田村家 家臣団
 
 
 
  田村月斎 (?〜?)
 田村一門。天正十三年、大内家との合戦に参加。この合戦には田村勢二千余騎が参加した。
 
 
  田村定顕 (?〜1583年)
 善九郎。田村清顕の弟。天正十三年の大内家との合戦で討死した。
 
 
  田村梅雪斎 (?〜?)
 田村一門。天正十三年、大内家との合戦に参加。この合戦には田村勢二千余騎が参加した。
 
 
  田村彦七郎 (?〜?)
 田村一門。天正十三年、大内家との合戦に参加。この合戦には田村勢二千余騎が参加した。
 
 
  田村定顕 (?〜?)
 三春城主五万石。天正十八年、小田原に参陣しなかったため豊臣秀吉に改易された。その後、子の定広と共に伊具郡に隠棲。伊達政宗正室愛姫は田村氏の血統が絶える事を惜しみ、片倉重長に田村定顕、定広父子を預けた。片倉重長は伯母喜多の遺領八十石を田村定広の所領とした。子は定広。
 
 
  片倉定広 (?〜?)
 田村定顕の子。伊達政宗の正室愛姫の甥。田村定広。伊達政宗の乳母喜多の跡を継ぐ。真田信繁の六女を娶る。信繁の三女を娶った片倉重長と相婿となる。伯母愛姫の進言により、伊達政宗から片倉を名乗るよう命じられた。三百石。
 
 
  大越紀伊守 (?〜?)
 田村一門。天正十三年、大内家との合戦に参加。この合戦には田村勢二千余騎が参加した。
 
 
  橋本形部少輔 (?〜1583年)
 天正十三年の大内家との合戦で討死した。他にも常葉伊賀守ら多くの兵が討死している。
 
 
  初森式部少輔 (?〜?)
 田村家は天正十三年の大内家との合戦で敗れる。砦を築くために普請をしていた初森式部少輔も捕らえられた。
 
 
 
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