田中康夫32著作書評

 

『なんとなく、クリスタル』

 

 一九八一年に刊行された田中康夫のデビュー作。一九八〇年度文藝賞受賞作であると同時に、八〇年代の日本文学を最も代表する作品の一つ。全体は、モデルをしている女子大生由利を主人公にした本文、四四二に及ぶ註、人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年度版厚生白書)」の三つの部分によって構成されている。“So far away on a cold and lonely night. If I could just hear your voice. Then I’d be alright”(Steve Gibb & Buzz Cason “TELL ME THAT YOU LOVE ME”).

 なお、八〇年当時の予測を上回るスピードで日本社会の少子高齢化が進み、人口は二〇〇七年の一億二七七八万人をピークに、二一〇〇年には五一〇〇万人まで減少すると厚生労働省は次のように報告している。

 

合計特称出生率

一九九五年─一・四二人

二〇〇〇年─一・三八人

二〇三〇年─一・六一人(予想)

六十五歳以上の老年人口比率

二〇〇〇年 一七・二%

二〇一〇年 二一・四%(予想)

二〇二五年 二七・四%(予想)

厚生年金の保険料

二〇〇〇年 月収の一七・三五%

二〇二五年 月収の三五%程度(予想)

〈了〉

 

『ブリリアントな午後』

 

 一九八二年に刊行されたデビューから二作目の長編小説。第一作目の『なんとなく、クリスタル』と違って、註などはなく、オーソドックスな構成に仕上がっている。東京・ニューヨーク・パリ・ローマと第一線で活躍するファッション・モデル亮子が主人公。華やかな世界に身を置きながらも、癒されることのない孤独がつきまとっている。

 この世界の時刻は「午後」である。朝でも、正午でも、夕暮れでも、宵の口でも、深夜でもない。しかも、その「午後」は「ブリリアント」である。曇っていないが、気だるくもなく、強烈な日差しに照りつけられているわけでもない。いささか爽やかでさえある。「ブリリアントな午後」は、一日あるいは一年の間で、最もいい頃合いであろう。「今、この瞬間、輝いているわ、私たち」。けれども、まだ気配さえないけれど、いずれ夕暮れがやってくる。この輝きもしばらくすればかげってしまう。田中康夫の小説の時刻は、九〇年代半ばぐらいまでは、「ブリリアントな午後」だったと言っていいだろう。『なんとなく、クリスタル』のテーマを発展させたとも見えるが、田中康夫自身が作家としてデビューした後の作品であり、さらにオーソドックスな構成のため、小説家としての田中康夫の姿勢がより明瞭になっている。人物や舞台設定を変えながら、気配さえないけれども、しばらくすると、失われていく輝きの世界を描き続けることを田中康夫が意識した最初の作品である。

 また、世界で最もハイテク化が進みながらも、江戸の雰囲気が残る八〇年代前半の東京の描写が懐かしさを覚えさせる。渾然とした当時の東京は、むしろ、TOKIOと呼ばれていたが、その風景はバブル経済とともに消失していった。あの時代が戦後日本にとっての「ブリリアントな午後」だったのだろう。

〈了〉

 

『ハッピー・エンディング』

 

 一九八五年に刊行された短編集。一九八八年、角川文庫に収められる際、「早春」と「あと、一キロ」、「バッド・ウーマン」の三編が追加されている。中でも、「バッド・ウーマン」は特筆すべき作品である。キャリア・ウーマンがパーティーにおいて「奥様」と会話している設定であるが、イッセ−尾形の一人芝居を彷彿させるようなモノローグとして田中康夫は描いている。このモノローグはすべてが自己紹介である。「もう、答えはわかりきっている」。自己紹介を書き続けることによって、「鼻持ちならない」アイロニーの持つモノローグ性をパロディ化している。また、今日のテレビで放映されているCMは自己紹介であり、そのメッセージは「私を嫌わないでください」に集約できるが、それを先取りしていたとも言える。この「バッド・ウーマン」が代表しているように、『ハッピー・エンディング』は、全編を通して、「ハッピー・エンディング」のパロディである。

〈了〉

 

『空蝉』

 

