江戸家 家臣団
 
 
 
  加倉井久光 (?〜1590年)
 江戸氏五家老。天正十八年十二月、江戸氏滅亡時に共に滅ぼされる。これは豊臣秀吉が江戸氏の居城水戸城を佐竹義宣が領すことを認めたのに対し、江戸重通が反抗したための討伐である。すでに隠居した義重も出陣し、二方から江戸領を攻撃。重通は結城晴朝を頼り落ち延びた。江戸氏は十三城八館を落とされ滅亡した。義宣は大掾氏、南郡三十三館主も滅ぼし、常陸五十四万五千八百石の大大名となった。
 
 
  神生通朝 (?〜1588年)
 遠江守。江戸氏の家老。天正年間、神生館を築く。天正十六年十二月、江戸但馬の次男小五郎を毒殺したとして、主家に攻め滅ぼされている。同月には神生右衛門大夫と江戸通澄が争う「神生の乱」も起きている。
 
 
  平重重資 (?〜1590年)
 江戸家臣。豊前。天正年間、江戸但馬の娘を娶る。江戸家滅亡時に討死した。
 
 
  飯島七郎 (?〜?)
 江戸家臣。勝倉城主。天正十八年十二月に佐竹義宣に滅ぼされた飯島縫殿は子か。
 
 
  金上明直 (?〜1590年)
 江戸家臣。金上館主。弾正。江戸一族。天正十八年十二月、武田原で佐竹軍と戦い討たれた。これは水戸城攻撃を防ぐための出陣であったが、佐竹義重、義宣父子により水戸城は落とされ、江戸氏は滅亡した。
 
 
  谷田部通直 (?〜1590年)
 江戸家臣。天正十八年十二月、佐竹家と勝倉台で合戦となり討死した。
 
 
  鳥羽田宗重 (?〜?)
 江戸家臣。天文年間始めに鳥羽田城を築き、城主となる。小栗姓。大隅守。子の宗行、孫の宗義も鳥羽田城主となるが、天正十八年十二月、佐竹義宣の攻撃により落城。十七歳になる宗義は許され、佐竹家臣となった。
 
 
 
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