月刊マスコミ市民「放送を語る会 談話室」 からの転載




NHKの自主・自立の危機に際して訴え ―NHK門前でのリーフ配布活動に参加して―


                               服部邦彦(放送を語る会会員)

 
2014年1月14日、「放送を語る会」は、東京、大阪、名古屋、京都、大分のNHK門前で、「放送の自主・自立の危機に際して NHKで働くみなさんに訴えます」(以下「訴え」と略す)というリーフレット(B5版4ページ)を一斉に配布。1月23日には、神戸局前でも配布した。
 「訴え」では、「昨年秋、安倍首相は新たに4人のNHK経営委員を任命しました。」「NHKの最高議決機関である経営委員会に、時の権力者を明らかに支持し、関係が深い人物が4人も送り込まれた、という事態は、戦後のNHKの歴史の中でも異例のことです。」、「経営委員の人事から新会長選任にいたる経過には、NHKの番組、ニュースを政権に都合のいいようにしたい、という政権の意図が強く働いています。」と政権の介入の危惧を表明している。
 そして、「NHKで働くみなさん。このような危機的な状況が進行していることにぜひ注意を払ってください。」として、「NHKの最高の倫理は、政治権力からの自主・自立です。」「とくに、ニュースや番組を担当するみなさん。私たちは、政権の圧力に屈せず、事実の取材を通じて社会の真実を明らかにするみなさんの努力に期待しています。」「現場のみなさんは、視聴者に本当に伝えるべき内容を勇気を持って放送してください。」と呼びかけている。
 さらに、労働組合に対し、「これからは、さまざまな介入、圧力がNHKに加わる可能性があります。その時、NHKの自主、自立を支える力として、NHK労組・日放労への市民の期待は大きなものがあります。」「必要な時には、ぜひ労組としての力を発揮していただきたい、と心から願うものです。」と労働組合への期待を述べ、最後に、「NHKで働くすべてのみなさんの、NHKの自主・自立を守る活動には、視聴者・市民として支援を惜しまない決意であることを表明します。」と結んでいる。
 「訴え」の4面には、賛同者として、視聴者・市民団体など9団体、著名なメディア研究者、ジャーナリスト、NHKOBなど個人29氏の名が記されている。

 主要なNHK放送局門前でリーフを配布したのは、「放送を語る会」の会員だけでなく、「日本ジャーナリスト会議」、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」、「NHK問題を考える会(兵庫)」、「NHK問題京都連絡会」、「NHK問題大阪連絡会」など多くの市民団体だった。こうした一斉行動はかつてない画期的な取り組みであった
 大阪放送局前では、私たち大阪在住の会員が、前記の兵庫、大阪などの市民団体とともに、13名で、「放送の自主・自立を守ろう!」、「政権の干渉・介入を許すな!」のポスターを身につけ、緊張と高揚した気分で、元気に声をかけながら配布したが、顔見知りの職員や
日放労役員などから共感と激励の声をかけられるなど感銘深い行動だった。
 
「訴え」配布活動のあと、東京、大阪では、NHK労組(日放労)を訪問し、委員長、書記長らと懇談し、今後の意見交換、協力について話し合ったが、NHK労組との協力の足がかりを得たことは貴重であった。
 その後の事態は、「訴え」が表明した危惧が現実になった。
 
125日の籾井新会長の就任会見での従軍慰安婦問題での暴言、外交問題、秘密保護法、首相の靖国参拝についての政権寄りの発言は、「不偏不党」、「政治的に公平」という放送法の規定に反し、会長辞任を要求する声が殺到した。
 また、新経営委員の百田尚樹氏は、23日に、都知事選挙で、田母神候補の応援演説に立ち、「南京大虐殺はなかった」、「憲法改正派です」などと持論を展開。さらに、同じく新経営委員の長谷川三千子氏が、男女共同参画を批判したり、何度も暴力事件を起こした右翼幹部を賛美する追悼文を書いたりしたことなどが判明した。これらの言動は、放送法に照らしても、NHK経営委員としての適格性を欠くものであり、抗議と辞任要求が相次いだ。

 「放送を語る会」は、1月30日、籾井会長の辞任・解任を求めてNHKと経営委員会に申し入れを行った。

                                       2014年3月号より





忘れてはならないことの記録 〜原発の町のドキュメント『汐凪を捜して』の衝撃〜

                               戸崎賢二放送を語る会会員)
 
 たいへんな記録が出版された。尾崎孝史『汐凪を捜して 原発の町大熊の3・11
』(かもがわ出版)である。読んで受けた衝撃は大きい。
 汐凪(ゆうな)とは、東日本大震災の津波で行方不明になった少女の名前である。当時7歳、今も父親の木村紀夫さんが捜し続けている。
 木村さん一家は、福島第一原発のある福島県大熊町で、夫婦と娘二人、木村さんの両親の六人で暮らしていた。海沿いの自宅は津波で流され、その時自宅周辺にいた次女の汐凪ちゃんと妻、父親の
人が行方不明になった。
 津波で家族を失うというのは、体験しない者の想像を絶する悲劇だ。木村さんの場合は、その悲劇が特に痛ましい様相を帯びた。津波直後、福島第一原発の事故が起こり、高い放射能によって、捜索、救出活動が阻まれたのである。
 震災時、隣町の職場にいた木村さんは、三人の家族がどのような最期を迎えたのかを知ることができなかった。何とか知りたいという願いに、原発災害の取材を続けていた写真家、尾崎孝史氏が応え、津波と原発事故発生当時の大熊町がどのような事態に直面し、その中で木村さんの家族はどうなったかを探る取材を開始した。 『汐凪を捜して』は、その長期にわたる取材の詳細な記録である。
 本書は、時系列で日時を示しながら証言を配置していく構成をとっている。木村さん一家を知る住民、小学校の先生、消防団、防災無線担当者をはじめとする大熊町の役場職員、そして、地域出身の東電社員、協力会社の作業員といった多様な人びとの生々しい証言が綴られていく。
 
取材者の主観は抑制され、事実がひたすら提示されるため、3・11前後の記述は切迫感に満ちている。刻々と変わる第一原発の状況、政府や東電の対応、全町避難という未曽有の事態に見舞われた町の混乱などが、随所に織り込まれる。
 この記録には、一つの家族のドキュメントを軸にしながらも、「原発を受け入れた町の3・11」の全体像が描かれているのである。とくに、原発で働き、事故に遭遇した人びとの証言、原発の恩恵を受けた町民の、事故にたいする複雑な思いなどが組み込まれたことによって、記録は多様な視点を持つ奥行の深いものとなった。
 
加えて、随所に掲載された写真が強い効果を発揮している。尾崎氏が撮影した証言者たちのワンショットは、民衆の肖像の優れた表現であり、自宅周辺から回収された家族写真の中の汐凪ちゃんの愛らしさはたとえようもない。写真という媒体の本来の役割は何か、ということを根本から考えさせられる記録でもある。 木村さんは、3月11日夜から12日にかけて、夜を徹して家族を捜したが発見できない。大熊町の放射能汚染が広がり、12日には全町民が避難する事態となった。木村さんは生き残った長女と母親を安全なところへ避難させ、再び捜索に戻ったとき、バリケードに阻まれるのである。
 のちに妻の深雪さん、父の太朗さんの遺体が発見されるが、王太朗さんが自宅の近くで見つかったのは、震災49日後のことだった。この間、遺体は放置されていた。もし、12日以降も捜索が続けられれば発見できた位置であり、あるいはその時まだ息があったかもしれない、と木村さんは言う。この責任を東電はどうとるのか、という木村さんの訴えは限りなく重い。
 この一家の例一つだけで、日本の全原発を廃止させるに充分な理由になり得る、そう感じさせるだけの力を、このドキュメントは持っている。
大震災から間もなく3年、汐凪ちゃんはまだ見つかっていない。このいたいけない7歳の少女は、どこかで、すべての人びとに「風化させてはいけないこと」「終わらせてはならないこと」は何かを、声にならない声で語り続けている。「汐凪」という名は、原発災害の残酷さ、非人道性を象徴するものとして長く記憶されなければならないだろう。

(この本の印税は、すべて木村紀夫氏が設立した「汐凪基金」に寄付され、その名であしなが育英会その他の団体に寄付される)
                                                              2014年2月号より



危    機

                            
                             小滝一志
 (放送を語る会事務局長)

 昨年末、「特定秘密保護法」が強行可決された。多くの人々が戦前の「軍事機密法・国防保安法下の暗黒社会」の再来を危惧、「ナチ独裁に道を開いた全権委任法」に相当する希代の悪法として反対運動がかつてなく高まった。にもかかわらず安倍自公政権は暴走、「慎重審議」の声を無視して強行突破した。
 テレビメディアは、自らの「報道の自由」が危険にさらされるにもかかわらず総じて危機意識が弱く、参院選直後開始された法案準備から臨時国会上程直前までニュースで取り上げることは皆無に近かった。私は、「メディアの劣化」と「市民の知る権利・プライバシーが侵される」日本の民主主義のかつてない危機を感じた。法案に反対した野党は、今後こぞって「日本の民主主義を取り戻す」を旗印に「特定秘密保護法廃止」を公約として掲げ、次の選挙の争点にして欲しい。


 「特定秘密保護法」強行成立と前後して、「
NHK会長退任表明」が伝えられた。私には安倍政権のNHK人事支配がまた一歩進んだように見え、NHKの危機もかつてなく深まったと感じた。
 かねてから安倍政権や自民党内にはNHKの原発再稼働やオスプレイ報道をめぐって不満がくすぶっており、首相は「NHKの体制刷新をすべき」との意向が強いことが伝えられていた。すでに、NHKの人事支配の布石の第一歩して、考え方の上でも人脈的にも安倍首相に近い4人が新経営委員として送り込まれたことは記憶に新しい。松本会長は、自身をNHKに送り込んだ元上司・葛西敬之JR東海会長からさまざまな注文が付けられたがこの要求を拒否、両者の関係は冷え切っていて、葛西氏は、元NHK理事を次期会長に推したとの報道もある。会長自らの「退陣表明」は、安倍政権の圧力に屈し「放送の自主・自立」という会長の最も重要な任務を放棄したものと思えてならない。


 松本会長の任期は1月24日まで。経営委員会は昨年7月から「会長指名部会」を開催、
11月には6項目の「次期会長の資格要件」を公表した。NHK問題京都連絡会・NHK問題を考える会(兵庫)・NHKを監視・激励する視聴者コミュニティなど市民団体からは次期会長選考をめぐって要望が相次いだ。私たち「放送を語る会」も日本ジャーナリスト会議と共同で129日、「次期NHK会長選出に当たっての要望」を経営委員会に文書で提出した。内容は他の市民団体とほぼ同じで「@会長の選出基準は、ジャーナリズムと放送の文化的役割についての高い見識を持ち、放送の自主・自立を貫けるかどうか A会長選出の議事録公開 B会長候補の公募制 C次期会長候補に所信表明の機会を設ける」の4項目。「会長の選出基準」は、昨年末の松本現会長の「退陣表明」をみれば、論を待たず衆目の認めるところだと思う。経営委員会議事録を見ている限り、昨年7月から毎回開催されている「会長指名部会」は、内容が一切公表されていない全くの密室協議である。受信料で支えられ視聴者に開かれたNHKであるならば、「会長選出経過の議事録公開」「会長候補の公募制」も至極当然の要求であり、いずれも経営委員会自身が決断すれば可能である。これらの市民要求に真摯に耳を傾け、政権の意向を忖度したり干渉を許すことなく経営委員会が放送法に則り自主的に会長選考に当たることを強く要望したい。
 「放送を語る会」では
1012月、テレビの「秘密保護報道」をモニターした。NHKのニュースは、政局報道に傾き、法案解説に当たっても政府主張をオーム返しに繰り返すことが多く、一方、問題点の指摘や市民の反対意見の扱いは小さく、事実報道・客観報道には違いないが公平・公正さをいちじるしく欠き、時には政府広報版の趣を呈した。ジャーナリスティックな論評を用心深く避け、政権の圧力に怯えその意向を忖度した及び腰の報道が目立った。経営委員会や幹部だけでなく、放送の現場に携わる人々にも、政権・与党に臆せず気兼ねせず「放送の自主・自立」を堅持した報道姿勢を強く望みたい。

                                                           2014年1月号より



NHKは公平・公正な報道を 
「視聴者のみなさまと語る会in津」に参加して

佐々木有馬(放送を語る会会員)

 NHKでは、二〇〇八年以降、「視聴者のみなさまと語る会〜NHK経営委員とともに〜」を毎年6回以上、全国各地で実施している。この集会は放送法で義務付けられおり、経営委員や執行部の理事らが出席して視聴者の意見を聴く。
 筆者は今年の集会の中で、九月七日、津放送局で開催された「語る会」に参加した。
 NHKの番組については、その健全性を評価しているが、報道、特に政治の動きに関するニュースでは特定の情報に偏重しているのではないかと日頃から疑問を持ち、ノートを取りながら視聴してきた。
 偏重の実態を具体的に示してNHK当局に意見を伝えたい、視聴者・市民にも知らせたいとの思いで、ネットを活用しNHK放送センターや各地の放送局に意見を送信している。かつては手紙、FAX,電話などでも行ってきた。
 この活動を始めて二十年ほどになる。「視聴者のみなさまと語る会」の催しは当局に直接伝える機会として重視している。

