吉田卿記を残した吉田神社神主
吉田兼見よしだ かねみ
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誕生 1535年(天文4年)
生誕地 京都
吉田兼右
 
吉田兼和、吉田兼見、卜部兼見
官名 従二位、神祇大副、左衛門督
近親など 子:吉田兼治
従兄:細川幽斎
ゆかりの地  山城国 吉田神社
略歴 ●吉田神道宗家
1535年 (1歳)
吉田神社神主で、吉田神道宗家当主、吉田兼右の子として生まれる。

1565年 (30歳)
織田信長足利義昭を奉じて上洛。

●家督
1570年 (36歳)
家督を相続し、吉田神道宗家当主に。

●信長
この頃から、織田信長明智光秀、従兄の細川幽斎ら武将との交友が深まる。

この頃から天皇の勅使を務めるように。

この頃、京都の政情を中心に記した日記「吉田卿記」を始める。

1571年 (37歳)
織田信長から、比叡山焼き討ちについて相談される。

●本能寺
1582年 (48歳)
本能寺の変の直前、織田信長のいる本能寺へは訪れず。

誠仁親王の使者として、安土城に滞在中の明智光秀を訪問、変の詳報を受ける。

京都の屋敷に訪れた明智光秀から、銀50枚を受ける。

山崎の戦明智光秀が敗北。

その後、天下人となった羽柴(豊臣)秀吉との交友を深める。

1610年 (76歳)
死没。
死没 1610年10月6日(慶長15年8月20日) (享年63歳)
レクイエム 日記「吉田卿記」は、当時の政情や若狭地震・津波などについて書かれた貴重な文献であるが、本能寺の変のあと、6月12日分までの日記を、その年の正月にまで遡って書き換えが行われたという事実があり、これは光秀と朝廷が共謀して変を起こしたことを隠蔽するため、との説がある。