敵である伊達家に嫁いで政宗を生んだ
義姫よしひめ
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誕生 1548年(天文17年)
生誕地 出羽国羽前 山形
最上義守
 
幼名  
元服名  
義姫、最上御前、お東の方、保春院
官名  
近親など 夫:伊達輝宗
兄:最上義光
子:伊達政宗、伊達政道(小次郎)など
ゆかりの地  出羽国羽前 山形城
 出羽国羽前 米沢城
 陸奥国岩代 黒川城(会津若松城
 陸奥国陸前 岩出山城(岩手沢城)
 陸奥国陸前 仙台城
略歴 ●山形城
1548年 (1歳)
出羽国羽前山形城主、最上義守の娘として生まれる。

●米沢城
1564年 (17歳)
敵対していた出羽国羽前米沢城の、伊達輝宗に嫁ぐ。

夫、伊達輝宗が家督を相続。

1567年 (20歳)
嫡男、伊達政宗を出産。

1568年 (21歳)
二男、伊達小次郎を出産。

1578年 (31歳)
夫、伊達輝宗が上山満兼とともに実家の兄、最上義光攻めを開始すると籠で戦場へ赴き、夫、伊達輝宗に停戦を要請させる。

●政宗家督
1584年 (37歳)
伊達輝宗が隠居し、子の伊達政宗が家督を相続。

1585年 (38歳)
伊達輝宗畠山義継に捕らえられ、最期は伊達政宗の銃撃により畠山義継とともに殺害される。(異説あり)
(粟之巣の変・高田原の変)

その後、政宗が最上氏の本家にあたる大崎氏と敵対したことなどから、母子の関係が悪化。

1588年 (41歳)
伊達政宗が北方の大崎義隆を攻めるが、最上義光が大崎氏の援軍に駆けつけたため苦戦。これを受け籠で戦場へ赴き最上家と伊達家を和睦させる。(中新田の戦)

1589年 (42歳)
伊達政宗出羽国羽前南部、陸奥国岩代陸奥国陸前南部など合計114万石の太守に。

●黒川城
本城となった陸奥国岩代黒川城(会津若松城)に移る。

●毒殺未遂
1590年 (43歳)
小田原参陣直前の伊達政宗を、毒殺しようと謀るが未遂に終わる。(異説あり)

その際、二男の小次郎(政道)が暗殺に関わった疑いで、政宗から討たれる。

●岩出山城
1591年 (44歳)
伊達家が惣無事令違反、領内での一揆(葛西大崎一揆)を煽動した疑いなどから、米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など58万石に減封となり、岩出山城(岩手沢城)に移る。

1593年 (45歳)
朝鮮出征中の政宗に、陣中見舞金や和歌を贈る。

●実家へ
1594年 (47歳)
岩出山城を出て、実家最上家の山形城へ戻る。理由は不明。

1595年 (48歳)
秀次事件で伊達家は改易の危機を迎えるが、免れる。

1600年 (53歳)
長谷堂城の戦上杉景勝に山形領内を攻められるが、政宗の家老、留守政景に対し援軍督促の書状を送る。

1614年 (67歳)
兄、最上義光が死没。

●仙台城
1623年 (75歳)
最上家が改易となり、伊達政宗仙台城へ迎えられる。

死没。
死没 1623年8月13日(元和9年7月17日) (享年67歳)
レクイエム 男勝りの性格と行動力で、鬼姫との異名をとった。

毒殺未遂を起こすなど政宗との確執が取り沙汰されるが、真相を隠すための創作話ではないかとの説がある。

その真相とは、政宗に替わって当主の座を狙う小次郎派を粛清したことで起こる、家中の動揺を極力抑えようとした、というようなもの。