 十編から構成され、一九八三年に刊行された短編集。翌年、角川文庫に収録される際、『葉山海岸通り』に改題されている。主人公の女性たちは刹那的に今を楽しんでいる。しかし、光り輝ければ輝くほど、祭の後の虚しさがより大きくやってくる。彼女たちは、若さゆえに、それに気づいていない。「もしかしたら、皆、取るに足らない、まさにトライフルという言葉がぴったりときそうなことに夢中になれるのが、若さなのかもしれない」。田中康夫はこの本ではこうした「空蝉」としての「若さ」を描いているけれども、これ以降、「空蝉」を人生の中でどう位置づけるかを問い続けている。その意味で、田中康夫は、「単行本に際してのあとがき」において、一九五五年ニューヨークの近代美術館が編纂した写真集The Family Of Manの中の”You are the young wonder—tree planet, grown out of ruins”を引用しているが、これほど田中康夫にふさわしい言葉はないだろう。

〈了〉

 

『感覚の論理学』

 

 一九八四年に刊行された初の対談集。対談相手の青木保は文化人理学者であり、当時、大阪大学人間科学部享受・国立民族学博物館教授を務めている。この対談集は「序」から始まり「ホテル」、「デパート」、「大学」という章によって構成されている。「感覚、感性から、発明でも発見でも、新しい動きも始まるわけです。それが後から、だんだんに意味づけられて、方向が定まり、論理的になっていきます。ある意味では、ごくわずかな人だけが、かすかに感じていて、でも、もうしばらく後には世の中全体に行きわたる大きな空気となっていくような、そういう新しい空気を、この本では語っていきたいと思います」。これはジョン・ヂュ−イが『論理学』の中で展開している論理学と同じである。田中康夫の哲学は、実は、ヂュ−イだけでなく、パースの記号論とも類似している部分が多イ。この本では、田中康夫のプラグマティズムへの非難が無理解に基づく不当なものだったことが明らかになっている。

〈了〉

 

『康夫ちゃんのれんあい自由自在』

 

 「すべての事象が等価値になった」時代にあった恋愛を説くために、一九八四年、刊行された女性向け恋愛指南書。角川文庫に収録される際、『恋愛自由自在』に改題されている。全六章構成で、「第3章 恋愛チャート10精選」が示しているように、全体としては、受験参考書のスタイルをとっている。「学校では、だあれも教えてくれないけれど、恋愛だってお勉強なのです」。ただ、最も興味深いのは、「第2章 ボクのLOVEキャリア」において、田中康夫自身が過去の失敗談をユーモラスに語っている部分である。『平凡』を読んでキスのお勉強をしたとか、デートの目印に日本経済新聞を使ったとか、にわかには信じがたいようなセンスの持ち主だったことが告白されている。その上で、「恋も人生もトライ・アンド・エラー」あるいは「どんな付き合いでもいいから、まず恋愛をしてみることです」と主張する田中康夫の自分自身に対するパロディが読める本である。

〈了〉

 

『感覚の倫理学』

 

 『anan』誌において、一九八三年十月十四日から八五年九月十三日まで「今週の眼」として連載されたエッセイをまとめた作品。都内にある私立大学で国際関係論の授業とゼミを受け持つイエス・チャンドラーと隔週で担当していたが、イギリスに帰国したため、途中から田中康夫が毎週書くことになっている。エッセイというジャンルは物語性の弱い告白という特徴を持っているが、もともと倫理を語る方法としてモンテーニュが考案したものである。倫理を考える場合、神学や医学とは違って、ペダンティックである必要はない。日常生活を送るすべての人に、倫理を語る資格がある。『感覚の倫理学』はエッセイの本来の意味を踏まえていると同時に、田中康夫が、作家活動を本格的に始めた頃から、倫理性を強く意識していたことを明らかにしている。現代日本におけるエッセイの真の可能性と田中康夫が倫理的作家であり続ける秘密を知るためには、必読の書である。

〈了〉

 

『街は無限に変容する』

 

 一九八六年に刊行された竹内宏との対談集。これは朝日出版社が企画したレクチュア・ブックスの第V期第5巻であり、「臨床経済学講義」という副題がつけられている。竹内宏は、当時、日本長期信用銀行の常務・調査部長を務める民間エコノミストである。竹内は路地裏のアジア的空間やパチンコ店、スキー場から経済学を探査しており、この点で、田中康夫の先行者である。両者の間には二十六歳の年齢差があるもの、世代間ギャップをほとんど感じさせない。同じシリーズの他の本と比べても、うまく話が発展したり、用例が入りこんだり、脇道にそれたりして、まさに「無限に変容する」。田中康夫は、ここで、「客観性への信仰」に懐疑を抱き、「ムダの経済学」を提唱しているが、「ムダ」は効率主義が無視し続けてきた心の「充実」を意味している。「郷土意識と産業」から始まり「大人のおもちゃ」で終わるこの作品は読みながら、「ムダ」を感じさせる対談集になっていることは間違いない。

〈了〉

 

『恋はビジネス』

 