政党の扱いの不公平と政府広報のようなニュース
津放送局で発言した内容の一つは、七月の参議院選挙を前にした「日曜討論」での各党首へのインタビューの時間配分の問題である。
 自民党安倍総裁は二十八分二十四秒、新党改革舛添代表は五分十五秒であった。この差は五・六倍である。国政選挙を前にスタートラインに並ぶ各政党に対して、公共財である電波の配分に差を設けることは不平等な扱いであり、不条理なことではないかと指摘した。
 もう一つは、政治の動きに関するニュースについてである。
 八月一日から三十一日までの一か月間、午前七時、午後七時、午後九時の「ニュースウォッチ9」の三つのテレビニュース番組で、政府、各政党の政策、会見、インタビューなどがどのように報道されているかをウォッチした。取り上げられた本数は概ね次の通りだった。
 政府に関するもの一一三本、政党に関するものでは自民党十二本、民主党十三本、公明党五本、みんなの党三本、他の政党はゼロであった。
 八月には、TPP、消費税、原発汚染水問題、集団的自衛権解釈変更問題など、重要な項目があったが、NHKのメインのニュースでは、圧倒的に政府の動きを中心としたものが放送されている。さながら政府の「指定席」であり、政府の広報役をはたしているのが実態である。
 私はこうした事実をあげ、公平・公正をうたう放送法、およびNHKが自ら定める「日本放送協会番組基準」、並びに、民間放送連盟と共同で制定した「放送倫理基本綱領」にのっとった番組内容とされることを強く求めた。
 「放送倫理基本綱領」では、「放送は、国民に多様な情報を提供するという民主主義にとって欠かせない役割を担っている」と規定している。しかし、日々の放送の実態をみると疑問を持たざるをえない。

NHK側回答に唖然
 当局はどう回答したか。党首インタビューについては「議席ゼロの政党も報道するのかということになる。政府は選挙によって選ばれている、これも民主主義だ」(経営委員) 政治の動きのニュースについては「各政党の国政へのかかわりによる。政府の施策は国民の生活にかかわるものだ。異なる意見も含めて報道している」(執行部)といったものだった。
 筆者が“多様な情報の提供がなされているか疑問だ”と指摘したことに対して、政権偏重の報道姿勢を正当化した回答に唖然とした。
 NHKのニュース報道の姿勢は今後も大きく変わることがないと思われる。むしろ経営委員の人事の問題など、ますます政権寄りを強めるのではないかと危惧される。放送に従事される人たちを応援しながら「おかしい部分はおかしい」と言い続けて行きたい。

2013年12月号より



日本の戦争遺跡保存を考える 〜ドイツの遺跡保存に学ぶもの〜

増田康雄(放送を語る会会員)

私は2010年に都立高校の公開講座「多摩地域の戦争遺跡」を受講して以来多摩地域に残る「戦争遺跡」を写真に撮り続けてきた。
 戦後生まれが8割以上となり、戦争の記憶が遠のいて、「戦争遺跡」もだんだん失われつつある。なんとかして次の世代に「戦争の記憶」を残したい。今こそ、その調査と保存が大切な時期ではないかと思う。

日本の戦争遺跡保存の現況
 1975年以降、東京空襲を記録する活動、大阪の戦争展開催の活動、沖縄県の平和資料館開設の活動が始まり、日本各地の高校生や地元の保存する会が中心になり、調査と保存公開の運動が広がった。
 1997年に「戦争遺跡保存全国ネットワーク」が文化財保存全国協議会、歴史教育者協議会などが中心になり結成された。このネットワークは、毎年全国シンポジウムを開催し、交流や情報交換を行っている。
 2004年7月現在、全国で95件が文化庁、地方自治体による文化財保存対象に登録されている。例えば、東京都東大和市旧日立航空機変電所、群馬県東村防空監視哨、沖縄県美里国民学校奉安殿など。しかし、戦争末期、朝鮮人強制労働で造られた、八王子市の浅川地下壕(中島飛行機)、倉敷市の亀島山地下壕(三菱航空機)、横浜市の日吉台地下壕(海軍連合艦隊司令部)などは未だに文化財保護対象になっていない。

第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム
 私は今年8月に、岡山県倉敷市で開催された「第17回全国シンポジウム」に参加した。今年の全国シンポにはドイツのミッテルバウ・ドーラ強制収容所追悼記念館のヴァ―グナ―館長が記念講演ゲストとして招待されたほか、三つの分科会で日本各地の戦争遺跡の調査報告と討議があり、盛り上がった。
 ヴァ―グナ―館長は、ミッテルバウ・ドーラ追悼記念館の歴史について次のように述べた。
「大戦最後の二年間、ナチス・ドイツ指導部は連合国の空襲から軍需工場を守るため、その一部を地下構内に移転し、その地下壕を建設するため、ヨ―ロッパ各地の強制収容所から6万人の収容者を強制動員した。地下工場の建設とロケット兵器製造では過酷な労働と劣悪な生活条件のもとで2万人が命を失った。戦後、ドイツの再統一により、1991年に歴史博物館となり、追悼の場、ナチスの歴史的な犯行を後世に伝える場となった。2000年、国家財団法人の地位を得た」
 私は、追悼記念館がナチス犯罪の証拠として位置づけられ、施設のために国が財政助成している点、記念館が犠牲者の追悼の場になっている点に感銘を受けた。日本でも重要な戦争遺跡は文化財保護対象として国や地方自治体が財政助成と登録を速やかにすべきと思う。

日本での戦争遺跡保存の問題
 2012年の「第16回全国シンポジウム」で話題になった問題がある。
 大阪の「ピースおおさか」では、自治体首長が個人的イデオロギーにもとづいて日本軍、加害企業の戦争責任の展示を撤去しようとしている。また、埼玉県平和資料館は民間委託に移すと県知事が提案している。直近の情報では東京都が武蔵野市の中島飛行機跡に唯一残る建物を撤去しようとしている。
 こうした遺跡保存の現状や問題を大手マスコミはほとんど伝えていない。今年の「全国シンポ」の模様は地域の新聞、テレビが伝えたが「赤旗」だけが全国版で伝えた。もっとマスコミは市民に知らせてほしいと願わずにいられない。

2013年11月号より


TPPの正体

 府川朝次放送を語る会会員)

 TPP(環太平洋経済連携協定)参加12か国が、年内の交渉妥結を目指す共同声明を発表したのは月末のことだった。テレビは、会合が開かれたブルネイからの中継も交え、連日TPP交渉の経過を伝えていた。が、私には不満だった。遅れて参加した日本が、困難な交渉を抱えながら、なぜいきなり早期妥結の旗振りをしなければいけないのか、それが国益にかなうことなのか、という疑問にどこの局も答えてくれず、事実のみが連日報じられていたからだ。疑問を深めた背景には、TPPに期待するアメリカ系多国籍企業群の実態をあばいたルポルタージュとの出会いがあった。

多国籍企業の策略
 堤未果著「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書)。この中で彼女は書いている。「TPPやACTA(偽造品取引防止に関する協定)、FTAなどの自由貿易をアメリカ国内で率先して推進する多国籍企業群は、こうした国際法に情熱をもって取り組んでいる」。その理由は「かつてのように武力で直接略奪するのではなく、彼らは富が自動的に流れ込んでくる仕組みを、合法的に手に入れることができる」からだ。
 その例の一つに挙げているのが、2012月に施行された米韓FTA(二国間自由貿易協定)である。アメリカ側は事前協議の段階で、(1)アメリカで科学的安全性が認められたGM(遺伝子組換え)食品は無条件にうけいれる(2)韓国の国民皆保険が適用されない株式会社経営の病院の参入を認める(3)アメリカ産牛肉の輸入条件を緩和する、の項目を韓国側に了承させていた。この協定のもと、今まで地産地消を原則としていた韓国の学校給食の食材にアメリカ産のGM食品を参入させる道を開いた。韓国内で最大の市場である給食を牛耳るためには、ISDS条項(投資家保護を目的とした裁判)をチラつかせるだけで十分だった。日本で厳しく制限されていたBSE(牛海綿状脳症)検査もなく、アメリカ産牛肉はスムーズに韓国に流れ込んでいる。
 だが、だれが考えても理不尽なこの協定が何故まかり通ったのか。一つは当然のことながらFTAを歓迎した韓国内の富裕層の存在があったからだ。現に、韓国では締結後すさまじい勢いで貧富の差が開き、投資家や多国籍企業など1パーセントの資産価値が上昇する一方で、99パーセントの国民は貧困の度を増しているという。もう一つはマスコミの存在があった。韓国は一時IMF(国際通貨基金)の管理下に置かれたことがあった。その際、マスコミに外国資本が参入できる道筋を整えておいた。そのおかげで韓国民にとって決定的に不利益をもたらすFTAの情報をギリギリまで伏せることが可能になった、と堤氏は結んでいる。

韓国の二の舞にならないか
 こうしてみてくると、TPPをめぐって現在日本が置かれている立場は、韓国と似ているのではないか。アメリカ産牛肉の輸入制限は緩和された。かんぽ生命保険の新商品販売について、麻生金融相が待ったをかけた。これらはTPP受け入れの下地作りに見える。そして、「攻めの農業」を標榜する現政権のもとで、アメリカ系多国籍企業の「アグリビジネス」が参入してくる可能性は十分ある。その恐ろしさは、GM(遺伝子組換え)種子、農薬、特許料をセットにして売り込む点にある。一旦GM種子を手にするや、農家は毎年種子とそれにしか効かない農薬とを買い続け、農薬の特許料を永久に払い続けねばならなくなる。
 私のような素人でさえ思い至るこうしたTPPの影響について、テレビメディアの人達は危機感を持っていないのだろうか。なぜ口を閉ざし続けているのだろう。それとも発言できないような強い圧力が存在するのだろうか。
 守秘義務を理由に交渉内容について一切秘匿されている今でも、テレビがTPPについて伝えるべきことは様々あると私は思う。

2013年10月号より


テレビ参院選報道番組に問われたこと

                          戸崎賢二(放送を語る会会員)  

 選挙で投票するにあたって、人は何をもっとも主要な判断材料にするのだろうか。ネット選挙が喧伝されたが、選挙後の世論調査を見る限り、ネット情報を参考にした人の比率は予想に反して低く、依然としてテレビが作り上げたイメージが大きく影響していたようだ。
 放送を語る会では、こうしたテレビの影響力の大きさを踏まえて、選挙時のテレビ報道の検証を繰り返し行ってきたが、今回の参院選でもモニター活動を展開した。その報告は、8月に放送を語る会ホームページに掲載している。

二つの批判
 
この報告には、参院選関連テレビ番組の問題点がいくつか指摘されているが、その中の主なものを二つあげておきたい。
 第一、ほとんどのテレビ報道が、「ねじれ解消が焦点の参院選」と決まり文句のように伝えていた。この点についてはすでに多くの批判があり、当報告でも言及している。「ねじれ」には、ものがねじれた状態は不正常、という語感がつきまとう。「解消は良いこと」、という心理的な効果を生む言葉なのである。メディアは不思議にこのことに鈍感だった。
 重要なことは、改憲問題や原発政策、TPP、消費増税など重要な争点で、参院でどのような対抗する勢力地図が描かれるかであり、それが焦点であるべきだった。選挙翌日のNHKの政党討論で、自民党の石破幹事長は、「今回の選挙をねじれ解消を争点として闘った」と明確に述べたが、この言葉は政権側の主張であって、それをメディアが言うことは明らかに偏向だったはずである。
 第二に、選挙期間中の、政権に対する批判、検証の弱さが指摘されなければならない。 
 自民党が、「ねじれ解消」とアベノミクス効果を前面に立て、原発政策や改憲問題を積極的には打ち出さない選挙戦を展開したが、テレビでは、貧困と格差、ブラック企業の横行、といった実態を政権政党に突き付ける報道は希薄であり、改憲問題でも、軍事法廷も含む国防軍実現という恐るべき自民党の意図についても追及が弱かった。このため、選挙までの間に、「アベノミクスで経済は上向き」といった支配的な空気が作られた。これが自民圧勝を導く要因の一つになった疑いが強い。

自民党のTBS「出演拒否」事件
 
メディアの政権批判が弱い理由として、自民党の攻撃的な姿勢、圧力がテレビ局側に意識されていることがあるのではないか。その一端をみる思いがしたのは、自民党のTBSへの出演拒否の動きであった。今回の選挙期間中に起こったこの事件の意味するところは重大である。
 6月26日のTBS「NEWS23」は、国会で重要法案が軒並み廃案になった問題を取り上げたが、その中で自然エネルギー財団の関係者が、電力事業のシステム改革の法案が廃案になったことを、経過から見て自民党が通す気がなかったのでは、と批判した発言を組み込んだ。
 この番組内容を不服として、7月4日、自民党は幹部のTBSへの出演を当面拒否すると表明した。TBSは謝罪はしなかったが、「指摘を受けたことを重く受け止める」など釈明する文書を出し、自民党は5日、これを事実上の謝罪だとして出演拒否を解除した。
 局側のコメンテーターやアナウンサーの発言ではなく、外部出演者のコメント内容を理由に強硬な措置をとるのは常軌を逸している。こんなことを理由に、政権政党がテレビ局に圧力をかけるようなことが是認されれば、自律的であるべきテレビ報道が危うくなる。これはTBS対自民党の問題にとどまらない問題である。各テレビ局は、一斉に抗議の声を上げるべきだったが何も起こらなかった。
 6月30日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」で星浩特別編集委員が書いていたが、毎週月曜日の朝、菅官房長官を中心に開かれる会議があり、前週の新聞やテレビの報道内容がテレビキャスターの発言も文字に起こされるなどして配布されるという。報道内容が政権によって毎週詳細に検討されているのである。
 自民党は、改憲草案で、表現の自由や結社の自由に対して、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は認められない、という重大な制限を設けている。メディアにたいする過敏、強硬な姿勢と、この改憲の方針は、自民党という政党の根本の体質から出ているのではないか。
 とすれば、この政権にたいしては、メディアは相当な覚悟をもって対峙しなければならない。はたして今のテレビジャーナリズムにその自覚があるであろうか。

2013年9月号より



62日「NO NUKES DAY〜テレビでは「何もなかった日」〜

小滝一志(放送を語る会会員)

 6213時、集会の始まった明治公園は人で埋まっていた。陽射しを避けて木陰に集まっていた「放送を語る会」有志のメンバー数人の輪に遅れて私も加わった。市民として「脱原発」の意思表示のために、そしてもう一つはこうした市民運動をメディアはどのように報道するのか、この目で確かめるために。
 集会は「6.2 NO NUKES DAY」。「原発ゼロ」「原発再稼働・輸出反対」などを掲げて首都圏反原発連合など3つの団体が共同で開催。ここ明治公園に18000人、芝公園に7500人が集まり、その後多くのコースに分かれてデモ行進、夕方には国会包囲、正門前集会には6万人、延べ85000人(主催者発表)の市民が参加した。
 高齢者の多かった私たち「放送を語る会」有志は、明治公園から六本木までのデモに参加した後、国会包囲行動はパスして喫茶店で一息入れ、その後国会正門前集会に参加、夕暮れまで「原発いらない」「再稼働反対」のコールを繰り返した。


