福島家 家臣団
 
 
 
  福島正信 (?〜1597年)
 福島正則の父。市兵衛。尾張海東郡花正庄二ツ寺村の桶屋という。秀吉の叔母を妻とし、息子とともに秀吉に仕えた。小牧合戦に従軍。正則のもとに身を寄せ、慶長二年三月二十五日没した。なお、正信は正則の養父で、実父は星野新左衛門成政であるという説がある。星野成政は秀吉の実父である弥右衛門の腹違いの兄弟と言い、この縁で秀吉に仕えたとも伝わる。
 
 
  福島高晴 (1573〜1633年 61歳没)
 福島正則の弟。母は秀吉の叔母。助六郎、正頼。兄ほどの優遇はされなかったが、伊勢長島一万石を与えられ、尾張知多郡十万石の代官を任される。関ヶ原合戦では伊勢松坂城を守るが、八月二十五日に落とされている。戦後、大和松山三万石に入封。慶長十九年、豊臣内通と家臣が訴えたが、このとき幕府は相手にせず、高晴が駿府城下でこの家臣を捕らえようとして騒動になったために改易。幕府の策略と考えられる。伊勢山田に隠棲し、寛永十年九月二十五日に没した。妻は佐久間信盛の娘。
 
 
  福島某 (?〜?)
 福島正則の長男。早世。
 
 
  福島忠勝 (1599〜1620年 22歳没)
 福島正則の次男。備後守。大阪冬の陣では堤の構築などを担当。夏の陣では戦後に到着。父とともに転封、元和六年九月十四日没した。
 
 
  福島某 (?〜?)
 福島忠勝の子。母は松平康元の娘。母が津軽信枚と再婚したため、津軽に移る。
 
 
  福島正之 (?〜1608年)
 別所重宗の子。母は福島正則の姉。福島正則の養子となる。慶長四年、松平康元の娘を娶る。慶長五年、関ヶ原合戦で初陣を果たす。福島正則は実子忠勝に家督を継がせたいと考えており、次第に正之と疎遠になった。やがて正之は罪無き者を殺害するなどの悪行を重ね、小河安良に預けられた。慶長十三年三月二十五日、餓死。
 
 
  福島直秀 (?〜1635年)
 福島正之の子。母は松平康元の娘。母が津軽信枚と再婚したため、津軽に移る。津軽家臣大道寺家に養子入りした。後に実父が福島正之だと知り、福島家再興を考える。寛永十二年、福島家再興を幕府に訴えるため江戸に向かうことを決意。その際、実母である津軽信枚夫人に招かれ、弘前城に登城。盃の酒を飲むと体調を崩し、そのまま没した。津軽家に暗殺されたのだろうか。
 
 
  福島正利 (?〜?)
 福島正則の庶子。寛永元年、福島家が改易されると三千石を与えられた。
 
 
  福島伯耆 (?〜1607年)
 福島正則の甥。福島正則は領国統治のため、領内の要所小方に新城を建設。伯耆は新たに築城される亀居城主になる予定であったが、完成間近の慶長十二年に没した。亀居城は慶長十三年に完成し、山田小右衛門、森左助が城番となった。
 
 
  平野長重 (?〜?)
 平野長泰の弟。福島正則に仕える。慶長四年、石田三成の屋敷が諸侯に囲まれると、これを警護。慶長五年、上杉征伐に参加。
 
 
  福島正澄 (?〜?)
 福島正則の家老。丹波守。関ヶ原合戦後、備後神辺城三万石。福島家改易に際し、城中二千余名の兵士と共に開城に反対。正則は正澄に書状を送り、開城命令に応じるよう諭した。
 
 
  長尾一勝 (?〜?)
 福島三家老の一人。隼人正。関ヶ原合戦後、安芸五品嶽城主。
 
 
  長尾勝行 (?〜?)
 一勝の子。元和五年、千手寺に父の供養塔を建立。
 
 
  水野久右衛門 (?〜?)
 福島家重臣。娘は福島正則の養女となり、来島康親に嫁いだ。
 
 
  尾関正勝 (?〜?)
 石見守。関ヶ原合戦後、積山城二万石。以後、積山城は尾関山城と呼ばれるようになった。
 
 
  大崎玄蕃 (?〜?)
 福島家臣。関ヶ原合戦後、備後鞆城主。
 
 
  水野作右衛門 (?〜?)
 福島家臣。志段味城主。
 
 
  小河安良 (?〜?)
 福島正則の命により、福島正之を幽閉。
 
 
 
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