保源七郎 (?〜?)
 火宮城主。この城は地理的に上杉家の越中侵攻を防ぐ拠点であり、神保長職も居城としていたようだ。
 
 
  神保八郎左衛門 (?〜?)
 天正六年、白鳥城に居住したとされる。
 
 
  水越勝重 (?〜?)
 越前守。富山城築城に功があった。永禄五年、本覚寺に田畠を寄進し、同九年には神保長職から寺領を安堵される。「三州志」は富山城を築いた勝重を神保長職の前身と記すが、両名は別人である。
 
 
  寺嶋職定 (?〜?)
 池田城、高山城、小泉館主。神保長職の家老。池田城は越中と飛騨、信濃を結ぶ重要地点である。永禄十一年二月二十六日、領内の百姓らに信濃への出入りを禁止させ、信濃へ入る商人を罰するとした。同年三月二十八日、職定は飛騨江馬家臣神代豊介に槍柄の調達を依頼。永禄十二年、謙信の松倉城攻めに前後して城の守りを固める。「三州志」に天正五年、謙信の越中攻めに際し、寺嶋職定は弟の小嶋胤興と共に大道城に籠もるとある。同年、上杉家に仕える。天正九年、富崎城を守るも織田軍の攻撃を受ける。火を放ち城を逃れるが、佐々軍の追撃を受ける。これにより和を結び、佐々家臣として長沢城を守る。佐々成政が転封されると前田利家に仕えた。
 
 
  寺崎民部左衛門 (?〜1581年)
 願海寺城主。天文二十一年、謙信に属し井田城主飯田利忠を天神林に破る。天正二年、能登に攻め込むも撃退される。天正五年頃、謙信に属す。謙信没後は織田家に属す。天正九年三月、上杉軍が小出城を攻めるとこれに応じる。そのため織田軍の攻撃を受ける。家臣小野大学助、大貝采女が織田軍に内通したため、天正九年五月に落城。生け捕りにされ近江佐和山に送られる。天正九年七月十七日、子の喜六郎と共に自刃。
 
 
  寺嶋三八郎 (?〜?)
 猿倉城主と伝わる。密蔵坊と言う法師の子。寺嶋孫右衛門の養子となる。兵部。上杉家臣村田大炊介に討たれた。
 
 
  飯田利忠 (?〜?)
 井田館主。孫二郎。天文二十一年三月、寄進状や連署状を残す。同年、長尾景虎に属した寺崎民部左衛門に敗れる。この合戦で弟の利常、利憲は討ち取られ、利忠は城生城に逃れた。
 
 
  斎藤利基 (?〜1583年)
 城生城城主。常丹。天正十一年、佐々勢に攻められ降伏。佐々成政は降伏の条件として利基の首を求める。利基は自刃し、首は佐々勢の下へ届けられた。しかし、佐々与左衛門は城を攻め続け落城。子の信利らは美濃に逃れた。法名「浄賢」。
 
 
  斎藤信利 (?〜?)
 斎藤利基の子。次郎右衛門。飯田利忠に代わり井田館を領したと言う。天正五年、「上杉家家中名字尽」に名がある。天正六年、謙信が没すると神保長住に応じる。今泉城攻め、月岡野合戦で大功を挙げる。織田信長は次郎右衛門に一字を与え、斎藤信利を名乗らせた。弟の久右衛門も同様に信吉を称した。天正九年、佐々成政に反発し、再び上杉家に属す。十一年、佐々勢や神保氏張によって城を追われ、美濃に逃れた。後に徳川家に仕官した。次男九右衛門は菊池利勝の娘を娶る。
 
 
  斎藤喜右衛門 (?〜?)
 天正十一年、越中斎藤家臣豊島茂助と共に佐々成政への和議の使者となる。しかし、和議の条件は当主斎藤利基の首だった。
 
 
  狩野良政 (?〜?)
 中務丞。飯久保城主。永禄三年頃、神保長職から上杉家の攻撃の際に援軍を依頼される。
 
 
  狩野道州 (?〜?)
 天正元年十月、永禄五年九月に討死した神保民部大夫の跡を弥次郎に相続させるため、上杉謙信に許可を求めた。
 
 
  南部尚吉 (?〜?)
 隠尾城主。源左衛門。永禄元年、上杉軍に攻められ討死。子の源右衛門は家臣小原作蔵に連れられ飛騨金森氏を頼る。後に隠尾に戻り、百姓となった。
 
 
  笹村太左衛門 (?〜?)
 太郎左衛門。天正年間、上見城主。
 
 
  二宮左衛門大夫 (?〜?)
 上熊野城主。神保長職に仕える。元亀二年八月、津毛城を攻める。天正二年頃には上杉謙信に属している。謙信没後は神保長住に仕え、天正七年には織田信長から知行を安堵される。
 
 
  有沢図書助 (?〜?)
 神保家臣。天正九年、佐々成政に反発し、上杉家に属す。
 
 
  小谷六右衛門 (?〜?)
 上杉軍の増山城攻めに対し神保軍を支援。謙信没後、神保長住から大道村を賜る。
 
 
  雑賀安芸守 (?〜?)
 川合田館主。元亀年間、上杉謙信によって城を落とされたと伝わる。天正年間、佐久間盛政との合戦で討死した。一族に高峠城主雑賀日向守がいる。
 
 
  石黒左近 (?〜1581年)
 木舟城主。蔵人。永禄九年、越中一向門徒小倉六右衛門の屋敷を放火する。天正九年、近江で丹羽長秀の兵に謀殺される。
 
 
  石黒与左衛門 (?〜1581年)
 石黒左近の家老。石黒左近と共に謀殺された。他に家老として伊藤次右衛門、水巻采女佐らも長浜行きに従い、謀殺されている。
 
 
  石黒成栄 (?〜?)
 石黒成綱の子。父は織田信長の命で近江長浜で殺害される。後に前田利家に仕官。千五百石。文禄三年、隠居。
 
 
  石黒又次郎 (?〜?)
 石黒一族。一時は一向一揆に参戦するが、天正七年頃には石黒左近と和睦。木舟城を守った。
 
 
  石黒与三右衛門 (?〜?)
 庄城主。上杉軍に攻められ開城した。
 
 
  龍珠院 (?〜?)
 僧侶。永正十七年六月、神保慶宗は長尾為景への降伏の使者として龍珠院を派遣。
 
 
 
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