テレビはこの日をどう伝えた?
 私は、この日の夕方から深夜にかけて気が付いたテレビニュースを片っ端から録画セットしておきチェックしてみた。 先ず驚いたことは、テレビにニュース番組が少ないこと。日曜日の編成と言う事情を考慮に入れてもこれでいいのかと疑問に思う。

 NTVはニュース枠ナシ、テレビ朝日「ANNニュース」(2045〜)4分でニュース2項目、TBSテレビ「フラッシュニュース」(2054〜)6分でニュース2項目、テレビ東京「ニュースブレイク」(2148〜)6分でニュース2項目、「TXNニュース」(2430〜)5分でニュース3項目、フジテレビ「FNNニュース」(2345〜)10分でニュース6項目、いずれもNO NUKES DAY には全く触れなかった。報道情報番組NTV「真相報道バンキシャ!」(18001855)、フジ「Mr. サンデー」(22002305)でも取り上げていない。
 結局、取り上げたのはNHK「ニュース7」(1900〜)だけだった。30分の放送時間でニュース11項目とスポーツを放送、6項目目に「原発再稼働に反対」のタイトルで45秒ほど芝公園と国会周辺の映像を流した。そのNHKも次の「ニュース」(20452100)ではNO NUKES DAY は落ちている。
 これでは、テレビを情報源にしている多くの人たちにとって、62日は「何もなかった日」だったのではないか?
 実は、「放送を語る会」では、モニター活動を設定し、集会翌日の3日のニュースを併せて2日間ウォッチした。当然のことながら3日月曜日の定時ニュース枠でNO NUKES DAY 報道したところはどこもなく、私たちのモニター活動は空振りに終わった。

市民運動軽視、情報選択は「官尊民卑」?
 なぜNO NUKES DAY 報道は皆無に近かったのか。
要因の一つは、市民運動軽視、情報選択の時「行政の発表は信頼できるが市民の声はあてにならない」という「官尊民卑」の姿勢が大手メディアに根強くはびこっているためではないか。
 62日の各局ニュース項目を見ると、この傾向が読み取れる。「FNNニュース」を例にとると、@字幕「アフリカ安定に1000億円支援」(横浜で開催中のアフリカ開発会議で安倍首相表明、何の疑問もなく政府発表がトップニュース)、A「栃木県真岡市女性殺害 家族の知人とトラブル」(事件は1日朝)、B「トルコ反政府デモ続く」(2日も市民数万人参加、拘束939人負傷数百人)
C「秋田飲食店従業員殺害 被害女性の通夜」(遺体発見29日)、D「千葉成田市 炎上車両から遺体見つかる」(2日早朝)、E「中国人気番組に日本の子ども招待」。
 ニュース価値の受け取り方は、人によって千差万別であることはよく判っているつもりだ。しかし、編集者がこの6項目のニュースに比べ、NO NUKES DAY に視聴者の関心はないと判断したのは妥当だろうか。「ニュースでは、人の生き死にが重要」と報道関係者から聞いたことはあるが、A、C項目とも続報だ。またBは遠いトルコの反政府デモは伝えても足元の日本の市民運動には関心がないのか。トルコは1000人近い拘束者と数百人の負傷者が出たが、NO NUKES DAY は何事もなく平穏無事に終わり伝える価値はないと判断したのか。一般の人々の感覚からは違和感の残る編集姿勢ではないか。
 放送法には、その目的に「放送が健全な民主主義の発達に資する」ことを掲げている。ニュース編集の基準の中に、この項がきちんと位置づいていれば、日本の市民運動に対するメディアの評価、報道の仕方も随分変わるのではないか。それを期待したい。

2013年8月号より



「ラジオの行方」〜進まぬデジタル移行〜

野中良輔(放送を語る会会員)

詩人の谷川俊太郎氏は、詩人にならなければラジオ工になりたかった、と公言するほどのラジオ好きでラジオの収集家としても知られている。
 谷川氏はラジオに寄せる想いをエッセイ集『一人暮らし』の中で『古いラジオの「のすたるぢや」』と題して次のように記している。
 「一九四五年に戦争が終わって少しすると、アメリカ製のラジオが日本でも手に入るようになった。と言っても、もちろん少年だった私に買える金額では無い。店の主人に頼みこんで見せてもらうだけである。そして一目見ただけで恋に落ちるのである。(中略)私は古いラジオをコレクションするという泥沼に足を突っ込んでしまったのだ。おまけにオームの法則も理解していないくせに、半田ごてを握るのが好きだったので、鳴らないラジオを鳴らしてやろうというお節介までやくようになった」
 
 氏ならずとも、当時は秋葉原で部品を調達し、半田ごてを握ってラジオの自作に熱中する多くのラジオ少年達がいた。鉱石ラジオから始まり、高音質のステレオアンプ製作へと行き着くのが定番のコースだ。
 ラジオの自作はラジオ放送の初期から盛んで、実験放送の段階からメカニズムとしてのラジオに興味を持つファンは大勢いたが、当時の外国製受信機は今なら乗用車並みの値段で、高額のラジオ受信機が購入困難なファンは必然的に自作のラジオへと向かっていった。
 そしてそれらのファン等に対応するため「無線と実験」「初歩のラジオ」などの技術関連の雑誌も次々と出版された。ラジオは情報等の伝達手段であると共に、電子工学の入門教材としての役割をも担っていたのだ。
 因みにアップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は六、七歳の頃に一人で真空管ラジオを組み上げたというエピソードの持ち主だ。

 そのラジオの行方に少々陰りが見えている。
 「情報メディア白書2012」によれば、2010年度の民放ラジオ営業収入は総計1467億円しかない。2000年度には2505億円だったので10年で1000億円減少している。そしてスマートフォンなどの多メディア化で、若者を中心にラジオ離れが加速している。
 しかもアナログ放送は都市部を中心にビル陰や室内の難聴取が指摘されていて、災害時での情報インフラとしての役割を果たし難くなっている。その解決策としてラジオのデジタル化が検討され実験放送も何度か行われていた。
 しかしデジタル化には設備設置に多額の費用が必要とされ、聴取者にも新たな受信機の購入が求められる。
 ラジオ
離れが深刻な状況での多額投資に難色をしめす放送局が多く、地方局にはAMの継続で十分対応できるとの声も上がっていた。また在京AM局ではアナログのままFM放送に転換して難聴取解消対策を進める案が浮上し民放連としての統一対応は決めず、デジタル化は個々の放送局に委ねることになった。
 災害情報に限って言えば、放送対象地域は狭いほうがよい。その地域にとって切実な災害情報がより多く提供されるからだ。その意味では、カバーエリアが狭いFM移行は現実的かもしれない。
 総務省は今春、「災害情報等を国民に適切に提供」するのがラジオの使命とし「放送ネットワークの強靭化に関する検討会」を組織して、低地・水辺に立地する中波(AMラジオ)送信所の防災対策と、AMラジオの難聴対策を検討しはじめたが、東日本大震災ではコミュニティFM放送局が災害地以外でも臨時災害放送局として安否確認情報、生活情報、支援情報放送など、地域に密着した多様な活動を展開し、被災者住民から頼りにされた。
 現在コミュニティFM放送局の数は日本全国で250を超えるが、その多くは厳しい経営状況にある。ことに、2010年に改定された放送法で放送設備の向上、無線技術者の常勤などが義務づけられ、財政および人材確保にどのように対応するかが課題となっている。
 「災害情報等を国民に適切に提供」するのがラジオ放送の使命というのであれば、コミュニティ放送局に対し、財政面や人材育成などで公的な支援が不可欠であろう。

2013年7月号より



参議院選挙、争点は憲法

放送を語る会会員  五十嵐吉美

 安倍首相は国会で「選挙で、96条の改正を掲げて戦うべきであると考えている」と述べ、参議院選挙は、憲法改正を争点にたたかわれることがはっきりした。
 昨年の衆議院選挙でも、96条改正を公約にしていると安倍首相はいう。しかし実際の報道では、政策が主権者に伝わっていなかったという結果が、「朝日」の「衆院選挙とメディア」世論調査(4月18日付)でわかった。もっと報道して欲しいものは「各党の政策・公約」がトップで64%(6つから3つを選択)にのぼった。参考にしたのは「テレビのニュース番組」が45%で、新聞記事の43%を超える(複数回答)。
 とすれば、今度の参院選、憲法改正という争点をテレビがきちんと報道できるかどうかが問われている。
 なぜ、憲法第96条の規定では3分の2以上になっているのか、とか、日本の憲法は21世紀にどのような意義をもっているのかなど深い掘り下げや、暮らしの中で生きている現憲法を支持する声なき声を、テレビジャーナリズムは伝えることができるのか、重大だと思う。
 放送を語る会が、昨年の総選挙のテレビ報道をモニター、各局のニュース番組を検証し、指摘した――政策や争点が掘り下げられない傾向、多党化のなかで報道時間が不十分、しかも政治家の発言が断片的になりがちで、印象の強い政治家ほど有利となるテレビの弱点――をどう克服できるか改善を期待したい。
 また、今度の参議院選挙でネットによる選挙が解禁になる。気になる事があった。
 四月八日安倍晋三公式フェィスブックに<メキシコの様な親日的な国との首脳会談は、NHKも報道しないので、フェイスブックでお知らせします。>と、来日したメキシコ大統領との会談の模様を紹介。すると「いいね!」が二万数千人から寄せられ、おびただしい「NHK解体!」「国営化すべき」の書き込み。「ニュース7」で放送していたことがわかって、<19時のニュースで報道したそうです。失礼しました>と、安倍首相のかるーい訂正のあとにも、「給料が高すぎる」「全員クビ」「反日だ」「スパイがいる」など、感情的なNHKバッシングの大合唱、言いたい放題の広大なネット世界がひろがった。
 何かあったのか、なかったのか? 
<NHKも報道しないので>事件の11日後、安倍首相は<NHKでも生中継があるので、見て頂けると大変嬉しい>と、四月一九日の日本記者クラブでの会見を、フェィスブック上で予告した。もちろんNHKが会見を中継し、安倍首相は成長戦略について話し、参議院選挙を通じて憲法改正を問い、憲法改正を現実にできると強調した。ネットとテレビのコラボだ、最強ではないか!
 事実確認もしないで平気で、フェィスブック上で“おしゃべり”する、シンちゃんこと安倍晋三という人が首相である。安倍首相のフォロワーは三〇万人以上というから、アブナイし、怖いと感じるのは、考えすぎだろうか。

 二月、伊豆大島に出かけた私は、日本の憲法がアメリカの押しつけではなく、国民の願いだったという証しを“発見”した。案内をしていただいたNさん作成の冊子に、「大島町史」の引用と「独立想定し『暫定憲法』」の見出しがおどる、一九九七年朝日新聞の切り抜きがプリントされていた。
 敗戦直後の一九四六年一月、伊豆大島は連合軍総司令部(GHQ)により、行政上日本から分離されることになった。島民は独立やむなしと、大島憲章づくりに動きだした。そのメンバーに、戦前の治安維持法下でひそかに行動していた大工の雨宮政次郎と仲間たちがいたという。一九九七年発見されたガリ版刷りの大島大誓言には、「島民の安寧幸福の確保増進」をうたい、「道義の心に徹し万邦和平」を決意。政治形態として「統治権は島民にあり」(第一章)とした。島民総意のために議会を設置することも記してある。まさに国民主権・平和主義・社会保障の基本を盛り込んだものだった。
 GHQ指令は修正され、伊豆大島は三月二二日日本に復帰。53日間の伊豆大島共和国――それは同年の一九四六年、国会の論議を経て布告される日本国憲法に生きている。
 平和への希求、日本国憲法の心をテレビは伝えてほしい。

2013年6月号より



繰り返される「大本営発表」

                        放送を語る会会員 府川朝次

 2013222日(日本時間23日未明)ホワイトハウスでオバマ大統領と会談した安倍総理大臣は、「TPPはあらかじめすべての関税撤廃を約束しない」との共同声明を発表し、TPP交渉参加に意欲を示した。その3週間後、315日総理はTPP交渉参加を正式に表明する。「放送を語る会」では、この間、NHKや民放6社のTPP関連ニュースをモニターしていた。その結論から言えば、今回の経過ほど単純明快に図式化できる報道はなかったということだ。マスメディアが、独自の視点や見解を持たず、政府自民党の言動を忠実に伝えることに終始していたからだ。
 すなわち、@222日安倍総理、日米首脳会談で「TPP交渉に『聖域』はある」との同意をオバマ大統領との間で確認したとして、交渉参加に意欲を示す。A日米共同声明に盛り込まれた「日本の農産物にある微妙な問題」を論拠に、「聖域」は農産物であることに絞られていく。交渉参加に強く反対する農協に対応する形で、自民党TPP対策委員会は政府に「農産物重要5品目を例外として確保すること」を主眼とした決議文を手渡す。「もし要求が通らない場合は脱退も辞さない」との文言も盛り込まれた。B国内での懸案事項はこの決議文によって取り除かれたとして、安倍総理は315日TPP交渉参加を正式に表明。以上が3週間の報道の基調である。
 TPP交渉は農業以外にも重要な問題が山積している。それは自民党の「TPP対策に関する決議」にも明記されている。しかし、交渉は21分野に及ぶこと、参加することでメリットもあるがデメリットもあることに言及した番組は少ない。特にISD条項に触れたのは「NEWS ZERO」と「報道ステーション」だけだった。ISD条項とは投資家を保護するための規定で、これを盾に日本の規制が非関税障壁だとして訴訟が増える恐れもある。その懸念は「決議」の中に「わが国の主権を損なう」との表現で触れられている。しかし、メディアの扱いは、対策委員会は専ら「農産物の例外品目を何にするか協議していた場」との筋書きで語られた。その結果、農協対自民党、農協イコール既得権益集団といった固定観念を視聴者に植え付け、TPP問題は即ち農業、とのあやまった印象を与えた可能性は拭いがたい。
 3月に入って、国の内外から衝撃的な情報がもたらされた。事の発端は38日衆議院予算委員会での共産党議員の質問にあった。内容は「TPP交渉は、日本にとって不利な状況にある。後発の参加国は事前に交渉テキストを見ることもできなければ、すでに確定した項目について、いかなる修正や文言の訂正も認められない。遅れて参加したカナダやメキシコはその条件を承認する念書に署名している」というものだった。この情報を電波に乗せたのは「報道ステーション」(3/83/13)のみ。NHKに至っては、15日安倍総理をスタジオに招きながら、こうした情報の真偽を質すことさえしなかった。インターネット上では、さらに「日本は『交渉に参加する』のではなく、『すでに条項に定められた協定に参加するだけだ』」とし、「日本の国内の法制度は、すべてTPPに定められた指図によって動くことになるであろう」との、国際環境・人権保護運動の活動家の警句さえ伝えられていた。

