上杉派として家中に君臨した畠山七人衆のひとり
遊佐続光ゆさ つぐみつ
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画像  
誕生 ????年(????年)
生誕地  
遊佐総光(遊佐秀頼説あり)
 
幼名  
遊佐続光
官名 美作守
近親など 正室:平信光の娘
子:遊佐盛光など
ゆかりの地  能登国 府中館
略歴 ●能登畠山家の重臣
????年 (1歳)
能登国守護畠山家の守護代で、珠洲郡若山荘の領主、遊佐総光の子として生まれる。

その後、家督を相続するが、遊佐家は守護の畠山義総から疎んじられていた。

1545年 (??歳)
畠山義総が死没し畠山義続が家督を相続。

●能登天文の内乱
1550年 (??歳)
これを受けて家中の実力者、温井総貞との覇権を争うが和睦。
(能登天文の内乱)

これを受け、畠山家の重臣七家(遊佐続光、遊佐宗円、長続連、温井総貞、三宅総広、平総知、伊丹総堅)は畠山七人衆と呼ばれるように。

1551年 (??歳)
主君、畠山義続が隠居し、畠山義綱が家督を相続。

●大槻一宮合戦
1553年 (??歳)
再び温井総貞と覇権を争い反乱を起こすが大敗、越中国へ逃亡。
(大槻一宮合戦)

これにより、畠山家の実権は温井総貞が掌握。

●帰参
1555年 (??歳)
主君、畠山義綱、親政を目論んで温井総貞を暗殺。

温井氏と親しい三宅総広が、一向一揆と組んで反乱を起こす。(弘治の内乱)

この頃、畠山家に帰参。

1560年 (??歳)
主君、畠山義綱、弘治の内乱を平定。

●永禄九年の政変
1566年 (??歳)
長続連、八代俊盛らとともに反乱を起こし、主君、畠山義綱とその父、畠山義続を能登国から追放。
その後、義綱の子、畠山義慶を擁立し、実権を掌握。(永禄九年の政変)

1574年 (??歳)
主君、畠山義慶が急死。(続光の暗殺説あり)
その弟、畠山春王丸が家督を相続し、畠山義春と名乗る。

●七尾城の戦
1576年 (??歳)
上杉謙信が能登へ進出してくると、七尾城に籠り守り抜く。
(七尾城の戦(第一次))

1577年 (??歳)
再び上杉謙信七尾城を包囲されると、主君、畠山義春は織田信長に援軍を求めるため長連龍を安土城へ派遣。

主君、畠山義春、疫病により城中で死没。

これらを受けて、温井景隆らとともに上杉家への内応を決意、城門を開き上杉勢を招き入れ長一族を全滅させる。
(七尾城の戦(第二次)

これにより、能登国の実権を完全に掌握。

1578年 (??歳)
上杉謙信が急死。

1581年 (??歳)
織田信長が進出してくると降伏するが、長一族を誅したことから許されず、子の遊佐盛光とともに処刑される。
死没 1581年7月27日(天正9年6月27日) (享年74歳)
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