甲斐にやってきた天才軍師
山本勘助やまもと かんすけ
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誕生 1500年?(明応9年)
生誕地 駿河国
山本貞幸
 
幼名  
山本勘助晴幸、山本菅助とも
通称  
官名  
近親など 兄:山本光幸など
ゆかりの地  信濃国 海津城(松代城)
略歴 ●駿河
1500年 (1歳)
駿河国の武士、山本貞幸の子として生まれる。

その後、三河国牛窪城主、牧野家の家臣、大林勘三衛門の養子に。

●武者修行の旅
1525年 (26歳)
この頃、武者修行の旅に出、諸国情勢や兵法を習得。

1536年 (37歳)
駿河国今川義元に仕官を希望するが、隻眼の上、足が不自由なことなどから許されず、浪人暮らしを続ける。

●信玄の軍師
1543年 (44歳)
甲斐国の武将、板垣信方の推挙により武田晴信(信玄)に謁し家臣となることを認められ、200貫取の足軽大将に。

この後武田晴信(信玄)信濃国侵攻に従軍し、数々の攻城戦で貢献するなど力量を認められる。

1545年 (46歳)
3年前に下した、信濃国諏訪の諏訪頼重の娘(諏訪御寮人)を側室にするよう武田晴信(信玄)に薦める。

1547年 (48歳)
甲州法度之次第(分国法)の作成に関与。

1548年 (49歳)
上田原の戦で、北信濃の村上義清に諏訪を攻められ敗北し、板垣信方甘利虎泰らを討たれたが、その後の巻き返し戦で貢献。

1550年 (51歳)
信濃国小県攻めで危機に陥った武田晴信(信玄)を巧みに救出し、形勢を逆転させる大功をたてる。

1553年 (54歳)
北信濃の海津城(松代城)築城の際、縄張りを任せられる。

●啄木鳥戦法
1561年 (62歳)
第四次川中島の戦で、軍勢を2手に分け、1隊が夜陰に紛れ山上の上杉勢に襲い掛かり、驚いて下山した敵をもう1隊が討つという「啄木鳥戦法」を仕掛けるが見抜かれ、本陣を急襲した柿崎景家勢に討たれる。
死没 1561年10月18日(永禄4年9月10日) (享年62歳)
レクイエム 武田二十四将のひとり。

信玄の名軍師として有名だが、甲陽軍鑑に書かれたことの多くに史実との矛盾があり、その素顔は謎が多い。