 とにかく今回のTPP報道は異常ずくめだった。専門家の起用もほとんどなかった(皆無ではないが)。したがって外部からのTPPに対する反論なり懐疑の声はほとんど伝えられていない。なにより、交渉参加決断の基になった日米共同声明全文を紹介したのが「報道ステーション」1局だけだったことは、ジャーナリズムのあり方として、その異常さを象徴してはいまいか。
こうしたメディアの状況を日本農業新聞は316日付電子版の論説で「メディアの危機」として訴えかけている。「本来『不都合な真実』を伝えるはずのメディアの多くが、政府・財界主導の推進論を無批判に受け入れ、世論誘導の一端を担った。時に農業対工業の対立をあおり、時に重要品目の例外が勝ち取れるかのような根拠なき楽観論を流した。そして一貫して自由貿易こそが成長の源泉であるかの幻想を振りまいてきた」と断じている。
 私も同感である。2年前東京電力福島第1原子力発電所事故の際、メディアは政府発表を垂れ流したとして批判されたはずだった。しかし、その反省もないまま、またも繰り返された「大本営発表」。この国のマスメディアの病根の深さに暗澹たる思いでいるのは私一人だけだろうか。


                             2013年5月号より



日本軍「慰安婦」〜安倍政権とメディアは
歴史の事実に向き合え〜

放送を語る会会員 戸崎賢二

 いま、言い出した本人も口をつぐみ、相変わらずメディアも報じていない重大問題がある。日本軍「慰安婦」に関する「河野談話」の見直しの問題である。
 1993年8月に発表された河野洋平官房長官の談話は、戦争中、日本軍が長期、広範な地域にわたって慰安所を設営した事実を改めて認め、「慰安婦」の募集が甘言、強圧によって、本人の意思に反して行われた事例が数多くあり、慰安所での生活も強制的な状況の下での痛ましいものであったと述べている。
 元「慰安婦」の人々の聞き取りを含む一年数か月にわたる調査の結果、日本政府はこれらの事実を否定できず、被害者に謝罪せざるを得なかった。
 周知のように、安倍首相はしばしばこの「河野談話」の見直し(否定)の意図を明らかにしてきた。昨年1130日の記者クラブ主催の党首討論でも、「慰安婦」を集めるときに、「人さらいのように連れてきた事実があったかは証明されていない」と発言、軍が「強制連行」したことを示す資料がないことを「見直し」の理由とする持論を展開した。
 この主張は二重のウソを含んでいる。第一に、河野談話は「慰安婦」制度全体を貫く強制性を明らかにしているが、安倍首相は、強制連行の資料の有無、という募集の一つの局面だけで談話を否定しようとする。ここには明白なすり替えがある。第二に、実は占領地では軍が直接女性を拉致したケースが数多くあった。この事実を隠ぺいし、あたかも「慰安婦」の歴史を通じて「強制連行」がなかった、という欺瞞的な印象を作り出している。
 直接、兵士が連行した場合でなくても、軍が選定した業者や官憲が、「いい働き口がある」と言って騙して連れていくケース、承知しなければ父母に不利になるなどの脅しによって連行されたケースなどが報告されている。募集は業者であっても、軍に引き渡されたあとは逃げることもできず、慰安所に監禁されて一日に10人も20人もの兵隊の相手をさせられた。この過程全体は強制連行と言ってもよいものである。
 「慰安婦」とされた人びとの状況は、生存者の証言記録、数多くのルポ、歴史研究、被害者が日本政府に補償を求めた裁判の記録などを真摯に読めばすぐにわかることだ。 連行された女性の中の未成年の比率はかなり高かったといわれる。聞いた話とは全く違う境遇に突然置かれた少女たちの驚きと悲しみはどれほどのものだったか。父母のもとに返してほしいと、何日も泣き叫んだことだろう。安倍首相をはじめ、河野談話の見直しを主張する政治家たちは、こうした悲惨、過酷な状態に置かれた女性たちへの倫理的想像力を恐ろしく欠いている。

 昨年11月、アメリカの地方紙「スターレッジャー」に、「慰安婦」強制否定の意見広告が掲載された。07年にワシントンポスト紙に掲載されたのと同様趣旨の広告である。「『慰安婦』は『性的奴隷』ではなく、当時認められていた売春のシステムの中で働いていたにすぎない」などと主張するこの意見広告には、安倍晋三議員(当時)のほか、のちに閣僚となる4人の政治家が賛同者として名を連ねている。(1316日付「赤旗」記事による)
 こうした行動を、極右の政治グループの主張ととらえれば不思議ではないが、ことここに至っては、政治家の人間性の基層まで下りていって考えたくなる。事実に対して謙虚であること、誤りは誤りとして認める、といった姿勢は、人間の品格、道義心にかかわるものだが、一国の首相ともあろう人物がその資質を欠くとすれば、我々はいかにも不幸な国民ということになる。
 おそらく、安倍首相をはじめとする政治家たちは、「慰安婦」の歴史的事実を国家の恥と考え、なんとしても否定したい、そのために都合の悪い事実に眼をふさぎ、強制はなかったと思いこもうとした。もしそうであれば、これは一種の無自覚の自己欺瞞の働きと言えなくもない。
 奇怪に思われるのは、このような明白な欺瞞にたいして、日本のメディアにまともに検証する動きがないことだ。テレビはもちろん、一定の読者を持つ新聞メディアでは、わずかに「赤旗」を除いて、近年この問題の正面からの調査報道を見かけない。
 政権の圧力と街宣車が怖いということであれば、今のテレビ、新聞ジャーナリズムの状況から言って無理からぬことだ。しかしこれだけ「慰安婦」に関する報道がない状況が続くと、組織ジャーナリズム自体が安倍首相ら政治家の自己欺瞞の心理状態を共有しているのではないかと疑わざるを得ない。そのほうがより憂慮すべき状態ではないだろうか。

2013年4月号より


スカイツリーからの地デジ放送開始と新たな受信障害

放送を語る会会員 松原十朗

東京スカイツリーからいよいよ地デジ放送が開始される時期が迫り、試験電波が出された。受信情況を調査した結果、少なくない地点で電波障害が発見されて関係者は困惑しているようだ。
 “新しい観光スポット”としてのスカイツリーが繰り返し放送されているために、多くの人は現在、地デジ放送もスカイツリーからのものと思い込んでいる。しかし、2011年7月アナログ放送停止後も、地デジは東京タワーのアナログアンテナより低い高さ(265m)から送信されている。アンテナの位置が低いことに加えデジタル波のためアナログ放送よりサービスエリアも小さいのだが、これも知らされていない。
 東京タワーからスカイツリーに送信が切り替わると、8.4km送信所が移動する。アンテナの方向調整が必要な送信所に近い所でも、「強電界地域は電波が強いので、受信障害は生じない、何とかなるだろう」考えていたようだ。私からみれば随分粗雑な処理思考だと思う。
 「ゴーストを除去できるデジタル波」であり、「送信アンテナの高さも265mから630mになる」とはいっても、山も谷もない大草原の中の送信タワーではない。巨大な高層ビルが立ち並び、その中に密集した住宅地のある23区内で、送信所が8.4kmも移動する。そのために不特定多数の受信点で電波の到達情況が変化する。そのとき、「不具合になるポイントは生じないか」と、現場を少しでも視野におけば、常識的に考えるものであろう。
 電波伝播の理論に寄りかかって(?)「アンテナの高さが2倍になるのだから」「ゴーストを処理できるデジタル波だから」といって、“万が一”を想定してこなかったのは現場を預かっている関係者の怠慢だと思う。

デジタル波への移行にはアナログ波と併存する期間を設けるのが常識
 
 当面している課題は前例のない性格の問題である。
 通常のアナログからデジタルへではなく、1000万単位の受信者をもつ首都圏で、デジタルからデジタル、送信所の8km移動に対応しなければならないのである。
 なぜ、こうした事態を招いたのか?
 「地上デジタル放送懇談会」(NHK、民放、総務省等で構成、97.5〜98.10)の報告書は、「地上デジタル放送」の導入の道筋として、「アナログ波とデジタル波の併存期間を設け、その期間にデジタル波への移行」を提案していた。具体的には、「アナログ放送終了時期とその検討条件は、1−デジタル放送の普及率85%以上、2―現行のアナログ放送対象と同一対象地域をデジタル放送で100%カバーしていること」とされていた。
 アナログ放送を停止した2011年7月、これらの条件が全く顧みられなかった。本来ならば、アナログ放送は延長されねばならなかったのである。

デジタル→デジタルの困難な綱渡りを乗りこえるには

スカイツリーへの移行は当初予定の2013年1月から5月に延期されたが、難問となっている受信障害にどう対応するのか。関係者に問い合せた。
 「移行前にスカイツリーにアンテナを向ければ東京タワーが受信できなくなるケースが心配。そういう場合どうするのか」の問に対して、「どちらかが見えなくなることは考えていない。アンテナの方向調整等で両方受信できるようにする」との回答だった。
 電界強度の関係では、電波の強い東京23区内は「ブースターの調整か、交換も必要になってくる場合がある」とも言う。こうした障害が万単位で起こる心配もあるがどう対応するのか?
 答えは、「3月から4月の受信障害対応は続ける」「その内容はまだ具体化はしていない」という心もとないものだった。また、東京タワーからの電波を山梨等で受信しているが、スカイツリーに移ると受信不能になってしまう事例についても把握していなかった。
 東京タワーからスカイツリーへの移行には、スケジュール優先ではなく移行時期を延期しても、受信者に過大な負担を強いることのないよう十分に配慮して欲しいもの。 今後どのような障害が発生するか予測し難い。何よりも、拙速を避け、受信障害の有無の調査を十分に行い、受信者に時間をかけた丁寧な説明ときめ細かで柔軟な対応策が関係者に求められる。

2013年3月号より



67年目の上野原B29墜落調査

放送を語る会会員 増田康雄

私は去年10月8日、山梨県上野原市西原のB29墜落現場調査に参加した。この調査は山梨県戦争遺跡ネットワークの主催によるもので、戦争遺跡保存全国ネットワーク代表の山梨学院大学十菱駿武教授、山梨平和ミュージアムの理事2名、都立高校の教諭、それに私の計5名と、テレビ山梨のスタッフ2名が参加した。
 この西原で米軍機B29墜落したのは67年前の1945年2月19日午後1時のことだった。日本の戦闘機が体当たりでB29を撃墜したのが目撃されている。
 調査現場では3つの発見があった。一つは上野原市西原の中群山の麓の斜面に、墜落したB29の破片を発見して約30点収集したこと。二つ目は、乗員が緊急時に居場所を知らせる反射用のミラーを農家が保存していたこと。三つ目は墜落したB29のジュラルミンを加工して農具の「箕」が作られ、利用していた農家があったこと、などが明らかになった。
 テレビ山梨は10月10日の午後6時15分から「ニュースの星」で5分間、この現地調査を報じた。まず上野原でB29と日本の戦闘機の衝突目撃証言が紹介され,続いて10月8日の上野原市西原の調査の状況と十菱教授のインタビューが伝えられた。十菱氏は戦後67年目に破片が収集された驚きを語り、戦争遺跡の保存の大切さを強調した。

マスコミの戦争遺跡報道の視点

 私は二週間後、調査の3つの発見を多摩地域の複数の新聞社支局にFAXで知らせてみた。東京新聞支局から電話があり、数枚の写真をおくったがローカルの話題だけではと取り上げてもらえなかった。
 67年目にB29の破片がみつかった事実は大きな発見、驚きだと思う。山梨の民放は地元のB29墜落現場調査のリポートで戦争を考える場を視聴者に示す視点があった。しかし、東京新聞支局を含め新聞社が関心を示さなかったのは問題と思う。

調査その後の経過

調査団は12月1日、体当たりの日本の戦闘機「屠龍」の破片を探すため、再度上野原市西原の墜落現場に入った。しかし、破片はみつからなかった。戦後、地元の人たちは戦死したパイロット廣瀬治大尉の慰霊碑を建てていた。
 私達は地元の古老を訪ね、聞き取り調査をした。当時、B29のエンジン4個が谷筋に落ちたこと、不発弾が複数麓に落ち、戦後米軍の協力で爆破したこと、墜落死した米軍の乗員を埋葬したこと、戦後、米軍は主な機体と遺体を引取った話を聞いた。
 私達は西原の田和にある招魂社を訪ねた。そこには墜落したB29のジュラルミンと戦闘機屠龍の鉄板の破片、廣瀬大尉の遺影があった。

