7月1日 「21グラム」
今日は映画の日ということで、夕食のあと村のシネコンに出かけていく。今日の映画は「21グラム」(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)。イニャリトゥは「アモーレス・ペロス」でとても感心した監督である。それに加えてショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロといった渋い俳優が出ているので期待が大きかった。
平日の最終回だというのに(映画の日ということもあるだろうが)、ほぼ6割の席が埋まっていた。映画が終わったあとの駐車場にはまだ数百台の車が止まっていた。これは「ハリー・ポッター」を見にきた客たちだろうが、それにしても村のシネコンはたいした繁盛ぶりである。駐車の問題を解決して魅力的な映画館を作れば、まだまだ映画人口は増えるように思うのだが、松本の街中の映画館は閑古鳥が鳴いている。
さて、「21グラム」だが、前作と同じように時間的前後関係をバラバラにして再構成するという手法である。悪い映画とは思わない。悪くはないが、「アモーレス・ペロス」とくらべるとやや技巧に走りすぎて映画としての魅力がいまひとつのように感じた。それでもショーン・ペンやデル・トロ、ナオミ・ワッツといった主演俳優たちがどれも達者で、それだけでも見ごたえがある。
力のある俳優は表情に魅力がある。そしてその表情が一様ではないのである。これとくらべて、いわゆるハリウッド映画のスターたちはあらゆる演技をたったひとつの表情でこなすところに特徴がある。トム・クルーズしかり、ブラッド・ピットしかり、レオナルド・ディ・カプリオしかり、である。こういった連中が出ているだけで見たくなくなる、というのはいささか天邪鬼すぎるだろうか。
7月3日 Uブックスと自転車
今年は空梅雨のようだ。朝からずっといい天気で暑くなる。朝いちばんで走りに行くが、日差しが強くてへこたれてしまった。気温はそれほど高くはないのに、ものすごい汗をかいてしまった。走り終えると身体中からボトボトと汗が滴り落ちる。こういう汗を毎日かいていれば、病気にはなりにくいような気がするのだが。
午前中に白水社から宅急便が届く。中味は『戦場の一年』のUブックス版であった。同じ本でもこんな風に版形が変わるとずいぶん印象が異なる。イタリアでもペーパーバックで普通に売られている本だから、こういう感じで手軽に手にとれるようになったのはうれしい。
そして昼過ぎに自転車屋から電話があり、注文してあった自転車を引き取れるとのこと。さっそく夕方に出かけていってもらってきた。注文したのは通勤用ということでロード・バイクとMTBの中間形ともいえるクロス・バイクだが、立派なスポーツ・バイクである。
軽い。美しい。
調整の仕方やメンテナンス法など細かな説明を聞く。昔乗っていた自転車とはずいぶんいろいろなところが変わっているようだ。
来週から自転車通勤を始めよう。とはいえ、コンピュータの問題などが未解決のため、授業のない日しか乗れそうもないのが残念だ。それさえ解決すれば、ざんざん雨が降っている日などを除けば、自転車で通うぞ。片道18km。う〜ん、なかなかいい運動になりそうだ。
7月4日 夏本番
梅雨の晴れ間というのはどうしてこうも暑いのだろうか。まだ身体が暑さに慣れていないからかもしれない。
早朝の涼しい時間にランニングに行き、午前中は家で仕事をしようと思っていたが、どんどん暑くなるのに閉口する。それで子どもを連れて図書館へ行く。また車の中が暑くて、とうとうこの夏始めてエアコンを入れる。ひとりなら我慢できたのだが。
午後も暑くて我慢できず、村のプールに出かけていった。きちんと泳ぐのはひさしぶりである。
身体が動きをおぼえているので、軽く20往復1000mをけっこう楽に泳げた。ただし、クロールのストロークの際に左の肩に去年はなかった痛みを感じる。はてこれは五十肩だろうか。運動を定期的にしているといってもあんまり上半身は動かしていないから、こういうこともあるかもしれない。しかし肩が上がらなくなるとクロールは難しいだろう。
村のプールは例によってガラガラで、1コースを最初から最後までひとりで使って泳いだ。これから二ヶ月間村のプールはわたしのプライベート・プールになる。一回分が225円だからただみたいなものである。田舎暮らしの恩恵を今年も享受することにしよう。
7月5日 砂漠化について
ふぅ〜。今日も暑い日だった。松本は34度まで気温が上がったという話だ。
今日は午後から3コマ授業。最後の二つは冷房の効く教室だったが、そこまで行く間がひどく暑い。この暑さでは冷房のない教室での授業は学生たちが気の毒だ。いまからこんなに暑くて、この先大丈夫だろうか。幸い、前期の講義の授業はすべて冷房がある教室を確保できているので、試験などもなんとかなるだろう。
それでもさすがに夕方になるとぐっと涼しくなるのが信州である。いまは夜の8時過ぎだが、20度ぐらいまで下がってきている。朝晩がこんな風に過ごしやすい点が東京などとは違うところだ。夏の間は東京や大阪には行きたくない。冷房がないと生活できない場所だから。
去年の夏はヨーロッパが猛暑だったし、地球全体がこれほど暑くなってくると人間の住める場所がどんどん狭くなってくるのではないか。ひとことで言って「砂漠化」である。わたしが生きている間にもそんなパニック映画のような状況が出現するような悪い予感がしている。どこかで歯止めを効かせないといけない。余分なエネルギー消費を避け、余分なCO2を出さないような生き方を自然に身につけないといけない。
地球は閉じた生態系なのだから、そのなかでのバランスを考えて生活する必要がある。もうすでにバランスが狂い始めているような気がしてならない。
7月6日 サンダル&就職ガイダンス
今日も恐ろしく暑い。自転車で通勤しようと考えていたが、朝から強烈な日差しが照りつけていたため断念して車で大学へ。
オフィスアワーに間に合うように大学に到着するが、研究室がすっかり暖まっていて、窓を開けても生ぬるい風が入ってくるだけである。それでもなんとか仕事をしていたが、とうとう我慢できなくなって靴を脱いだらずいぶん楽になった。このくそ暑いのに靴なんか履いていられない。
というわけで、生協へ行ってサンダルを買う。
人文の先生方のなかでも研究室ではサンダル履きの人はたくさんいる。正直言って、大学に着いてから靴からサンダルに履き替える、という行動様式をあまり美しいとはわたしは考えていない。サンダル履きの人を見ると「そ〜だよな〜。日本人が靴を履くようになってまだ百数十年だもんな〜。それ以前は草鞋か草履だったんだから」といつも考えていたのである。