 全二一講によって構成された女性を対象にした講義スタイルの恋愛論であり、一九八六年に出版されている。このタイトルが示している通り、それぞれの章にケース・スタディが提示され、恋愛がビジネスのように語られている。「恋愛は数学と同じ」である。それは「実践練習問題」、すなわちサイバネティックス的な「トライ&エラー」を通じてスパイラルに「自分を光り輝かせる」からだ。恋愛は戦争ではない。「変に気負わないで、ビジネスとしての恋愛をする」方が。精神にゆとりがあるため、「素敵な恋愛」を体験できる。「一見、不謹慎に思えるこのタイトルには、ですから、真の意味で長い間、愛し合える相手を見つけて欲しいという筆者の温かい思いが込められているのです」。『恋はビジネス』は、そのため、純愛至上主義的な恋愛論のパロディであると同時に、売れることだけが目的のビジネス書のパロディでもある。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の解説書としても読むべきだろう。

〈了〉

 

『いつまでも、クリスピー』

 

 『月刊カドカワ』に一九八六年八月から翌年の一月まで連載された長編小説。週三回深夜のテレビ報道番組で、海外ニュースのキャスターをつとめる歌代聡子が主人公である。当時、CNNを紹介する女性ニュース・キャスターを筆頭に、バイリンガルの女性を指す「バイリンギャル」という流行語があった。二十六歳、独身の彼女は、都内のマンションに暮らし、ブランド品をおしゃれに着こなし、迎えのハイヤーで局に向い、数人のボーイフレンドと建築家志望のステディもいる。けれども、孤独感がどうしてもつきまとってしまう。「流されてしまう」という不安を真摯に引き受けて、生きていく姿は、いわゆる「女子アナ・ブーム」の現在にも、通じるものがある。また、作品の各所に、「作者自身による解説」が入り、『なんとなく、クリスタル』と並んで、最も方法を意識した作品である。

〈了〉

 

『スキップみたい、恋みたい』

 

 「寂しがり屋さん」の女の子を主人公にした十六編の物語によって構成された一九八六年刊行の短編集。主人公たちは「かわいらしい女たち」だけでありたくないけれど、「強い女たち」になりたいわけではない。「大好きな彼と一緒にいたいと思う反面、自分たちは彼なしでもやっていける一人前の女性でもあるのだと思いたい」から、彼女たちは「内緒で年上の男性とも」付き合うといった「言えない自分だけの秘密」を持っている。にもかかわらず、清潔感があるのは、「好きな人と一緒にいれば、楽しさは二倍になり、悲しさは二分の一になる」という認識があるからだ。田中康夫はこうした「気持」を軽やかに、はかなさを秘めつつ、描いている。この本は、たとえいくつになろうともそうした認識を持つ人にとって、「自分だけの秘密の時間に潜り込める場所」であり続ける。

〈了〉

 

『フェティッシュな時代』

 

 トレヴィルの「贈与の一撃」叢書3として、一九八七年に刊行された古井由吉との対談集。当時、異色な組合せと奇抜な設定の対談集が数多く出版されていたが、本書もその一つとして位置づけられる。寺山修司の『不思議図書館』の「サディズム画集の中の馬男たち」に収録されそうな挿画の数々が企画の安易さと陳腐さを強調しているけれども、それを超える弁証法がここにはある。最後の文学世代と言われる「内向の世代」の作家は、それ以前の文学者と同様、秋山駿を筆頭に、必ずしも、田中康夫には肯定的ではなかった。「内向の世代」の中でも最も方法的な古井由吉が田中康夫を認めていたのは、本質的だったと言わねばならない。全体は五部構成であり、話題は多岐に渡っているが、他の対談集と比べて、古井が二十歳ほど年上で同じ小説家ということもあってか、普段とは違う田中康夫の雰囲気、すなわちお釈迦様に対する孫悟空のような田中康夫が味わえる作品である。

〈了〉

 

『昔みたい』

 

 一九八七年に刊行された十五編の作品からなる短編集。『小説新潮』が初出の「昔みたい」を除く、十四編が『25ans』に発表されている。この十四編は「うたかた」という通しタイトルの下、一九八五年五月号から翌年の十二月号までに連載された二十一作品から厳選されたものである。主人公は二十代後半から三十代前半のアッパー・ミドルに属する女性であるが、「彼女たちは、幾つかの恋愛を経験した後に、それぞれの物語に登場する恋愛と巡り合った。そうして彼女たちは、その恋愛を進めながらも、いつの日か終わりが訪れてしまうであろうことを予測している。あるいは、すでに終わってしまっていたはずの昔の恋愛を想い起こし、また、その相手と逢瀬を重ねてしまったりする」。けれども、彼女たちは「一人の相手だけを愛し続けることができるならば、どんなにか素晴らしいことだろう」と考えている。こうした女性を主人公にした全作品を通じて、ルソー的情熱を秘めながらも、ゲーテ的な諦観に至る過程が描かれていると見なすことができる。

