分国法、結城氏新法度を制定した
結城政勝ゆうき まさかつ
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誕生 1503年(文亀3年)
生誕地  
結城政朝
 
幼名 六郎
元服名 結城政勝
結城政勝
官名 左衛門督
近親など 兄:結城政直
弟:小山高朝など
子:結城明朝など
養子:結城晴朝(小山高朝の子)
ゆかりの地  下総国 結城城
略歴 ●結城家
1503年 (1歳)
下総国結城城主、結城政朝の子として生まれる。

その後、兄、結城政直が家督を相続。

●家督
1532年頃 (30歳)
兄、結城政直が死没。これにより家督を相続。

その後も佐竹家、小田家、宇都宮家らと抗争。

1535年 (33歳)
弟の六郎(小山高朝・結城晴朝)を小山家の養子として送り込み、小山家を相続させ、同盟を強化。

1539年 (37歳)
古河公方足利晴氏に従い、武蔵国大串城を攻める。

那須家の内紛に介入。

1546年 (44歳)
河越夜戦で勝利し武蔵国を支配下に置いた北条氏康と誼を通じる。

1547年 (45歳)
父、結城政朝が死没。

長年の宿敵、宇都宮尚綱に小山城を攻められるが、これを撃退。

●出家
1548年 (46歳)
嫡子、結城明朝が病死。
これにより出家。

●拡大
1556年 (54歳)
北条氏康の支援を受け、海老島の戦で小田氏治に勝利し、海老島城や小田城を奪う。
これにより下総国常陸国の一部も支配下に。

●結城氏新法度
分国法である結城氏新法度を制定。

1559年 (57歳)
死没。
死没 1559年9月2日(永禄2年8月1日) (享年57歳)
レクイエム 嫡男が病死したため、実弟、小山高朝の子、晴朝を養子嗣としていた。

茨城県の大雲寺に、自らを描いた自画像が残る。

結城氏新法度は104箇条(追加2条)から成る、刑事、民事、年貢、商取引、食事制限などについて細かく定めた本格的な分国法。