イラクとNGO 「自己責任論」でいいのか  小倉利丸

出典:朝日新聞 私の視点 04.4.17


 イラクの日本人人質3人は解放されたが、非政府組織(NGO)にかかわる仕事をしている私にとっては、見過ごすことのできない問題が起きている。人質たちの「自己責任」を問う声が政府関係者や一部マスコミからも噴出し、人質とその家族への風当たりが非常に強いことだ。

 この間、疲れきった様子で家族たちが「ご迷惑をおかけして申し訳ない」と頭を下げる姿を見るにつけ、私はいたたまれなくなった。決して迷惑などかけていない、どうか、頭をあげてください、と語りかけたい気持ちでいっぱいであった。

 外務省の竹内行夫事務次官はNGO活動について「自己責任の原則を自覚して、自らの安全を自ら守ることを改めて考えてもらいたい」と述べた。この「自己責任」論は一見、わかりやすい正論のように見える。

 しかしこの発言は、政府がNGOの活動の安全に責任を負わないと述べたに等しい。人質の命が失われても政府には責任はないと言っているのである。

 私は日頃、開発援助や人権・平和に関するNGOのネットワークをつくる仕事をしているのだが、戦争となると国家はこれほど過酷な仕打ちを国民に与えるものなのか、という思いを禁じ得なかった。政府は、自己責任論によってNGOなどの活動に「無謀」との印象を与え、あたかも自身が「事件の尻ぬぐいをさせられた」被害者であるような印象さえ与えている。
 
 さらに気をつけておくべき点は、こうした主張をしている日本政府がイラク戦争の一方の当事者であるという事実だろう。

 そこでは、戦争の当事国から独立したNGOならではの活動が正当に評価されていない。考えてみてほしい。果たして自衛隊や政府が今、劣化ウラン弾の被害調査や貧しい子どもたちへの支援ができるだろうか。

 ファルージャでは無差別ともいえる米軍の攻撃によって、多数の子どもや市民が犠牲になっている。もし現地にジャーナリストがいなければ、こうした事実は隠されたままで終わるかもしれない。日本政府はイラクへの渡航を禁止したいようだが、それはイラクの密室化にもつながるのだ。

 イラクに行く日本人には、武装抵抗勢力によって人質にされる危険があるかもしれない。しかしイラクで暮らす人々には、米軍とその連合軍によって生命を脅かされるという危険がある。日本政府の自己責任論では、イラクにある危険状態がまるで冬山登山や荒海の航海といった危険と同様にみなされていて、イラクが戦争状態になった責任が誰にあるのか、という政治・外交的な責任問題が見えにくくなっている。

 紛争地域におけるNGO活動は、戦争状態におかれた人々の生命と生活を守る支援を、戦争の当事国(残念ながら日本もその一つだ)に加担することなく行うものである。戦争が市民に強いる計り知れない犠牲を知る者が、米国の戦争に加担する日本政府の方針に批判的であっても、決しておかしなことではない。

 国籍によって自らの行動や思想信条を縛られるということになれば、政府から独立したNGOやジャーナリストとしての活動は誰ひとりできなくなってしまう。NGOやジャーナリストは国家との間に一定の緊張関係を持ち続けるべき存在なのである。

 先進各国で今、NGOとの関係をめぐって政府の責任が問い直されている。政策に賛同しないNGOとその活動を、政府がどこまで手助けするのか−−それがその国の政治や民主主義の成熟度を示すのである。日本の場合はどうだろう。

 

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