 ただ、表題作でもある「昔みたい」は発表媒体が違うためか、いささか傾向が異なる。タイトルも、他の十四編は、「芦屋市 平田町」や「フランクフルト ホテル・キビンスキー」のように、記号性の強い土地か建物の名前である。十四編が具体的な空間をイメージさせるのに対して、「昔みたい」は抽象的な時間を喚起させる。そのため、読者は自分自身の「昔」へ導かれていく。さらに、「昔みたい」が最後に配置されている通り、作品自体が「昔みたい」と振り返られてしまうことを体現している。ゲーテ的諦観のパロディがここにはある。

 バブル経済の始まる直前に執筆されたこれらの作品を読み、バブル経済とその後の失われた十年に対して自らの「昔みたい」をどう位置づけるかは、今の問題である。

〈了〉

 

『恋愛事始め』

 

 『ビッグコミックスピリッツ』誌に連載された二十歳前後の若者に向けられた恋愛論であり、一九八七年に出版されている。女性向け恋愛論『恋はビジネス』と対になっている。二部構成をとり、PARTTは「恋愛お作法マニュアル」と題されたエッセイ集、PARTUは「女子学生恋愛放談」という四人の女子学生と田中康夫による座談会である。これは「小手先のテクニックではなく、どんな場合にも応用出来る、メンタルな部分での基本的法則を述べていく本」であり、「悩める男たちへの処方箋」として書かれている。しかし、「マニュアル」という田中康夫にとってネガティヴな言葉を使っているように、従来からある「若者たちの教祖」による恋愛論のアイロニーとなっている。田中康夫と石原慎太郎や村上龍など青春小説でデビューした他の男性作家との本質的な認識の差を知るには、絶好の本である。

〈了〉

 

『大学受験講座』

 

 自身の浪人体験を踏まえた一九八八年刊行の大学受験マニュアル。本文の構成は全十二講、QA集と合格者へのインタビューからなり、「私立大学難易度予想ランキング」と「田中康夫式大学ランキング」が付録としてついている。田中康夫の作家としての能力は、小説にしろ、エッセイにしろ、日本的な制度に対するパロディを書くときに、発揮される。「すべてが等価値である」という認識に基づいて、他の作家が軽視ないし無視するような領域にも手を広げているが、それによって作家自身の在り方へのパロディを体現している。けれども、田中康夫のパロディは陽気ではない。「矜持と諦観」による「ブリリアントな午後」である。それは権威のパロディであると同時に、自分自身が権威へとならないための田中康夫の「矜持と定款」にほかならない。『大学受験講座』もその「矜持と諦観」に基づいた「ブリリアントな午後」の一つである。

〈了〉

 

HIGH LIFE HIGH STYLE

 

 一九八八年に刊行されたレクチュア・ブック。『25ans』誌上で、一九八七年一月号から翌年の三月号まで連載されたものをまとめた作品である。田中康夫は、プロローグとエピローグ、それらにはさまれた全15 chapterを通じて、バブル経済の「バチュラー・カルチャー」を批判し、真の「マナー」に基づいた「ハイライフ、ハイスタイル」を提唱する。それを一言で要約するならば、ワーズワースの“Plain living, High thinking”である。田中康夫は、色紙を差し出されたときに記すその言葉について、「奢侈ではない、分に応じた飾らぬ、けれども、物質的には豊かな生活の中から、豊かな心と高い理想、そして思考が生まれる」と解釈している。「ハイライフ、ハイスタイルの楽しみを享受するには、それに伴う義務や謙虚さをも身に付けなくてはいけないのです」。『HIGH LIFE HIGH STYLE』は、そうした“Plain living, High thinking”を自分のものにするための本である。

〈了〉

 

『東京ステディ・デート案内』

 

