越後斎藤家 家臣団
 
 
 
  斎藤頼信 (?〜?)
 赤田城主。下野守。文明十年十二月三十日、千坂定高と共に奉書に連署。子は昌信。
 
 
  斎藤昌信 (?〜?)
 斎藤頼信の子。永正五年、色部昌長、本庄時長を攻めた。永正六年、関東管領上杉顕定が越後に攻め込むと、長尾為景に属して応戦する。永正十年八月五日、長尾房長宛の書状に長尾景長と連署する。同年十月、長尾為景が上杉定実を幽閉すると、長尾為景の越後統治に協力。大永元年二月、長尾為景は無碍光衆禁止令を出し、一向宗を信仰することを禁止した。斎藤昌信はその書状に連署した。子は定信。
 
 
  斎藤定信 (?〜?)
 斎藤昌信の子。下野守。享禄四年一月、「越後衆連判軍陣壁書」に連署。長尾為景に加勢し、上条定憲と争う事を示した。しかし、その後、上条定憲に属した。子は朝信。
 
 
  斎藤景信 (?〜?)
 斎藤朝信の子。乗松丸、下野守。曾祖父の斎藤昌信は、長尾為景の下克上を助けている。天正八年閏三月十四日、北条景広の遺領を与えられる。天正十二年八月十二日、景勝より一字を賜り景信を名乗る。慶長二年、景勝によって改易される。後に堀家に仕える。米沢に移り、上杉定勝から三百石を与えられ、子孫は明治維新に至る。元和五年一月二十三日、越後村上城主堀直寄から三百石を与えられた斎藤三郎兵衛は景信の子であろうか。
 
 
  斎藤某 (?〜?)
 慶長五年、上杉浪人を集めて赤田城に籠もる。
 
 
  斎藤加左衛門 (?〜?)
 天正年間頃、百五貫を知行。
 
 
  野呂信満 (?〜?)
 天正十二年二月六日、斎藤朝信が小千谷中使八文字屋に塩莚一枚、屋敷一軒を与えると、その書状に連署。
 
 
  井上正好 (?〜?)
 天正十二年二月六日、斎藤朝信が小千谷中使八文字屋に塩莚一枚、屋敷一軒を与えると、その書状に連署。
 
 
  大島長家 (?〜?)
 天正十二年二月六日、斎藤朝信が小千谷中使八文字屋に塩莚一枚、屋敷一軒を与えると、その書状に連署。
 
 
  小河主水 (?〜?)
 天正年間頃、百五十貫を知行。
 
 
  井上佐京 (?〜?)
 天正年間頃、百五十貫を知行。弟は助兵衛。
 
 
  井上助兵衛 (?〜?)
 井上佐京の弟。
 
 
  野呂一薄 (?〜?)
 天正年間頃、百五十貫を知行。
 
 
  岩野兵衛 (?〜?)
 天正年間頃、百貫を知行。
 
 
 
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