ハッチポッチ・クリティシズム 第9号(2003年5月7日) 発行:佐藤清文(seibun@plum.freemail.ne.jp) ───────── 造語で見る異文化 ───────── エルメスの製品で身を覆っている女性を「エルメシアン」と呼ぶそうです。どうやら女性誌 の『an an』が命名したようですが、過去にも、「シャネラー」や「グッチャー」という造語を 普及させています。しかし、この造語は、英語の規則から見ると、デタラメなのです。 英語で「…をする人」もしくは「…主義者」を意味する一般的な語尾として次の三つをあげる ことができます。-er(-or)と-an(-on)、-istですが、それぞれ指し示す領域が順に小さくなって いきます。医者全般は「ドクター(doctor)」であり、それより狭い範囲を担当する外科医は「サ ージャン(surgeon)」、さらに小さい領域の歯を診る歯医者は「デンティスト(dentist)」です。 また、哲学者は「フィロソファー(philosopher)」、近代哲学のチャンピオンであるカント主義 者は「カンティアン(Kantian)」、マルクス主義者は「マルキスト(Marxist)」です(カール・マ ルクス自身は「私はマルクス主義者ではない」と言ったことで知られています)。つまり、-er は非常に広い範囲を指し示す概念に用いられる語尾なのです。 ブランドの一つでしかないシャネルやグッチの語尾に-erがつくことは、当然、ありません。 シャネルは、イザドラ・ダンカンと並ぶ、20世紀におけるフェミニズム思想の重要な一つと 考えられるとしても、その語尾は不適当です。いくらなんでも、ガブリエル・"ココ"・シャネ ルが「デザイナー(designer)」全般と並ぶことはないでしょう。また、エルメシアンにしても、 確かに、シャネラーよりはひどくないかもしれませんが、造語法としてはやはりおかしいの です。エルメスは古代ギリシア神話の交通の神「ヘルメス(Hermes)」に由来します。1980 年以降の現代思想で、最も重要視された神の一人です。交通は、英語で、「トラフィック (traffic)」と言いますけれども、これには「交易」という意味もあり、さらにそこから「違法取 引」も指します。アメリカとメキシコの間の麻薬取引とその取締を描いた映画『トラフィ ック(Traffic)』(2000)のタイトルはそういう意味なのです。ヘルメスは、実際、泥棒の神でも あるのです。数は少ないのですが、ギリシア語に由来する単語で、「…主義者」を示す語尾と して、-cがあります。プラトン主義者は「プラトニック(Platonic)」、禁欲主義者とも訳される ストア主義者は「ストイック(Stoic)」です。ヘルメスの場合も、同様に、「ヘルメティック (Hermetic)」です。もっとも、こうなると、エルメスとは関係なく、「ヘルメス主義者」の意 味になってしまいます。 ちなみに、このメルマガのタイトルの一部である「クリティシズム(criticism)」はギリシア語 の「識別し、決定することができる」に由来し、「批評」という意味です。「批評をする人」の「批 評家」は「クリティク(critic)」となります。 熱烈なファンを指す時、英語では、「マニア(mania)」を使います。シャネルを集めている人は 「シャネル・マニア(Chanel Mania)」であり、グッチの場合、「グッチ・マニア(Gucci Mania)」、 エルメスでは「エルメス・マニア(Hermes Mania)」です。さらに、マニアは「追っかけ」の 意味でも使われます。その昔、吉永小百合のファンは「サユリスト」と言われていましたけれ ども、正確には、「サユリ・マニア(Sayuri Mania)」です。2002年のワールド・カップの時、 イングランド代表のデヴィッド・ベッカムの追っかけが話題になり、メディアで、彼女たち は「ベッカマー」と呼ばれていましたが、あれは「ベッカマニア(Beckhamania)」とすべきな のです。 また、安室奈美恵のファッションを真似た少女が、何年か前、日本のメディアから「アムラ ー」と名づけられました。かつてアメリカにおいて、マドンナのヘアー・スタイルやメーク・ アップまがいの少女が出現した時、彼女たちは「マドンナ・ワナビーズ(Madonna Wannabes)」と呼ばれています。Wannabeはwant to beから派生した単語で、「かぶれ」とい う意味です。ですから、あの現象に関しても、「アムロ・ワナビーズ(Amuro Wannabes)」であ って、アムラーではありません。 英語の造語法も、もちろん、時代によって左右されます。科学者を英語で「サイエンティスト (scientist)」と言います。この言葉が生まれたのは1842年ですが、これを最初に聞いた時、 イギリスの知識人トマス・ハクスリー(Thomas Huxley)は「こんな酷い言葉を造ったのは、 ろくに英語を知らないアメリカ人に違いないと」と酷評しています。