夫を土佐一国の国主に就かしめた才女
山内千代やまうち ちよ
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誕生 1557年(弘治3年)
生誕地 美濃国(異説あり)
遠藤盛数(異説あり)
 
幼名  
千代、まつ(?)、見性院
官名  
近親など 夫:山内一豊
子:よね(天正大地震で死没)
養子:山内忠義(弟、山内康豊の子)
ゆかりの地  若狭国 高浜城
 近江国 長浜城
 遠江国 掛川城
 土佐国 高知城
略歴 ●遠藤氏
1557年 (1歳)
美濃国郡上の豪族、東氏一族の遠藤盛数の娘として生まれる。

●結婚
1570年 (14歳)
この頃、織田信長の家臣木下(豊臣)秀吉の与力、山内一豊と結婚。

山内一豊姉川の戦で戦功をあげる。

1573年 (17歳)
山内一豊、朝倉攻めの際の刀禰坂の戦で、顔面に矢を受けながらも奮戦。

山内一豊近江国唐国の領主に。(400石)

●馬代10両
1581年 (25歳)
京都の馬揃えに、嫁入りの際持参した支度金10両で夫の乗り馬を購入、注目を浴びる。

1583年 (27歳)
山内一豊賤ヶ岳の戦に参陣。

1584年 (28歳)
山内一豊小牧・長久手の戦に参陣。

●高浜城
山内一豊若狭国高浜城主に。(5千石)

●長浜城
1585年 (29歳)
夫、山内一豊近江国長浜城主に。(1万9800石)

天正大地震で、娘よねを失う。

1590年 (34歳)
山内一豊小田原城攻めに参陣。

●掛川城
山内一豊遠江国掛川城主に。(5万石)

1600年 (44歳)
山内一豊徳川家康の会津上杉景勝征伐に参加。

●居城の提供
山内一豊、掛川城を家康に提供することを申し出る。

●土佐
関ヶ原の戦後、夫、山内一豊土佐国一国24万石を拝領。

1603年 (47歳)
山内一豊高知城を築城し、居城に。

嗣子がなかったことから、弟、山内康豊の子、山内忠義を養嗣子とする。

1605年 (49歳)
山内一豊高知城で病死。

1606年 (50歳)
京都へ移り住む。

1617年 (61歳)
死没。
死没 1617年12月31日(元和3年12月4日 (享年61歳)
レクイエム 夫の馬を購入するため大金(嫁入りの際の支度金、または化粧料)を差し出したのは、実は千代ではなく一豊の母だったという説もある。

関ヶ原の戦の前石田三成の西軍監視下にあったが、夫に対し「自分にはかまわず家康様に忠義を尽くすように」との密書を送り、封を切らずにこれを家康様にお渡しくださいと伝え、一豊はそれを実行し家康に対する忠義を示した。

これらの内助の功もあって、山内氏は土佐国一国24万石の国主へ出世したと言われる。