来島村上海賊衆
 
 
 
  村上康吉 (?〜?)
 村上吉元の子。来島村上家当主。子は通康。
 
 
  村上吉清 (?〜?)
 村上通康の次男。兄は得居通之。天正十年三月、弟村上通総は羽柴秀吉に属した。同年五月、毛利軍と村上海賊衆は来島を攻めた。得居通之、村上吉清、村上通総の三兄弟は羽柴秀吉に保護を求め、来島から落ち延びた。天正十二年十月、羽柴秀吉によって来島村上家は伊予に戻ることが出来た。
 
 
  村上某 (?〜?)
 村上通康の三男。早世。
 
 
  村上某 (?〜?)
 村上通康の四男。早世。
 
 
  村上某  (?〜?)
 村上通康の五男。早世。
 
 
  村上吉継 (?〜?)
 伊予天崎城主。来島村上家重臣。
 
 
  村上景房 (?〜?)
 村上吉継の孫。慶長五年八月下旬、毛利輝元は景房に対し、村上武吉に従って伊予に出陣するよう命じた。
 
 
  村上吉智 (?〜?)
 大浜村上氏。永正元年、伊予越智郡日吉郷の大浜八幡宮が焼失。村上氏は一族で再建すると決め、大永四年八月十四日に遷宮式を行った。村上吉智は神殿の費用を負担した。
 
 
  村上吉任 (?〜?)
 大浜村上氏。父は村上吉堅。左京進。伊予越智郡大浜浦の地頭。母は細川家臣の娘。
 
 
  村上五郎四郎 (?〜?)
 母は大浜村上吉堅の娘。村上吉仁の甥。
 
 
  村上和泉守 (?〜?)
 享禄三年、河野家臣今岡民部の作成した交名に名がある。
 
 
  村上源四郎 (?〜?)
 享禄三年、河野家臣今岡民部の作成した交名に名がある。
 
 
  村上右衛門尉 (?〜?)
 享禄三年、河野家臣今岡民部の作成した交名に名がある。
 
 
  村上備後守 (?〜?)
 享禄三年、河野家臣今岡民部の作成した交名に名がある。
 
 
  原四郎兵衛 (?〜?)
 来島村上家家老。天正年間、村上通総が織田信長に属そうとすると、これに諫言する。通総は四郎兵衛を疎ましく思い、殺害した。天正十年三月、村上通総は羽柴秀吉に属した。
 
 
  浅川六助 (?〜?)
 来島家の船奉行。後に来島通春と不和になり失脚する。
 
 
  神野左馬充 (?〜?)
 来島通康の家臣。怪島城主。天正十三年、小早川勢に攻められ落城。
 
 
 
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