 一九八八年に刊行された若い男性向け恋愛マニュアル。『Popeye』誌上に、「メトロポリタン・ストロール」というタイトルの下、一九八六年三月一日付第二一八号から翌年の七月一日付第二四九号までに連載したものをまとめた作品である。文体は、呼びかけの言葉として「諸君」を使っているように、田中康夫にしては珍しく、アジテーション風になっている。田中康夫は、さまざまなデート・コースを紹介しながらも、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』ばりの非妥協的で、短いセンテンスを用い、力強く、たたみかけるような口調で、恋愛のプロパガンダを演説する。「基礎を固める」ことがまず「異性にモテる」には必要だ、「デートに王道なし」。アドレナリンの分泌を促すように、「多くの読者諸君が、よりパーフェクトに近い充実したデートを出来るようになることを願って」、田中康夫はかく語る。田中康夫の多用な文体を使いこなされ能力を味わうには格好の書物である。

〈了〉

 

『三田綱坂、イタリア大使館』

 

 一九八九年に刊行された七編からなる短編集。一九九一年、角川文庫に収められる際、「浅葱色の空」と「雨に濡れたイヤリング」の二編が新たに収録されている。一作を除いて、容姿や職業、家庭環境にも恵まれ、何の苦労もなく生きてきたかに見えながらも、いくつかの挫折や諦めを体験してきた女性が主人公であるが、例外の一作が極めて重要な作品である。「浅葱色の空」は、他の小説と違い。作者自身と思われる人物を主人公にしている。涼やかで、抑制のきいた文体にのって物語は進行し、「そう思った瞬間、彼女に絵葉書を書いたスククザでの夜の雨と同じくらいに激しく、咳き上げてきた」という文章で閉じられる。静かに抑え続けたものが、最後になって、しかも、雨の比喩をともないながら、暗示するようにして決壊してゆく。「浅葱色の空」は、田中康夫の短編小説の中でも、最高傑作の一つであると言わねばならない。

〈了〉

 

H

 

 『Hanako』一九八九年六月八日号から九〇年五月三一日号にかけて掲載された四八編の小説からなる短編集。これらの二〇代女性のモノローグによって織り成されたセクシャルな作品群は、ちょうどバブル経済の絶頂から崩壊に至る時期に、発表されている。好きな彼とすごす時間は楽しく、濃密で、なまめかしいのに、どこか哀しさがあると彼女たちは感じているが、これは高騰する不動産価格と株価に浮かれながらも、虚しさがつきまとっていたバブル経済そのものである。ここでの性愛は、モノローグが使われている通り、バブル経済の比喩にほかならない。田中康夫の描く小説の主人公たちは、この本に限らず、高度経済成長を体現している。高度経済成長は豊かさと虚しさという二面性の間で人々を揺り動かしてきたが、バブル経済はその絶頂だった。このように、『H』は、田中康夫が小説を通じて描いてきたのは、実は、社会そのものだったということを明瞭にしているのである。

〈了〉

 

『サースティ』

 

 一九九一年に刊行された短編集。女性を主人公にした恋愛と仕事、結婚をめぐる四十九の物語によって構成されている。彼女たちは「然して大きな不満はないけれど、出来ることならもう少し今よりも、と考えているのだ。恋愛も、仕事も、結婚も。充たされているのに、どこか哀しい」。田中康夫は「こうしたサースティな心を描いてみたい。ずうっと、そういう気持ちを抱き続けてきた」と言っている。この作品群はバブル経済が頂点を迎え、崩壊する寸前に発表されている。ハングリーでも、サースティでもないにもかかわらず、日本社会は鯨飲馬食を続けていた。そんな中、田中康夫は、「取り分け、喉も乾いていない」が、「フランス産のミネラル・ウォーター」があったら、「唇をちょっぴり浸してその味を確かめてみたい」と感じていた。『サースティ』は、バブル経済という狂乱の雰囲気にあって、田中康夫が時代や社会に対して「矜持と諦観」を明確に意識し始めたことを確認できる本である。

〈了〉

 

『オン・ハッピネス』

 

 『週刊朝日』に一九九二年十一月二十日号から翌年の九月十日号まで連載された長編小説。これは、田中康夫作品の中でも、原稿用紙六百枚にも及ぶ最大の長編である。厨川出身の女子大生橘由美子、ファミリー・レストランで働く橋爪摩耶が主人公。AVに誘われていた摩耶だったが、人気ミス・コンテストに出場して優勝する。一方で、由美子は決勝で敗れ、今度は彼女がAV出演に誘われる。

 『オン・ハッピネス』には田中康夫小説の変化が至るところに見られる。批評ならともかく、いささか小説らしからぬタイトルが冠しているが、二つの意味がこめられていると考えなければならない。「オン・ハッピネス」は幸福について考えることが幸福の上にあることを意味している。と同時に、批評で御馴染みの漢字の多用とルビによるダブル・ミーニングの手法を採用しているように、小説と批評の二項対立を無効にしているのだ。さらに、より重要な変化がある。由美子も摩耶も、以前の小説に登場する主人公と同じように、幸せと思いながらも、哀しさを感じている。けれども、主人公を二人にしている通り、従来の小説と違い、「ブリリアントな午後」の雰囲気に代わって、「矜持と諦観」の弁証法が前面に出てきているのである。