だが、この暑さでは――いくら通気性のいい靴でも――足が暑くてたまらない。背に腹は代えられない。夏のあいだはしばらく靴とは離れていることにした。「サンダル男」と呼ばれてもかまわない。ペタペタと音を立てて大学の中を歩き回ることにしよう。
4時半から就職ガイダンスに出る。これは三年生を対象として、すでに社会人として働いているOBや就職関係の大学内外の専門家の話を聞かせるイベントである。予定では6時に終わるはずだったが、実際に終わったのは7時半であった。う〜ん、疲れる。
ずいぶんたくさんの人の話を聞いたが、正直なところ「聞いて得したなあ」と学生が思うであろう話は一つか二つであった。マニュアルに沿って決まりきった話をする人が多くて、こういう話では企業の面接試験は合格できないだろうと思う。
やはり自前の言葉で話さないと、説得力がないのである。
7月7日 猛暑
昨日といい今日といい何なんだこの暑さは、といいたくなるような暑い日が続いている。信州でこれでは真夏が三ヶ月続く東京や大阪と同じではないか。まあ、エアコンやビールなどはよく売れて景気がよくなる可能性はあるだろうが、ふつうの生活者からするとたまらない。今年も全世界的に暑い夏になりそうだ。
わたしが子ども時代を過ごした大阪も暑いところだった。(子どもだったこともあるが)夏の間はほとんどパンツ一枚で暮らしていたような記憶がある。湿度が高くて風がないのが大阪の夏の夜である。ただ、あのころはクーラーというものが皆無の時代だったので、モーターの回る音や排熱の風などはなかった。わたしは大阪の真ん中で育ったが、夜は静かなものだった。
蚊帳というものもあのころはよく使った。蚊帳を吊るとそれがまた暑さをつのらせるのだが、いつも寝ている部屋がまったく違った印象になるのが楽しかった。寝苦しさに苦悶しているうちに眠りが訪れ、気がつくと朝の爽やかな空気の中で目を覚ます。そういう毎日だった。
今夜はそれにしても気温の下がり方が遅い。午後9時で外はまだ27度もある。わたしが住んでいる村は標高700m以上あって熱帯夜などということは絶対にありえない場所なのだが、そこでもこんなに暑い夜なのである。東京の夜を想像するだけで汗がにじみ出る。
去年は入試関係の仕事が多くて、夏休み中に東京大阪に出かけることが何度かあった。わたしは夏の東京では冷房の効いた空間と熱気の立ちこめる外との間を行き来しているうちに必ず体調を崩してしまう。だから、夏は信州で過ごしたい。
7月8日 水泳の楽しみ
今日も35度を越える暑さ。熱中症が怖くて外で身体を動かすことなどできないほどである。7月上旬でこれほど暑い日が続くのは記憶にない。こういうときは日陰でおとなしくしているのに限る。
それでも少しは運動をしないとと午後に村のプールに泳ぎに行った。このプールはいつもは水が冷たくて気持がいいのだが、今年は異常に空気が熱いせいだろうか水温が29度もあってまるで温水プールである。プライベートプール状態でガシガシ泳ぐ。水の中で汗をかいているのがよくわかる。
水の中に頭がもぐっていても恐怖感を感じなくなったのはそれほど昔のことではない。東大で助手をしていたころ帰宅途中に神田のYMCAで泳ぐようになってからのことだ。このプールは享楽的な雰囲気がまったくなくて、とにかく来ている人たち全員がマジメに泳いでいるのである。そういう中にいると、プールの端で立ち止まっていることに罪悪感を感じる。自然にどんどんターンして長い距離を泳ぐようになっていった。
そのあと、神奈川県で暮らしていたときに家の近くのスイミングクラブに入ってここでしごかれたのも大きい。ここは子どもだけではなくて大人のコースが充実しており、泳ぎのレベルでいくつにもコースを分けて最も上級のコースはマスターズ選手権に出場するような人たちばかりであった。ほとんど9割近くが30〜40代の女性であった。その中に入れられたときにはついていくのに必死で、インターバル・トレーニングやキック・プルの個別トレーニングなどとにかく密度の濃い練習を週に二回やっていた。
「アップ一個メ行ってください」というコーチの掛け声で始まる練習は50分間で1700mほどをこなすのだが、終わると水の中で汗がダラダラ流れるのがわかるほどハードであった。そのおかげで、あれから20年近くたったいまでも、水の中では楽に身体を動かすことができる。あれだけ時間やエネルギー、カネを投資したのだから、当然といえば当然である。
わたしの場合泳ごうと思えばいくらでも泳げる。ただ、やっぱり一人で泳いでいると飽きてしまうのである。これがランニングだと音楽を聴きながらできるのだが、そういうことが水泳では難しい。きちんとしたトレーニングを水泳で積むにはコーチがいて、はっきりとしたメニューがあって、という形式が必要である。
そんなわけで近所のスイミング・クラブの宣伝パンフレットが新聞にはさまっていると必ず読むようにしているのだが、そういうかなり厳しい水泳を大人向けに開設している所は見つからない。水泳は最も生涯スポーツに適している運動だと思うが、いろいろな需要があってそれに応える努力をスポーツ・クラブもやるべきだと思う。また新しい施設が松本にできたようなので、それも見学に行ってみよう。
7月9日 もうちょっと涼しくなってくれないと
あんまり暑いので、写真だけでも涼しそうな安曇野のパノラマに変えた。
今日は大学で授業の準備をする必要があったので、朝早く家を出て8時過ぎに到着する。到着時の研究室の室温は31.9度。もう建物全体がすっかり熱くなってしまっているので、逃げる場所がない。窓をあけてもほとんど風がない。今日は耐暑訓練の一日だと腹をくくらないといけないようだ。
(いまから20年以上前のこと)家人が通っていた大学では気温が30度以上になると自動的に休講にする先生がいたという話であるが、ここでそれをやると一ヶ月は前倒しで夏休みが始まってしまう。これも温暖化傾向がいっそう進んだおかげだろうか。
前期の金曜の授業は三限まで。しかし授業が終わると人文学部の研究棟全体が蒸し風呂のようになっていて研究室の室温も33度まで上がっていたので、早々に退散することにする。とても仕事ができる環境ではないのである。だからといって全館冷房の都会の大学のような施設を望んでいるわけではない。