私が感じたこと

 2010年5月、都立調布南高校の公開講座「多摩地域の戦争遺跡」を受講してから私は戦争遺跡に興味を持った。自分の目で確かめようと21か所を撮影してみた。
 取材をして「戦争は人を殺し、殺される」ことを学んだ。多摩地域の戦争遺跡は子供を含め多数が犠牲になった。
 67年前の上野原市のB29墜落は専門家の間では知られていた。しかし、三つの発見は世間には知られていなかった。
 29乗員も戦闘機の乗員も1945年2月19日に上野原市上空で11名が命を落とした。私達は残されたB29の遺品と戦闘機の鉄板から衝突の事実を体で知ることができた。残された遺品を後世に残し、知らせることが大切だと私は感じた。
 現在、戦後生まれが85%の時代、67年の時間の流れが「戦争の愚かしさ」を忘れさせてゆく。今回の選挙でも政権側は国防軍の創設、集団的自衛権の行使を主張、憲法の9条、96条の改定を目論む。こうした状況のなかで、私にとって、B29墜落現場の調査団は戦争と平和を考える大切な場となった。

2013年2月号より




「うめき」、そして決して口にはしない「怒り」〜普天間・辺野古・高江で感じたこと〜

放送を語る会 小滝一志

「放送を語る会」が9月にテレビのオスプレイ報道のモニター活動に取り組んだ後、私は「報道されている現地を是非この目で確かめたい」との思いに駆られた。
 丁度タイミングよく、
10月に日本ジャーナリスト会議が2012年度全国交流集会を沖縄で開催した。私も参加して普天間基地・辺野古・高江を見ることができた。
怒りは臨界に
 
 17
日、一行は那覇空港から琉球新報社に直行、オスプレイ・米軍基地をめぐる最近の沖縄事情のレクチュアを受ける。
 先ず資料として渡された、「オスプレイ拒否103千人結集」と2ページぶち抜きの大見出しで「9/9県民集会」を伝える琉球新報、1面全体が「オスプレイNO!」のプラカードで埋まる会場写真の9/9当日号外に、沖縄と本土の温度差を突き付けられた。
 沖縄の現状は、425日県民大会で仲井真知事が初めて「構造的差別」と指摘し、太田昌秀元知事をして「もはや独立をめざすしかない」と言わしめた。この二年間の変化として、沖縄の人々と日本政府の溝はかつてなく深まり、もはや断絶の状態だという。
 20048月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落、大学当局・市民・メディアばかりでなく沖縄警察まで、米軍によって立ち入りが禁止された生々しい未公開映像も見ることができた。
笑顔の裏に脱力感・孤立感
 
 翌日訪れた辺野古は、しばらく前、米軍の訓練する浜がコンクリート塀と金網で仕切られてしまった。金網には支援に訪れた人たちの手作りの旗やプラスターが所狭しとくくりつけられている。それを指さして「防衛省の提供した屋外ギャラリー」と悔しさをユーモアに包んだヘリ基地反対協の安次富代表の案内は「森本は国防総省のモルモット」で締めくくられた。
 辺野古からさらにバスで北上してヤンバルの森の中の東村高江に着く。高江のことは、地元でも東京でもメディアはほとんど報じない。9月に4週間ほど取り組まれた「放送を語る会」のモニター期間中も、全くテレビは伝えなかった。
 私たちが訪れたテントは国道沿いに張られ、ヘリパット(ヘリコプター離着陸帯)建設予定地が金網越しに見える。毎週土日は、ボランティアで支援に来ている阿部子鈴琉球大学准教授が判りやすく丁寧に説明してくれた。「高江は人口150名ほどの小さな集落で、米軍北部訓練場と隣接している。今、この高江集落を取り囲むように6か所のヘリパット建設が予定され、20077月から地元住民が座り込みで激しく反対している」残念ながら住民の頭越しに建設資材の一部が持ち込まれてしまっているという。
 夜、私たちの宿舎「やんばる学びの森」で、高江住民の一家が歓迎のフラダンスを披露しながら実情を語ってくれた。
 「高江集落で反対行動に参加しているのは
1割・5家族、『受け入れて補償金もらった方がいい』人たちが1割、後の8割は『わかんない』『かかわりたくない』『怖い』。東村も県も『オスプレイ配備は反対だが、ヘリパット建設は容認』、展望全くない。正直言って、オスプレイが配備されてしまって脱力状態」
 そこで彼らが「高江の実情とぼくたちの気持ちを代弁してくれた番組」と上映してくれたのが琉球朝日放送制作「標的の村」だった。沖縄防衛局が、
15人の高江住民を訴えたスラップ訴訟を追った30分のドキュメンタリー。番組は、ベトナム戦争時、米軍の訓練に高江住民が駆り出され、ベトナム人に扮して協力させられてきたことを、当時を知る村民、新聞記者の証言や米国国立公文書館のフィルムなどを基に検証している。さらに現在の米軍の訓練でも高江がヘリコプター攻撃の標的にされている可能性を鋭く告発している。
決して口にはしない「怒り」 

 沖縄ツアーで、心に残った場面が二つある。どちらも酒の席だったが。
 ヤンバルの森の宿で、「私たちにどんな支援ができるでしょう?」と問いかけると、高江の人は、「私たちも仕事大事、家族大事でやっています。みなさんがそれぞれのところで、できることをやってください」とにこやかに答えてくれた。
 那覇でメディア関係者に「沖縄は、なぜ『基地撤去』『国外』と言わずに『県外』なのか?沖縄と本土の分断を招くのでは?」と問うと、「『基地をなくせ』とずーっと言ってきたけど何か変わったでしょうか」と静かに問い返してきた。
 私は、それぞれの抑えた優しい表情と口調の裏にこんなホンネを感じとった。
 「おれたちは、折れそうになるほど頑張ってる。本土の人たちはどうして判ってくれないのか。どうして本土から『基地をなくせ』の声を挙げてくれないのか」
 「私たちが『基地はいらない』と言い続けてきたのに、他人事として聞き流してきたのではありませんか。それなら基地は本土で引き取ってください」
 私の心の中に自責の念を呼び起こす沖縄の旅だった。

2013年1月号より




「知る権利」――あやまちを繰り返さないために

五十嵐吉美(放送を語る会会員)

 魚釣島、いや釣魚島――尖閣諸島の領有をめぐって、経済にまで影響が及ぶほど、日本と中国の関係が悪化している。「棚上げ」にして結んだ日中友好条約、その40年を祝うはずだった今年の秋は、どこかにいってしまった。悪化の一途をたどる日中関係のなか、「花岡事件と松田解子」と題する講演会が9月下旬に都内であった。

 戦争末期、日本国内の労働力不足をおぎなうために東条内閣は「中国人の強制連行」を決定、日本各地の35の会社、135カ所の事業所に、中国各地からかり集めたおよそ4万人の中国人、朝鮮人を働かせたという。秋田県大館・花岡銅鉱山・鹿島組では、1944年から6月までに979人のうち419人が虐待・酷使に次々に死亡。残るものが最後の力をふりしぼって6月30日、集団逃亡するも連れ戻され、ほとんどが拷問で死亡した事件、花岡事件である。(秋田の鉱山出身の作家・松田解子は1950年、事件の真相をはじめて新聞で知り、鉱山に入って調査、遺骨収集・返還運動にも携わりながら、『地底の人々』を著す。1953年中国、2011年韓国で翻訳され出版)。

当時小学校四年生だった冨樫康雄氏(「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」事務局長)は、記憶をたどり、坑道や建物など証拠になるものを破壊してしまった鹿島建設、事件と地域の人々、遺骨返還運動、顕彰運動に触れながら事件について、講演した。会場には年輩の方々を中心に、遠くは秋田から何人か参加されていた。司会者が質問などがあればと促すと、七十代の女性が立ち上がった。

 私も小学校三年のときに、見ました。それは、かわいそうで…」。学校へ出かけようとしたら、外が騒がしく、見ると、裸も同然の中国人たちを村の人たちが取り囲み、棒などでたたいている。家族に助けてあげてと懇願しても、「国賊にされてしまう」と。その時のショックをかかえてずっと生きてきて、「あの事件がなんだったのか、誰もそのあと教えてくれなかった。不思議だった。ようやく数年前、地域の歴史の勉強会で、それが花岡事件だとわかりました」と、その女性は昔を思い出したかのように、胸の奥にしまっておいた痛みを、吐き出すようにゆっくりと話したのだ。

 日本は、侵略戦争で言葉につくせぬひどい被害を与えたアジアの人々に誠意のこもった謝罪をおこない、若い人たちが教科書で学べるようにしていたら、彼女のような、さらに解決が見えない現在の日中問題もなかっただろう。

 日本は、侵略戦争で言葉につくせぬひどい被害を与えたアジアの人々に誠意のこもった謝罪をおこない、若い人たちが教科書で学べるようにしていたら、彼女のような、さらに解決が見えない現在の日中問題もなかっただろう。

 時はかなり経過してしまった。が、経過させてしまったからこそ、取り返しがつかない事実、それに向き合うために、国民に真実を知らせる努力を、どれだけメディアがしているだろうか。いまが最後のチャンスかも知れない。

 9月22日日本軍「慰安婦」問題に関する日韓交渉/仲裁を前進させる国際シンポジウムが、「日本の戦争責任資料センター」の主催で開かれた。日本、韓国をはじめ、オーストラリアの国際法の専門家が講演した。ティナ・ドルゴポールさんは最後に、講演をこう締めくくった子どもたちに、日本軍「慰安婦」問題をきちんと話してほしい。若い世代は真の歴史を知る権利を持っているからです。

 2011年、韓国の大統領が日本政府に日本軍「慰安婦」問題の解決を迫り、この秋国連の会議場で問題が追及された。NHKをはじめ各テレビ局は、日本軍「慰安婦」問題がなぜこれだけ大きな外交問題になっているのか、国民にわかるように説明していない。2007年のアメリカ下院をはじめ、オランダやEU、カナダやオーストラリアで「公式謝罪」決議が出されていることなど、国際社会の動きを報道していない。これは国民に対する「知る権利」の侵害ではないか。

 もう戦後67年。しかし「人道に対する罪には時効はない」ことが国際社会のルールとして確立していることも、国民の多くは知らない。グローバルに展開している現在の世界で、日本人が、胸をはって生きることができるよう、メディアこそが、理性と勇気をもって歴史に向きあうものであってほしい。それこそが閉塞感に満ちた日本が、信頼を取り戻し、未来を引き寄せることになるだろう。

 花岡事件を知った中学生が次のように記している。「日本人の一人として、花岡事件のような事実を知ることはつらく、悲しいことです。でも真実から目をそらすことはできません。真実を知ることで戦争をにくみ、差別をゆるさないという力がわいてくると思います。」(童心社刊『私たちのアジア・太平洋戦争2』2004年)

2012年12月号より


オスプレイ報道に「安保タブー」は?「抑止力神話」は?

                小滝 一志(放送を語る会事務局長)

 放送を語る会では、テレビ番組のモニター活動に取り組んでいるが、今回は、オスプレイ報道を取り上げた。6月に米軍が普天間配備を正式発表して以後、断続的に続いていたが、99日にオスプレイ配備反対沖縄県民集会が開かれたのを機に、96日から101日までの4週間強を期間限定でオスプレイ報道集中モニター期間とした。

「安保タブー」はないか?


 「(オスプレイ配備の是非について)安保条約上、日本には権限がない」という森本防衛相発言(6月29日アメリカのオスプレイ配備正式通告時)、「配備は米政府の方針であり、同盟関係にあるとはいえ(日本から)どうしろこうしろという話ではない」との野田発言(7月16日)を引くまでもなく、オスプレイ問題の根底に安保条約があることは、ここで改めて指摘するまでもない。
 9月9日の沖縄県民大会では、「オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去」が決議された。13日、大会実行委員代表が森本防衛相・玄葉外相に決議文を直接手渡し、席上
那覇市長が「もし沖縄で事故が起きれば、県民の意思は米軍基地の全面閉鎖に向かう」と発言した(NHK「ニュース7」)。沖縄県民の要求が「オスプレイ配備」の反対にとどまらず、「基地の全面閉鎖」に踏み込んできたことは、とりもなおさず安保条約そのものを問うところまで来たということだろう。
 今、メディアには、今日の時代と状況を踏まえた安保条約の検証が求められているのではないか?
 ところが、2週間余りのモニター期間中、モニター対象ニュース番組97本のうちオスプレイを報じたのは43本、だが安保条約そのものに言及したものはなかった。「安保条約」の用語が使われたのも、わずか一度、それも森本防衛大臣インタビューの記者質問で「日米安保に賛成の首長さんも含めてすべての首長さんがオスプレイに反対していて辺野古移設が一層困難になったのではないか?」と問うたに過ぎなかった(9/21 NTVnews every」)。
 ニュース解説に当たっても周到に「安保条約」の用語使用あるいは直接の言及を避けて
いるように思えてならない。一例をあげれば「日米関係、貿易や経済はかなり日本も言いたいことを言うが、どうしても安全保障はアメリカのペースになる。ただこれ単にオスプレイの安全の問題じゃなくて、沖縄に基地が集中していること、普天間という住宅密集地にあるということも問題」(9/17テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーター)。
 テレビ報道に「安保タブー」はないか?
 メディアが「安保条約」をタブー視している限り、問題の本質がつかめないばかりか、人々のオスプレイ配備や基地の存在をめぐる議論の選択肢を狭め、根本的解決の道筋が見えてこないのではないか。

「抑止力神話」を疑わなくてよいか?
 
