天王山の確保が勝負を決めた
山崎の戦やまざきのたたかい
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西暦 1582年
和暦 天正10年 6月
略図
場所  山城国 山崎
 山城国 勝龍寺城
 山城国 小栗栖の明智薮
概要 ●天下取りへ
本能寺の変織田信長を自害させた明智光秀は、信長に替わる天下人にならんとして京都支配へ動き出す。

味方とした京極高次近江国へ派遣し、羽柴(豊臣)秀吉の居城長浜城を攻め落とさせ、武田元明には丹羽長秀の居城佐和山城を攻め落とさせるなど、順調に見えたが、織田方の反撃も始まっていた。

●孤立
まずは四国の長宗我部攻めへ向かっていた神戸(織田)信孝丹羽長秀が、同じく四国攻めに向かっていた津田信澄を殺害した。
津田信澄明智光秀の娘婿であり、本能寺の変の共謀者と噂されたためである。

さらには備中国で毛利と対峙しているはずの羽柴(豊臣)秀吉が、京都へ向かってくる(中国大返し)という情報を受け、摂津国西部を領有する池田恒興が秀吉に味方することになった。
これが大きく影響し 茨木城中川清秀高槻城高山右近らも秀吉につくことを決意。

光秀の組下となっていた筒井順慶でさえも、大和郡山城へ戻り籠城支度を始めた。

さらに光秀の組下で、娘、玉(細川ガラシャ)の婿である細川忠興とその父細川幽斎(藤孝)も、信長への追悼のために髻を切り落とすことで、光秀へは加担しないことを表明した。

秀吉方はこの時点で4万の勢力に膨れ上がっていたが、光秀方は1万6千と、戦力差は開く一方だった。

このように思い描いていた策略は思い通りにならず、明智光秀は極度の落胆の中、短期間で畿内へ戻ってきた羽柴勢を迎え撃つことになってしまった。

●激突と敗走
秀吉勢を京都に入れては、数に劣る明智光秀に勝ち目はない。
戦いを少しでも有利にするため、摂津国山城国の国境、淀川と天王山にはさまれた山崎の隘路(あいろ)での決戦を決断するが、山崎を見下ろす位置にある天王山を秀吉の先鋒、羽柴(豊臣)秀長黒田官兵衛ら5千に抑えられてしまったため(「天王山」の語源)、想定した山崎の町ではなく、町の東を流れる円明寺川(淀川の支流)の東河畔に、勝龍寺城を背に広く展開した形で布陣した。光秀の本陣は御坊塚に置かれた。この時の明智勢は1万6千。

一方の羽柴勢は、右手の淀川沿いを池田恒興、加藤光泰の5千が進み、円明寺川に西河畔に高山右近中川清秀らの約5千が明智勢を正面に受ける形で布陣したが、このままの形では高山、中川勢が集中攻撃を受け撃破されることが明白なことから、天王山にいた羽柴(豊臣)秀長が、堀秀政の2千を高山、中川勢の後詰めへ回り込ませ、自らも黒田官兵衛とともに天王山を下り敵の左翼に当たることになった。

山崎の町の西方待機していた羽柴(豊臣)秀吉は、堺からやっと駆けつけてきた神戸(織田)信孝丹羽長秀の8千を合わせた1万の軍勢で行動を開始、山崎の隘路を抜け戦場へ向かった。

戦闘は、羽柴(豊臣)秀長黒田官兵衛らの左翼部隊に、明智方の右翼勢が攻め掛かり始まり、明智勢の猛攻に羽柴勢は押され気味となる。

また中央部の戦闘でも、 秀吉方の中川清秀高山右近の部隊に、光秀方の斎藤利三、伊勢貞興隊が押され劣勢となるものの、後詰めに駆けつけた堀秀政により踏ん張った。

大勢を決めたのは、羽柴方の右翼隊だった。
池田恒興、池田元助、加藤光泰は、淀川沿いを進み、敵を蹴散らしながら円明寺川の向こう岸へ渡ると、明智勢左翼の側面からつき崩したのである。

秀吉が、勝利を決定づけるように、さらに右翼部隊に兵力を投入したことから明智勢は総崩れとなり、光秀は後方の勝龍寺城に退却した。

しかし勝龍寺城は防御しにくい平城だっとことや、味方兵の脱走が相次いだことから光秀は密かに城を脱出、居城の近江国坂本城への敗走途上、小栗栖の竹藪(後の明智薮)で、土民の落人狩にあい負傷、重臣の溝尾勝兵衛(茂朝)の介錯で自刃した。11日天下であった。

●光秀の重臣たちの最後
松田太郎左衛門(政近)は乱戦の中で討ち死に。

並河掃部(易家)は右翼の先鋒を務めたが、討ち死に。

斎藤利三は、戦後、堅田に潜伏していたが捕えられ、京都の六条河原で処刑された。

藤田伝五郎(行政)は戦で負傷し淀まで後退するが、翌日自刃。

明智治右衛門(光忠)は本能寺の変の際負傷し、知恩院で療養していたが、敗戦の報を受け自刃。

明智秀満は光秀の後詰めに安土城から出陣したが、堀秀政琵琶湖の打出浜で激突し敗北、坂本城に戻り、自分の妻(明智光秀の娘)と、光秀の妻子を刺し殺してから、城に火を放ち自刃。

●戦後
中川清秀高山右近は、光秀のもうひとつの居城、丹波国亀山城の明智光慶を攻め自害に追い込み城を奪取。

主君信長の仇を討った羽柴(豊臣)秀吉は、その後織田家での発言力を強め、天下人への道を歩き始める。