高梨家 家臣団
 
 
 
  高梨政盛 (1456〜1513年 58歳没)
 長尾為景と姻戚同盟を結ぶ。永正四年八月、長尾為景の上杉定実擁立を支援。これに反対する関東管領山内上杉顕定の軍を戦う。永正四年七月二十七日、山内上杉顕定は越後に出陣。高梨勢は山内上杉勢に敗れた。永正七年五月、長尾為景に呼応して出陣。七百名を率いて長尾勢に合流。同年六月二十日、長森原で山内上杉顕定を討ち取った。勢力を拡大する高梨氏を警戒し、村上家、須田家、島津家などが対立するため結束を深めた。永正九年十二月、隠居。永正十年四月二十日没。五十八歳。
 
 
  高梨澄頼 (?〜?)
 永正九年十二月、家督を相続。永正十年五月、高梨政盛の死に乗じて村上頼平らが挙兵。同年七月、中野氏残党が小島田で挙兵し、家中にも謀反する者が現れた。澄頼は重臣草間大炊助に命じてこれを鎮圧させた。子は政頼、定満、清秀、玄俊。
 
 
  高梨定満 (?〜?)
 高梨澄頼の次男。源次郎。
 
 
  高梨清秀 (?〜?)
 高梨澄頼の三男。源三郎。
 
 
  高梨玄俊 (?〜?)
 高梨澄頼の四男。
 
 
  高梨頼治 (?〜1555年)
 高梨政頼の長男。越後高梨城主。源五郎。天文十八年、村上義清の娘を娶る。村上義清と武田晴信との合戦は長期化しており、越後長尾家の縁者である高梨氏との関係を深めようとしたのだろう。第一次川中島合戦で長尾軍に属す。二番手として出陣し、真田幸隆に傷を負わせるも細谷彦助に切られて討死。
 
 
  高梨頼親 (?〜?)
 高梨政頼の次男。弥五郎。天正十年八月、信州安源寺館二千貫。安源寺館の側に安源寺城を築城。中野小館に移る。慶長三年、会津移封に従う。
 
 
  高梨秀政 (?〜?)
 高梨政頼の三男。
 
 
  高梨義政 (?〜?)
 高梨政頼の四男。
 
 
  高梨頼清 (?〜?)
 高梨頼親の子。
 
 
  高梨政広 (?〜?)
 高梨秀政の子。
 
 
  草間大炊助 (?〜?)
 永正十年七月、中野氏残党が村上頼平、島津貞忠の支援によって小島田にて挙兵。夜交景国、小島高盛らはそれに乗じて高梨澄頼に謀反した。草間大炊助はこれを鎮圧した。
 
 
  夜交景国 (?〜?)
 永正十年七月、中野氏残党が村上頼平、島津貞忠の支援によって小島田にて挙兵。夜交景国はそれに乗じて高梨澄頼に謀反した。
 
 
  小島高盛 (?〜?)
 永正十年七月、中野氏残党が村上頼平、島津貞忠の支援によって小島田にて挙兵。小島高盛はそれに乗じて高梨澄頼に謀反した。
 
 
 
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