菱刈家 家臣団
 
 
 
  菱刈重豊 (?〜1557年)
 蒲生範清と結び、島津家と対立した。弘治二年十月、範清が島津勢に攻められると救援に向かい、北村に陣を張った。弘治三年四月十五日、長期布陣で疲弊したところを攻められ、敗北を悟り自刃。
 
 
  馬越重猛 (1532〜1566年 35歳没)
 菱刈一族。馬越城主。永禄年間、島津家と和解し、所領を安堵される。永禄四年、栗野百二十町を加増。永禄五年、横川を加増。永禄九年十一月十八日、三十五歳没。子は重広。
 
 
  馬越隆秋 (?〜?)
 馬越重猛の弟。大膳亮。永禄九年、甥重広が幼少のため代わりに家督を継ぐ。島津氏と敵対。永禄十年十一月二十三日、島津勢に攻められる。二十四日、義弘は馬越城北西の搦手を攻撃。馬越城陥落後、大口城に逃れる。島津貴久は馬越城を拠点に大口城を攻める。永禄十二年正月十八日、相良義陽の仲介で島津家と和解。人吉に移った。
 
 
  馬越重広 (1562〜?)
 馬越重猛の子。鶴千代丸。五歳で父を失う。幼少のため、家督は叔父隆秋が継いだ。
 
 
  井手籠重久 (?〜1567年)
 馬越家臣。駿河守。永禄十年、馬越籠城に参加。籠城の後に自刃。この合戦で馬越城兵二百余名が討死した。
 
 
  井手籠重房 (?〜1567年)
 井手籠重久の長男。永禄十年、馬越籠城に参加。籠城の後に自刃。
 
 
  井手籠重光 (?〜1557年)
 井手籠重久の次男。弘治三年四月十五日、吉峰にて討死。
 
 
  井手籠重陣 (?〜1567年)
 井手籠重光の子。弥四郎。永禄十年、馬越籠城に参加。籠城の後に自刃。
 
 
 
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