 「矜持と諦観」を強調しても、九〇年代の半ば以降、田中康夫は「ブリリアントな午後」の世界をもはや描かない。政治・経済が示しているように、日本社会は「ブリリアントな午後」の状況ではないからだ。その意味で、『オン・ハッピネス』は「ブリリアントな午後」の世界を書いた最後の作品であろう。従って、この長編小説は田中康夫が作家として転機を迎える直前、すなわち九五年に神戸へ向う予感が漂う小説なのである。

〈了〉

 

田中康夫のソムリエに訊け』

 

 一九九三年に刊行された田崎真也との対談集。『田中康夫のトレンドペーパー』創刊号(一九八八)から一四号(一九九一)に連載された対談に、加筆・訂正が加えられた作品である。田崎真也は数々の世界的なソムリエのコンクールで高い評価を受け、当時、ホテル西洋銀座のシェフソムリエである。ワインは、日本において、最も権威主義とディレッタンティズムの言説に支配された飲み物であるが、田中康夫は「文化の重層性」という観点からワインを捉える。レストランで、料理をオーダーする際、ソムリエにワインを訊くように、すなわちソムリエへの訊き方を実践して、それを示している。ただし、田中康夫は、一般の入門書と違い、ワインのプラグマティズムに基づき、「具体的、且つ、個人的な表現」でワインを語ることを提唱する。そうして「花びらを一枚ずつ集めるように」、ワインに接すれば、「いつの日か、素晴らしい形の花を完成させられる」のである。

〈了〉

 

SM恋愛序説』

 

 一九九三年に行われた講義をまとめた恋愛論である。第一部「SM的恋愛論」と第二部「恋愛的SM論」の二部構成であり、前者ではこの「恋愛の在り方」における「『レシピ』の何たるか」、後者は「『マニュアル』の何たるか」が語られている。「明るいSM」を提唱してきた田中康夫がマルキ・ド・サドやレオポルド・フォン・ザッヘル・マゾッホの作品に言及しているわけではない。時にはジョルジュ・バタイユ、また別の時にはロラン・バルト、あるいはミシェル・フーコーの視点から、現象としての性行動を分析している。「SM恋愛」は「初めに『心』在りき」、すなわち「極めて精神的な部分に根差した代物」である。と言うのも、「表情、言葉、そうして、肉体」は「レシピ」であり、「場所や器具」は「マニュアル」だからだ。「マニュアル」は「レシピ」を超えられない。「恋愛」は、いかなる場合でも、「お互いの存在を敬い、信頼し合うことから始まる」という田中康夫の持論が顕著に提示された作品である。

〈了〉

 

『チャイナピンクの花嫁衣裳』

 

 一九九四年に刊行された十五編からなる短編集。一九九七年、河出文庫に収録されるにあたり、『あなたへの花ことば』に改題されている通り、各作品にモチーフとなる花の特徴と花言葉が添えられている。花は何も語らない。花言葉は花を記号として徴候を読みとることである。「昼間、会社や学校で辛い出来事があった後にデートの待ち合わせをした日、なんとなく沈んだ表情のあなたを敏感に察知してくれるような。また、『どうしたんだ?』と叫び辛い出来事を思い出させるような具体的な問い掛けなど一切せずに、そっと精神的に包み込んでくれるような」微妙な心の揺れを持つ女性を主人公にし、これに共感する人たちに向けられた本である。田中康夫にとっての恋愛のコミュニケーションは、徴候としての記号を読みあうことである。『チャイナピンクの花嫁衣裳』には、そうした読みとるべき徴候の記号があふれている。

〈了〉

 

『恋の予習、愛の復習』

 

 『読売新聞』水曜日の夕刊において連載していた「恋愛・結婚自由自在」に、一九八六年から九四年までの間、寄せられた相談に対する田中康夫の回答をまとめた作品である。全体は一三五のQAで構成された「恋愛・結婚百科事典」であり、「デート初期のみにとどまらず、恋愛中期における倦怠、永遠の愛を誓い合っての婚約期間、その後の結婚生活の行き詰まり、といった段階まで深く幅広く網羅」している。女性からのQAを「恋の予習編」と「愛の復讐編」の二部に分けているが、「男性のお悩み」が三つ付録としてついている。ここで、田中康夫は「外見の相性、性格の相性、条件の相性、肉体の相性」に基づく「恋愛の四角形」理論を提唱している。「恋愛が長続きする為には、これら四つのバランスが程良く整っていなければならない」。新聞紙上における恋愛相談は戦前から続く伝統的なコーナーであり、田中康夫の得意な伝統に対する読み替えが見られる作品である。

