山浦村上家 家臣団
 
 
 
  村上景国 (1591〜1636年 46歳没)
 山浦国清の子。母は朝倉義景の娘と云う。与三、織部助、幸清。村上姓も使用し、山浦家を継いだのは形式的なものだったようだ。上杉家からの後押しもあり、父国清は独立を志すが運無く死去。村上一門出浦高国が村上家陣代となる。文禄三年、二千二百七十七石。上杉景勝が会津百三十万石に加増されると、六千五百石。関ヶ原合戦後、上杉家が減封になると浪人となる。先代からの悲願である独立を志すためだが、それも叶わず没した。以降、旧村上家臣が信濃で主家を養った。子孫は村上家系図などを売り、生活費の一部にしたようだ。
 
 
  村上孫五郎 (?〜?)
 元信濃村上家臣。義清の一門か。義清や信濃衆とともに長尾景虎に仕える。三百七十六石。
 
 
  島津義忠 (?〜1598年)
 島津忠直の子。左京亮。慶長三年四月二十九日没。
 
 
  若槻清継 (?〜?)
 若槻清尚の子。左京亮。村上義清と共に越後に逃れる。永禄六年二月、山浦国清の家臣となる。
 
 
  若槻高季 (?〜?)
 若槻清尚の子。清継の弟。兄と共に越後に逃れる。永禄六年二月、山浦国清の家臣となる。
 
 
  清野清重 (?〜?)
 清野清秀の子。右近丞。永禄九年正月、村上義清の命により国清の家臣となる。
 
 
  出浦清春 (?〜?)
 出浦清長の子。小太郎、正左衛門。永禄十二年正月、義清の命により国清に仕える。
 
 
  市川信房 (?〜?)
 長寿丸、左衛門佐。村上義清と共に越後に逃れる。永禄七年、上杉謙信に仕える。三千三百四十九石。これは須田相模守の一万二千八十六石に次ぐ石高である。村上国清は二千三百七十七石で信濃衆第四位であった事から、市川信房が重用されていたと判る。天正十年六月十六日、上杉景勝に誓詞を送り、家臣となる。
 
 
  市川房綱 (?〜1614年)
 市川信房の子。「上杉定納員数目録」に知行三千三百四十九石八升一合、軍役二百一人とある。慶長三年、会津塩之森城代六千七百石。大坂冬の陣に参加し、十一月二十六日の鴫野口合戦で討死。
 
 
  市川房忠 (?〜?)
 市川房綱の三男。父の死後、家督を継ぐ。
 
 
  小野沢輔俊 (?〜?)
 太郎左衛門。永禄九年、村上義清の命により山浦国清に仕える。
 
 
  吾妻清親 (?〜?)
 平右衛門。上州吾妻氏の一族。永禄元年、山浦国清の傅役となる。
 
 
  酒井清信 (?〜?)
 弾正。坂井姓。山浦国清に仕える。赤沢城代二千石。
 

 
  【付記】
 
 
 
 村上源五国清は山浦氏を継いだが、謙信は「山浦殿、源五殿」と呼び敬意を払った。山浦姓ではなく元の村上姓で呼ばれることもあった。
 
 
 
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