これは松本を離れたほうが気温が低いと判断して自宅へ急ぐ。やはり松本とわたしの住んでいる村とでは少なくとも3度は気温が違う。松本は盆地の底だから太陽に熱せられたフライパンみたいなものである。わたしの村はフライパンの端である。標高も高い。緑も豊かだ。だから多少は涼しい。
それにしてももうちょっと涼しくなってくれないと昼間は何もできない。一ヶ月ぐらい季節が先に進んでいるような気がする。
夏休みまで授業もあと二回というところまで来た。もうすっかり息切れである。何が何でも半期15週分の授業をやるようにというプレッシャーがきつくて、学生も教師も疲れているような気がする。とくに今年は7月に入ってからひどく暑くて元気が出ない。病気にはなりそうもないが、夏休みが待ち遠しい。
7月11日 参議院選挙
土曜・日曜はランニングと水泳にはげむ。ほんとうに「運動オタク」になってしまって、毎日身体を動かさないと気持が悪いのである。
今日は涼しくなって、ランニングも楽だった。楽というより心地よいというべきだろうか。流れる汗もベタベタではなくサラサラで気持がいい。
水泳もすっかり感じが戻ってきて、300mも泳ぐとスイマーズ・ハイになる。ただ、水泳をしているときの感覚はあまりにもふだんと違うので、別のことを考えるのは難しい。身体の声を聞きながら、あとはターンの回数を数えているだけ。だが、わたしのようにひたすら泳いでいるだけという人はほんとうに少ない。
(夏の間だけだが)いつ行っても空いているプールがあるのはありがたい。他人に邪魔されずにひとりの空間と時間に浸れるからだ。
午後も遅い時間に投票に行く。
今度の参議院選挙の結果、おそらく小泉政権は存続不可能になるだろう。どう考えてみてもいまの政権に何らかの改革や新しい政策が打ち出せるとは思えない。そして何よりもあのブッシュ米政権との癒着を選んだことが最悪の外交的選択であった。もともと自民党には対米追随以外の外交戦略はないのだから、当然といえば当然なのだが。
参院選のあと、わりあい早い段階で総選挙が行なわれるのではないか。そのへんから日本の政治が変わっていかないと、いまのままではお先真っ暗である。
ただまあ、代替政権たるべき民主党のほうもいまひとつの感じがつきまとう。とはいえ、社民党や共産党に未来はない。選択肢が限られていることを今回の選挙でも痛感した。次善の選択として投票するしかない選挙がこれだけ続くと、投票率が下がるのも無理はないと思う。
などということを書いたが、結局のこの低投票率が大きな変化を阻んだようだ。単純に数字だけ見れば、野党内で議席を減らした共産党の分が民主党にまわったのであって、与党は大敗北とまでは行かなかった。与党内での公明党の比重はさらに高まった。このままの体制があと数年は続くのだろうが、わたしは日本の先行きにはかなり悲観的である。
7月12日 再試験をめぐって
あと一回か二回で前期の授業はおしまいになり、学期末試験が始まる。授業のあとに学生たちが寄ってきてうるさくあれこれ試験について質問を浴びせるようになってきた。
だが、そのやり取りで気になることがひとつ出てきた。それは、7月の終わりになると「もう部活の競技大会が入っていて試験が受けられない」という学生がいることである。中でも医学部の学生が数人やってきて「試験が受けられないから再試験をやってくれ」と要求する。なにやら東日本の大学の医学部の競技会が北海道であるという。
「それはおかしいんじゃないか。試験という学生にとっての正課と部活という課外活動のうち、課外活動を優先させるという理由をきちんと説明できなければ、そんなことは認められない」というのがわたしの言い分である。
実はこれについてはひと月ほど前に医学部長名の文書が配布されていたが、そこにも「こういう競技会があって試験を受けられない学生が出るからよろしくね」とあるだけで、なぜその部活の競技会を試験よりも優先させるのかという肝心の理由が一切書かれていなかった。そういうわけで、その文書に対して「正課よりも課外活動を優先させる理由」を文書で尋ねたのだが、いまだに返答がない。
どういうつもりなんだろうか。答えにくいことには答えないで知らぬ顔を決め込もうというのだろうか。
いままで再試験を認めたのは交通事故とかインフルエンザとかで受験できなかった学生のケースで、これらはやむを得ない事情があったと判断したからである。
こんなことがあると、「大学の教育面を重視する」と繰り返し述べている学長の言葉も疑いたくなる。授業者に対しては何が何でも15週分の授業をやるように要請しながら、学生に対しては試験をサボってもいいというような指導をしているのでは……。医学部出身の学長のお膝元でこんなことをしていてはどうにもならないと思うのだが。
7月13日 梅雨明け
関東甲信越に梅雨明け宣言が出された。去年よりも20日も早いという話。
実は今日から自転車通勤を始めようと考えていたのだが、ギラギラ照りつける太陽に恐れをなして断念する。断念して正解であった。ひどい暑さだったから。夏の間自転車で通勤するなら、うんと朝早くに家を出て、太陽が沈んでから帰宅するしかなさそうだ。
今日も大学ではオフィスアワー、エクストラの授業、大学院の授業、インターンシップ事前研修とずっと忙しかった。夏休みの直前は会議も多いし、試験をやって採点もしなくてはいけないし、かなり忙しいのである。とにかくいつの間にか仕事が増えていく。
そんなわけでほんとうにいまの状態は息切れである。暑さの中でもなんとかあと二週間を乗り切らないと。
7月14日 再びプロ野球について
昨日今日とアメリカ大リーグのオールスターの様子をテレビでチラチラと見ていて思ったのだが、やはりこうやって国民の多くに受け入れられている娯楽は立派な国民文化である。
昨日のホームラン競争のセレモニーで過去の名選手たちが登場して紹介されるシーンでは、個人の記憶と野球というスポーツの歴史が重なり合い、共鳴する様子がうかがえた。満員の観客は全員がスタンディング・オベーションで拍手をしていた。こういう演出をさせると、日本のプロ野球はとてもかなわない。
やはり彼我の差はスポーツであっても「何かを伝えることこそ重要である」という考え方の違いではないか。プロ・スポーツは単なる娯楽やカネ稼ぎではないのである。今日の始球式に登場したモハメド・アリはパーキンソン病のために震える腕で精一杯プレーヤーや観客たちにアピールしていた。
