高野山・吉野の旅鉄道篇
        南海高野線・近鉄吉野線
この秋、高野山と吉野の山を旅した。
どちらも古来より霊場があって、その参詣人たちを運ぶために早くから鉄道が開通していた。高野線は明治31年(1898)に現在の堺東駅と狭山駅間が開通し、大阪方面と高野山方面にそれぞれ路線を延ばし、明治33年(1900)には現在の汐見橋まで延伸、高野山方面は昭和4年(1929)に極楽橋駅に達した。
吉野線は大正元年(1912)に吉野口駅と現在の六田(むだ)駅間が開通、大正12年(1923)に吉野口駅と橿原神宮前駅間が開通した。そして昭和3年(1928)に六田駅と吉野駅間が開通して全線がつながった。

両路線とも紀伊山地に分け入っていくが、とくに高野線は九度山駅を過ぎると終点極楽橋駅までの12.3km区間はトンネル、橋梁、急勾配、急カーブの連続する登山鉄道の様相を呈する。それだけでなく、美加の台駅から橋本駅までの13kmは和泉山脈越えがあって、この区間もトンネルと急勾配の山線路ばかりを走る。どこが南海か?と思うほどだ。
一方の吉野線は吉野川を渡るとすぐに山にはいるが、吉野駅直前の1.5km区間に急坂があるくらいで山線路はずっと短かい。

古くから霊場への足として多くの参詣者を運んできた両路線だが、今は世界遺産を訪れる観光客の足としても重要な役割を担っている。(2009.11.22)
南海高野線
南海電鉄高野線は大阪の汐見橋駅から和歌山県高野町の極楽橋駅までの64.5kmをむすぶ。全線電化だが橋本駅を境に大阪方は複線、高野方は単線である。極楽橋からは同じ南海電鉄の高野山ケーブルが高野山駅まで0.8kmを運行している。
東京から高野山へは東海道新幹線とこの南海高野線で5時間たらずで到達する。JR新大阪駅からは地下鉄御堂筋線で難波駅まで行き、高野線に乗り換えるのが最も早い。

高野詣での出発駅である難波駅に停車中の2000系快速急行高野山行き。 
高野線は本来汐見橋駅が起点だが、高野山行き特急と快速急行は本線の難波駅発着となる。高野山行きといっても実際には極楽橋駅が終点で、その先は南海高野山ケーブルで高野山駅に達する。

橋本駅に停車中の難波行き快速急行。ひらがなで’なんば’と表示する。
難波から橋本までは快速急行で50分。ここで6両編成の後ろ2両を切り離して、4両編成で極楽橋駅に向かう。運良く4両目の最後部の席にいたので、いきなりかぶりつき状態(後ろ向きだが)になった。
そして帰りの列車も運転室のまうしろでかぶりつくことができた。

紀ノ川を渡ると、いよいよ山岳区間にはいる。
紀伊清水駅
2300系各駅停車
紀伊清水駅と学文路(かむろ)駅間にあるアーチ形道路橋

学文路(かむろ)駅
難読駅名の筆頭みたいだが、由来は菅原道真を祀った「学文路大師」が近くにあることによるという。古い木造駅舎でも知られる。
停車中は2200系「天空」。この列車は高野線山岳区間の橋本駅と極楽橋駅間で運転される観光列車。
蛇行する線路の面白さを楽しめる。
学文路駅−九度山駅
九度山駅
ここも木造駅舎で知られている。
九度山駅内線路
九度山駅を出ると、俄然山岳鉄道らしくなってくる。 九度山駅−高野下駅

高野下駅の2300系
31000系特急「こうや」
高野下駅
高野下駅−下古沢駅間
この先50‰(パーミル)の下り坂。
ここ以外にも2か所ほど50‰の坂があるが、それほど険しい路線なのだ。
50‰とは水平に1000メートル進むと50メートルの高さになる勾配のこと。
上古沢(かみこさわ)駅
駅から集落へ通ずると思われる急坂がある。
眼下に上古沢の集落が広がる。
線路は相当高いところを走る。
高野線の看板列車30000系特急「こうや」
上古沢駅
紀伊細川駅
2300系
半径410メートルの先の左急カーブは最小半径100メートル。
紀伊細川−紀伊神谷
紀伊神谷駅で時間調整中。

極楽橋駅 難波駅から1時間30分で着く(快速急行)。

極楽橋駅からの各駅停車はすべて橋本行きで、2両編成ワンマン運転。 
極楽橋駅は3面4線の大きな駅。
高野山ケーブル
極楽橋駅と高野山駅間高低差330メートルを5分でむすぶ。
ひどくとんがった車体は独特のものがある。
高野山駅
さすがケーブルカー
なんと536‰!その先は516‰
角度にすると30度近い急傾斜である。
近鉄吉野線
鉄道総合ページ:「鉄道少年のなれの果て」