オスプレイ初飛行の時、森本防衛大臣は「アメリカの抑止力、日本の安全にとって非常に重要な飛行機」「アメリカが抑止力を格段に上げることは日本の安全にとっても非常に重要。そこを理解して」と、繰り返し「米軍の抑止力」を強調した(9/21 NTVnews every」)。聞き手は、沖縄で日米合意が反古にされた歴史を突き付けて鋭く迫ったが、「米軍の抑止力」そのものを問うところまでは踏み込まなかった。
 同じくオスプレイ初飛行をめぐり田中秀征福山大学客員教授が「防衛大臣は安全保障上の抑止力という必要性を強調した。しかし、必要性と安全性の議論をごっちゃにしてはいけない」と発言。コメンテーターの「抑止力」を自明の前提とした見解に、キャスターも、疑問を挟まず当然のことのように素通りした。(9/21テレビ朝日「報道ステーション」)
 しかし、「主権に関する対立では特定の立場は取らない」というパネッタ米国防長官の尖閣問題に関する発言(9月17日外相・防衛相会談後)と現実の推移を重ね合わせれば、オスプレイ配備や米軍の存在が、「抑止力」となるのかは疑わしい。メディアはそこを検証しなくていいのか?
 軍事力が紛争の「抑止力」や解決手段であるよりは、問題を泥沼化する要因になることは、イラクやアフガンの状況を持ち出すまでもなく実証済みのはずだ。
 メディアは、「米軍の抑止力」を疑い、検証する姿勢を失って、当然のことのように神話視してはいないか? あたかも原発報道における「安全神話」のように。

 オスプレイ報道は、普天間配備後、本格運用をめぐって今後も続く。「安保タブー」や「抑止力神話」を疑う視聴者に、メディアは、今後どのような報道で応えるのだろう?
 私たちは今後のテレビ報道を厳しく見守りたい。

2012年11月号より



どっこい生きる 3・11と映画

今井潤(放送を語る会会員)

 東日本大震災と福島原発事故を描いた映画は今年10月までに10本が一般公開された。それらの作品と監督は「無常素描」(大宮浩一)「311」(森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治)「フクシマ2011被爆に晒された人々の記録」(稲塚秀孝)「立ち入り禁止地区双葉、されど故郷」(佐藤武夫)「傍」(伊勢真一)「相馬看花」(松林要樹)「フクシマからの風」(加藤鉄)「石巻市立湊小学校避難所」(藤川佳三)「3・11を生きて、石巻・門脇小・人びと・ことば」(青地憲司)「希望の国」(園子温)この内「希望の国」のみドラマで、近未来の日本で起きる原発事故に抵抗する人々を描いている。

(1)特筆すべき作品

傍・かたわら」は宮城県亘理町に住むミュージシャン夫婦が大震災発生後、石巻にコミュニティFM局を立ち上げ、行方不明者の氏名・住所・年齢をただアナウンサーが読みあげる放送を続け、大きな反響を読んだことを題材にしている。今年3月NHK「こころの時代」で作家の柳田邦男氏はこれこそ災害の真実に迫るものと評価した。
「3・11を生きて」は石巻市門脇小の生徒・先生・父兄が3月11日の24時間の体験を語った記録である。この大災害を生きた人々の言葉が数珠のように繋がっている。 
 一見平凡に見える構成だが、これほど緻密に人々の心情と行動を追跡したものはなく、人間の生きる力を表現する点では他の作品にない特徴を持つ。


(2)テレビとの違いを意識した作品
「無常素描」は福島の僧侶玄侑氏の言動を中心に、被災の有様を2週間撮影したドキュメンタリー。終始、人名や地名の文字スーパーがない、ノーコメントの作品で、明らかにテレビ番組が説明過多であるとの批判的立場から制作されている。しかし、この大震災を短期日の「素描」で表現できるものではないことは明らかで、原発事故にふれていないことも理解できない。
 「311」は大震災発生から2週間後、森達也、綿井健陽ら4人が線量計で放射能を計りながら「東京の20倍だ」と笑いながら、福島原発を目指すシーンから始まる。最小限の人名・地名の文字スーパーはあるが、ノーコメントでテレビを意識した作り方である。
 立ち入り禁止で福島原発をあきらめ、岩手県陸前高田に入るが、大津波の被災を見て、4人から笑いが消えるのが妙にリアリティーがある。宮城県石巻市の大川小学校で遺体を撮影するのを遺族から棒を投げられ、抗議されるが、そのシーンをあえて出す。テレビとの違いを強調する演出だが、被害者のプライバシーを侵害することは誰にも許されないわけで、こういう手法はいかがなものかと思う。
 「フクシマからの風」は福島県飯舘村と川内村でモリアオガエルの卵を見守る85歳の老人、山菜を育てる84歳の老人、自給自足の農業を続けている62歳の男性の生活に密着した作品。この男性は「我々は原発に依存してきたのだから、被害者でなく、加害者だ」と自分を問い直している。この作品も文字スーパーは少なく、意味不明なところがある方言もそのまま出している。テレビでは共通語の文字スーパーを入れるのが通例である。加藤鉄監督は青森県六ケ所村の核燃料施設に一人反対した老人の映画を作った人で、人間の生き様を描く点では卓越した力量を示している


(3)初めてドラマ化された原発事故
「冷たい熱帯魚」に続く「ヒミズ」のオープニングとエンディングシーンに東日本大震災のガレキの延々としたドリーショットを使い日本の現状を象徴して見せた園子温監督は近未来に起きる原発事故で放射能災害と行政による退避命令に人々がどう立ち向かうかというドラマ「希望の国」を発表した。長島県という架空の農村で、自宅から退避せず認知症の妻とともに抵抗する酪農家、その息子の妻は妊娠したので、放射能におびえ、完全防護服で過ごす、近所の若い恋人たちはただひたすら被災地を歩き続ける。認知症の妻が牛やヤギの歩く道を徘徊し、小雪の舞う中を浴衣姿で盆踊りを踊ってあるくシーンは強い印象を観る者に与える。
 まだ福島第1原発事故の衝撃が強く残っている中でのこのドラマはどれだけ真実に迫れるかが課題と思われた。園監督は「ニュースやドキュメンタリーが記録するのは情報です。僕が記録したかったのは被災地の情緒や情感でした。それを描きたかったんです」と語るが、認知症の妻の姿や育てて来た牛を処分するシーンは日本人の情感に強く訴える力を持っている。


             2012年10月号より




        「厳重注意」を受けるべきは誰か

〜NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える〜

戸崎 賢二(放送を語る会会員)

 大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
 ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。
 問題とされたのは、取材班が番組の制作記録として刊行した単行本「ホットスポット」(講談社)の内容である。
 この「厳重注意」については、NHKの公式サイトで見当たらず、当事者も沈黙しているので、詳細はよくわからない。局内で伝えられているところを総合すると、「厳重注意」の理由は、前記の書籍の中で、執筆者が、NHKが禁じていた30キロ圏内の取材を行った事実を公表したこと、原発報道についてNHKの他部局を批判したこと、などだったとされる。
 書籍「ホットスポット」によれば、震災4日後の315日、取材班は放射線衛生学の研究者である木村真三博士とともに福島へ向かい、翌16日から、原発から30キロ圏内で、移動しながら放射線量を測定した。各地でチェルノブイリに匹敵する高い線量を記録する中で、研究者のネットワークで、原発事故による汚染地図をつくるドキュメンタリーの企画の着想が生まれた。
 この企画は、ETV特集新年度第1回の4月3日の放送分として提案されたが、ネットワークに参加する研究者に反原発の立場の研究者がいることなどを理由に、制作局幹部によって却下される。
 このころすでに、政府の屋内退避区域の設定を理由に、NHKは30キロ圏内の取材を禁じていた。3月下旬、再度現地に入ったクルーが、幹部からの命令で現地から撤退する直前、浪江町赤宇木(あこうぎ)で、高線量を知らず取り残されている住民を発見した。住民はのちに取材クルーと木村博士の説得でこの地域を脱出することになる。
 「注意処分」の理由とされたのは、このように30キロ圏内で取材した事実を書籍で公表したことだった。しかし、その記述があることによって、当時の原発事故報道の問題点が鮮明に浮かび上がることとなった。
 赤宇木のある地域の放射線量の高さは、文科省は把握していたが、地名を公表しなかった。枝野官房長官はこの報告を受けた後の記者会見で、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と説明し、テレビ報道はこの会見を垂れ流した。
 取材班は「ホットスポット」の中で、「当時の報道は大本営発表に終始し、取材によって得られた「事実」がなかった」と指摘、30キロ圏内の取材規制も、「納得できるものではない、そこにはまだ人間が暮らしているのだ」と書いている。ジャーナリストとしてまっとうな感覚である。
 赤宇木の状況は43日のETV特集で紹介され大きな反響を呼んだが、3月に測定した汚染の広がりの公表は、5月15日の「汚染地図」第1回の放送まで待たなければならなかった。もし、幹部が遅くとも4月3日に「汚染地図」の放送を許していたら、番組は大きな警告となって、高線量の中で被曝する住民が少しは減らせたかもしれない。
 こうしてみると、「厳重注意」を受けるべきは、本来誰なのかを問い直さざるをえない。それは被災地に入り込んで取材し、住民を救った取材班というよりは、むしろ政府発表を垂れ流した報道や、早期に放射能被害を伝えることを制約した幹部のほうではないか。

 番組を牽引した七沢潔氏は、本書の「あとがき」の中で、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように「原子村」に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部」と、NHK内部に向けて厳しい批判を加え、「取材規制を遵守するあまり違反者に対して容赦ないバッシングをする他部局のディレクターや記者たち」の存在を告発している。
 現役のNHK職員のこの異例の記述には、組織の論理よりも民衆を襲った悲劇の側に立つことを優先し、自局の原発報道を問い直す不退転の決意が読み取れる。
 このあたりの記述が「厳重注意」の理由とされたのだった。しかし、ここに表明された個々の制作者の精神の自由を「厳重注意」によって抑圧するようでは、企業としてのNHKの「自主自律」は実体を持たない空疎なものとなる。 「ホットスポット」は一方で、NHKは決して一枚岩の存在ではなく、良心的な番組でもNHK内においてはさまざまな圧力の中にあり、視聴者の支持がなければ潰されかねないことをも示唆した。今回の「厳重注意」の動きは、視聴者にそのような重大なメッセージを伝えている。

2012年7月号より


311大震災の地で考える「生死

―第46回放送フォーラム「番組制作者と語る」報告―

深堀 雄一(放送を語る会会員)

 Fさん。「放送を語る会」が企画したフォーラムに初めて参加した感想は如何でしたか。ロケ取材の合間を縫って参加して頂いたのは嬉しかったです。最近の忙しい放送制作の現場では、あなたも以前から言っていた様に、一つの番組をめぐって制作者同士が話し合う機会は、めっきり少なくなりました。いわんや、視聴者とともに、番組を視て語るなど…。私達「放送を語る会」の役割の一つは、そうした場を作ることにあると思っています。
 ところでFさん。私達は東日本大震災から1年後の3月に開催した今回のフォーラムの題材を何にするか、随分と議論しました。数多く放送されている震災関連番組のうち、私達が注目したのは、NHK・Eテレで毎週日曜日の朝五時から放送している「こころの時代」『私にとっての3・11いのちのつながりの中で』(11年12月11日放送)でした。一人の出演者が60分、命・心・人生について語る番組が、震災後の復興へ何を提起しているのか。番組にかかわったディレクター、インタビュアー、プロデューサーの3人をゲストに招き、番組ビデオを視た後、話し合う、これが今回の企画でした。番組の主人公は岡部健さん。宮城県名取市で24時間態勢の在宅緩和医療=人生を最後まで自宅で過ごしたいと願う終末期のガン患者に寄り添い、2千人以上を看取ってきた医師です。自身も重度のガンを患い、命と死について考えていた矢先の大震災。突然の津波に仲間の看護師を奪われ、さらに地域での多くの「死」に直面した岡部さんの、略半年にわたる思いと行動の軌跡から製作スタッフが学んだ事は、私達が大震災以後の状況を、死生観や心のレベルからも捉える事ができる、という視点でした。 さてFさん。今回、番組で取り上げられ、会場でも関心を集めた話題がありました。岡部医師のスタッフである看護師の一人が、津波に攫われて亡くなったエピソードです。彼女は訪問看護先で、体の弱った老夫婦を必死の思いで二階へ抱えあげた後、力尽きて流され行方不明に。遺体が見つかったのはかなりの日がたってからでした。津波大震災では、人を助ける立場の人が命を落とした多くの例がありました。ディレクターのOさんの取材話―ある講演会で岡部医師は、この看護師にふれて、「人は自分中心に生きているのではなく、他人の為に命を捨てる本能の様な気持ちがある」、と語り、一方、番組撮影で現地に立った時には「彼女にはとにかく逃げてほしかった」としか言わなかった、と。岡部医師一人の中にある二つの気持ち。そして、人には他人の為に生き、死ぬことがあるという事実。ディレクターのOさんは、この気持ちを自然な形で伝えたいと思った、と語りました。Oさんは取材中撮影スタッフと、この看護師を自分達は美化したり英雄視していないか、絶えず話し合っていたと言いました。会の参加者の感想文に、「若いディレクターの瑞々しい体験の清々しさに好感。大袈裟な題材でなくても深い会を持てたのは良かった」とありました。私は私で、敬愛する詩人の作品の一節を思ったのでした。『あらゆる仕事/すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・』(茨木のり子「汲む―Y・Yに」
 Fさん、参加者の一人、助産婦さんの発言に「人の死が家から病院に移るのと家でお産をしなくなるのとは、略同じ時期、人の生き死にが身辺から無くなって久しい」がありました。岡部医師は、死の看取りは、心臓の停止を確認することとは違う、自分は死をプロセスとして見る、といいます。そして震災津波では、プロセス抜きの数多くの一瞬の死がありました。医療の手が届かない所でのこれらの死を受け止めることが出来るのは宗教ではないか、というのが岡部さんの考えです。現に被災地では、僧侶と牧師と神官がともに被災者を支える組織を立ち上げ、岡部さんもそこに参加しています。生きる側を支える医療と、死へ向かう道標を示す宗教。日常あまり考えていなかった、生と死への向き合い方について、私は改めて考える時間を持ったことでした。
 Fさん、最後に、是非お伝えしたいと思った事があります。一つは、番組のインタビュアーだったYさんの言葉、「聞き手として為すべきことは、何を聞くかを深く考えることと、聞いて考えたことを忘れないこと」二つは、番組「こころの時代」を担当しているディレクターで、今回は仕事で参加できなかったAさんから届いた手紙の結び、「“静かに、深く、そして広く”の言葉を胸に刻んで励みます」Fさん、次回の「放送を語る会」の催しにも是非御参加を。お元気で!
      