日本のプロ野球は「企業の看板代わり」としてしか使われてこなかったがために、企業自体が斜陽化していけばそれを維持するのが困難になるのは当然である。「年間30億から40億円の赤字」という額は、少子化にともなって完全に停滞産業になっている運輸業である近鉄には負担し続けるのは難しくなるだろう。発想がそもそも間違っているとしかわたしには思えない。
日本のプロ野球も半世紀以上の歴史があって、独自の文化を創ってきたといえるだろう。わたしにしても(ほとんどがテレビだが)たくさんの野球のゲームを観戦してきて、記憶に残るプレーヤーがたくさんいるし、それは自分自身の思い出と結びついている。そうした思い出を簡単に切り捨てることはできるものではない。
いまの日本のプロ野球の危機を招いた責任の大半は、文化としてのプロ野球という側面をまったく無視してきた人々であろう。具体的にはプロ・チームを宣伝のための材料としてしか考えなかった、球団経営に経済原理しか見なかったオーナー・サイドである。それは自分のチームの繁栄だけを考えてドラフト制度やFA制度をねじ曲げて、リーグ全体の成功を無視してきた人々である。
数十年にもわたってこうした歪んだ球団経営が続けば、おかしくなるところが出てきても不思議ではない。
正直なところ、これから日本の野球は衰退の一途をたどるような気がしてならないのである。
7月15日 シンプル・イズ・ベスト
今日も暑いことは暑いが、昨日の暑さほどではなかった。何とか我慢すれば、ディスプレイの前で仕事も可能な暑さだったから。
実のところ、エアコンがない暮らしをあとどれぐらい続けられるか、と考えている。とにかく毎年暑くなる一方なのだから。だが、その反面、余分なエネルギーを消費することは罪悪だという考え方にもわたしには親近感をおぼえる。
われわれの世代には「シンプル・イズ・ベスト」という価値観がかなり強固に根づいているように思う。余分なモノを持つことや過剰なエネルギー消費に対して抵抗を感じるのである。ゴテゴテ飾り立てたもの、分不相応に贅沢なもの、必要以上に大きいもの、などへの拒否感はトシをとるにしたがって強くなってきている。
モノを持たないことに価値を見出すのは、究極の贅沢と思う。
7月16日 夏休みは目の前
金曜日の授業はあと一週でおしまい。その後に試験をやって採点をすれば、前期の仕事はすべて終わることになる。
東大の駒場にいたころは前期の授業は7月のせいぜい二週目で終わって、試験は夏休み明けの9月半ばだった。そして、試験のあと二週間ぐらいの「秋休み」があった。休みが終わっていきなり試験というのはちょっとした心の負担だが、あの秋休みはとてもよかった。とにかくどこへ遊びに行っても人が少ないし、気候はいいしということでよく旅行をしたものである。
いまはとにかく休みの前にすべて片づけるので休みは気楽に過ごせるが、なにぶんにもひどく暑いし、授業のほうもいまごろになるとすっかりくたびれてしまっていることが多い。よしあしだとは思うが、どうも昔の東大のやり方のほうが(今は秋休みがないらしい)学生にも教師にもゆとりができてよかったのではないか。
大学のe-Learning研究開発室というところにたずねていって、教育支援システムBlackboardの使い方を教えてもらう。それでようやくいろいろなデータをアップロードすることに成功した。
わたしは前期の講義課目はすべてパワーポイントを使って授業をしている。去年まではレジュメを切ってしゃべっていたが、それを全面的にパワーポイントに切り替えたのである。このパワーポイントファイルを受講者たちがウェブ上で読めるようにするのに四苦八苦していたのだ。
専門家に訊いてみたら、まあそれほど簡単というわけではないが、何とかできるようになった。こういうことももっときちんとしたマニュアルを作っておけばスムーズに行くと思うのだが。
パワーポイントを多用するのは画像をたくさん使って授業をしているからである。板書も基本的にすべてパワーポイントで作っておくのである。もともと講義ノートを作るときにレジュメも作っていたので、わたしにはさして面倒な作業ではないのである。
カムチャツカ教育大学の廣瀬先生がやって来て、一緒に昼飯を食べる。カムチャツカに行ってもう七年になるということだが、ますますお元気そうで向こうの気候風土が適合しているようである。
最近の日本の大学の状況についていろいろ愚痴を聞いてもらう。
7月17日 「金日成のパレード」
北朝鮮の拉致被害者である曽我さんが家族を連れて明日日本に帰ってくる。「私の人生ってややこしい」と彼女はこぼしたそうだが、気の毒としか言いようがない。母親と一緒に拉致されて、アメリカの脱走兵と結婚して子どもが二人生まれて、諸般の事情から金正日が日本に対して拉致を認めたおかげで日本に戻り、ところが脱走兵である夫は訴追を恐れて北朝鮮を離れられなくて……とまるで下手なテレビドラマの筋書きみたいだ。
この先何らかの形で夫であるジェンキンス氏の罪が軽減されて一緒に日本で暮らせるようになっても、彼女の心労は絶えることはないだろう。
根本のところは拉致という手段であり、それは目的のためにいかなる手段も行使するという国家が存在したおかげである。当の手段が国際的な常識に照らして正当であるかどうか判断できない国家、国際的なコミュニケーションが成り立たない国家が存在すること自体が危険なことなのだ。
「金日成のパレード」という映画がある。これは1988年の北朝鮮建国記念日の周辺をポーランドの映画スタッフがまとめた記録映画だが、まだ健在だった金日成が最初から最後まで主役の映画である。徹底した個人崇拝の様子がこれでもかこれでもかと展開される。
始めのうちはところどころは笑っていられるのだが、だんだん薄ら寒いような恐ろしい気分になってくる。
それはあくまでもマジメな表情、たったひとつの表情しか映画の中の北朝鮮国民が示さないからなのである。はっきり言って友達にはなれそうもない人ばかりが登場する。
これを見ていると、「あ〜なるほど、こういう国だから、あ〜いうことができたのだな」ということがよくわかる。
(たぶん近々帰国するであろう)よど号ハイジャック事件の犯人たちやジェンキンス氏の率直な感想を聞きたいと思う。「若気のいたりで早まったことをしたが、いまとなっては後悔している」というのではないか。60歳にもなってそのような半生の総括をしなければならないのは辛いことだとは思うが。
7月18日 昭和天皇のコミュニケーション能力
丸谷才一『ゴシップ的日本語論』(文芸春秋)を読んでいて、その中に昭和天皇の言語能力に関する話を見つけた。
