叔父を継ぎ但馬守護となった築城名人
山名祐豊やまな すけとよ
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誕生 1511年(永正8年)
生誕地 但馬国
実父:山名致豊、養父:山名誠豊
 
幼名  
紹熙、継熙、祐豊、宗詮
官名 右衛門督
幕職 但馬守護
近親など 弟:山名豊定、山名豊弘(東揚)
正妻:一色義有の娘
子:山名棟豊、山名義親、山名堯熙など
ゆかりの地  但馬国 此隅山城
 但馬国 生野城
 但馬国 有子山城
略歴 ●守護家
1511年 (1歳)
但馬国の守護、山名致豊の子として生まれる。

1512年 (2歳)
国人衆の相次ぐ離反により、父、山名致豊が弟の山名誠豊に守護職を譲る。

その後、叔父、山名誠豊の養嗣子に。

●但馬守護
1528年 (18歳)
山名誠豊が死没、家督を相続し但馬守護に。

1536年 (26歳)
実父、山名致豊が死没。

1542年 (32歳)
生野銀山の本格採掘を開始。

銀山経営拠点である生野城を大改修。

その後も、領内の支城を次々に改修・築城。

●因幡
1548年 (38歳)
山名家の統一をはかり、因幡守護、山名誠通(久通)を急襲し討ち取る。
(申の歳崩れ)

弟の山名豊定を、因幡守護代に送り込む。

1560年 (50歳)
山名豊定が死没、嫡男の山名棟豊を因幡守護代に。

1561年 (51歳)
山名棟豊が死没。甥の山名豊数を因幡守護代に。

その後、居城、此隅山城を拡張。

1563年 (53歳)
毛利家と結んで因幡国で勢力を拡大する鳥取城番、武田高信が、布勢天神山城を攻め、山名豊数を鹿野城へ追う。

1564年 (54歳)
武田高信を攻めるが失敗。

1566年 (56歳)
第二次月山富田城の戦で、出雲国が毛利家の支配下に。

●逃亡
1569年 (59歳)
織田信長の部将、羽柴(豊臣)秀吉の侵攻を受け始める。

有子山城を築城し防戦するも敗れ、堺へ逃亡。

●復帰
1570年 (60歳)
堺の今井宗久に仲介を頼み織田信長に拝謁、千貫の礼銭を差し出すとともに、今後は味方につくことを約束、これにより出石郡の領有を認められ有子山城に復帰。

その後、有子山城下に城下町を整備。

その後も織田家の支援を受けながら、毛利家と抗争。

播磨国の赤井忠家の侵攻を許し、旧居城の此隅山城と、重臣、太田垣輝延の竹田城を攻略される。

1572年 (62歳)
毛利家についた武田高信と戦う。

1575年 (65歳)
織田信長の部将、明智光秀丹波国但馬国方面に来援するが、黒井城包囲の最中、波多野秀治の裏切りにより敗北、光秀が撤退。
(黒井城の戦(第一次))

●織田家との敵対
1579年 (69歳)
重臣、太田垣輝延が毛利家と単独で和睦したことから、織田信長と敵対することに。
(芸但和睦)

1580年 (70歳)
織田信長の部将羽柴(豊臣)秀吉の侵攻を受け、降伏、有子山城を開城。

死没。
レクイエム  
死没 1580年7月2日(天正8年5月21日) (享年70歳)