*5月9日現在、東日本大震災の死者は1万5858人、行方不明者は3021人となっている。(警察庁発表)

                                            2012年6月号より



「小さな覚悟〜私にとっての3・11」
   
                                  
                                     石井 長世(放送を語る会会員)

 3・11からすでに1年。発生当時、新聞とテレビに溢れていた関連報道は、1年の節目の今、型どおりの心情的な伝え方はしても、原発災害の加害責任を厳しく追及する姿勢は殆ど感じられない。
 大惨事の再来につながる大地震の恐怖と、将来の“緩慢な死”につながりかねない放射能の危険性は、地下のマグマのように何時現実になるかも知れないのに。
 時が経つにつれ人々の意識から過酷な災厄の記憶は薄れがちになり、筆者自身の緊張感も緩み始めている。
 日本社会の戦後の歩みの中で作り出された原発の存在について、どのように考え、どのように行動すべきか。また、原発事故の責任は誰が負うべきなのか、筆者自身さまざまな集会に参加したり、多くの報道に接したりしても、明確な答えは出せずにいる。
 哲学者・高橋哲哉さんは、近著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)の中で、二つの地域に過酷な犠牲を強いるシステムに誰が責任を負うのかを問うた。
 特に原発事故について、国の原子力政策に直接関ってきた政府・電力会社・学者・メディアなど、原子力ムラの責任を厳しく告発するのと併せて、原発の危険性を積極的に理解し、効果的な抗議を組織できなかった市民の側の責任も指摘している。
 ただ、高橋さんの論旨は「一億総懺悔論」ではなく、主たる責任の所在を峻別することと、犠牲を生み出すシステムそのものの根絶という点にあるのは言うまでもない。
 これらの事に関連して最近印象が深かった2本のテレビ番組がある。1本目は1月22日に放送されたNHK・Eテレ「日本人は何を考えてきたのか」の第3回で取り上げた田中正造の足跡についてである。
 122年前、銅山から流出した鉱毒が渡良瀬川下流に甚大な被害を出した足尾鉱毒事件は、古川鉱業と明治政府に身をもって抵抗した田中正造と地域の農民の闘いとして歴史に刻まれているが、鉱毒を理由に村人が強制的に田畑を追われ離村した悲惨な結末は、放射能被害で同じような苦悩を強いられている福島県の住民の現状と重なる。
 もう1本は2月26日に放送されたETV特集『花を奉る 石牟礼道子の世界』である。
 豊饒の海がチッソ水俣工場の垂れ流す廃液で恐ろしい毒の海と化し、魚介を食べた多くの人々の命と身体の自由を奪った。「‥あの貝が毒じゃった。娘を殺しました。おとろしか病気でござすばい‥」。パーキンソン病に苦しみながらも、遺族の言葉を花に奉る思いで一字一字文章に綴っていく石牟礼さん。
 足尾鉱毒、チッソ水俣病、原発事故の放射能汚染の背景には共通点がある。時の権力がこれら企業の後ろ盾として一貫してかばい続けてきたこと。さらに、チッソには当時の化学工業会、原発には原子力ムラと、企業の無謬性と安全神話をばら撒いた学者の姿がある。
 3・11から1年目の時期に、企業の犯罪的実態と、それに抗って人間としての行き方を貫いた人々の精神の深みを、改めて世に問うた制作者たちの視座に敬服する。
 余談になるが、筆者には熊本県の宇土で過ごした少年時代の経験を巡る苦い思い出がある。ここの化学工場も、チッソとほぼ同じ工程で廃液を流していたが、私たち腕白坊主仲間は夏になると工場からの冷却水を流す別の排水路でよく泳いだ。化学物質のすっぱい臭いはしたが水が温かいと喜んでいた姿は、まるで原発の温排水に集まる魚だ。
 後になって、この工場の廃液が原因で“水俣病”と似た被害者が出て問題になった事を人伝に聞いたが、かつて父親も勤務した企業が起こした公害問題に、かくも無関心だったことに今でも胸が痛む。
 半世紀以上たっても満足な患者救済さえできない水俣病、今後何時まで続くか見通しのつかない放射能被害。
 これらの問題にどう立ち向かうべきなのか。
 番組の中での石牟礼道子さんの言葉、「自分の目で点検し、できることがあれば黙って実行しなければならな
い」。
 この言葉の重みを大切にしながら、できる努力はしてみる、それが筆者の小さな覚悟である

2012年4月号より


戦時下の放送と「東京ローズ」の運命

                              増田 康雄(放送を語る会会員)

今月、3月22日は放送記念日である。87年前の1925年のこの日に、わが国でラジオ放送が開始された。今年もNHKは放送の歴史を振り返る盛大な式典を行うはずである。
 この長い放送史は、実は一様なものではない、開始から二〇年は政府の統制下にあって、戦争遂行に協力した歴史である。そのことをあらためて実感させられたテレビ番組を視る機会があった。
 1月3日放送のBS朝日のドキュメンタリー「戦場の花、東京ローズ〜謎の謀略放送女性アナウンサーの正体」である(これは再放送で、本放送は11115日) この番組では、太平洋戦争のさなか、陸軍参謀部が企画した謀略放送「ゼロ・アワー」とこの番組で活躍した6人の女性英語アナウンサーを取り上げていた。「ゼロ・アワー」は南太平洋前線の米軍兵士向けに放送した番組である。
 この女性アナウンサーを、米軍兵士たちは「東京ローズ」というニックネームで呼んだことはよく知られている。番組の主役は、戦後「東京ローズ」だと名乗り出たアイバ・戸栗郁子で、彼女の数奇な人生を伝える構成だった。番組を視聴して、いくつかの事実に興味を惹かれた。その第一はアイバ・戸栗が終戦後のアメリカの裁判で「反逆罪」の刑を受けた事実であった。アイバ・戸栗は1916年年74日ロサンゼルス生まれの日系二世で、国籍はアメリカである。1938年UCLAを卒業し, 1941年7月、25歳のときに親類を見舞いに来日したが、12月8日に真珠湾攻撃が始まり帰国ができなくなった。その後、同盟通信で海外放送のモニターをしたが、1943年8月、NHK海外局米州部業務班のタイピストのパートで働いた。11月に捕虜で番組を指導していたオーストラリアのカズンズ少佐の推薦で女性英語アナウンサーとして「ゼロ・アワー」に登場する。これが彼女の運命を変えてしまった。終戦後、彼女は米国の裁判所で証拠不十分のまま「反逆罪」に問われる。起訴したのはトルーマン政権のクラーク司法長官である。当時トルーマン大統領は再選期にあり、「東京ローズ」を非難する世論の支持を得るために、アイバ・戸栗の裁判を政治的に利用したと番組は強調している。アイバ・戸栗は「ゼロ・アワー」で反逆罪にあたる内容を放送してはいないと裁判で証言したが、アメリカで2人目の「反逆罪」で起訴され実刑を受けている。
 私はこの事実に強い印象をもった。彼女は当時国籍を変えるよう日本側から強要されたが拒否し、アメリカ国籍を貫いたためにアメリカの裁判では反逆罪を問われたと思われる。プロパガンダ放送に協力した連合軍捕虜は他に誰も起訴されていない。1949年106日、裁判所は彼女に懲役10年、罰金一万ドルを課し、彼女はアメリカ国籍を奪われた。1955年、模範囚として懲役62か月で釈放される。1977年1月、アイバ・戸栗60歳のとき、当時のフォード大統領から特赦され、国籍を回復する。2006年1月、アイバ・戸栗89歳のときアメリカ退役軍人会が「愛国的市民」として表彰、その8か月後90歳で死去した。
 「東京ローズ」については、ドウス昌代や上坂冬子の著書があり、それらの資料でみると、謀略放送「ゼロ・アワー」は1943年3月から45年8月まで続いている。この番組は、アメリカ人捕慮の手紙を紹介したり、魅了する声や口調で「今頃あなたの奥さんや恋人たちは他の男とよろしくやっている」などといったトークと、アメリカの音楽を内容としたデイスクジョッキーだった。マッカーサー司令官も、その回想記によれば1943年、コレヒドールで聴いていたという。
 番組内容で興味を惹かれた第二は、「東京ローズ」6人のうち誰が兵士たちに人気があったのかということである。当時ラジオ東京の局員だった水庭進(86歳)の証言や残された録音の分析から、それはアイバ・戸栗ではなくカナダ育ちのジュ―ン須山芳枝だとわかった。彼女は戦後の1949年、米兵の運転する自動車事故で29歳で亡くなっている。
 「東京ローズ」と呼ばれた女性たちの悲劇を知るにつけ、放送が再び戦争に利用されてはならない、と強く思う。アイバ・戸栗も太平洋戦争の犠牲者の一人であった。
                             2012年3月号より



NHKは“中立”を求められているのか?

                              小滝 一志(放送を語る会会員)

 視聴者「NHKは公共放送だから公平、中立でなければならない。反対意見も、第3の意見も常に中立、平等に提供してもらいたい」
 NHK経営委員1「公平、公正、中立というのは最も公共放送に大事なことで、常にきちっと配慮して放送を行うよう執行部には常に言っている」
 NHK経営委員2「公平、公正、中立な番組をNHKは提供し、その情報をもとに国民一人一人に判断していただく」
 NHK理事「公共放送として公平、公正、中立、正確は、絶対守っていかなければいけないこと」
 これは、2011118日のNHK経営委員会に提出された「視聴者のみなさまと語る会(鹿児島)」の報告書の一節で会場での質疑が記録されている。視聴者の発言はこの際置くとして、経営委員・理事がNHKの放送理念として「中立」に言及していることに私は強い違和感を抱き、「放送に“中立”は求められているのか」NHKに質問した。「“中立”の意味でございますが、放送法に掲げられている『放送の不偏不党』『政治的に公平であること』の趣旨を述べたもので、特段、それらの考え方を越える意味を込めたものではございません」との短い回答が年末にNHKから届いた。

放送法は「中立」を求めているか
 
広辞苑には、「中立」は「いずれにもかたよらずに中正の立場をとること。いずれにも味方せず、いずれにも敵対しないこと」とある。NHKが「中立」を表明することは、例えば福島原発事故報道で、事故を起こした東電にも敵対せず、被災住民にも味方しないということにならないだろうか? 視聴者がNHKに求めているのは、被害者である被災住民の立場に立ち、事故の原因や責任はどこにあるのか事実を求めて真相究明に当たることであり、「中立」の立場で東電・被災住民双方の意見をバランスよく伝えることではないはずだ。
 社会科学辞典(新日本出版社)では、「国際法上の中立は戦時の中立と永世中立に区別される」「戦争と平和の、あるいは帝国主義と社会主義の中間にたつという『等距離中立』」などの解説があり、「中立」が政治的立場をあらわす用語であることが判る。「中立」はメディアの制作・編集姿勢を示す用語として果たして適切だろうか。
 放送法ではどうか。第一条に「放送の不偏不党、真実及び自律を保障」、第三条の番組編
集準則には「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立する問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とあるが、どこにも「中立」の用語はない。NHKが自ら決めている「国内番組基準」「新放送ガイドライン」でも「中立」の用語は見当たらない。
「中立」には、対立する双方に距離を置く、それも等距離を置くというニュアンスが含まれている。福島原発事故報道に際して「多くの角度から論点を明らかにし」、「事実をまげない」で真相に迫ろうとすれば、「政治的公平」であろうとするかぎり、メディアが東電と被災住民の間で「中立」ではありえないことは明らかだ。
 NHKの回答では「“中立”は『放送の不偏不党』『政治的に公平であること』の趣旨を述べたもの」とあるが、「中立」は「不偏不党」「政治的公平」と同義語ではなく、メディアの報道姿勢を表す用語としては不適切で不用意に使用すべきではないように思われる。

強調すべきは「中立」ではなく「自立・自律」
 昨年9月の6万人を越える人々が集まった脱原発集会、あるいは10月に経産省を取り囲んだ「原発いらない福島の女たち」のデモなどを積極的に伝えないメディアに対し、「示威行動を取り上げることは“偏向”であるという浅薄な『公平中立主義』」(神保太郎 雑誌「世界」1月号)という批判もある。少数意見や反対意見を黙殺する口実に「中立」が使われることを私は危惧する。NHKが「放送の自主・自律」を改めて強調した「新放送ガイドライン」作成のきっかけは、政治介入を招いたETV慰安婦番組改変事件だったことは記憶に新しい。今、NHKが報道姿勢として大切にすべき理念は「中立」ではない。むしろ、権力におもねらず少数意見や弱い立場の声に耳を傾ける「自立・自律」ではないか。

2012年2月号より


リビア革命を伝えたジャーナリストたち

                               尾崎 孝史(写真家 放送を語る会会員)



前線での取材中、カダフィ派の砲撃を受け重傷を負ったフランスのTVカメラマン。リビア内戦では多くのジャーナリストが命を落とした。(筆者撮影)