それは、昭和天皇が即位する以前に受けた教育に大きな欠陥があり、言語能力に非常に大きな限界を持つようになったということである。これについては満18歳の成年式を迎えた1919年の新聞記事が引用され、それは「過保護で閉鎖的な御学問所という社会のせいで、皇太子はほとんど人前で話すことができず」という記事であった。千人以上を招いて行なわれた祝宴で、皇太子は挨拶をなさらず、参会者の祝辞に対しても何も答えなかった。
同じように山県有朋は皇太子に拝謁を賜ったときに、山県がした質問に対して皇太子は何も答えることができなかった。このときのことを山県がある軍人に語ったときには「あたかも石地蔵の如き御態度」と表現した、とその軍人が日記に書いている。
要するに昭和天皇という人はきちんとしたコミュニケーション能力を育てる環境で大人になったわけではないのである。
戦前の昭和史の中で天皇の発言や行動が重大な影響を与えた局面が存在するが、たいていの場合昭和天皇は何を語っても言葉が足りないし、使う用語は適切を欠き、語尾がはっきりしなくて論旨が不明なことを述べるかたになった。拝謁した首相や参謀総長は、よいと言われたのか悪いと言われたのか、どういう考えなのかまったくわからない。そういうことの繰り返しだったのではないか、ということである。
問題はそのような元首が戦争という厳しい国家戦略の選択に最終的な責任をとる立場にいたということであろう。負けるべくして負けた理由のひとつであろう。
たしかに明治以降の皇室の教育環境はそうした言語能力を育てるのに適したものでなかっただろうということは想像がつく。
そして戦後に「人間宣言」をしてからの天皇の言語能力についても、わたしの印象はけっしていいものではない。何を言われても「ア、ソウ」としか答えなかったということもそうだし、珍しく会見をしたときに戦争責任を問われて「そういう文学方面の研究はしていない」と答えたこととか、問題を抱えた人だったという印象がある。
五十年や百年で皇室の文化環境や教育環境が大きく変わるわけもないが、それとくらべれば現皇太子の例の「人格否定」会見でのやり取りなどは相当な変化のように思われる。ただ、皇室の問題の根はずいぶんと深いなあ、といまさらのように感じたしだいである。
7月19日 「三銃士」「四銃士」
ぼーっと見ていられる映画を見たいと思って「三銃士」「四銃士」(リチャード・レスター監督)のDVDを借りてきて見る。1973年の映画だから30年前である。「三銃士」のほうは見た記憶があったが、「四銃士」は初見である。
リチャード・レスターは何といってもビートルズ映画(「ア・ハード・デイズ・ナイト」「HELP!」)で世に出た人だが、ギャグのセンスというか映像のスピード感というか、わりあいわたしの好みなのである。この映画でも派手な西洋チャンバラのシーンが続くが、それがなかなかおもしろい。単純な剣戟シーンではなくてひとつひとつに工夫があり、観客を楽しませようという意図が汲み取れるのが好ましい。
キャスティングもぴったり決まっている。ダルタニヤン役のマイケル・ヨークは田舎出の若者のイメージにぴったりだし、オリバー・リードのアトス、リチャード・チェンバレンのアラミス、フランク・フィンレイのポルトスもそれぞれよく似合っている。「仮面の男」(ランドール・ウォレス監督)でジョン・マルコヴィッチがアトスを演じていて、ひどくそぐわない印象が強かった。やっぱりこういう映画は歌舞伎みたいなものだから、「ニンに合った」役者を起用しないといけない。
ミレディ役のフェイ・ダナウェイも一癖も二癖もある悪女役にはまっていた。枢機卿リシュリューを演じたチャールトン・ヘストンもいつもの大根役者ぶりとは違っていたような印象がある。
これを見ていてアクション映画というジャンルがかつてはあったことを思い出した。いまはもう体技というか身体の動きで客を呼べる役者がいなくなってしまった。それは最近見た「トロイ」(ウォルフガング・ペーターゼン監督)でも感じたことだ。ブラッド・ピットは頑張ってはいたが、彼をアクション俳優とはとてもいえないだろう。やっぱりなんでもかんでもCGで誤魔化してしまう映画の作り方がアクション映画の衰退をもたらしたのではないか。
リチャード・レスターには「ローマで起こった奇妙な出来事」という古代ローマを舞台にしたミュージカル・コメディがある。実はこれをイタリアに留学していた当時ローマで見て抱腹絶倒したのだが、これのビデオがどうしても見つからない。DVDは(日本では)発売されていない。ときどきだが、無性に見たくなることがあるこういう映画をDVDで手元においておくことができればいいのだが。
7月20日 自転車通勤の日
ようやく新しく買った自転車での通勤を始める。
以前にも夜に飲み会があるようなときには自転車やランニングで大学に行ったりしていたのだが、それはあくまでも単発の臨時のものだった。今度は往復とも自転車でという本格的なものである。
いでたちは長袖シャツ(運動用)に半ズボン、それにヘルメットとサングラスである。家を出たのは朝の8時。気温は28度ぐらいまで上がっていた。しかし、わたしの住んでいる村からはしばらくはずっとゆるい下り坂なので、風もさわやかで快適である。暑くもないし寒くもない。
10kmほど走ると松本の市街に入っていく。そのあたりでけっこう暑い感じになってくる。
自転車屋の主人に言われたとおりペダルの回転数を一定――だいたい一分間に60回転――に維持して、あとはギアを変えることで脚への負担を軽くするように心がけると、めちゃくちゃ速いペースで走ってしまう。自転車自体が軽いし、タイヤの空気圧も高いのでものすごく楽に前に進む。通学の高校生たちをビュンビュン追い抜いていく。
大学まで最後には登り坂があるのだが、まるで拍子抜けのようにクリアしてしまった。まあ、わたしの場合ずっと運動しているから心肺機能はかなり高いと思うが、自転車が違うとこんなに楽に走れるものか。もっと汗びっしょりになるかと思ったら、たいしたことはなくうっすら汗ばむぐらいであった。
片道18kmを50分で走り切る。大学には9時前に着いてしまった。途中赤信号に引っかかったのは三回だけだったということもあるが、そんなに一生懸命走ったわけではないので、あと10分ぐらいは縮められるのではないか。それぐらい速く走らないと運動にならないかもしれない。またもっと気持ちよく走れるコースを探してみよう。
大学に着いてシャワーを浴び、普通の格好に着替えて仕事をする。今日はオフィスアワーと大学院の授業などの日である。東京は40度近くまで気温が上がったそうだが、松本もけっこう暑かった。たしかに暑かったが、それでも北側の部屋にいれば本を読んだり書き物をすることも可能なほどであった。