〈了〉

 

『新・文芸時評 読まずに語る』

 

 一九九五年に刊行された初めての文芸時評集。『文藝』誌上において、一九九三年十一月から翌年の十一月までに発表された六編の文芸時評が集められている。

 ここで田中康夫は作家や作品を大文字の「文学」として扱っている。たんに小説を論じるだけでなく、大江健三郎のノーベル賞受賞の裏事情や筒井康隆の断筆宣言に関しても言及している。

 タイトルに掲げられた「読まずに語る」の意味は、一行も読まずに語ることではなく、「いわゆる、お勉強の成果を披露する場にはしたくないという自分に対する決意表明」である。「経歴、他の作品、人となり、といった予備知識や、そこから与えられる先入観をできるかぎり抱かずに、あくまでも作品を『作品』として眺め、評するという意味合いが『読まずに語る』には含まれている」。この言葉通り、田中康夫はペダンティックに走ることなく、インディペンデントに語っている。

 「矜持と諦観」を基準にして「文学」を「批評」していく。この「矜持と諦観」とは「外側にいるんだけれども、内側もわかって外側を書ける人の、その恍惚と不安」を意味している。それはシニシズムや馴れ合いの拒否と言ってもいいだろう。また、「批評とは姿見」である。「そこに映し出された自分は如何なる姿かと覗き見ることで、私たちは覚醒していく」。つまり、田中康夫の「批評」は美醜や真偽という次元を踏まえつつも、倫理的なものであり、「文学」は倫理的である必要がある。

 なお。時評で扱った野間井淳、佐伯一麦、保坂和志、阿部和重、小原眞紀子、室井光広、笙野頼子からの謝辞・反論・異論も収録している。「姿見」としての「批評」に対するそれぞれの姿勢がわかって、興味深い本である。

〈了〉

 

『いまどき真っ当な料理店』

 

 一九九六年に刊行された料理店批評。『WEEKLYぴあ』誌上に一九九四年八月十六日号から九六年三月二十六日号まで連載された文章に加筆・再構成した作品である。東京・京都・大阪のフランス料理から牛丼まで全二十三ジャンルの料理店について、料理・接客・客層・飲料・真っ当のそれぞれの項目に対して、最高三つ星で評価している。多くのグルメ・ガイドは料理界における権威マップであるが、田中康夫の「真っ当」は権威ではない。「作り手、供し手、そして食べ手」の「『三位一体の利潤』『最初の三秒、真実の三分』という哲学を理解し得る店、更には食べ手と作り手との間に常に、お互いを高め合える緊張関係が存在する店。真っ当であるか否かの概念を突き詰めれば、以上の三点です」。さらに、評価に関する詳細なコメント、使えるカードの種類、駐車場の有無、ラスト・オーダーの時刻、店別マップなどの情報もついた実用性の高いガイドブックとなっている。

〈了〉

 

『嗤う!

 

 一九九七年に刊行された全四章構成のエッセイ集。一九九六年一月二十三日号から翌年の十一月二十五日号まで『女性自身』誌上で連載された「こう考えたら腑に落ちる」をもとに書下ろしを含め、加筆・再構成した作品である。一九九六年と九七年に話題になった事件や人物を独自の情報に基づき批評している。扱う対象は政治家から、大使、官僚、女優、ニュースキャスターにまで及ぶ。

 しかし、これは、たんに不況に憤るサラリーマンやOL、主婦が溜飲を下げるというカタルシスを味わうための本ではない。それは「モハメド・アリの『雄姿』」が示している。アリが、一九九六年、アトランタ・オリンピック最終聖火ランナーとして登場し、その震える手で聖火台に炎を灯した「その瞬間、僕は確信したのでした。人口僅か40万人の都市アトランタは『スペインの金満家』にKO勝ちしたのだ、と」。「アトランタは、必死に重病と戦う黒い肌をした悲劇の英雄、然れども公共の電波の中ではその”雄姿”は”異形”に屈してしまう人物を開会式の主役として登場させることによって、”一発逆転”を成し遂げたのです。北と南、西と東、上と下、白と黒、富と貧。アメリカが、そしてアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアという全世界が今も猶、完璧に根絶出来ずにいる数々の格差を在りの儘に見詰めることから新しい人類の一歩が始まるのだ、と宣言したのです」。『スポーツ・イラストレイテッド』誌はアリを二十世紀を最も代表するスポーツ選手に選んでいる。二十世紀はアメリカの世紀であるが、ムスリムの黒人ボクサーはそのアメリカと戦って勝っただけでなく、アメリカの世紀のさまざまな偏見や矛盾と戦い続けてきた。ルースでも、ペレでもなく、確かにモハメド・アリが体現した世紀である。「嗤う!」のはお騒がせな連中に対してではない。読者一人一人の「失敗を見据えて、明日の第1歩を学習する『気概』」が求められているのである。

