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菅原文太

Seibun Satow

Nov, 14. 2012

 

「さんまさんにサイン?俺が代わりに欲しいくらいだよ」。

菅原文太

 

 20121113日に引退を公表した菅原文太は70年代を代表する映画スターです。『仁義なき戦い』や『トラック野郎』、『ダイナマイトどんどん』、『太陽を盗んだ男』といった名作に主役ないし主役級で出演しています。80年代以降も大河ドラマに出るなどさまざまな役を演じ、幅を広げています。けれども、70年代の画期性はそこでは感じられません。

 

 『仁義なき戦い』(1973)で初めて菅原文太を知った人には、その以前の経歴は意外なものです。1933年に洋画家の狭間二郎の息子として仙台に生まれています。あれだけ迫力のある広島弁を使っているけれども、元々はズーズー弁なのです。県内有数の進学校の仙台第一高等学校から早稲田大学第二法学部に進学後、劇団四季に入っています。男性専門モデルクラブのソサエティ・オブ・スタイルを設立、ファッション・モデルとして活動します。平成風に言えば、文太兄いはイケメンだったわけです。映画界入り後、長身で二枚目の若手集団「ハンサムタワーズ」の一員となるものの、パッとせず、60年代後半のヤクザ映画への出演から知名度が上がり始めていきます。

 

 60年代の任侠物は高倉健をスターにしましたが、70年代の実録物は菅原文太を彼に並ぶ地位に押し上げます。同じヤクザ映画でも、両者の路線は違います。前者がヤクザを美化していたのに対し、後者には「ヤクザは所詮ヤクザ」という冷めた見方があります。ロマンティシズムではなく、リアリズムの中で菅原文太はスターになったわけです。健さんが全共闘から支持されたのに対して、文太兄いが本物のヤクザから憧れられたのもそうした事情でしょう。

 

 そのヤクザ映画のスターがコメディ映画『トラック野郎』(1975)に主演するということは世間に少なからず驚きを与えます。しかも、演技がヤクザ映画のそれのままで、なおかつ違和感がないことはさらに驚かせています。シリアスな演技でコメディを演じる日本映画初の試みを行い、それを成功させたのです。

 

 シリアスな演技でコメディを演じる役者と言えば、レスリー・ニールセンが世界的に知られています。しかし、彼がそれを披露したのは1980年の『フライング・ハイ』からです。菅原文太の方が早いのです。

 

 ただし、マンガに目を転じると、すでにこうした手法が展開されています。『巨人の星』で人気を博した川崎のぼるが劇画の絵でギャグ・マンガ『いなかっぺ大将』を描いています。これ以降も川崎のぼるは『どんぐり大将』など同じ方法論に基づくマンガを児童誌に発表しています。この路線は山止たつひこという若者が継承します。彼は、1976年から『こちら葛飾区亀有公園派出所』の連載を始め、100話目を記念に名を秋本治へ改めています。

 

 その後、78年にこの路線をさらに強調した『ダイナマイトどんどん』に主演しています。これは、占領期、小倉のヤクザが野球で決着をつけるという『仁義なき戦い』のパロディのような映画です。監督は「娯楽のアルチザン」こと岡本喜八です。

 

 79年、菅原文太は一転してパンクな映画に出演します。それが異長谷川和彦監督による『太陽を盗んだ男』です。高校の物理教師が核爆弾を製造して政府を脅迫する内容で、日本映画史上の十傑に入る名作と評価されています。菅原文太は沢田研二扮する主人公を追いつめる刑事を演じています。後のターミネーターを思い起こさせるタフさと執拗さが印象的です。

 

 菅原文太の演技は、70年代の作品、すなわちヤクザ映画にコメディ、パンクのいずれでもほぼ同じです。にもかかわらず、どれでも生きています。確かに、菅原文太の演技は作品の雰囲気をつくれます。けれども、それは彼に存在感があるからでも、演技力があるからでもありません。作品が全体としてバランスがよく、しっかりとできていると、生きてくる演技なのです。他の要素との相乗性の高い演技だと言えます。

 

 菅原文太の演技は、作品の出来がよくないと、生きません。作品の出来不出来を判断できるテスターです。これは、実は、非常に稀なタイプです。通常、役者は存在感や演技力が注目されます。高倉健や緒形拳と比較すると、この点が明瞭になります。

 

 高倉健は、誰を演じようと、「高倉健」です。存在感があります。一方、緒形拳はどんな役でも、それになりきります。演技力があるのです。けれども、両者共に作品の出来不出来に必ずしも連動しません。傑作だろうと、駄作だろうと、高倉健は存在感を示し、緒形拳は演技力を発揮します。

 

 ですから、高倉健や緒形拳の演技は孤独です。それに対し、菅原文太は他の役者との兼ね合いで生きます。『仁義なき戦い』や『ダイナマイトどんどん』のような群像劇は言うに及ばず、『トラック野郎』では愛川欣也、『太陽を盗んだ男』においては沢田研二との相乗効果が見られます。

 

 菅原文太がコメディを主役で演じられるけれども、高倉健や緒形拳にはそれが向かないのもそうした理由からです。コメディは何も演技が笑いを生み出しているわけではありません。『ダイナマイトどんどん』が示している通り、設定や物語展開がそれを誘うのです。話が面白ければ、ことさらに喜劇的な演技に依存する必要もありません。加えて、喜劇はその共同体の世界の確かさが最後に確認されます。突出した役者はコメディにはお呼びでないのです。

 

 しかし、菅原文太は脇役ではありません。雰囲気をつくるタイプですから、主役ないし主役級でないと、生きません。年齢等の制約で脇役に回らざるを得なくなると、苦しくなります。80年代からの菅原文太は徐々にこういう状況に陥っていくのです。

 

 今、日本の役者を見ても、こうした役割を持ったスターは思い浮かびません。菅原文太の引退表明と共にその偉大さにも改めて気がつかされているのです。

〈了〉