大学院の授業が終わって午後6時前にまた自転車で帰宅する。
帰路は車の少ない道を選んでいったので距離も長くなったし、登り坂でもあるので所要時間は1時間7分もかかる。暑さもこたえた。家に帰り着くとなんとなく下半身ががくがくする。
ランニングと自転車では使う筋肉が微妙に違うことを実感する。腰もちょっと疲れた感じだ。だが、これから続けていけば、だんだん慣れてくるだろう。
7月21日 晴れのち曇り
尋常でない暑さが続いている。
今朝は7時からランニングを始めたが、日差しが強すぎて林間のコースに逃げ込む。ここはマレット・ゴルフのコースの合間を走るコースなのだが、夏のそれも一番厳しい暑さのあいだだけ使っている。
気温は24度とさして高くなかったのだが、走っているうちにものすごい汗をかいてしまう。それで「これ以上走るのは身体に悪い」と判断して30分ほどで切り上げる。これからはこんな感じで、朝早くに30分ほど走って、あとは空いた時間に水泳でもしよう。
夏は休息をきちんととらないといけない。
しかし、午後からは日が翳ってかなり涼しくなった。夏中これぐらいの暑さなら助かるのだが。とにかくわたしの家にも大学の研究室にも冷房がないのだから。
東京はひどい暑さのようだ。少しは涼しくなるまで東京へ行くのはやめよう。いくらなんでも最低気温が30.1度というのは信じられない。わたしが育った東京は暑いといってもそれほどひどくなかったと思う。
夏の間はやはり信州で過ごすに限る。
7月22日 献血と身体感覚
大学へ行く途中で献血をする。
月に一回のペースで献血をするようになって15年ぐらいになる。以前は大学のすぐそばに血液センターがあってわたしには便利だったのだが、いまは松本の中心部に移ってしまったので若干面倒になった。しかし、いまの場所のほうが人を集めやすいという話なので、しかたがない。
今日で通算189回目の献血ということになる。この分だと来年には200回を越えそうだ。
わたしの場合は確実に誰かの役に立っているというボランティア精神と、自分の健康チェックのために献血をしている。やはり体調を崩すとてきめんに数値に現れる。
5月の献血は長引いた風邪がようやく治ってきたころにやったのだが、あとから届いた分析の数値を見ると肝機能がすごく落ちていた。献血をしたときにはもう薬は飲んでいなかったのだが、その影響がまだ残っていたのだ。
人間の身体はすごくわかりやすい。
無理をすればおかしくなるし、身体の望むように動けば楽になる。
わたしはもともと体育会系ではなく、運動には自信がないほうだった。自分の運動能力にはきわめて低い評価しか与えていなかった、といったほうがいいかもしれない。
だが、30歳を過ぎたころから身体を動かすことが少しずつ楽しく感じられ始めたのである。
学校の体育とか運動系のクラブなどの経験はわたしにとってはあまりプラス・イメージでとらえられるものではなかったが、そういうものから離れたところで純粋に身体の中から得られる感覚を楽しめるようになってきたのだ。
トシをとるにつれてこの感覚はわたしにとってとても重要なものになりつつある。
ふだんやっている仕事が本を読んだり書き物をしたりという偏ったものであるため、運動の際の身体感覚はそれとバランスをとる役割を果たしているように思う。だから、「疲れているときには身体を動かしたほうが楽になる」ということが実感として非常によくわかる。
そういう身体感覚と献血を習慣的にすることはどこかでつながっている。
7月23日 夏の熱気の中で
金曜日の授業は今日で終わり。なんかやはり暑くて、ちょっとこれではまともにものを考えられない。2コマの授業をかなり簡単に終わらせて、来週やる試験についての注意などを与える。
試験については大まかなプランは頭の中にあるのだが、実際に問題を作るのは来週である。学生たちもこの暑さではたいへんだろう。
研究室の室温は、自転車通勤で朝早く到着した時点でもう29度あり、午後の授業が終わった段階では31度であった。建物がすっかり熱くなっているので、外が涼しくても関係がない。ほんとうにやれやれである。
とはいえ、今日は夕方から会議がひとつ入っており、その会議のための資料を作ったりしている。
とにかく、今年の前期は最後の試験が終わるのが8月2日なのである。8月だよ、8月。
昔の大学のことを思えば、とても信じられない。それも昔よりも夏は確実に暑くなっているというのに。
4月の第一週から授業を始めているのだが、「何がなんでも規定どおり15週の授業を必ずやれ」という圧力がものすごく強くなっている。
「いいっすよ〜、やりますよ〜」と15週フルに授業をすると、もう8月である。大学のほうが小学校よりも早く始まって遅くまでやっている時代が来るとは考えもしなかった。
もちろん、昔のように7月も第二週ぐらいで授業をやめてしまう教員もいるようだが、そういうのは「学生による授業評価」できちんと大学当局が把握できるようになっている。そういう有形の圧力だけでなく、無形の圧力もひしひしと感じている。
他者を批判するためには、自分がきちんと振舞わないといけない。
これは当たり前のことである。それにしても自分がこんなにマジメな教員だったとは……。
7月24日 人文学部後援会
土曜日だが今日もすさまじい暑さの中を大学に出かけていく。
今日は人文学部の後援会の総会・懇親会がある。後援会は学生たちの保護者と教職員で作っている会である。後援会には学部の教育・研究活動の援助をしてもらっている。
いわば学生たちのスポンサーに当たる保護者が中心の会なので、これからの時代はクライアントを大事にしないといけない。そういうわけで、学部長からの号令があって、スタッフは原則全員参加ということになった。
実は以前に一回だけ出席したことがあるのだが、そのときは保護者の数も教員の数も少なくてとてもさびしい会だった。それが今日はかなりの数の人が集まってけっこうにぎやかな会になる。
懇談会と懇親会で学生の親たちからいろいろと希望や意見を聞く。
中でも印象に残っているのは「成績を親に知らせてほしい」というものである。これは一年生で留年してしまったという学生の親から出た希望だが、たしかに親の気持はよくわかる。ただ、まあ学生の立場になって考えると、「それではまるで小学生か中学生みたいではないか」という反発が当然予想される。学費を払っている親の立場からすると、「払ったカネの分ぐらいはアフターサービスをきちんとやってくれ」となっても不思議ではない。
