関ケ原の直前上杉・佐竹の抑えを果たした
結城秀康ゆうき ひでやす
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誕生 1574年3月1日(天正2年2月28日)
生誕地 遠江国
徳川家康
長勝院(お万の方・徳川家康側室)
幼名 於義丸
元服名 羽柴秀康(「秀」は豊臣秀吉から、「康」は父徳川家康から)
羽柴秀康、結城秀康、松平秀康など
通称 越前宰相
官名 従五位下、侍従、三河守、従四位下、左近衛権少将、参議、従三位下、権中納言、正三位、贈正二位など
近親など 正室:鶴子(結城晴朝の養女)
子:松平忠直、忠昌、直政、直基など
弟:永見貞愛(双子の弟)
ゆかりの地  下総国 結城城
 越前国 福井城
略歴 ●家康の次男
1574年 (1歳)
徳川家康の次男として生まれる。

1579年 (6歳)
長兄の松平信康が、織田信長の命により切腹。(信康事件

●秀吉の養子
1584年 (11歳)
小牧・長久手の戦のあと、羽柴(豊臣)秀吉と父徳川家康が和解し、人質として羽柴(豊臣)秀吉の養子になる。

1587年 (14歳)
九州攻めで初陣。

●結城家の養子
1590年 (17歳)
豊臣秀吉に子(鶴丸=捨丸)が生まれたことから、下総国結城城主、結城晴朝の養子となり、晴朝の娘と結婚し、結城氏11万1千石を相続。

豊臣秀吉小田原城攻めに参陣。

1600年 (27歳)
関ヶ原の戦の前、上杉征伐のため父徳川家康に従っていたが、石田三成の挙兵を受け、宇都宮から大坂へ向けて引き返すことが決定。

その際家康から上杉景勝佐竹義宣の抑えとして宇都宮に留められ、背後を固める。

●越前国
戦後は越前国67万石に転封となり、北ノ庄城(福井城)を築城し居城とする。
旧北ノ庄城は廃城に。

1603年 (30歳)
徳川信康征夷大将軍となる。

1604年 (31歳)
松平姓を名乗る。

1607年 (34歳)
病没。
死没 1607年6月2日(慶長12年閏4月8日) (享年34歳)
レクイエム 秀康を身ごもった側室のお万の方は、徳川家康正室の築山御前から嫉妬による激しい折檻を受けたが、本多作左衛門に助けられ無事出産できた、と言われている。

そのようなこともあり、秀康は次男でありながら家康から遠ざけられて育った。

しかしれっきとした家康の次男であり、長男の松平信康が切腹したのち、第二代将軍となっても不思議ではなかったが、気性の激しさから徳川家康に疎まれていたため、三男の徳川秀忠が選ばれたといわれている。

越前松平家の礎となった人物で、武勇にも優れていた。