 「アラブの春」で幕を明けた昨年、激動の中東諸国に向かった。中でもカダフィによる長期独裁が続くリビアでの市民蜂起は画期的で、現地に長く滞在することになった。海外からの取材者は、反政府派の拠点となった東部の都市・ベンガジを目指した。現地のボランティアが立ち上げたメディアセンターでは、プレスカードの発行やインターネット回線の提供を行っていた。そこで私は多くのメディア関係者と出会った。 後に帰らぬ人となったテレビ朝日の野村能久記者は、メディアセンターの廊下で私にこう話してくれた。「前線の状況も知りたいが、社の方針で危険な地帯での取材は控えることになっています」。野村氏の説明は、大手メディアに所属する日本人記者に共通するものだった。皆、安全管理を最優先する本社の指示に縛られていた。
 海外のメディアでは積極的な報道が目立った。アルジャジーラTVは、カダフィ派勢力に銃撃されカメラマンが死亡するという痛ましい事件があったものの、悲劇を乗り越え取材を続けた。シルトでの激戦や和平交渉人への独占インタビューを伝えるアルジャジーラの映像を、リビア市民は食い入るように見つめた。 
 英国BBC放送は、砲弾飛び交う最前線に取り残された取材班の顛末を、そのままルポとして配信した。また、カダフィ軍に拘束され監禁されていたBBCの記者は、解放後、自社のカメラに向かって一部始終を証言した。いずれも、反政府派市民に容赦ない攻撃と圧力を加え続けるカダフィ軍の実態を伝えることに成功していた。「前線に近づけばカダフィ派に拉致されるかもしれない。そんなリスクは犯せない」と語っていたNHKの取材班とは対照的だった。
 一方、フリーランサーの活躍は目覚ましかった。フォトジャーナリストの高橋邦典氏は革命勃発直後に現地に入り、砂漠の前線を欧米のジャーナリストとともに走り回っていた。日本の雑誌の多くは、高橋氏の写真でもってリビア情勢を伝えることとなった。また、パリ在住の写真家・岡原功祐氏のルポルタージュは、各国に配信され紙面を飾った。
 私が行動をともにしたフリーランサーの中に、リード・リンゼイとジハン・ハーフィズというアメリカ人の夫婦がいた。二人はカイロを拠点とする駆け出しのビデオジャーナリストだ。活動資金が潤沢でない二人は、ベンガジと前線を行き来する市民の車に同乗しながら彼らの声に耳を傾けた。3月10日には、ボランティアグループの若者とともに、最前線の都市・ラスラヌーフへ向かった。その日、カダフィ軍は戦況を好転させるため、陸海空軍を総動員。容赦ない爆撃は私たちにも襲いかかった。身を伏せながら撮影を続けた二人はラスラヌーフ陥落の瞬間を記録した。
 彼らの3 週間に渡る取材は、ドキュメンタリー番組Benghazi Rising≠ニして世界に発信された。日本では邦題『ベンガジの蜂起』として7月、NHK BS‐1で放送された。番組は、フリーランサーの活動を表彰するローリー・ペック賞にも最終ノミネートされている。
 8月、現地で再会した私たちは、革命の先頭に立ってきた若者たちとともに首都トリポリの解放を祝った。いま、ジハンはニュースリポーターとして活躍中。リードはアラビア語を学びながら次作の企画を進めている。「またカイロで会おうよ」。リードから届いたメールは、中東に根を張って「アラブの春」の行く末を見届けようとする意気込みであふれていた。

                                                2012年1月号より


 二重苦の南相馬市は“いま” 〜被災地駆けあし印象記
                                 石井 長世(放送を語る会会員)
 
9月19日の東京・明治公園「さよなら原発5万人集会」は、“想定外”の人々の熱気で埋め尽くされた。
 このような脱原発の運動の盛り上がりの一方で、原発災害を巡るメディアの報道は、日を追うごとに扱いが小さく、持続した検証の姿勢を失っている気がする。
 原発災害は過去のことで、電力需要に応える原発は必要だと主張する論調も、一部でまかり通る。
 そうした中、9月9日の鉢呂元経産相「死のまち」発言が明るみに出て、一斉にバッシングが起きた。担当大臣として舌足らずの無神経な発言ではあったが、「死のまち」は架空のことなのか、またこうした現象を引き起こした元凶は誰なのか、問われずじまいだった。さらに、翌月12日には福島県知事が県産米の安全宣言をしたが、福島の農業は本当に大丈夫なのか、突っ込んだ報道は見当たらなかった。 こうした疑問と被災地の“いま”を自分の目で確かめたいと思い、筆者は10月半ば南相馬市を訪ねた。
 以下の報告は、駆け足で現地を見て歩いた印象記に過ぎないことをお許し頂きたい。

 福島市から南相馬市役所まではバスで2時間20分。
 途中の田は稲刈りが終わり各所に稲叢が積まれているが、南相馬に入った途端田んぼは草だらけの状態だ。
 米の安全宣言では、南相馬市など11市町村が対象から除外されていたが、こうした事実さえきちんと伝えないメディアが多かった。実際はこれらの地域は原発事故による警戒区域などに指定され、稲の作付けは“制限”つまり禁止されているのだ。
 市街地周辺の田んぼは荒涼として静まり返っている。
 市内には凡そ6800haの農地があり、そのうちの7割が稲作、残りが換金作物を作っているが、風評被害で全く出荷出ず、折角の作物も放置されたままだ。
 多くの農家が域外に避難したり、兼業の仕事も失ったりして収入の道を絶たれ、経済的にも精神的にも追い詰められている。来年の稲作の見通しも不透明だ。
 取材中に通りかかった農家の女性は「農業を続ける自信がありません。今は賠償額のことだけで頭が一杯です」と話してくれた。
 大津波の爪跡を見るため、市の中心部から東6キロ余りの海岸に向かう。第1原発の煙突が遠望できる下渋佐などの地区の惨状は、テレビで全国に伝わった。
 破壊された防波堤の内側の凡そ140戸の住宅は跡形もなく、見渡す限りの荒地に変わっており、瓦礫の後片付けが終わった所では住民たちの生活の痕跡を見つけることさえ難しい。子どもの頃住んでいた集落の様子を見に来た福島市の女性は、変わり果てた故郷の姿に言葉もなく立ちすくんでいた。  南相馬市が10月にまとめた被害の概要では、死者・行方不明者663人、住宅の全半壊5657戸、市外への避難者は凡そ2万5000人に上る。
 中でも原発から20キロ圏内にある小高地区は、1万2800人の全住民が避難し、文字通り人っ子一人いない“死のまち”になっているという。9月末に緊急時避難準備区域の指定が解除された原町区も、4割の住民が避難したまま。目抜き通りの人影もまばらだ。
 さらに気になるのは放射能の危険性だ。
7月下旬から9月初めにかけて市が実施した放射線量のメッシュ調査では、警戒区域の小高区以外の地区でも、低いところで毎時0.3、高いところでは4μCvの線量が記録されている。人口の多い市の中心部でも平均0.6前後の高い値を示しており、今後子どもや若者など住民の健康への影響が懸念される。
 市全体が今でも大震災被害と放射能という二重苦にあえいでいるのだ。災害は未だ終わってはいない。
 この窮状を打開しようと、市では建築家の中村勉氏や作家の玄侑宗久氏らの協力を得て南相馬市復興有識者会議を立ち上げた。犠牲者の鎮魂や自然景観の回復などを通して、南相馬市の再生を目指すという。
 こうした復興への足取りが一日も早く具体化することを切に願いながら、現地を後にした。

                                          2011年12月号より


  フクシマ報道  ローカルやラジオにも光る番組
                                     今井潤(放送を語る会代表)

(1)心に伝わる番組を作りたい  ローカル番組制作者の言葉

 NHKは木曜日の午後3時過ぎに「ろーかる直送便」、土曜日の午前11時過ぎに「目撃・日本列島」というローカルで一度放送した番組を全国に再放送している。
 8月24日にたまたま見た「いつか帰れる日のために」は福島局が制作したものだが、番組の最後に出るスタッフ名に知った名前があったので、すぐ番組の評価を手紙に書いて出した。すぐにメールで若いディレクターと原発事故の町の実態を取材し、番組を作っていると返事があった。
 その番組は山菜を育てている80歳を超える老夫婦とブロッコリーを栽培する農家の話であった。汚染されたとはいえ、諦めきれない老夫婦は最後の最後まで山菜の成長ぶりを気にかけるのだが、ひょうひょうとした夫とそれにあきらめ顔で付き添う老婆の表情が何とも魅力的であった。ブロッコリー栽培はハウスなので汚染を防げると思ったが、隙間から侵入し、汚染されてしまい、結局全部抜き取り、廃棄しなければならない悲しみを味わう。
 農をする人の忍耐強さと同時に生き物を扱う優しさを感じる番組であった。
 9月8日の同番組「鎮魂・侍たちの夏〜福島・相馬野馬追〜」は1000年の歴史を持つ野馬追の継承にかける男たちの話である。人だけでなく100頭の馬も死んだこの地方では、馬も家族の一員で、野馬追は晴れ舞台なのだ。原発事故で妻を失い、馬も流しながら、伝統の祭りを守ろうとした男たちの心情が伝わる番組だった。
 10月1日放送の「目撃・日本列島」「子供たちを守りたい〜放射線と闘う福島〜」は教師と住民が協力して除染作業をする姿をとらえていた。住民は調査をし、汚染地図を作り、学校に持ち込み、実践的な対応を考えていく。しかし、それでも夏休みに100人が転校し、とどまっていて後で後悔しないかと涙ぐむ母親の姿が心に残った。
 放送の度に、良かった点と映像編集の改善点やナレーター選択のことなどをメールした。
 10月1日の放送については「もっと心に伝わる番組を作ろうと、毎回はげまされています。ご意見は担当ディレクターに渡していて、今回のナレーターを安田成美さんにしたのは母親の感じを出すためでした」と返事があった。
 彼は今40代初めの福島局CP(チーフ・プロデューサー、番組の責任者でディレクターの指導に当たる役職)として、原発に限らず、農業、水産業などの実態をドキュメントする番組を制作している。若いディレクターの先頭に立ち、勇気を持って、被災地の声をテレビ画面に描き出してほしいと思う。


(2) 健闘するラジオの原発報道

 9月5日NHKラジオは夕方5時からのニュース番組で「原発事故6か月、収束の課題・何を要求するか」のシリーズを放送した。初日は舘野淳氏(元中央大教授)と鈴木正昭氏(東大教授)の話で進められたが、舘野氏は「私は原子力村から排除された人間だが、産官学の癒着体制を解体して、地震多発地帯にある原発はやめるしかない」と発言、鈴木氏は「軽水炉ももっと安全なものにする研究をすべきだ」と反論し、議論になった。
 このように視聴者に問題の対立点を明らかにし、考えるヒントを与えることがメディアにとって大事だと思う。
 9月6日の2回目は「放射線の除染」を取り上げたが、除染のボランティアをする地元の住民は除染の仕事が重労働なので、やめていくボランティアが多いと悩みを話した。こういう実態こそ日々のニュースに必要だと思う。

 NHKラジオは3月28日の正午のニュースで立命館大教授の安斎育郎氏に原発事故で何をすべきかを聞き、「あらゆる英知と人材を結集して対処すべきだ」と発言させた。彼は東大の教官時代に日本の核政策を批判したことで知られる学者である。
 3月29日には朝のニュースの中で評論家の内橋克人氏は「原発の安全神話はどうして作られたか」を語り、29年前島根原発の公開ヒアリングに触れ、学者・メディア・教育・パブリシティを動員して、安全神話が作られたと指摘した。
 ラジオはより生活に密着したものだけに、多くの情報と共に、知る権利にこたえる内容の放送が求められると思う。

                                              2011年11月号より


 
3K職場のテレビスタジオ 〜ドラマ番組の制作現場〜
                      野中良輔(放送を語る会会員)

 NHKの連続テレビ小説「おひさま」は、9月で放送を終え、大阪制作の「カーネーション」が10月から始まる。

「テレビ小説」はNHKの看板番組「大河ドラマ」に先だつこと2年、1961年4月、獅子文六原作の「娘と私」から始まり、放送開始以来今年で50年、放送を終えた「おひさま」で84作を数える。

 2,3の例外を除き女性を主人公としたストーリーで、ギャラクシー賞(放送批評懇談会)エランドール賞(日本映画テレビプロデューサー協会)などの受賞作も多い。放送時間が朝の8時台にもかかわらず常に高視聴率を保っていて、第31作の「おしん」(83年放送)は平均視聴率が52%台と、驚異的な数字を残している。
 最近の視聴率はやや低迷しているとはいえ、50年の長きにわたり、優れたドラマを生み出している番組関係者の努力は賞賛される。

 だが、こうした表舞台とは対照的に、制作現場の厳しい実態はあまり知られていない。
 私は、18年前に照明スタッフとして「テレビ小説」の制作に携わったことがあった。ドラマ番組の収録は、他の番組に比べて圧倒的に労働量が多い。通常、ドラマ番組の技術関係スタッフ(撮影、照明、音声など30人程度)は、2チームに編成されていて、スタジオでの収録は隔週ごとに3日間連続で担当する。
 収録日は8時〜10時に始まり、終了はほとんど24時を越え、ときには午前3時になったこともある。深夜24時を過ぎる場合はタクシーでの帰宅になるが、大半のスタッフは帰宅せずに局舎に宿泊していた。家に帰ると十分な睡眠が取れないことが理由だ。
 スタジオ内の作業環境もかなり悪い。スタジオ全面に建て込まれたセットには、根元に土が着いた樹木も多く、フロワーに土砂が撒かれる場合もあり、セットの転換時にはかなりの土埃が舞い上がる。照明スタッフは脚立に乗っての作業も多く、転倒、落下の危険が常にあり、ドラマ制作のスタジオ現場は典型的な3K職場だ。 もちろん労働組合も問題にして、度々改善を申し入れてはいたが進展はほとんど無く、実質的に過密労働を規制するものは、月間の時間外労働、深夜勤務の時間数などで、いつも規制値の許容範囲ギリギリの勤務実態だった。

 あれから20年近く経た今、現状はどうであろうか?
 今期放送されたテレビ小説「おひさま」を担当していた技術スタッフの話によると、週4日連続の収録が基本で、1日の労働時間は少ない日で10〜12時間程度、多い日は15〜17時間前後とのことだった。
 話を聞いた限りではドラマ制作現場の状況は以前と比較して改善どころか、むしろ悪くなっているように思える。18年前には無かった4日収録が恒常的に行われているようだ。週3日間でも最終日の終盤には疲労困憊状態になり、注意力も著しく低下した。4日間では、安全面や健康への影響が非常に懸念される。

 2012年度から受信料10%還元を義務づけられたNHKでは、効率化の名の下で制作費の削減が至上命題になっている。多額なコストを要するドラマ番組は、なおさらだ。制作費用の削減は、番組制作の外注化と共に、収録期間の圧縮をもたらしている。
 NHKで放送されているドラマの半数以上は、関連会社や外部プロダクションによって制作されている。
 NHK本体の労働者は不十分とはいえ、それなりの労働条件で働くことが出来るがコスト節減目的の外注化のもとでは、条件がより厳しいことは容易に想像出来る。
 それを裏づけるように、「BS時代劇」の沖縄ロケでは、夜明けの5時に宿舎を出発し帰着したのが翌日の朝4時という、にわかには信じがたい話を最近聞いた。
 番組の質を維持し、制作、労働条件を根本的に改善するには厳しい仕事を安易に外部に押し付けるのではなく、十分な制作費の保障、ゆとりのある制作期間の確保、スタッフの増員などが不可欠だ。

                                              2011年10月号より