わたしの考えは次のようなものである。
いまでも一年生の前期で取得単位がきわめて少ない学生はクラス担任の教員が呼びつけて事情を確認するようにしている。それの延長上で、そうした極端な成績不良者についてだけ保護者に連絡をとるということではどうだろうか。二年生以上についても同じである。まともに単位を取っていない学生についてだけ、ピックアップして対応策をとるようにすべきである。
いずれにせよ、わたしたちが学生だったころとはまったく様変わりである。
7月25日 プールで
朝から暑いので、午前中は家で仕事をして過ごす。
午後から子どもを連れて泳ぎに行く。今日はラーラ松本というゴミ焼却工場の廃熱を利用した巨大なプール施設へ行く。ここは流れるプールとか大きなウォータースライダーなどがあって、休みの日には家族連れでにぎわう。
子どもは適当に遊ばせておいて、わたしはプールでマジメに泳ぐことにする。
水泳用には8コースの25mプールがあるのだが、ここもけっこうたくさん人がいる。きちんと泳ぐ人のためのコースが2コース分用意されているが、ちんたら泳ぐ人、子どもに泳ぎを教えている人などがいてひどく泳ぎにくい。
だが、そこに一見して泳ぎこんでいると見える若者がひとり登場したので、この彼と一緒にガシガシ泳ぎ始める。のんびり泳いでいる人をどんどん追い抜き、プールサイドで休まずターンを繰り返していると、いつの間にか二人だけで2コースを独占する状態になってしまった。
ひどく混んでいるのに、迷惑な話であろう。場にそぐわない水泳である。
しかし、こうでもしないと、25m泳いだら休んでという調子では運動にならないのである。
30分ほどで1500m泳いで、それでおしまいにする。わたしが泳ぐのをやめると、あっという間にまた人があふれてくる。
あとはのんびりと女性の水着姿を鑑賞したりして過ごす。ここは競泳用の水着を着ている女性はきわめて少数派で、普通の水着が大半である。昔のことを思うといまの水着はずいぶん大胆に身体を見せるようになっている。ただ、まあ似合っている女性は意外に少ないのだが……。
やはり裸体に近くなればなるほど、ふだんの生活ぶりがはっきりと現れる。どれほど鍛えているか、どれほど見られることを意識しているか。それによって結果は天と地ほどの差となる。女性だけでなく、男性も同じである。
ものすごく太ってしまうのは、やはり身体が他者の目を意識しなくなっているからではないか。「わたしの身体なんかもう誰も興味を持ったりしないからいいんだ」と考えるところから肥満は始まるのである。
ただ、身体と精神は実は深くつながっているから、身体をそのようにとらえることは精神を同じように扱うことにつながりかねない。何事にも緊張感が必要なのである。
プールから帰るころから雷雨が激しくなり、あっという間に気温が10度ほど下がって涼しくなった。今夜も涼しい夜になりそうだ。
7月26日 最後の授業
今日で前期の授業は全部終わる。あとは試験を残すのみ。それにしてもこんな時期まで授業をやっているとは……。
課外活動で試験を受けられない(ので単位はもらえない)という学生たちに授業のあとで食い下がられる。彼らは単位か部活かの選択をしたのであって、試験を受けないのは学生たち自身の選択なのだから、そのことでわたしが責められる理由はない。わたしがそうした学生に便宜を与えない理由はすでにこの日記に書いた。
試験をレポートなどで代用するなどの代替策を提供するにはそれなりの理由が必要なのであって、課外活動はそれには当たらない。これがわたしの立場である。
たまたまわたしのような偏屈な教師に当たった学生は気の毒だが、しかし物分りのいい教師ばかりがいたおかげで、部活の大会を試験期間中に組むという無茶苦茶なやり方が十年以上も続いてきたのである。変えなければならないのはそちらのほうである。
今朝は15度ぐらいまで気温が下がったので、朝食後に走りに行く。10km走ったが、気温のわりに湿度が高くてけっこうな汗をかいた。
帰宅してシャワーを浴び、今度は大学へ自転車で向かう。
午後から授業を2コマやってまた自転車で家に帰る。さすがに最後の5kmぐらいは完全にガス欠状態になってしまい、ママチャリに乗った女子高生にまで抜かれる始末。
ちょっと一日の運動量としては(いまのわたしには)多すぎたかもしれない。
7月27日 法人化がもたらすもの
7月の教授会。
国立大学の独立行政法人化がもたらすものがいよいよ明らかになってきた。具体的にそれは大学の「財政」を理由とした大学教育の空洞化・切捨てということである。非常勤講師や外国人教師などは「贅沢」「無駄」として清算されることになりそうだ。
「経済的合理性」「数値による指標の重視」「経営の視点」などから打ち出される「改革策」は、学長を中心とする大学の役員会議で審議決定されると、もう変更のしようがないという話である。
今日の教授会で示された資料をちらっと見ただけで、人文・教育・経済などの文系学部がそうした「改革」の影響をもろに蒙ることは確実である。学生の数を増やし、教員の数を減らし、担当授業コマ数を増やし、給料は切り下げる。
来年度からは共通教育(一年生向け)の授業を増やさざるを得なくなりそうだ。わたしも信大に赴任した15年前と比べると、担当する授業コマがほとんど二倍以上になっているのではないか。
しかし、これでは私立大学と変わらないものになってしまう。
教授会での議論や報告を聞いているうちに気分は暗澹たるものになってしまった。
まあ、あれで元気が出る人がいたら、そっちのほうがおかしい。
7月28日 研究室のホームページ
人文学部ではすべての専門分野でホームページを開設することになった。
これは大学の外と内の両方を対象とするもので、学部のPRと学生サービスの両方を狙いとしている。そのためにこの数日の間にたくさんの研究室がHPを公開した。人文学部のHPから見に行くといい。
それぞれがまったく違っていて、なかなかおもしろい。アリバイ的に作っているものも目立つが、それでもけっこう思い入れが伝わってくる。
まあ圧倒的に文字が多いのはしかたがない。デジタルの画像など、あまり持っていないのが普通だから。
ところで、わが西洋史研究室もHPを現在鋭意作成中である。ほかの研究室と同じようなものにするのは詰まらないので、いろいろ工夫しているところだ。
でも、HPは作ることもさることながら、マメに更新することのほうが大事だと思う。新しい情報を絶えず流さないと、見に来る人がいなくなる。それはインターネットを使っている人ならすぐにわかることだ。