〈了〉

 

『全日空は病んでいる』

 

 一九八五年から九七年までに書かれた航空会社に関する評論のアンソロジー。構成は三部であり、第二部は田中康夫と全日空の事情に詳しい三人の仮名の出席者との座談会、他に、「全日空『97年春の人事抗争』の経緯」と「年表──全日空45年間の軌跡」、さらに、キルケゴールの『哲学的断片』ばりの「後書の前書」・「後書の中書」・「後書の後書」が収められている。この本には非常に明確な時代的背景がある。一九九七年、いわゆる全日空九七年春の人事抗争が、新聞や週刊誌において騒がれる状況下、緊急出版されているのだ。当時、「生え抜きVS天下り」あるいは「改革派VS守旧派」という短絡的な二項対立によって多くのメディアがこの人事抗争を報道する中、田中康夫はその図式の誤謬と真の問題を主張している。かつて全日空は「矜持と諦観」を持っていた「余裕ある2番手」だったが、利用者不在の覇権主義とサーヴィス低下の現場の疲弊が六年前にすでに始まっていたのである。

 タイトルは『全日空は病んでいる』であるが、日航をめぐる文章も収録されている。八〇年代には、むしろ、日航に対して厳しい発言を繰り返していた。田中康夫にとって、問題にすべきなのは党派性ではなく、航空会社における「サーヴィス哲学」である。その「サーヴィス哲学」は「智性・勘性・温性」に基づいていなければならない。こうした田中康夫の航空会社に対する姿勢は、いささか『哲学的断片』のようなスタイルからも強調されているように、キルケゴールのデンマーク教会との闘争を彷彿させる。

 また、一つのテーマの下、田中康夫の十二年に渡る評論を集めた本であるため、加筆しているとはいえ、田中康夫の認識の一貫性と文体の変化を知ることができる。そうした点も含めて、『全日空は病んでいる』は、すべての田中康夫の本の中でも、独特の傾向を持った本である。

〈了〉

 

『憂国呆談』

 

 一九九九年に刊行された浅田彰との対談集。神戸震災直前の一九九四年十月から神戸空港懸絶反対運動真っ只中の一九九八年十一月までの対談が収録されている。同じ年齢でもあり、ともに八〇年代前半からメディアに登場した両者ではあるが、文学者としての資質は正反対と言っていいほどであるため、好対照をなしている。過去の田中康夫の対談集に比べて、長期に渡って行われ、また、この間、バライティーかつ重大な事件や出来事が多かったせいもあって、扱っている領域の広さは群を抜いている。時事問題を扱った対談は、時として、ルサンチマンを晴らすカタルシスの場と化し、放談になりかねない。そうならずにすんでいるのは、九五年一月以降に見られる田中康夫の精神の高揚という変化があるとしても、冒頭で「仮性包茎宣言」をしているためだろう。「仮性包茎」と対話が従来のフロイト的精神分析のパロディであることは言うまでもない。

〈了〉

 

『新・憂国呆談』

 

 二〇〇一年に刊行された浅田彰との対談集の第二作目。「神戸から長野へ」という副題が示す通り、神戸空港建設反対運動の活動家だった一九九九年三月から長野県知事に当選した二〇〇〇年十月へ至る時期の対談が収録されている。二〇〇〇年に入り、四月から慶応大学での特別講義。長野県知事選への出馬要請から選挙、当選といったように、田中康夫に対する主意の期待感が高まっている。地方自治は極めて深厚な状況にあり、「ブリリアントな午後」ではない。この対談集での田中康夫の発言は地方自治への「矜持と諦観」の政治・経済の導入を期待させる。『憂国呆談』から通して読むと、立場の急変と社会に対する考えの一貫性が明瞭になる。アンガ−ジュマンであることには違いはないが、行政と立法に対する警告者から地方行政のトップになったとしても、「矜持と定款」がある限り、従来の政治・経済に対するパロディを提示することは確かだろう。

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