薩州島津家 家臣団
 
 
 
  島津実久 (?〜?)
 薩州島津家当主。姉は島津宗家一四代当主勝久に嫁ぐ。島津宗家の政治に介入し、遂に島津勝久に家督を譲るよう強要。島津宗家一五代当主になったという説もある。圧迫に耐えかねた島津勝久は妻と別れ、大永六年十一月、伊作島津忠良と結んだ。大永七年四月、島津勝久は伊作にて隠居。島津貴久が家督を継いだ。実久はこれに激怒し、島津昌久らに命じて島津忠良を攻めた。六月、島津勝久への使者として川上忠克を派遣。守護職復帰を求めた。島津勝久はこれに応じ、島津忠良と決別。情勢不利になった島津忠良は田布施に戻り、鹿児島にいた島津貴久は敵軍に包囲されてしまった。貴久は僅かな家臣と共に田布施に落ち延びた。六月二十一日、島津勝久が鹿児島に戻り、守護職に復帰した。実久は島津勝久を傀儡として操るようになった。後に勝久との関係が悪化。天文四年、島津勝久は祁答院氏、北原氏を頼って落ち延びた。そのため、島津実久は実質的な薩摩守護職として振る舞った。島津忠良は田布施で力を蓄え、天文八年に加世田城を攻め落とす。さらに同年三月十三日、島津実久と島津忠良は紫原にて交戦。これを紫原合戦と云う。敗れた実久は出水に戻るが、谷山本城、市来城などが攻め落とされた。以降、島津実久は勢力を減じた。天文十四年三月、島津忠広、北郷忠相は島津貴久の守護職復帰を申し出た。貴久はこれを承諾し、守護職に復帰した。これにより島津実久の没落は決定的となった。
 
 
  島津忠辰 (?〜1539年)
 島津実久の弟。天文八年八月二十八日、島津忠良に市来城を攻められ討死。
 
 
  島津昌久 (?〜1527年)
 大永七年五月、島津貴久の宗家家督相続に反対し、挙兵。同年六月、島津忠良に討たれた。
 
 
  島津義虎 (?〜?)
 島津義久に仕え、その娘を娶る。永禄八年七月、叔父島津忠兼を殺害。天正九年、肥後水俣攻めの際、序列は島津義久に次ぐ家中二位であった。
 
 
  島津忠辰 (?〜?)
 島津義虎の子。母は島津義久の娘。忠水。泉又太郎。三万千九百石。天正十五年、九州征伐に際して肥後方面を守る。有馬晴信が豊臣家に属したため、退路を断たれる前に撤退。同年四月二十四日、降伏した。朝鮮征伐に際し、島津義弘に属して第四軍として渡海することになる。しかし、豊臣秀吉に島津義弘と軍を分けてほしいと直訴。これは却下され、予定通り島津義弘に属して渡海。釜山浦にて病のため一ヶ月近くも下船出来ずにいた。豊臣秀吉は激怒し、小西行長に幽閉を命じた上で改易した。文禄二年、小西家にて没す。自刃とも云う。
 
 
  島津忠隣 (?〜?)
 島津義虎の子。島津歳久の養嗣子。天正十四年十月、大友家との合戦のため肥後方面から攻め込む。子の常久は島津歳久の養嗣子となった。
 
 
  島津忠兼 (?〜1565年)
 島津義虎の叔父。常陸守。野田を領す。永禄八年三月、相良領長島を攻め、堂崎城主。同年七月、出水にて義虎に殺害される。
 
 
  島津忠房 (?〜?)
 薩州島津家臣。越前守。平城守将、市来鶴丸城守将。天文八年六月一七日、島津忠良、貴久父子に攻められ平城が落城。市来鶴丸城に籠もった。同年八月二十九日、伊作島津家に降伏。
 
 
  新納忠苗 (?〜?)
 薩州島津家臣。武蔵守、常陸介。平城守将、市来鶴丸城守将。天文八年六月一七日、島津忠良、貴久父子に攻められ、平城が落城。市来鶴丸城に籠もった。同年八月二十九日、伊作島津家に降伏。
 
 
  伊集院重貞 (?〜1527年)
 大永七年五月、島津貴久の宗家家督相続に反対し、挙兵。同年六月、島津忠良によって自刃に追い込まれた。
 
 
  川上忠克 (?〜?)
 大永七年六月、島津勝久への使者となり、守護復帰を求めた。島津実久の説得により、島津勝久は守護職に復帰した。
 
 
  町田久用 (?〜?)
 伊集院城代。天文五年二月、島津忠良から内通を受けるが拒否。同年三月七日、島津忠良は千余名で伊集院城を攻め落とした。
 
 
  別府某 (?〜1539年)
 加世田城を守る。天文八年元旦、島津忠良に加世田城を攻め落とされる。別府某は助命を許されず、首を刎ねられた。
 
 
  禰寝播磨 (?〜1539年)
 天文八年、紫原合戦で島津忠良に討たれた。
 
 
  谷山駿河守 (?〜?)
 薩州島津家臣。天文八年、伊集院山城守、杉崎丹後守、河野太郎左衛門らと共に神前城守将となる。伊作島津家に攻められ落城。
 
 
  鎌田加賀守 (?〜?)
 薩州島津家臣。天文七年十二月、加世田城救援に向かうも、伊作島津勢に敗れる。天文八年、伊作島津家に降伏。
 
 
  鎌田治部左衛門 (?〜?)
 薩州島津家臣。天文八年、伊作島津家に降伏。妻子を人質に出した。
 
 
  大山内蔵介 (?〜?)
 薩州島津家臣。加世田城主。天文七年十二月、島津忠良に攻められ落城。
 
 
  大寺越前守 (?〜?)
 薩州島津家臣。天文七年十二月、加世田城救援に向かうも、伊作島津勢に敗れる。
 
 
  石谷忠栄 (?〜?)
 薩州島津家臣。石谷城主。長門守。天文五年、島津貴久に通じ、石谷城将大寺資安を討つ。以降、伊作島津家に仕えた。
 
 
  大寺資安 (?〜1536年)
 薩州島津家臣。石谷城守将。天文五年、伊作島津家に攻められ討死。
 
 
  町田久用 (?〜?)
 薩州島津家臣。天文年間初期、島津実久は一宇治城を落とすと、久用を守将に任じた。天文五年三月、島津忠良に攻められ落城。
 
 
  寝禰播磨 (?〜?)
 薩州島津家臣。大永七年、島津実久は宗家の千々輪城を落とし、寝禰播磨を守将とした。天文八年三月、島津貴久に敗れる。
 
 
 
戻る