我に七難八苦を与えたまえと月に祈った
山中鹿之介やまなか しかのすけ
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誕生 1544年(天文13年)
生誕地 出雲国
山中三河守満幸
 
幼名 甚次郎
山中鹿之介幸盛
官名  
近親など  
ゆかりの地  山城国 東福寺
 出雲国 月山富田城
 播磨国 上月城
略歴 ●尼子家家臣
1544年 (1歳)
尼子家家臣、山中三河守満幸の子として生まれる。

1554年 (11歳)
尼子晴久による新宮党の変により、尼子家の軍事力が低下。
毛利元就の謀略説、または尼子誠久の傲慢さが尼子晴久の反感を買ったという説などがある)

●尼子氏敗北
1566年 (23歳)
毛利家の第二次月山富田城の戦で敗北。捕らえられるが助命される。

●月に祈った尼子氏再興
1568年 (25歳)
尼子家再興のため、京都の僧籍に入っていた尼子誠久の子孫四郎を還俗させる(尼子勝久)。

1569年 (26歳)
旧家臣らを糾合し出雲国の大部分を回復し、さらに月山富田城の奪回をはかるが失敗。

●再度の敗戦
1570年 (27歳)
布部山の戦で、毛利元就に敗北し、尼子勝久とともに京都へ逃れる。

1574年 (31歳)
因幡国山名豊国の支援のもと月山富田城奪回をはかるが失敗。

●織田家への随身
その後織田信長の臣下となり、羽柴(豊臣)秀吉の指揮下に入る。

●上月城
1577年 (34歳)
羽柴(豊臣)秀吉の先鋒を任せられた尼子勝久に従い、毛利方の守る播磨国上月城を攻略し、入城する。

1578年 (35歳)
上月城奪回を狙う吉川元春軍に包囲される。
羽柴(豊臣)秀吉に支援を求めるが、播磨国三木城攻め(三木城兵糧攻め)をしていた秀吉には余裕がなく、織田信長からの命令もあって上月城を見殺しに。

毛利の攻撃にあい、城兵の助命を条件に降伏、尼子勝久が自害。

囚われ、安芸国へ護送される途中、吉川元春により阿井の渡しで殺害される。
(上月城の戦)
レクイエム 尼子家の再興のために、三日月に向かって「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったという逸話は、戦後の国語の教科書にも載った。
死没 1578年(天正12年) (享年35歳)