宗像大宮司家 家臣団
 
 
 
  宗像正氏 (?〜1551年)
 宗像大宮司家当主。宗像大宮司家は源頼朝に協力し、御家人に列せられた家柄である。大内家に属す。天文二十年九月、大寧寺の変で大内義隆が討たれると、それに殉じた。
 
 
  宗像正男 (?〜1551年)
 宗像正氏の長男。氏貞の異母兄。父と同じく大内義隆に殉じている。
 
 
  宗像千代松丸 (?〜?)
 宗像正男の嫡子。正氏、正男が没すると、宗像家中は正男の嫡子千代松丸を当主として推す者、正男の異母弟氏貞を推す者に二分した。氏貞は白山城を拠点とし、千代松丸は蔦ヶ岳城を拠点とした。千代松丸は氏貞に敗れ討死し、氏貞が七十九代当主となった。
 
 
  宗像民部 (?〜?)
 宗像一門。天正十一年三月、宗像氏貞は戸次鑑連、高橋紹雲ら三千余名に攻められ、二千余名を率いて吉原にて合戦を起こす。氏貞は敗れ、民部は許斐山城に籠もる。しかし、許斐山城も落とされ、民部は闇夜に紛れて落ち延びた。
 
 
  許斐氏鏡 (?〜?)
 宗像一門。許斐山城主。宮内少輔。永禄四年五月一日、大友勢に攻められる。子の氏則らと共に応戦し、撃退に成功した。
 
 
  占部右馬 (?〜?)
 宗像家臣。永禄四年五月、石松摂津らと共に許斐山城を攻める大友勢と戦い、撃退に成功。
 
 
  石松但馬守 (?〜?)
 宗像家臣。天文二十一年三月、氏貞の命で正氏、正男の室を殺害。
 
 
  吉田倫行 (?〜?)
 宗像家臣。天正年間、猫城守将。
 
 
 
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