自城で暗殺された河内半国の守護代
遊佐長教ゆさ ながのり
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誕生 1491年(延徳3年)
生誕地  
遊佐順盛
 
幼名  
官名 河内守
近親など 正妻:十河一存の娘
子:遊佐信教、娘(三好長慶の側室)
ゆかりの地  河内国 若江城
略歴 ●守護代家
1491年 (1歳)
河内国の守護代、遊佐順盛の子として生まれる。

●畿内の政変
1493年 (3歳)
明応の政変により、父の主君で管領の畠山政長が自害。
これにより政長の子、畠山尚順や父、遊佐順盛とともに紀伊国へ逃れる。

1497年 (7歳)
父、遊佐順盛とともに若江城に復帰。

1499年 (9歳)
父、遊佐順盛とともに細川政元に河内国から追われる。

1504年 (14歳)
再び父、遊佐順盛とともに若江城に復帰。

1506年 (16歳)
父、遊佐順盛とともに細川政元に河内国から追われる。

1507年 (17歳)
永正の錯乱により細川政元が暗殺されたため若江城に復帰。

●父の死
1511年 (21歳)
船岡山の戦で、父、遊佐順盛が戦死。家督を相続。
引き続き守護家である、畠山稙長に仕える。

●主家との対立
その後、主君、畠山稙長が近臣を重用し、長教を疎んじるようになったことから対立。

1534年 (44歳)
主君、畠山稙長を追放、その弟、畠山長経を守護に擁立。

1535年 (45歳)
主君、畠山長経とも対立し、これを追放し、その弟の畠山晴熙を守護に擁立。

●河内の実権
1538年 (48歳)
管領、細川晴元や木沢長政と謀り、畠山弥九郎と畠山在氏をそれぞれ河内半国守護に擁立し、河内国の実権を木沢長政とともに掌握。

1541年 (51歳)
木沢長政が細川晴元に反乱を起こしたことから対立。

畠山稙長と和解の上、畠山弥九郎と畠山在氏を追放し、稙長を再び河内国守護に迎える。

1542年 (52歳)
細川晴元の家臣、三好長慶らと組み、太平寺において木沢長政を討ち取る。(太平寺の戦)

●管領との対立
1543年 (53歳)
この頃から管領、細川晴元の弱体化を画策。

1545年 (55歳)
主君、畠山稙長が死没、弟の畠山政国を河内国守護に擁立。

1546年 (56歳)
主君、畠山政国や細川氏綱らとともに細川晴元に対し挙兵、晴元の拠点摂津国にて優勢となり、晴元を丹波国へ逃走させる。

1547年 (57歳)
三好長慶のら逆襲を受けて敗北。(舎利寺の戦)

高屋城に籠もって抵抗。

●三好長慶
1548年 (58歳)
細川氏綱の擁立した12代将軍足利義晴足利義輝父子が、単独で細川晴元と和睦してしまい名分を失ったため、晴元や三好長慶と和睦、娘を長慶の側室に送り込む。

三好長慶が同族の三好政長と対立すると、長慶の要請を受けて同盟。

1549年 (59歳)
江口の戦で大勝し、三好政長を討ち取る。これにより細川晴元は将軍足利義晴とともに近江国坂本へ逃亡し、細川政権は瓦解。
替わって三好長慶が畿内を支配。

1551年 (61歳)
若江城内で、僧の珠阿弥により暗殺される。
(首謀者は、三好長慶と対立していた13代将軍、足利義輝説が有力)
死没 1551年6月8日(天文20年5月5日)(享年61歳)
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