毛利家とともに陶隆房に敵対した津和野領主
吉見正頼よしみ まさより
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1513年(永正10年)
生誕地 石見国津和野
吉見頼興
 
幼名 四郎
周鷹(しゅうおう)、吉見正頼
官名 式部少輔、三河守、大蔵大輔
近親など 兄:吉見隆頼など
正室:大宮姫(大内義興の娘)
子:吉見広頼、吉見広正など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 石見国 津和野城(三本松城)
GOOGLE MAP 長門国 萩城(指月城)
略歴 ●吉見家
1513年 (1歳)
石見国津和野城主で、周防国大内義興に従う吉見頼興の五男として生まれる。

その後出家し興源寺に入り、周鷹と名乗る。

●還俗
1540年 (28歳)
兄で当主の吉見隆頼が死没したため、還俗して家督を相続。

兄の正室だった大宮姫(大内義興の娘)と結婚。

16条の吉見家掟書を発布。

●謀反
1551年 (39歳)
陶晴賢の謀反により、主君大内義隆が深川大寧寺に追い詰められ自害。(大寧寺の変)

大内義長陶晴賢に担がれ当主に。

義兄を討たれたことと、陶晴賢の従兄だった益田藤兼と領土争いをしていたことから、反陶氏の先鋒となる。

1552年 (40歳)
大内義長の命を受けた益田藤兼から、三本松城(津和野城)を攻められるように。
(津和野三本松城の戦)

●独立
1553年 (41歳)
大内家から独立し、打倒陶氏を宣言、高見原の戦などで陶勢に勝利。

1554年 (42歳)
大内勢から総攻めを受け三本松城(津和野城に籠城するが、子の吉見広頼を人質に出し和睦。(津和野三本松城の戦の終結)

1555年 (43歳)
安芸国毛利元就、謀略により陶晴賢を自害に追い込む。(厳島の戦

1556年 (44歳)
人質の吉見広頼を密かに奪取。

●毛利家への臣従
1557年 (45歳)
毛利元就の防長経略に同調し阿武郡へ侵攻、その後の山口攻略でも戦功。

戦後、毛利家の臣下につき、戦功第一として阿武郡などを拝領。

1558年 (46歳)
毛利元就大内義長を自害に追い込み、旧大内領をほぼ掌握。

1563年 (51歳)
毛利元就の出雲攻め。

元就の嫡男、毛利隆元が急死。

1566年 (54歳)
毛利元就月山富田城を攻略、尼子家を滅亡させる。
第二次月山富田城の戦

1571年 (59歳)
赤間関(下関)にて大友家と戦う。

毛利元就が死没すると、跡を継ぐ毛利輝元の補佐を吉川元春から依頼される。

1578年頃 (66歳)
織田信長の部将羽柴(豊臣)秀吉の中国攻略が始まる。

1582年 (70歳)
羽柴(豊臣)秀吉備中高松城の水攻めを受け出陣。

本能寺の変

●隠居
家督を子の吉見広頼に譲り、長門国指月城(萩城)に隠居。

1586年 (74歳)
吉川元春九州攻めに参陣中、豊前国小倉城で病死。

1588年 (76歳)
死没。
レクイエム  
死没 1588年6月15日(天正16年5月22日) (享年76歳)