アップロードして見られるようになったら、すぐにここからもリンクを張るので見に行くように。
7月28日 緊急通知:Blackboardサーバーの障害
昨日の夜から「Blackboardにアクセスできません」というメールがたくさん舞い込む。これは「授業で使ったパワーポイントのデータをBlackboard上にアップロードしてあるので、試験の前に見ておくように」と最後の授業でアナウンスしたからだ。
今朝になって担当者に確認したところ、「アクセスが短時間に集中したので障害が起こった。現在は正常に稼動している」とのことであった。
学生諸君に通知しておく。
要するにつながらないのはアクセス集中によるものであり、別の時間を選んで気長にアクセスを試みるように。
7月29日 e-Learningをめぐって
授業で使ったパワーポイントのデータを試験前に学生たちが見られるように ↑ のBlackboardという大学教育支援システムにアップロードしたのだが、「これが見れません」という学生が現れた。
この学生はOSがLinuxのシステムを使っていて、ブラウザも(わたしは初めて聞いた)Konquerorというものなのだそうだ。Blackboardにアクセスすると、「あなたのブラウザはサポートしていない」旨のメッセージが現れ、データが表示されないという話。
BlackboardはマイクロソフトのInternet ExpolorerかNetscapeの比較的新しいバージョンでないとうまく使えないようにできている。そもそもLinuxなどをサポートする思想は設計の段階でなかったように思う。
ということが大学のe-Learning担当者から当の学生に伝えられると、情報教育担当の先生から次のようなクレームがついた。
「このような全学的なシステムである以上、さまざまな計算機環境の利用者がいるのは当然です。それにもかかわらず特定の会社の OS やブラウザを強要したり、そのようなソフトを使わなければ単位が取得できないようなシステムは、広くインターネットが普及した現在において、明らかに欠陥システムと言わざるを得ません。」
「単位が取得できない」云々というのは実際とはかけ離れた極論なのだが、言っていることはたしかに正論ではある。また、IEおよびWindowsは悪意ある攻撃に対して脆弱なソフト及びOSであり、別のものを使うようにふだんから学生には指導しているという。
ただ、授業をやっているわたしに言わせてもらえれば、プレゼンテーションやワープロ・表計算などのアプリケーション・ソフトはMS社のものが事実上の標準になってしまっており、この状態を変えるのはそう簡単なことではない。理想と現実のバランスのとれる点を見つけなくてはならない。
要はBlackboardの設計をもう少しフレキシブルにすると同時に他からの攻撃にも防衛力を備えたものにするしかないのではないか。少なくとも実際に授業を担当している教員がそこまで考えてe-Learningの教材を作るのは無理というものだ。
結局これも費用対効果で妥協点を見出すしか解決策はないのではないかと思う。
7月30日 試験の一日
今日は朝から厳しい日差しが照りつける中を自転車を走らせて大学へ向かう。これで自転車通勤も今月四回目。すっかり慣れてきて、(少なくとも行きは)快適である。
午前中に西洋史概論の試験をやる。今回は「ノート持ち込み可」でやったのだが、それだとほとんど同じような答案になってしまうことを忘れていた。この次はちと考え直すことにしよう。
試験を終えて午後には西洋史のホームページを完成させ、アップロードする。いや、内容はこのHPと大差ないのだが、まあいちおうこちらはわたしの私的なHPであちらは半ば公的なHPということである。たいして時間をかけたものではないので、それほど期待しないで見に行ってもらいたい。
ただし、写真は初公開のものがいくつもあるので、おもしろいかもしれない。
午後になってまた雨が降り出したので、自転車で来ていることもあって、雨が上がるまで試験の採点をやる。あれほどたくさんのヒントや教材を見る機会を与えてやったのに、箸にも棒にも引っかからないような答案を書くヤツが何人かいる。この頃わたしはめったに「不可」をつけない教師になっているのだが、これらについてはどうしようもない。
50人の答案を1時間半ほどかかって採点し、成績簿に転記して学務係に提出して今日の仕事は終わり。自転車で帰宅する。
大学を出たのは4時半ぐらいだったが、まだ陽が残っていてめちゃくちゃ暑い。雨上がりだから湿気も相当なものだった。家に帰り着いたらかなり疲れていた。まだまだ体力には不足があるようだ。
7月31日 夏休み目前
台風接近で朝のうちは曇って比較的涼しかった。朝8時ごろからランニングを始める。
だが、やはり湿度が高くて、途中からはときどき陽も差し始めて今日も汗びっしょりになる。だから、ペースを落としてゆっくりランに切り替える。今日の音楽はBeach Boys。懐かしいし、季節感もぴったりであった。
午前中は月曜日の試験の問題を作る。パワーポイントを使って授業をしたので、その画像をふんだんに入れた試験問題にしたのだが、これがまた教材を作る以上に時間がかかってしまう。こんな面倒なことを始めてしまったのだから、出来た教材をいろいろ利用しないと。
だが、来年以降も(少なくとも一年生対象の授業は)このやり方を続けようと考えている。ビジュアルな材料をたくさん使ったほうが歴史学の授業でも有効だと思うからだ。とはいえ、そういう材料を見つけるのがなかなかたいへんなのだが。実際には板書の代わりに使っている場面も多い。
午後は気温も上がってきたので、小説を読んで過ごす。奥田英朗『空中ブランコ』を読み終えた。直木賞をとった作品だが、同じシリーズの前作『イン・ザ・プール』のほうが出来は上だと思う。あちらのほうが笑えた。この作家はたいへんサービス精神のある人で、以前からおもしろいと思っていた。
夕食後、子どもと一緒に村のプールへ泳ぎに行き、1500m泳ぐ。
これで今月はラン150km、スイム14.75km、バイク150kmということになり、ラン換算で260kmを走ったことになる。ランニングだけで200km走るのはかなりたいへんだが、自転車や水泳が加わるとうんと楽になる。まあ、夏の間だけは水泳ができるが、寒くなったら自転車とランニングばかりになるのはしかたがない。コンスタントに月間200kmは難しい。150kmぐらいを目標にしている。
おかげで体調は上々である。