Scienceはラテン語の scientaに由来する単語で、「知識」を意味します。そんな広い範囲をカバーするscienceに対 して、-istはないだろうというわけです。ハクスリーは、後に、講演で司会者により「科学者」 と紹介された際、憮然とした表情を見せ、「私は科学者と呼ばれることを拒否します」と壇上 から毒づいたというエピソードが伝わっています。Scientistを造ったのはアメリカ人では なく、実は、イギリス人のウィリアム・ヒューエル(William Whewell)です。日本では無名で すけれども、ケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジには、アイザック・ニュートンや フランシス・ベーコン、アイザック・バーローと並んで、彼の彫像が飾られています。英語 の造語法の規則を承知していながら、意図的に、この単語を造ったのです。近代に入って、 科学は専門家・細分化していきます。狭い近代科学に携わる研究者は、結局定着した通り、 やはり「サイエンティスト(scientist)」がふさわしいのです。けれども、その結果、科学者の 中の一専門領域を扱う「物理学者(physician)」が造語の慣習上では逆転してしまっていま す。 好意的に見れば、細分化していく時代の流れにあって、ブランドの一つでしかないシャネル を集めることが人生のすべてとでも言いたげな彼女たちを揶揄して、メディアがそう呼ん だのかもしれません。けれども、それにぴったりの単語がちゃんとあります。「フェティシ スト(fetishist)」です。語尾もしっかり-istです。日本語でも「フェチ」と言いますから、「シ ャネル・フェチ」とでもすればよいのです。 英語は用法の言語です。イメージで、造語を考案することはできません。イメージだからと 不適切な英語の造語を公表し、使い続けるのは、異文化をないがしろにする傲慢な姿勢でし ょう。規則を知った上で、英語の新語を造ってみるのも、いろいろな発見もあり、結構、楽し いものです。自分の自明性を覆す楽しさを味わうには、異文化はもってこいです。英語のネ イティヴ・スピーカーは、しかも日本語も流暢なネイティヴ・スピーカーでさえ、ニャロメ を描けるデイヴ・スペクターを代表にして、今の日本には多数います。造語が正しいかどう か、彼らに聞けばよいのです。日本語でも、英語でも、こんな諺があるのですから。 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥( Nothing is lost for asking)」。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『ハッチポッチ・クリティシズム』のマニアやフェティシズムに関する批評が含まれてい る作品 http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/antieroticism.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『ハッチポッチ・クリティシズム』では、相互リンクの提携サイトを募集しています。ト ラフィック順に、提携サイトに関しては、以下のリンク集に掲載します。 http://www.geocities.co.jp/Bookend/4208/link.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『ハッチポッチ・クリティシズム』のバック・ナンバーは以下のサイトで読むことができ ます。 http://www.geocities.co.jp/Bookend/4208/mm.html 『ハッチポッチ・クリティシズム』では、ご意見ご感想を広くお待ちしております。そう いった方は、是非、以下のメール・アドレスまで送信してください。 seibun@plum.freemail.ne.jp なお、ご自分の考えに対して広く議論を募りたい方、あるいはメール・アドレスを知られ たくない方は、掲示板がありますので、以下のサイトにアクセスし、書きこんでください。 http://tools.geocities.co.jp/Bookend/4208/@geoboard/ このメルマガで『ハッチポッチ・クリティシズム』に興味を持ち、さらに読みたいと思っ た方は、以下のサイトにアクセスしてみてください。 http://www.geocities.co.jp/Bookend/4208/index.html http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━